戦争遺跡のご紹介やホームページの制作状況などを綴っていきます♪

総軍BLOGへようこそっ!

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祐実総軍三等兵

Author:祐実総軍三等兵
全国に残る戦争遺跡を探訪し
記録することを趣味とする
祐実総軍三等兵ですっ★

稚拙な内容ではございますが
これまでに関係者の皆様方と
見てきた戦争遺跡を中心に、
ブログ・ホームページなどで
順次ご紹介をしていきます♪

よろしくお願いしますっ★

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皆様、いかがお過ごしでしょうか。


今日は、個人的に全くもって意味を
もたないプレミアムフライデーですね。
もう1年経つんですか、これ。
誰もやらねーんだから、
やめちまえばいいのにね~。

安い金しか出してくれないなら
月に1度くらい、15時で帰らせろよな。

こんなことすら企業はやらないんだから
議論している「働き方改革」なんてものは
机上の空論になるでしょうな。
こんな議論で税金使わんで欲しいですわ。

あっ、いけねえ、仕事嫌いの
癇癪をおこしてしまいました(笑)
お見苦しくてすみません・・・


さて・・・
本日は美恵軍團「軍報」の
第72弾といたしまして
愛知県名古屋市におかれていた
陸軍第三師団司令部の遺構を
簡単にご紹介させてください↓




第三師団は、師団編成の前身である
名古屋鎮台より改編をうけ、
1888年(明治21)に発足した
最も古い陸軍師団のうちの 1つで
名古屋城を囲むようにして
司令部がおかれました。

戦歴も古く、日清戦争から日露戦争・
シベリア出兵・山東出兵を経て
満州に駐屯し、日中戦争では
中国戦線の主要作戦に参加して、
戦局の悪化で撤退中に
終戦となりました。

現在、敷地跡地は名古屋城や
庭園などとなっており、観光客で
連日賑わっていますが、遺構が
わずかに残っており見学が可能です。



名古屋城周辺にお邪魔しております↓



天守閣の北西に位置する
深井丸広場内に弾薬庫が残ります↓


弾薬庫は平屋建ての煉瓦造りで、
建築時期は明治時代初期といわれ、
かつて乃木希典大将が名古屋鎮台に
在任していた経緯から「乃木倉庫」と
呼ばれるようになったそうです。


敷地の南側にあたる県道沿いにも
塀が長い区間残っています↓



【収録遺構】
 陸軍第三師団司令部

  建物 1棟
  軍用地境界塀 1区画

【探訪情報】
 2012.02.26  第1回探訪

 歩数(指数) 約1,000歩(100)


明日は神奈川県案件での探訪のため
雑記形式でのブログ更新です。


それでは、またお会いいたしましょう★



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 ひとつ、お願い申し上げますっ★

皆様、いかがお過ごしでしょうか。


今日の朝、雪が降っていて
ビックリしました(笑)

寒さも戻ってしまい、なんだか
風邪をひいてしまいそうで
怖いです・・・


さて・・・
本日は祐実軍團「軍報」の
第160弾といたしまして
横須賀軍港水道路のうち、
神奈川県海老名市内に
残る遺構をご紹介します↓




横須賀海軍水道路は、横須賀市に
おかれていた横須賀海軍工廠を
中心とした海軍施設に対して
水を供給する目的で、1876年(明治 9)に
専用の水道が走水の水源地より
敷かれました。

しかし、施設の拡大に伴って
水の需要が増えてしまい、
この専用水道だけでは供給不足となり
新たに相模川の支流となる
中津川を水源に、愛川町の半原より
横須賀市の逸見浄水場までの
約53kmにわたる長大な水道路の
敷設が計画され、1918年(大正7)に
半原系統として通水し、
海老名市を縦断しています。

戦後、水道路は横須賀市に
移管されており、軍用地境界標を
中心とした遺構が現存しています。



かつて、住んでいた町である
海老名市内にお邪魔しております↓


ちょっと、カメラの性能が出なくて
補正をかけていますが、
この当時、海老名駅の西口には
何もありませんでした・・・


水道路の海老名市北限にあたる
有鹿小学校付近からスタートし、
綾瀬方面に南下していきます↓



軍用地境界標が残っています↓




確か、河原口の相模線沿いにも
埋まりかけた軍用地境界標が
2本くらいあったはずですが、
残念ながら撮り忘れるという
失態をおかしてしまいました・・・


相模線・小田急線の線路を跨ぎ
大谷地区に入っていきます↓



この地区は多くの軍用地境界標が
残っていました↓












東名高速を過ぎると隣町である
綾瀬市に入っていきます↓



水道みち公園で一服します(笑)↓



【収録遺構】
 横須賀海軍水道路
 半原系統(海老名市)

  軍用地境界標 12本

【探訪情報】
 2007.05.05  第1回探訪
 2007.05.10  第2回探訪

 歩数(指数) 約5,000歩(166)


