【祐実軍團】軍報 - 戦争遺跡調査研究軍 祐実総軍

【祐実軍團】(99)海軍東京湾要塞地帯(藤沢市)

皆様、いかがお過ごしでしょうか。

いよいよ、年度末ですね。
明日は飲み会です。
飲むのは全然いいのですが
いかんせん、三等兵のねぐらからは
遠くて・・・(涙)


さて、昨日・今日・明日と
帰りが遅いので、今回も
既出案件でのブログ更新です。
お許しくださいませ・・・


本日は祐実軍團「軍報」の
第99弾といたしまして
神奈川県藤沢市に保存されている
東京湾要塞地帯標のご紹介です↓



東京湾要塞は、日本の本土におかれた
12箇所の永久要塞のうちの 1つです。

1895年(明治28)の要塞司令部条例に
よって、永久的な防御工事を
施している場所は「要塞」とされ、
海軍の場合は砲台や軍港が
「要塞地帯」とされました。

また、これに伴う法律も
公布されており、軍事機密の
保持のため、要塞地帯に指定された
区域内での測量や撮影・スケッチ・
土木工事などは、要塞司令部の
許可がないと出来ませんでした。

これらの防御営造物より
250間(約455メートル)以内を特に
「要塞地帯第一区」として一般人の
立入りが禁止され、衛兵が
守備していました。

さらに、その距離に応じ「第二区」・
「第三区(区域)」が設定され、
これらを明確にするためその境界部に
要塞地帯標が設置されました。

要塞地帯を定義する法律は、
数度にわたって改正されましたが、
最終的に防御営造物から
1,000メートル以内を第一区・
5,000メートル以内を第二区・
15,000メートル以内を第三区(区域)と
当初よりも大幅に拡大されました。

藤沢市については、要塞地帯第三区に
定められた箇所があり、要塞地帯標が
藤沢市役所前に移設保存されています。


藤沢市にお邪魔しております↓



東京湾要塞第三区地帯標が
1つ移設保存されています↓





【収録遺構】
 海軍東京湾要塞地帯(藤沢市)

  軍用地境界標 1本

【探訪情報】
 2014.04.12  第1回探訪

 歩数(指数) 約1,000歩(100)


明日は、送別会があるため、
ブログの更新は「起算更新」と
なりそうです。


それでは、また明日っ Zzz



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 つながりますので、もしよろしければ
 応援してやってくださいっ♪

【祐実軍團】(98)横須賀海軍警備隊第三高角砲大隊佐介山防空砲台

皆様、いかがお過ごしでしょうか。

本日は早い時間でのブログ更新です。
今回は、祐実軍團「軍報」の第98弾として
神奈川県鎌倉市に設置予定だった
佐介山防空砲台の痕跡を
簡単にご紹介させてくださいませ。


佐介山防空砲台は、横須賀軍港周辺の
防衛を目的として1945年(昭和20)に
建設が開始されました。

ここには、12.7センチ高角砲を
2門据え付けて防備にあたる
予定であったそうですが、
建設の途中で終戦を
迎えたようです。

現在、跡地は鬱蒼とした
竹林になっているため、遺構の
判別が難しいですが、佐助稲荷神社の
西に位置する山林内に、
建設途中の砲座とおぼしき
大きな穴が残っています。


おピンちゃん先生が大好きな
鎌倉にお邪魔しております↓


佐助稲荷神社の裏山から
攻めていきます(笑)


登山道から外れてしまうので
おピンちゃん先生に
待機をお願いして進みます↓



藪漕ぎすると、建設途中だった
砲座とおぼしき円形の窪みが
2箇所残っています↓




この他、円形に小さく抉った
痕跡が残っていました↓



ちなみに、ここは冬場の探索が
ベストですよっ★

前回は夏の時期に訪れていますが
藪がものすごく生い茂り、
ハチ・蚊の攻撃がハンパじゃねーっす!
遺構はおろか、目的地の途中までしか
到達できませんでした(笑)


【収録遺構】
 横須賀海軍警備隊
 第三高角砲大隊
 佐介山防空砲台

  砲座 2箇所
  その他 1箇所

【探訪情報】
 2016.07.30  第1回探訪(敗走)
 2017.02.25  第2回探訪

 歩数(指数) 6,022歩(100)


詳細は、後ほどホームページ内で
ご紹介させていただきますねっ!


それでは、またお会いいたしましょう★

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【祐実軍團】(97)横須賀海軍鎮守府城ヶ島野砲陣地

皆様、いかがお過ごしでしょうか。

今日の関東地方は風が強かったですが
季節外れの暖かさになりましたね。


さてさて、本日は当方に関係する
重鎮の皆様方へのアシスト記事として
祐実軍團「軍報」の第97弾は
神奈川県三浦市におかれていた
城ヶ島野砲陣地の遺構を
ご紹介させてくださいませ。


城ヶ島野砲陣地は、臨時に設置された
砲兵陣地で、1943(昭和18)に
城ヶ島砲塔砲台の側面を防備する目的で
工事が開始されました。

ここには、7センチ速射加農砲が
4門据え付けられて防備に
ついたようですが、太平洋戦争の
終戦間際に2門が他へ
移設されたようです。

現在、陣地跡のほとんどが
荒地になっているため
判然としませんが、当時の建物や
関連する遺構がいくつか残ります。


毎度、お馴染みの重鎮である
いっちゃん先生とOKN先生と一緒に
城ヶ島公園に到着しております↓



山頂の駐車場から砲塔砲台の
遺構群とは逆方向に進みます↓



とのたま先生が図示した地図の
赤い線の付け根部分がココです↓


この写真の右側が1段高くなっており
鬱蒼とした藪になっているので
ここを突撃してください(笑)

航空写真で見ると、道になっていますが
実際は草がボーボーで道になってないので
ご注意をっ!

