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戦争遺跡のご紹介やホームページの制作状況などを綴っていきます♪

総軍BLOGへようこそっ!

♦ プロフィール

祐実総軍三等兵

Author:祐実総軍三等兵
全国に残る戦争遺跡を探訪し
記録することを趣味とする
祐実総軍三等兵ですっ★

稚拙な内容ではございますが
これまでに関係者の皆様方と
見てきた戦争遺跡を中心に、
ブログ・ホームページなどで
順次ご紹介をしていきます♪

よろしくお願いしますっ★

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皆様、いかがお過ごしでしょうか。


昨日・一昨日と日光・鬼怒川へ
温泉旅行に行き癒されましたが
今日の大好きな出勤で
全てが水の泡ですね。


そういう楽しみの蓄積が
たった1日の仕事で
おじゃんになるなんて
私にとっては害悪でしか
ないですな。


軍跡探訪と生活のために
渋々やっているだけであって
仕事でスキルアップしたいなどと
1ミクロンも思わないです(笑)


さて、今回は真己軍團「軍報」の
第76弾の続編といたしまして
鶴原山堡塁砲台の
砲座まわりの遺構群を
簡単にご紹介させてください↓



なお、これは「後続記事」ですので
よろしければ「本記事」も
ご覧くださいませ↓

 (76)鶴原山堡塁砲台
 (76_続編1)鶴原山堡塁砲台



前回の記事に引き続きまして
妖怪酒隠し先生と見ていきます↓



まず、最初に見えてくるのが
左翼観測所に続く煉瓦です↓



そのまま進んでいくと
観測所でよく見る窪みが
登場します↓



さらに進むと左翼観測所です↓



その脇に立台が残ります↓



砲座方向に進んでいくと
観測所掩蔽部がありますが
草木に埋もれてガレているので
中には入りませんでした↓



さらに進んでいくと
1つ目の砲座が見えてきます↓



砲座は土を掘り込んだだけの
構造のようですが、草木に
埋もれており判りづらく
かろうじて砲座から胸墻に続く
階段がはっきりと判る程度です↓



砲座に隣接して、砲側弾薬庫が
残存しています↓



入口付近は草木と土砂に埋もれ
接近しづらいですが、内部の状態は
比較的良好のようです↓



残念ながら、入口部分の壁は
ぶち壊されています↓



同じ状況が続くので割愛しますが
隣接して砲座―砲側弾薬庫の順に
5セット続きます↓











一番奥に右翼観測所の
掩蔽部が残ります↓



道がなくなっていますが
斜面を上り左に曲がると…↓



埋もれていますが、
右翼観測所が残ります↓



隣接して立台が残りますが
こちらの方が観測所よりも
状態がいいです↓



この後は、6連掩蔽部に向け
進んでいきましたが、
時間の関係で次回の記事に
させていただきます↓



【収録遺構】
 陸軍広島湾要塞
 鶴原山堡塁砲台

  砲座 2箇所
  観測所 1箇所
  地下施設 2箇所
  その他 2箇所

  砲座 6箇所 (今回追加)
  観測所 2箇所(今回追加)
  地下施設 7箇所 (今回追加)
  その他 3箇所 (今回追加)

【探訪情報】
 2021.01.22 第1回探訪

 歩数(指数) 未計測(100)


