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戦争遺跡のご紹介やホームページの制作状況などを綴っていきます♪

総軍BLOGへようこそっ!

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祐実総軍三等兵

Author:祐実総軍三等兵
全国に残る戦争遺跡を探訪し
記録することを趣味とする
祐実総軍三等兵ですっ★

稚拙な内容ではございますが
これまでに関係者の皆様方と
見てきた戦争遺跡を中心に、
ブログ・ホームページなどで
順次ご紹介をしていきます♪

よろしくお願いしますっ★

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皆様、いかがお過ごしでしょうか。


前日にお酒を飲み過ぎたようで
眠りが浅く、夜中に目が覚めたので
出勤前にブログ更新をしようかと(笑)


ですが、そんなに時間がないので
今回は福岡県北九州市におかれた
小倉陸軍衛戍病院の遺構を
簡単にご紹介させてください↓




小倉衛戍病院は、現在の
北九州市におかれた第十二師団の
付属病院として、この前身である
営所病院からの改称で設置され
現在の春ケ丘地区に移ってきました。

昭和時代に入り、小倉陸軍病院に
改称されますが、病院の機能は
変わらず、終戦まで存続しました。

現在、跡地は小倉医療センターに変遷し
面影がなくなっていますが、
西端部に軍用地境界標や
区画のための石垣が残ります。



今回は同市ご出身で
高名な歴史学者である菊池満さん
陸軍伍長さんと一緒に
小倉医療センターにお邪魔しています↓



まずは、前をはしる市道沿いを歩きます↓



病院の西端に位置する市道沿いに
石垣が残ります↓



石垣に沿って北に進んでいくと…↓



石垣が病院側に折れる位置に
軍用地境界標が残ります↓



当時の区画に沿って
簡単に歩いてみましたが
どうやら残っているのは
これだけのようです。


小倉医療センター内は造成され
遺構は皆無のようですが…↓



戦後に建立された
小倉陸軍病院の記念碑と…↓



小倉陸軍病院跡の碑があります↓



この後は、次の探訪先である
山田緑地に転進しました↓



【収録遺構】
 小倉陸軍衛戍病院
 (小倉陸軍病院)

  軍用地境界標 1本
  その他 1箇所

【探訪情報】
 2022.12.28 第1回探訪

 歩数(指数) 未計測(100)


それでは、またお会いいたしましょうっ★



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皆様、いかがお過ごしでしょうか。


お彼岸シーズンなもので
この週末は両家のお墓参りで
バタバタしております。


今日もお墓参りに行くので
簡単ですがブログの起算更新です。


さて、今回は福岡県築上郡築上町に
おかれていた築城海軍航空基地の
赤幡補給倉庫のご紹介です↓




赤幡補給倉庫は、本土爆撃が
本格化したことで防空対策として
築城海軍航空基地の中枢を
南方の山林部に移す目的で
広末弾薬倉庫と同時期に工事が
開始されました。

ここに、発電機や食料・衣類などを
収容する地下壕が掘削され、
一部は実際に使用されたようです。

現在、跡地の大半が
山林に変遷していますが
わずかに倉庫壕と考えられる
地下壕が現存し見学することが可能です。



広末弾薬倉庫に引き続き、
陸軍伍長さんと一緒に
築上町の赤幡地区に入りました↓



さっそく、地下壕の入口が
見えてきましたが、残念ながら
封鎖されています↓



中をのぞいてみると
祠が建立されています↓



坑道が右に折れて
続いていそうな感じなので
山に沿って進んでいくと…↓



ちょっと埋まっていますが
もう1つの入口がありました↓



内部は崩落は少なく
倉庫系の壕にふさわしい
幅広の坑道が続きます↓



15メートルほど進んだところで
入口をふり返ってみると
硬い岩盤に掘られていることが
よく判ります↓



奥に進んでいくと
左に坑道が曲がっています↓



左に曲がると、さらに30メートルほど
坑道が続いています↓



さらに進んでいくと
祠の坑道にぶつかりますが
段差が生じており、石の階段が
数段設けられています↓



道なりに左へ進むと
さきほどの祠の入口に続きます↓



この区画は総延長50メートルちょっと、
コの字型の壕であることが判りました↓



他にもないか、探しましたが…↓



残念ながら崩れてしまったようで
入口が見つからず敗退し
次の付属案件に向かいました↓



【収録遺構】
 築城海軍航空基地
 赤幡補給倉庫

  地下壕 1区画

【探訪情報】
 2021.01.01 第1回探訪

 歩数(指数) 未計測(100)


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皆様、いかがお過ごしでしょうか。


もう秋に入っているはずなのに
連日35度超えの暑い日々が
続いていましたが、
今日は朝から涼しく、
久しぶりに快適ですね。


秋が実感出来ないと
次の探訪シーズンへの
心構えが出来ず…


さて、今回は横須賀市におかれた
横須賀海軍砲術学校の長井分校の
遺構群を簡単にご紹介させてください↓




砲術学校は、砲術指揮官や
技官を養成した海軍機関の 1つで
1907年(明治40)に、この前身の
砲術練習所からの改編により開校し
横須賀に施設がおかれていました。

