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戦争遺跡のご紹介やホームページの制作状況などを綴っていきます♪

総軍BLOGへようこそっ!

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祐実総軍三等兵

Author:祐実総軍三等兵
全国に残る戦争遺跡を探訪し
記録することを趣味とする
祐実総軍三等兵ですっ★

稚拙な内容ではございますが
これまでに関係者の皆様方と
見てきた戦争遺跡を中心に、
ブログ・ホームページなどで
順次ご紹介をしていきます♪

よろしくお願いしますっ★

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皆様、いかがお過ごしでしょうか。


お彼岸シーズンなもので
この週末は両家のお墓参りで
バタバタしております。


今日もお墓参りに行くので
簡単ですがブログの起算更新です。


さて、今回は福岡県築上郡築上町に
おかれていた築城海軍航空基地の
赤幡補給倉庫のご紹介です↓




赤幡補給倉庫は、本土爆撃が
本格化したことで防空対策として
築城海軍航空基地の中枢を
南方の山林部に移す目的で
広末弾薬倉庫と同時期に工事が
開始されました。

ここに、発電機や食料・衣類などを
収容する地下壕が掘削され、
一部は実際に使用されたようです。

現在、跡地の大半が
山林に変遷していますが
わずかに倉庫壕と考えられる
地下壕が現存し見学することが可能です。



広末弾薬倉庫に引き続き、
陸軍伍長さんと一緒に
築上町の赤幡地区に入りました↓



さっそく、地下壕の入口が
見えてきましたが、残念ながら
封鎖されています↓



中をのぞいてみると
祠が建立されています↓



坑道が右に折れて
続いていそうな感じなので
山に沿って進んでいくと…↓



ちょっと埋まっていますが
もう1つの入口がありました↓



内部は崩落は少なく
倉庫系の壕にふさわしい
幅広の坑道が続きます↓



15メートルほど進んだところで
入口をふり返ってみると
硬い岩盤に掘られていることが
よく判ります↓



奥に進んでいくと
左に坑道が曲がっています↓



左に曲がると、さらに30メートルほど
坑道が続いています↓



さらに進んでいくと
祠の坑道にぶつかりますが
段差が生じており、石の階段が
数段設けられています↓



道なりに左へ進むと
さきほどの祠の入口に続きます↓



この区画は総延長50メートルちょっと、
コの字型の壕であることが判りました↓



他にもないか、探しましたが…↓



残念ながら崩れてしまったようで
入口が見つからず敗退し
次の付属案件に向かいました↓



【収録遺構】
 築城海軍航空基地
 赤幡補給倉庫

  地下壕 1区画

【探訪情報】
 2021.01.01 第1回探訪

 歩数(指数) 未計測(100)


それでは、またお会いいたしましょうっ★



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 ひとつよろしくお願いします♪

皆様、いかがお過ごしでしょうか。


もう秋に入っているはずなのに
連日35度超えの暑い日々が
続いていましたが、
今日は朝から涼しく、
久しぶりに快適ですね。


秋が実感出来ないと
次の探訪シーズンへの
心構えが出来ず…


さて、今回は横須賀市におかれた
横須賀海軍砲術学校の長井分校の
遺構群を簡単にご紹介させてください↓




砲術学校は、砲術指揮官や
技官を養成した海軍機関の 1つで
1907年(明治40)に、この前身の
砲術練習所からの改編により開校し
横須賀に施設がおかれていました。

昭和に入ると、対艦・対地の
砲術だけではなく、陸戦隊の操練術や
対空砲の操作術なども重要課題となり
これらの教育を行うため、館山にも
砲術学校が新設されたことで
横須賀海軍砲術学校に改称されました。

太平洋戦争に突入すると、予備学生・
予備生徒への教育を行う目的で
1944年(昭和19)に分校が
長井に設置されますが、戦局が逼迫し
きたる本土での決戦に備えるため
教育を中止し、特設警備隊に改編され
沿岸防備にあたりました。

