戦争遺跡のご紹介やホームページの制作状況などを綴っていきます♪

総軍BLOGへようこそっ!

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祐実総軍三等兵

Author:祐実総軍三等兵
全国に残る戦争遺跡を探訪して
記録することを生き甲斐とする
祐実総軍三等兵でございます★
稚拙な内容ではございますが、
これまで調べてきた戦争遺跡を
ブログ・ホームページで紹介を
させていただいておりますっ♪

よろしくお願いしますm(__)m

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皆様、いかがお過ごしでしょうか。

そろそろ、大好きなクソ○○の
戦列に復帰するのですがね、
復帰前の段階で現場に顔出しすると
いつも帰りがこんな時間で。

昔と情勢が違って、
「9時からドラマ見ないといけないんで
今日はお先に失礼します」ってのも
普通にあるみたいだから、
私も「ホームページの制作が忙しいから
いつもお先に定時で失礼します」って
堂々と言って帰ろうかな(笑)

そもそも、1日の「ノルマ」を消化しないと
帰れないっておかしいと思うが・・・


さてさて、明日も「出庫」なので
愚痴もこのへんにして、今回は
前回に引き続き阪奈軍團「軍報」の
第94弾といたしまして
兵庫県加古川市におかれていた
高射砲兵第三連隊の遺構を
簡単にご紹介させてくださいませ↓




高射砲兵第三連隊は、
大阪府和泉市におかれた
野砲兵第四連隊の兵営で
1937年(昭和12)に編制され、
現在の加古川市に新設された
兵営に移駐しました。

太平洋戦争に突入すると、
本土での防空任務にあたるために
神戸へ移駐したため、兵営は
航空通信に関する教育を行った
航空通信学校の第一教育隊が
使用し、のちに教育隊を軍隊化させて
編成した加古川教導航空通信団の
傘下に入って終戦まで存続しました。

現在、跡地はハリマ化成や
商業施設などに変遷していますが、
当時の遺構が残っています。



遠征時のパートナーである
おピンちゃん先生と、神戸の
北野出身のウィー太郎君と
加古川市内にきております↓



今回も、三等兵が崇拝する
盡忠報國先生ブログ
参考にさせていただきながらの
探訪となりますっ★


ちなみに・・・
マッキー先生、FC2ブログ上での
ウィー太郎君はこれです→ウィー


ハリマ化成の外周に当時の
門柱が2箇所残っています↓




ハリマ化成の敷地内にも
当時の建物が残っており、
外側から見ることが出来ます↓




遺構はこの他にも敷地内に
残っているようですが、
アポなしだったため
見学を断念しました。
寒いし、雨だし・・・


敷地の東端にあたる
加古川野口団地周辺と
その南側の住宅地内で
軍用地境界標を4本ほど
確認することが出来ました↓






このほか、当時の橋梁を
2つばかり記録出来ていますが
これらは野口演習場の遺構として
後日掲載させていただきます。


【収録遺構】
 陸軍中部防衛司令部
 高射砲兵第三連隊
 (陸軍航空通信学校
  第一教育隊,
  加古川教導航空通信団
  第一教育隊)

  門柱 2箇所
  建物 3棟
  軍用地境界標 4本


【探訪情報】
 2016.02.20  第1回探訪

 歩数(指数) 4,023歩(90)


それでは、またお会いしましょうっ!



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皆様、いかがお過ごしでしょうか。


先日、浅草寺でひいた
凶のおみくじの流れを引きずり
運気低迷中の三等兵です(笑)


でも、ラーメンとのめぐりあわせは
「順調」そのものでございます↓



さて、今回は阪奈軍團「軍報」の
第93弾といたしまして
滋賀県東近江市におかれていた
飛行第三連隊の遺構群を
ご紹介させてくださいませ↓




飛行第三連隊の前身である
飛行第三大隊は、第十六師団に
隷属する部隊で、各務原で編制され
民間の飛行場がおかれていた
沖野ヶ原飛行場を整備し、これに
隣接する形で1922年(大正11)に
兵営が設置されました。

