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戦争遺跡のご紹介やホームページの制作状況などを綴っていきます♪

総軍BLOGへようこそっ!

♦ プロフィール

祐実総軍三等兵

Author:祐実総軍三等兵
全国に残る戦争遺跡を探訪し
記録することを趣味とする
祐実総軍三等兵ですっ★

稚拙な内容ではございますが
これまでに関係者の皆様方と
見てきた戦争遺跡を中心に、
ブログ・ホームページなどで
順次ご紹介をしていきます♪

よろしくお願いしますっ★

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皆様、いかがお過ごしでしょうか。


9月の中旬あたりから、急に
「残業」というものに目覚めてしまい
おかげさまで、遅い帰宅が続き
ブログの更新まで手がまわらない
状態が続いております・・・


探訪シーズンに入ったら、
派手に2週間くらい休んで
必ずや恨みを晴らしてやります★


さて・・・
最近の探訪案件をまとめる時間が
全然取れていないので、
今回は和泉軍團「軍報」の
第118弾といたしまして
千葉県南房総市にある
南無谷トンネル付近に残る
防空壕を1つご紹介します↓




トンネルイキイキのマッキー先生と
南房総市の富浦町南無谷に
お邪魔しております↓



「防空壕と思われる地下壕がある」と
マッキー先生に教えていただき
早速、案内してもらいました↓



トンネルイキイキの達人を先頭に
中に入っていきます↓



入口から数メートルで左に折れ、
部屋のような空間が広がっています↓



その先は再び左に折れて
出口となっており、「コ」の字形を
描くように掘削されていました↓



隣接して、もう1つ入口があります↓



もう1つの壕は入口が広くなっています↓



内部は1本の坑道が鍵の手のように
クランクして反対側に貫通してますが
残念ながら崩落しています・・・↓



ひととおり見学したあとは
次の案件に向けて進んでいきます↓



今回はここまででございます m(_ _)m


それでは、またお会いしましょうっ★



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 ひとつよろしくお願いします♪

皆様、いかがお過ごしでしょうか。


残念ながら、平日は
「全て仕事に費やす日」と
勘違いもはなはだしい
会社大好き人間に翻弄され
大好きな残業が続いております。


仕様も要件もロクに知らないヤツが
一体、何を作ろうとしているのか
私には「さっぱり」判りませんね。


成果を出さなくても作業時間数が
多ければ評価が高くなるシステムは
本当に迷惑極まりないですね。
とっとと、潰れてしまえっ!


さてさて、大好きな会社を
大いに褒めちぎったところで
今回は祐実軍團「軍報」の
第215弾の続編といたしまして
神奈川県逗子市におかれていた
池子火薬倉庫の外周遺構を
簡単にご紹介させてくださいませ↓



なお、これは「後続記事」ですので
「本記事」もご覧くださいませ↓

 (215)横須賀海軍軍需部池子火薬倉庫



今回は京急逗子線の六浦駅から
スタートしていきます↓



横浜市立朝比奈小学校の
裏手から山を上っていきます↓



山を上り切ったところから
逗子市内に入ります↓



敷地の北端をかすめる
登山道に沿うようにして
軍用地境界標が残ります↓




さらに西端をまわりこむように
登山道を進んでいきます↓



埋もれていますが、通用口とおぼしき
門柱が残っています↓




軍用地境界標も残っています↓





さらに南下するようにして進むと、
鎌倉市と逗子市の境界付近に
通用口とおぼしき門柱が残ります↓



このあたりから軍用地境界塀が
長い区間にわたって残っています↓



引き抜かれ横倒しにされて
埋もれている軍用地境界標が
1本ありました↓



残念ながら、この先は軍用地境界標を
確認することは出来ませんでした・・・


【収録遺構】
 横須賀海軍軍需部
 池子火薬倉庫

  軍用地境界標 16本

  門柱 3箇所(今回追加)
  軍用地境界塀 1区画(今回追加)
  軍用地境界標 6本(今回追加)

【探訪情報】
 2006.12.17  第1回探訪
 2007.01.14  第2回探訪
 2007.05.26  第3回探訪
 2014.11.22  第4回探訪
 2016.05.07  第5回探訪
 2018.01.13  第6回探訪

 歩数(指数) 25,000歩以上(999)


それでは、またお会いしましょうっ★



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皆様、いかがお過ごしでしょうか。


8月に引き続き、9月も探訪実績が
0という恥ずかしい実績を
残してしまいそうな予感がします・・・


さしあたって、直近の遠征は
10月以降に持ち越しですね。


11月に福岡~熊本間のデカい探訪を
ねじ込んでいますが・・・


さて、時間の都合で新規探訪案件を
なかなか記事に出来ないところで
今回は祐実軍團「軍報」の
第215弾といたしまして、
神奈川県逗子市におかれていた
池子倉庫の外周遺構を2回に分けて
ご紹介させていただきます↓




軍需部は、兵器や燃料・物資などを
全国の生産工場などから収集し、
前線にこれらを補給する重要な
役割を果たしていた部署で、物資を
送り出すまでの間は一時的な保管が
必要であり、沢山の保管施設を
保有していました。

このうち、火薬類を貯蔵する目的で
池子地区に火薬倉庫が
1937年(昭和12)に建設されました。

戦争末期は、防空対策の一環で
周辺に地下壕が掘削されますが、
目立った爆撃は受けず、大量の
砲弾類を抱えたまま終戦を迎えました。

終戦後、施設はアメリカ軍が接収し
弾薬庫に使用されましたが、
現在は家族住宅が建てられ
引き続きアメリカ軍によって
使用されており、遺構の全容は
不明ですが、敷地外周に構築された
地下壕や軍用地境界標などが残り
見学することが可能です。



