戦争遺跡のご紹介やホームページの制作状況などを綴っていきます♪

総軍BLOGへようこそっ!

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祐実総軍三等兵

Author:祐実総軍三等兵
全国に残る戦争遺跡を探訪して
記録することを生き甲斐とする
祐実総軍三等兵でございます★
稚拙な内容ではございますが、
これまで調べてきた戦争遺跡を
ブログ・ホームページで紹介を
させていただいておりますっ♪

よろしくお願いしますm(__)m

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皆様、日々のご精勤・ご講義
誠にお疲れ様でございます。

仕事「大好き」の三等兵は、
今週が一番の「地獄」ですので
変則的な時間帯のブログ更新を
お許しくださいませ m(_ _)m


本日は、那瑠絵軍團「軍報」の
第13弾といたしまして
福岡県北九州市におかれていた
皇后崎高射砲台に関連するものと
思われる遺構群のご紹介です↓



皇后崎高射砲台は、
八幡製鉄所と周辺におかれた
軍需工場の防衛を目的として
1941年(昭和16)に建設が
開始されました。

ここには、西部高射砲集団からの
改編によって編制された
高射第四師団に隷属する部隊である
高射砲兵第一三一連隊が
防備を担当し 8センチ高射砲が
6門設置されていました。

現在、砲座周辺は住宅地に
変遷しており、当時の面影が
ありませんが、皇后崎公園の敷地内に
関連していたものと推測する
遺構が残っており
見学することが出来ます。


今回もおピンちゃん先生と一緒に
黒崎駅からスタートします↓



筑豊電車に乗り、皇后崎公園に
向かっていきます↓



皇后崎公園の麓付近に
境界柵と思われるコンクリート製の
柱が一部残っています↓



公園内にも当時のものと
推測する遺構が残っています↓





ここにきて、腸のセルモーターが
急に作動し、緊急ピットインです(笑)↓



すっきりしたところで次へ移動です↓



【収録遺構】
 陸軍高射第四師団
 高射砲兵第一三一連隊
 皇后崎高射砲台

  その他 4箇所

【探訪情報】
 2017.02.17  第1回探訪

 歩数(指数) 1,382歩(100)


詳細は、後ほどホームページ内で
ご紹介させていただきますっ★


それでは、またお会いいたしましょう!



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 (のちほど、お返しポチも
 させていただきますね~)

皆様、いかがお過ごしでしょうか。

三等兵は、大好きな「お仕事」により
拘束時間「満載」でやっております。
来月は最大限に休む予定ですっ!
やってやりますっ(笑)

こんな三等兵めに、皆様方から
たくさんのメールを頂戴しておりますが
昨日から完全に「停滞」しました。
私の大好きな「仕事」のおかげです。
申し訳ありません m(_ _)m

おそらく、拙ブログを
毎日見てくださっている方々なので、
あえてここに書いちゃいますが、
土曜日までお時間をくださいっ!
必ずや返信をさせていただきます。


さて、本日も時間がない状況下で
「軍報」の掲載をさせてくださいませ。
今回は那瑠絵軍團管轄案件の
第12弾といたしまして、
福岡県北九州市に残る
門司出征軍馬水飲場の遺構を
1つだけご紹介させてください↓



門司港は、明治時代から
九州の玄関口としての役割をもち、
戦前より交通の要所でした。

特に戦時中は、多くの兵士や
軍用馬などが戦地へ渡るための
重要な前線港として機能しました。

そのため、現在の門司港レトロ地区には
倉庫や商用施設などが
建設されたほかに、出征軍馬の
水飲み場が周辺におかれていました。

現在は観光地として整備されているため
多くの歴史的建造物が保存されてますが
その中には出征軍馬の水飲み場も
1箇所だけ含まれており見学が可能です。


毎度おなじみのおピンちゃん先生
一緒に門司港駅からスタートです↓



「バナナの叩き売り」の発祥が
門司だったとは・・・(笑)↓



門司港からは関門大橋が
見ることが出来ます★↓



水飲場の遺構です↓



隣接してモニュメントがあります↓



出征軍馬の水飲み場として
案内板が設置されているものの、
水飲場の本体には
「畜産組合馬水飲場」と
彫られているので、もしかしたら
出征軍馬に特化したものでは
ないのかもしれませんね・・・↓



【収録遺構】
 門司出征軍馬水飲場

  その他 1箇所

【探訪情報】
 2017.02.18  第1回探訪

 歩数(指数) 1,096歩(100)


詳細は、後ほどホームページ内で
ご紹介させていただきますっ★


それでは、大好きな「仕事」の
続きをしたいと思います(怒)


また明日お会いいたしましょうっ!


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 させていただきますね~)

皆様、こんばんわ m(_ _)m

いや~、昨日の士気の低さを
引きずってしまい、忙しいはずの
大好きな「仕事」に手がつかず、
早々に帰ってきました(笑)

まあ、職場を自分の「家」と
勘違いしちゃってる連中の主張に
はなから付き合う気なんかないしっ★


さてさて・・・
本日は那瑠絵軍團「軍報」の
第11弾といたしまして
前回に引き続き、福岡県北九州市から
小倉陸軍墓地のご紹介ですっ↓



小倉陸軍墓地は、北九州市に
展開していた陸軍部隊の戦没者や
戦病没者の方が埋葬されている
陸軍墓地で、それまで小倉地区に
おかれていた2箇所の墓地が
手狭となったことにより、
1942年(昭和17)に黒原地区へ
集約移転の形をとり
設置されました。

