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戦争遺跡のご紹介やホームページの制作状況などを綴っていきます♪

総軍BLOGへようこそっ!

♦ プロフィール

祐実総軍三等兵

Author:祐実総軍三等兵
全国に残る戦争遺跡を探訪し
記録することを趣味とする
祐実総軍三等兵ですっ★

稚拙な内容ではございますが
これまでに関係者の皆様方と
見てきた戦争遺跡を中心に、
ブログ・ホームページなどで
順次ご紹介をしていきます♪

よろしくお願いしますっ★

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皆様、いかがお過ごしでしょうか。


今日の東京都のコロナ陽性者は
729人だそうで。


都知事も「通勤を含めて
東京に来るな」と呼びかけを
しているようですが、
どうして個人に言うんですかねぇ。


誰も好きで通勤なんか
してないんだから、それを強要する
企業に訴えていけばいい話だと
思うんですがねぇ。


それをしない限り、余暇の自粛を
お願いされたって、もう誰も
聞かないと思いますぜ。


もっとも、政治評論家ではないので
どうすればマシになるかを
考えるつもりはありませんが。


さて、今回は那瑠絵軍団「軍報」の
第34弾といたしまして、
長崎県佐世保市に掘削された
宮村国民学校の防空壕(無窮洞)を
ご紹介します↓




宮村国民学校は、1941年(昭和16)に
施行した国民学校令により、
1874年(明治7)に創立した
宮小学校からの変遷・改称で
開校しました。

1943年(昭和18)に入ると
空襲に備えるため、職員と
児童の手で防空壕が
掘削されましたが、
完成することなく終戦となりました。

現在、防空壕は日本遺産に
指定されており、整備のために
一部が封鎖されていますが
一般公開されており、簡単に
見学が可能です。



海軍イキイキのK先生
わがままを言いまして
佐世保市内から南風崎町に
バスで移動しました↓



宮支所前のバス停から
3分ほどで無窮洞に到着です↓



着いた時に初めて知りましたが
無窮洞は日本遺産になっています↓



私と同じ埼玉在住だった
解説員の方から、学校の概要と
壕内を説明いただきました↓




さっそく、入口である敢闘門から
入っていきます↓



内部は想像よりも大きく
造りもよくて驚きました↓



掘削に使用した当時の道具も
展示されています↓



敢闘門から入った最奥に
教壇が設けられていますが、
素人が掘ったとは思えないほど
とても丁寧な造りです↓



教壇を正面に見て右側に
坑道が分岐しているので
進んでいきます↓



さらに坑道が分岐しており
左に曲がると書類室と
食糧庫があります↓




書類室・食糧庫を抜けると
炊事場に到達します↓



炊事場まわりを構築途中に
終戦を迎えたとのことですが
途中とは思えないほど
とても見事なかまどです↓



かまどの横に、上部へ抜ける
避難用の階段がありますが
閉鎖されており行けませんでした↓



時間がなくて確認しませんでしたが
案内板に上部の出口の様子が
掲示されています↓




書類室・食糧庫・炊事場と
周回出来る構造となっており、
元の教壇からの坑道に出たので
今度は左に曲がります↓



とても丁寧に造られており
見事な坑道です↓



突きあたりを左に曲がると
トイレがあったようですが、
残念ながらコンクリートで
封鎖されています…↓



右に曲がると、すぐ左側が
嘗胆門になります↓



残念ながら、嘗胆門は
金網で封鎖されており
ここから外には出られません↓



さらに進んでいくと
最初に入った敢闘門に続く
坑道にぶつかり、これで
ひと通り見学出来ました↓



外に出ると雨が降ってました(笑)↓



周辺は、のどかな風景が
ひろがっています↓



バスに乗り、佐世保の中心街へ
退却します↓



【収録遺構】
 宮村国民学校
 地下教室(無窮洞)

  地下壕 1箇所

【探訪情報】
 2021.03.20  第1回探訪

 歩数(指数) 未計測(100)


それでは、またお会いしましょうっ★



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 ひとつよろしくお願いします♪

皆様、いかがお過ごしでしょうか。


今日は建国記念の日ですね。
明日、休めば4連休になり
遠征のチャンスなのですが
残念ながら、大好き過ぎて
震えが止まらない仕事のせいで
完全に休むことが出来ず…


やりたいことのために
仕事をしているのに、
仕事のせいでやりたいことが
出来なくなるなんて
本末転倒ですな。


さて、今回は那瑠絵軍團「軍報」の
第33弾の続編といたしまして、
福岡県北九州市におかれていた
高蔵山堡塁の遺構群のうち
南東側の砲座まわりのものを
ご紹介しておしまいにします↓