現在、分校の跡地は長井小・中学校や
住宅などに変遷して面影がありませんが
地下壕を中心とする遺構が
わずかに残っています。



3度目の正直(?)の探訪となるべく
ルルルさんゴウさんトイさん
横須賀の長井地区に来ております↓



長井小学校の門柱は
当時のものであると
教えていただきました↓



探訪不足と言われれば
それまで…なんですが、
知らなかったです…
色々な視点・情報をもつ
仲間の存在はありがたいです↓



よく見ると、門札を引っ掛けていた
鉄製フックが出ていますね↓



少し南にくだると、終戦直後の
航空写真に写る円形の大きな水槽が
4分の1のサイズに縮小された形で
現在も使われているようです↓



少し離れたところに地下壕があり
以前に古の探訪5人衆とめぐって
封鎖痕くらいは見ていたのですが…↓



こちらも条件付で見学出来ると知り
さっそく、連れてってもらいます↓



住民の方にお声をかけさせていただき
さっそく、見学させていただきます↓



さすが、海軍学校の地下壕、
やはり分岐がありますな(笑)↓



支保工の跡も残っています↓



一部は排水溝も切られており
「ああ、退避系の地下壕だな」と
思いきや…↓



坑道が狭くなっていきます↓



アレ(笑)の予感しかしません↓



ああ・・・横須賀特有の
陣地複合形ってやつです↓



細い坑道を進んだ一番最後が
狙撃室になっているようです↓



棲息部や弾薬庫と考えられる
部屋状の空間も展開しています↓



狙撃口付近にミツバチが
大きな巣を作っており、
坑道内を飛び回っているので
足早に逃げます(笑)↓
1 (1)


陣地の坑道には傾斜がついており
最奥の狙撃室が1段高い位置に
あることがよく判ります↓



地下壕の内部図です↓



ひととおり、内部の見学をして
外に出ます↓



もう1つ、地下壕が残るとのことで
さっそく移動していきます↓



以前の探訪で「小さな壕がある」と
聞いた記憶があり、これのことだ!と
確信しました↓



幅が約3メートルほどと大きく
T字形の坑道構成で
倉庫系の壕と考えられます↓



突き当たりから左右にのびる坑道は
それぞれ行き止まっており、
掘削途中?と思いましたが…↓
1 (7)


先端を丸みがかった形に
あえてしており、棚のような
掘り込みもあるため
これで完成形のようです↓



なかなか充実した探訪でした↓



【収録遺構】
 横須賀海軍砲術学校
 長井分校

   門柱 1箇所
   地下壕 2区画
   その他 1箇所
 
【探訪情報】
 2006.11.12  第1回探訪
 2014.06.08  第2回探訪
 2023.05.03  第3回探訪

 歩数(指数) 未計測 (100)


それでは、またお会いいたしましょう★



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皆様、いかがお過ごしでしょうか。


9月も後半戦に突入しているのに
連日30℃を超える日々が続き、草が
枯れ始める次の探訪シーズンの到来は
まだ先のようです…


ここのところ、遠出をしてなかったもので
次のシーズンは頑張りたいところです。


さて、今回は福岡県築上郡築上町に
おかれていた築城海軍航空基地の
広末弾薬倉庫のご紹介です↓




築城海軍航空基地は、
航空母艦を配備した呉鎮守府や
中国大陸・離島の海域に近く
周防灘沿岸は天候が穏やかで
航空基地建設の好立地であったため
1939年(昭和14)に工事が開始され、
1942年(昭和17)に完成しました。

戦争末期はアメリカ軍による
本土への爆撃が本格化したことで
基地の中枢を山林部に移す
工事の一環で、広末地区に洞窟式の
弾薬倉庫が建設され、爆弾や機銃弾が
格納されました。

