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戦争遺跡のご紹介やホームページの制作状況などを綴っていきます♪

総軍BLOGへようこそっ!

♦ プロフィール

祐実総軍三等兵

Author:祐実総軍三等兵
全国に残る戦争遺跡を探訪し
記録することを趣味とする
祐実総軍三等兵ですっ★

稚拙な内容ではございますが
これまでに関係者の皆様方と
見てきた戦争遺跡を中心に、
ブログ・ホームページなどで
順次ご紹介をしていきます♪

よろしくお願いしますっ★

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皆様、いかがお過ごしでしょうか。


残念ながら、大好きな仕事の
おかげ様をもちましてね、
クソったれな平日です。


さてさて、本日は月末日ですので
今回は「鉄道」ネタでブログを
更新させていただきます。


三等兵の裁量で恐縮です。
本日は京王3000系について
想いを記載させてください m(_ _)m



京王3000系電車
(※wikipediaを抜粋・編集)↓

京王3000系は、井の頭線用の
通勤形電車である。1962年(昭和37)から
1991年(平成3)にかけて東急車輛製造で
製造され、2011年(平成23)まで
運用された。

京王で初めてオールステンレス車体を
採用した。1996年(平成8)から
2011年12月にかけて全車廃車され、
その一部は各地方私鉄に譲渡された。

井の頭線の輸送力増強および、
それまで同線で使用されていた
緑色車体の鋼製車(グリーン車)の
代替を目的に製造された。

1963年(昭和38)に鉄道友の会
ローレル賞を受賞した。

最大で5両編成29本(145両)が
富士見ヶ丘検車区に在籍していたが、
1996年(平成8年)以降、1000系の
導入で廃車が進み、
2004年(平成16)11月に
未更新車が全廃。

以後はリニューアル工事を行った
5両編成14本(70両)が在籍していたが
京王電鉄は全車両を
VVVFインバータ制御車両に
統一する方針であり、本系列は
導入予定のATCに対応させないことから
2008年(平成20)から2009年(平成21)に
かけて追増備された1000系に
置き換えられ、2011年12月をもって
運転を終了し、全廃された。

京王初のオールステンレス車両。
日本初のオールステンレス車両である
東京急行電鉄の初代7000系や、
本系列とほぼ同時期に就役した
南海電気鉄道の6000系と同様、
東急車輛がアメリカのバッド社から
導入した技術を用いて製造されている。

一部の車両の車内には、
同社からのライセンス技術により
製造された旨の銘板が
取り付けられていた。

京王の営業用車両では最後まで
運転台のマスコンハンドルと
ブレーキハンドルが個別に設置され
電磁直通制動を装備する18.5m車体の
片側3扉車両であった。

乗務員室の内装は緑色である。

2003年(平成15)頃より1000系と
同等の電子警笛が追設された。

営業最高速度は90km/h
(かつては80km/h)であるが、
速度計は140km/h表示で、
ATS照査速度表示スペースはない。

乗務員室と客室の仕切り窓は
3か所であり、中央が乗務員室の
仕切り扉である。

前面形状は、窓周りを傾斜させた
2枚窓のいわゆる「湘南形」である。

ステンレスでは加工の難しい
複雑な形状となる前面上半部は
FRPが使用され、ステンレス製の
車体にねじ止めしている。

ステンレス車の前面にFRPを
使用するのは日本では初めての
試みであった。

このFRP部分にパステルカラーの
着色をし、編成ごとに変えて
変化を持たせたため、
レインボーカラーの電車として
人気があった。

ステンレスとプラスチックの
電車ということで「ステンプラカー」の
愛称がある。

ただし、のちに実施された
更新改造の際に、このFRP部分は
普通鋼に変更された。

更新されることなく各地方私鉄に
譲渡された初期車は、現在でも
前面がFRP製のままである。

乗務員室直後部分にも座席があり
乗務員室仕切り部分の一部にも
座席モケットが張られている。



こんな感じの車両です↓

wikipediaの写真です。


三等兵は、子供の頃から
千葉県に住んでいたこともあり、
鉄道が好きになった頃から
行きづらい場所にあたる
東京の西側をはしる電車は
乗る機会がありませんでした。


この筆頭が西武と京王帝都(当時)。
ただでさえ、池袋や新宿に
行く用事などないのに、
井の頭線の起点にあたる渋谷など
それ以上に行くことはないです。


ただ、自分のなかで
デザインと走行性能がよい
「神推し」する形式を決めるのに
京急1000形京王5000系
迷った時がありましてね、
このためだけに、わざわざ
用のない新宿から5000系を乗りに
友達と出かけたことが
数回ありまして・・・