その後、飛行第三連隊への改編を
経て、隷属先が飛行第一集団に
変更され、爆撃・偵察の錬成に
あたりましたが、飛行第三戦隊へ
改編後、1942年(昭和17)に
八戸へ移駐しました。

飛行第三戦隊が八戸に移駐した後は
第五十一教育飛行師団に隷属する
第百四教育飛行連隊が引き続き
施設を使用し、軽爆撃機を使った
戦技教育が実施されました。

太平洋戦争の末期には
第四教育飛行隊に改編され、
第五十二航空師団の
隷下部隊として児玉飛行場に
移駐しました。

第四教育飛行隊の移駐後は
飛行第二四四戦隊が小牧から移り、
中部・近畿地区の防空を担当し
終戦を迎えました。

終戦後、施設はアメリカ軍に
接収されましたが、現在は
返還されており、飛行場の大半は
農地に払い下げられ、兵営周辺は
タキロン化学に変遷して
面影がなくなっていますが、
当時の遺構が残っており、一部は
保存されています。



おピンちゃん先生と八日市駅に
到着しました↓



足がないので、ここから
タクシーを利用させてもらい、
今回も盡忠報國先生
ブログを参考にしながら、
八日市憲兵分遣所を経由して
布引運動公園へ向かいます↓



陸上競技場の北側斜面に
有蓋式の飛行機掩体が
2つ残っています↓




草が生い茂り見づらいですが、
この周辺の山林内にも無蓋式の
飛行機掩体の痕跡が残ります↓








無蓋掩体は、合計7箇所を
見ることが出来ました★


塹壕とおぼしき掘り込みも
周辺に残っていました↓



タクシーの待機場所まで
大急ぎで戻ります↓


この周辺の探訪のために
1時間ちょっとの時間を
待っててもらったのですが、
料金が思っていた以上に
膨れ上がり驚愕しました(汗)


次は沖原神社に向かいます↓


沖原神社は、飛行第三連隊の
衛戍神社として創建され、
現在の社名になっています。


社殿です↓



境内には、当時の門柱が
移設保存されています↓



盡忠報國先生ブログでは
境内に移設された軍用地境界標も
紹介されているのですが、
この時の三等兵は、待機している
タクシーの料金が気になってしまい
撮影するのを忘れました~(汗)


我々のホームページには、
盡忠報國先生からの提供写真も
掲載予定ですっ★


【収録遺構】
 陸軍飛行第一集団
 飛行第三連隊
 八日市飛行場

  門柱 1箇所
  飛行機掩体 9箇所
  軍用地境界標 1本
  その他 2箇所


【探訪情報】
 2017.08.28  第1回探訪

 歩数(指数) 1,609歩(94)


それでは、またお会いしましょうっ!



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皆様、いかがお過ごしでしょうか。

最近、だんだんと日の入りが
早くなってきましたね・・・
夏の終わりを痛感してます。


さてさて、本日は祐実軍團の
「軍報」の第123弾としまして
神奈川県横須賀市におかれた
矢の津弾薬支庫の遺構群を
簡単にご紹介させてください↓




矢の津弾薬支庫は、東京湾要塞の
付属施設の 1つで、走水地区の
各砲台で使用する砲弾類を
管理する目的で1922年(大正11)に
建設されました。

ここには、火薬庫・装薬調製所・
弾丸庫などがおかれ、それぞれが
誘爆しないように1棟ずつ土塁で
囲まれていたようです。

現在、跡地の大半が住宅地に
変遷しているため、ほとんど面影が
ありませんが、わずかに当時の
遺構が残っています。



快特俊足電鉄の馬堀海岸駅に
到着しました↓



駅の西に位置する一角に
「矢の津」・「矢之津」の旧名が
残っているようです↓



うむむ、門柱でしょうかね↓


我々のホームページ上は、
門柱として掲載予定でいます。


南側に境界柵の一部が
残っています↓



【収録遺構】
 陸軍東京湾要塞
 矢の津弾薬支庫

   門柱 1箇所
   その他 1箇所

【探訪情報】
 2006.06.24  第1回探訪
 2017.08.29  第2回探訪

 歩数(指数) 未計測(100)


