戦争遺跡のご紹介やホームページの制作状況などを綴っていきます♪

総軍BLOGへようこそっ!

♦ プロフィール

祐実総軍三等兵

Author:祐実総軍三等兵
全国に残る戦争遺跡を探訪し
記録することを趣味とする
祐実総軍三等兵ですっ★

稚拙な内容ではございますが
これまでに関係者の皆様方と
見てきた戦争遺跡を中心に、
ブログ・ホームページなどで
順次ご紹介をしていきます♪

よろしくお願いしますっ★

♦ カウンター

♦ 最新記事

♦ アクセスランキング

[ジャンルランキング]
地域情報
192位
アクセスランキングを見る>>

[サブジャンルランキング]
その他
8位
アクセスランキングを見る>>

皆様、いかがお過ごしでしょうか。


残念ながら、三等兵は
特に何をすることもなく、
家でお酒を飲みながら
土・日を過ごしました(汗)


少し前までは、家で飲むことを
ほとんどなかったのですが、
ここのところ、軍事(探訪)予算が
なかなか下りないだけあって
ほとんどが家で飲むように
なってしまいました・・・


この金・土・日の間で、
私1人で500缶のチューハイが
15本空いてしまいました(笑)
これに総軍大元帥閣下の分を
合わせると、この週末だけで
大きいゴミ袋が缶チューハイだけで
1つ出来てしまったわけです・・・

こんなの「まだまだだよ」なんて、
言う方々もおられるかと思いますが
我が家では「異常事態」ですね(笑)

もう少し「身の丈」に合った
生活をしなければ・・・


さて・・・
本日は祐実軍團「軍報」の
第158弾といたしまして、
昨日に引き続き、東京都北区に
おかれていた近衛工兵大隊の
軍用地境界標を1つだけ
ご紹介させていただきます↓




近衛工兵大隊は、1887年(明治20)に
第一師団の工兵第一大隊とともに
相次ぐ兵営の郊外移転の波を受けて、
赤羽台へ移りました。

移駐後は、日清戦争をはじめ、
日露戦争に出征して戦果を出し、
1923年(大正12)に起きた関東大震災では
赤羽を中心に救助復旧作業や
混乱の収拾・周辺の警備に力を
発揮しました。

太平洋戦争では、シンガポールや
スマトラにも出征して激戦を
繰り広げています。

跡地は東京北医療センターに変遷し
面影が全くありませんが、
軍用地境界標が1本だけ
残っています。



前回の記事に引き続き、
いっちゃん先生と赤羽周辺に
お邪魔をしております↓



赤羽台さくら並木公園の東を
はしる道路を上がっていくと・・・↓



軍用地境界標が1本残っています↓



日没まで周辺を歩いてみたのですが
残念ながら、この他に見つけることが
出来ませんでした・・・


 【収録遺構】
  陸軍近衛師団工兵大隊
   (陸軍近衛師団
   工兵第一連隊)

   軍用地境界標 1本

 【探訪情報】
  2007.04.08  第1回探訪

 歩数(指数) 未計測(100)


明日は「ホームページ関係」で
ブログを更新させてください。


それでは、またお会いしましょうっ★



↑よろしければ、こちらの「応援」も
 ひとつよろしくお願いします♪

皆様、いかがお過ごしでしょうか。


今日は「将棋」「平昌オリンピック」と
話題に事欠かない1日でしたねっ★

私はアルコールが抜けない1日でした(笑)
まったく、バカだねぇ。。。


さて・・・
本日は祐実軍團「軍報」の
第157弾といたしまして
東京都北区におかれていた
工兵第一大隊の軍用地境界標を
1つご紹介させてくださいませ↓




工兵第一大隊は、
第一師団の前身にあたる
東京鎮台に隷属した支援部隊で、
相次ぐ兵営の郊外移転の波を受け
1887年(明治20)に近衛工兵大隊と
一緒に赤羽台へ移りました。

兵営移設後は、近衛工兵大隊と共に
日清戦争をはじめ、日露戦争に出征し
1923年(大正12)に起きた関東大震災では
赤羽を中心とした救助復旧作業や
混乱の収拾・浮間橋の建設にあたり
太平洋戦争ではレイテ戦で
玉砕攻撃をしかけ、壮絶な最後を
遂げています。

敷地跡は、星美学園となっており
面影が全くありませんが、
八幡神社の西側隅に敷地東端を示す
軍用地境界標が1本残っています。



いっちゃん先生と赤羽周辺に
お邪魔をしております↓



八幡神社の境内に
軍用地境界標が残っています↓


標柱は花崗岩製で、風化が
著しいものの「陸軍省所轄地」と
明朝体で刻まれています。


暗くなってから再度撮影しましたが
文字の見やすさに変化はなく
意味がありませんでした・・・↓



八幡神社からはJRの線路が
一望することが出来ます↓



 【収録遺構】
  陸軍第一師団
  工兵第一大隊
   (陸軍第一師団
   工兵第一連隊)

