戦争遺跡のご紹介やホームページの制作状況などを綴っていきます♪

総軍BLOGへようこそっ!

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祐実総軍三等兵

Author:祐実総軍三等兵
全国に残る戦争遺跡を探訪し
記録することを趣味とする
祐実総軍三等兵ですっ★

稚拙な内容ではございますが
これまでに関係者の皆様方と
見てきた戦争遺跡を中心に、
ブログ・ホームページなどで
順次ご紹介をしていきます♪

よろしくお願いしますっ★

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皆様、いかがお過ごしでしょうか。


今日の夜は所用があり、
いつもの時間にブログの更新が
出来ないかもしれないので、
11時半にアップされるように
「予約更新」でございます(汗)


今回はバックナンバーである
和泉軍團「軍報」の第37弾の
続編として、千葉県南房総市に
おかれていた陸軍東京湾兵団の
稲都大月砲台の観測所関連の
遺構群をご紹介させてください↓



なお、これは「後続記事」ですので
「本記事」もご覧くださいませ↓

 【和泉軍團】(37)稲都大月砲台



房総半島戦跡考古調査会
皆様方と一緒に高井ヶ谷砲台を
一通り見た後は、背面の山を
上がっていきます↓



前回の復習になりますが、
大月砲台の砲座と観測所の
位置相関はこんな感じです↓



山頂までハアハア上がっていくと・・・↓



コンクリート製の観測所の残骸が
埋もれるようにして残っています↓



その背面には塹壕がはしっており・・・↓



縦坑まで繋がっています↓



観測所の東側に三角点が
設置されていました↓



三角点の北側の斜面を下ると
壕が残っています↓



掘削途中のものと推測しており
壕の規模は小さいですが、
丁寧に造られていることが判ります↓



地下壕の内部図です↓



坑道の総延長は18メートルを
計測しています。


さらに北に進んでいくと・・・↓



もう1つ地下壕が残っています↓



こちらも掘削途中であったようで
壕の規模は小さいです↓



壕の最深部の延長線上に
縦坑が残っており、ここに接続する
予定であったものと推測しています↓



地下壕の内部図です↓
minamiboso_otsuki_4.png


坑道の総延長は9.3メートルでした。


機動力の高いメンバー方が
周辺を捜索していると・・・↓



3つ目の地下壕がありました↓



地下壕の入口付近は、塹壕が
拡張されており、入口横には
掘り込みも残っていました↓



ここも規模は小さかったですが
造りはしっかりとしています↓




地下壕の内部図です↓



壕の総延長は17.3メートルを
計測しています。


周辺に、もう1つ地下壕とおぼしき
入口跡がありましたが、
完全に埋没していました・・・↓



山を廻りこむようにして
最初の観測所まで戻り、
記念写真を撮りました↓

maya先生の写真です。


【収録遺構】
 陸軍東京湾兵団
 稲都大月砲台

   砲座 2箇所
   地下壕 2区画
   観測所 1箇所(本記事の追加分)
   地下壕 3箇所(本記事の追加分)
   その他 2箇所(本記事の追加分)

【探訪情報】
 2017.01.02  第1回探訪
 2018.01.02  第2回探訪

 歩数(指数) 未計測(246)


追加分は、後ほどホームページでも
ご紹介させていただきますっ★


明日はブログの更新をお休みします。
申し訳ありません m(_ _)m


それでは、またお会いいたしましょう★



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皆様、いかがお過ごしでしょうか。


昨日はやさぐれてしまい、昼間から
お酒を飲んでいたのですが、
ちょっと飲み過ぎてしまって
ブログの更新を怠りました(汗)
申し訳ありません m(_ _)m


今日の朝、出勤したら
何やら職場がザワザワしているので
障害が発生したかと思ったのですが
通勤時間帯に大阪周辺で大きな地震が
発生したようですね・・・

大阪大好き人間としては、
このような惨事になってしまい
仕事に手が付かないほど
1日ソワソワしてたのですが、
あくまで私はよそ者ですので
とやかく言わないことにします。


早く、元通りになりますように・・・


さて・・・
本日は祐実軍團「軍報」の
第198弾といたしまして
埼玉県春日部市におかれていた
東京第一陸軍造兵廠江戸川工場と
精工舎南桜井工場の遺構群を
ご紹介させてくださいませ↓




江戸川工場は、東京の十条に
おかれていた東京第一陸軍造兵廠の
第三製造所の疎開を目的として
すでにおかれていた精工舎の
未使用の工場敷地を借用する形で
1945年(昭和20)に開設されました。

ここには、工作工場や機械工場・
組立工場などを中心とした建物群が
設置され、瞬発信管や時限信管などが
製造されましたが、わずか数ヶ月で
終戦となり閉鎖されました。