それでは、また明日っ★



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皆様、連休はいかがでしたか。


9月のはじめくらいから
急におなかがポンポコに
太り出してきたので、
食べる量を減らしてきましたが
最近、好きになっている
ラーメンばかりを連休中に
食べていたら、見事に元の
体に戻ってしまいました~(涙)


また最初からやり直しです(笑)


さてさて、今回は前回に引き続き
美恵軍團「軍報」の第54弾として
愛知県春日井市に敷設された
鷹来製造所の軍用線の遺構を
ご紹介させてくださいませ↓




鷹来軍用線は、鷹来製造所への
資材の搬入や、生産品の搬出を
中央線経由で行うことを目的に
敷設され、1942年(昭和17)に
使用が開始されたようです。

線路は、現在のJR中央線の
春日井駅付近から分岐をして
北へ方向を変え、六軒屋町を経由し
鷹来製造所に向かうようにして
敷設されていました。

現在、軍用線跡の多くは
生活道路となっており、痕跡が
判りづらくなっていますが、
当時の遺構がわずかに
残っています。



前回の記事に引き続き、
おピンちゃん先生かとう先生と共に
春日井市にお邪魔しております↓



軍用線の橋梁跡と判る
橋脚が残っています↓



鷹来製造所と西山分工場を
むすんでいる区間にも
橋梁が残っています↓



せっかくなので、上からも
のぞいてみることにします↓



橋梁を上から見ると
こんな感じになります↓



【収録遺構】
 名古屋陸軍造兵廠
 鷹来製造所
 鷹来軍用線

  橋梁 2箇所

【探訪情報】
 2017.07.28  第1回探訪

 歩数(指数) 未計測(100)


それでは、また明日っ★



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皆様、いかがお過ごしでしょうか。


せっかくの連休なのに、雨とは
なかなかいい根性しとる(笑)
なーんて、朝から鼻をホジホジ
していたのですが、よく見ると
鼻毛に白髪があるじゃないかっ!

どこかの漫画で、劉備の鼻を
お手入れしていた妃が、
鼻毛に白髪が混じっていたのを見て
「もってあと20年かな~」って
書かれていたのを思い出しました。


そろそろ、後継者探しかっ(笑)


さて、本日は美恵軍團「軍報」の
第53弾といたしまして、
愛知県春日井市におかれていた
名古屋陸軍造兵廠高蔵製造所の
鷹来分工場の遺構を
ご紹介させてくださいませ↓




高蔵製造所は、名古屋市におかれた
名古屋陸軍造兵廠が管轄した
兵器製造工場で 1940年(昭和15)に
前身の名古屋工廠高蔵兵器製造所の
組織改定によって開設され、
兵器などの需要が高まったために
分工場が1941年(昭和16)に
設置されました。

ここでは主に小銃の弾を製造し
約200,000坪の敷地に6つの工場が
おかれ、のちに分工場から独立して
鷹来製造所に改称し、地元や
中部地方を中心とした約14,000名の
工員や学徒などが昼夜2交代制で
作業に従事していましたが、
太平洋戦争の終戦の前日にあたる
1945年(昭和20) 8月14日の空襲で
原爆模擬爆弾が投下され、
施設は壊滅状態となりました。

現在、跡地は名城大学の付属農場や
市立鷹来中学校・春日井浄水場などに
変遷していますが、当時の本館や
防火水槽などの遺構が残っており
申請をすることで見学可能です。



おピンちゃん先生かとう先生と共に
春日井市にお邪魔しております↓



事前にかとう先生が見学の
申請をしてくれていた
名城大学の付属農場
向かっていきます★


付属農場内には当時の本館
残っています↓


特筆するべき点として、
時計盤と陸軍徽章の★の窪みは
当時の名残です。


本館前には水槽が残ります↓



本館の西側にも当時の建物
2棟残っています↓




周辺にも当時のものと思われる
遺構が残っていました↓





【収録遺構】
 名古屋陸軍造兵廠
 高蔵製造所
 鷹来分工場
 (名古屋陸軍造兵廠
  鷹来製造所)

  建物 3棟
  その他 4箇所

【探訪情報】
 2017.07.28  第1回探訪

 歩数(指数) 未計測(100)


それでは、よい連休をっ!



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