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戦争遺跡のご紹介やホームページの制作状況などを綴っていきます♪

総軍BLOGへようこそっ!

♦ プロフィール

祐実総軍三等兵

Author:祐実総軍三等兵
全国に残る戦争遺跡を探訪し
記録することを趣味とする
祐実総軍三等兵ですっ★

稚拙な内容ではございますが
これまでに関係者の皆様方と
見てきた戦争遺跡を中心に、
ブログ・ホームページなどで
順次ご紹介をしていきます♪

よろしくお願いしますっ★

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皆様、いかがお過ごしでしょうか。


今日は探訪予定だったのですが、
残念ながら寝坊により失敗です・・・


さてさて・・・
今回は、本来であれば月末に
取り上げさせていただいている
「鉄道」ネタでブログを更新します。


お題は、京阪電気鉄道600形です↓




京阪600形電車(3代)
(※wikipediaを抜粋)↓

京阪600形電車は、1984年(昭和59)に
登場した京阪電気鉄道の
石山坂本線用の電車(路面電車車両)。

300形・260形の車体を流用し製造された。
当初は大津線(京津線・石山坂本線)の
全区間で運用されていたが、
京津線の京都市営地下鉄東西線への
乗り入れ開始以降は、
石山坂本線のみでの運用となっている。

同時期に登場した京阪線用6000系の
設計も取り入れており、車体は
流用されているものの丁寧に
改修されている。

前面の形状は2種類あり、1次車は
平面ガラス2枚窓、2次車以降は
曲面ガラスを採用した
パノラミックウインドウである。

連結面は、1次車は300形のものを
そのまま継承した雨樋が通った
丸妻となっている。

片運転台の260形3次車の車体を
流用した2次車と3次車613・614は
張り上げ屋根の丸妻となっている。

両運転台の260型2次車の車体を
流用した3次車615・616と4次車は
運転台跡の客室化も併せて
施工したので切妻となっている。

登場時、1次車は下段上昇・上段上昇の
2段窓で、下部には桟(保護棒)が
取り付けられていたが、3次車が
下段固定・上段上昇の保護棒なしで
登場し、1・2次車も1990年から
1991年にかけて下段窓の固定化と
保護棒の撤去が行われた。

これらは、後に登場した700形にも
引き継がれている。

制御方式は6000系と同じ界磁位相制御で
15 - 70km/hの範囲5km/hごとで
定速走行が可能である。

ブレーキは当初はSME-DR
(発電・回生制動併用非常管付き
三管式直通空気制動)だった。

冷房用電源には京阪初の
静止形インバータ(SIV)が採用された。

登場時から1997年10月11日までは
大津線全区間で運用されて、
京津線の準急にも使われていたが
京都市営地下鉄東西線開業後は
京津線の列車が原則として800系で
運転されることになり、それ以来
本形式は700形とともに石山坂本線で
運用されている。

準急運用が消滅したことにより、
方向幕から列車種別の表示がなくなって
行先のみの表示となった。なお、
京津線で使用されていた時代の名残で
種別が併記された表示も残されている。

