戦争遺跡のご紹介やホームページの制作状況などを綴っていきます♪

総軍BLOGへようこそっ!

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祐実総軍三等兵

Author:祐実総軍三等兵
全国に残る戦争遺跡を探訪し
記録することを趣味とする
祐実総軍三等兵ですっ★

稚拙な内容ではございますが
これまでに関係者の皆様方と
見てきた戦争遺跡を中心に、
ブログ・ホームページなどで
順次ご紹介をしていきます♪

よろしくお願いしますっ★

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皆様、いかがお過ごしでしょうか。


仕事での無能ぶりが評価され(笑)
本日を以って他部署へ異動となるため
ちょっとした催しが業後にあり、
ブログの更新が出来ないと思われるので
今回は13時にアップされるように
事前に予約させていただきますね。


今も東京都区内の西側まで
通勤しているのですが、
今度はもっと西側になります・・・
勘弁してくれ・・・
残業しねーからなっ(笑)


さてさて、本日は「鉄道」ネタで
ブログを更新させていただきます。


今回は、近鉄で運用されていた
3000系について想いを書きます(笑)

なお、毎度のことで恐縮ですが
写真を保有してないので
よそ様からの「転載」であることを
予めお断りしておきます m(_ _)m



近鉄3000系電車(wikipediaを抜粋)↓

近鉄3000系電車とは、近畿日本鉄道が
1979年から2012年まで保有していた
一般車両(通勤形電車)である。

近鉄における省エネルギー車両の
試作車であり、同社唯一の
オールステンレス車両である。

製造当時、具体的な案件としてあった
京都市交通局烏丸線との直通運転に
対応すべく、様々な試作要素を盛り込んで
1979年に近畿車輛で製造された。

当時はバッド社の特許の関係で、
日本国内では東急車輛製造以外の
メーカーではオールステンレスカーの
製造は不可能であったが、近畿車輌では
東急車輛製造とは異なる方法を
採用することによって
オールステンレスカーの製造を行った。

そのため、東急車輛製造以外の手による
オールステンレスカーは日本国有鉄道が
1985年に205系で採用するまでは
本系列が日本国内で唯一の存在であった。



wikiと同じことをずらずらと転記しても
あまり意味がないので、このくらいに(笑)


こんな感じの車両です↓

wikipediaの写真です。

この形式の初めての出会いは
私が中学生の頃で、千葉県では
ほぼ「お決まり」である京都への
修学旅行です。

ちょっと、記憶があいまいですが
近鉄線上で京都市交の車両を
間違いなく見ているので、
近鉄と京都市交が相互乗り入れを
開始したくらいの時期だと思います。

これだけはしっかり覚えていますが
ホテル杉長が修学旅行の宿で
宇治の平等院へヤサカ観光バスで
向かっている途中で
この形式を目撃しました(笑)

この時は、近鉄電車の一般車は
赤一色(だったはず)で、そんな中に
ステンレスの無機質な車両が
京都方面に走っていく姿を
バスの中から見ました。

「こんな形式もあるんだな~」といった
程度の受け止め方でしたが、
近鉄で1編成しか存在しないことを
後になって知り、関心をもちました(笑)


優等運用につく3000系↓

ピロ様ピロのブログより
 写真を転載しています。


乗車経験は、たったの1回(笑)
社会人になって大阪に赴任した時、
関西に滞在する機会なんか
そうそうないから、これを機に
色々なところを行ってみようと
この日は京都タワーに行ったんです。
(お友達少なかったので一人で・・・)


今、思い返すと、この時期は
地下壕系しか関心がなかったのですが
ジャンルを問わずに軍跡の探訪を
本格的にやっていればよかったな・・・と
後悔してます(涙)


あっ、ちょっと脱線しましたが、
最寄り駅の清荒神から阪急電車で
十三を経由して烏丸まで行き、
烏丸から地下鉄で京都駅に向かう
ルートで行きました(笑)