後ほどホームページ内でも
ご紹介させていただきますねっ♪


それでは、またお会いしましょうっ★



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皆様、いかがお過ごしでしょうか。


今日の東京都のコロナ陽性者は
729人だそうで。


都知事も「通勤を含めて
東京に来るな」と呼びかけを
しているようですが、
どうして個人に言うんですかねぇ。


誰も好きで通勤なんか
してないんだから、それを強要する
企業に訴えていけばいい話だと
思うんですがねぇ。


それをしない限り、余暇の自粛を
お願いされたって、もう誰も
聞かないと思いますぜ。


もっとも、政治評論家ではないので
どうすればマシになるかを
考えるつもりはありませんが。


さて、今回は那瑠絵軍団「軍報」の
第34弾といたしまして、
長崎県佐世保市に掘削された
宮村国民学校の防空壕(無窮洞)を
ご紹介します↓




宮村国民学校は、1941年(昭和16)に
施行した国民学校令により、
1874年(明治7)に創立した
宮小学校からの変遷・改称で
開校しました。

1943年(昭和18)に入ると
空襲に備えるため、職員と
児童の手で防空壕が
掘削されましたが、
完成することなく終戦となりました。

現在、防空壕は日本遺産に
指定されており、整備のために
一部が封鎖されていますが
一般公開されており、簡単に
見学が可能です。



海軍イキイキのK先生
わがままを言いまして
佐世保市内から南風崎町に
バスで移動しました↓



宮支所前のバス停から
3分ほどで無窮洞に到着です↓



着いた時に初めて知りましたが
無窮洞は日本遺産になっています↓



私と同じ埼玉在住だった
解説員の方から、学校の概要と
壕内を説明いただきました↓




さっそく、入口である敢闘門から
入っていきます↓



内部は想像よりも大きく
造りもよくて驚きました↓



掘削に使用した当時の道具も
展示されています↓



敢闘門から入った最奥に
教壇が設けられていますが、
素人が掘ったとは思えないほど
とても丁寧な造りです↓



教壇を正面に見て右側に
坑道が分岐しているので
進んでいきます↓



さらに坑道が分岐しており
左に曲がると書類室と
食糧庫があります↓




書類室・食糧庫を抜けると
炊事場に到達します↓



炊事場まわりを構築途中に
終戦を迎えたとのことですが
途中とは思えないほど
とても見事なかまどです↓



かまどの横に、上部へ抜ける
避難用の階段がありますが
閉鎖されており行けませんでした↓



時間がなくて確認しませんでしたが
案内板に上部の出口の様子が
掲示されています↓




書類室・食糧庫・炊事場と
周回出来る構造となっており、
元の教壇からの坑道に出たので
今度は左に曲がります↓



とても丁寧に造られており
見事な坑道です↓



突きあたりを左に曲がると
トイレがあったようですが、
残念ながらコンクリートで
封鎖されています…↓



右に曲がると、すぐ左側が
嘗胆門になります↓



残念ながら、嘗胆門は
金網で封鎖されており
ここから外には出られません↓



さらに進んでいくと
最初に入った敢闘門に続く
坑道にぶつかり、これで
ひと通り見学出来ました↓



外に出ると雨が降ってました(笑)↓



周辺は、のどかな風景が
ひろがっています↓



バスに乗り、佐世保の中心街へ
退却します↓



【収録遺構】
 宮村国民学校
 地下教室(無窮洞)

  地下壕 1箇所

【探訪情報】
 2021.03.20  第1回探訪

 歩数(指数) 未計測(100)


それでは、またお会いしましょうっ★



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皆様、いかがお過ごしでしょうか。


先週の金曜日から舞鶴に
出かけていたので、ブログの更新が
開いてしまいました…


ここのところ、遠征ばかりで
我が総軍大元帥のご機嫌も
イマイチになりそうですので
今週は温泉旅行に行きます。


来週は、広島県にお邪魔予定ですが
今シーズン最後の本格探訪に
なるかもしれないので、
思い残しのないようにしなければ(笑)


