戦争遺跡のご紹介やホームページの制作状況などを綴っていきます♪

総軍BLOGへようこそっ!

♦ プロフィール

祐実総軍三等兵

Author:祐実総軍三等兵
全国に残る戦争遺跡を探訪して
記録することを生き甲斐とする
祐実総軍三等兵でございます★
稚拙な内容ではございますが、
これまで調べてきた戦争遺跡を
ブログ・ホームページで紹介を
させていただいておりますっ♪

よろしくお願いしますm(__)m

♦ 最新記事

♦ カウンター

皆様、いかがお過ごしでしょうか。


ようやく、本拠にも日差しが戻り
富士山も見えるようになりました↓



さて・・・
本日は祐実軍團「軍報」の
第131弾といたしまして、
現在は擁壁に埋もれてしまった
神奈川県横須賀市の
米が浜防空用貯油庫を
ご紹介させてくださいませ↓




米が浜防空用貯油庫は、
海軍の命令で掘削された民間の
地下施設で、1941年(昭和16)に
工事が開始されたようです。

しかし、物資の不足によって
貯蔵する油がなく、一部の坑道は
軍服を縫う授産所として
機能していたそうです。

残念ながら、現在は擁壁工事が
進捗して入口が完全に
判らなくなってしまいましたが、
全面がコンクリート製の坑道を
はじめとした地下壕が
龍本寺の崖下に残っていました。



海上自衛隊の総監部内を見学後
いにしえのメンバーとともに
横須賀の中心街を歩いていきます↓



最初の地下壕群に到着です↓



入口だけコンクリートや煉瓦で
補強されていますが、内部は
岐路をもたない単独壕でした↓



2つ目は、入口から数メートルだけ
コンクリートが捲かれている
坑道が2箇所ありました↓




さっそく、中に入ってみます↓



古いデジカメなので
非常に見づらいのですが、
どちらも最奥が部屋のような
空間になっていました↓




入口付近の上部にも
坑道がはしっており
小さい穴で繋がっていました↓



3つ目は、この上部にあるため
階段を上っていきます↓



何とか擁壁工事が行われる前に
滑りこむことが出来ました↓



ぞろぞろと入っていきます↓



入口は2箇所・U字形の坑道で
内部は電線を引き込んだ跡が
残っていました↓




【収録遺構】
 米が浜防空用貯油庫
 (消失扱い)

   地下壕 3箇所

【探訪情報】
 2005.01.22  第1回探訪
 2005.03.27  第2回探訪
 2005.05.15  第3回探訪
 2006.08.26  第4回探訪

 歩数(指数) 未計測(480)


残念ながら、これらの地下壕は
全て擁壁の中に埋もれており
現在は見ることが出来ないので
我々のホームページでは
消失扱いとして掲載予定です。


それでは、またお会いしましょうっ★



↑もしよろしければ
 ポチっとやってくださいませ♪

皆様、いかがお過ごしでしょうか。


台風が来る前から、すでに
本拠の川が危ない感じで(笑)↓



さてさて・・・
本日は、息抜きとして「鉄道」ネタで
ブログの更新をさせていただきます。


今回は、京浜急行電鉄の
2000形を取り上げます。



京急2000形電車(wikipediaを抜粋)↓

京急2000形電車は、1982年(昭和57)に
営業運転を開始した京浜急行電鉄の
電車。

600形の代替時期にあわせ、
おもに快速特急用として、
特に長距離旅客のサービス向上を
狙って製造された。

料金不要でありながら有料特急に
比肩しうる内装をもつこと、
快適性とラッシュ時への対応の
両立として、2扉クロスシートとしながら
扉付近の立ち席スペースを
広く取ったこと、120 km/h運転を
にらんで起動加速度を犠牲に
しながら均衡速度130 km/h以上と
したこと、800形のシステムを
継承しながら主電動機出力を向上し
編成中に付随車を挿入して
経済性を追求したことなどが
主な設計思想である。

特急料金なしで乗れる車両ながら、
車内設備のよさは乗客から好評で、
1983年(昭和58)、鉄道友の会
ブルーリボン賞を京急の車両としては
初めて受賞した。

8両編成と4両編成それぞれ6本、
合計72両が1987年までに
製造された。

快速特急を中心とした優等列車に
運用された後、1998年(平成10)から
2000年(平成12)にかけて格下げ改造が
行われ、以降8両編成はラッシュ時の
優等列車やエアポート急行として、
4両編成は普通列車および
優等列車の増結車として
運用されている。