東西線開業後は定期運用で
京津線に入線することはないが、
夏のビール電車や冬のおでん電車などの
臨時列車として同線の四宮まで
入線することがある。



こんな感じの車両です↓



関西に赴任していた時、
何回か見たことはあったのですが
実際に乗車したのは2014年の冬で
ものすごく寒かったのを覚えています。


京阪本線をはしる特急車と
同じ塗装を施した600形↓

wikipediaの写真です。


600形の車内です↓

wikipediaの写真です。


車内は古い装備ではあるものの
ものすごく手入れされており
古さは全く感じませんでしたっ★


現在、一部の車両の車体は
ラッピングされており、
色々なバリエーションが
あるようでした。


比叡山・びわ湖のラッピング仕様↓


坂本ケーブルのラッピング仕様↓


鉄道むすめのラッピング仕様↓

wikipediaの写真です。


標準塗装は昔の本線と同様でしたが
現在の本線の一般車両と同様の
新塗装に置き換えられるそうです↓

wikipediaの写真です。


600形の台車です↓

鉄道ホビダス台車近影から
 写真を転載しております。


さすが「台車の京阪」というだけあり、
路面電車仕様の形式にも
エアサスが使われていますね★

全電動車方式ということもあり
加減速のよさはもちろん、
路面電車仕様としては
高速性能もあり、線区内では
すたこらと走ります。


本日は大変な「脱線」と「的外れ」な
ブログ更新で申し訳ありません m(_ _)m


明日は茨城県方面に出掛けてきます♪


それでは、またお会いいたしましょう★



↑よろしければ、こちらの「応援」も
 ひとつよろしくお願いします♪

皆様、いかがお過ごしでしょうか。


今日の朝は、夜中の台風の影響を
モロに受けたようで、鉄道網が
完全に終わってましたね・・・


仕事嫌いなんで、欲を言えば
中途半端に走らせるのではなく
取りやめて欲しかったですが
こればっかりは仕方ないですね。


さて、本日は日曜日の起算更新として
鉄道ネタでブログを更新します。


お題は、ブログ初の釣りかけ駆動の
上田交通5250形です↓




上田温泉電軌デナ200形電車
(※wikipediaを抜粋)↓

上田温泉電軌デナ200形電車は、
上田交通の前身事業者である
上田温泉電軌(のち上田電鉄から
上田丸子電鉄を経て上田交通へ
改称)が1928年に新造した電車である。

戦後の一斉改番に際してモハ5250形と
改称・改番され、新造から廃車まで
一貫して別所線で使用された本形式は
扉脇の戸袋窓が楕円形になっている
独特の外観から、鉄道ファンのみならず
地元利用者の間でも「丸窓電車」の
愛称で呼称された。

上田市の別所線存続プロジェクト
「アイプロジェクト」のキャラクターである
「まるまどくん」は本形式が
モデルとなっている。

最大の特徴である楕円形の戸袋窓は
大正時代の木造電車を中心に
少なからぬ類例が見られたが、
多くの場合、戦後の早い時期までに
車両自体が廃車されるか、
通常型の角窓に改造されるなどの
措置で淘汰された。

はるか後年(1980年代)まで
この形態の窓を残していたのは、
本形式以外には名鉄モ510形電車
(1926年製)ぐらいで、非常に貴重な
存在であった。

新造時のデナ200という形式番号は
1943年の上田丸子電鉄発足時も
そのまま使用され、1950年の
一斉改番でモハ5250形となった。

集電装置は当初トロリーポールであったが
1945年にパンタグラフ化されている。

しかし、トラス棒などは撤去されずに
最後まで残り、その他基本的な形状も
1500V昇圧まで変わらず、昭和初期の
雰囲気をよく留めていた。

丸窓はこの車両のチャームポイントとして
広く親しまれ、別所線の看板車両と
なっていた。

また、鉄道友の会が制定した
エバーグリーン賞において、本形式は
第1回目の受賞形式となった。



こんな感じの車両です↓



私が子供の頃はペンションが
はやった時代でした。

その例に漏れず、我が家も
菅平高原付近にあった
ペンションに何回か
お世話になったことがあり、
その道中で上田駅付近を流れる
千曲川をトコトコと渡っていたのが
この形式だったことを覚えています。

