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戦争遺跡のご紹介やホームページの制作状況などを綴っていきます♪

総軍BLOGへようこそっ!

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祐実総軍三等兵

Author:祐実総軍三等兵
全国に残る戦争遺跡を探訪し
記録することを趣味とする
祐実総軍三等兵ですっ★

稚拙な内容ではございますが
これまでに関係者の皆様方と
見てきた戦争遺跡を中心に、
ブログ・ホームページなどで
順次ご紹介をしていきます♪

よろしくお願いしますっ★

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皆様、いかがお過ごしでしょうか。


おかげさまで、9日に誕生日を迎え
1つ歳を重ねました。


1つ老いて、探訪がますます盛んに
なるように頑張っていきたいものです。


あっ、仕事を盛んにする気は
毛頭ないので諦めてください(笑)


さて、私の誕生日とともに
77回目の長崎原爆祈念日を迎えたので
今回は那瑠絵軍團「軍報」の
第45弾といたしまして
長崎県長崎市におかれた
坂本陸軍埋葬地をご紹介します↓




坂本埋葬地は、長崎市内に展開した
陸軍部隊に所属していた戦没者や
戦病没者の方々が埋葬されている
陸軍墓地です。

現在は長崎県に移管されており
坂本町墓地となっていますが、
区画内には11名の個人墓があるほか
門柱や軍用地境界標が残ります。



長崎探訪の最終日に
我が総軍大元帥にわがままを言い
坂本町墓地にやってきました↓



少し上ったところに
軍用地境界標がありました↓



そのまま進んでいくと
陸軍墓地の入口です↓



すぐ横に2つの石碑があり
長崎に展開した重砲兵大隊の
前身にあたる長崎砲隊からの経緯と
この地に眠る11名の氏名・階級・
戦傷病死年月・場所が書かれてます↓



さらに進んだところに
11名の個人墓があり
全て見渡せる場所から
お祈りを捧げました↓



最初に確認した軍用地境界標が
ちょっと気になったので、敷地の
外側を歩いていくと、記載が異なる
標柱を見つけることが出来ました↓



標柱系が大好きなお供のボスくんが
もう1本、発見したようです(笑)↓
c_6.jpg


さらに外周を進んでいくと
さきほどの個人墓へつながる
参道にぶつかり、門柱がありました↓
c_9.jpg


こっちが本来の入口のようです↓



門柱があるということは
敷地の境界部分なので
軍用地境界標が他にもないか
軽く歩いてみましたが、
この1本しか見つけられず…↓



確認出来た4本の標柱で
バリエーションが3つあったので
敷地の拡張に関係したのか?…と
思いながら、タイムアップのため
これにて引き揚げます↓



【収録遺構】
 坂本陸軍埋葬地
 (坂本陸軍墓地)

  門柱 1箇所
  軍用地境界標 4本
  墓標様

【探訪情報】
 2020.09.22 第1回探訪

 歩数(指数) 622歩(80)


後ほどホームページ内でも
ご紹介させていただきますねっ♪


それでは、またお会いしましょうっ★



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皆様、いかがお過ごしでしょうか。


最近、仕事が大好き過ぎて
疲れてしまい、ブログの更新が
止まってしまいました…


しかも、謎(笑)の金欠という
ダブルパンチで士気も低いです。


仕事するとお金が入るはずなのに
どうしてないんでしょうかね…


きっと、会社の
「金は出したくねえけど、
とことん働いて欲しい」という
方針のせいですね(笑)