現在、跡地は商業施設や住宅地などに
変遷して面影がない状態ですが、
当時の遺構がわずかに残っています。



東武野田線の南桜井駅に
到着いたしました↓



まずは、敷地の外周部分を
歩いていくことにします↓



敷地の南西端に当時の門柱が
残っていました↓



引き続き、外周を歩いていきます↓



敷地の東端付近にも倉庫が
残っています↓



これも当時の石垣の一部であると
推測しています↓



外周を1周した後は、敷地の
中央付近を見ていきます↓



組立工場付近に建つ桜川小学校の
校庭内に古いコンクリート製の
構造物がありましたが、
これはいったい何でしょうかね・・・↓



この構造物の詳細をご存じの方が
いらっしゃいましたら、是非とも
ご教示いただきたいですっ!


googleのストリートビューでは
怪しい建物が写っていたのですが・・・↓



残念ながら、取り壊されてました・・・↓



このほか、航空写真では
工作工場と考えられる建物が
残っているように見えたのですが、
残念ながら確認することが
出来ませんでした(涙)


もしかしたら、近々開業予定の
商業施設の立体駐車場から
見えるようになるかもしれませんが
どうでしょうかね・・・


当時の建物配置図と現存遺構を
トレースするとこうなります↓



【収録遺構】
 東京第一陸軍造兵廠
 第三製造所
 江戸川工場
 (精工舎 南桜井工場)

   門柱 1箇所
   建物 1棟
   その他 1箇所

【探訪情報】
 2018.06.09  第1回探訪

 歩数(指数) 約16,000歩(100)


後ほど、我々のホームページでも
ご紹介させていただきますっ★


それでは、またお会いいたしましょうっ!



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皆様、いかがお過ごしでしょうか。


ここのところ、仕事が面白すぎて
精神的に病んでまいりました(笑)

職場の人間達は友達じゃないので
協調性0の現場の空気に合わせて、
私も冷たくドライに接し、クズっぷりを
前面に出していますが、やっぱり
本性に合わないので疲れますね。

ってなわけで、昨日はメランコリックで
ブログの更新を怠りました・・・
申し訳ありません m(_ _)m


毎週、水曜日と土曜日は
我々のホームページの更新頻度を
上げるために、ブログ更新の
定休日としたのですが
昨日を怠けてしまったので、
今日は土曜日ですが
更新させていただきますね。


今回はバックナンバーである
和泉軍團「軍報」の第55弾の
続編として、千葉県南房総市に
おかれていた陸軍東京湾兵団の
稲都高井ヶ谷砲台関連の地下壕を
2箇所ご紹介させてくださいませ↓



なお、これは「後続記事」ですので
「本記事」もご覧くださいませ↓

 【和泉軍團】(55)稲都高井ヶ谷砲台




再び、房総半島戦跡考古調査会
メンバー方と南房総市に来ております↓



前回の復習となりますが、
高井ヶ谷砲台の遺構分布図です↓



まずは、砲座付近を再度見ていきます↓



前回、後方警戒陣地を見つけることが
出来なかったのですが、今回は
無事に見つかりました↓



少し藪漕ぎをすると、砲座に繋がる
塹壕が登場します↓



塹壕沿いに後方警戒用の
陣地が口を開けています↓



坑道の規模は小さいですが・・・↓



南西方向に狙撃口がありました↓



狙撃口を外から見ると
こういう感じになっております↓



後方警戒陣地の内部図です↓



坑道の総延長は17.6メートルを
計測しております。


続いて、山を上がったところにある
観測所脇の縦坑を目指していきます↓



前回探訪時は、日没が近かったので
観測所とトンネル・縦坑しか
見れませんでしたが、今回は
縦坑に接続していたと推測する
地下壕を見つけることが出来ました↓



縦坑の北側の斜面を下っていくと
埋まりかかった入口がありました↓



入口部分は崩落していますが、
坑道の状態はよいです↓



奥の方へ進んでいくと・・・↓



残念ながら土砂で閉塞していました↓



地下壕の内部図です↓



坑道の総延長は24.3メートルを
計測しましたっ!


【収録遺構】
 陸軍東京湾兵団
 稲都高井ヶ谷砲台

   砲座 1箇所
   地下壕 1区画
   地下壕 2区画(本記事の追加分)
   観測所 1箇所
   トンネル 1箇所
   その他 2箇所

【探訪情報】
 2006.01.29  第1回探訪
 2017.01.02  第2回探訪
 2018.01.02  第3回探訪

 歩数(指数) 未計測(290)


追加分は、後ほどホームページでも
ご紹介させていただきますっ★


それでは、またお会いいたしましょうっ!



