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戦争遺跡のご紹介やホームページの制作状況などを綴っていきます♪

総軍BLOGへようこそっ!

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祐実総軍三等兵

Author:祐実総軍三等兵
全国に残る戦争遺跡を探訪し
記録することを趣味とする
祐実総軍三等兵ですっ★

稚拙な内容ではございますが
これまでに関係者の皆様方と
見てきた戦争遺跡を中心に、
ブログ・ホームページなどで
順次ご紹介をしていきます♪

よろしくお願いしますっ★

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皆様、いかがお過ごしでしょうか。


8月ももうすぐ終わり
今月も目立った遠征が出来ず
残念ですね…


厄年なんかとっくに過ぎましたが
今年は色々と厄が多いなぁ…


まあ…気にしていても仕方ないので
先々に向け現状打破したいですな。


さて、今回は祐実軍團「軍報」の
第238弾といたしまして
東京都昭島市におかれた
昭和飛行機東京製作所の遺構群を
簡単にご紹介させてください↓




昭和飛行機工業は、輸送機を中心とした
機材を製造する目的で設立された
民間企業で、1938年(昭和13)に
工場が設置されました。

設立当初は輸送機の製作がうまくいかず
量産に漕ぎ着けなかったものの
終戦までに零式輸送機430機を生産し
この他にも九九式艦上爆撃機や
紫電改などの製作に携わりました。

現在、昭和飛行機工業は
航空機事業が主力ではないものの
企業として存続しており、
往時の敷地より小さくなっていますが
航空写真との比較をする限り
当時の建物がいくつか残っています。



当時の格納庫が残っていると
日本戦跡協会さんに教えていただき
一緒に昭島市にお邪魔しています↓



往時の敷地の東側にあたる区画に
格納庫が2つ連続して残っています↓



現在はテニススクールの
コートとして使われています↓



さらに進んでいくと
もう1つ格納庫が残ります↓



終戦直後の空撮を見ると
2つの格納庫の中間に付属建屋が
挟まれる形で1セットだったようですが
こちらは格納庫の1つが壊されており
公園の駐車場になっていました↓



レッスンの邪魔にならないよう
合間を縫うようにして手短に
内部も見学させていただきました↓




いやぁ、節穴でした(笑)



お供のサブ郎さんも
こんなものが残っていたなんて…と
驚きを隠せない様子(笑)です↓



こういった形で旧施設が
有効活用されている姿を見ると
ウキウキしますね(笑)↓



テニススクールを後にして
今度は敷地外周を歩いていきます↓



戦後の航空写真と比較する限り
当時の工場を活用している建屋が
この他、敷地内にも残っており
外周から見ることが出来ます↓





上記3枚のうちの最後の建屋は
特に大きなものです↓



過去の探訪写真をPCクラッシュで
消失させてしまったので
我々のホームページに掲載している
写真の引き伸ばしになっちゃいますが
かつては本部庁舎も残ってました…↓



ブログ上の構成が前後しますが
この後は瑞穂町に向けて
転進しました↓



【収録遺構】
 昭和飛行機工業
 東京製作所

   建物 6棟
   建物 1棟 (消失)
 
【探訪情報】
 2007.06.16  第1回探訪
 2011.12.10  第2回探訪
 2022.08.11  第3回探訪

 歩数(指数) 未計測 (100)


それでは、またお会いいたしましょう★



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 ひとつよろしくお願いします♪

皆様、いかがお過ごしでしょうか。


あと少しで私の誕生月である8月も
終わってしまい、いよいよ秋に
入っていきますね…


今月も色々ありまして
遠方の探訪が叶いませんでしたが
次のシーズンに向けて
照準を定めていきたいと思います。


さて、今回は祐実軍團「軍報」の
第140弾の続編といたしまして
東京都西多摩郡瑞穂町におかれた
陸軍航空士官学校狭山分校
(狭山陸軍飛行場)の弾薬庫を
2つほど簡単にご紹介します↓