さて、今回は那瑠絵軍團「軍報」の
第44弾といたしまして
福岡県北九州市におかれた
石峯山電測陣地の遺構群を
簡単にご紹介させてください↓




石峯山電測陣地は、
対空レーダーを運用する
石峯山高射砲台の付属施設で
1944年(昭和19)に建設されました。

ここには高射砲第一三一連隊の
電測小隊が展開して
「タチ」と呼ばれた
電波標定機が設置され
配備についていたようです。

現在、跡地は山林になっていますが
遺構が残っています。



探訪順序が前後しますが
陸軍伍長先生賢仁先生と一緒に
若松区の石峰山周辺に
お邪魔しています↓



さっそく、電測陣地から
1段下がった場所に
方形の区画がありました↓



山を少しだけ上がります↓



小高い山を上りきった場所に
電波標定機の設置痕が
残っていました↓



さっそく下りてみると、
電波標定機が設置されていた
円形部分の両端が突き出ており
部屋のような空間が
設けられています↓




これまでに、こういったものを
見たことがなかったので
お供のカエル軍団ともども
驚きました↓



ここから延びる通路と思われる
塹壕を進んでいくと…↓



もう1つ残っていました↓



上屋が付けられていたと判る
溝がきれいに残っています↓



どちらも、深さは
約2メートルほどでした↓



他にも遺構がないか
周辺を歩いてみると…↓



お供のサブ郎さんが
軍用地境界標を見つけました(笑)↓



標柱は「陸」の表記と
上部に陸軍記号「M」が
刻まれています↓



このほか、この周辺に
2本ほど確認出来ました↓




さらに北へ進むと
地形が急に下がっているため
何もないと判断し引き返します↓



途中、標柱と考えられる石が
切断されて転がってました…↓



来た道を戻り、
麓を軽く見ていきます↓



地下壕が1つだけ
確認出来ました↓



奥行きは約3メートルと短く
退避用の防空壕かと思われます↓



日が西に傾き、
そろそろ帰還の時間なので
急いで次の案件に進みます↓



【収録遺構】
 陸軍高射第四師団
 高射砲兵第一三一連隊
 石峯山電測陣地

  軍用地境界標 4本
  地下壕 1箇所
  その他 4箇所

【探訪情報】
 2022.01.01 第1回探訪

 歩数(指数) 未計測(100)


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皆様、いかがお過ごしでしょうか。


早春は三寒四温といわれるだけあり
暖かい日と寒い日が交互に続き、
服選びが面倒ですね…


朝と夜がまだ寒いので
今月いっぱいはコートを着て
クソ仕事に向かおうと
思っていますけどね。


さて、今回は那瑠絵軍團「軍報」の
第43弾といたしまして
福岡県北九州市におかれた
大蔵高射砲台のものと思われる
遺構をご紹介させてください↓




大蔵高射砲台は、八幡製鉄所をはじめ
周辺におかれた軍需工場群を
防衛するため1944年(昭和19)に
建設が開始されました。

ここには、高射第四師団の
隷下におかれていた
高射砲兵第一三二連隊の
1中隊が展開し、8センチ高射砲が
6門設置されていました。

現在、砲座周辺は勝田公園や
住宅地に変遷して整地されており
面影が全くありませんが、
当時のものと推測する遺構が
残ります。



陸軍伍長先生賢仁先生と一緒に
勝田公園にお邪魔しています↓



麓から細い道を住宅地を縫って
グネグネ走り、一気に上がるので
公園からの景色もいいです↓



さっそく、公園内を
見ていきます↓



残念ながら、砲座が
おかれていた場所は
公園の広場になっており
整地されていますね…↓



公園の一番奥に進んだ左側の
林の中に境界柵と考えられる
古いコンクリート支柱群が
並んでいますが、フェンスの先で
よく見えませんでした…↓



反対側は見はらし台があり
小倉方面が美しく見えました↓



引き返すように
進んでいくと、今度は東側に
境界柵が出てきました↓



高射砲は扇形に6門配置されて
いたようですが、その場所は
こんな感じに整地されています↓



引き返すように公園道を進むと
一部、コンクリートの残骸が
残っていました↓



砲座がおかれていた場所なので
砲側庫や兵員待避所の一部かも
しれませんね…↓



この奥が砲座…ということに
なりそうですが、埋まってるのか
完全に破壊されているのか
よくわからないですね…↓



お供のサブ郎さんも
カバンから出てきて
熱心に見学を始めました↓



3人で手分けして周辺も
確認しましたが、残念ながら
何も見つけられませんでした↓



さらに東側の境界柵に沿って
進みます↓



一段下がったところが
平場になっているので
怪しいと思いましたが
埋もれており、こちらも
めぼしいものを見つけられず…↓



もう少し見てみたかったですが
次の案件が控えているので
このあたりで撤収しました↓



【収録遺構】
 陸軍高射第四師団
 高射砲兵第一三二連隊
 大蔵高射砲台

  その他 3箇所

【探訪情報】
 2022.01.01 第1回探訪

 歩数(指数) 未計測(100)