現在、跡地の大半が山林に
変遷していますが、合算総延長が
約 1キロにおよぶ地下壕群や
コンクリート製の遺構などが残ります。



今回は陸軍伍長さんと一緒に
築上町の広末地区にお邪魔します↓



地下壕は6つの区画で構成されており
さっそく、第1壕から見ていきます↓



第1壕が規模としては一番大きく
総延長は700メートルちょっとあります↓



おっ、地下壕探訪のお友達、
コモリさんもいるようです↓



っていうか、お友達のレベルを超える
熱烈な大歓迎を受けました(笑)↓



壕内には弾薬類を運搬するための
トロッコ軌道がはしっていたようで
線路の曲線限界を考えていたのか
坑道の交差点がY字に近い分岐に
なっている部分があります↓





岩盤がよい場所に掘削されており
崩落は少ないですが、一部は
水はけが悪く水没していました↓



遺物は特にありませんでしたが
放置自転車が多かったです(笑)↓



地下壕のトレースです↓



メインの第1壕の内部記録を終え
いったん外に出て第2壕へ進みます↓



第2壕は入口に投棄ゴミが散乱し
奥行きも15メートルほどしかなく
外観のみの見学です↓



東九州道が近くをはしるので
高速道路からも入口が
見えるかもしれませんね↓



山に沿って西に進んでいくと
第3壕の入口があります↓



投棄ゴミが散乱する入口を進むと
坑道が右に折れます↓



コの字型の壕のようで、
再び右に折れて出口です↓



第3壕の入口付近に
コンクリート製の構造物が
残っていました↓



機械を据え付けていたと思われる
ボルトが突き出た状態です↓



詳細は判りませんが、
これまでの経験から
削岩機に空気を送るための
コンプレッサーの台座じゃないかと
思っているところです↓



山の地形が西から南に変化し
引き続き、山沿いに進んでいくと…↓



第4壕の入口が登場しますが
こちらは20メートルほどの
単発壕でした↓



さらに進んでいくと、
さきほど入った第1壕の西出口が
2つほど登場し、入口付近に
コンクリート製の水槽のような
長方形の遺構が残ります↓


万が一の爆発事故に備え
水槽を設けている火薬・弾薬倉庫は
他でもよくあるお話しなので
残っていても不思議じゃないです。


さらに南へ進んでいくと
第5壕の入口があります↓



こちらも単発壕で
約30メートルほどの坑道が
展開していました↓



どうやら、このあたりは掘削途中で
終戦を迎えた感じですね…


隣接して第6壕の入口です↓



残念ながら、水没しており
中に入るのを断念しましたが
約50メートルほどの単発壕です↓



さらに南に進み、ほかにも
入口がないか確認しましたが
どうやら第6壕が最終のようです↓



壕内見学を終え、次の案件に…と
進もうとしたら、山の麓に案内板が
立てられていました↓



引き揚げの準備をして
次は赤幡地区に進みます↓



【収録遺構】
 築城海軍航空基地
 広末弾薬倉庫

  地下壕 6区画
  その他 2箇所

【探訪情報】
 2021.01.01 第1回探訪

 歩数(指数) 未計測(100)


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皆様、いかがお過ごしでしょうか。


3連休の中日ですが、
腰痛・暑さ・金欠の3拍子(笑)が揃い
今後の探訪計画や調べものなどをして
家で過ごしております。


9月は我が総軍大元帥の
ご生誕月間ということもあり
今月いっぱいはおとなしくしようかと…


さて、今回は千葉県千葉市に
居をかまえた愛新覚羅溥傑別邸の
避難用防空壕を簡単にご紹介します↓




溥傑は、中国清朝のラストエンペラーである
愛新覚羅の溥儀の実弟で、
1937年(昭和12)に新婚生活を送るための
別邸が建設され、半年ほど居を構えました。

現在は貴重な和風別荘建築として
市の地域有形文化財に指定され
稲毛ゆかりの家として公開されており、
敷地内には避難用の防空壕も
残されています。



京成津田沼駅から京成千葉線に
トコトコと揺られまして…↓



京成稲毛駅で降り
京成千葉線を見送ります↓



まだ、この当時は
今やカエル軍団丞相(笑)の
サブ郎さんもいないので
一人でトボトボと稲毛ゆかりの家を
目指して歩いていきます↓



約10分ほど歩き
愛新覚羅溥傑仮寓の
稲毛ゆかりの家に到着です↓



玄関で職員さんから簡単な説明を
いただきまして、さっそく仮寓内を
見学していきます↓



とはいえ、こちらは探訪主旨と
ちょっと異なる案件になるので
軽めの見学です↓




間取り図を見ると、さすがは仮寓、
かなり大きな佇まいであることが判ります↓



各部屋は、ステキな和風建築です↓






ご結婚時の写真や、ここで過ごされた
スナップ写真などが展示されています↓




落ち着いた雰囲気の庭園に癒され
10分くらい部屋から眺めてました↓



館内常備のサンダルを履き
庭園に出ます↓



今度は仮寓の外観を
軽く見ていきます↓







庭園を歩き、裏手にまわります↓



仮寓から少し離れたところに
書斎があります↓



さらに奥へ進んだところに
今回のお目当てである防空壕が
残っています↓



防空壕はコンクリート製で、側面に
小さな窓が設けられています↓



背面に通風口と考えられる
小さな管が突き出ていました↓



原則、内部への立ち入りは禁止ですが
窓から内部の様子が判り、
2畳ほどの小さな部屋になっていました↓



時期が悪く、蚊の襲来がすごかったので
防空壕の見学は手短にすませ、
最後に記帳させていただきました↓



約1時間ほど滞在した後は
小仲台方面に進んでいき
高射学校跡に転進しました↓



【収録遺構】
 愛新覚羅溥傑仮寓
 防空壕

  地下施設 1箇所

【探訪情報】
 2020.09.13 第1回探訪

【市ホームページ】
 千葉市公式ホームページ
 千葉市観光ガイド


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皆様、いかがお過ごしでしょうか。


今月は、まだ販売関連の続編作業を
やってないもので、ブログの更新が
いい感じに出来ていますな(笑)