昭和に入ると、対艦・対地の
砲術だけではなく、陸戦隊の操練術や
対空砲の操作術なども重要課題となり
これらの教育を行うため、館山にも
砲術学校が新設されたことで
横須賀海軍砲術学校に改称されました。

太平洋戦争に突入すると、予備学生・
予備生徒への教育を行う目的で
1944年(昭和19)に分校が
長井に設置されますが、戦局が逼迫し
きたる本土での決戦に備えるため
教育を中止し、特設警備隊に改編され
沿岸防備にあたりました。

現在、分校の跡地は長井小・中学校や
住宅などに変遷して面影がありませんが
地下壕を中心とする遺構が
わずかに残っています。



3度目の正直(?)の探訪となるべく
ルルルさんゴウさんトイさん
横須賀の長井地区に来ております↓



長井小学校の門柱は
当時のものであると
教えていただきました↓



探訪不足と言われれば
それまで…なんですが、
知らなかったです…
色々な視点・情報をもつ
仲間の存在はありがたいです↓



よく見ると、門札を引っ掛けていた
鉄製フックが出ていますね↓



少し南にくだると、終戦直後の
航空写真に写る円形の大きな水槽が
4分の1のサイズに縮小された形で
現在も使われているようです↓



少し離れたところに地下壕があり
以前に古の探訪5人衆とめぐって
封鎖痕くらいは見ていたのですが…↓



こちらも条件付で見学出来ると知り
さっそく、連れてってもらいます↓



住民の方にお声をかけさせていただき
さっそく、見学させていただきます↓



さすが、海軍学校の地下壕、
やはり分岐がありますな(笑)↓



支保工の跡も残っています↓



一部は排水溝も切られており
「ああ、退避系の地下壕だな」と
思いきや…↓



坑道が狭くなっていきます↓



アレ(笑)の予感しかしません↓



ああ・・・横須賀特有の
陣地複合形ってやつです↓



細い坑道を進んだ一番最後が
狙撃室になっているようです↓



棲息部や弾薬庫と考えられる
部屋状の空間も展開しています↓



狙撃口付近にミツバチが
大きな巣を作っており、
坑道内を飛び回っているので
足早に逃げます(笑)↓
1 (1)


陣地の坑道には傾斜がついており
最奥の狙撃室が1段高い位置に
あることがよく判ります↓



地下壕の内部図です↓



ひととおり、内部の見学をして
外に出ます↓



もう1つ、地下壕が残るとのことで
さっそく移動していきます↓



以前の探訪で「小さな壕がある」と
聞いた記憶があり、これのことだ!と
確信しました↓



幅が約3メートルほどと大きく
T字形の坑道構成で
倉庫系の壕と考えられます↓



突き当たりから左右にのびる坑道は
それぞれ行き止まっており、
掘削途中?と思いましたが…↓
1 (7)


先端を丸みがかった形に
あえてしており、棚のような
掘り込みもあるため
これで完成形のようです↓



なかなか充実した探訪でした↓



【収録遺構】
 横須賀海軍砲術学校
 長井分校

   門柱 1箇所
   地下壕 2区画
   その他 1箇所
 
【探訪情報】
 2006.11.12  第1回探訪
 2014.06.08  第2回探訪
 2023.05.03  第3回探訪

 歩数(指数) 未計測 (100)


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皆様、いかがお過ごしでしょうか。


9月も後半戦に突入しているのに
連日30℃を超える日々が続き、草が
枯れ始める次の探訪シーズンの到来は
まだ先のようです…


ここのところ、遠出をしてなかったもので
次のシーズンは頑張りたいところです。


さて、今回は福岡県築上郡築上町に
おかれていた築城海軍航空基地の
広末弾薬倉庫のご紹介です↓




築城海軍航空基地は、
航空母艦を配備した呉鎮守府や
中国大陸・離島の海域に近く
周防灘沿岸は天候が穏やかで
航空基地建設の好立地であったため
1939年(昭和14)に工事が開始され、
1942年(昭和17)に完成しました。

戦争末期はアメリカ軍による
本土への爆撃が本格化したことで
基地の中枢を山林部に移す
工事の一環で、広末地区に洞窟式の
弾薬倉庫が建設され、爆弾や機銃弾が
格納されました。

