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戦争遺跡のご紹介やホームページの制作状況などを綴っていきます♪

総軍BLOGへようこそっ!

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祐実総軍三等兵

Author:祐実総軍三等兵
全国に残る戦争遺跡を探訪し
記録することを趣味とする
祐実総軍三等兵ですっ★

稚拙な内容ではございますが
これまでに関係者の皆様方と
見てきた戦争遺跡を中心に、
ブログ・ホームページなどで
順次ご紹介をしていきます♪

よろしくお願いしますっ★

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皆様、いかがお過ごしでしょうか。


関東近辺の桜の開花予報が
来週末あたりだそうで…


桜が葉っぱだらけなる頃には
当方の苦手なケムシが
ご登場されるので、藪漕ぎを伴う
探訪は早めにしておかないと…


今シーズンの終焉は
いつもより早そうですね(涙)


さて、今回は那瑠絵軍團「軍報」の
第26弾といたしまして、
福岡県大牟田市におかれていた
片平山高射砲台のものと推測する
遺構群を簡単にご紹介します↓




片平山高射砲台は、航空機に使う
燃料などを製造していた
三井化学工業をはじめとした
工場の防衛を目的として
1945年(昭和20)に設置されたようです。

ここには8センチ高射砲を6門据え付け
独立高射砲兵第二十一大隊の1中隊が
防空任務についていたほか、
周辺には大隊の本部も
おかれていたようです。

現在、跡地は延命公園・
大牟田市動物園に変遷していますが
当時のものと推測する遺構が
残っています。



我が総軍大元帥と一緒に
大牟田市の延命公園に
お邪魔しております↓



ここに来る前にも山上りを
強要しているので、大元帥の
態度もこんな感じです・・・↓



南下するように山を上ると中腹で
大隊本部に関連するかもしれない
石垣で補強した掘平地が残ります↓




さらに進んでいくと、境界柵とおぼしき
古いコンクリート支柱があります↓



砲座がおかれていた展望台の
一段下がったところに石垣が
残ります↓



関連する建物跡と推測します↓



展望台のほぼ真下に
弾薬庫と思われるコンクリート製の
地下施設が残っていますが
残念ながら封鎖されています↓



地下施設の上部はこんな感じです↓



展望台からの眺めもステキでした↓



展望台の東側にあたる高台に
終戦直後の航空写真にも
写っているように見える
構造物がありました↓



軍跡探訪の猛者であれば
ピンとくると思っていますが
指揮所でしょうか・・・↓



ここから大牟田市動物園方面に
下るように進んでいくと
こちらも怪しい構造物が残ります↓



時間が圧してしまっているなか
いいタイミングでバスが来たので
大牟田駅まで戻り、次の案件を
目指していきます↓



【収録遺構】
 陸軍高射第四師団
 独立高射砲兵第二十一大隊
 片平山高射砲台

  地下施設 1箇所
  建物基礎 1箇所
  その他 5箇所

【探訪情報】
 2019.11.03  第1回探訪

 歩数(指数) 未計測(70)


のちほど、我々のホームページでも
ご紹介させていただきますね。


それでは、またお会いしましょうっ★



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皆様、いかがお過ごしでしょうか。


先週から、大好きな仕事が忙しく
イキイキと残業しながら
平日の自由時間が1時間しかない
ステキな生活を送っております。


それも今週まで。
来週から手のひらを返します(笑)