なお、これは「後続記事」ですので
「本記事」「関連記事」も
是非、ご覧くださいませ↓

 (140)所沢陸軍飛行学校狭山分教所
 (140_続編1)所沢陸軍飛行学校狭山分教所
 (140_続編2)所沢陸軍飛行学校狭山分教所



日没間近に日本戦跡協会さん
野山北・六道山公園に
お邪魔しています↓



山沿いの遊歩道を
進んでいくと…↓



山肌にコンクリートで造られた
弾薬庫が残存しています↓



この周辺はヤブ蚊がすごいのと
フェンスで弾薬庫に接近出来ないので
外観だけ確認してさらに進みます↓



こちらも接近出来ませんが
もう1つ、コンクリートで造られた
弾薬庫が残っていました↓



遊歩道沿いに案内板が設けられており、
弾薬庫はコンクリートの厚さが
60センチもある強固なものであるほか
周辺に掘削中のものもあったとか…↓



他にも残ってないか
確認したいところでしたが
なにぶん時期が悪いもので
次回に持ち越しということで
これにて撤収します↓




【収録遺構】
 陸軍航空士官学校
 狭山分校
 (所沢陸軍飛行学校
  狭山分教所)

   建物基礎 5箇所
   軍用地境界標 2本
   その他 5箇所

   地下施設 2箇所(今回追加)
 
【探訪情報】
 2013.03.19  第1回探訪
 2019.05.06  第2回探訪
 2022.08.11  第3回探訪

 歩数(指数) 約30,000歩(390)


それでは、またお会いいたしましょう★



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皆様、いかがお過ごしでしょうか。


なかなかブログまで手が回らず
起算での更新が続いちゃって
申し訳ないです m(_ _)m


引き続き、空き時間を縫うように
進めていけたらと…


おおむね、4日ごとの更新ペースに
戻していけるように頑張ります★


さて、今回は祐実軍團「軍報」の
第237弾といたしまして
東京都小金井市におかれた
陸軍技術研究所の軍用地境界標を
数本ご紹介させてください↓




陸軍技術研究所は、
兵器行政本部に隷属する研究機関で、
兵器に関する研究や試験を行う目的で
1942年(昭和17)に開設されました。

ここには第一・第三・第八の
各技術研究所がおかれ、銃砲・火薬・
兵器材料などの研究が行われ、
翌年の1943年(昭和18)には
電波兵器の研究を行う
多摩陸軍技術研究所も新設され、
終戦まで機能が存続しました。

現在、跡地は東京学芸大学や
サレジオ中学校などの教育機関のほか
住宅地などに変遷し、
当時の面影がありませんが
軍用地境界標が残っています。



前回の記事に引き続き
日本戦跡協会さん
今度は小金井市に入りました↓



まずは小金井市文化財センターを
見ていきます↓



軍用地境界標が2本
引き抜かれた状態で
移設保存されており、
市の有形文化財に
指定されています↓




涼しい場所で快適に
大好きな標柱を見学出来て
お供のサブ郎さんも大喜びです↓



2本の標柱の横には
案内板がおかれています↓



標柱の概略図を見ると
地表部分の露出が少ない
鉄道第一連隊の演習線のものと
同じタイプのようです↓



標柱のほか、ほかの展示物も
多くありました↓




館内の学芸員さんにも
色々とお話しを聞くことが出来て
とても充実した資料館を出て
今度は前から気になっていた
敷地の南側を歩いていきます↓



残念ながら記載面が塀に埋もれ
文字の確認が出来ませんでしたが
材質・大きさ・位置関係から
軍用地境界標と思われる標柱を
1本だけ確認出来ました↓



ここからは約15年前に
いっちゃんさんと一緒に
歩いた時のものになりますが
敷地の東端部分にも
軍用地境界標が残っています↓



ここより北上した上水公園内にも
公園事務所として使われていた
木造の建物があったのですが
残念ながらこの時代はまだ
地下壕の方が関心が強かったので
写真を撮らなかったことを
悔やみながら次の案件に進みます↓



【収録遺構】
 陸軍兵器行政本部
 技術研究所
 (多摩陸軍技術研究所)

  軍用地境界標 4本

【探訪情報】
 2005.07.24  第1回探訪
 2007.06.16  第2回探訪
 2022.08.11  第3回探訪

 歩数(指数) 未計測(100)


それでは、またお会いいたしましょう★



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皆様、ご無沙汰しております。


ここのところ、仕事・探訪で
ブログを更新する時間を
捻出出来ず、再び
期間が開いてしまいました…


ネタ切れではないので
どうかご安心を(笑)