現在、跡地の大半が山林に
変遷していますが、合算総延長が
約 1キロにおよぶ地下壕群や
コンクリート製の遺構などが残ります。



今回は陸軍伍長さんと一緒に
築上町の広末地区にお邪魔します↓



地下壕は6つの区画で構成されており
さっそく、第1壕から見ていきます↓



第1壕が規模としては一番大きく
総延長は700メートルちょっとあります↓



おっ、地下壕探訪のお友達、
コモリさんもいるようです↓



っていうか、お友達のレベルを超える
熱烈な大歓迎を受けました(笑)↓



壕内には弾薬類を運搬するための
トロッコ軌道がはしっていたようで
線路の曲線限界を考えていたのか
坑道の交差点がY字に近い分岐に
なっている部分があります↓





岩盤がよい場所に掘削されており
崩落は少ないですが、一部は
水はけが悪く水没していました↓



遺物は特にありませんでしたが
放置自転車が多かったです(笑)↓



地下壕のトレースです↓



メインの第1壕の内部記録を終え
いったん外に出て第2壕へ進みます↓



第2壕は入口に投棄ゴミが散乱し
奥行きも15メートルほどしかなく
外観のみの見学です↓



東九州道が近くをはしるので
高速道路からも入口が
見えるかもしれませんね↓



山に沿って西に進んでいくと
第3壕の入口があります↓



投棄ゴミが散乱する入口を進むと
坑道が右に折れます↓



コの字型の壕のようで、
再び右に折れて出口です↓



第3壕の入口付近に
コンクリート製の構造物が
残っていました↓



機械を据え付けていたと思われる
ボルトが突き出た状態です↓



詳細は判りませんが、
これまでの経験から
削岩機に空気を送るための
コンプレッサーの台座じゃないかと
思っているところです↓



山の地形が西から南に変化し
引き続き、山沿いに進んでいくと…↓



第4壕の入口が登場しますが
こちらは20メートルほどの
単発壕でした↓



さらに進んでいくと、
さきほど入った第1壕の西出口が
2つほど登場し、入口付近に
コンクリート製の水槽のような
長方形の遺構が残ります↓


万が一の爆発事故に備え
水槽を設けている火薬・弾薬倉庫は
他でもよくあるお話しなので
残っていても不思議じゃないです。


さらに南へ進んでいくと
第5壕の入口があります↓



こちらも単発壕で
約30メートルほどの坑道が
展開していました↓



どうやら、このあたりは掘削途中で
終戦を迎えた感じですね…


隣接して第6壕の入口です↓



残念ながら、水没しており
中に入るのを断念しましたが
約50メートルほどの単発壕です↓



さらに南に進み、ほかにも
入口がないか確認しましたが
どうやら第6壕が最終のようです↓



壕内見学を終え、次の案件に…と
進もうとしたら、山の麓に案内板が
立てられていました↓



引き揚げの準備をして
次は赤幡地区に進みます↓



【収録遺構】
 築城海軍航空基地
 広末弾薬倉庫

  地下壕 6区画
  その他 2箇所

【探訪情報】
 2021.01.01 第1回探訪

 歩数(指数) 未計測(100)


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3連休の中日ですが、
腰痛・暑さ・金欠の3拍子(笑)が揃い
今後の探訪計画や調べものなどをして
家で過ごしております。


9月は我が総軍大元帥の
ご生誕月間ということもあり
今月いっぱいはおとなしくしようかと…


さて、今回は千葉県千葉市に
居をかまえた愛新覚羅溥傑別邸の
避難用防空壕を簡単にご紹介します↓




溥傑は、中国清朝のラストエンペラーである
愛新覚羅の溥儀の実弟で、
1937年(昭和12)に新婚生活を送るための
別邸が建設され、半年ほど居を構えました。

現在は貴重な和風別荘建築として
市の地域有形文化財に指定され
稲毛ゆかりの家として公開されており、
敷地内には避難用の防空壕も
残されています。



京成津田沼駅から京成千葉線に
トコトコと揺られまして…↓



京成稲毛駅で降り
京成千葉線を見送ります↓



まだ、この当時は
今やカエル軍団丞相(笑)の
サブ郎さんもいないので
一人でトボトボと稲毛ゆかりの家を
目指して歩いていきます↓



約10分ほど歩き
愛新覚羅溥傑仮寓の
稲毛ゆかりの家に到着です↓



玄関で職員さんから簡単な説明を
いただきまして、さっそく仮寓内を
見学していきます↓



とはいえ、こちらは探訪主旨と
ちょっと異なる案件になるので
軽めの見学です↓




間取り図を見ると、さすがは仮寓、
かなり大きな佇まいであることが判ります↓



各部屋は、ステキな和風建築です↓






ご結婚時の写真や、ここで過ごされた
スナップ写真などが展示されています↓




落ち着いた雰囲気の庭園に癒され
10分くらい部屋から眺めてました↓



館内常備のサンダルを履き
庭園に出ます↓



今度は仮寓の外観を
軽く見ていきます↓







庭園を歩き、裏手にまわります↓



仮寓から少し離れたところに
書斎があります↓



さらに奥へ進んだところに
今回のお目当てである防空壕が
残っています↓



防空壕はコンクリート製で、側面に
小さな窓が設けられています↓



背面に通風口と考えられる
小さな管が突き出ていました↓



原則、内部への立ち入りは禁止ですが
窓から内部の様子が判り、
2畳ほどの小さな部屋になっていました↓



時期が悪く、蚊の襲来がすごかったので
防空壕の見学は手短にすませ、
最後に記帳させていただきました↓



約1時間ほど滞在した後は
小仲台方面に進んでいき
高射学校跡に転進しました↓



【収録遺構】
 愛新覚羅溥傑仮寓
 防空壕

  地下施設 1箇所

【探訪情報】
 2020.09.13 第1回探訪

【市ホームページ】
 千葉市公式ホームページ
 千葉市観光ガイド


それでは、またお会いいたしましょうっ★



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