京都タワーから眺望を楽しんだ後は
ついでと言っては語弊がありますが
東西の本願寺を見て帰りました。

帰りのルートは、行きと同じじゃ
マニアとしては能がないから
京都駅から近鉄に乗って
丹波橋から京阪で京橋に行き
ここからは通勤定期を使って
大阪梅田~清荒神としました。

まえおきがものすごく長くなりましたが
京都駅から丹波橋まで乗った電車が
4両編成の3000系だったんです。
(確か、急行の天理行きです)

中学時代にバスから見ただけの
たった1編成の形式の乗車機会に
恵まれたことに感動しました(笑)


1両切り離した3両で運用につく
3000系の急行↓

大和路ポストマン様
 気ままに、気まぐれ鉄道フォト
 写真を転載しています。


京都~丹波橋までは駅間距離が
そんなに長くはないので、スピードは
あまり出してくれませんでしたが、
チョッパ音やモーター音を
楽しむことが出来ましたっ!
(頭、おかしいね・・・)


よそ様のものとなりますが、
ご参考までに、興味があれば
是非、走行音もお楽しみください↓
 近畿日本鉄道(近鉄)3000系
 ※気ままに鉄道走行音様
  動画です。


関東の鉄道だと、これに近しい音は
今年度で廃車になってしまう
都営新宿線の10系だと思います。

くうぅ、どの速度域をとっても
ものすごく好みの「音」ですっ!
(頭おかしいんで放置してください)


最後に3000系の台車です↓

ピロ様ピロのブログより
 写真を転載しています。

近車のKD-84台車です。
いつも思いますが、近畿車輛の
ウイングバネ台車は非常に
乗り心地がよいですっ!


はあぁ、この形式を含めて
廃車になってしまうのは
実に「もったいない」です。

私が鉄道好きでいられるのも
もはや「時間の問題」かな。。。


ここのところ、「軍報」以外での
更新で申し訳ありません m(_ _)m

明日は月初めとなりますので
恒例の「ホームページ」関係での
ブログ更新とさせてくださいませ。


それでは、またお会いしましょうっ!



↑よろしければ、こちらの「応援」も
 ひとつよろしくお願いします♪

皆様、いかがお過ごしでしょうか。


今日はクリスマスイブですね。
我が家は、度重なる「遠征」により
財政を逼迫させちゃったので
今年は少しグレードを上げた肴で
家で「酒盛り」でございます(笑)


さてさて、本日は「鉄道」ネタで
ブログを更新させていただきます。


今回は、かつての地下鉄東西線で
運用されていた国鉄301系です。



国鉄301系電車(wikipediaを抜粋)↓

国鉄301系電車は、
日本国有鉄道(国鉄)が設計・製造した
地下鉄乗り入れ対応の直流通勤形電車。

1966年から開始された中央緩行線と
帝都高速度交通営団(現・東京地下鉄)
東西線の相互乗り入れの開始に備え
これに対応すべく設計され、
7両編成が1966年に5本(35両)、
1969年に3本(21両)の計8本が
川崎車輛および日本車輌製造で製造され
三鷹電車区に配置された。

国鉄が初めて設計・製造した
地下鉄対応の通勤形電車であるとともに
国鉄電車としては初めて
アルミニウム合金車体を本格採用した
車両でもある。

国鉄分割民営化後は全車が
東日本旅客鉄道(JR東日本)に
継承されたがすでに全車廃車されており
1両を残して解体されている。

国鉄では台車が金属ばねで、
鋼製車体が当たり前だった当時としては
アルミ車体と空気ばね台車の通勤車は
異色の存在であり、製造費が
高価だったため、登場間もない頃は
「国鉄で最もデラックスな通勤形」と
称されていたこともある。



こんな感じの車両です↓

wikipediaの写真です。

うーん、懐かしいっ!
とはいえ、当方はあまり乗車機会に
恵まれないまま全廃しちゃいました・・・

初めて見たのは小学生の頃ですかね。
当時、父方のおばあちゃんが
葛西に住んでいたので、盆暮れには
必ず東西線に乗ることになります。

また、自分の家が常磐線の
線路沿いであったこともあって
この時代には既に電車に興味を
もっていたので、当時の国鉄が
千代田線と東西線に乗り入れ車を
走らせていたことは知ってました。
でも、薄学だったので乗り入れ車は
103系だけだと思っていたんですね。

