戦争遺跡のご紹介やホームページの制作状況などを綴っていきます♪

総軍BLOGへようこそっ!

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祐実総軍三等兵

Author:祐実総軍三等兵
全国に残る戦争遺跡を探訪し
記録することを趣味とする
祐実総軍三等兵ですっ★

稚拙な内容ではございますが
これまでに関係者の皆様方と
見てきた戦争遺跡を中心に、
ブログ・ホームページなどで
順次ご紹介をしていきます♪

よろしくお願いしますっ★

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皆様、いかがお過ごしでしょうか。


5月もあっという間に終わりですね。
大したことをしていないのに
残念です・・・


さてさて、本日は月末日ですので
「鉄道」ネタでブログを
更新させていただきます。


今回は大阪市交通局60系について
wiki写真の転載で想いを綴ります(笑)



大阪市交通局60系電車
(wikipediaを抜粋・編集)↓

大阪市交通局60系電車は、
大阪市交通局に在籍していた
地下鉄用通勤形電車である。

1970年(昭和45)に鉄道友の会の
ローレル賞受賞。

1969年(昭和44)、堺筋線の
開業および阪急電鉄京都線・
千里線との相互直通運転開始、
そして翌年春に迫った
日本万国博覧会にあわせて、
川崎重工業・日本車輌製造・
汽車製造・日立製作所の4社で
5両編成18本90両が一度に
製造された。

車体はアルミ合金製である。
基本構造・電装機器類は
30系アルミ車と共通するものが
多く、屋根はモニター屋根であった。

天井近くまで高さのある窓ガラスと
その内側に行先表示器や
尾灯を納めた、当時としては
非常に斬新な前面デザインであり
後年の小田急9000形電車などにも
多大な影響を与えた。

製造当初は阪急線内における
踏切用警戒色として、前面腰部の
アルマイト板を赤く着色して
いたことから「頬紅電車」と
呼ばれていたが、ラインカラーの
制定により茶色に変更され、
1978年11月までに前面の
カラー変更が完了、側面にも
1979年7月までに交通局の
シンボルマーク入りの茶帯が
入るようになった。

ただし、先頭車を中間車化したものは
前面腰部の着色部は変更されず、
保守されずに褪色していたが
頬紅色のままであった。

また、前面窓下には乗り入れ先の
阪急の車両に準じて行先表示板を
受ける金具が取り付けられ、
EXPO準急での運用の際に
使用されていたが、
後年撤去された。

設計最高速度は100km/hであったが、
阪急線内の運用に当たっては
無改造で110km/hで運用されていた。
(三等兵注釈:これは知らなかった・・・)

架線集電である特性を生かして、
補助電源に当時最新鋭の
静止形インバータ(SIV)を採用し、
保守点検の簡易化を図っている。

また、大阪市営地下鉄では初めて
床下に暖房装置を搭載した。

地上線での高速走行時の
乗り心地を確保するために、
台車に住友S型ミンデン式の
FS-373(T台車:FS-073)を
採用するなど、当時の
大阪市営地下鉄では
「初物づくし」の車両であった。



こんな感じの車両です↓

wikipediaの写真です。


短い期間ではありましたが
20代の頃に、大阪の現場に
赴任しておりました。

職場は森ノ宮・住まいが清荒神(宝塚)で
仲がよかった現場の同僚が
塩屋(神戸)・関目・北千里(吹田)に
それぞれ住んでいました。

今もそうですが、散々働かされた割に
大した給料ももらえないので、
この時はギャンブルやお酒にはしり
職場のみんなが荒んでました・・・

当然ながらギャンブルも常勝出来る
運などなく、負けがこんじゃうと
せっかくの休みも、何もすることが
なくなっちゃいます。

特に私は関東から出張ってたので
大阪界隈で友達などいるわけもなく、
職場で仲良くなったこの3人は
私の心の拠り所でもありました。

でも、お金がなくなっちゃうと
繁華街に行けなくなっちゃうので、
そういう時は私を含めた4人の家に
もちまわりで押しかけて酒盛りや
マージャンをするわけです(笑)