続編制作にも手を付けていかないと
拙い資料とはいえ、全てお手に取って
くださっているお客さまもいらっしゃるので
ぼちぼち時間を割かないと…


さて、今回は以前にご紹介した
下志津陸軍飛行学校の遺構群の
続編といたしまして、
千葉県千葉市におかれていた
移設格納庫(解体)をご紹介します↓



前回の記事に引き続き、
陸軍伍長さんと千葉公園に移動し
日本戦跡協会さんと合流して
解体直前の千葉公園体育館に
やってまいりました↓



こちらの千葉公園体育館は
1956年(昭和31)に完成し、
体育館として今日まで千葉市民に
利用されてきましたが、
千葉公園総合体育館の完成により
解体されることになりました↓

※写真は17年前の姿です。


行政・軍跡マニアとも、直前まで
陸軍気球連隊の移設格納庫と
認知されてきたものでしたが、
再検証が行われた結果、
戦後の建築資材不足を背景に
下志津飛行学校(現:下志津駐屯地)の
第六格納庫が基であったことが判り
歴史的価値と体育館利用者の思い出を
噛みしめる場として解体前見学会が
終戦記念日に催されることになり、今回は
それに先立ち、千葉公園管理者の方と
日本戦跡協会さんとの事前打ち合わせに
便乗参加させていただきました。



早速、職員さん方にご挨拶を済ませ
お別れ見学会の段取りや、今後の展開・
当日は日本戦跡協会さんのパネル展示を
行うなどのお話しをうかがいつつ
見学させていただきます↓



ご承知の通り、飛行機格納庫って
ものすごく大きいので、
全体を入れると普通の体育館と
変わらない感じがしちゃいますね…↓



大きすぎてフレームに収まらないので
写真で見ると迫力に欠けてしまうかも
しれませんが…↓



鉄骨を1つずつ見ていくと
「おお、すげぇ」となりますね↓



もちろん、接合はリベットです↓



構造力学には詳しくありませんが
鉄骨の角度 1つとっても全部に
きちんとした理由があると思うと
見ていて飽きません↓



お供のサブ郎さんも
今回はかなり熱心です(笑)↓



梁が複雑に交差するところが
個人的に大好きですね↓



解体前見学会当日は、
壁や床にマジックペンで
ラストメッセージを書くことが
出来るということで、先だって
ステージ上に書かせてもらいました↓



お供のサブ郎さんも
書いて欲しいとのことで
名前を入れておきました(笑)↓



土曜日なのに、わざわざ事前に
見学の場を設けてくださり感謝です↓



職員さんにお礼をして
この後は簡単に周辺の遺構を
ご案内させていただきまして…↓



久しぶりに3人揃ったので
夜は乾杯の儀(笑)でございます↓



【収録遺構】
 下志津陸軍飛行学校
 (下志津陸軍教導飛行師団)

  門柱 1箇所
  建物 1棟
  軍用地境界標 2本
  その他 1箇所

  建物 1棟 (今回追加)


【探訪情報】
 2006.08.27 第1回探訪
 2007.05.01 第2回探訪
 2007.05.21 第3回探訪
 2023.08.11 第4回探訪
 2023.08.15 第5回探訪


いつもであれば、ブログの記事は
ここで終わるのですが…


お別れ見学会当日もサブ郎さんと
参加させていただきました↓



この日は台風の上陸が
危惧されましたが、実際は反れて
暑い日になり来場者は多かったです↓



事前に見せてもらっているので
今回はみんなの邪魔にならないよう
隅っこで細々と梁を見学していたら
わざわざ職員さんが小走りで
「来てくれたんですね、
ありがとうございます」と
声をかけてきてくれて嬉しかったです↓



解体前見学会の翌日から工事が入り
順次取り壊されると聞いているので
思い残すことのないように
じっくりと梁を見ていきます↓







こちらは宣伝ですが、インスタに
梁全体を映した動画を載せてるので
よろしければ併せてご覧ください↓

 カエルのInstagram


お供のサブ郎さんと、
もう座ってもらうこともない
観客席に座りながら梁を見てると
徐々に脳内がしんみりとしてくるもので
私は心から軍跡が好きなんだなぁ…と
改めて認識しちゃったり(笑)もして
一人でゲラゲラ笑っちゃったのは
ここだけのお話しです(笑)↓



お別れ見学会そのものは、
軍跡…というよりかは、過去に
体育館を利用されていた方々が
その思い出を噛みしめる場としての
色合いが強かったですが、
格納庫の梁を撮影されている方も
多くいらっしゃって、
最後に移設格納庫であったことが
広く認知されたんじゃないかと
感じました↓



ラストメッセージも
たくさん書かれていて
とてもよかったです↓



解体前に、最後の姿を
きちんと一般公開してくれる
千葉市の取り組みは
本当にステキだなと思いました↓




それでは、またお会いいたしましょうっ!



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