こんな感じの車両です↓

※いつも楽しく拝見させてもらっている
 Panda NEKO No.1様ブログ
 掲載写真を転載しています。


当方が社会人低学年の頃に
出向していた現場に「マニア」が
多く在籍していたということを
過去の記事でお話ししましたが、
この2000形については
デザイン・性能共に、全員が
「いいよね~」って言ってたことを
今になって思い出しました。
私を除いて・・・(笑)

もちろん、京急「マニア」だったので
この形式についても「嫌い」では
決してなかったんですけどねっ!

私が京急「マニア」だったといっても
あくまで「自称」ですから
当方の持論1つをとっても
賛否両論があるとは思いますが、
この当時は強烈な「保守」精神に
基づいた「マニア」でございました。

「先頭電動車」・「前照灯上部1灯」・
「1枚扉」といえば、関東では京急だし
これを客観的には「伝統」として、
800形の登場まで、固く守られてきたと
言ってもよいと思っています。
しかし・・・この2000形の登場をもって
それが「破られた」とも考えられるし、
ひいては、私が大好きだった形式の
1つであった600形の全廃を
後押ししたのもこの形式ですから
ものすごく複雑な気持ちでした。


各停運用につく2000形↓

※冒頭写真に引き続き、
 Panda NEKO No.1様ブログ
 掲載写真を転載しています。


2000形が「素敵だな~」と
思い始めたのは、
戦争遺跡の探訪仲間と
ひっきりなしに三浦半島へ
行くようになってからのことです。

この時は特急車から「格下げ」で
3扉通勤車に改造されて
数年経った頃ですかね。


特急車時代の2000形↓

wikipediaの写真です。


日中のA快特は後継の2100形が
中心でしたから、8両固定の
2000形は出てこなかった感が
ありましたが、日中でも快特が
12両ではしるようになり、
2000形4両は快特の増結用に
浦賀や新逗子に向かう
付属編成で活躍してました。


新逗子へ向かう付属編成↓

wikipediaの写真です。


話が少し脱線しますが、
この日中の快特12両運用は
ものすごく便利だった気がします。
付属編成は文庫から各停に
なっちゃうのですが、
それでも品川方から1本で
途中駅を飛ばしながら
逗子や浦賀に行けちゃうのは
便利でしたね。それに
逗子方面へは時間短縮にも
なっていたのでは?


話を元に戻しますが、
私はインバーター電車に
全く関心がないことは
以前にお話しした通りであり、
逗子・横須賀・三浦方面への
戦跡探訪で12両快特に
乗車する際、以下のように
自分への「取り決め」を
しておりました(笑)↓

 ①本線8両・付属4両のうち
  インバーター制御でない方の
  形式に文庫まで必ず乗ること。

 ②どちらもインバーターの場合
  自分の行先に近い方の
  形式に乗車すること。
 
 ③どちらもインバーターでない場合
  車齢の高い方に乗車すること。


前置きが長くなりましたが、
上記の「取り決め」に基づき
品川駅で増結した付属編成の
2000形に乗車した際、床下から
何やら聞き覚えのある「音」が
聞こえてくるではありませんかっ!

ご参考までに、この音です↓
 4MT ロータリーコンプレッサー音
 ※Limited Express 2000様の
  動画です。

これね、2000形の付属4両の
浦賀寄りの先頭車の床下にだけ
ブレーキ増圧対応で付けられた
私が崇拝する1000形の
廃車発生品を流用した
AR-2(B)空気圧縮機なんです。
この時、初めて気が付きました。
これには本当に感動した。
(バカなんで放っておいて~)


傍から見ると、
「えっ?こんな理由?」って
言われちゃうかもしれませんが
好きになったきっかけって
実はこれだったんです(笑)

ここから2000形について
スペックも色々と調べはじめ、
今現在活躍する京急の形式のうち
古参の800形をも通り越して
1番好きになりました。


登場時の塗装に戻された
2000形↓

wikipediaの写真です。

2000形を好きになったのは
確か2005年前後だったと
思っていますが、それ以前の
2扉特急車時代のことも
もちろん覚えていますし、
実際に乗ったこともあります(笑)

