戦争遺跡のご紹介やホームページの制作状況などを綴っていきます♪

総軍BLOGへようこそっ!

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祐実総軍三等兵

Author:祐実総軍三等兵
全国に残る戦争遺跡を探訪し
記録することを趣味とする
祐実総軍三等兵ですっ★

稚拙な内容ではございますが
これまでに関係者の皆様方と
見てきた戦争遺跡を中心に、
ブログ・ホームページなどで
順次ご紹介をしていきます♪

よろしくお願いしますっ★

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皆様、いかがお過ごしでしょうか。


今日は「勤労感謝の日」ですね。
なかには休みとならない方々も
いらっしゃるかとは思いますが
一人一人が勤労を「義務」として
頑張っているわけですから、
休む「権利」を行使することは
当然であるわけで・・・云々。
(仕事嫌いなので言わせておいて)


さて・・・
本日は那瑠絵軍團「軍報」の
第16弾といたしまして、
福岡県北九州市に展開した
歩兵第四十七連隊の遺構を
ご紹介させてくださいませ↓




歩兵第四十七連隊は、
第十二師団に隷属する部隊として
1898年(明治31)に編成され、
北方に新設された兵営に入りました。

その後は、第十二師団の隷下として
日露戦争やシベリア出兵にも
従事しましたが、大正末期の軍縮により
所属が第六師団に変更され
大分に移駐となりました。

昭和時代に入ると、歩兵第十四連隊を
はじめとする部隊が移り、
引き続き兵営が使われますが
満州へ移駐となり、その後は留守部隊が
兵営を使用し、補充や特設連隊の
創設などが行われました。

現在、跡地は陸上自衛隊小倉駐屯地に
変遷し、将校集会所をはじめとする
建物が残ります。



遠征の標準組成である
おピンちゃん先生とともに
北九州市内にお邪魔しております↓



小倉駐屯地内に将校集会所の
建物が残っています↓



このほか、当時のものとおぼしき
建物が残っており、敷地の外側から
見ることが出来ます↓




kan先生ブログによると
この他にも敷地の中に
遺構が残っているようですが
アポなしですので、当然ながら
見ることは出来ませんでした(涙)

いつかは見学したいと思うけど
本拠から1,000キロ以上も
離れているから、そう簡単には
いかないな・・・


【収録遺構】
 陸軍第十二師団
 歩兵第四十七連隊
 (陸軍第十二師団
  歩兵第十四連隊 ほか)

  建物 3棟

【探訪情報】
 2017.02.19  第1回探訪

 歩数(指数) 367歩(80)


このほか、後ほどホームページ内でも
ご紹介させていただきますっ★
(頑張って制作してまーす)


それでは、またお会いしましょうっ!



↑応援、よろしくお願いします★

皆様、いかがお過ごしでしょうか。


三等兵は、昨日の記事にもした
本拠に帰れない事件(笑)で
寒空の中、1時間くらい電車を
待たされたせいで「風邪」を
ひいてしまったようです・・・

ブログで「くっそみそ」に書いた
バチがあたったかっ!(笑)


まずは、今日のニュースで
「ちょっと気になったこと」を
2つばかり・・・

なんでも、「梅毒」の患者の数が
今年に入ってから4,500人を超え
1999年以降、最も多いのだとか↓

※NHKニュースより

「梅毒」の症状としては
発疹や腫瘍などですが、
感染のルートは「性行為」に
よるものです。

何が言いたかったかというと・・・
「敢えて」書きません(汗)
話題、変えますっ!


もう1つの話題は・・・
今日は「ハロウィン」ですね~↓

※NHKニュースより

我々が子供の時って、
日本にこんな風習はなかったと
記憶しているのですが、
この「ハロウィン」、経済効果が
1,345億円もあるそうですよっ!

