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戦争遺跡のご紹介やホームページの制作状況などを綴っていきます♪

総軍BLOGへようこそっ!

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祐実総軍三等兵

Author:祐実総軍三等兵
全国に残る戦争遺跡を探訪し
記録することを趣味とする
祐実総軍三等兵ですっ★

稚拙な内容ではございますが
これまでに関係者の皆様方と
見てきた戦争遺跡を中心に、
ブログ・ホームページなどで
順次ご紹介をしていきます♪

よろしくお願いしますっ★

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皆様、いかがお過ごしでしょうか。


そろそろシルバーウィークに
突入ですね。


個人的には3連休が2週続くだけで
その間に平日が3連チャンもあるので
シルバーもなにもありませんが(笑)


しかも、強力な社蓄台風が来ていて
連休に通過するとか…


出社以外は外に出るんじゃねぇと
言われている気がして
抗いたくなりますな(笑)


さて、今回は真己軍團「軍報」の
第90弾といたしまして
鳥取県米子市におかれていた
皆生送信所の自力発電所を
ご紹介させてください↓




皆生送信所は、美保海軍航空基地に
展開した第二美保海軍航空隊が
練習機を使って飛行訓練を行うことを
主な目的として設置された送信所で
1942年(昭和17)に開設されました。

その後、戦局の悪化にともない
美保航空基地が実戦部隊の経由地に
使われるようになり、飛行訓練に
支障が出たため、第二美保航空隊は
大和海軍航空基地へ移駐しましたが
送信所は終戦まで存続しました。

戦後、施設は大蔵省に移管されて
電波観測所に転用されましたが、
現在は廃止されて住宅地に変遷し
わずかに自力発電所と付属遺構が
残るのみとなっています。



もう数年前になってしまいますが
10泊11日に及んだ大遠征の期間中、
盡忠報國さんにご案内いただき
米子市の皆生(かいけ)地区に
お邪魔しています↓



冬の日没間近だったので
暗い写真ばかりですが、
住宅地内の空き地に
自力発電所が残っています↓



早いとこ見学しないと
本当に真っ暗になっちゃうので
早速、内部に入ります↓



内部は全面コンクリート製で
強固に造られています↓



入ってすぐのところに
発電機が設置されていたようで
台座部分が残っており、
天井にも金具が付けられています↓



一部が土に埋もれてますが
状態はよいと思います↓



さらに進んでいくと突き当たり
左右に出口が設けられています↓




総延長は約30メートル弱ですが
とても立派な造りでした↓



最初の入口のすぐ脇には
小さな水槽が残っています↓



10メートルほど離れた場所にも
発電機を冷却するための
大きな水槽が残っています↓



日没となってしまい
暗い写真ですね…↓



過去に日中探索された
盡忠報國さんのブログの方が
よい写真ですし、詳しいので
是非、併せてご覧くださいませ。


空き地のすぐ近くに
戦後に機能した中国電波管理局の
立札がありましたが、その元である
皆生送信所を伝える看板などは
特にありませんでした↓



自力発電所関係を除くと
何も残っていませんが
ここまで来たので敷地を1周します↓



この後は、宿泊予定のホテルに入り
2人でちょっと贅沢なお夕飯にしつつ
濃い軍跡談議(笑)とあいなりました↓



【収録遺構】
 美浦海軍航空基地
 皆生送信所

  地下施設 1箇所
  その他 2箇所

【探訪情報】
 2018.12.19 第1回探訪

 歩数(指数) 未計測(100)


後ほどホームページ内でも
ご紹介させていただきますねっ♪


それでは、またお会いしましょうっ★



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皆様、いかがお過ごしでしょうか。


最近、色々とありまして
ブログを更新する時間がなく
再び開いてしまいました…


好きなことをする時は
時間の経過が遅くならないか
本気で思ってたりしますね(笑)


その代わり、仕事は
8分の1の時間に縮んでもらって
構いませんからっ!