話が長くなりましたが、
北千里に住む同僚の家に
遊びに行く時、清荒神から
十三に出て淡路で乗り換えて
千里線に乗るわけですが
その時によく見かけた車両が
この60系だったわけです。


車庫で一息つく60系↓

wikipediaの写真です。


私が関東に戻った数年後に
全廃されてしまったようですが
正面のデザインがものすごく
お気に入りでした(笑)


ちょっと、走行音は記憶が薄いですが
WN駆動で、都営6000形のような
出だしに似た音を出した気がします。


当方は知らなかったのですが
森之宮車両管理事務所に
1両だけ保存されているそうです↓

wikipediaの写真です。


機会があれば、是非とも
再会したいと思いますが、
残念ながら、現在は鉄道よりも
戦跡の記録に専念しているので
まだ先になりそうです・・・


本日は大変な「脱線」と「的外れ」な
ブログ更新で申し訳ありません m(_ _)m


明日は月初めとなりますので
恒例の「ホームページ」関係での
ブログ更新とさせてくださいませ。


それでは、また明日っ!



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 ひとつよろしくお願いします♪

皆様、ゴールデンウィークを
いかがお過ごしでしょうか。


残念ながら、当方は明日・明後日の
休暇取得に失敗してしまい、
9連休にはなりませんでしたが、
2日間頑張れば4連休ですので
何とか精神を持ちこたえたいと
思っているところです。


さてさて、本日は「鉄道」ネタで
ブログを更新させていただきます。


今回は、だんだんと数を減らしている
東武8000系でございます↓




東武8000系電車(wikipediaを抜粋・編集)↓

東武8000系電車は、東武鉄道の
通勤形電車である。

1963年(昭和38)11月1日から導入され
1983年(昭和58)まで、約20年もの
長期にわたって、日本国有鉄道および
JRグループ各社を除いた私鉄電車では
最多両数となる712両が製造された。

全長20メートル・両開き4扉の普通鋼製で、
経済性への重視により徹底的な軽量化が
図られた。軽量化と車体強度を
両立させるため、1963年頃の
首都圏の電車としては比較的珍しく、
戸袋窓が設けられていない。

前面はそれ以前の東武の通勤形電車と
同じく貫通式である。窓下の2灯式前照灯や
額部の行先表示器は、8000系に先んじて
1961年(昭和36)より新製された
2000系の影響が強い。また、種別幕は
当初3列の分割幕になっており、
列車番号を表示していたが、
後に種別表示専用の1枚幕方式に
改造された。当時、大手私鉄の幹線車両の
ほとんどに装備されていた通過標識灯は、
車体に埋め込まれているのでなく、
屋根上に飛び出して設置されるという
非常に珍しい形態だった。しかし、
その後、伊勢崎・日光線の快速以上を除き
通過標識灯点灯が廃止されたため、
撤去して埋め込まれた。

走行機器は、滑らかな加速が得られる
超多段式のバーニア抵抗制御と、
設計当時としては強力な
130 kW主電動機を組み合わせ、
コストダウンと走行性能を両立させた。

ブレーキは車輪を締め付ける
空気制動のみの簡素な設計だが、
新開発のレジンシューの採用で
必要な制動力を確保している。

発電ブレーキの省略措置は、
高加速・高減速を必ずしも
必要としなかった当時の
東武鉄道の路線条件を考慮しての
合理的発想である。

抵抗器容量を減らし、制御装置も
簡素化することで、軽量化による
加速力向上や電力消費抑制・
主電動機負荷抑制・コストダウンを
目指した。

また、4両編成と2両編成で
主電動機や制御装置の仕様を
変えるという手の込んだ策を採り、
編成長にかかわらず、常に編成内の
電動車と付随車の比率(MT比)が
経済的な1:1構成になるように
設計されている。6両固定編成は、
4両編成1組と2両編成1組を
セットにしたのと同じ機器配置と
なっている。