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皆様、いかがお過ごしでしょうか。


やっと、木曜日ですね・・・
仕事に対するストレスが
溜まってしまい、そろそろ
精神が病みそうです(涙)


オフシーズンとはいえ、近場で
探訪したいところもたくさんあるので
会社に拘束されている場合じゃ
ありませんねっ!


さて、本日は祐実軍團「軍報」の
第197弾といたしまして
東京都荒川区におかれていた
千住製絨所の遺構を簡単に
ご紹介させてくださいませ↓




千住製絨所は、殖産興業の一貫として
毛織物の生産を行うことを目的として
1879年(明治12)に開設されました。

1888年(明治21)には、陸軍省の
所轄下となり、軍服などに使用する
布地類や毛糸などを生産し、
終戦まで機能が存続しました。

戦後、施設は民間企業に
払い下げられ、暫くは引き続き
毛織物の生産を行いましたが、
現在は閉業しており、敷地は
都立荒川工業高校や
荒川総合スポーツセンター・
商業施設などとなり、当時の
建物などは消失していますが、
レンガ製の境界塀を中心とする
遺構が保存されています。



常磐線・日比谷線の南千住駅の
北西に位置するライフ南千住店に
塀と石造りの遺構が保存されています↓



案内板も設けられています↓



塀の裏側です↓



細い路地を少し進むとレンガ製の
塀がさらに1区画残っています↓



【収録遺構】
 千住製絨所
 (陸軍千住製絨所)

  その他 3箇所

【探訪情報】
 2013.07.15  第1回探訪

 歩数(指数) 約1,300歩(100)


それでは、またお会いいたしましょう★



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今週に入り、仕事が忙しくなり
色々と不運が続いております・・・

当方は基本的に残業しないので
残業しないと終わらない作業も
定時内に終わらせようとします。

残業しない=仕事してないといった
ふざけたことを言われようもんなら
「やってやんねーよ?」となるので
私は面倒くさい人間なんです(笑)

定時内で終わる作業量を取り組む。
これが求められる「働き方改革」です。
残業ありきの話を出す改革など
まったく聞く耳をもちません(笑)


さてさて・・・
本日は祐実軍團「軍報」の
第196弾といたしまして
神奈川県鎌倉市に設置された
海軍東京湾要塞地帯標を
ご紹介させてくださいませ↓




東京湾要塞は、日本の本土におかれた
12箇所の永久要塞のうちの 1つです。

1895年(明治28)の要塞司令部条例により
永久的な防御工事を施している場所は
「要塞」とされ、海軍の場合は
軍港が「要塞地帯」とされました。

また、これに伴う法律も公布されており
軍事機密の保持のため、要塞地帯に
指定された区域内での測量や撮影・
スケッチ・土木工事などは、
要塞司令部の許可がないと
出来ませんでした。

これらの防御営造物より
250間(約455メートル)以内を特に
「要塞地帯第一区」として一般人の
立入りが禁止され、衛兵が
守備していました。

さらに、その距離に応じ「第二区」・
「第三区(区域)」が設定され、
これらを明確にするため
その境界部に要塞地帯標が
設置されました。

要塞地帯を定義する法律は
数度にわたって改正されましたが、
最終的に防御営造物から
1,000メートル以内を第一区・
5,000メートル以内を第二区・
15,000メートル以内を第三区(区域)と
当初よりも大幅に拡大されました。

鎌倉市については、
要塞地帯第一区と第二区に
定められた箇所があり、
その境界に設置された要塞地帯標が
現在も残っています。



北鎌倉駅付近にお邪魔しております↓



駅前に要塞第二区の地帯標が
残っています↓



標柱は花崗岩製で、
下部が埋まっていますが
正面に「東京湾要塞第二区地帯標」、
側面に「昭和十六年七月三十日」と
「第四五号」、背面に「海軍省」と
記載されていました↓



横須賀線に乗って鎌倉駅に
移動していきます↓



鎌倉駅から1キロほど南下した
材木座海岸付近にも
要塞地帯標が残ります↓



こちらは「東京湾要塞第一」の
文字が入っており、側面には
「昭和十六年」と「第二号」・
背面には「海軍省」とそれぞれ
読み取ることが出来ました↓



【収録遺構】
 海軍東京湾要塞地帯(鎌倉市)

  軍用地境界標 2本

【探訪情報】
 2005.07.30  第1回探訪
 2006.09.10  第2回探訪
 2006.12.17  第3回探訪

 歩数(指数) 未計測(124)


明日はブログの更新を
お休みさせていただきます m(_ _)m


それでは、またお会いいたしましょう★



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