こういう機会を狙って
東京の西側をはしる鉄道を
一気に乗るわけです(笑)


登場当初は1枚扉だった
3000系↓

wikipediaの写真です。


新宿から京王帝都(当時)に乗り
明大前で井の頭線に乗れることは
知っていましたから、
滅多にない機会を使って
3000系に乗ったものです。

っていうか、3000系しか
はしってなかったし(笑)


末期の車体更新車は
こんな感じでした・・・↓

wikipediaの写真です。


3000系ばかりで、系種だけなら
ワンパターンで面白くないですが、
前面FRPの塗装にバリエーションが
(ブルーグリーン・アイボリー・
サーモンピンク・ライトグリーン・
バイオレット・ベージュ・ライトブルー)
あったため、飽きなかったです(笑)


3000系の台車です↓
5084244672_35d2ea7bf7_z.jpg
ここより、写真を転用しております。
 (オーナー様が判らず申し訳ない)


典型的な東急車輌の台車です。
ちょっと記憶があいまいですが
エコノミカル台車(パイオニアⅢ)を
履いていた車両もあった気がします。


残念ながら、井の頭線からは
全車が引退していますが、
地方私鉄に譲渡されており
まだまだ現役で活躍している
路線もあります。


今から15年前に撮影した
上毛電気鉄道の写真が
出てきました(笑)↓



車内は京王帝都時代と
全く同じです↓



走行音はあまり覚えてませんが
高速になると国鉄113系と103系との
中間みたいな音だった気がします・・・


地方で活躍する本形式も
このまま、いつまでも
走り続けて欲しいものですねっ★


本日は大変な「脱線」と「的外れ」な
ブログ更新で申し訳ありません m(_ _)m


明日はブログの更新をお休みさせて
いただきますね m(_ _)m


それでは、またお会いいたしましょうっ♪



↑よろしければ、こちらの「応援」も
 ひとつよろしくお願いします♪

皆様、いかがお過ごしでしょうか。


三等兵は、今日から3日間を使って
盡忠報國先生と一緒に
京都市周辺の軍跡探訪に
出かけてきます。

とはいえ、今日は宿泊先までの移動で
日曜日もお昼くらいには本拠に
戻る予定でいるので、実質的な
探訪は土曜日の終日だけですが
楽しみで胸が躍っております(笑)


1つでも多くの軍跡が記録出来るように
頑張りたいと思いますっ★


さてさて、月末が近くなってきたので
本日は「鉄道」ネタでブログを
更新させていただきます。


今回は南海電鉄6000系ですっ★




南海6000系電車
(※wikipediaを抜粋・編集)↓

高野線の難波~橋本間で
使用される20m4扉・
オールステンレス車体の
通勤形電車である。

高野線では「大運転」と称する
平坦区間と山岳区間の直通運転に
対応した15m2扉車体の561形・
1251形、17m2扉車体の21001系・
21201系が使用されていたが、
1960年代から平坦区間では
沿線の住宅開発が進み
通勤客が急増し、これらの車両では
輸送力不足となっていた。

このため、高野線の平坦区間である
難波~三日市町間に南海本線と
同様の山岳区間に対応しない
20m4扉車体の通勤形電車を投入し
輸送力を向上させることになった。

製造初年は1962年。
同年12月25日から営業運転を
開始し1969年までに72両が
製造された。

南海の4ドア通勤車としては
初の高性能車である。
東急車輛製造がアメリカ・バッド社の
ライセンス供与を受け、日本で初めて
開発したオールステンレス車体を
採用した。東急車輛製の
オールステンレス車としては
同じ1962年に、その嚆矢となる
東京急行電鉄7000系電車、
続いて京王帝都電鉄3000系が
登場しているが、この2系列は
18m級3ドア車であったのに対し、
同年12月に登場した本系列は
初めての20m級車体となった。

側扉は片開き式で、2017年5月現在の
高野線所属車では唯一の存在である。
南海本線に導入された7000系は、
本系列の普通鋼製車体バージョンである。

ステンレス車体は事故などで損傷した際の
修繕が難しかったため、6000系以後も
踏切の比較的少ない高野線は
ステンレス車、南海本線は鋼製車という
パターンが9000系の投入まで続いた。