本系列は、登場から40年以上の
長きに亘って廃車が発生しなかったが、
2004年(平成16)12月に
41年目にして初の廃車が発生した。
その後は50000系列の増備、
および本線系統ではそれに伴う
30000系の地上転用などから
編成単位での廃車が進んでおり、
特に2010年(平成22)には、4月1日時点で
558両が在籍していたが、上半期に
6R車3本18両・4R車4本16両・
2R車8本16両の計50両が廃車され、
半年後の10月1日時点での在籍両数は
508両となった。これに加えて、
2010年末までに東上線用8R車1本が
さらに廃車されている。

その後も廃車は進んでおり、
8000系列は長らく守ってきた
在籍両数最大系列の座を
10000系列に明け渡し、
2015年11月末現在の在籍車両数は
264両となった。



長々とwikiをコピペ・編集してしまい
申し訳ないです m(_ _)m
こんな感じの車両です↓



この形式は「私鉄の103系」の別名が
あるくらいに大量製造されたので、
私が子供の頃から社会人になるまで
伊勢崎線や日光線・東上線などなど、
色々な線区で必ず目にしましたね・・・

逆に、どの線区に行っても
この形式しかやってこないので
飽きるというか何というか・・・(笑)


車体更新前の8000系↓

wikipediaの写真です。


主電動機の出力は130kWで
比較的大きいのですが、
経済性を重視しているため
2両・4両・6両・8両・10両の
全ての組み合わせで
終始MT比が1:1となるため
加速力は低いですね・・・


東上線の優等運用につく8000系↓

wikipediaの写真です。


MT比が常に1:1になるうえに
発電制動をもっていないので
「どれだけケチなんだっ!」と
昔は個人的に酷評していましたが
103系と同様に身近で見られなく
なってくると寂しい気がしています。。。


8000系の初期台車です↓

wikipediaの写真です。


スイングハンガー式で
揺れ枕が空気ばねという
私が最も好む構造ですっ★


8000系の後期台車です↓

wikipediaの写真です。


片ミンデン台車です。。。
個人的にガタガタ揺れる感覚があり
あまり好みではないですね・・・


そうは言っても、今はどんどん
直流電動機・抵抗制御車が
淘汰されていく時代です。

時代に逆らって、いつまでも
頑張って欲しいものですっ!


本日は大変な「脱線」と「的外れ」な
ブログ更新で申し訳ありません m(_ _)m

明日は月初めとなりますので
恒例の「ホームページ」関係での
ブログ更新とさせてくださいませ。


それでは、また明日っ!



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皆様、いかがお過ごしでしょうか。


今日の関東地方は北風が強く
寒かったような気がしています。

今回は正午の定例処理の確認が
なかったので、お昼はビル外の
飲食店にしようと思ったのですが
ビル風が強く、寒くてやめました(笑)

寒がり野郎なもんで(汗)


さてさて、本日は「鉄道」ネタで
ブログを更新させていただきます。

今回は、かつて都営三田線で
活躍していた6000形でございます。



東京都交通局6000形電車(wikipediaを抜粋)↓

東京都交通局6000形電車は、
東京都交通局にかつて在籍していた
三田線用の通勤形電車である。

日本の鉄道車両で初めて
補助電源装置に静止形インバータ (SIV) を
採用した。車体構造は外板に
ステンレス鋼を用い、骨組みは普通鋼を
用いるセミステンレス車両である。

内装も関東の鉄道では初めて
木目調の化粧板が採用された。

20m4扉車体、制御装置は超多段制御、
主電動機出力100kWといった点に
帝都高速度交通営団5000系との
類似性が伺える。

1968年(昭和43)12月27日の
志村駅(現・高島平駅) - 巣鴨駅間開業と
同時に運用を開始した。

当時は、東武鉄道東上線と
東京急行電鉄との相互乗り入れを
予定していたため、東武・東急とともに
制定した「6号線直通車両規格」
(現在は事実上消滅)に基づき、
各車の全長を20mとし、暫定開業のため
4両編成で配備された。

1969年(昭和44)に鉄道友の会
「ローレル賞」を受賞した。

1972年(昭和47)の6月30日の
巣鴨駅 - 日比谷駅間の開業時より
6両編成となった。なお、設計時は
8両編成を想定していた(3・4号車が
欠車)。

東武鉄道と相互乗り入れを
行う予定であったため、運転台は
東武の通勤形電車(8000系)と
同様に地上線での万一の衝突事故を
考慮した高運転台構造とし、
警笛も東武と同様に両先頭車で
音が若干違うものを採用した。

