戦争遺跡のご紹介やホームページの制作状況などを綴っていきます♪

総軍BLOGへようこそっ!

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祐実総軍三等兵

Author:祐実総軍三等兵
全国に残る戦争遺跡を探訪し
記録することを趣味とする
祐実総軍三等兵ですっ★

稚拙な内容ではございますが
これまでに関係者の皆様方と
見てきた戦争遺跡を中心に、
ブログ・ホームページなどで
順次ご紹介をしていきます♪

よろしくお願いしますっ★

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皆様、いかがお過ごしでしょうか。


大好きな軍跡探訪関係や
鉄道関係の情報収集力の
約3分の1程度の頭脳・思考力で
これまた「大好き」な仕事に
日々従事しております(笑)

言い換えると「クズ」です★
他の社員達に迷惑をかけない
最低限のことだけしか
やっておりません(笑)

探訪にご一緒させてもらっている
関係者の皆様方には見せない
「冷酷さ」というものを仕事では
存分に発揮しております。

まあ、当たり前だわな。
お友達を作りに働いているわけじゃ
ありませんから。

おっと、またまたお得意の
愚痴にはしりそうなので、
私は会社勤めに向いていないと
いうことで総括させてください(笑)


さてさて、本日は祐実軍團「軍報」の
第182弾といたしまして、
東京都北区に敷設されていた
十条王子軍用線の遺構群を
簡単にご紹介させてください↓




十条銃砲製造所は、文京区に
おかれていた東京砲兵工廠の
規模を拡張させるための一環で、
1905年(明治38)に銃砲部門を
十条へ移転させ、口径の小さい
拳銃や小銃・機関銃の弾薬類を
製造する工場として機能しました。

昭和に入り、北区は十条・王子・
豊島・尾久に多くの軍事工場が並び
これらの規模は区の面積の10%を
占めるまでになります。

また、各工場間を結ぶ軍用線も
敷設されました。

軍用線は物資の運搬と工員の
輸送に使用され、トロリーポール集電の
小さな機関車が、客車や貨車を牽引し
頻繁に軍事工場間を往来していました。

現在は、軍用線のほとんどの区間が
都道や生活道路に変わっていますが
線路の跡がわずかに残っています。



いっちゃん先生と王子駅から歩き、
北区豊島2丁目にお邪魔しています↓



この界隈に、通番が刻まれている
軍用地境界標が4本残っています↓






さらに軍用線跡をたどるように
西へ進んでいきます↓



東北本線の線路を跨ぎ、
東北・上越新幹線の線路を
潜った先の場所に位置している
ちんちん山児童遊園内に、軍用線の
トンネル跡のアーチ部分が
保存されています↓



楔石に東京砲兵工廠の
徽章が輝きますっ↓



さらに西に進んでいくと
現在の埼京線の線路を跨ぐ
橋梁跡が残っています↓



【収録遺構】
 東京陸軍砲兵工廠
 十条銃砲製造所
 十条王子軍用線

  トンネル 1箇所
  橋梁 1箇所
  軍用地境界標 4本

【探訪情報】
 2007.04.01  第1回探訪 
 2007.06.30  第2回探訪 
 2007.07.14  第3回探訪 
 2012.09.15  第4回探訪 

 歩数(指数) 約5,000歩(148)


それでは、またお会いしましょうっ★



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皆様、いかがお過ごしでしょうか。


体調が悪くなりそうで、
今日は予防線(笑)を張ったので
この時間からブログ更新です。


今回は祐実軍團「軍報」の
第181弾といたしまして、
神奈川県平塚市におかれていた
横須賀水交社平塚集会所の遺構を
2つご紹介させていただきます↓




水交社は、海軍の少尉候補生以上の
武官と高等文官で組織された
懇親団体で、東京と各鎮守府の
要港部に設置され、海軍関係の
学術研究などを目的とし、
1919年(大正 8)の平塚海軍火薬本廠
開設に合わせ、平塚集会所が
設置されました。

現在、跡地は横浜ゴムの工場と
なっていますが、当時の建物と
一部が八幡山公園内に移設され、
横浜ゴム記念館として
展示保存されています。



八幡山公園内に集会所の建物が
移設保存されています↓



現在は横浜ゴム平塚製造所の
記念館として保存されており、
内部見学が可能です↓




せっかくなので、おピンちゃん先生
探訪記念写真を撮ってもらいました↓



集会所の建物に隣接して
当時の宿舎建物の基礎部分が
一部保存されています↓


案内板も設けられています↓



【収録遺構】
 横須賀水交社
 平塚集会所

  建物 1棟
  建物基礎 1箇所

【探訪情報】
 2012.08.09  第1回探訪 

 歩数(指数) 未計測(100)


体調がイマイチなので、
今日はsafeモードで
過ごしたいと思います(笑)


それでは、またお会いしましょうっ★



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皆様、いかがお過ごしでしょうか。


毎度の「愚痴」で恐縮ですが、
仕事がある月曜日は、いつもながら
「ゲンナリ」でございます・・・

先週の「不運」を引きずっているようで
今日も散々でした・・・

何かの祟りじゃ~(笑)