起動加速度はM・T同数編成で
2.5km/h/s、2M1T編成で
3.4km/h/sである。

主電動機は三菱電機製
MB-3072-A(後にB)で、
出力は600V時115kW/1600rpm、
1500V時145kW/2000rpm、
1962年当時の狭軌電車用電動機としては
最強クラスのモーターである。

1500V時の定格速度は60km/hで、
通勤車としては高いうえに
弱界磁制御を30%まで行う。

駆動装置はWNドライブで
ブレーキ方式は発電ブレーキ併用
電磁直通空気ブレーキ (HSC-D)。

車両構造上、同期登場の7000系は
普通鋼製だったことが災いし、
塩害による車体へのダメージが
酷いことから、2015年10月までに
すべて廃車となっているのに対し、
オールステンレス車体の6000系は
2018年3月現在も全車が在籍している。

車齢50年を越えて現役を続ける例は
鉄道車両では少なくないものの、
同世代の車両の多くが廃車・譲渡・
転属される中で、大手私鉄の車両で
1両の廃車も転属もなく、
50年以上もの間同一線区を
動かなかった例は非常に珍しい。



こんな感じの車両です↓



前にもお話ししましたが、
三等兵は、2枚扉の標準寸法(120cm)と
同じ規格の1枚扉を採用している
形式が大好きでして(笑)


この形式は、昔から遠目では何度も
見たことがあったのですが、
乗車する機会に恵まれたのは
ごくごく最近のことです。


優等運用につく6000系↓

wikipediaの写真です。


先日、天見防空監視哨を見に行くのに
なんば駅から区間急行に乗車した際、
出迎えてくれたのが6000系でした。
しかも、トップナンバー(笑)


でも、オールステンレス車体なので
劣化した感は全くなく、
車齢が50年近くだとは思えないほど
状態はよかったですっ!


6000系の車内↓
Nankai_6000_series_01.jpg
wikipediaの写真です。


1枚扉でつり革が長いです(笑)
座席端にスタンションポールが
設けられてないところも
昭和テイストで素敵ですねっ!


なんば駅に停車中の6000系↓



走行音は、典型的なWN駆動で
高速走行につれて甲高い音を
出していきますが、低・中速は
静かです。


車体違いで同スペックの7000系
残念ながら全廃していますが、
6000系は1両の廃車もなく全車が
健在なんだとかっ!


このまま、いつまでも
走り続けて欲しいものです。


本日は大変な「脱線」と「的外れ」な
ブログ更新で申し訳ありません m(_ _)m


明日はブログの更新をお休みさせて
いただきますね m(_ _)m


それでは、またお会いいたしましょうっ♪



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皆様、いかがお過ごしでしょうか。


5月もあっという間に終わりですね。
大したことをしていないのに
残念です・・・


さてさて、本日は月末日ですので
「鉄道」ネタでブログを
更新させていただきます。


今回は大阪市交通局60系について
wiki写真の転載で想いを綴ります(笑)



大阪市交通局60系電車
(wikipediaを抜粋・編集)↓

大阪市交通局60系電車は、
大阪市交通局に在籍していた
地下鉄用通勤形電車である。

1970年(昭和45)に鉄道友の会の
ローレル賞受賞。

1969年(昭和44)、堺筋線の
開業および阪急電鉄京都線・
千里線との相互直通運転開始、
そして翌年春に迫った
日本万国博覧会にあわせて、
川崎重工業・日本車輌製造・
汽車製造・日立製作所の4社で
5両編成18本90両が一度に
製造された。

車体はアルミ合金製である。
基本構造・電装機器類は
30系アルミ車と共通するものが
多く、屋根はモニター屋根であった。

天井近くまで高さのある窓ガラスと
その内側に行先表示器や
尾灯を納めた、当時としては
非常に斬新な前面デザインであり
後年の小田急9000形電車などにも
多大な影響を与えた。

製造当初は阪急線内における
踏切用警戒色として、前面腰部の
アルマイト板を赤く着色して
いたことから「頬紅電車」と
呼ばれていたが、ラインカラーの
制定により茶色に変更され、
1978年11月までに前面の
カラー変更が完了、側面にも
1979年7月までに交通局の
シンボルマーク入りの茶帯が
入るようになった。