さて、今回は和泉軍團「軍報」の
第136弾といたしまして
茨城県つくばみらい市の公園内に
保存されている旧南満州鉄道の
プレニ型機関車をご紹介させてください↓




南満州鉄道は、日露戦争の勝利により
ロシアより譲渡されたシベリア鉄道の
支線と付属事業を経営した国策会社で
1906年(明治39)に設立され、
以後の日本の大陸進出では
軍事輸送で重要な役割を担いました。

プレニ型機関車は、南満州鉄道が
保有していた機関車の 1つで
1935年(昭和10)に名古屋の日本車輌で
製造され、南満州鉄道が運営した
昭和製鋼所で人員の輸送や
貨車の入替に使用されました。

戦後は満州国の解体にともない
昭和製鋼所は中国が引き継いで
鞍山鋼鉄公司となりますが
1995年(平成 7)まで機関車は
現役で活躍し、その後は
このうちの248号を有志が買い取り
現在はきらくやまふれあいの丘公園で
展示保存されています。



めぐさんご一家と一緒に
きらくやまふれあいの丘公園に
お邪魔しています↓



駐車場から公園内に入り
世代ふれあいの館の手前に
プレニ型248号が保存されています↓



さすが、大陸で使われただけあり
一言でいうと「とても大きい」です↓



機関車の側面には
PL2(PLはプレーリー型の略で、
先輪1軸・動輪3軸・従輪1軸の
車軸配置をもつアメリカでの型名で
2は2代目を表し、略がプレ二)と
車番の248が記載されています↓



正面は車番の248が入ります↓



機関車のあまりのデカさに
我が総軍大元帥の遣いでもある
お供のサブ郎さんもこの表情です(笑)↓



そろそろ日没という時間帯だったので
逆光になってしまいましたが、
車長は約18メートル・幅は約3メートル・
高さが約4メートルちょっとあります↓



この機関車を取り上げている
ブロガー様も多くいらっしゃり、
以前の姿を見ると黒塗装ですが
現在は銀に塗装されています↓



機関車の後方には
石炭や水を積載した
炭水車が連結されています↓



炭水車は、機関車のバック運転でも
視界がきくように低くなっており
後方も斜めに切り落としてあるのが
特徴なのだそうです↓



大きな機関車だけあって
それぞれのパーツも
巨大で圧巻ですね↓





ちょうど、炭水車のあたりに
案内板が設けられています↓




お供のサブ郎さんは
公園の番人であるリスさんと
お友達にもなれたようで(笑)↓



ひと通り、見学したところで
引き揚げます↓



【収録遺構】
 南満州鉄道
 プレニ型機関車

  その他 1箇所

【探訪情報】
 2022.02.27 第1回探訪

 歩数(指数) 未計測(100)