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皆様、いかがお過ごしでしょうか。


平日はまったくもって
つまらないですなぁ…


ただ、仕事しているだけの
5日間ばかりだと、何のために
生きているんだろうと
本気で考えてしまいますな。


仕事のために生活なんか
してるわけないのにねぇ。


ここのところ、週末探訪も
延期・延期でろくにしてないので
余計に感じてしまいますな…


さて、今回は那瑠絵軍團「軍報」の
第35弾の続編といたしまして
福岡県北九州市におかれた
陸軍下関要塞地帯標のうち
八幡東区田代町の1本を
簡単にご紹介させてください↓



なお、これは「後続記事」ですので
よろしければ「本記事」も
ご覧くださいませ↓

 (35)陸軍下関要塞地帯(北九州市)



帰省中の陸軍伍長先生
北九州市八幡東区の
田代町の集落にお邪魔中です↓



田代町地区を南北に縦断する
県道沿いに要塞地帯標が
残っています↓



「FZ 3Z 下関要塞第三地帯標」・
「第一九號」と書かれてます↓



背面に「陸軍省」の記載が
ありますね↓



地帯標を正面に見て右側面に
「明治三十二年九月一日」と
書かれています↓



もう日没間近ですが
お供のカエル軍団も
熱心に見学してました(笑)↓



向かいの公園に案内板が
見えたので、行ってみると
昔の小倉藩と福岡藩によって
建てられた国境石のもので
要塞地帯標ではなく
ちょっと残念でした…↓



完全に陽が沈んでしまったので
最寄りの都市モノレールの駅まで
送ってもらい、ホテルに戻りました↓



【収録遺構】
 陸軍下関要塞地帯
 (福岡県北九州市)

  軍用地境界標 4本

  軍用地境界標 1本(今回追加)

【探訪情報】
 2017.02.20 第1回探訪
 2020.12.30 第2回探訪
 2020.12.31 第3回探訪
 2021.12.31 第3回探訪

 歩数(指数) 未計測(80)


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皆様、いかがお過ごしでしょうか。


1月最後の3連休ですね…
これが終わると、いよいよ
仕事イキイキが本格的に
動き出す感じですかね。


今年は特に正月を過ごした実感が
わかないので、あと1週間くらい
休みを継続したいですな。


まあ、今年も仕事はイキイキ達の
変なやる気に振り回されず
適度にやらせてもらいますよ。


さて、今回も引き続き
那瑠絵軍団「軍報」の
第42弾といたしまして
福岡県北九州市におかれた
牧山高射砲台の遺構群を
簡単にご紹介させてください↓




牧山高射砲台は、八幡製鉄所と
周辺におかれた軍需工場群を
防衛するため1941年(昭和16)に
建設が開始されました。

ここには、高射第四師団に隷属した
高射砲兵第一三一連隊の1中隊が
展開し、7センチ高射砲が
6門設置されていたほか、
広い範囲に陣地が築かれて
いたようです。

現在、砲座周辺は牧山展望公園として
整備されており、面影がありませんが
公園内に遺構が少し残っています。



2022年最初の探訪は北九州より、
陸軍伍長先生賢仁先生
牧山展望公園を見ていきます↓



まずは、公園内の南東側を
進んでいきます↓



丘を上がったところに
1つ目の砲座が残っています↓



整地用の排水溝を新設した際、
よく撤去されなかったなと
感心しちゃうような場所に
残っていました↓



展望公園というだけあって
ここからの風景も
見ごたえがありました↓



他にもないか、公園内を
見ていくと…↓



2つ目の砲座が
残っていました↓



千鳥ヶ淵のように、公園内の
雰囲気に馴染んでいますが
案内板が設けられてないのは
なんだか勿体ないです…↓



お供のサブ郎さんも
熱心に見学を始めました(笑)↓



引き続き、公園内をくまなく
歩いてみます↓



住宅地との境界部分に
柵柱と考えられるコンクリート製の
古い柱が1本ありました↓



砲座群から少し下がった場所が
ちょっとした広場になっており
付属施設の跡と考えられますが
区画だけで詳細不明です↓



時間が圧しているので
次の案件に進んでいきます↓



【収録遺構】
 陸軍高射第四師団
 高射砲兵第一三一連隊
 牧山高射砲台

 砲座 2箇所
 その他 1箇所

【探訪情報】
 2022.01.01  第1回探訪

 歩数(指数) 未計測(100)


また、後ほどホームページ内でも
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