   軍用地境界標 1本

 【探訪情報】
  2007.04.08  第1回探訪

 歩数(指数) 未計測(100)


それでは、またお会いしましょうっ★



↑よろしければ、こちらの「応援」も
 ひとつよろしくお願いします♪

皆様、こんばんわ m(_ _)m


おピンちゃん先生が主催する
鎌倉市内の寺社めぐりを
2日間かけて追従させていただき、
夕方くらいに本拠に帰還しました。


ちょっと、明日の準備などもあるので
大変申し訳ないのですが
今日は既出案件で「軍報」を
掲載させてくださいませ m(_ _)m

今回は祐実軍團カテゴリーの
第156弾といたしまして、
神奈川県横浜市の一部が
指定されていた横須賀軍港境域の
境域標を1本だけご紹介します↓




横須賀軍港境域は、横須賀市におかれた
横須賀海軍鎮守府が統括した
横須賀軍港の土地境界を
決定するものとして、1896年(明治29)に
条項が設けられました。

軍港境域と定めた場所では
一般人の立ち入りが厳しく制限され、
その範囲を明確にするための
軍港境域標が境域の境界線に
設置されました。

横浜市についても、一部分が
横須賀軍港境域に定められていたため
軍港境域標が設置されており、
このうちの 1本が六浦三艘緑地内に
移設保存されています。



毎度おなじみの重鎮メンバーとともに
横浜市の住宅街をお邪魔してます↓



六浦三艘緑地内に軍港境域標が
移設保存されています↓


側面―背面部分です↓


反対側の側面―背面部分です↓



いや~、探訪した時は
この公園内で女性が子供に
母乳をあげていて、
写真撮影が大変でした(汗)


 【収録遺構】
  海軍横須賀軍港境域(横浜市)

   軍用地境界標 1本

 【探訪情報】
  2015.10.31  第1回探訪

 歩数(指数) 未計測(100)


それでは、また明日っ!



↑よろしければ、こちらの「応援」も
 ひとつよろしくお願いします♪

皆様、おはようございますZzz


今日は、おピンちゃん先生
鎌倉の取材をしたいということで
2日間の行程で出かけるため
予約投稿でのブログ更新です。

おそらく、この記事が公開される時は
東海道線に乗っていると思います(笑)


さて、今回は祐実軍團「軍報」の
第155弾といたしまして
神奈川県相模原市におかれていた
青根防空監視哨のご紹介です↓




青根防空監視哨は、
厚木防空監視隊が統轄した
防空監視哨の 1つであり、
1941年(昭和16)頃に
設置されたようです。

ここでは、上空に接近する
敵の飛行機の種類を音で聞き分け
報告する任務につきました。

現在は道志や津久井の集落が
見渡せる展望台になっていますが、
聴音壕と呼ばれる探知施設の
丸穴が残っており保存されています。



相模原市内の津久井地区に
重鎮メンバーとお邪魔しております↓



ここの防空監視哨は
きちんと整備されているようで
麓から案内板がありました↓



日没が近いので急ぎ足で
山を上っていきます↓



先日の雪が完全に溶けておらず
滑りやすくなっていました・・・↓



10分くらい山道を進んでいくと
山頂に到着します↓



聴音壕が残っています↓





聴音壕の横に案内板が
設けられています↓



聴音壕からの眺めです↓



ここは相模原市といえど
交通の便が非常に悪いので
仲間がいなかったら一人では
行けなかっただろうな・・・

出会いに感謝っ★


 【収録遺構】
  厚木防空監視隊
  青根防空監視哨

   その他 1箇所

 【探訪情報】
  2018.02.10  第1回探訪

 歩数(指数) 未計測(100)


後ほど、我々のホームページ内でも
ご紹介させていただく予定です。


それでは、またお会いしましょうっ★



↑よろしければ、こちらの「応援」も
 ひとつよろしくお願いします♪

皆様、いかがお過ごしでしょうか。


いや~、今日はまだ水曜日ですよね。
平日は自分の時間がなかなか取れず
気が滅入りますね~(嫌)

もうね、毎日が金曜日の気分です(笑)
早く、休みにならねーかなぁ・・・


さてさて、今回は祐実軍團「軍報」の
第154弾といたしまして、
神奈川県横浜市にまたがって
おかれていた横須賀海軍航空隊の
遺構群をご紹介させてくださいませ↓




横須賀海軍航空隊は、海軍最初の
航空隊として1916年(大正 5)に
開設されました。

第一次世界大戦以降、世界では
飛行機が兵器として活躍を
始めたことを受けて、海軍も
航空兵力の増強を目指す
第一歩として設置した
背景があります。

航空隊が使用する飛行場の
建設にあたり、周辺一帯の海面を
埋め立てたため、孤島だったのに
陸続きとなってしまった箇所も
あります。

昭和に入ると、航空兵力の拡大が
本格化し、少年航空兵の起用が
始まります。1930年(昭和5)には
起用された少年航空兵の
教育養成機関として、航空隊内に
予科練部が設置され、少年兵に対し
操縦や偵察などの教育が
施されました。また、航空隊に隣接して
横須賀海軍航空技術廠が設立されると
連携を取るようになって、試作された
航空機の飛行試験は、航空隊の
滑走路を使って行われるようにも
なりました。