池子倉庫の外周は関係者の皆様と
かなり歩いておりますが、
今回はいっちゃん先生・OKN先生と
まわった時の写真を載せていきます↓



逗子駅の北側に展開する山へ
最短ルートで上っていきます↓



久木・山の根地区の境界線に
敷地南端を示す軍用地境界標が
多く残っています↓










敷地の南西端付近から東へ抜けると
久木方面に下りる道と、池子方面に
向かう道に分岐しますが、
池子方面に進んでいきます↓



さらに進んでいくと、軍用地境界標が
残っています↓










池子倉庫の外周遺構は
この他にも多く残りますが
いったん、ここで打ち切って
久木方面に下りていきます↓



【収録遺構】
 横須賀海軍軍需部
 池子火薬倉庫

  軍用地境界標 16本

【探訪情報】
 2006.12.17  第1回探訪
 2007.01.14  第2回探訪
 2007.05.26  第3回探訪
 2014.11.22  第4回探訪
 2016.05.07  第5回探訪
 2018.01.13  第6回探訪

 歩数(指数) 25,000歩以上(999)


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皆様、いかがお過ごしでしょうか。


仕事はそんなに忙しくないのですが
なぜか、とても忙しく感じます。


加齢による処理能力の低下ですね・・・
マルチタスクで作業が出来なくなったと
ここのところ痛感しているところです。


こりゃ、大変だっ!
もっと仕事の量を減らさなくては(笑)


さて、今回はバックナンバーである
和泉軍團「軍報」の第115弾の続編として
千葉県館山市におかれていた
洲ノ崎海軍航空隊の試射場まわりの
遺構群をご紹介させてください↓



なお、これは「後続記事」ですので
「本記事」もご覧くださいませ↓

 (115)洲ノ崎海軍航空隊
 (115_続編1)洲ノ崎海軍航空隊
 (115_続編_2洲ノ崎海軍航空隊



前回の記事に引き続き、
関係者様と館山市内に
お邪魔しております↓



航空写真で見た限りでは
当時の遺構のようです↓



さっそく、試射場に到着です↓



トンネル状の的が5つ並んで残りますが
大きいのと藪の中のため
全景を撮ることは困難です・・・↓




この横に小さな地下壕が残ります↓



用途は不明ですが、倉庫として
使われたものと推測しています↓



地下壕の内部図です↓



試射場を挟んだ向かい側にも
コンクリート製の地下壕が
残っているようですが、
悪天候のため接近を断念です・・・


試射場までの取り付け道を
間違えたことが功を奏し
もう1つ、地下壕が残っていました↓



単独壕ですが、トロッコの枕木跡が
よく残っています↓



洲ノ空の遺構群はまだまだ
残っていることが判っているので
引き続き、探訪していきますっ★


【収録遺構】
 洲ノ崎海軍航空隊

  地下施設 2箇所
  地下壕 3区画
  その他 1箇所

  その他 2箇所(今回追加)
  地下壕 2区画(今回追加)

【探訪情報】
 2006.01.29  第1回探訪
 2006.03.25  第2回探訪
 2006.06.11  第3回探訪
 2019.01.27  第4回探訪
 2019.03.04  第5回探訪

 歩数(指数) 未計測(322)


後ほどホームページ内でも
ご紹介させていただきますねっ♪


それでは、またお会いしましょうっ★



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皆様、いかがお過ごしでしょうか。


ここのところ、アレコレと手を付けて
直近の探訪分のまとめ作業が
出来ておらず、ブログの更新が
おろそかになってしまっております・・・


まとめ作業のためだけに2日くらい
仕事休みが欲しいですが、
今月も別件で休暇を2日取るので
それも難しく・・・


今の半分の給料でいいので
労働も半分に減らして欲しいです。
労働時間ばかりにこだわっている
変な会社は、これを機会に
潰れてしまいましょう(笑)


さて・・・
今回は美恵軍團「軍報」の
第86弾といたしまして
愛知県安城市に残る
河和海軍航空隊岡崎分遣隊の
防空監視塔を簡単にご紹介します↓




岡崎分遣隊は、航空機を整備する
兵員の養成を目的として
1944年(昭和19)に河和海軍航空隊の
分遣隊として設置されました。

ここでは、練習機を使用した
整備訓練が行われ、その後は独立して
岡崎海軍航空隊となりますが、直下の
上郷分遣隊と、名古屋海軍航空隊の
岡崎分遣隊が独立すると、
これらを区別するために
第一岡崎海軍航空隊に改められました。

しかし、太平洋戦争の末期は
訓練が凍結され、伊豆半島や三河湾の
防衛陣地の構築に従事したようです。

現在、跡地の大半は農地に
変遷していますが、橋目霊園内に
防空監視塔が残っています。



安城市の橋目霊園内に
開拓記念碑に流用された
防空監視塔が残っています↓



監視塔は円形で、四方に
監視窓が設けられています↓



残念ながら、内部に入れないので
構造は不明です・・・↓
P1130920.jpg


せっかくの遠征+徒歩移動なのに
雨がひどくて早々に退散しました・・・


【収録遺構】
 河和海軍航空隊
 岡崎分遣隊
 (岡崎海軍航空隊,
  第一岡崎海軍航空隊)
 
   その他 1箇所

【探訪情報】
 2015.04.10  第1回探訪

 歩数(指数) 未計測(80)


それでは、またお会いいたしましょう★



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