後ほどホームページ内でも
ご紹介させていただきますねっ♪


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皆様、いかがお過ごしでしょうか。


早いもので9月に入り、
当方の誕生月が去って
我が総軍大元帥の誕生月に
スライドしていきます。


総軍プロジェクトの年度末は
10月末になるので、そろそろ
次のシーズンに向けて
探訪先を模索していきたいですが
なかなか許してくれず…


まあ、今の時期から気張っても
気持ちが疲弊するだけなので
じっくりと考えていきます。


さて、今回は美恵軍團「軍報」の
第116弾といたしまして
三重県津市におかれていた
津陸軍衛戍病院の遺構群を
簡単にご紹介させてください↓




津衛戍病院は歩兵第五十一連隊が
久居地区に展開したことにより
兵営に隣接するようにして
1908年(明治41)に設置されました。

1936年(昭和11)に入ると
津陸軍病院に改称されますが
病院の機能は変わらず
終戦まで存続しました。

戦後、敷地は厚生省に移管されて
国立病院に使用されましたが、
現在は陸上自衛隊の久居駐屯地や
合同宿舎に変遷しており、
わずかに遺構が残っています。



今回は日本戦跡協会さんと一緒に
陸上自衛隊久居駐屯地の皆様方の
ご協力を賜り、敷地内を見学します↓



こちらは別掲載を予定していますが
歩兵第五十一連隊(第三十三連隊)と
第三十旅団司令部を見学し、
敷地の南東端付近に進みます↓



自衛隊敷地の南東部分が
衛戍病院ゾーンとなり
さっそく浴場が残っています↓



煉瓦で造られており
入口や窓は木で塞がれて
内部の様子は判りませんでしたが
良好な残存状態です↓



隣接して食堂が残ります↓



こちらも煉瓦で造られており
背面に部屋があるのか
中央が突き出ており
凸形になっています↓



突き出た部分を
別の角度から見ると
こんな感じになっており、入口を
煉瓦で埋めた跡がありました↓



すぐ隣にコンクリート製の
構造物もありました↓



ここから北に少し進んだ場所に
昭和21年の航空写真に写る
木造の建物が残ります↓



反転して南に下ると
結核患者を収容したといわれる
隔離病棟が残っています↓



外壁はリフォームされているようですが
基礎部分は煉瓦で造られていることが
判ります↓



さらに南に進んでいくと
木造の演芸場が残っており
現在は武道場に使われています↓



短い時間ではありましたが
敷地内の案内をしてくれた
広報ご担当者様にお礼を申し上げ
次の案件に進んでいきます↓



【収録遺構】
 津陸軍衛戍病院
 (津陸軍病院)

  建物 5棟
  その他 1箇所

【探訪情報】
 2021.12.01 第1回探訪

 歩数(指数) 未計測(100)


後ほどホームページ内でも
ご紹介させていただきますねっ♪


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皆様、いかがお過ごしでしょうか。


時間が経つのはあっという間で
9月に突入しちゃいましたね。


今月は我が総軍大元帥のご誕生月で
総軍プロジェクトの年度末(11月年始)まで
あと2か月を切ってしまいました…


今年度は下期から探訪量が
急激に失速し、自身の士気が
大幅に低下しちゃってますが
次年度の開始とともに
探訪シーズンのスタートですので
準備をしていきたいと思います。


さて、月替わりの恒例行事ですが、
日頃よりご愛顧いただいております
私どものホームページである
「祐実総軍 ― 軍事遺跡データベース」の
月別アクセス統計を
今回は掲載させてくださいませ。




2022年8月度の統計は以下でございました↓

全国軍事遺跡探訪軍―祐実総軍
2022年8月度アクセス統計
 (2022.8.1~2022.8.31)

【総アクセス数】
 47,033アクセス(ブログページ含む)

【最高アクセスカウント日】
 2022年8月14日(日) 1,909アクセス

【最低アクセスカウント日】
 2022年8月30日(火) 1,238アクセス

 ※アクセスカウンターの数字とは
  異なる方法での集計となります。

【アクセス元都道府県ランキング】
  1.東京都(7.38%)
  2.大阪府(7.20%)
  3.神奈川県(7.00%)
  4.兵庫県(6.58%)
  5.千葉県(6.21%)
  6.埼玉県(6.02%)
  7.静岡県(5.69%)
  8.奈良県(5.37%)
  9.茨城県(5.14%)
 10.広島県(5.06%)

【アクセスページランキング】
  1.野比海軍病院
  (祐実軍團:神奈川県) 
  2.小倉陸軍造兵廠
  (那瑠絵軍團:福岡県) 
  3.海軍航空技術廠
  (祐実軍團:神奈川県) 
  4.横須賀海軍工廠造兵部 (逗子市)
  (祐実軍團:神奈川県) 
  5.霞ヶ浦海軍病院
  (和泉軍團:茨城県) 
  6.第一海軍燃料廠
  (祐実軍團:神奈川県) 
  7.横須賀海軍鎮守府
   抵抗拠点陣地
(三浦市)
  (祐実軍團:神奈川県) 
  8.横須賀海軍工廠造兵部 (横須賀市)
  (祐実軍團:神奈川県) 
  9.陸軍広島湾要塞包ヶ浦弾薬本庫
  (真己軍團:広島県) 
 10.海軍技術研究所音響研究部
  (美恵軍團:静岡県) 