ここには、半地下式の納骨堂を
有する忠霊塔が建立されて
約4,500の御霊様が祀られ、
現在も忠霊塔の周辺は公園として
整備されており、春になると
桜が咲き誇る花見の名所として
多くの市民に親しまれているそうです。


おピンちゃん先生とともに
今回も北九州市にお邪魔してます↓


今回はkan先生ブログ
参考にさせていただき
記録作業に臨んでいきます。


軍用地境界標が残存しています↓





1942年(昭和17)に建立された
御手洗です↓



忠霊塔です↓



【収録遺構】
 小倉陸軍墓地

  軍用地境界標 3本
  その他 2箇所

【探訪情報】
 2017.02.18  第1回探訪

 歩数(指数) 1,477歩(100)


詳細は、後ほどホームページ内で
ご紹介させていただきますねっ★


それでは、またお会いいたしましょう!


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 (お返しポチもさせていただきます)

皆様、いかがお過ごしでしょうか。

三等兵は、ちょっと頭が痛くて
早々に帰宅しました~(汗)
でも、ちゃっかりホームページ
更新とかしちゃってます(笑)


さてさて・・・
本日は那瑠絵軍團「軍報」の
第10弾といたしまして
福岡県北九州市におかれていた
富野堡塁のご紹介です↓



富野堡塁は下関要塞の 1つであり
田向山砲台の南西部に位置する
標高90メートルの稜線突角に
設けられた側防用の堡塁で、
高蔵山堡塁砲台に続いて
中条・黒原・足原・小倉方面を射撃し、
田向山砲台と笹尾山砲台の
側防を主目的として1889年(明治22)に
完成しました。

ここには、12センチカノン砲を
8門据え付けて、2門ずつを1砲座とし
首線は第一砲座が南西80度に対し
第四砲座が南西50度と、
各砲座間に10度ずつの変化を
出すように構築されました。

現在、堡塁の跡地には
軽費老人ホーム望玄荘や
展望台などが建てられて
整地されているものの、
地下施設を中心とした遺構が
残っています。


北九州市内にお邪魔しております↓



山の麓でおピンちゃん先生
ストレッチが入りました(笑)↓



気合いがのったところで
望玄荘に到着しました↓



駐車場内に弾薬庫とおぼしき
地下施設が1つ残ります↓



この奥にも掩蔽部が7つ
繋がるようにして残っています↓





山を下った道路沿いにも
防御営造物境界標が
残っていました↓



おピンちゃん先生の
お友達がいるお店
お昼ごはんにしました(笑)↓




【収録遺構】
 陸軍下関要塞富野堡塁

  地下施設 8箇所
  軍用地境界標 1本

【探訪情報】
 2017.02.18  第1回探訪

 歩数(指数) 6,829歩(100)


詳細は、後ほどホームページ内で
ご紹介させていただきますねっ★


それでは、またお会いいたしましょう!


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皆様、いかがお過ごしでしょうか。


当方にとって、残念なお話しと
お詫びを・・・


今週末に予定していた
岡山~香川探訪は、
総軍大元帥との協議のもと、
総軍基金の「枯渇」と、
仕事が忙しくなりそうなことと
今週末の悪天候予想を理由に、
1か月程度の「延期」をすることに
相成りました・・・

正直言うと、催行可能なのですが
前回の北九州・神戸探訪での散財が
効いてしまっており、今回で
「背伸び」状態に陥りそうなので、
1か月の「助走」を設けることにします。
今週の天気もよくなさそうだし・・・

色々と調子のよいことを
先ばしりさせてしまい
皆様にはご迷惑をおかけします。
申し訳ございません m(_ _)m


さてさて、本日は当方の恥晒しからの
「軍報」でございます(笑)


今回は、那瑠絵軍團「軍報」の
第9弾といたしまして
福岡県北九州市から
矢筈山堡塁の遺構紹介です↓



矢筈山堡塁は下関要塞の 1つであり
関門海峡に面する大里方面からの
背面防御を目的に1895年(明治28)に
建設が開始されました。

ここには 9センチ臼砲が 4門のほか、
15センチ榴弾砲が 6門据え付けられ
防備につきましたが1925年(大正14)に
廃止となりました。

現在は矢筈山の青少年キャンプ場と
なっており、砲座や弾薬庫などの
多くの遺構群が保存されて
有効に活用されています。


矢筈山を上っていきます↓



雨の中、おピンちゃん先生
「お友達」に励まされながら
山頂を目指していきます↓



山頂付近に到着です↓



青少年キャンプ場の入口付近に
関連する遺構が残ります↓





砲座が4箇所残ります↓






関連する遺構でしょうね↓



砲座の背面部分には
弾薬庫とおぼしき地下施設が
2箇所残っています↓




背墻部分にはトンネルが
設けられています↓



トンネル内の左右にも
弾薬庫とおぼしき地下施設が
2箇所展開しています↓




トンネルより南に下がった場所にも
2連+4連の掩蔽部が残っています↓



山を下る途中で、おピンちゃん先生が
防御営造物境界標を4本ほど
見つけました↓






【収録遺構】
 陸軍下関要塞
 矢筈山堡塁

  砲座 4箇所
  地下施設 10箇所
  トンネル 1箇所
  軍用地境界標 4本
  その他 3箇所

【探訪情報】
 2017.02.20  第1回探訪

 歩数(指数) 10,076歩(100)


詳細は、後ほどホームページ内で
ご紹介させていただきますねっ★


それでは、またお会いいたしましょう!


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