この形式が楕円形の戸袋窓でなければ
もしかしたら忘れていたかもですが・・・


現役最後の日の5251+5252↓

wikipediaの写真です。


先日、我が総軍大元帥の
生誕大祭を兼ねて、別所温泉に
お邪魔したのですが、駅前に
この形式が保存されていることに
気が付き、何とも懐かしい気分に
なりました↓



今でも元気に走ってくれそうな
雰囲気がありました・・・↓



車内も見学したかったのですが
ドア周りに鎖がかけられていて
残念ながら叶いませんでした・・・


5250形の台車です↓

wikipediaの写真です。

日本車輌D-16と呼ぶ台車で、
いわゆる「日車D型」の1つです。

これを履く車両で私が知っているのは
京急400形ですが、この形式も
車体が造船所製という特異な
ものでしたね・・・


本日は大変な「脱線」と「的外れ」な
ブログ更新で申し訳ありません。


次回は月初分の「起算更新」になるので
我々の「ホームページ」関係での
ブログ更新とさせてください m(_ _)m


それでは、またお会いいたしましょうっ♪



↑よろしければ、こちらの「応援」も
 ひとつよろしくお願いします♪

皆様、いかがお過ごしでしょうか。


ここのところ、色々なことに
時間を取られてしまっており、
引き続き、ブログの更新が
遅滞しております・・・


今回は、8月最終日の「起算更新」を
行っていきますので「鉄道」ネタで
ブログを更新させていただきます。


お題は、東武6050系でございます↓




東武6050系電車(※wikipediaを抜粋)↓

東武6050系電車は、1985年(昭和60)に
6000系の車体更新によって登場した
東武鉄道の2ドアセミクロスシートの電車。

日光線・鬼怒川線の急行・区間急行と
普通で運用される。

1991年までは有料の快速急行・
2017年までは伊勢崎線・日光線の
快速・区間快速にも使用されていた。

6000系の車体更新によって、
1985年10月から翌1986年10月にかけ
2両編成22本の計44両が登場した。

更新途上において運用車両が
不足することから1編成が完全新造され、
後に野岩鉄道に譲渡された。

その後1988年には完全新造車が
7編成14両増備され、2012年には
2編成が634系に改造されたことから
2012年10月現在27編成54両が在籍する。

座席配置はドア間固定クロスシート・
車端・戸袋部ロングシートの
セミクロスシートとした。

ボックスシートは、座席間隔が
6000系の1,480 mmから1,525 mmに
拡大された。また、折り畳み式テーブルを
設置している。

車内の乗務員室側の妻面上部の
中央には、分割運転時の
誤乗防止のため、行先表示器を
設置している。

また、長距離運用が前提のため
クハ6250形にトイレを設置している。
客室側窓は一枚下降式を
採用しており、蛍光灯には
カバーが取り付けられている。

冷房の冷気吹き出し口は
ラインフロー式で、扉部分には
補助送風機も設置してある。

車内保温のためのドアカット機能
(連結面寄のみ)はあるが、
西武鉄道4000系のような
開閉ボタン機能は装備していない。

2017年4月21日現在は、
日光線南栗橋 - 東武日光・新藤原間の
急行・区間急行列車、
日光線(南栗橋 - 栃木 - 東武日光間)・
鬼怒川線の普通列車を中心に、
その他、下今市で特急に連絡する
特急連絡列車にて使用されている。



こんな感じの車両です↓



この数年間は、鬼怒川温泉に
お気に入りの宿がありまして
我が家のイベントがあるたびに
泊まらせてもらっているのですが
その際に、必ず見かけるのが
この形式でございます(笑)


6050系は、6000系の車体更新により
登場した形式ですが、私がまだ
クソガキだった頃は6000系が
バリバリ現役でした↓

wikipediaの写真です。


栃木駅に停車中の6050系↓



少し前までは、浅草から日光・鬼怒川を
乗車券のみで乗ることが出来る
快速に充当されていたようですが
通勤車による急行が新設されてから
都内で見かけなくなりました・・・


6050系の車内です↓


シートピッチは、他の車両よりも広く
おまけに座席もフカフカなので
座り心地はかなりいいですよ★


6050系の台車です↓


ドイツ式ミンデン台車ですね。
しかも、スイングハンガー式で
枕バネにエアサスを採用している
私の好みの1つですね。


本日は大変な「脱線」と「的外れ」な
ブログ更新で申し訳ありません。


次回は月初分の「起算更新」になるので
「ホームページ」関係での
ブログ更新とさせてください m(_ _)m


それでは、またお会いいたしましょうっ♪



↑8月は当方の誕生月なので
 「応援」よろしくお願いします♪

皆様、いかがお過ごしでしょうか。


残念ながら、大好きな仕事の
おかげ様をもちましてね、
クソったれな平日です。


さてさて、本日は月末日ですので
今回は「鉄道」ネタでブログを
更新させていただきます。


三等兵の裁量で恐縮です。
本日は京王3000系について
想いを記載させてください m(_ _)m



京王3000系電車
(※wikipediaを抜粋・編集)↓

京王3000系は、井の頭線用の
通勤形電車である。1962年(昭和37)から
1991年(平成3)にかけて東急車輛製造で
製造され、2011年(平成23)まで
運用された。

京王で初めてオールステンレス車体を
採用した。1996年(平成8)から
2011年12月にかけて全車廃車され、
その一部は各地方私鉄に譲渡された。

井の頭線の輸送力増強および、
それまで同線で使用されていた
緑色車体の鋼製車(グリーン車)の
代替を目的に製造された。

1963年(昭和38)に鉄道友の会
ローレル賞を受賞した。

最大で5両編成29本(145両)が
富士見ヶ丘検車区に在籍していたが、
1996年(平成8年)以降、1000系の
導入で廃車が進み、
2004年(平成16)11月に
未更新車が全廃。

以後はリニューアル工事を行った
5両編成14本(70両)が在籍していたが
京王電鉄は全車両を
VVVFインバータ制御車両に
統一する方針であり、本系列は
導入予定のATCに対応させないことから
2008年(平成20)から2009年(平成21)に
かけて追増備された1000系に
置き換えられ、2011年12月をもって
運転を終了し、全廃された。

京王初のオールステンレス車両。
日本初のオールステンレス車両である
東京急行電鉄の初代7000系や、
本系列とほぼ同時期に就役した
南海電気鉄道の6000系と同様、
東急車輛がアメリカのバッド社から
導入した技術を用いて製造されている。