この額って、「バレンタイン」よりかは
少し下なのだそうですが、
それにしても、ものすごいっ!
こんな「大金」を一度でいいから
見てみたいもんですわ(笑)


さてさて、本題に入りますっ(笑)
今回は那瑠絵軍團「軍報」の
第15弾といたしまして、
福岡県北九州市におかれていた
騎兵第十二連隊のものと思われる
建物をご紹介させてください↓




騎兵第十二連隊は、第十二師団に
隷属する部隊で、1898年(明治31)に
編成されました。

戦歴も古く、日露戦争や青島攻略戦・
シベリア出兵に従事しましたが、
1925年(大正14)の軍縮により
第十二師団とともに、
久留米へ移駐となりました。

現在、跡地は陸上自衛隊の
小倉駐屯地に変遷していますが
敷地内に当時のものと思われる
建物が残っています。



遠征の標準組成である
おピンちゃん先生とともに
北九州モノレールに乗ります↓



北方駅で降りて歩きます↓



当時のものと思われる建物が
残っています↓
(違っていたらゴメンナサイ・・・)




最近のものと思われる
「騎兵第十二連隊址」と書かれた
石柱が近くにあったのですが、
お得意芸の「撮り忘れ」が
発覚しました・・・(涙)


バスで小倉に戻っていきます↓



【収録遺構】
 陸軍第十二師団
 騎兵第十二連隊

  建物 2棟

【探訪情報】
 2017.02.19  第1回探訪

 歩数(指数) 2,009歩(100)


詳細は、後ほどホームページ内でも
ご紹介させていただきますっ★


明日は「月跨り」と、総軍プロジェクトの
「新年度」に入りますので、
ホームページ関係でのブログ更新と
させていただきます m(_ _)m


それでは、またお会いしましょうっ!



↑応援、よろしくお願いします★

皆様、日々のご精勤・ご講義
誠にお疲れ様でございます。

三等兵が大好きだった「クソ仕事」は
しばらくの間、お休みします★
その間は、以前にも触れましたが
本当に大好きなことを
「仕事」に見立てて実践しますっ♪

ちなみに、本日は我々のホームページ
追加作業を本格的に実施しているため
早朝からPCにかぶりついております!
三等兵の「本気」はヤバいですよ~(笑)

本気期間中は色々とご期待いただければ
幸いでございます m(_ _)m


さて、本日は那瑠絵軍團「軍報」の
第14弾といたしまして
福岡県北九州市におかれていた
歩兵第十二旅団の遺構を
1つだけご紹介させてくださいませ↓




歩兵第十二旅団は、陸軍の
師団編成の前身である
熊本鎮台に隷属した部隊で、
歩兵第十四連隊と歩兵第二十四連隊を
傘下とし、1885年(明治18)に
司令部が福岡におかれました。

1898年(明治31)に入り、軍備増強の
必要性から新設された第十二師団が
現在の北九州市に設置されると
傘下となって小倉城跡に旅団司令部が
移されますが、1925年(大正14)の軍縮で
第十二師団が久留米に移駐すると
再び福岡に司令部が移されました。

現在、跡地は小倉城跡を擁する
勝山公園となり整地されていますが、
当時の門柱が残っており
簡単に見学することが出来ます。



おピンちゃん先生と一緒に
北九州市にお邪魔しております↓



勝山公園内に門柱が残っています↓




司令部跡を風化させないように
石碑が建てられています↓



梅の花が綺麗でした↓



とっても上品なネコちゃん達です。
当然ながら、三等兵には
見向きもしません↓



探訪日が九州遠征の
初日でしたので、初陣を祝って
鶏料理でお酒にしました~(笑)↓



【収録遺構】
 陸軍第十二師団
 歩兵第十二旅団
 旅団司令部

  門柱 1箇所

【探訪情報】
 2017.02.17  第1回探訪

 歩数(指数) 1,063歩(100)


詳細は、後ほどホームページ内でも
ご紹介させていただきますっ★


それでは、また明日っ★



↑もしよろしければ
 応援してやってくださいっ♪
 (のちほど、お返しポチも
 させていただきますね~)