長年にわたって三田線の
専用車両として運用されてきたが、
1993年(平成5年)6月22日より
後継車両の6300形を導入し、
非冷房だった初期車の置き換えが
開始された。

当初は、過去に三田線との
乗り入れ計画があった東急池上線や
東急多摩川線が実施している
ホームセンサー方式での
ワンマン運転を構想していたこともあり
6300形の投入で初期車を
置き換える一方、6000形のうち
車齢の若いものは改造して
継続使用することも検討されており
1995年(平成7)にはいったん
置き換えが中断された。

ところが、1990年(平成2)6月に
「相互直通運転における
東急目黒線・南北線・三田線・
埼玉高速鉄道線との
車両申し合わせ事項」に基づく
ホームゲート方式のワンマン方式に
決定された後、そのホームゲートの
位置および、これによる乗務員の
安全確認上の問題や、ATOの精度の
問題に加え、それに対応するための
改造費が6300形の導入費用に
匹敵することが判明した結果、
6300形への全面置き換えが決定。

1999年(平成11)に置き換えが再開され
同年12月3日のATC/SR化と、
翌2000年(平成12)9月26日からの
営団地下鉄(現・東京地下鉄)南北線・
東急目黒線との相互乗り入れの
開始に先立ち、1999年11月28日の
さよなら運転を以て6000形は三田線での
運用を終了した。



長々とwikiを「コピペ」してしまって
申し訳ないです m(_ _)m
こんな感じの車両です↓

wikipediaの写真です。


この車両は、昭和50年代後半に
よく乗りました(笑)

当方が小学校低学年の頃に
なりますが、おふくろの
高校生時代の友人が
高島平に住んでいましてね、
家に遊びに行く時は、
必ず大手町で乗り換えて
三田線を利用しました。

どこの線区もそうですが、
地下鉄は他の私鉄と違って
車両形式のバラエティーに
富んでいませんから、
三田線というと必ず6000形に
遭遇するわけです(笑)

この当時は、まだ冷房が
ついていなかったはずですし、
前面に青帯がなかったです。


引退1年前の6000形↓

wikipediaの写真です。


走行音が大好きな私にとって
WN駆動というのは、当時はあまり
魅力がなかった記憶がありますが、
この6000形は出だしの
「低音」が混じった音に
かなり魅力を感じました。
(頭おかしーんで、放置でっ!)

モーター音に関心がある方は
是非、聞いてみてください↓
 都営地下鉄三田線の6000形
 ※kamepo様の動画です。


6000形の台車です↓

鉄道ホビダス台車近影から
 写真を転載しております。


昭和時代の都営の車両は
全て乗り心地のよい
円筒案内式の台車ですね。

近鉄や京急などでは、昔から
積極採用されていますよねっ♪
いつ見ても、素敵ですねっ★


残念ながら、三田線での
営業運転は既に終了していますが
現在も一部編成が譲渡車として
熊本電気鉄道や秩父鉄道・
インドネシアに渡っています。


秩父鉄道で活躍している
6000形の写真が出てきました↓




末永く活躍してもらいたいものです。


本日は大変な「脱線」と「的外れ」な
ブログ更新で申し訳ありません m(_ _)m


それでは、また明日っ!



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皆様、いかがお過ごしでしょうか。

明日の朝は「嵐」のようで・・・
こんな時に限って、月初処理の
立ち合いをしないといけないので
絶対に遅刻出来ないという
おまけがついております(笑)

地元をはしる電車は、嵐に
とっても「弱い」ので、遅れることを
見越して早く家を出なければ・・・


さてさて、本日は「鉄道」ネタで
ブログを更新させていただきます。

今回は、阪神で運用されている
7861形でございます。



阪神7861形(wikipediaを要約・抜粋)↓

7861形は、7801形の派生形式で
1967年の昇圧後も、2両編成で運行が
できる車両を確保するため、
7801・7901形をベースに1966年から
1968年にかけて2連×8本16両が
武庫川車両工業において製造された。