一部の車両の車内には、
同社からのライセンス技術により
製造された旨の銘板が
取り付けられていた。

京王の営業用車両では最後まで
運転台のマスコンハンドルと
ブレーキハンドルが個別に設置され
電磁直通制動を装備する18.5m車体の
片側3扉車両であった。

乗務員室の内装は緑色である。

2003年(平成15)頃より1000系と
同等の電子警笛が追設された。

営業最高速度は90km/h
(かつては80km/h)であるが、
速度計は140km/h表示で、
ATS照査速度表示スペースはない。

乗務員室と客室の仕切り窓は
3か所であり、中央が乗務員室の
仕切り扉である。

前面形状は、窓周りを傾斜させた
2枚窓のいわゆる「湘南形」である。

ステンレスでは加工の難しい
複雑な形状となる前面上半部は
FRPが使用され、ステンレス製の
車体にねじ止めしている。

ステンレス車の前面にFRPを
使用するのは日本では初めての
試みであった。

このFRP部分にパステルカラーの
着色をし、編成ごとに変えて
変化を持たせたため、
レインボーカラーの電車として
人気があった。

ステンレスとプラスチックの
電車ということで「ステンプラカー」の
愛称がある。

ただし、のちに実施された
更新改造の際に、このFRP部分は
普通鋼に変更された。

更新されることなく各地方私鉄に
譲渡された初期車は、現在でも
前面がFRP製のままである。

乗務員室直後部分にも座席があり
乗務員室仕切り部分の一部にも
座席モケットが張られている。



こんな感じの車両です↓

wikipediaの写真です。


三等兵は、子供の頃から
千葉県に住んでいたこともあり、
鉄道が好きになった頃から
行きづらい場所にあたる
東京の西側をはしる電車は
乗る機会がありませんでした。


この筆頭が西武と京王帝都(当時)。
ただでさえ、池袋や新宿に
行く用事などないのに、
井の頭線の起点にあたる渋谷など
それ以上に行くことはないです。


ただ、自分のなかで
デザインと走行性能がよい
「神推し」する形式を決めるのに
京急1000形京王5000系
迷った時がありましてね、
このためだけに、わざわざ
用のない新宿から5000系を乗りに
友達と出かけたことが
数回ありまして・・・


こういう機会を狙って
東京の西側をはしる鉄道を
一気に乗るわけです(笑)


登場当初は1枚扉だった
3000系↓

wikipediaの写真です。


新宿から京王帝都(当時)に乗り
明大前で井の頭線に乗れることは
知っていましたから、
滅多にない機会を使って
3000系に乗ったものです。

っていうか、3000系しか
はしってなかったし(笑)


末期の車体更新車は
こんな感じでした・・・↓

wikipediaの写真です。


3000系ばかりで、系種だけなら
ワンパターンで面白くないですが、
前面FRPの塗装にバリエーションが
(ブルーグリーン・アイボリー・
サーモンピンク・ライトグリーン・
バイオレット・ベージュ・ライトブルー)
あったため、飽きなかったです(笑)


3000系の台車です↓
5084244672_35d2ea7bf7_z.jpg
ここより、写真を転用しております。
 (オーナー様が判らず申し訳ない)


典型的な東急車輌の台車です。
ちょっと記憶があいまいですが
エコノミカル台車(パイオニアⅢ)を
履いていた車両もあった気がします。


残念ながら、井の頭線からは
全車が引退していますが、
地方私鉄に譲渡されており
まだまだ現役で活躍している
路線もあります。


今から15年前に撮影した
上毛電気鉄道の写真が
出てきました(笑)↓



車内は京王帝都時代と
全く同じです↓



走行音はあまり覚えてませんが
高速になると国鉄113系と103系との
中間みたいな音だった気がします・・・


地方で活躍する本形式も
このまま、いつまでも
走り続けて欲しいものですねっ★


本日は大変な「脱線」と「的外れ」な
ブログ更新で申し訳ありません m(_ _)m


明日はブログの更新をお休みさせて
いただきますね m(_ _)m


それでは、またお会いいたしましょうっ♪



↑よろしければ、こちらの「応援」も
 ひとつよろしくお願いします♪

皆様、いかがお過ごしでしょうか。


三等兵は、今日から3日間を使って
盡忠報國先生と一緒に
京都市周辺の軍跡探訪に
出かけてきます。

とはいえ、今日は宿泊先までの移動で
日曜日もお昼くらいには本拠に
戻る予定でいるので、実質的な
探訪は土曜日の終日だけですが
楽しみで胸が躍っております(笑)