なお、これは「後続記事」ですので
よろしければ「本記事」も
ご覧くださいませ↓

 (33)陸軍下関要塞高蔵山堡塁
 (33_続編1)陸軍下関要塞高蔵山堡塁



前回の記事に引き続き、
陸軍伍長先生と一緒に
見学していきます↓



南西側の砲座群から
南東側の砲座群へ進む途中に
貯水所の遺構が残っています↓



貯水所の背面あたりに
砲側弾薬庫が残っています↓



内部は小さいです↓



交通路を挟んだ隣に
1つ目の砲座が展開します↓



ここから横墻を上ったところに
用途不明の石積み構造物が
5つ残っていました↓






下りたところに1つ目と異なる
形状の砲座が展開しています↓



砲座の斜め後方に
砲側弾薬庫が展開しています↓



南東側に展開する砲側庫は
砲座に対して垂直方向に
造られているようです↓



曽根方面がよく見えました↓



ひととおり、見学したので
次は笹尾山砲台に進みます↓



【収録遺構】
 陸軍下関要塞
 高蔵山堡塁

  砲座 4箇所
  地下施設 12箇所
  建物基礎 2箇所
  軍用地境界標 2本
  その他 1箇所

  砲座 2箇所(今回追加)
  地下施設 2箇所(今回追加)
  その他 6箇所(今回追加)

【探訪情報】
 2020.12.31 第1回探訪

 歩数(指数) 未計測(100)


後ほど我々のホームページ内でも
ご紹介させていただきますね。


それでは、またお会いしましょうっ★



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皆様、いかがお過ごしでしょうか。


緊急事態宣言下、自粛生活を
されていた我が総軍大元帥の
我慢も限界となり、昨日・今日と
栃木県の温泉にゆっくりと
つかってきました。


夕方に帰りつきましたが
明日がクソ仕事というだけあり
士気が急激に下がっています…


1週間のうち、休みが2日だけでは
到底足りませんな(笑)


さて、また仕事の愚痴になる前に
今回は那瑠絵軍團「軍報」の
第33弾の続編といたしまして、
福岡県北九州市におかれていた
高蔵山堡塁の遺構群のうち
南西側の砲座まわりのものを
ご紹介させてくださいませ↓



なお、これは「後続記事」ですので
よろしければ「本記事」も
ご覧くださいませ↓

 (33)陸軍下関要塞高蔵山堡塁



前回の記事に引き続き、
陸軍伍長先生と一緒に
見学していきます↓



軍道に沿って左に折れると
南西側を向く砲座群の
最初にあたる砲側弾薬庫が
展開しています↓



内部は小さいですが
しっかり造られており、天井に
通風口が設けられています↓



内部から入口方向を
撮影すると、こんな感じです↓



隣接して最初の砲座が
残っています↓



砲座に隣接して2番目の
砲側弾薬庫があります↓



内部は最初のものと
同じ造りですね↓



草木に埋もれ、状態は
よくありませんが、
隣接して2番目の砲座が
展開しています↓



その隣には3番目の
砲側弾薬庫です↓



さらに、その隣には
最初と2番目とは異なる形状の
3番目の砲座が展開しています↓



隣接して4番目の砲側弾薬庫です↓



砲座の形状が異なりますが
砲側庫の内部は同じですね↓



隣接して3番目と同じ形状の
4番目の砲座が展開しています↓



南西側の区画は終わっており
続いて南東側を向く砲座群へ
進んでいきましたが、こちらは
次回にさせていただきます↓



【収録遺構】
 陸軍下関要塞
 高蔵山堡塁

  地下施設 8箇所
  建物基礎 2箇所
  軍用地境界標 2本
  その他 1箇所

  砲座 4箇所(今回追加)
  地下施設 4箇所(今回追加)

【探訪情報】
 2020.12.31 第1回探訪

 歩数(指数) 未計測(100)