さてさて・・・
今回も引き続き阪奈軍團「軍報」の
第114弾といたしまして
大阪府柏原市におかれていた
大正陸軍飛行場の合宿舎を
ご紹介させてくださいませ↓




第十八飛行団は、阪神地区の防衛を
目的として1940年(昭和15)に開設され
施設に隣接する形で現在の八尾市に
飛行場がおかれていました。

開設に合わせて、飛行場に隣接する
柏原市と藤井寺市に准士官・将校の
官舎が建設され、有事の際に
即座に対応出来る体制にしていました。

現在、官舎の一部は住宅に
活用されていますが、周辺で再開発が
始まっており、消失してしまう
可能性があります。



前回の記事に続き、関西地方の
軍跡探訪の権威である盡忠報國先生
ご案内の下で柏原市内に
お邪魔しております↓



本拠に帰還してから発覚しましたが
ここは2016年にもおピンちゃん先生
探訪しておりました(柏原駅前にて)↓


先生っ!
お手間をおかけしてしまい
申し訳ありません m(_ _)m


藤井寺市の官舎群と比較すると
建物の規模が小さいですが、
当時の官舎が住宅として
活用されています↓








一部は廃屋となっており
倒壊寸前となっておりました・・・↓



【収録遺構】
 陸軍第十八飛行団
 大正飛行場(柏原市)

   建物 8棟

【探訪情報】
 2016.11.23  第1回探訪
 2018.04.14  第2回探訪

 歩数(指数) 未計測(100)


それでは、またお会いいたしましょうっ★



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皆様、いかがお過ごしでしょうか。


ほぼ毎週の日課になっている
「明日仕事に行きたくない病」に
かかりまして、時間の経過とともに
日曜日がつまらなくなってきました。
せっかくの休みなのに残念です。


さて・・・
今回も引き続き阪奈軍團「軍報」の
第113弾といたしまして
大阪府藤井寺市におかれていた
大正陸軍飛行場の合宿舎を
ご紹介させてくださいませ↓




第十八飛行団は、阪神地区の
防衛を目的として1940年(昭和15)に
開設され、施設に隣接する形で
現在の八尾市に飛行場が
おかれていました。

開設に合わせて、飛行場に
隣接する藤井寺市と柏原市に
准士官・将校の官舎が建設され
有事の際に即座に対応出来る
体制にしていました。

現在、官舎の一部は住宅として
活用されています。



前回の記事に続き、関西地方の
軍跡探訪の権威である盡忠報國先生
ご案内の下で藤井寺市内に
お邪魔しております↓



全体的に改築されていますが、
当時の官舎が残っています↓



こちらは増築されていますが
木造の外壁部分が残ります↓
P1250600.jpg


こちらも一部が増築されていますが
状態はとてもよいです↓



これも当時の建物と思われます↓



このほか、道路を挟んだ西側にも
住宅として活用されている
官舎が点在しているそうですが
駐車場所に難儀したため、
今回は見学を見送りました。


【収録遺構】
 陸軍第十八飛行団
 大正飛行場(藤井寺市)

   建物 4棟

【探訪情報】
 2018.04.14  第1回探訪

 歩数(指数) 未計測(80)


後ほど、我々のホームページにも
掲載予定ですっ★


それでは、また明日っ♪



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皆様、いかがお過ごしでしょうか。


今週の平日は、障害対応などで
ものすごく精神をすり減らしてしまい
おまけに不運も続き、まったくもって
ロクなことがありませんでした・・・

その腹いせと言っては難がありますが
今日は昼から家で酒盛りです(笑)

いつもより多く飲んでいるので
酔っぱらっておりますっ★


さて、本日は阪奈軍團「軍報」の
第112弾といたしまして
大阪府柏原市に掘削された
大阪陸軍航空廠の玉手山洞窟を
ご紹介させてくださいませ↓




大阪陸軍航空廠は、飛行機の
機体やエンジン・機関砲などの
造修を目的として1940年(昭和15)に
現在の八尾市に設立されました。

太平洋戦争末期は、本土空襲が
本格化したことで、造修ラインを
維持するために、航空部品の疎開を
目的として、現在の柏原市に
地下倉庫が建設されました。

現在、跡地の大半が玉手山公園に
変遷しており整地されていますが
公園内に地下壕の一部が
わずかに残っています。



柏原の玉手山公園に到着です↓


普段、関西方面の探訪では
盡忠報國先生ブログを参考にして
行動することが多いのですが
今回は遂に(笑)、ご本人に初めて
お会いすることがかないまして、
一緒に見ていくことにします★


おいコラおっさん連中2名が
実に妙な(笑)オーラを出しながら、
多くの子供たちが遊んでいる公園を
巡回していきます(笑)↓



ほどよく園内を確認していき、
入口に到着しましたっ↓



内部の様子です↓



坑道には支保工の跡が
良い状態で残っているのですが
整地により途中で崩れています↓



唯一、残っている入口も
このありさまでございます↓



確認出来た坑道延長は
31.5メートルほどで、
googleマップに壕内図を
トレースするとこうなります↓

※一定期間経過後に削除します。


崩れた壕内を軽快に進む
盡忠報國先生↓


さすが、実に慣れていらっしゃいます!
探訪の関西代表、ここにありっ★


地下壕は、このほかにも
複数設けられていたようですが
残念ながら、わずかな痕跡しか
判らなくなってしまっています↓





このほか、北側の管理事務所付近に
最奥部のみが残る壕がありました↓



【収録遺構】
 大阪陸軍航空廠
 玉手山洞窟

   地下壕 2区画

【探訪情報】
 2018.04.14  第1回探訪

 歩数(指数) 未計測(100)


後ほど、我々のホームページにも
掲載予定ですっ★


それでは、また明日っ♪



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