日中の快特が全て
2000形で運用された頃は
まだクソガキであり、しかも
千葉県在住だったので
少ないお小遣いの中で
東京に出向いて京急に
乗り換えるのも大変で
滅多に行けませんでした。

その頃は、まだ高架化工事が
進行している途上であり
まだ新馬場~大森海岸が
地上線といった感じで
(間違ってたらゴメンナサイね・・・)
快特・特急の最高速度も105キロで
運用されていたはずです。

はじめて2000形に乗車した時は
創立90周年記念塗装の車両で
びっくりしました(笑)

内装には興味がなかったので
記憶があまりないのですが
小田急ロマンスカー7000形と
同じ「走行音」だったのは
よく覚えていますよ(笑)

時間とお金がなかったので
品川から乗車して金沢文庫で
折り返したのですが、
この時、鶴見~生麦で
ほぼ「同期」といえるJR185系の
特急「踊り子」と「バトル」しました。
仲木戸あたりでぶっちぎりましたが
「京急好きで本当によかった」と
ニヤニヤしてたのを覚えてます。

この時、写真も結構な枚数を
撮ったのですが、どこ行ったのかな・・・
もっとも、撮ったと言っても
1000形メインだったので、
フィルムに数枚しか2000形は
写ってなかったはずですが(笑)


2000形の性能は、速比が4.21と
国鉄でいう「急行形電車」と同じで
高速向けであるため、
京急内では700形に次ぐ
低加速ぶりでしたが、
それでも3k/h/sであり、
当時の他の民鉄の「目安」とされた
2.5k/h/sを超えているため
(国鉄は論外としておきます)
決して「低性能」ではないです。

当然、高速域での走行性能は
「文句なし」といったとこでしたが
やはり、インバーター電車と
「混結」すると、終始2000形が
引っ張られてしまう感じでした。

昔でいう、1000と700の混結性能とは
なりえないのか・・・

あえて「どこ」とは書かないけど、
一部のサイトなんか、2000形に対し
「低性能であるため云々」なんて
書いちゃってる始末でね。

今のインバーター車しか
知らない世代は、そう感じて
しまうんだね~(笑)

こう書いてて、思い出しましたが
「俺はね、SLが好きなだけで
電車には興味がないんだよっ!」って
昔の上司に言われたことがあります。
そのように言われて、私は
「電車の魅力が判らないなんて、
頭が固いよな~」って思ったのですが
今の私の主張は、この上司の主張と
ダブるものがありますね・・・

「俺はね、昭和期の電車が好きなだけで
インバータ電車なんか興味ないんだよ」

私もそれだけ歳をとったのですね・・・



興味のない方々におかれましては
くだらないブログ更新となってしまい
申し訳ないです m(_ _)m


明日は、通常通り「軍報」での
ブログ更新を予定していますので
よろしければまたお越しくださいっ★


それでは、また明日っ!



↑もしよろしければ
 ポチっとやってくださいませ♪

皆様、いかがお過ごしでしょうか。


明日から、台風で大荒れのようで・・・
せっかくの休みが実に勿体ないです。
平日に「上陸」して「停滞」すれば
いいのにね~ ニヤニヤ


今日も悪天候でしたが、
古参メンバーであるいっちゃん先生と
OKN先生と久々の再会を兼ねて
横須賀市にある電力中央研究所の
施設見学をしてきましたっ★


電力中央研究所は、電気事業に
関連する研究開発を行う機関ですが
本音を言うとあまり関心はなく・・・(笑)

実は、この電力中央研究所は
もともとは大楠海軍機関学校が
おかれていた跡地に立地しており
戦争末期に掘削された地下壕が
残っているのですっ★

今回、参加したご両名をはじめ、
当方の関係者様のほとんどが
既に探訪済みなのですが、
私が初探訪となるので
付き合ってもらったのです。


そういったわけでございまして
快特だぁしめます(笑)電鉄の
久里浜駅からスタートします↓



OKN先生の車に乗せてもらい
電力中央研究所に入りました↓



当方の目当ては1つっ!
「洞窟探検」を「総攻撃」です(笑)↓



係員の方から入壕に際して
「ゲジゲジ大丈夫ですか?」とか
「動きやすい靴で来てますね?」とか
「アレルギーなどありますか?」とか
色々と聞かれましたが・・・

『我々を誰だと思ってるんだ?』と
言わんばかりの余裕の表情の3人(笑)
もはや、そんな「山場」は10年以上前に
越えておりますです(笑)