さて、今回は美恵軍団「軍報」の
第97弾といたしまして、
静岡県賀茂郡南伊豆町におかれた
湊海軍病院の遺構群を
簡単にご紹介させてください↓




湊海軍病院は、海軍の軍人や
軍属のための医療機関で
1923年(大正12)に開院しました。

ここには、温泉を利用した治療と
療養のための病棟と付属施設などが
設置され、終戦まで存続しました。

戦後、敷地は厚生省に移管され
国立病院となりましたが、
2012年(平成22)に下田市内へ移転し
現在は閉鎖されており、
敷地内に遺構がいくつか残っています。



約13年前に一度、関係者の皆様と
お邪魔したのですが、写真を
全消失してしまったので、
静岡イキイキの空母先生
再訪させていただきました↓



敷地の北寄りに消火栓が
現存しています↓



残念ながら、病院の移転により
壊されてしまうかもしれないだけに
空母先生も熱心に撮影です↓



お供のサブ郎さんも
熱心に見学しています(笑)↓



少し進むと、1932年(昭和7)に
建設された病棟が残ります↓



関係者の皆様方と探訪した時は
まだ倉庫として機能していたので
状態がよかったです↓

slycrow先生からの提供写真です。


現在は放置されているので
屋根の一部が損傷し、
窓ガラスも割れていたりして
ちょっと残念な状態です↓



蔦が建物にからまって
とてもいい雰囲気です↓



西側からのアングルは
13年前と変わらないです↓

slycrow先生からの提供写真です。


窓越しに、内部の様子も
写真に収めたかったのですが
早くも苦手なケムシが出てきており
1部屋だけ撮って断念しました↓



病棟に隣接して、倉庫と焼却炉が
残っています↓




こちらの木造建物は
戦後のようです↓



隣接して消火栓が残ります↓



サブ郎さんは消火栓に
興味深々のようです(笑)↓



消火栓は、この他にも
官舎寄りに2つありましたが
なくなったようです…


敷地の東側をはしる道路沿いに
境界柵が長い区間残ります↓



時間が圧しているので
次の案件に向かいます↓



【収録遺構】
 湊海軍病院

  建物 2棟
  その他 4箇所

【探訪情報】
 2008.01.05  第1回探訪
 2021.04.03  第2回探訪

 歩数(指数) 未計測(100)


それでは、またお会いしましょうっ★



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皆様、いかがお過ごしでしょうか。


関東よりも3週間早く緊急事態宣言を
解除した大阪で、特に感染者が
激増しているようですね。


我が社は変化に気が付いたようで
出社率を下げるようですが、
3週間後はこちらも同じようなことが
起こり得るというのに、これまで通り
出社させている企業も多いようで
何なんでしょうかね。


余暇を自粛・制限させるわりには
出社は無制限で、オリンピックも
きっちりやりますとかおかしいよなぁ。


そんなことのためだけに
生きているわけではないのに…


さて、このままいくと愚痴が
エスカレートしてしまうので、
今回は祐実軍團「軍報」の
第206弾の続編といたしまして
週末に限り、ガイドなしで見学が
可能になった走水低砲台を
見学してきたので
ご紹介させていただきます↓



なお、これは「後続記事」ですので
よろしければ「本記事」も
ご覧くださいませ↓

 (206)陸軍東京湾要塞走水低砲台



我が総軍大元帥と一緒に
旗山崎公園にお邪魔しています↓



いつの間にか、入口に
見事な案内板が設けられています↓



これも気が付きませんでしたが
入口付近に階段が残ってました↓



さっそく、中に入り
一番左側の砲座から
見学していきます↓



次の砲座との中間に
砲側弾薬庫がありますが
こちらは塞がれており
見学は出来ないようです↓



2つ目の砲座も至近距離で
見学することが出来ます↓



2つ目と3つ目の砲座の中間に
掩蔽部が設けられており、
こちらは中に入れました↓



掩蔽部の内部をきちんと
見学出来ていなかったので
とてもいい機会となりました↓




掩蔽部に隣接して
3つ目の砲座があります↓



4つ目の砲座との中間にも
砲側弾薬庫がありますが、
こちらは開放されており
内部に入ることが出来ます↓



内部は整備されており、
弾薬庫・通路の全てを
見ることが出来ます↓




フランス積みであることも
はっきりと判ります↓



揚弾口の上部の見学は
ガイド付きが条件のようですが
砲側庫に繋がる下部は
見ることが出来ます↓



以前の写真ですが
揚弾口上部には滑車跡が
残されています↓



各砲側弾薬庫の真上に
砲台長の立台と揚弾口があり
引き続き、ガイドがいないと
至近で見学出来ないようです↓



砲側弾薬庫に隣接して
4つ目の砲座が展開しており
間近で見ることが出来ます↓



総軍大元帥の従者も
熱心に見学していました(笑)↓



胸墻からの眺めもいいです↓



4つの砲座群の前面におかれた
9センチ速射カノン砲の砲座も
4つ全てを見ることが出来ます↓






週末に限り、砲台の非公開部分を
一般開放する取り組みは
米が浜砲台でも行われており、
こちらも是非行きたいと思います。


それでは、退却します↓



【収録遺構】
 陸軍東京湾要塞走水低砲台
 (陸軍東京湾要塞走水第一砲台,
  陸軍重砲兵学校走水演習砲台)