そんな矢先、おばあちゃんの家からの
帰り際に葛西駅を通過した車両が
この301系でした。

走行音が103系そのものだったので
この時は103系だと思ったのですが
無機質な塗装に押し込み型の
通風器だし、前照灯の配置も違うし
ちょっと違和感をおぼえたのが
最初の出会いです。

違和感を覚えたとはいっても
あくまで子供の頃ですから、
大した区別も出来るわけもなく
103系だったと信じ込みました(笑)


妙典止まりの運用につく301系↓

ここより、写真を転用しております。
 (オーナー様が判らず申し訳ない)


301系という形式の存在を
知ったのはそれからかなり遅い
中学時代に入ってからです。
筋金入りのマニアだった
アッキー君に教わりました(笑)

台車が103系とは違って
空気ばねが採用されており、
側面に方向幕をもたないところで
簡単に区別出来るって聞きましたが
乗車機会には恵まれなかった・・・


中央線内でさよなら運転に
充当された301系↓
030803-9567m.jpg
ここより、写真を転用しております。
 (オーナー様が判らず申し訳ない)


何回か乗車機会に恵まれたのは
社会人になって千葉市に
引っ越してからですかね。
一時期、青梅市内の工場に
派遣されたことがありましてね、
仕事帰りに三鷹~中野間で
乗っている中央線快速の車内から
西船橋へ向かう各駅停車の301系を
見かけたら、中野駅で中央線から
乗り換えて東西線で西船橋まで
戻ってました(笑)

今思えば、これが一番遠い通勤であり
往復で5時間かかってましたよ(笑)
当時は若かったからやれたけど
今はもう絶対に出来ないというか
しないですっ!


晩年は103系との「混結」も
見られました↓

wikipediaの写真です。

この混結、1回だけ西船橋で
見たことがあるのですが
混結は「あり得ない」と思い込み
ずっと自分の「勘違い」だと
思っていたんです。


そしたら、wikiに写真が出てて
やっぱり「勘違い」じゃなかったと
ちょっと安堵しましたよっ★


301系が履くDT34台車です↓

ここより、写真を転用しております。
 (オーナー様が判らず申し訳ない)

ダイレクトマウント方式の
ウィングばね台車ですなっ★
なかなか素敵ですっ!
ベローズ型の空気ばねが
なかなかいい味を出してますね。

この当時の国鉄で、通勤型車両で
唯一301系がエアサスを
装備していたのは有名でしたね。

私鉄では空気ばね台車は
「あたりまえ」の装備でしたが
国鉄は財政が逼迫してたので
このあたりは仕方ないですよね・・・


本日は大変な「脱線」と「的外れ」な
ブログ更新で申し訳ありません m(_ _)m


それでは、またお会いしましょうっ!



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 ひとつよろしくお願いします★

皆様、いかがお過ごしでしょうか。


いや~、風が強くて寒いっ!
今日の本拠の朝は氷点下で
びっくりしましたよ(笑)

今度の日曜日は久々に
関係者の皆様方と探訪なので
風邪ひかないようにしなければっ!


さてさて・・・
本日は、息抜きとして鉄道ネタで
ブログの更新をさせていただきます。
「軍報」目当てのご常連様、
失礼をお許しくださいませm(_ _)m


三等兵の裁量で恐縮です。
本日は西武101系について
想いを記載させてください。



西武101系電車(wikipediaを抜粋)↓

1969年(昭和44)の西武秩父線開業に
合わせて山岳路線を走行するための
高出力・高ブレーキ性能の車両として
登場し、同年3月5日に西武秩父線の
開通より一足早く営業運転を開始した。