それでは、入っていきます



係員の方に引率されて
説明を受けるのですが・・・↓




我々3人だけは、まったく話を
聞いておらず・・・(汗)
各々、撮影に専念しました(笑)↓



それにしても、説明が早すぎて
ほとんど止まることなく
壕内を時計回りに1周して
終了しました・・・↓



少しくらい「モタモタ」させてよ~(笑)
まあ、我々と係員の「主旨」が
完全にずれているので
仕方がないことなのですが・・・


係員の壕内のご説明よりも、
いっちゃん先生の「照明」を見て
係員の人が「うわっ、まぶしいな」って
言ってたことが印象に残りました(笑)
そりゃ、貸出している懐中電灯よりも、
われわれの方が高照度なのは
もはや「当たり前」ですもんね(笑)


私が得意としている壕内の
作図時間ももらえなかったので
掲示されていたものを載せますが
イマイチ信用できないんだよな・・・↓



「洞窟探検」と称した見学を終え、
我々としては滞在の意義を
失ってしまったのですが、
これではあまりにも申し訳ないので
他の催しにも寄りましたが・・・↓


あまりにも「とんちんかん」な
質問を係員にする私をはじめ、
研究に使用する器具を作っている
メーカー名に反応したOKN先生(笑)

研究という観点から完全に逸脱する
そんな中年男3人組を見て、
必死に説明していた係員の「本音」を
うかがってみたかったです(笑)


電力中央研究所を後にして
お昼ゴハンは、私が初体験となる
スシローです↓



1人あたり平均10皿をたいらげ、
午後の部に入るのですが
残念ながら悪天候でね・・・


結局、スシローの隣にある
ジョナサンに入って
談笑会とあいなりました(笑)↓



我々3人は10年以上にわたる
長いお付き合いをしてますが
半年ぶりの再会だったので
色々と話し込んでしまい、
ケーキとドリンクバーだけで
5時間近く居座りました(笑)


当方からすれば、お二方とも
年上の先輩ですが、
私の醜態をさらしながらも
色々と本音を言えるような
関係にあるのは、ある意味で
私の大きな「財産」ですっ★


遅い時間になっちゃいましたが
横須賀中央駅から帰還します↓



いっちゃん先生、OKN先生っ!
本日はお疲れ様でしたっ★
次回は千葉県でっ!


本日は、要領をえない「雑記」に
お付き合いいただきまして
ありがとうございました m(_ _)m
明日は「鉄道」ネタで
ブログを更新予定です。

もし、よろしければ
またお越しくださいっ!


それでは、また明日っ★



↑もしよろしければ
 ポチっとやってくださいませ♪

皆様、いかがお過ごしでしょうか。


ついに・・・私のところにも
こんなん来ました(笑)↓


今まで、幸いなことに
こういったクソったれな通知や
警告などは来なかったので
ちょっと「油断」してました(笑)

通知を見て、「こりゃ、大変」と
我々が慌てて電話をかけてくると
送信するバカは思うのでしょうね。
笑っちゃうよね~っ★

私は感情に任せて何かを
色々としでかすタイプですが、
皆様はいちいち反応しないで
鼻糞でも飛ばしてやりましょうね~

電話番号は、他にもあるはずですが
少なくとも下記の電話番号は
ダメなやつですからね~↓
 〇一一五五八〇二〇八
 (市外局番から北海道だろ?)

この電話番号にかけちゃうと
我々が負ける可能性があるので
鼻糞を飛ばしてやるくらいに
留めておきましょうねっ!


さてさて、本日は祐実軍團「軍報」の
第130弾といたしまして
神奈川県横須賀市におかれていた
米が浜砲台の遺構群を
簡単にご紹介させてくださいませ↓




米が浜砲台は東京湾要塞の 1つで
1890年(明治24) 年10月に竣工し、
28センチ榴弾砲を 6門と
24センチカノン砲が2門
据え付けられました。
また、平時は要塞砲兵第一連隊が
使用する演習砲台にも
なっていたようです。

その後、1904年(明治37)の
日露戦争で、旅順要塞攻略戦での
砲不足を補填するため、
ここに据え付けていた榴弾砲を
全て取り外して現地に送られました。

大正時代に入り廃止となりましたが、
その後の関東大震災で、
深田と田戸におかれていた
演習砲台が破損したことにより、
これの代替として1927年(昭和2)に
28センチ榴弾砲を4門据え付け
演習砲台として改築し、
終戦まで機能しました。