さて、今回は祐実軍團「軍報」の
第236弾といたしまして
東京都東久留米市・小平市に
跨っておかれていた
参謀本部の北多摩通信所跡の
ご紹介でございます↓




北多摩通信所は、無線の受信と
暗号の解析を目的として
1933(昭和8)に設置されました。

ここには、通信に使用する鉄塔や
作業を行う庁舎・官舎などが設置され
傍受・解析した内容を
三宅坂におかれた参謀本部に
転送する任務に従事していました。

現在、跡地は住宅地や
商業施設などに変遷し
ほとんど面影がありませんが
敷地の南側におかれた官舎や
防火水槽が残っています。



今回は日本戦跡協会さんと一緒に
東久留米市の南部に展開する
住宅地内を見ていくことにします↓



終戦直後の航空写真にも写る
官舎がとてもよい状態で残ります↓



残念ながら、空家になっており
国有地の看板とともに
管理されていました↓



空家とはいえ、驚異的な
残存状態を保っており
お供のサブ郎さんは
壊されないか心配しながら
熱心に見学していました↓



もう1棟、同じ形状の官舎が
南側の区画に残っています↓



背面をよく見ると
減築されているようですが
現在も住宅に使われているので
居住者のご迷惑にならないよう
簡単な見学にとどめました↓



さらに南に進んだ公園内には…↓



こちらも終戦直後の航空写真に
くっきりと写っている防火水槽が
残っています↓



この東側をはしる通りには
バスがはしっており、
ちょうどバス停がありましたが
これが以前は「通信住宅」という
停留所で、往時の名残でも
あったそうですよ↓



このほか、周辺も歩いてみましたが
遺構を見つけることが出来ず
次の案件に向かいました↓



【収録遺構】
 参謀本部
 北多摩通信所

  建物 2棟
  その他 1箇所

【探訪情報】
 2022.08.11   第1回探訪

 歩数(指数) 未計測(100)


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皆様、いかがお過ごしでしょうか。


8月は原爆祈念日や終戦祈念日があり
毎年、我々のホームページ
この期間はアクセスが2倍近くになり
大変ありがたく感じているところです。


来月になると、こちらも恒例ですが
すとんと半減(笑)するので
通年、軍跡・戦跡に関心を
もってもらえるように
引き続き、頑張りたいところです。


さて、今回は祐実軍團「軍報」の
第120弾の続編といたしまして
甚だ簡単ではございますが、
神奈川県横須賀市におかれた
横須賀海軍軍需部の久里浜倉庫の
地下壕を1つご紹介させてください↓



なお、これは「後続記事」ですので
「本記事」もご覧くださいませ↓

 (120)横須賀海軍軍需部久里浜倉庫



鳥ヶ崎の地下壕に引き続き
関係者6名の皆様方と
久里浜にお邪魔しています↓



山をまわりこむようにして
藪漕ぎをしていくと…↓



唯一、開口している
地下壕の入口に到達します↓



時期が悪く、ヤブ蚊が多いので
さっそく中に入っていくと
全体的に崩落気味の坑道が
展開していました↓



さすが、倉庫の壕だけあって
1本の主坑道に接続する
部屋のような空間が
左右にたくさんありました↓




何かを乗せていたと考えられる
コンクリート製の台座なんかも
残っていました↓



途中から、隣にもう1本
坑道が分岐しており、
こちらは部屋のような空間を
バイパス出来るような
構造になっています↓



この壕の最大の特徴は、
海岸の近くに位置していることで
敵兵の上陸阻止を目的とした
砲口や狙撃口が設けられて
いることです↓




このように、壕の目的が
本来の用途である格納と
本土防衛の2つからなる
いわゆる「複合型」のものは
長瀬・西浦賀にもありますが
いずれにせよ、横須賀以外では
見たことがありませんね…↓



また、銃座が残っており
三浦半島では三戸浜に続いて
2例目になります↓



お供のサブ郎さんも
この構造には驚愕し
熱心に見学してました(笑)↓



この壕の総延長は
262メートルを計測し、
図にするとこんな感じでした↓



探訪を終え、この後は中央の
信濃さんで祝杯をあげました(笑)↓



お酒が入って軍跡談議が
長時間にわたりまして…↓



結局、地元をはしる電車の
終電をなくしてしまい
途中からタクシーで帰還しました(笑)↓



【収録遺構】
 横須賀海軍軍需部
 久里浜倉庫

  建物 1棟
  地下壕 4区画
  軍用地境界標 117本
  その他 1箇所

  地下壕 1区画 (今回追加)

【探訪情報】
 2006.07.25   第1回探訪
 2006.08.13   第2回探訪
 2007.12.29   第3回探訪
 2014.04.27   第4回探訪
 2014.11.02   第5回探訪
 2016.03.12   第6回探訪
 2021.07.17   第7回探訪

 歩数(指数) 50,000歩以上(999)


それでは、またお会いいたしましょう★



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