1976年(昭和51)までに4両編成50本と
6両編成13本の計278両が新製された。
このうち6両固定編成の
電動車2ユニット中1ユニットには
当時の大手民鉄では珍しい
ハイフン付ナンバーが登場している。

車両形式は制御車のクハ1101形と
中間電動車のモハ101形のみである。



こんな感じの車両です↓


この形式との最初の出会いは
小学生の頃ですね。
家族で「としまえん」へ行くことになり
千葉の田舎から日暮里・池袋を経由し
西武池袋線で乗ったのが101系でした。

この当時、電車でとしまえんへ
行くためには、直通電車に乗るか、
練馬で豊島線に乗り換えるかの
2つの選択肢しかありませんでした。
しかし、乗る時間帯に直通電車が
なかったので、後者の方法で
向かうことになったのです。


ヘッドマークを付けている101系↓

wikipediaの写真です。


早速、池袋に停車していた
101系の「急行」に乗り込みました。

「練馬」と「急行」というキーワードで
察しがついた方も多いと思いますが
急行は乗換駅である練馬には
停車しないんです(笑)

この時は知らなかったんですよ(笑)
練馬は大きな駅と認識してたから
レッドアロー以外は全て停まると
家族みんなが思ってました。

池袋を出た後、
「次は石神井公園です」という
車掌のアナウンスで気付き、
親に「練馬は停まらない」と
主張したのですが、ガキなので
もちろん「信用」してもらえず(笑)

オヤジなんか「おまえよりも通勤で
電車にたくさん乗ってるんだ」と
言わんばかりの顔をする始末(笑)

結局、両親も行き過ぎに気付き
石神井公園から引き返すことに
なったのですが、今度はオヤジが
「何で乗る前に言わないんだ」と
怒る始末(笑)

もうね、半ベソかいてました(笑)
としまえんに着いても
私はふくれていた記憶があります。
おまけに、最後に乗った
魔法のじゅうたんで腰を抜かして
フラフラになって歩いてたら
「何だ、その歩き方はっ!」みたいな
物言いまでされていいことなし(笑)


よく覚えてるな~、俺(汗)


としまえんからの帰りは、
行きと同様に池袋までの
直通電車がなかったので、
練馬乗り換えだったのですが、
この時に来た各停も、俗にいう
新101系の後期増備車だったと
記憶しています。


新宿線をはしる新101系↓

wikipediaの写真です。


これは記憶が定かじゃないですが
学生時代にお付き合いしていた
彼女が狭山の大学に通ってたので
所沢でよく遊んでました。
この時期にはしっていた101系の中で
「高加速」のスイッチが入った状態の
準急(確か・・・)に乗った気がします。
あまり変化を感じなかったから
記憶があやふやなのですが、
あれは「平時」だったのかな・・・
それとも「特別」だったのか。。。


さよならヘッドマークを付けて
多摩川線をはしる101系↓

wikipediaの写真です。


101系が履くFS372台車↓

鉄道ホビダス台車近影から
 写真を転載しております。

ペデスタル台車ですな。
いい感じですっ★


本日は大変な「脱線」と「的外れ」な
ブログ更新で申し訳ありません m(_ _)m

明日は「ホームページ関係」の記事を
載せますので、「軍報」は土曜日まで
お時間をいただきたいと思います。


それでは、またお会いいたしましょう♪



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皆様、いかがお過ごしでしょうか。


今日は、総軍大元帥閣下と
北千住に行ってきましたっ!