航空隊の施設は、ほとんどが
横須賀市夏島町におかれていましたが
建設時の埋め立てにより一部が
横浜市にも跨がり、野島周辺にも
施設がおかれました。

現在は、敷地のほとんどが
野島公園となっていますが、
地下施設を中心とした当時の遺構が
残っています。

余談ですが、野島公園の頂上にも
航空隊や航空技術廠を防衛する
高角砲や機銃が据え付けられましたが
現在は展望台の建設によって
消滅しています・・・



三等兵にとって「因縁」でもある野島に
この業界で一度は絶対に名前が挙がる
「最強」クラスのメンバーが
集結しております↓



三等兵は大したことないですが
おそらく、三浦半島界隈で
「探訪」という部分では、
このメンバー方の右に出る人は
まずいないでしょうなっ!

この業界で20年以上「留年」している
ヘボ三等兵が言うんだから、
間違いないっ!!・・・はず(笑)


山を時計回りに進んでいきます↓



山の北東端に位置している
最初の地下壕は、
入口は大きいのですが
5メートル弱で終わってます↓



2つ目の地下壕に入っていきます↓



坑道の延長は464.5メートルを
計測しており、電線を引き込んだ跡や
トロッコの枕木跡が広範囲に
残存していました↓



2つ目の地下壕内部図です↓



南に下がりながら3つ目の地下壕へ
入っていきます↓



3つ目の壕は、この地区で
最大の坑道延長を誇っており、
深く水没している区間があるものの
工作機械類の台座が残っているほか
電線跡や排水溝などもあり、
一部の床はコンクリート製でした↓





3つ目の地下壕の内部図です↓



なお、3つ目の地下壕の坑道延長は
1151メートルを計測しています。


3つ目の地下壕のすぐ隣に
有名な飛行機掩体があります↓



入口に案内板が設けられた以外は
17年前と変わっていないのがスゴイです↓




入口部分はコンクリート製ですが
奥の方は素掘りのままのようです↓



計画図では、この飛行機掩体の
南北に展開する地下壕群へ
接続していますが、今回の探訪で
接続されていないことが判りました。
(案内板の通りになりますね)


さらに南へ下っていくと
4つ目の地下壕が残っています↓



入口付近の左右に連絡通路が
設けられていますが、
掘削の途中であったのか
他の坑道に接続することなく
行き止まりとなっていました。
また、最奥部分も行き止まりです↓




4つ目の地下壕は単調だったので
内部図はおこしませんでしたが、
坑道延長は約60メートルほどです。


5つ目の地下壕は稲荷神社付近に
展開していますが、残念ながら
入口が封鎖されているため
中に入れませんでしたが、
これまでに探訪した地下壕の
展開図を見る限りでは
坑道規模は大きくないと思われます。


6つ目の地下壕です↓



6つ目の地下壕も内部図を
おこしていませんが、
4つ目の地下壕と同様の
坑道展開となっており
延長は約60メートルほどです。


野島の地下壕全体図は
まだ作成の途上にありますが
島全体の坑道規模としては
飛行機掩体を含めて
おおよそ2,500メートル前後と
予想しているところです。

ご参考までに、我々が探訪した範囲では
貝山全体が2,077.7メートル(1階のみ)で
夏島全体が3,252.3メートルであるため
野島の規模もかなり大きいです。


野島公園の近くに移設された
軍用地境界標が残ります↓



それでは、撤収します↓



 【収録遺構】
  横須賀海軍航空隊(横浜市)

   地下壕 5区画
   飛行機掩体 1箇所
   軍用地境界標 1本

 【探訪情報】
  2001.10.27  第1回探訪
  2004.10.23  第2回探訪
  2005.01.22  第3回探訪
  2006.06.17  第4回探訪
  2007.01.03  第5回探訪
  2007.01.13  第6回探訪
  2007.02.04  第7回探訪
  2014.11.02  第8回探訪
  2015.04.18  第9回探訪
  2016.10.15  第10回探訪
  2017.12.30  第11回探訪

 歩数(指数) 50,000歩以上(999)


後ほど、ホームページ内でも
ご紹介させていただく予定です。


とりあえずは、この記事をもって
野島周辺はいったん完結と
させていただこうと思います。


関係者の皆様方、
大変お疲れ様でございました m(_ _)m


それでは、またお会いいたしましょうっ!



↑よろしければ、こちらの「応援」も
 ひとつよろしくお願いします♪