阪神の現有旅客用車両の中では
現役最古参で、阪神最後の
片開き扉車となった7861形は、
2両編成で走行できることから、
2両×3本の6両が残存している。

7861形は7890・7990形とともに
武庫川線の運用に充当されている。



こんな感じの車両です↓


ううっ、ステキな顔つきですね!
やべー、病気がはじまった(笑)


私が若い頃、仕事の都合で
兵庫県の宝塚市に住んでいた話を
過去にしましたが、その時は
まだ「赤胴車」の1形式である
8000系列が多く走っており、
7861形のような顔つきには
よく乗っていましたが、
残念ながら、本形式には
乗車経験がありませんでした。


武庫川駅に停車中の7861形↓



そんな中、現在はまっている(笑)
軍跡探訪で西宮界隈に訪れた際に
ようやく乗車機会に恵まれました。

鳴尾海軍航空隊の遺構を見た後、
武庫川団地前駅まで歩き、
(この時、歩いている途中で
おなかのセルモーターが働き、
トイレ探しが大変でした)
武庫川駅まで7861形に乗車し
武庫川→梅田→新大阪のルートで
ホテルに帰還しました。


7861形の車内です↓


つり革が長げぇ・・・(笑)
このあたりが、昭和の私鉄電車を
象徴していると思います。

ちなみに、武庫川線は
川西航空機鳴尾製作所への
従業員と資材を輸送するための
専用線を引き継いでいます。


7861形はMT比同率で、モーターの
出力が110kWであるため、
編成単位でみると、少々弱いと
個人的には感じますが、
それでも設計最高速度が
110km/hという俊足ぶりです。
でも、残念ながら武庫川支線内では
最高速度が45km/hに抑えられており
高速走行を見ることは出来ません・・・

また、病気が始まりそうだから
聞き流して欲しいのですが、
この時代の阪神電車に採用された
中空軸駆動は音がいいですね。
軽快感がある唸りはたまらんです(笑)


7861形の台車です(付随車用です)↓


住友製のFS341T台車です。

高速走行をすると揺れそうな
感じがしますね・・・(笑)

2両を3編成つないで、6両にして
是非再び本線の優等運用に
ついてもらいたいものですっ!


本日は大変な「脱線」と「的外れ」な
ブログ更新で申し訳ありません m(_ _)m


明日は月初めとなりますので
本来であれば「ホームページ」関係で
ブログ更新となるのですが、
アクセス統計を出すための
収集ツールがバグってしまい
調査するのに時間がかかりそうです。
そのため、通常通り「軍報」での
ブログ更新とさせてくださいませ m(_ _)m


それでは、またお会いしましょうっ!



↑よろしければ、こちらの「応援」も
 ひとつ、お願い申し上げますっ★

皆様、いかがお過ごしでしょうか。


仕事での無能ぶりが評価され(笑)
本日を以って他部署へ異動となるため
ちょっとした催しが業後にあり、
ブログの更新が出来ないと思われるので
今回は13時にアップされるように
事前に予約させていただきますね。


今も東京都区内の西側まで
通勤しているのですが、
今度はもっと西側になります・・・
勘弁してくれ・・・
残業しねーからなっ(笑)


さてさて、本日は「鉄道」ネタで
ブログを更新させていただきます。


今回は、近鉄で運用されていた
3000系について想いを書きます(笑)

なお、毎度のことで恐縮ですが
写真を保有してないので
よそ様からの「転載」であることを
予めお断りしておきます m(_ _)m



近鉄3000系電車(wikipediaを抜粋)↓

近鉄3000系電車とは、近畿日本鉄道が
1979年から2012年まで保有していた
一般車両(通勤形電車)である。

近鉄における省エネルギー車両の
試作車であり、同社唯一の
オールステンレス車両である。

製造当時、具体的な案件としてあった
京都市交通局烏丸線との直通運転に
対応すべく、様々な試作要素を盛り込んで
1979年に近畿車輛で製造された。

当時はバッド社の特許の関係で、
日本国内では東急車輛製造以外の
メーカーではオールステンレスカーの
製造は不可能であったが、近畿車輌では
東急車輛製造とは異なる方法を
採用することによって
オールステンレスカーの製造を行った。