主旨は「探訪」だったのですが、
商店街においしい食べ物が
安価で並んでいたので
「誘惑」に負けてしまい、
あれこれとつまみ食いをした結果、
胃もたれが酷くて大変なことに(笑)

ダメだって解っちゃいるんだけど
やめられない(笑)


さてさて、本日は「鉄道」ネタで
ブログを更新させていただきます。


今回は、かつての日比谷線で
運用されていた営団3000系です。



営団3000系電車(wikipediaを抜粋)↓

営団3000系電車は、1961年(昭和36)から
帝都高速度交通営団(現・東京地下鉄)が
日比谷線用に製造した通勤形電車である。

日比谷線の開業に合わせて
製造された車両で、1971年(昭和46)までに
304両(事故代替車を含めると305両)が
製造された。

日比谷線では1994年(平成6)に
営業運転を終了している。


車体長18,000mm、車体幅2,790mmの
両開き片側3扉構造は丸ノ内線車両と
同じ形態だが、軌間1,067mm、
さらに架空電車線方式であるため
車高を高くしている。扉・窓配置は
dD3D3D1(先頭車)で、同じ18m車でも
丸ノ内線や都営浅草線の車両とは
異なり、編成全体で見て客扉が
等間隔になる配置である。

特徴としては超多段抵抗制御器
(バーニア制御)と発電ブレーキを
採用し、ほとんどショックのない
滑らかな高加減速性能(起動加速度・
減速度ともに4.0km/h/s)を実現した。
特に起動加速度4.0km/h/sは、
日比谷線直通に運用されていた
東急7000系とともに、関東の電車に
おいては、現在に至るまで
最大の値である。

車体は当時としては斬新なデザインで
「クジラ」、特に「マッコウクジラ」という
愛称もあった。



こんな感じの車両です↓

wikipediaの写真です。


ううぅ、懐かしいですね(涙)
特に私が幼少の頃に、
今は亡きおじいちゃんが
鉄道好きだったこともあり、
色々と電車に乗せてくれましたが
なかでも東武伊勢崎線は
多く乗り、この中に混じって
3000系にもよく乗りました。

ただ、私の幼少時(中学くらいまで)は
平均身長を大きく下回っており
学校で背の順に並ぶと一番前か
2番目くらいのチビっぷりでして、
初期車以外の3000系の扉の窓は
伸長よりも高い位置にあったため
景色が見れず、私には大不評でした(笑)


乗降扉の窓は高い位置にある3000系↓

wikipediaの写真です。


この当時の営団地下鉄の車両群は
乗降扉の窓が、いわゆる「大人用」で
子供の身長では高い場所にあって
景色が見れないことが多く、
感じが悪いな~って思ってました(笑)
もっとも、地下鉄車両なんて
景色なんかないような
地下区間を走る前提ですから
これでも問題なかったのでしょうね。

私にとって、3000系は車両の
諸元というよりも、景色が
見れなかった思い入れの方が
強いです(笑)


一部が長野電鉄に譲渡された
営団3000系↓

wikipediaの写真です。


ちょっと、記憶が定かではないですが
私の好きなロータリーコンプレッサーを
搭載していた時代があったはずです。
上野動物園に連れてってもらった時に
確か、1度だけ上野駅で間違いなく
聞いているのですが、今となっては
ちょっと自信がないです・・・


3000系が履くFS510台車↓

Mr.T様ブログでの掲載写真を
 転載しています。

うーん・・・
片ミンデン台車は個人的に
あまり好感がもてないのですが、
スイングハンガー式なのが
とっても素敵だと思います(笑)

台車はこの他にも、ドイツミンデンを
採用している車両もあり、
確か、一部はZリンク支持のものを
使っていたのもあったはずです。


興味のない方々におかれましては
くだらないブログ更新となってしまい
申し訳ないです m(_ _)m


明日は、通常通り「軍報」での
ブログ更新を予定していますので
よろしければまたお越しくださいっ★


それでは、また明日っ!