それでは、また明日っ★



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皆様、いかがお過ごしでしょうか。


ここのところ、仕事も趣味も
「調べもの」ばかりで過ごしてます(笑)

とりあえず、ほとんどのことは
「解決」というところまで
導き出せているのですが、
先日に探訪した飯能の監的だけは
どうしても解決出来ない・・・

コニカの前身の工場や、
マンガン鉱山・大河原城などなど、
あらゆる方向からネットで
調べているんですが、判らない・・・


さてさて・・・
本日は莉央軍團「軍報」の
第13弾といたしまして
北海道函館市におかれていた
千畳敷山第二砲台の遺構を
ご紹介させてくださいませ↓




千畳敷山第二砲台は函館要塞の 1つで
1901年(明治34)に要塞の背面を
防御する側防砲台として竣工しました。

ここには、15センチ臼砲が
4門据え付けられ、その後の日露戦争で
防備につきましたが、1928年(昭和3)の
要塞整理により除籍となりました。

現在、砲台跡は経年劣化が
著しい状態ですが、北海道遺産に
選定されているため、見学路が
整備されており、砲座や弾薬庫などが
見学出来ます。



総軍大元帥閣下と千畳敷方面を
目指してまいります↓



探訪当日はまだ9月なのに
気温は10度くらいしかないのですが
大元帥閣下はこの姿です(笑)↓



でも、途中で寒くなったのか
装備を1段階上げました(笑)↓



時間をかけて遊歩道を進んでいくと
1つ目の砲座に到着しました↓



1つ目の砲座の北隣には
砲側弾薬庫が残っています↓



1つ目の砲座から南下すると
2つ目の砲座が残っています↓



2つの砲座との間にも
砲側弾薬庫がもう1つあります↓



少し離れた場所にも
臼砲見張所が埋もれています↓



このほかにも、周辺に多くの遺構が
残っているのですが、これらは
千畳敷山第一砲台のものとして
別途、掲載させてくださいませ m(_ _)m


【収録遺構】
 陸軍函館要塞
 千畳敷山第二砲台
 (陸軍函館要塞
  千畳敷砲台)

  砲座 2箇所
  地下施設 2箇所
  その他 1箇所

【探訪情報】
 2016.09.19  第1回探訪

 歩数(指数) 約3,000歩(100)


後ほどホームページ内でも
ご紹介させていただきますねっ★


それでは、また明日っ!



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皆様、いかがお過ごしでしょうか。


今日の朝に仕事のヤマは
越えたのですが、午後になって
捕まってしまいました・・・

これで2日連続となり、おかげさまで
今週に入り100%の障害被弾率です(笑)

「皆勤手当」みたいなものが出れば
なおさらいいんですけどねっ!


さて・・・
本日は祐実軍團「軍報」の
第159弾といたしまして
東京都北区におかれていた
滝野川雷汞場の遺構群を
簡単にご紹介させてくださいませ↓




雷汞場(らいこうば)とは、爆弾の
雷管に用いる発光具を製造する工場で
当初は文京区の東京砲兵工廠に
おかれていました。

ところが、この雷汞 (水銀と硝酸と
エチルアルコールで化学反応を
させたもの) の取り扱いが難しく、
少しの摩擦でも爆発するため、
工廠内で死傷者を出す事故を
頻繁に起こしたようです。

そのため、危険を回避する手段として
1905年(明治38)に、十条銃砲製造所に
隣接する滝野川地区に雷汞場を新設し
移転させました。

1924年(大正13)には銃砲製造所の
所管となり、爆粉や照明弾・発炎筒なども
ここで製造され、1940年(昭和15)の
組織改定で、東京第一陸軍造兵廠の
第三製造所の傘下に入って
滝野川工場に改称され、94台の機械と
450人の従業員が配属されて
薬莢爆管や手榴弾用信管の組立・
薬嚢類を製造しました。

跡地は、都営住宅や王子工業高校などに
変遷しており、軍用地境界標を中心とした
遺構が現在も残っています。



重鎮メンバーの皆様方とともに
北区の滝野川にお邪魔中です↓



滝野川4丁目の住宅地内に
憲兵小屋とも発電施設ともいわれる
建物が残っています↓



王子総合高等学校方面に向かって
敷地の西端部分を進んでいくと
軍用地境界標が残っています↓




上部が折られていますが、
これも軍用地境界標です↓



ここからUターンするようにして
敷地の北側部分にあたる
滝野川病院付近に移動します↓



軍用地境界標が残っています↓



残念ながら上部が欠損してますが
場所的に、これも軍用地境界標です↓



 【収録遺構】
  東京陸軍砲兵工廠
  滝野川雷汞場
   (陸軍造兵廠火工廠
   十条兵器製造所
   滝野川工場,
   東京第一陸軍造兵廠
   第三製造所
   滝野川工場)

