戦争遺跡のご紹介やホームページの制作状況などを綴っていきます♪

総軍BLOGへようこそっ!

♦ プロフィール

祐実総軍三等兵

Author:祐実総軍三等兵
全国に残る戦争遺跡を探訪して
記録することを生き甲斐とする
祐実総軍三等兵でございます★
稚拙な内容ではございますが、
これまで調べてきた戦争遺跡を
ブログ・ホームページで紹介を
させていただいておりますっ♪

よろしくお願いしますm(__)m

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皆様、日々のご精勤・ご講義
誠にお疲れ様でございます。

三等兵が大好きだった「クソ仕事」は
しばらくの間、お休みします★
その間は、以前にも触れましたが
本当に大好きなことを
「仕事」に見立てて実践しますっ♪

ちなみに、本日は我々のホームページ
追加作業を本格的に実施しているため
早朝からPCにかぶりついております!
三等兵の「本気」はヤバいですよ~(笑)

本気期間中は色々とご期待いただければ
幸いでございます m(_ _)m


さて、本日は那瑠絵軍團「軍報」の
第14弾といたしまして
福岡県北九州市におかれていた
歩兵第十二旅団の遺構を
1つだけご紹介させてくださいませ↓




歩兵第十二旅団は、陸軍の
師団編成の前身である
熊本鎮台に隷属した部隊で、
歩兵第十四連隊と歩兵第二十四連隊を
傘下とし、1885年(明治18)に
司令部が福岡におかれました。

1898年(明治31)に入り、軍備増強の
必要性から新設された第十二師団が
現在の北九州市に設置されると
傘下となって小倉城跡に旅団司令部が
移されますが、1925年(大正14)の軍縮で
第十二師団が久留米に移駐すると
再び福岡に司令部が移されました。

現在、跡地は小倉城跡を擁する
勝山公園となり整地されていますが、
当時の門柱が残っており
簡単に見学することが出来ます。



おピンちゃん先生と一緒に
北九州市にお邪魔しております↓



勝山公園内に門柱が残っています↓




司令部跡を風化させないように
石碑が建てられています↓



梅の花が綺麗でした↓



とっても上品なネコちゃん達です。
当然ながら、三等兵には
見向きもしません↓



探訪日が九州遠征の
初日でしたので、初陣を祝って
鶏料理でお酒にしました~(笑)↓



【収録遺構】
 陸軍第十二師団
 歩兵第十二旅団
 旅団司令部

  門柱 1箇所

【探訪情報】
 2017.02.17  第1回探訪

 歩数(指数) 1,063歩(100)


詳細は、後ほどホームページ内でも
ご紹介させていただきますっ★


それでは、また明日っ★



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 応援してやってくださいっ♪
 (のちほど、お返しポチも
 させていただきますね~)

皆様、日々のご精勤・ご講義
誠にお疲れ様でございます。

仕事「大好き」の三等兵は、
今週が一番の「地獄」ですので
変則的な時間帯のブログ更新を
お許しくださいませ m(_ _)m


本日は、那瑠絵軍團「軍報」の
第13弾といたしまして
福岡県北九州市におかれていた
皇后崎高射砲台に関連するものと
思われる遺構群のご紹介です↓



皇后崎高射砲台は、
八幡製鉄所と周辺におかれた
軍需工場の防衛を目的として
1941年(昭和16)に建設が
開始されました。

ここには、西部高射砲集団からの
改編によって編制された
高射第四師団に隷属する部隊である
高射砲兵第一三一連隊が
防備を担当し 8センチ高射砲が
6門設置されていました。

現在、砲座周辺は住宅地に
変遷しており、当時の面影が
ありませんが、皇后崎公園の敷地内に
関連していたものと推測する
遺構が残っており
見学することが出来ます。


今回もおピンちゃん先生と一緒に
黒崎駅からスタートします↓



筑豊電車に乗り、皇后崎公園に
向かっていきます↓



皇后崎公園の麓付近に
境界柵と思われるコンクリート製の
柱が一部残っています↓



公園内にも当時のものと
推測する遺構が残っています↓





ここにきて、腸のセルモーターが
急に作動し、緊急ピットインです(笑)↓



すっきりしたところで次へ移動です↓



【収録遺構】
 陸軍高射第四師団
 高射砲兵第一三一連隊
 皇后崎高射砲台

  その他 4箇所

【探訪情報】
 2017.02.17  第1回探訪

 歩数(指数) 1,382歩(100)


詳細は、後ほどホームページ内で
ご紹介させていただきますっ★


それでは、またお会いいたしましょう!