1つでも多くの軍跡が記録出来るように
頑張りたいと思いますっ★


さてさて、月末が近くなってきたので
本日は「鉄道」ネタでブログを
更新させていただきます。


今回は南海電鉄6000系ですっ★




南海6000系電車
(※wikipediaを抜粋・編集)↓

高野線の難波~橋本間で
使用される20m4扉・
オールステンレス車体の
通勤形電車である。

高野線では「大運転」と称する
平坦区間と山岳区間の直通運転に
対応した15m2扉車体の561形・
1251形、17m2扉車体の21001系・
21201系が使用されていたが、
1960年代から平坦区間では
沿線の住宅開発が進み
通勤客が急増し、これらの車両では
輸送力不足となっていた。

このため、高野線の平坦区間である
難波~三日市町間に南海本線と
同様の山岳区間に対応しない
20m4扉車体の通勤形電車を投入し
輸送力を向上させることになった。

製造初年は1962年。
同年12月25日から営業運転を
開始し1969年までに72両が
製造された。

南海の4ドア通勤車としては
初の高性能車である。
東急車輛製造がアメリカ・バッド社の
ライセンス供与を受け、日本で初めて
開発したオールステンレス車体を
採用した。東急車輛製の
オールステンレス車としては
同じ1962年に、その嚆矢となる
東京急行電鉄7000系電車、
続いて京王帝都電鉄3000系が
登場しているが、この2系列は
18m級3ドア車であったのに対し、
同年12月に登場した本系列は
初めての20m級車体となった。

側扉は片開き式で、2017年5月現在の
高野線所属車では唯一の存在である。
南海本線に導入された7000系は、
本系列の普通鋼製車体バージョンである。

ステンレス車体は事故などで損傷した際の
修繕が難しかったため、6000系以後も
踏切の比較的少ない高野線は
ステンレス車、南海本線は鋼製車という
パターンが9000系の投入まで続いた。

起動加速度はM・T同数編成で
2.5km/h/s、2M1T編成で
3.4km/h/sである。

主電動機は三菱電機製
MB-3072-A(後にB)で、
出力は600V時115kW/1600rpm、
1500V時145kW/2000rpm、
1962年当時の狭軌電車用電動機としては
最強クラスのモーターである。

1500V時の定格速度は60km/hで、
通勤車としては高いうえに
弱界磁制御を30%まで行う。

駆動装置はWNドライブで
ブレーキ方式は発電ブレーキ併用
電磁直通空気ブレーキ (HSC-D)。

車両構造上、同期登場の7000系は
普通鋼製だったことが災いし、
塩害による車体へのダメージが
酷いことから、2015年10月までに
すべて廃車となっているのに対し、
オールステンレス車体の6000系は
2018年3月現在も全車が在籍している。

車齢50年を越えて現役を続ける例は
鉄道車両では少なくないものの、
同世代の車両の多くが廃車・譲渡・
転属される中で、大手私鉄の車両で
1両の廃車も転属もなく、
50年以上もの間同一線区を
動かなかった例は非常に珍しい。



こんな感じの車両です↓



前にもお話ししましたが、
三等兵は、2枚扉の標準寸法(120cm)と
同じ規格の1枚扉を採用している
形式が大好きでして(笑)


この形式は、昔から遠目では何度も
見たことがあったのですが、
乗車する機会に恵まれたのは
ごくごく最近のことです。


優等運用につく6000系↓

wikipediaの写真です。


先日、天見防空監視哨を見に行くのに
なんば駅から区間急行に乗車した際、
出迎えてくれたのが6000系でした。
しかも、トップナンバー(笑)


でも、オールステンレス車体なので
劣化した感は全くなく、
車齢が50年近くだとは思えないほど
状態はよかったですっ!


6000系の車内↓
Nankai_6000_series_01.jpg
wikipediaの写真です。


1枚扉でつり革が長いです(笑)
座席端にスタンションポールが
設けられてないところも
昭和テイストで素敵ですねっ!


なんば駅に停車中の6000系↓



走行音は、典型的なWN駆動で
高速走行につれて甲高い音を
出していきますが、低・中速は
静かです。


車体違いで同スペックの7000系
残念ながら全廃していますが、
6000系は1両の廃車もなく全車が
健在なんだとかっ!


このまま、いつまでも
走り続けて欲しいものです。


本日は大変な「脱線」と「的外れ」な
ブログ更新で申し訳ありません m(_ _)m


明日はブログの更新をお休みさせて
いただきますね m(_ _)m


それでは、またお会いいたしましょうっ♪



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