 【探訪情報】
  2007.04.01  第1回探訪
  2007.07.21  第2回探訪
  2011.01.01  第3回探訪

 歩数(指数) 未計測(100)


それでは、またお会いいたしましょうっ★



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皆様、いかがお過ごしでしょうか。


この3日間でお酒を飲み過ぎたからか
今日の朝はちょっと辛かったです(汗)

出社したら、今日の早朝に動く
集計処理が見事に異常終了してて
午前中はヒヤヒヤもんでした(笑)

結局、工程の上流で動いている
他社のシステムがバグってて
こちらに落ち度はなかったのですが
結果を出すのはこちらなので
しわ寄せが全部来るんですわ・・・


ともあれ、理由がすぐに出たおかげで
バックヤードでやっている作業(笑)が
進んだんですけどね~ イヒヒ


さてさて・・・
今回は、我々のホームページを
若干量で更新いたしましたので、
その更新内容を掲載することで
ブログの更新とさせてください。




今回の追加分は以下となります↓
(カッコ内は掲載遺構の数です)

 ※アンカーをクリックすると、
  それぞれ別ウィンドウで表示され
  音楽が流れますので、一度に全てを
  開かないようにご注意を!

兵庫県西宮市(2)
 大阪海軍病院(1)

兵庫県姫路市(26)
 陸軍第十師団野砲兵第十連隊(3)
 陸軍第十師団歩兵第三十九連隊(1)

岡山県岡山市(40)
 岡山陸軍兵器支廠(4)
 陸軍第十七師団山砲兵第二連隊(2)
 陸軍第十七師団野砲兵第二十三連隊(4)
 陸軍第十七師団輜重兵第十七大隊(5)
 岡山陸軍偕行社(2)
 岡山陸軍埋葬地(11)
 陸軍第十七師団歩兵第五十四連隊(2)
 陸軍第十七師団工兵第十七大隊(1)
 


祐実総軍プロジェクトの体制は
以下で構成されており、
掲載している各都道府県内の
いわゆる「戦争遺跡」が、
拙ブログ・ホームページのシナリオ上、
どこの「軍團」の探訪案件となるのか
簡単にご認識いただければ幸いです↓

 祐実総軍プロジェクト (総大将:平野祐実―YUM)
  |
  ┣ 莉央軍團 (大将:簑島莉央―7RI)
  |  ┗ 北海道(南部)
  |
  ┣ 由香里軍團 (大将:寺島由香里―8YR)
  |  ┣ 青森県・岩手県・秋田県
  |  ┗ 宮城県・山形県・福島県
  |
  ┣ 祐実軍團 (大将:平野祐実―1YM)
  |  ┗ 東京都・神奈川県・埼玉県
  |
  ┣ 和泉軍團 (大将:海老名和泉―4IZ)
  |  ┣ 千葉県・茨城県
  |  ┗ 栃木県・群馬県
  |
  ┣ 美恵軍團 (大将:酒井美恵―3ME)
  |  ┣ 愛知県・三重県・岐阜県
  |  ┗ 静岡県・長野県・山梨県
  |
  ┣ 珠美軍團 (大将:落合珠美―6TM)
  |  ┣ 石川県・福井県
  |  ┗ 新潟県・富山県
  |
  ┣ 阪奈軍團 (大将:石切阪奈―2HN)
  |  ┣ 大阪府・兵庫県・京都府
  |  ┗ 滋賀県・奈良県・和歌山県
  |
  ┣ 真己軍團 (大将:福田真己―5MK)
  |  ┣ 広島県・岡山県・島根県
  |  ┗ 山口県・鳥取県
  |
  ┗ 那瑠絵軍團 (大将:稲益那瑠絵―9NR)
      ┣ 福岡県・大分県
      ┗ 長崎県・佐賀県



2月中は仕事に支障が出なければ
更新作業に充てられそうです★
引き続き、頑張ってまいります m(_ _)m

取り急ぎ、今後の予定として
函館→牧之原→藤沢→鳥羽の順で
作業をしていく傍らで、こまごまとした
極少案件の遺構を追加していくので
ご期待いただければ幸いです★


【本日の写真】
次回の更新で掲載が確定している
案件フェアです(笑)

北海道函館市におかれていた
陸軍函館要塞御殿山第二砲台の
入江山高地観測所↓



北海道函館市におかれていた
陸軍函館要塞函館重砲兵連隊の
軍用地境界標↓



静岡県牧之原市におかれていた
大井海軍航空隊の電探講堂↓



神奈川県藤沢市におかれた
陸軍第一四〇師団の抵抗拠点の
陣地群↓
P1250269_20180219193140d05.jpg



三重県鳥羽市におかれていた
海軍伊勢防備隊の神島抵抗拠点の
陣地群↓




それでは、また明日っ★



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