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皆様、こんばんわ m(_ _)m


今日は「埼玉県民の日」です(笑)
埼玉県の学校や一部の企業は
「祝日」でお休みです。

どおりで、朝の電車で
いつも見かける学生たちが
いないと思った(笑)

ニュースを見て、今日が県民の日と
知ったのですが、これでも
私も「埼玉県民」です(笑)


さて、本日は「鉄道」ネタで
ブログを更新させていただきます。


今回は東急8500系でございます。



東急8500系電車(wikipediaを抜粋)↓

東急8500系電車は、1975年(昭和50)に
登場した東京急行電鉄の通勤形電車。

8000系電車を改良して田園都市線・
半蔵門線相互乗り入れ仕様車と
している。

広義の8000系電車に含まれ、
8000系電車とは走行機器の大部分が
共通である。

1975年(昭和50)から1991年(平成3)にかけ
400両が製造された。

1976年(昭和51)に通勤電車の中で
技術的に集大成された車両として、
東急としては初めて
鉄道友の会「ローレル賞」を受賞した。



こんな感じの車両です↓

wikipediaの写真です。


世田谷・川崎・横浜あたりに
お住いの方には「お馴染み」の
車両ですねっ!

地下区間を「オオオオー」って
音を出しながら走ってるやつです(笑)


現在の職場でも、田園都市線沿線に
在住している人が多いです。
桜新町・高津・鷺沼・たまプラーザ・
あざみ野・江田・南町田・中央林間など。
多分、フロアの4分の1くらいが
この線区を利用してると思う。

うちの会社、株式会社田園都市線に
名前変えちゃえば?(笑)


歓迎会などの飲み会で、
「どこに住んでるの?」っていう話は
普通に出ると思いますが、
神奈川県民には武蔵野線は
なじみがないのかえ?
たいがい「え?」って言われる。
確かに神奈川県は走らないか。


悪かったな、クソ田舎で(笑)


110キロで爆走する8500系急行↓

wikipediaの写真です。

初めて8500系に乗車したのは
まだクソガキの頃ですね。
この時は、まだ三越前までしか
半蔵門線が開通しておらず、
友達が半蔵門線の8000系を
写真に収めたいっていうので
「付き合い」で一緒に行った時です。

しかし、いくら待っても
8000系はやってこず、その代わりに
来るのがこの8500系ばかり。
しかも、私が東急で関心がある
形式は6000系とか7000系なので
当時の「次世代」をいく
「界磁チョッパ」の8500系なんか
全く興味がなかったです(笑)

興味はないし、いくら待っても
お目当ての車両が来ないので
友達の前で「大あくび」したのを
今でも覚えてます。

いわもっちゃん、あの時は
悪かったね(汗)


田園都市線内をはしる8500系↓

wikipediaの写真です。

この形式が「いいな~」って
感じたのは、やはり諸元表を
見てからですね。

私は京急1000を崇拝している
大バカ野郎なので、何事も
この形式と比較して性能の
良し悪しを判断してしまう
悪い癖がございまして(笑)

枚挙にいとまがなくなってしまうので
1つだけ挙げますが、例えば
編成出力とか・・・

半蔵門線に乗り入れる8500系は
10両編成ですが、このうち2両は
モーターを搭載しない「付随車」なので
8両が「電動車」ということになります。

1両にモーターは4個乗っており、
1つのモーター出力は130kwなので
130kw*4個/両*8両電動車/編成を
計算すると編成出力は4,160kwと
なります。

京急1000は全てが「電動車」ですので
最終増備車で考えると、
1つのモーター出力は90kwなので
90kw*4個/両*10両電動車/編成を
計算すると編成出力は3,600kwと
なるので、「単純」に考えると
10両編成のうち、付随車が2両も
組み込まれているのに、
全電動車の京急1000よりも
約1.2倍の馬力をもっていることになり、
歯車比は京急1000の5.5に対して
東急8500は5.31なので、数字上は
高速性能も後者が「有利」となります。

ここに惹かれました(笑)
(無視していいです)


8500系の電動台車です↓


うーん、東急の典型的な
ペデスタルタイプですな。。。
個人的には、あまり乗り心地は
いいとは思えなかったけど・・・


本日は大変な「脱線」と「的外れ」な
ブログ更新で申し訳ありません m(_ _)m
また、当方の体調不良で「軍報」の
掲載をお休みしてしまいゴメンナサイ。

明日から数日は、「軍報」の掲載を
再開させていただきますので
お時間がある時にでもご笑覧ください。


それでは、またお会いしましょうっ★



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