【那瑠絵軍團】軍報 - 戦争遺跡調査研究軍 祐実総軍

【那瑠絵軍團】(7)陸軍下関要塞古城山堡塁

皆様、いかがお過ごしでしょうか。

またもや、「地獄」の再来ですわ・・・
しかも、来週は遠征が控えているから
いつものように文句も言えない(笑)

でも、腹がたって仕方がないから
家でやります(笑)

邪魔ばかりされて、現場に行く意味が
私にとっては皆無なんでね。
おまけに、せっかくの探訪予定まで
邪魔されて。

金も出ねーから、テレビでも見ながら
仕事してやりますよ(笑)
どのように作業しようが、
当方の自由ですっ★
拘束されるつもりはありません。
ささやかな「抵抗」です!


さてさて、本日も
一昨日・昨日に引き続き、
那瑠絵軍團「軍報」の
第7弾といたしまして
福岡県北九州市から
古城山堡塁の遺構群を
簡単にご紹介させてください↓



古城山堡塁は下関要塞の1つで、
陸地の防備を目的に、
古城山砲台の北方150メートルの
山頂に構築されました。

ここは、戦時に限り小口径の火砲を
据え付けて守備を予定していた
小規模な堡塁であったため
特に備砲されることはなかったようです。

現在、堡塁跡はめかり公園に
変遷していますが、わずかに当時の
遺構が残っています。


門司の中心地を見ながら
めかり公園の山頂を目指します↓



掩蔽部が1つだけ残ります↓



掩蔽部の向かい側には
水槽跡の区画が残ります↓



堡塁が円を描くように
きれいに残っています↓




【収録遺構】
 陸軍下関要塞
 古城山堡塁

  地下施設 1箇所
  その他 2箇所

【探訪情報】
 2017.02.18  第1回探訪

 歩数(指数) 309歩(100)


詳細は、後ほどホームページ内で
ご紹介させていただきますっ★


ここのところ、同趣の皆様方から
たくさんの情報や近況報告などの
メールを頂戴しておりますが
完全に「滞留」しましたっ!
明日、一気にお返事いたしますので
もう少しだけお時間をください m(_ _)m


それでは、また明日!

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【那瑠絵軍團】(6)陸軍下関要塞古城山砲台

皆様、いかがお過ごしでしょうか。

いや~、ここにきて
また仕事が忙しくなってきました。
まいったね。。。

仕様の詰め方が解らない連中ばかりで
「出来ない」「やれない」を一手に
引き受けてあげたのにさ、
今になって「詰め方が悪い」と
きたもんですよ(笑)

今まで解ってなかったくせに
よくいうよね~(笑)

今日は、とりあえず出方を見ましたが
こういう「後だしジャンケン」をする
バカ野郎を明日から撲滅します(笑)
同志討ちじゃ~ アホカッ


さてさて・・・
メールもすっかり「滞留」しちゃって
申し訳ないです・・・ m(_ _)m
本当は、ブログ更新している時間が
あるんなら、返信しろよって話ですが
「日課」としているので、お許しをっ!


本日も、昨日に続きまして
那瑠絵軍團からの
「軍報」でございます。
今回は、第6弾といたしまして
福岡県北九州市におかれていた
古城山砲台の遺構を簡単に
ご紹介させてくださいませ↓



古城山砲台は下関要塞の 1つで、
周防灘方面の防備のために
1890年(明治23)に竣工しました。

ここには、24センチ臼砲が
10門据え付けられて
首線は北東50度を
向いていました。

現在、砲台跡はめかり公園の
展望台と駐車場に変遷しており、
当時の遺構の大半は整地されて
消失していますが、左翼観測所と
付帯する遺構がわずかに
残っています。


めかり公園から門司を眺めます↓



左翼観測所です↓



周辺に関連遺構も残ります↓


太平洋戦争中は、和布刈にも
高射砲台が設けられていた
ようですので、もしかしたら
この遺構は高射砲台に属する
ものかもしれませんが・・・


下山途中に軍用地境界標を
1つ見つけることが出来ました↓



今回の探訪にあたり参考にした
浄法寺氏の「日本築城史」に
記載された古城山砲台の配置図を
googleマップにトレースすると
こんな感じです↓



次回の那瑠絵軍團「軍報」は、
古城山砲台の北に設けられた
古城山堡塁の遺構を
ご紹介させていただきますね。


【収録遺構】
 陸軍下関要塞
 古城山砲台

  観測所 1箇所
  軍用地境界標 1本
  その他 1箇所

【探訪情報】
 2017.02.18  第1回探訪

 歩数(指数) 1,438歩(100)


詳細は、後ほどホームページ内で
ご紹介させていただきますねっ★


それでは、また明日!

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【那瑠絵軍團】(5)陸軍下関要塞田向山電灯所

皆様、いかがお過ごしでしょうか。

やっと週の後半に入っていきますね。
早く、週末にならないかな・・・

ここのところ、同趣の皆様方から
たくさんの情報や近況報告などの
メールを頂戴しておりまして、
若干、滞留気味となっております m(_ _)m
順次、お返事させていただきますので
もう少しだけお時間をいただければ
幸いでございます。

仕事なんかしている場合じゃないっ(笑)