やらない人に、してあげる義理もないし
そもそも私はいい人じゃないんで。


「目の上のたんこぶ」だなんて
思っている人にはなおさらですな。


さてさて、愚痴も上々なところで
今回は、前回に引き続き
福岡県久留米市におかれていた
久留米陸軍墓地の遺構を
ご紹介させていただきます↓



なお、これは「後続記事」ですので
「本記事」もご覧くださいませ↓

 【那瑠絵軍團】(25)久留米陸軍墓地



前回の記事に引き続き
我が総軍大元帥と一緒に
久留米競輪場付近にお邪魔中です↓



煉瓦で造られた遥拝台が
見えてきましたよ↓



遥拝台の全体像です↓



案内板も設けられています↓



内部に入れるようなので
早速、見学していきます↓



螺旋階段を上がって頂部に
進んでいきます↓



頂部はテラスのように
なっています↓



皇居がある東に向けて
「宮城遥拝」の文字が刻まれた
遥拝塔がおかれています↓



当方もまだまだ探訪が足りませんが
この手の遺構を陸軍墓地内で
初めて見ました。


来た方向へ戻るようにして
遊歩道を進んでいきます↓



これも、初めて目の当たりにする
円形の野外講堂が残っています↓



ステージ上部に扁額があり
「養其神(そのしんをやしなう)」と
刻まれています↓



ステージの背面にまわると
モルタルが剥がれており
煉瓦で造られていることが
判ります↓



こちらも案内板が立てられています↓



とてもめずらしい遺構なので
じっくりと見てしまったため
時間が圧してしまい、大急ぎで
次の案件に進んでいきます↓



【収録遺構】
 久留米陸軍墓地

  橋梁 1箇所
  軍用地境界標 1本
  その他 5箇所

  その他 2箇所(今回追加)

【探訪情報】
 2019.11.02  第1回探訪

 歩数(指数) 未計測(100)


のちほど、我々のホームページでも
ご紹介させていただきますね。


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皆様、いかがお過ごしでしょうか。


ここのところ、暖かい陽気が
続いていますが、もう冬は
おしまいなのでしょうかねぇ。


次週は、お楽しみの呉遠征です。
服や靴も新しくして、髪も切り
切符も購入したので、準備は
万端ですっ★


あとは、お天気ですね・・・
滞在する5日間、もちこたえてくれると
ありがたいのですが(祈)


さて、今回は那瑠絵軍團「軍報」の
第25弾といたしまして
福岡県久留米市におかれていた
久留米陸軍墓地の遺構群を
2回に分けてご紹介します↓




久留米陸軍墓地は、久留米市内に
展開した陸軍部隊の戦病没者の
墓地として1939年(昭和14)に
建設工事が始まり、それまで山川町に
おかれていた墓標をここに移す形で
1942年(昭和17)に完成し、
終戦まで存続しました。

現在、跡地の大半が久留米競輪場と
なっており、参道や忠霊塔・遥拝台などが
残るほか、他方の陸軍墓地では
見られない講堂が残存しており、
簡単に見学することが出来ます。



我が総軍大元帥と一緒に
久留米競輪場付近に
お邪魔しております↓



墓地の参道を歩いていきます↓



参道の両側には灯篭群が
並んでいます↓



参道をさらに進んでいくと
放生池に架けられた
陸軍橋が残っています↓



橋梁の欄干部分に「陸軍橋」・
「昭和十七年四月竣工」と
記載されています↓




陸軍橋の近くに、土砂で埋まった
構造物がありましたが
当時のものと思われます↓



そのまま突き当たりまで進むと
忠霊塔があります↓



忠霊塔の裏に、ここに移される前の
山川町墓地の墓標が
埋められているそうですが、
現在は区画が判るのみのようです↓



忠霊塔の西に位置する
正源氏公園内に、高良川を挟んで
国分町方面を一望出来る
臨川台(りんせんだい)が
残されています↓



階段を下りた広場で
何かを見つけたようです↓



おおっ、軍用地境界標です↓



勢いにのって、周辺を探しましたが
残念ながら失敗しました・・・↓



いったん、競輪場まで戻り
今度は遥拝台と野外講堂を
見学しましたが、これらは
次回の掲載とさせてください。


【収録遺構】
 久留米陸軍墓地

  橋梁 1箇所
  軍用地境界標 1本
  その他 5箇所

【探訪情報】
 2019.11.02  第1回探訪

 歩数(指数) 未計測(100)


のちほど、我々のホームページでも
ご紹介させていただきますね。


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皆様、いかがお過ごしでしょうか。


早いもので、2019年もあと少しで
おしまいですね。


当方の正月休みは10連休ですので
年末は関西方面にお邪魔して
探訪しようと思っています!

ご都合が合えばご一緒しましょう★


さて、今回は那瑠絵軍團「軍報」の
第24弾といたしまして、
福岡県福岡市におかれていた
福岡連隊区司令部の軍用地境界標を
ご紹介させていただきます↓




連隊区は区域内の徴兵や召集に
関連する兵事事務を行うための部署で
歩兵連隊の所在地に司令部が
設置されていました。

福岡連隊区は、1896年(明治29)に
福岡県内の兵事事務を行う部署として
設置され、小倉におかれた
第十二師管区に隷属しました。

その後、複数回にわたる
陸軍管区表の改正で、隷属先や
兵事事務の管轄が変更されましたが
終戦まで存続しました。

現在、跡地は住宅地や団地に変遷し
面影がありませんが、敷地の外周に
軍用地境界標が残っています。



我が総軍大元帥と一緒に
地下鉄七隈線の薬院大通駅から
歩いていきます↓



薬院大通を西に進んでいくと
軍用地境界標が残っています↓





敷地の北端にあたる薬院大通を
引き続き進んでいきます↓



軍用地境界標が2本残っています↓




埋まって頭部しか出ていませんが
北西端にも2本残っていました↓




続いて西端をはしる道路を
歩いてみましたが、残念ながら
何も残っていませんでした・・・↓



今度は南端をはしる道路沿いを
進んでいきます↓



南東端にあたる部分に
軍用地境界標が1つありました↓



さらに東端部分をはしる
道路を進んでいきます↓



軍用地境界標を2本ほど
確認することが出来ました↓




敷地を1周したので、次の案件に
向かって地下鉄に乗ります↓



【収録遺構】
 陸軍第十二師管
 福岡連隊区司令部

   軍用地境界標 9本

【探訪情報】
 2019.11.02  第1回探訪

 歩数(指数) 未計測(100)


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あと少しで11月も終わりですね。
四季では、まだ「秋」なので、
コートを着るにはまだ早いと
寒がりのくせに我慢していましたが
ここ数日の寒さで着用開始です…


今からこんな状態で、寒がりの私が
はたして今冬を越すことが出来るか
不安ですね。


さて、今回も引き続き
那瑠絵軍團「軍報」の第23弾として
福岡県福岡市におかれていた
歩兵第二十四連隊の遺構群を
ご紹介させてくださいませ↓




歩兵第二十四連隊は、熊本に
司令部がおかれた第六師団に
隷属する部隊で、1884年(明治17)に
師団の前身にあたる熊本鎮台の
傘下部隊として編成され、
福岡城内の兵営に入りました。

日清戦争を経て、日本の軍備増強の
必要性から、現在の北九州市で
第十二師団が新設されると
その隷下に変更され、その後の
日露戦争では第十二師団とともに
第一軍の傘下部隊として活躍しました。

昭和時代に入ると上海事変を皮切りに
出征し、日中戦争へ突入したことで
満州へ移駐すると、その後は
留守部隊が兵営を使用し
補充や特設連隊の創設などが
行われました。

現在、跡地は舞鶴公園や
福岡市営平和台陸上競技場に変遷し
面影がなくなっていますが
舞鶴公園内の北西端に
軍用地境界標と、当時の表門に
植えられた桃の木が移設されており
福岡連隊の碑とともに
保存されています。



我が総軍大元帥と一緒に
福岡市内の大濠公園駅に
到着いたしました↓



ここから舞鶴公園に向かって
進んでいきます↓



舞鶴公園の北西端にあたる部分に
福岡連隊の碑が設置されており
その背面には当時の表門付近に
植えられていた桃の木があります↓



桃の木を囲むようにして
軍用地境界標が移設されています↓






見づらいですが、いずれも
背面部分に通し番号が
漢数字で記載されていました↓



時間が圧しているので
公園内を簡単に散策して
次の案件に移動していきます↓



【収録遺構】
 陸軍第六師団
 歩兵第二十四連隊
 (陸軍第十二師団
  歩兵第二十四連隊
  陸軍第十八師団
  歩兵第一二四連隊
  陸軍第五十六師団
  歩兵第一一三連隊 ほか)

   軍用地境界標 4本

【探訪情報】
 2019.11.02  第1回探訪

 歩数(指数) 未計測(90)


のちほど、我々のホームページでも
ご紹介させていただきますね。


それでは、またお会いいたしましょう★



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