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皆様、いかがお過ごしでしょうか。

三等兵は、大好きな「お仕事」により
拘束時間「満載」でやっております。
来月は最大限に休む予定ですっ!
やってやりますっ(笑)

こんな三等兵めに、皆様方から
たくさんのメールを頂戴しておりますが
昨日から完全に「停滞」しました。
私の大好きな「仕事」のおかげです。
申し訳ありません m(_ _)m

おそらく、拙ブログを
毎日見てくださっている方々なので、
あえてここに書いちゃいますが、
土曜日までお時間をくださいっ!
必ずや返信をさせていただきます。


さて、本日も時間がない状況下で
「軍報」の掲載をさせてくださいませ。
今回は那瑠絵軍團管轄案件の
第12弾といたしまして、
福岡県北九州市に残る
門司出征軍馬水飲場の遺構を
1つだけご紹介させてください↓



門司港は、明治時代から
九州の玄関口としての役割をもち、
戦前より交通の要所でした。

特に戦時中は、多くの兵士や
軍用馬などが戦地へ渡るための
重要な前線港として機能しました。

そのため、現在の門司港レトロ地区には
倉庫や商用施設などが
建設されたほかに、出征軍馬の
水飲み場が周辺におかれていました。

現在は観光地として整備されているため
多くの歴史的建造物が保存されてますが
その中には出征軍馬の水飲み場も
1箇所だけ含まれており見学が可能です。


毎度おなじみのおピンちゃん先生
一緒に門司港駅からスタートです↓



「バナナの叩き売り」の発祥が
門司だったとは・・・(笑)↓



門司港からは関門大橋が
見ることが出来ます★↓



水飲場の遺構です↓



隣接してモニュメントがあります↓



出征軍馬の水飲み場として
案内板が設置されているものの、
水飲場の本体には
「畜産組合馬水飲場」と
彫られているので、もしかしたら
出征軍馬に特化したものでは
ないのかもしれませんね・・・↓



【収録遺構】
 門司出征軍馬水飲場

  その他 1箇所

【探訪情報】
 2017.02.18  第1回探訪

 歩数(指数) 1,096歩(100)


詳細は、後ほどホームページ内で
ご紹介させていただきますっ★


それでは、大好きな「仕事」の
続きをしたいと思います(怒)


また明日お会いいたしましょうっ!


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皆様、こんばんわ m(_ _)m

いや~、昨日の士気の低さを
引きずってしまい、忙しいはずの
大好きな「仕事」に手がつかず、
早々に帰ってきました(笑)

まあ、職場を自分の「家」と
勘違いしちゃってる連中の主張に
はなから付き合う気なんかないしっ★


さてさて・・・
本日は那瑠絵軍團「軍報」の
第11弾といたしまして
前回に引き続き、福岡県北九州市から
小倉陸軍墓地のご紹介ですっ↓



小倉陸軍墓地は、北九州市に
展開していた陸軍部隊の戦没者や
戦病没者の方が埋葬されている
陸軍墓地で、それまで小倉地区に
おかれていた2箇所の墓地が
手狭となったことにより、
1942年(昭和17)に黒原地区へ
集約移転の形をとり
設置されました。

ここには、半地下式の納骨堂を
有する忠霊塔が建立されて
約4,500の御霊様が祀られ、
現在も忠霊塔の周辺は公園として
整備されており、春になると
桜が咲き誇る花見の名所として
多くの市民に親しまれているそうです。


おピンちゃん先生とともに
今回も北九州市にお邪魔してます↓


今回はkan先生ブログ
参考にさせていただき
記録作業に臨んでいきます。


軍用地境界標が残存しています↓





1942年(昭和17)に建立された
御手洗です↓



忠霊塔です↓



【収録遺構】
 小倉陸軍墓地

  軍用地境界標 3本
  その他 2箇所

【探訪情報】
 2017.02.18  第1回探訪

 歩数(指数) 1,477歩(100)


詳細は、後ほどホームページ内で
ご紹介させていただきますねっ★


それでは、またお会いいたしましょう!


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皆様、いかがお過ごしでしょうか。

三等兵は、ちょっと頭が痛くて
早々に帰宅しました~(汗)
でも、ちゃっかりホームページ
更新とかしちゃってます(笑)


さてさて・・・
本日は那瑠絵軍團「軍報」の
第10弾といたしまして
福岡県北九州市におかれていた
富野堡塁のご紹介です↓



富野堡塁は下関要塞の 1つであり
田向山砲台の南西部に位置する
標高90メートルの稜線突角に
設けられた側防用の堡塁で、
高蔵山堡塁砲台に続いて
中条・黒原・足原・小倉方面を射撃し、
田向山砲台と笹尾山砲台の
側防を主目的として1889年(明治22)に
完成しました。

ここには、12センチカノン砲を
8門据え付けて、2門ずつを1砲座とし
首線は第一砲座が南西80度に対し
第四砲座が南西50度と、
各砲座間に10度ずつの変化を
出すように構築されました。

現在、堡塁の跡地には
軽費老人ホーム望玄荘や
展望台などが建てられて
整地されているものの、
地下施設を中心とした遺構が
残っています。


北九州市内にお邪魔しております↓



山の麓でおピンちゃん先生
ストレッチが入りました(笑)↓



気合いがのったところで
望玄荘に到着しました↓



駐車場内に弾薬庫とおぼしき
地下施設が1つ残ります↓



この奥にも掩蔽部が7つ
繋がるようにして残っています↓





山を下った道路沿いにも
防御営造物境界標が
残っていました↓



おピンちゃん先生の
お友達がいるお店
お昼ごはんにしました(笑)↓




【収録遺構】
 陸軍下関要塞富野堡塁

  地下施設 8箇所
  軍用地境界標 1本

【探訪情報】
 2017.02.18  第1回探訪

 歩数(指数) 6,829歩(100)


詳細は、後ほどホームページ内で
ご紹介させていただきますねっ★


それでは、またお会いいたしましょう!


↑ホームページの制作意欲に
 つながりますので、もしよろしければ
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