ただし、先頭車を中間車化したものは
前面腰部の着色部は変更されず、
保守されずに褪色していたが
頬紅色のままであった。

また、前面窓下には乗り入れ先の
阪急の車両に準じて行先表示板を
受ける金具が取り付けられ、
EXPO準急での運用の際に
使用されていたが、
後年撤去された。

設計最高速度は100km/hであったが、
阪急線内の運用に当たっては
無改造で110km/hで運用されていた。
(三等兵注釈:これは知らなかった・・・)

架線集電である特性を生かして、
補助電源に当時最新鋭の
静止形インバータ(SIV)を採用し、
保守点検の簡易化を図っている。

また、大阪市営地下鉄では初めて
床下に暖房装置を搭載した。

地上線での高速走行時の
乗り心地を確保するために、
台車に住友S型ミンデン式の
FS-373(T台車:FS-073)を
採用するなど、当時の
大阪市営地下鉄では
「初物づくし」の車両であった。



こんな感じの車両です↓

wikipediaの写真です。


短い期間ではありましたが
20代の頃に、大阪の現場に
赴任しておりました。

職場は森ノ宮・住まいが清荒神(宝塚)で
仲がよかった現場の同僚が
塩屋(神戸)・関目・北千里(吹田)に
それぞれ住んでいました。

今もそうですが、散々働かされた割に
大した給料ももらえないので、
この時はギャンブルやお酒にはしり
職場のみんなが荒んでました・・・

当然ながらギャンブルも常勝出来る
運などなく、負けがこんじゃうと
せっかくの休みも、何もすることが
なくなっちゃいます。

特に私は関東から出張ってたので
大阪界隈で友達などいるわけもなく、
職場で仲良くなったこの3人は
私の心の拠り所でもありました。

でも、お金がなくなっちゃうと
繁華街に行けなくなっちゃうので、
そういう時は私を含めた4人の家に
もちまわりで押しかけて酒盛りや
マージャンをするわけです(笑)


話が長くなりましたが、
北千里に住む同僚の家に
遊びに行く時、清荒神から
十三に出て淡路で乗り換えて
千里線に乗るわけですが
その時によく見かけた車両が
この60系だったわけです。


車庫で一息つく60系↓

wikipediaの写真です。


私が関東に戻った数年後に
全廃されてしまったようですが
正面のデザインがものすごく
お気に入りでした(笑)


ちょっと、走行音は記憶が薄いですが
WN駆動で、都営6000形のような
出だしに似た音を出した気がします。


当方は知らなかったのですが
森之宮車両管理事務所に
1両だけ保存されているそうです↓

wikipediaの写真です。


機会があれば、是非とも
再会したいと思いますが、
残念ながら、現在は鉄道よりも
戦跡の記録に専念しているので
まだ先になりそうです・・・


本日は大変な「脱線」と「的外れ」な
ブログ更新で申し訳ありません m(_ _)m


明日は月初めとなりますので
恒例の「ホームページ」関係での
ブログ更新とさせてくださいませ。


それでは、また明日っ!



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皆様、ゴールデンウィークを
いかがお過ごしでしょうか。


残念ながら、当方は明日・明後日の
休暇取得に失敗してしまい、
9連休にはなりませんでしたが、
2日間頑張れば4連休ですので
何とか精神を持ちこたえたいと
思っているところです。


さてさて、本日は「鉄道」ネタで
ブログを更新させていただきます。


今回は、だんだんと数を減らしている
東武8000系でございます↓




東武8000系電車(wikipediaを抜粋・編集)↓

東武8000系電車は、東武鉄道の
通勤形電車である。

1963年(昭和38)11月1日から導入され
1983年(昭和58)まで、約20年もの
長期にわたって、日本国有鉄道および
JRグループ各社を除いた私鉄電車では
最多両数となる712両が製造された。

全長20メートル・両開き4扉の普通鋼製で、
経済性への重視により徹底的な軽量化が
図られた。軽量化と車体強度を
両立させるため、1963年頃の
首都圏の電車としては比較的珍しく、
戸袋窓が設けられていない。

前面はそれ以前の東武の通勤形電車と
同じく貫通式である。窓下の2灯式前照灯や
額部の行先表示器は、8000系に先んじて
1961年(昭和36)より新製された
2000系の影響が強い。また、種別幕は
当初3列の分割幕になっており、
列車番号を表示していたが、
後に種別表示専用の1枚幕方式に
改造された。当時、大手私鉄の幹線車両の
ほとんどに装備されていた通過標識灯は、
車体に埋め込まれているのでなく、
屋根上に飛び出して設置されるという
非常に珍しい形態だった。しかし、
その後、伊勢崎・日光線の快速以上を除き
通過標識灯点灯が廃止されたため、
撤去して埋め込まれた。

走行機器は、滑らかな加速が得られる
超多段式のバーニア抵抗制御と、
設計当時としては強力な
130 kW主電動機を組み合わせ、
コストダウンと走行性能を両立させた。

ブレーキは車輪を締め付ける
空気制動のみの簡素な設計だが、
新開発のレジンシューの採用で
必要な制動力を確保している。

発電ブレーキの省略措置は、
高加速・高減速を必ずしも
必要としなかった当時の
東武鉄道の路線条件を考慮しての
合理的発想である。

抵抗器容量を減らし、制御装置も
簡素化することで、軽量化による
加速力向上や電力消費抑制・
主電動機負荷抑制・コストダウンを
目指した。

また、4両編成と2両編成で
主電動機や制御装置の仕様を
変えるという手の込んだ策を採り、
編成長にかかわらず、常に編成内の
電動車と付随車の比率(MT比)が
経済的な1:1構成になるように
設計されている。6両固定編成は、
4両編成1組と2両編成1組を
セットにしたのと同じ機器配置と
なっている。

本系列は、登場から40年以上の
長きに亘って廃車が発生しなかったが、
2004年(平成16)12月に
41年目にして初の廃車が発生した。
その後は50000系列の増備、
および本線系統ではそれに伴う
30000系の地上転用などから
編成単位での廃車が進んでおり、
特に2010年(平成22)には、4月1日時点で
558両が在籍していたが、上半期に
6R車3本18両・4R車4本16両・
2R車8本16両の計50両が廃車され、
半年後の10月1日時点での在籍両数は
508両となった。これに加えて、
2010年末までに東上線用8R車1本が
さらに廃車されている。

その後も廃車は進んでおり、
8000系列は長らく守ってきた
在籍両数最大系列の座を
10000系列に明け渡し、
2015年11月末現在の在籍車両数は
264両となった。



長々とwikiをコピペ・編集してしまい
申し訳ないです m(_ _)m
こんな感じの車両です↓



この形式は「私鉄の103系」の別名が
あるくらいに大量製造されたので、
私が子供の頃から社会人になるまで
伊勢崎線や日光線・東上線などなど、
色々な線区で必ず目にしましたね・・・

逆に、どの線区に行っても
この形式しかやってこないので
飽きるというか何というか・・・(笑)


車体更新前の8000系↓

wikipediaの写真です。


主電動機の出力は130kWで
比較的大きいのですが、
経済性を重視しているため
2両・4両・6両・8両・10両の
全ての組み合わせで
終始MT比が1:1となるため
加速力は低いですね・・・


東上線の優等運用につく8000系↓

wikipediaの写真です。


MT比が常に1:1になるうえに
発電制動をもっていないので
「どれだけケチなんだっ!」と
昔は個人的に酷評していましたが
103系と同様に身近で見られなく
なってくると寂しい気がしています。。。


8000系の初期台車です↓

wikipediaの写真です。


スイングハンガー式で
揺れ枕が空気ばねという
私が最も好む構造ですっ★


8000系の後期台車です↓

wikipediaの写真です。


片ミンデン台車です。。。
個人的にガタガタ揺れる感覚があり
あまり好みではないですね・・・


そうは言っても、今はどんどん
直流電動機・抵抗制御車が
淘汰されていく時代です。

時代に逆らって、いつまでも
頑張って欲しいものですっ!


本日は大変な「脱線」と「的外れ」な
ブログ更新で申し訳ありません m(_ _)m

明日は月初めとなりますので
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今日の関東地方は北風が強く
寒かったような気がしています。

今回は正午の定例処理の確認が
なかったので、お昼はビル外の
飲食店にしようと思ったのですが
ビル風が強く、寒くてやめました(笑)

寒がり野郎なもんで(汗)


さてさて、本日は「鉄道」ネタで
ブログを更新させていただきます。

今回は、かつて都営三田線で
活躍していた6000形でございます。



東京都交通局6000形電車(wikipediaを抜粋)↓

東京都交通局6000形電車は、
東京都交通局にかつて在籍していた
三田線用の通勤形電車である。

日本の鉄道車両で初めて
補助電源装置に静止形インバータ (SIV) を
採用した。車体構造は外板に
ステンレス鋼を用い、骨組みは普通鋼を
用いるセミステンレス車両である。