現在、砲台の跡地は中央公園として
整備されていますが、わずかに
演習砲台の遺構が残るほか
敷地の外周付近にも
防御営造物境界標が残存し
簡単に見学することが出来ます。



今回はいっちゃん先生OKN先生
筆頭に重鎮メンバーの皆様方と
探訪した時の写真を掲載します↓



中央公園内に砲座が残ります↓



砲座の脇には砲側弾薬庫が
2つ残っていますが、入口は
いずれも塞がれています↓



中央公園の南西付近に
防御営造物境界標が
8本残っています↓







文化会館側から中央公園に
続く道路脇の駐車場付近にも
防御営造物境界標(現在は消失)が
1本残っていたのですが、
写真を消失してしまいました・・・(涙)


これは境界柵の支柱群であると
思われます↓



横須賀共済病院の裏手にも
防御営造物境界標が
残っています↓


正面部分は「陸軍所轄地」と
軍用地境界標と同じ文言が
刻まれていますが、背面部分に
「防三六」と通し番号が入っており
防御営造物に対して設置された
境界標であると判ります。


市立田戸小学校の前をはしる
道路沿いにも・・・↓



防御営造物境界標が
残っています↓



【収録遺構】
 陸軍東京湾要塞
 米が浜砲台

   砲座 1箇所
   地下施設 2箇所
   軍用地境界標 10本
   その他 1箇所

【探訪情報】
 2005.05.15  第1回探訪
 2007.03.11  第2回探訪
 2007.12.29  第3回探訪
 2014.07.06  第4回探訪
 2017.08.29  第5回探訪

歩数(指数) 未計測(480)


後ほど、ホームページ内でも
ご紹介させていただく予定です。


明日は、いっちゃん先生達と
軽く地下壕に潜る予定ですので
雑記形式でブログの更新を
させていただきます m(_ _)m


それでは、またお会いしましょうっ★



↑もしよろしければ
 ポチっとやってくださいませ★

皆様、いかがお過ごしでしょうか。

ここのところ「停電」により
電車がストップすることが
多い気がします。

今回は東急田園都市線だし、
前回は東京モノレール、その前は
JR京浜東北線・常磐線など・・・

「停電」と聞くと、震災直後の
電力不足を思い出しちゃって
本当に嫌ですわ。

しっかりせぃ、鉄道業界っ!


さてさて、本日は真己軍團「軍報」の
第29弾といたしまして、
岡山県岡山市におかれていた
歩兵第五十四連隊をはじめとした
兵営遺構のご紹介です↓




歩兵第五十四連隊は、第十七師団の
新設によって1908年(明治41)に
鳥取から転営し、岡山市内に
新設された兵営に入りました。

大正時代に入ると満州駐箚に伴い
出征しますが、その後の軍縮で
第十七師団とともに廃止され、
これに代わって第十師団に隷属する
歩兵第十連隊が姫路市から転営し、
引き続き兵営を使用しました。

昭和時代に入り、歩兵第十連隊は
満州事変を経て日中戦争で満州へ
移り、その後は歩兵第一五四連隊や
歩兵第四四七連隊・第四四八連隊が
この地で新たに編制されたのち
終戦となりました。

現在、跡地は岡山大学や
岡山合同宿舎に変遷し、
面影がない状態ですが、
わずかに当時の遺構が
残っています。



毎度、おなじみのメンバーである
おピンちゃん先生と岡山市内に
入っております↓



今回も、岡山市で運営する
レンタサイクルの「ももちゃり」で
津島中地区をはしります↓



門柱が2箇所残っています↓




いつもお世話になっている
盡忠報國先生大日本者神國也では
このほかにも将校集会所の庭園や
灯篭なども残っているようですが、
時間の関係で見学を諦めました。


【収録遺構】
 陸軍第十七師団
 歩兵第五十四連隊
 (陸軍第十師団
  歩兵第十連隊 ほか)

  門柱 2箇所

【探訪情報】
 2017.07.11  第1回探訪

 歩数(指数) 未計測(100)


後ほど、ホームページ内でも
ご紹介させていただく予定です。


それでは、またお会いいたしましょう!



↑もしよろしければ
 ポチっとやってください~★

♦ 検索フォーム

♦ ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる