【鉄道】 - 戦争遺跡調査研究軍 祐実総軍

【鉄道】(16)京浜急行電鉄800形

皆様、いかがお過ごしでしょうか。
ここのところ、関東地方は
北風が強くて寒いですね・・・

さてさて、本日は
懇意にさせていただいている
slycrow先生ブログにて
快特俊足電鉄の駅が
掲載されているので、
「鉄道」ネタでブログの更新を
させていただきます。


三等兵の裁量で恐縮です。
本日は京急800形について
想いを記載させてください★


京急(2代)800形電車(wikipediaを抜粋)↓
---------------------------------------
京急800形電車は1978年(昭和53)12月26日に
竣工、翌27日に営業運転を開始した
京浜急行電鉄の通勤形電車。

普通列車用として設計され、
1986年(昭和61)にかけて
132両が製造された。

大東急からの独立以降の
京急の伝統に則り、前照灯一灯式・
片開き扉車であるが、これらの採用は
本形式が最後となった。

そのため、2010年6月28日に
1000形が運用を離脱して以降は、
京急唯一の前照灯一灯式、
片開き扉車である。

車体は普通鋼製で、400形・500形を置換え
普通および京急川崎駅以南の急行などで
運用されることを想定して設計されたため、
地下鉄乗り入れを考慮せず、片開き4扉、
前面非常用貫通扉非設置となった。

右手操作式ワンハンドルマスコン、
全電気指令式ブレーキ、
界磁チョッパ制御、電力回生ブレーキ、
黒地方向幕を京急で初めて採用した
形式である。

右手ワンハンドルは次世代車である
2000形のほか、伊豆箱根鉄道3000系電車でも
ほぼ同じ仕様が採用されている。

開発途上では中央に運転台を
置く案も出された。形式は「2000形」と
仮称されたが、本形式が登場した
1978年(昭和53)が京急創立
80周年だったためこれを記念して
「800形」とされた。

1978年(昭和53)から1981年(昭和56)にかけて
3両編成25本が製造された後、
1982年(昭和57)から1986年(昭和61)に
うち15編成を中間車3両を新造して
6両編成化、1986年製の6両編成2本を加えた
合計132両が製造された。

東急車輛製造のデザインによる、
非貫通の運転台窓周囲に段差を付けて
その部分を白くし、各幕窓、
ヘッドライト周囲を黒く塗装した
先頭車の前面形状がそれまでの
京急車と大きくイメージを変え、
見た目の似た「ダルマ」という
ニックネームが鉄道ファンから与えられた。

前照灯は当初丸形であったが、
1979年(昭和54)製の808編成は
角型を試用、翌年の813編成以降で
本格採用され、のちに全編成が
角型に統一された。

従来のヴァーミリオンに窓下の
白帯の塗り分けから、側面の
窓周りを広幅に白く塗る
塗り分けに変更されたが、
2000形の登場後、窓周り白塗装は
「優等列車塗装」とされ、
800形は1982年(昭和57)より
一般の白帯塗装へ変更された。

その後、2000形も3ドア化に伴い
窓下白帯塗装に変更されたが、
本形式登場時の塗り分けは
600形・2100形・新1000形に
受け継がれている。

1994年(平成6)から2001年(平成13)に
かけて更新工事が行われた。

2016年10月に、800形の1編成が
登場時の塗装に変更されて
運行することが発表された。

同年11月2日に823編成が旧塗装に
変更されて出場、11月12日に
貸し切り列車として
京急ファインテック久里浜工場~品川間を
運行、翌日から一般営業運転を開始した。
前頭部には復刻記念ヘッドマーク
(ローレル賞受賞記念マークを模したもの)を
装備しての運行となった。

2017年1月から、「KEIKYU LOVE TRAIN」
キャンペーンの一環として当編成の
先頭車が「LOVE TRAIN」のラッピング、
車内のハート型のつり革を設置した
特別編成となることが発表され、
同月30日から運行を開始した。
---------------------------------------


こんな感じの車両です↓



以前はこんな塗装でした↓

※骨まで大洋フアン様のブログにて
 掲載している写真を転載してます。

うぅ、ステキですね(涙)
私にとっては、こちらの塗装が
800形を象徴するものと思ってます。

この当時の京急は
急行が泉岳寺~川崎間と
神奈川新町~新逗子間と
2分されており、本線を走る
800形は、一般的な運用として
神奈川新町~新逗子間の
急行に充当されているか
品川~浦賀間の普通に
充当されているかの
2パターンだったと思います。


人身事故などでダイヤが乱れて
「逝っとけダイヤ」が発動されると
こんな「優等運用」もありました↓

ツナおじさん様ブログにて
 掲載している写真を転載してます。

800形は1000形に比べると
速比が大きく、高速には不向きですが
電動機の出力が一回り大きいので
他の民鉄と比べても性能はいいです。
加減速も素晴らしいしっ★

阪神電車に1編成だけでも
投入してみてもらいたいものです(笑)


最後に台車です↓

wikipediaの写真です。

ペデスタル台車の典型ですね★
典型なので、特記することは
ないのですが、デザインはすごく
いいのではないでしょうか。


おまけです★↓

T32様ブログにて掲載している
 写真を転載しています。

ステキな作品ですよね~♪
これで特急運用に就いてもらって
新町~鶴見間で東海道線あたりと
「バトル」してもらいたいものです★


本日は大変な「脱線」と「的外れ」な
ブログ更新で申し訳ありません m(_ _)m


それでは、またお会いいたしましょう!


↑よかったら応援してくださいっ♪

【鉄道】(15)新京成電鉄800形

皆様、いかがお過ごしでしょうか。

何か、少しづつ日照時間が
延びてきたような気がします★
冬も、気温は低いままで
春・秋の季節と同じように
朝の5時くらいから夜の6時くらいまで
日が出ていると、実質的に
その日の探訪時間を長くとれるから
いいんですけどねっ(切実です)


さてさて、本日は
懇意にさせていただいている
slycrow先生ブログにて
当方にゆかりのある
新京成電鉄沿線の駅が
掲載されているので、
「鉄道」ネタでブログの更新を
させていただきます。

「軍報」目当てのご常連様、
失礼をお許しくださいませm(_ _)m


三等兵の裁量で恐縮です。
本日は新京成800形について
想いを記載させてください★


新京成電鉄800形電車 (wikipediaを抜粋)↓
---------------------------------------
新京成電鉄800形電車は、1971年に
登場した新京成電鉄の通勤形電車。

1971年(昭和46)から1975年(昭和50)にかけて
制御電動車 (Mc) のモハ800形801 - 818、
付随車 (T) のサハ850形および
制御車 (Tc) のクハ850形851 - 868からなる
36両が日本車輌製造で製造された。

1971年に落成した1次車は
埼玉県川口市にあった
日本車輌東京支店(蕨工場)で製造中に
工場が日本国有鉄道豊川分工場跡地への
移転に伴い閉鎖されたため、
製造途中の鋼体を愛知県名古屋市にあった
本店(熱田工場)に運んで艤装された。

翌1972年(昭和47)に落成した
2次車は本店で、3次車以降は
移転した豊川蕨工場(愛知県豊川市)で
製造された。

新京成電鉄最初の自社発注車は
1970年(昭和45)に東急車輛製造で
製造されたモハ250形および
サハ550形であるが、これらは
機器類を京成の旧型車から
流用したものであり、実質的なものは
当形式となる。

全長や前照灯の位置に違いは
あるものの、全体的に当時新京成電鉄の
主力車両であった、元京成電鉄の
旧型車に準じたデザインとなっている。

2004年(平成16)下期ごろ、
本形式は落成から30年以上経過し
老朽化が進行しているため、後継の
N800形に置き換えられることになり、
2005年(平成17年)6月に802編成が
廃車・解体された。

なお、暫定的に6両編成1本(818編成)が
2006年(平成18)12月10日から開始された
京成千葉線との直通運転に
使用される予定だったが、その後8800形の
一部編成を6両化して直通運転に
使用する計画に変更され、
800形の直通運転は中止となった。

818編成は8800形8両編成3本を
6両編成4本に組成変更した後、
2007年(平成19年)1月中旬に
廃車・解体された。

806編成・810編成についても、
2010年(平成22)7月17日に
実施されたダイヤ修正で
朝ラッシュ時の運転間隔を
現行の4分毎から4分30秒毎に
変更されたのにともない、
定期運用から離脱した。

そして翌週の7月24・25日に
「さよなら800形イベント」が開催され、
営業運転を終了した。
---------------------------------------


こんな感じの車両です↓


※ツキだっ!様のブログで掲載している
 写真を転載させていただいております。
 (上記2点の両方とも)


今から約40年前に、
三等兵と家族は新京成沿線の
マンションに引っ越してきて
(今も実家はココですね)
小学生から新京成を
ずーっと見て育ちました(笑)

当時、新京成電鉄は
既に東証2部上場の企業とはいえ
京成電鉄の「子会社」の要素が強く
車両も京成電車の「古株」が
たくさん走っており、
「魅力」がある路線とは
言い難いものだったと思っています。

その中で、「音」好きな三等兵が
一番好きだったのが
この800形です★


ちなみに、私が小学生の頃は
こんな顔と塗装でした(笑)↓

※あつし☆MORE様のブログ
 掲載している写真を転載してます。


同時期に、はしっていた京成電車の
車両とよく似ていますね~↓

※ページ99様のブログ
 掲載している写真を転載しています。


その後、前面扉の廃止と冷房化により
このような形の2種類にわかれ・・・↓


※JS3VXW様のブログ
 掲載している写真を転載しています。
 (上記2点の両方とも)


親会社の京成電鉄の車両が
このように車体更新されたことで・・・↓

※大山通信様のブログ
 掲載している写真を転載しています。


800形もこのように変化しました(笑)↓

※デハ712様のブログ
 掲載している写真を転載しています。


800形の登場当初は、個人的に
悪くないデザインかな~って
思っていましたが、日が経つにつれ
「ん?」ってなっちゃうような
顔つきに変化しちゃいました・・・(笑)

でも、この車両の「音」は
素敵でした~っ!
三菱モーターのWN駆動で
初速は営団5000西鉄2000の音を
混ぜたような感じで、
中高速は小田急9000と音階が
同じになる感じでしょうかね(笑)

よそ様のモノを使ってばかりで
恐縮ですが、800形の走行音です↓
 【走行音+静止画】新京成電鉄800形
 ※気ままに鉄道走行音様の動画です。

当方は、WN駆動の「音」のなかで
高速域へ進むにつれて「高音」から
だんだん「低音」が混じってくる
近鉄系列や西鉄系列を
特に好む「変態」ですが、
800形のように「低音」しか
聞こえなくなるのもいいですねっ!


800形の台車です↓

鉄道ホビダス台車近影から
 写真を転載しております。

住友金属のFS329台車です。
これは、親会社の京成電鉄の
車両達にも適用されてました。
うーん。。。そういう意味では
800形はオリジナリティーが
なかったのかもしれませんね。。。


本日は、大変な「脱線」と「的外れ」な
ブログ更新で申し訳ありません m(_ _)m

明日・明後日は、通常通り
「軍報」を掲載させていただきます。
是非、またお越しくださいませ。


それでは、またお会いいたしましょう★



↑よかったら応援してくださいっ♪

【鉄道】(14)京浜急行電鉄600形

皆様、いかがお過ごしでしょうか。

三等兵は、今週末に突撃する
三重県探訪の軍略を着々と
練り始めているところですっ★

今回も相当歩きますね~(笑)
距離にして2日間で約30キロですっ!

時が経つのは早いもので、
三等兵を含め、当方に関わる
ほとんどの関係者様も40代・50代に
入っていますが、我々が
一番活動していた「時代」を
思い出しながら、気合いを入れて
探訪したいと思います。
(応援してねっ★)


さてさて・・・
本日は、息抜きとして鉄道ネタで
ブログの更新をさせていただきます。
「軍報」目当てのご常連様、
失礼をお許しくださいませm(_ _)m


三等兵の裁量で恐縮です。
本日は京急600形について
想いを記載させてください★


京急(初代)700形電車 (wikipediaを抜粋)↓
---------------------------------------
京急700形電車、及び730形電車は
1956年(昭和31)に登場した
京浜急行電鉄初の高性能電車。

両形は1966年(昭和41)に
600形(2代)に編入され、
1986年(昭和61年)までに
全車廃車された。

戦後初の2扉セミクロスシート車として
製造されたデハ500形同様、
2扉セミクロスシート車とされ、
京浜急行電鉄初のカルダン駆動による
高性能電車として設計された。

全電動車方式であり、当時各社で
採用されはじめていた
全金属製準張殻構造車体を採用して
軽量化を実現、デハ500形より
5.5tほど軽量化された。

車体・台車を東急車輛製造と川崎車輌、
電装品を東洋電機製造と三菱電機が
それぞれ担当し、東洋製電装品を
搭載するデハ700形・デハ750形が各11両、
三菱電機製電装品を搭載する
デハ730形・デハ780形が各9両、
合計40両が1958年(昭和33)まで
製造された。

デハ700・730形が浦賀寄り、
デハ750・780形が品川寄りに連結され、
それぞれ700-750・730-780で搭載機器を
集約分散するMM'方式により
2両1ユニットを構成する。

電装品メーカーは異なるが
ユニット単位で相互の併結が
可能なように、各機器の仕様が
定められており、実際にも混用された。

デハ600形への改番・半数の中間車化、
冷房改造を経て快速特急など
優等列車中心に使用されたが、
2000形の登場により1984年(昭和59)から
1986年(昭和61年)にかけて
全車廃車され、6両が高松琴平電気鉄道に
譲渡された。
---------------------------------------


こんな感じの車両です↓

ここより、写真を転用しております。
 (オーナー様が判らず申し訳ない)

ううっ、素敵すぎて
涙が出そうです・・・


600形との出会いは、
今から37年前にさかのぼります。
当時、日本は「バブル期」であり
熱海へ温泉旅行に行くのは
関東人にとって、ある意味で
「ステータス」だったはずです。
私の家族も、その例に漏れず
旅行することになったのですね。
私はまだ漢字すら書けない歳です。

この時は、もう千葉県民でしたので
片田舎から上野・東京と国鉄を
乗り継いで、東京から確か
東海道線の急行電車に
乗ったはずです。
(記憶があいまいで申し訳ない)

今の「京急」バカっぷりを
知っている皆様なら
この時点で展開が予想出来ると
思っているところですが、
クソガキ「三等兵」を乗せた
東海道線の急行が鶴見川を渡り
横浜市へと入った時です。
ふと、左側の景色を見ていると
何か「赤い」電車が現れて
並走を始めたじゃありませんか~(笑)
ここは、現在でいう「バトル」で有名な
JRと京急の並走区間です。
京急でいう鶴見~横浜の区間。
この区間は国鉄の線路が内側で
右カーブしているところなんですが、
この「赤い」電車が外側から
じわりじわりと三等兵を乗せた急行が
抜かれはじめているじゃないですか!
当然ながら自分の乗る電車が
負けて欲しくないですよね~(笑)
今じゃ考えられないですが、
必死になって「国鉄」を
応援しましたよっ!

でも、結局は新子安あたりで
完全に抜き去られてしまったんです。
この時の「赤い」電車こそが
昭和時代の京浜急行電鉄を支えた
600形の快特だったのですっ シミジミ

その後、熱海で何してたんだか
記憶が全くないのですが、
これだけは今でも鮮明に
覚えています。

しかも、帰りの東海道線は
「特急」だったのですが
(踊り子じゃなかったような・・・)
これも新子安~鶴見間で
1000形の快特に「捕らえ」られ、
結局、勝負はつきませんでしたが
かなり1000形が「優勢」でしたね。
この光景もよく覚えています。

私が「京急」バカになった
決定的な出来事ではないですが
関心を持ち好きになった要素に
なったことは間違いないです(笑)


「湘南スプリンター」にふさわしい
名誉ある600形「快特」↓

※densuki7様のブログで掲載している
 写真を転載させていただいております。


600形は1956年(昭和31)に登場し、
当方が崇拝する1000形よりは
3つ年上の「先輩」でした。
そして、600形の性能や能力は
1959年(昭和34)に登場した1000形に
データ提供されています。

残念ながら、600形と1000形を
比べてしまうと、全ての性能で
比較にならないくらい1000形が勝り
京急では「低性能」に
分類されてしまいますが、
当時の国鉄や他の民鉄の
形式よりは「高性能」だったと
個人的には確信してます(笑)
また、当時の「国鉄」に
スピードでは負けないという
「覇気」がヒシヒシと伝わる
威圧感があったと思います。


電装が東洋製のデハ613↓

ここより、写真を転用しております。
 (オーナー様が判らず申し訳ない)

ちなみに、私みたいな「バカ」は
在籍したデハ601~デハ640の
車番だけで電装が三菱・東洋の
どちらが採用されているか
今でも判ります(頭おかしいねっ)
写真に写る台車のバネ部分でも
判っちゃうかっ(笑)

この東洋製の車両の走行音が
これまた「最高」なんですよ~ シミジミ

車両譲渡先である高松琴平電鉄の
走行音ですが、是非聞いてください↓
 高松琴平電鉄(琴電)1070形
 ※気ままに鉄道走行音様の動画です。

弱め界磁をカットされちゃってるので
スピードはあまり出ていないですが
並列最終段あたりから奏で始める
「高音」がとてつもなく好きです(笑)
「音」だけでしたら、1000形よりも好き。


ほとんどの写真は、よそサイト様の
「パクリ」ばっかりで申し訳ないですが、
一番好きな写真は、やっぱりコレです↓

※moon express様のブログで掲載している
 写真を転載させていただいております。

最近は年齢のせいか、
「涙腺」が弱くなっちゃてますが
600形と1000形のツーショットは
マジで泣けますね(涙)


東洋電装の600形が履く台車です↓

※電車deお散歩様のブログで掲載している
 写真を転載させていただいております。

三菱電装の600形が履く台車です↓

鉄道ホビダス台車近影から
 写真を転載しております。


1956年(昭和31)に登場した600形は、
30年にわたり終始「優等」運用につき
1986年(昭和61)に引退しましたが、
高松琴平電気鉄道に6両が譲渡され
車体に多少の改造が加えられて
1070形として現在も活躍してます。

また、トップナンバーのデハ601が
逗子市に譲渡され、
逗子第一運動公園に
静態保存の形がとられており、
モラルのないクソバカ野郎どもに
機器類が盗まれていますが
公園の再整備に合わせて
現在は大規模な修復工事が行われ
綺麗な姿を取り戻しているようです。


修繕前の600形と一緒に
祐実軍團メンバーと記念写真です(笑)↓



また、香川県の「探訪」の際は
是非とも昭和時代の京急を
支えた車両たちに会いたいです★


国鉄(JR)を除いた鉄道において
最長編成となる「12両」すべてが
600形の「通勤快特」 ウウウッ↓

wikipediaの写真です。

よそ様の写真を見て、
何回泣いてるんだって話ですが
本当に感動しますっ!

あっ、wikiの「諸元」欄に
記載されている「歯車比」ですが
三菱製は88:19≒(4.63)が正解です。
修正されないのかなぁ・・・


最後に、ステキな写真がありました↓

Mumei's Railway Factory様の
 作品を転載しております。

これぞ、元祖「京急ブルースカイ」!

京急の車両は、塗装が変わっても
本当に素敵ですねっ★
何してもダサくならない「デザイン」は
まさに「至高」です♪


本日は大変な「脱線」と「的外れ」な
ブログ更新で申し訳ありません m(_ _)m

明日・明後日は、通常通り
「軍報」を掲載させていただきます。
是非、またお越しくださいませ。


それでは、またお会いいたしましょう★


↑よかったら応援してくださいっ♪

【鉄道】(13)西日本鉄道2000形

皆様、連休をいかがお過ごしでしょうか。

今日で休みも終わりですね・・・
はぁ~(涙)


総軍大元帥閣下の御前会議(笑)にて
2月の遠征が決まりましたっ!

行先は・・・
福岡県北九州市ですっ★
2月17日(金)~2月21日(火)までの
4泊5日の行程で宿を予約しましたっ!
このうちの1日は、宮地嶽神社の
「光の道」を見るために充て、
残りは小倉・門司周辺の探訪に
全て費やす予定ですっ★
(どこまでやれるか・・・)

関係者の皆様方で、
北九州市周辺の遺構情報を
お持ちでしたら、「横流し」を
よろしくお願い申し上げます m(_ _)m


本日は、息抜きとして「鉄道」ネタで
ブログの更新をさせていただきますが
今回の遠征地である福岡県にちなんで
西鉄2000形について、
想いを書かせていただきますね。

「軍報」目当てのご常連様、
失礼をお許しくださいませm(_ _)m


西鉄2000形電車(wikipediaを抜粋)↓
---------------------------------------
西鉄2000形電車は、西日本鉄道(西鉄)
天神大牟田線・太宰府線で
使用されていた電車である。

本形式は特急の旅客サービス向上を
主目的に、1000形・1300形を
置き換える形で製造された
特急形電車である。

1960年代後半には西鉄特急の
利用者の増加によって
4両固定編成の1000形では
輸送力に不足をきたすようになり
通勤形車両での特急運用も
増加していた。これに加え
1970年代に入ると所得水準も
大きく向上し、山陽新幹線の
博多駅乗り入れや、大牟田線沿線で
九州自動車道の完成が迫るなど、
交通市場も大きく変化が
見込まれていた。このような中で、
従前からの輸送力増強といった
量的なサービス向上だけでなく、
質的なサービスの向上が
求められていた。

このような中、本形式は編成あたりの
両数を増やし、冷房装置や
転換クロスシートを採用するなど、
車内・外ともに1000形とは
一線を画する新設計で製造された。
このような旅客設備が評価され、
九州の鉄道会社として初となる
ローレル賞を受賞した。

6両編成6本36両が製造された。
1973年(昭和48)4月23日に
2011 - 2041F(F=編成)が落成、
5月10日に営業運転を開始した。
続いて2051・2061Fが
1974年2月9日に落成し、
特急車両の運用固定化ならびに
特急は昼間帯以降の原則6両化を
達成した。

2000年(平成12)から7000形・7050形が、
2005年(平成17)から3000形が製造され
600形・700形の廃車が進められたが、
2000形についてはしばらく5編成体制で
推移し、主に急行に使用されていた。

2008年(平成20)3月22日の
ダイヤ改正により、特急の定期運用は
平日ダイヤの朝ラッシュ時に
運用している1本が5000形に
置き換わったため、
土曜・休日ダイヤのみの
運用とされた。

また3000形の追加製造により
運用も減少し、同年5月に2011Fが
廃車となった。8000形は6本配置の
5本使用、3000形はフル稼働で
あるため、2形式が検査・故障などで
入場している際は本形式が
代走で使用された。

その後、2009年(平成21)3月27日の
日中の急行はすべて3000形に
統一されたため、本形式は
代走扱いで使用されるようになった。
ラッシュ時は以前と同様急行のほか
普通にも運用されたが、同年内に
2051F・2061Fが廃車となった。

2010年(平成22)3月27日の
ダイヤ改正以降は定期運用から
外された。

2010年4月までに2031Fが廃車となった。
最後に残った2021Fはさよなら運転として
先頭車正面を1997年以前の
社紋付き・帯の切れ目ありの状態に
復元され、2010年9月25日から
10月16日まで主に天神 - 花畑間の
急行で運用された。10月17日には
天神→花畑→筑紫間で団体臨時列車の
「さよなら2000形貸切ツアー」として
最後の運転を行い、同日に
筑紫車両基地にて開催された
「にしてつ電車まつり」で展示された。
その後、2010年内に廃車・解体され、
本系列は消滅した。
---------------------------------------


長々と「コピペ」しちゃいましたが、
こんな感じの車両です↓

羽様ブログで掲載している
 写真を転載させていただいております。


この形式との「出会い」は、
2000年(平成12)の夏でしたね。

当時、「Y2K」と呼ばれた
「2000年対応」の稼働が
一段落して、気心知れた
職場の方々と旅行することに
なりましてね、東京から新幹線で
博多に向かい、地下鉄で天神に出て
天神から大宰府天満宮に寄って
柳川で鰻を食べたのち、
久留米に戻って久大本線で
吉井温泉に宿泊といった
ルートだったと思います。

その時、天神から二日市まで
乗った急行が2000形だったのです。
当時の三等兵は、職場にも
「マニア」が大量に在籍していたので
度合いが「最高潮」の時でしたが
この形式は事前の予備知識もなく
「たまたま」出くわして乗車した感じが
強かったことを記憶しています。

「音」マニアの三等兵の意を汲んで
あえて「電動車」に乗りましたが
WN駆動なんで静かな音でしたね。
高速域に入ると三菱特有の
「唸り」が聞こえるのですが
特急仕様なだけに歯車比が低く、
あまり聞こえませんでしたね・・・
確か、小田急9000あたりと
同じような音階だったはずです。


2扉時代の2000形↓

JS3VXW様J鉄局の鉄道ブログより
 写真を使用させていただいております。


2000形が履いていた台車です↓

wikipediaの写真です。

川重のウィングばね式ですね。
なかなかステキです★
乗り心地もよかったです。
国鉄特急形や急行形のものにも
似ていますねっ!


本日は大変な「脱線」と「的外れ」な
ブログ更新で申し訳ありません m(_ _)m


明日・明後日は、通常通り
「軍報」を掲載させていただきます。
是非、またお越しくださいませ。


それでは、またお会いいたしましょう★


↑よかったら応援してくださいっ♪

【鉄道】(12)帝都高速度交通営団5000系

皆様、いかがお過ごしでしょうか。

今日の朝は、全国的に寒かったようで。
広島・岡山・京都も、ついに「初雪」と
なったようですね。 寒い寒い。。。


さてさて・・・
本日は、息抜きとして鉄道ネタで
ブログの更新をさせていただきます。
「軍報」目当てのご常連様、
失礼をお許しくださいませm(_ _)m


三等兵の裁量で恐縮です。
本日は営団5000系について
想いを記載させてください m(_ _)m


営団5000系電車(wikipediaを抜粋)↓
---------------------------------------
営団5000系電車は、1964年(昭和39)から
製造が開始された帝都高速度交通営団(営団)の
通勤形電車である。2004年(平成16)4月の
営団民営化にともない、
東京地下鉄(東京メトロ)に継承された。

2007年(平成19)3月17日まで東西線でも
使用されており、それ以降は千代田線
北綾瀬支線(綾瀬駅-北綾瀬駅間)のみで
運用されていたが、
2014年(平成26)5月30日を以って
全車が引退した。

主制御器は3000系と同様の
三菱電機製電動カム軸式抵抗制御方式
(ABFM-138-15MDH形)で、起動時に
直並列切替を早めに行う点も同じである。

バーニア制御による多段方式で、
パターン制御を採用している点も同様である。
ただし、起動加速度は3.5km/h/sとし、
製造コストを落とすため主制御器の
制御段数は力行52段、ブレーキ41段とし、
またノッチオフ時はステップ戻しは行わず
減流遮断方式とした。

制御方式は1C8M方式であり、
編成は必ず電動車数が
偶数になるように組まれた。

主電動機は3000系の1社製造から、
本形式では同仕様のものを数社で
製造することとなり、三菱電機・日立製作所・
東芝・東洋電機製造4社の
共通設計となった。

主電動機はメーカー形式
(三菱MB-3088Aなど・日立HS-835Arbなど・
東芝SE-549など・東洋TDK-881-Aなど)の
他に「MM-5A形」などと営団形式が
付けられている。

主電動機出力は100kW
(端子電圧375V・電流300A・回転数1,450rpm)で、
各電動車に4基ずつ搭載する。
3000系のものを車体大型化・
付随車連結のために増強した形で、
弱め界磁率は同じ30%である。
出力こそ100kWだが実用スペックは
国鉄MT55に近く、しかも地下鉄用のため
低騒音型である。歯車比は3000系の6.53に
対して6.19とやや高速向きの設定とした。

台車は製造時の1 - 4次車は枕バネに
ダイヤフラム形空気バネを使用した
ミンデンドイツ式軸箱支持方式の
FS358形台車を採用した。

この台車は軸箱の前後から板バネで
支えるため、台車全体が
大形化している。ただし車輪径は860mm、
軸距は2,100mmに収まっている。

なお、このタイプの台車は後年に台車枠の
亀裂と製作上の欠陥が明らかとなり、
電動車は1979年(昭和54)10月から
1987年(昭和62)1月にかけて
S形ミンデン式台車FS502形
(途中からSU形ミンデン式台車FS502A形)へと
交換が進められた。 1990年代からは
5800形(CT車)にも交換が実施された。

5次車からはS形ミンデン式(片板バネ式)
軸箱支持方式のFS502形台車に変更し、
台車全体の小形化を図った。
最終増備車となる7次車は同タイプだが、
U形ゴムパッドを挿入した
SU形ミンデン式台車FS502B形を使用する。

基礎ブレーキ装置は片押し式の
セミユニットブレーキ方式を採用し、
構造の簡素化と保守性の向上を図った。
その後、営団地下鉄では
ユニットブレーキ方式の研究開発を続け、
1988年(昭和63年)落成の日比谷線03系・
東西線05系以降の新系列車両で
本格的な実用化につながった。

電動発電機 (MG) は全ての電源を
集約したもので、出力12kVA品を搭載する。
空気圧縮機 (CP) は4次車までは
ロータリー式のAR-2形(吐出量1900L/min)を
搭載していたが、5次車からはレシプロ式の
C-2000M形(吐出量2,130L/min)に変更した。
その後、ロータリー式を搭載する車両は
1980年代後半にレシプロ式C-2000M形へと
交換が進められた。

ブレーキ装置は3000系同様の
発電ブレーキ併用の電磁直通ブレーキ
(HSC-D形)を採用しているが、
本形式ではT車遅れ込め制御を併用し、
省エネルギー化を図っている。

改正により義務付けられた
保安ブレーキ装置は5次車から
新製設置され、1979年(昭和54)7月以降、
在来車も全車両が設置改造を受けた。

パンタグラフは剛体架線対応形で、
主制御器を搭載する5200形と
制御電動車の5000形に搭載されていたが、
東西線用の5000形のものは
後年に撤去された。

パンタグラフは菱形搭載車は
PT-43-F、シングルアーム式搭載車は
PT-7136-Aを搭載していた。
---------------------------------------


こんな感じの車両です↓

ここより、写真を転用しております。
 (オーナー様が判らず申し訳ない)


三等兵は、幼稚園時代を
千葉県松戸市で過ごしており、
家の前に常磐線が走っていました。
この時代に乗り入れ先の
営団地下鉄(現:東京メトロ)の
車両の一部に5000系が
入っていたのを今でも覚えてます。


千代田線時代の5000系です↓

finecraft様ブログで掲載している
 写真を転載させていただいております。


まだ、この時は幼少時ということもあり
あまり5000系には関心が
なかったのですが、東西線で
使用されていた5000系を見た時
自分の中で「衝撃」を受けました。

三等兵の両親は、
共に東京の下町生まれでして
オヤジ方のおばあちゃんが
東西線の葛西に住んでいました。
両親は、私がこの頃から「鉄道」に
関心を持っていることを
理解していたので、
葛西のおばあちゃん家に行く時は
この私にいい思いをさせてやろうと
わざわざ自宅の北松戸から
わざわざ大手町を経由して
東西線に乗り換えるという
「遠回り」っぷりをしてくれました。
ちなみに、最短ルートは
北松戸~新松戸~西船橋~葛西です。
でも、この当時は武蔵野線が
1時間に1~2本しか走ってないし
オヤジの勤務先が御茶ノ水で
通勤定期持ちだったので
大手町ルートの方が
色々とメリットがあったのかなとも
今さらながら思うこの頃ですが
この時に乗った5000系の床下から
奇妙な「音」を発しながら
走っていることに驚きました。

それは「AR-2」という
ロータリー式のコンプレッサーです。

参考までに、こんな音です↓
 4MT ロータリーコンプレッサー音
 ※Limited Express 2000様の動画です。

こんな「音」を出しながら
響く地下空間を走っていることに
「この世の終わり」を感じました(笑)
(あくまで、幼少時の感性ですので・・)
しかも、今みたいに架線電圧が
安定していないので、
音が急に高くなったり、低くなったりして
不気味な「音」と思ったわけです。

この一件以来、幼稚園内で
人目をはばからず、急にこの「音」を
口ずさんだりするもんだから、
今となっては「変人」以外の
なにものでもありませんね(笑)

この「AR-2」コンプレッサーは
今となっては一番好きな「音」です。
もう、聞ける機会が極少ですが・・・
ちなみに、私が至高と崇める
京浜急行電鉄1000形
(今の1000形じゃないですよ!)
このコンプレッサーであったことを
付け加えておきます(笑)


話が少しずれてしまいましたが、
当時の東西線は、地下鉄線内で
優等運用(快速)をもつ唯一の
路線でした。

とはいえ、全線区間ではなく
西船橋~東陽町間だけでしたが、
途中、ノンストップのものと
浦安に停まる2種類の快速があり
地下鉄線のわりには
なかなかの高速で走りました。
しかし、5000系と乗り入れ車の
103系・301系は、ともに高速走行は
向いていない形式群なので、
特に5000系は苦しそうな高音を出しながら
走ってましたね~。


優等運用につく5000系↓

ここから写真を拝借してます。
 (オーナー様が判らず申し訳ない)


5000系の台車です↓

鉄道ホビダス台車近影から
 写真を転載しております。

S型ミンデン台車ですね・・・
三等兵は、どうも個人的に
片ミンデン台車を好めないのですが
だんだん希少になってきました・・・


本日は大変な「脱線」と「的外れ」な
ブログ更新で申し訳ありません m(_ _)m

明日・明後日は遠征のため、
「雑記」形式での記事を時系列に
載せますので、「軍報」は月曜日からの
再開となります。よろしくお願いします★


それでは、また明日っ!

↑よかったら応援してくださいっ★