後ほど我々のホームページ内でも
ご紹介させていただきますね。


それでは、またお会いしましょうっ★



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皆様、いかがお過ごしでしょうか。


今週は、始まりと終わりに
大きな障害が出てしまい
残念ながら、仕事三昧でした…


仕事・仕事とうんざりなので
明日から温泉にでも行って
のんびりしてこようと思います。


次の週末はまた遠征ですので
仕事なんかしている場合じゃ
ないんですけどね。


さて、今回は那瑠絵軍團「軍報」の
第33弾といたしまして
福岡県北九州市におかれていた
高蔵山堡塁の遺構群を
3回に分けてご紹介します↓




高蔵山堡塁は下関要塞の1つで
周防灘方面から上陸する
敵に対して射撃し、田向山笹尾山
背面を防御することを目的として
1900年(明治33)に竣工しました。

ここには、12センチカノン砲が6門と
15センチ臼砲が6門
据え付けられたほか、機関砲が
4門配備されました。

現在、跡地は山林に変遷していますが
当時の遺構が多く残っています。



九州の勇、陸軍伍長先生と一緒に
高蔵山森林公園付近に
お邪魔しています↓



この前日、菊池満先生とも
探訪したのですが、ちょっと
アプローチする道を
間違えてしまい、砲座まで
たどり着きませんでした…↓



今回は道のりが長いですが
山を大きくまわり込むようにして
アプローチしていきます↓



30分くらい進んだところで
斜面に防御営造物境界標が
1本ありました↓



さらに進んでいきます↓



高蔵山の山頂に近いところに
要塞第一区地帯標が
引き抜かれた状態で
横倒しにされていました…↓



さらに進んだところの斜面にも
防御営造物境界標が
1本残っていました↓



道なりに進んでいくと
視界がひらけます↓



すぐ脇には門柱跡と考えられる
煉瓦の残骸がありました↓



削平地に入ると、隅に
建物跡とトイレ跡が残っています↓




ふり返ると8つの掩蔽部が
残っており、見応えがあります↓



まずは、掩蔽部を正面に見て
一番左から見ていきます↓



内部は小規模で、隣へ連絡する
通路が設けられています↓



2番目の掩蔽部は、最初のものよりも
奥行きがあります↓



2番目の掩蔽部から7番目までは
連絡通路で接続されていました↓



3番目~6番目までは
同じ状態でしたが…↓



7番目は入口が破壊されており
8番目には接続してませんでした↓



いったん、7番目から出て
一番右側にあたる8番目に
入ってみます↓



8番目のものは単独ですが、
中の大きさは2番目~7番目と
同じでした↓



このあとは、砲座に向けて
進みましたが、数が多いので
次回の掲載とさせてください↓



【収録遺構】
 陸軍下関要塞
 高蔵山堡塁

  地下施設 8箇所
  建物基礎 2箇所
  軍用地境界標 2本
  その他 1箇所

【探訪情報】
 2020.12.31 第1回探訪

 歩数(指数) 未計測(100)


後ほど我々のホームページ内でも
ご紹介させていただきますね。


それでは、またお会いしましょうっ★



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皆様、いかがお過ごしでしょうか。


呉探訪から帰還して
まだ数日しか経ってませんが
仕事・仕事とうるさい奴らのせいで
早くも探訪したい病です…


何で、そんなに仕事だけ
打ち込めるのか、私には
理解する気もありません。


そういった、仕事バカに
付き合う気は毛頭ないので
私は定時速攻です。


平日なんか、1秒でも早く
いかに仕事を切り上げるかとしか
考えておりません(笑)


さて、今回は那瑠絵軍團「軍報」の
第3弾の続編といたしまして
福岡県北九州市におかれていた
小倉陸軍造兵廠技能者養成所の
軍用地境界標を1つだけ
ご紹介させてくださいませ↓


なお、これは「後続記事」ですので
よろしければ「本記事」も
ご覧くださいませ↓

 (3)小倉陸軍造兵廠



小倉陸軍造兵廠の研究者として
名高い菊池満先生
お会いすることが叶い、
夜の白銀地区を歩いていきます↓



雪が強くなってきたので
急いでまわっていきます↓



敷地の北限にあたる
市立貴船小学校の前をはしる
市道沿いに軍用地境界標が
1本だけ残存しています↓



「陸共」と刻まれているタイプは
初めて見ました↓



軍用地境界標は、この他にも
数本残っていたようですが
少し前に消失したそうです…


菊池満先生のお話しを聞きながら
界隈を簡単に歩いた後は…↓



当然の流れ(笑)ですが、
初対面を祝して乾杯しました↓



【収録遺構】
 陸軍造兵廠小倉工廠
 (小倉陸軍造兵廠)

  門柱 1箇所
  建物 2棟
  軍用地境界塀 3区画
  軍用地境界標 4本
  地下施設 1箇所
  その他 2箇所

  軍用地境界標 1本(今回追加)

【探訪情報】
 2017.02.19  第1回探訪
 2020.12.30  第2回探訪

 歩数(指数) 約7,000歩(100)


また、後ほどホームページ内でも
ご紹介させていただきますねっ♪


それでは、またお会いいたしましょう★



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