さて・・・
本日は那瑠絵軍團「軍報」の
第5弾といたしまして
福岡県北九州市から、
田向山電灯所の遺構を
ご紹介させていただきたいと
思います。


田向山砲台の北西には、
夜間の敵艦船の侵入を把握するため
下関要塞に付帯する施設として
電灯所が設置されていました。

電灯所とは、探照灯(サーチライト)を
運用する施設のことで、
夜間の砲撃に必要不可欠と
なるものでした。

ここには、90センチ探照灯が
設置されて、夜間に関門海峡を
通過する艦船を照射し、
田向山砲台の観測所から
確認出来るようにしていました。

現在、電灯所の跡地は
手向山公園となっており
探照灯座や電灯機関舎などの
遺構を簡単に見学することが
出来ます。


北九州市にお邪魔しております↓



手向山公園の麓付近には
電灯機関舎が保存されています↓


案内板も設けられています↓



おピンちゃん先生と張り切って
山を上っていきます↓



山を上がると、探照灯座が
保存されています↓



台座の外枠のモルタル部分に
目標となる場所や軍事施設が
記載されています↓



案内板も設けられています↓


残念ながら、探照灯座の
下部にあたる格納庫は
完全に埋没しているようです・・・


探照灯座手前にある遺構です↓



探照灯座の背面部分にも
建物跡とおぼしき遺構が
残っています↓



【収録遺構】
 陸軍下関要塞
 田向山電灯所

  建物 1棟
  建物基礎 1箇所
  その他 2箇所

【探訪情報】
 2017.02.18  第1回探訪

 歩数(指数) 559歩(100)


詳細は、後ほどホームページ内で
ご紹介させていただきますねっ★


それでは、また明日!

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【那瑠絵軍團】(4)陸軍第十二師団司令部

皆様、いかがお過ごしでしょうか。

ちょっと、色々と嬉しい話がたてこみ
忙しくさせていただいております★
こういった「忙しさ」は大歓迎です(笑)

お返事が停滞してしまって
申し訳ありません m(_ _)m
本ブログの掲載後、順番に
対応させていただきますねっ!


本日は、那瑠絵軍團「軍報」の
第4弾といたしまして、
福岡県北九州市におかれていた
陸軍第十二師団司令部の遺構を
簡単に掲載させてくださいませ。


第十二師団は日清戦争の後に
日本の軍備増強の必要性から
新設された6師団のうちの1つで、
1898年(明治31)に現在の
北九州市で編制され、小倉城跡に
司令部が設置されました。

戦歴も古く、日露戦争では第一軍の
隷下部隊に編入され、遼陽会戦・
沙河会戦・奉天会戦などの大会戦に
参戦し、大正中期のシベリア出兵でも
浦塩派遣軍の隷下部隊として
参戦していますが、1925年(大正14)の
軍縮によって配置転換となり
久留米に移駐となりました。

現在、跡地は小倉城跡を擁する
勝山公園となり整地されていますが、
当時の正門が残っており
簡単に見学することが出来ます。


勝山公園にお邪魔しております↓



園内に当時の正門が残ります↓



案内板も立てられています↓



これらも当時の遺構かもしれません↓




【収録遺構】
 陸軍第十二師団
 師団司令部

  門柱 1箇所
  その他 2箇所

【探訪情報】
 2017.02.17  第1回探訪

 歩数(指数) 1,003歩(100)


詳細は、後ほどホームページ内で
ご紹介させていただきますねっ!


それでは、また明日っ★

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【那瑠絵軍團】(3)陸軍造兵廠小倉工廠

皆様、火曜日をいかがお過ごしでしょうか。

今日で2月も終わりですね。
明日からは暦では「春」です。
藪漕ぎをともなう探訪シーズンが
そろそろ終わってしまうことに
焦りを感じております(汗)


さて、2月最後の「軍報」は
新設して間もない那瑠絵軍團から
掲載させていただこうと思います。

今回は福岡県北九州市におかれた
陸軍造兵廠小倉工廠の
遺構をご紹介させてくださいませ。


小倉工廠は1923年(大正12) 9月に発生した
関東大震災により倒壊した東京砲兵工廠の
復旧と、当時の地政学的意義などにより
設置された兵器工場で、この前身である
小倉兵器製造所からの改編により
開設されました。

ここでは、小銃や機関銃・砲弾類などを
製造し、1940年(昭和15)の組織改正により
小倉造兵廠に改称され、約 176,000坪の
敷地内に約 300棟の工場が並び、
最盛期で約40,000名の工員が
従事していたようです。

現在、跡地には北九州市役所などの
行政機関や病院・マンションなどが
建ち並んでいますが、わずかに
当時の遺構が残存しています。


おピンちゃん先生と西小倉駅に
到着しております↓


ここから、当時の敷地の
西端部分を目指して歩きます。


軍用地境界塀が長い区間にわたり
残っています↓




軍用地境界標もいくつか残ります↓



ここから、敷地の南端付近に
転進していきます(笑)


軍用地境界塀が残ります↓



門柱が1対だけ残っています↓



付近に軍用地境界標も残ります↓




この周辺は、少し前に開発されたようで
その際に当時の建物も多く消失して
しまったようですが、なんとか
2棟だけ当方も記録が叶いました↓




試射場の外壁の一部が
わずかに残ります↓



地下通路の入口でしょうか・・・↓



廠内におかれた防空監視哨も
移設保存されています↓



【収録遺構】
 陸軍造兵廠小倉工廠
 (小倉陸軍造兵廠)

  門柱 1箇所
  建物 2棟
  軍用地境界塀 3区画
  軍用地境界標 4本
  地下施設 1箇所
  その他 2箇所

【探訪情報】
 2017.02.19  第1回探訪

 歩数(指数) 6,284歩(100)


詳細は、後ほどホームページ内で
ご紹介させていただきますねっ!


明日は、月を跨いで3月に入りますので
ホームページ関連でブログの更新を
させていただきますね。


それでは、また明日っ★

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