内装も関東の鉄道では初めて
木目調の化粧板が採用された。

20m4扉車体、制御装置は超多段制御、
主電動機出力100kWといった点に
帝都高速度交通営団5000系との
類似性が伺える。

1968年(昭和43)12月27日の
志村駅(現・高島平駅) - 巣鴨駅間開業と
同時に運用を開始した。

当時は、東武鉄道東上線と
東京急行電鉄との相互乗り入れを
予定していたため、東武・東急とともに
制定した「6号線直通車両規格」
(現在は事実上消滅)に基づき、
各車の全長を20mとし、暫定開業のため
4両編成で配備された。

1969年(昭和44)に鉄道友の会
「ローレル賞」を受賞した。

1972年(昭和47)の6月30日の
巣鴨駅 - 日比谷駅間の開業時より
6両編成となった。なお、設計時は
8両編成を想定していた(3・4号車が
欠車)。

東武鉄道と相互乗り入れを
行う予定であったため、運転台は
東武の通勤形電車(8000系)と
同様に地上線での万一の衝突事故を
考慮した高運転台構造とし、
警笛も東武と同様に両先頭車で
音が若干違うものを採用した。

長年にわたって三田線の
専用車両として運用されてきたが、
1993年(平成5年)6月22日より
後継車両の6300形を導入し、
非冷房だった初期車の置き換えが
開始された。

当初は、過去に三田線との
乗り入れ計画があった東急池上線や
東急多摩川線が実施している
ホームセンサー方式での
ワンマン運転を構想していたこともあり
6300形の投入で初期車を
置き換える一方、6000形のうち
車齢の若いものは改造して
継続使用することも検討されており
1995年(平成7)にはいったん
置き換えが中断された。

ところが、1990年(平成2)6月に
「相互直通運転における
東急目黒線・南北線・三田線・
埼玉高速鉄道線との
車両申し合わせ事項」に基づく
ホームゲート方式のワンマン方式に
決定された後、そのホームゲートの
位置および、これによる乗務員の
安全確認上の問題や、ATOの精度の
問題に加え、それに対応するための
改造費が6300形の導入費用に
匹敵することが判明した結果、
6300形への全面置き換えが決定。

1999年(平成11)に置き換えが再開され
同年12月3日のATC/SR化と、
翌2000年(平成12)9月26日からの
営団地下鉄(現・東京地下鉄)南北線・
東急目黒線との相互乗り入れの
開始に先立ち、1999年11月28日の
さよなら運転を以て6000形は三田線での
運用を終了した。



長々とwikiを「コピペ」してしまって
申し訳ないです m(_ _)m
こんな感じの車両です↓

wikipediaの写真です。


この車両は、昭和50年代後半に
よく乗りました(笑)

当方が小学校低学年の頃に
なりますが、おふくろの
高校生時代の友人が
高島平に住んでいましてね、
家に遊びに行く時は、
必ず大手町で乗り換えて
三田線を利用しました。

どこの線区もそうですが、
地下鉄は他の私鉄と違って
車両形式のバラエティーに
富んでいませんから、
三田線というと必ず6000形に
遭遇するわけです(笑)

この当時は、まだ冷房が
ついていなかったはずですし、
前面に青帯がなかったです。


引退1年前の6000形↓

wikipediaの写真です。


走行音が大好きな私にとって
WN駆動というのは、当時はあまり
魅力がなかった記憶がありますが、
この6000形は出だしの
「低音」が混じった音に
かなり魅力を感じました。
(頭おかしーんで、放置でっ!)

モーター音に関心がある方は
是非、聞いてみてください↓
 都営地下鉄三田線の6000形
 ※kamepo様の動画です。


6000形の台車です↓

鉄道ホビダス台車近影から
 写真を転載しております。


昭和時代の都営の車両は
全て乗り心地のよい
円筒案内式の台車ですね。

近鉄や京急などでは、昔から
積極採用されていますよねっ♪
いつ見ても、素敵ですねっ★


残念ながら、三田線での
営業運転は既に終了していますが
現在も一部編成が譲渡車として
熊本電気鉄道や秩父鉄道・
インドネシアに渡っています。


秩父鉄道で活躍している
6000形の写真が出てきました↓




末永く活躍してもらいたいものです。


本日は大変な「脱線」と「的外れ」な
ブログ更新で申し訳ありません m(_ _)m


それでは、また明日っ!



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