【検索自治体ランキング】
 1.神奈川県横須賀市 (祐実軍團)
 2.神奈川県横浜市 (祐実軍團)
 3.神奈川県三浦市 (祐実軍團)
 4.愛知県名古屋市 (美恵軍團)
 5.神奈川県逗子市 (祐実軍團)
 6.福岡県北九州市 (那瑠絵軍團)
 7.神奈川県藤沢市 (祐実軍團)
 8.神奈川県鎌倉市 (祐実軍團)
 9.大阪府大阪市 (阪奈軍團)
 10.和歌山県和歌山市 (阪奈軍團)

【掲載遺構数】
 5,895 (フルブラウズ時は5,896)
 前月比 +23



8月も多くの皆様に見ていただき、
本当にありがとうございます m(_ _)m


先月は戦争関連の話題が多く
我々のページも多くの方々に
ご覧いただけたようで、アクセス数も
過去最大の4万強をいただきました。


本当にありがとうございます m(_ _)m


そろそろ次のシーズンに向けて
探訪の準備をしつつ、
掲載案件の充実をはかりますので
応援よろしくお願いいたします m(_ _)m


【本日の写真】
先月の探訪実績+αです。


参謀本部北多摩通信所の官舎↓



立川飛行機の格納庫↓



昭和飛行機の格納庫↓



海軍特別陸戦隊の陣地群↓





長崎平和祈念式典に
テレビ参加するカエル軍団(笑)↓



それでは、またお会いしましょうっ★



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皆様、いかがお過ごしでしょうか。


8月ももうすぐ終わり
今月も目立った遠征が出来ず
残念ですね…


厄年なんかとっくに過ぎましたが
今年は色々と厄が多いなぁ…


まあ…気にしていても仕方ないので
先々に向け現状打破したいですな。


さて、今回は祐実軍團「軍報」の
第238弾といたしまして
東京都昭島市におかれた
昭和飛行機東京製作所の遺構群を
簡単にご紹介させてください↓




昭和飛行機工業は、輸送機を中心とした
機材を製造する目的で設立された
民間企業で、1938年(昭和13)に
工場が設置されました。

設立当初は輸送機の製作がうまくいかず
量産に漕ぎ着けなかったものの
終戦までに零式輸送機430機を生産し
この他にも九九式艦上爆撃機や
紫電改などの製作に携わりました。

現在、昭和飛行機工業は
航空機事業が主力ではないものの
企業として存続しており、
往時の敷地より小さくなっていますが
航空写真との比較をする限り
当時の建物がいくつか残っています。



当時の格納庫が残っていると
日本戦跡協会さんに教えていただき
一緒に昭島市にお邪魔しています↓



往時の敷地の東側にあたる区画に
格納庫が2つ連続して残っています↓



現在はテニススクールの
コートとして使われています↓



さらに進んでいくと
もう1つ格納庫が残ります↓



終戦直後の空撮を見ると
2つの格納庫の中間に付属建屋が
挟まれる形で1セットだったようですが
こちらは格納庫の1つが壊されており
公園の駐車場になっていました↓



レッスンの邪魔にならないよう
合間を縫うようにして手短に
内部も見学させていただきました↓




いやぁ、節穴でした(笑)



お供のサブ郎さんも
こんなものが残っていたなんて…と
驚きを隠せない様子(笑)です↓



こういった形で旧施設が
有効活用されている姿を見ると
ウキウキしますね(笑)↓



テニススクールを後にして
今度は敷地外周を歩いていきます↓



戦後の航空写真と比較する限り
当時の工場を活用している建屋が
この他、敷地内にも残っており
外周から見ることが出来ます↓





上記3枚のうちの最後の建屋は
特に大きなものです↓



過去の探訪写真をPCクラッシュで
消失させてしまったので
我々のホームページに掲載している
写真の引き伸ばしになっちゃいますが
かつては本部庁舎も残ってました…↓



ブログ上の構成が前後しますが
この後は瑞穂町に向けて
転進しました↓



【収録遺構】
 昭和飛行機工業
 東京製作所

   建物 6棟
   建物 1棟 (消失)
 
【探訪情報】
 2007.06.16  第1回探訪
 2011.12.10  第2回探訪
 2022.08.11  第3回探訪

 歩数(指数) 未計測 (100)


それでは、またお会いいたしましょう★



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