   砲座 8箇所
   観測所 1箇所
   地下施設 3箇所
   建物基礎 1箇所
   軍用地境界標 1本
   その他 1箇所

【探訪情報】
 2006.04.01  第1回探訪
 2007.01.02  第2回探訪
 2014.06.01  第3回探訪
 2014.12.28  第4回探訪
 2016.05.04  第5回探訪
 2021.03.27  第6回探訪

 歩数(指数) 未計測(400)


それでは、またお会いしましょうっ★



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残念ながら、探訪シーズンも
終わりに近付いていますので、
最後のひと踏ん張りで
今月も週末の新幹線利用の
パーフェクトを目指して
頑張っていく所存ですっ。


おかげさまで、JR東海さんには
今シーズンも、ものすごいお金を
投じることが出来ております(笑)


さて、今回は静岡県下田市に
おかれていた和歌浦基地の
地下壕群をご紹介します↓




第一特攻戦隊は、太平洋戦争の
戦局が劣勢となったことにともない、
来たる本土決戦に備えて編成された
特別攻撃隊で、上陸のため接近する
敵艦船に対し震洋や海龍・蛟龍・
回天などの兵器を配備して
攻撃を行うため房総半島や三浦半島・
静岡県の東部を主として特攻基地が
配置されました。

そのなかで和歌浦基地は
第一特攻戦隊の傘下におかれた
第五十七震洋隊が配備につき、
多くの施設が構築途中としながらも
震洋が実際に配備されたようです。

現在、跡地は下田海中水族館などに
変遷しており、震洋の格納庫が
いくつか残っています。



静岡イキイキの空母先生
とのたま先生と一緒に
下田海中水族館周辺に
お邪魔しております↓



資料では戦闘指揮所がある
山を通り、いったん西の海岸に
進んでいきます↓



ハードに藪漕ぎしたものの
遺構を見付けられず、
西の海岸に到達しました…↓



海岸沿いの水路に
我が総軍大元帥のお友達が
たくさんいらっしゃいました(笑)↓



海岸線沿いを歩いて南下し
敷地の南側にあたる赤根島の
格納壕群を目指しましたが、
アザラシ館の建設などで
消失しているようです…↓



ここから、北上するようにして
水族館の入口方向へ進み
トンネルをくぐります↓



トンネルを抜けたあたりの左側に
震洋の格納壕が3つ残っています↓
0000 (9)


1つ目の壕は、入ってすぐに
少し左側に曲がっていました↓



その先に分岐はなく、
約25メートルほど続いて
行き止まっています↓



続いて、2つ目の格納壕です↓



2つ目の壕も分岐はなく
直線で約30メートルほどの
坑道延長です↓



入口付近は投棄されたゴミが
多いですが、崩落は少なく
造りはとてもいいです↓



3つ目の壕は入口から
ドラム缶が大量に入れられており
中に入りませんでしたが
1つ目・2つ目と同じ規模のようです↓



さらに進んでいくと、今度は
水族館建物の裏手に…↓



3ヶ所ほど震洋の格納壕を
確認しましたが、どうやら
掘削途中のようで、
いずれも数メートルで
終わっていました↓





水族館の東側に進むと…↓



震洋の格納壕群が
3つ残っていますが、
道路に面しているためか
封鎖されているものが多いです↓





このうち、1本の内部に
入りましたが、約40メートルほどの
単独壕でした↓



この後は、下田公園の東側を
まわり込むように道路を進み
次の案件に向かいました↓



【収録遺構】
 横須賀海軍鎮守府
 第一特攻戦隊
 和歌浦基地

  地下壕 3区画

【探訪情報】
 2015.01.11  第1回探訪
 2021.04.04  第2回探訪

 歩数(指数) 未計測(100)


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