皆様、日々のご精勤・ご講義
誠にお疲れ様でございます。

仕事「大好き」の三等兵は、
今週が一番の「地獄」ですので
変則的な時間帯のブログ更新を
お許しくださいませ m(_ _)m


本日は、那瑠絵軍團「軍報」の
第13弾といたしまして
福岡県北九州市におかれていた
皇后崎高射砲台に関連するものと
思われる遺構群のご紹介です↓



皇后崎高射砲台は、
八幡製鉄所と周辺におかれた
軍需工場の防衛を目的として
1941年(昭和16)に建設が
開始されました。

ここには、西部高射砲集団からの
改編によって編制された
高射第四師団に隷属する部隊である
高射砲兵第一三一連隊が
防備を担当し 8センチ高射砲が
6門設置されていました。

現在、砲座周辺は住宅地に
変遷しており、当時の面影が
ありませんが、皇后崎公園の敷地内に
関連していたものと推測する
遺構が残っており
見学することが出来ます。


今回もおピンちゃん先生と一緒に
黒崎駅からスタートします↓



筑豊電車に乗り、皇后崎公園に
向かっていきます↓



皇后崎公園の麓付近に
境界柵と思われるコンクリート製の
柱が一部残っています↓



公園内にも当時のものと
推測する遺構が残っています↓





ここにきて、腸のセルモーターが
急に作動し、緊急ピットインです(笑)↓



すっきりしたところで次へ移動です↓



【収録遺構】
 陸軍高射第四師団
 高射砲兵第一三一連隊
 皇后崎高射砲台

  その他 4箇所

【探訪情報】
 2017.02.17  第1回探訪

 歩数(指数) 1,382歩(100)


詳細は、後ほどホームページ内で
ご紹介させていただきますっ★


それでは、またお会いいたしましょう!



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 させていただきますね~)

皆様、いかがお過ごしでしょうか。

三等兵は、大好きな「お仕事」により
拘束時間「満載」でやっております。
来月は最大限に休む予定ですっ!
やってやりますっ(笑)

こんな三等兵めに、皆様方から
たくさんのメールを頂戴しておりますが
昨日から完全に「停滞」しました。
私の大好きな「仕事」のおかげです。
申し訳ありません m(_ _)m

おそらく、拙ブログを
毎日見てくださっている方々なので、
あえてここに書いちゃいますが、
土曜日までお時間をくださいっ!
必ずや返信をさせていただきます。


さて、本日も時間がない状況下で
「軍報」の掲載をさせてくださいませ。
今回は那瑠絵軍團管轄案件の
第12弾といたしまして、
福岡県北九州市に残る
門司出征軍馬水飲場の遺構を
1つだけご紹介させてください↓



門司港は、明治時代から
九州の玄関口としての役割をもち、
戦前より交通の要所でした。

特に戦時中は、多くの兵士や
軍用馬などが戦地へ渡るための
重要な前線港として機能しました。

そのため、現在の門司港レトロ地区には
倉庫や商用施設などが
建設されたほかに、出征軍馬の
水飲み場が周辺におかれていました。

現在は観光地として整備されているため
多くの歴史的建造物が保存されてますが
その中には出征軍馬の水飲み場も
1箇所だけ含まれており見学が可能です。


毎度おなじみのおピンちゃん先生
一緒に門司港駅からスタートです↓



「バナナの叩き売り」の発祥が
門司だったとは・・・(笑)↓



門司港からは関門大橋が
見ることが出来ます★↓



水飲場の遺構です↓



隣接してモニュメントがあります↓



出征軍馬の水飲み場として
案内板が設置されているものの、
水飲場の本体には
「畜産組合馬水飲場」と
彫られているので、もしかしたら
出征軍馬に特化したものでは
ないのかもしれませんね・・・↓



【収録遺構】
 門司出征軍馬水飲場

  その他 1箇所

【探訪情報】
 2017.02.18  第1回探訪

 歩数(指数) 1,096歩(100)


詳細は、後ほどホームページ内で
ご紹介させていただきますっ★


それでは、大好きな「仕事」の
続きをしたいと思います(怒)


また明日お会いいたしましょうっ!


↑もしよろしければ
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 させていただきますね~)