そのため、東急車輛製造以外の手による
オールステンレスカーは日本国有鉄道が
1985年に205系で採用するまでは
本系列が日本国内で唯一の存在であった。



wikiと同じことをずらずらと転記しても
あまり意味がないので、このくらいに(笑)


こんな感じの車両です↓

wikipediaの写真です。

この形式の初めての出会いは
私が中学生の頃で、千葉県では
ほぼ「お決まり」である京都への
修学旅行です。

ちょっと、記憶があいまいですが
近鉄線上で京都市交の車両を
間違いなく見ているので、
近鉄と京都市交が相互乗り入れを
開始したくらいの時期だと思います。

これだけはしっかり覚えていますが
ホテル杉長が修学旅行の宿で
宇治の平等院へヤサカ観光バスで
向かっている途中で
この形式を目撃しました(笑)

この時は、近鉄電車の一般車は
赤一色(だったはず)で、そんな中に
ステンレスの無機質な車両が
京都方面に走っていく姿を
バスの中から見ました。

「こんな形式もあるんだな~」といった
程度の受け止め方でしたが、
近鉄で1編成しか存在しないことを
後になって知り、関心をもちました(笑)


優等運用につく3000系↓

ピロ様ピロのブログより
 写真を転載しています。


乗車経験は、たったの1回(笑)
社会人になって大阪に赴任した時、
関西に滞在する機会なんか
そうそうないから、これを機に
色々なところを行ってみようと
この日は京都タワーに行ったんです。
(お友達少なかったので一人で・・・)


今、思い返すと、この時期は
地下壕系しか関心がなかったのですが
ジャンルを問わずに軍跡の探訪を
本格的にやっていればよかったな・・・と
後悔してます(涙)


あっ、ちょっと脱線しましたが、
最寄り駅の清荒神から阪急電車で
十三を経由して烏丸まで行き、
烏丸から地下鉄で京都駅に向かう
ルートで行きました(笑)

京都タワーから眺望を楽しんだ後は
ついでと言っては語弊がありますが
東西の本願寺を見て帰りました。

帰りのルートは、行きと同じじゃ
マニアとしては能がないから
京都駅から近鉄に乗って
丹波橋から京阪で京橋に行き
ここからは通勤定期を使って
大阪梅田~清荒神としました。

まえおきがものすごく長くなりましたが
京都駅から丹波橋まで乗った電車が
4両編成の3000系だったんです。
(確か、急行の天理行きです)

中学時代にバスから見ただけの
たった1編成の形式の乗車機会に
恵まれたことに感動しました(笑)


1両切り離した3両で運用につく
3000系の急行↓

大和路ポストマン様
 気ままに、気まぐれ鉄道フォト
 写真を転載しています。


京都~丹波橋までは駅間距離が
そんなに長くはないので、スピードは
あまり出してくれませんでしたが、
チョッパ音やモーター音を
楽しむことが出来ましたっ!
(頭、おかしいね・・・)


よそ様のものとなりますが、
ご参考までに、興味があれば
是非、走行音もお楽しみください↓
 近畿日本鉄道(近鉄)3000系
 ※気ままに鉄道走行音様
  動画です。


関東の鉄道だと、これに近しい音は
今年度で廃車になってしまう
都営新宿線の10系だと思います。

くうぅ、どの速度域をとっても
ものすごく好みの「音」ですっ!
(頭おかしいんで放置してください)


最後に3000系の台車です↓

ピロ様ピロのブログより
 写真を転載しています。

近車のKD-84台車です。
いつも思いますが、近畿車輛の
ウイングバネ台車は非常に
乗り心地がよいですっ!


はあぁ、この形式を含めて
廃車になってしまうのは
実に「もったいない」です。

私が鉄道好きでいられるのも
もはや「時間の問題」かな。。。


ここのところ、「軍報」以外での
更新で申し訳ありません m(_ _)m

明日は月初めとなりますので
恒例の「ホームページ」関係での
ブログ更新とさせてくださいませ。


それでは、またお会いしましょうっ!



↑よろしければ、こちらの「応援」も
 ひとつよろしくお願いします♪