突撃して少し南東方向へ進むと
トイレとおぼしき基礎部分があります↓



さらに南東方向へ進んでいくと
お目当ての建物が残ります↓


草がボーボーで視界が利かず
建物の全体を写真に収めることは
極めて困難です・・・


建物の内部の状況です↓



この建物のすぐ脇に
建物基礎が残っています↓



ここから少しだけ東に進むと
付属建物が残っています↓


残念ながら、全ての入口と
窓は封鎖されているので
この建物の内部見学は出来ません。


最後に一番南側をはしる遊歩道の
グライダー離陸場所の近くに
砲座が2箇所残っています↓




アシスト記事のつもりですが
あまり参考にならないようでしたら
申し訳ないです m(_ _)m


【収録遺構】
 横須賀海軍鎮守府
 城ヶ島野砲陣地

  砲座 2箇所
  建物基礎 2箇所
  建物 2棟

【探訪情報】
 2006.04.01  第1回探訪
 2016.02.06  第2回探訪

 歩数(指数) 未計測(100)


詳細は、後ほどホームページ内で
ご紹介させていただきますねっ!


それでは、またお会いいたしましょう★

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【祐実軍團】(96)横須賀海軍兵器廠

皆様、いかがお過ごしでしょうか。

あと2日頑張れば、
「那瑠絵軍團」の初陣ですっ★
それまでは、仕事への「不満」を
言わないようにしたいと思います(笑)


さてさて、本日は祐実軍團「軍報」の
第96弾といたしまして
神奈川県横須賀市におかれていた
横須賀海軍兵器廠の遺構を
ご紹介させていただきたいのですが
なにぶん数が多いので、
簡単に掲載させてくださいませ。


横須賀海軍兵器廠は、
軍艦に搭載する兵器類の造修を
目的として、前身の水雷営と武庫を
統合させた形で1886年(明治19)に
開設され、1903年(明治36)の
組織改編によって横須賀海軍工廠の
内部部門に編入されて
造兵部となりました。

ここには、中央庁舎の他に
兵器類の造修を行う水雷工場・
機雷工場・砲熕工場などが設置され
10,000人近くの工員が作業に
従事しました。

昭和時代に入ると、航空機に関係する
兵器類も生産するようになり
機銃工場・光学工場・無線工場などが
設置されましたが、さらなる増産を迫られ
鎌倉にも分工場が開設されます。

また、戦争の拡大にあわせて
工員が急増し、逗子に工員宿舎も
建設され、最盛期で 3万人以上が
作業に従事していました。

アジア・太平洋戦争末期は、
防空対策の一環で敷地背面の山の他に
逗子や鎌倉にも地下壕が掘削され、
一部は実際に操業しましたが
終戦となりました。

現在、敷地跡は東芝ライテックを
はじめとする工場地帯となっていますが
当時の建物が多く残っており、
見学することが可能です。

また、地下壕についても見学が
難しくなっているものの、
良好な状態で残存しています。


横須賀の船越地区にお邪魔しております↓



正門です↓



機銃工場です↓



機銃試射場です↓



通用門と思われます↓



軍用地境界塀です↓



材料倉庫です↓



通用門です↓



関連建物です↓



製図工場です↓



無線工場です↓



中央庁舎です↓



発電工場です↓



発電工場の事務所です↓



鍛錬工場の基缶場です↓



鍛錬工場の事務所です↓



左から、機雷実験部・水雷工場・
音響工場です↓



物揚場の跡です(抜粋)↓



5tクレーンの基礎部分です↓



構内をはしっていた軌道です↓



ポイント切替機の残骸です↓



関連遺構であると思われます↓



これもそうでしょうね・・・↓



砲熕工場の地下倉庫であると
考えられる遺構です↓



こちらは、機械工場の地下倉庫と
思われます↓



ここから、背面の山に上がります。


軍用地境界柵の支柱です↓



軍用地境界標も4本残ります↓






上った山の地下には、階層構造の
地下工場も残っています。

まず、1階部分です↓


階段を上がっていきます↓


2階部分です↓


本日より2週間程度に限定して
内部図を掲載しますね↓

 ※2017.4.5 内部図を削除しました。


ここから、火工工場がおかれた
田浦駅周辺まで歩きます↓



火工工場の橋梁です↓



地下倉庫と思われます↓



地下壕も2箇所残っています。

最初の地下壕です↓


本日より2週間程度に限定して
内部図を掲載しますね↓

 ※2017.4.5 内部図を削除しました。


2つ目の地下壕です↓


奥に写っているのは、重鎮である
いっちゃん先生とOKN先生です(笑)

こちらも、本日より2週間程度に限定し
内部図を掲載しますね↓

 ※2017.4.5 内部図を削除しました。


このほか、造兵部の遺構は
残念ながら、海上自衛隊の施設の
移転集約に合わせて取り壊されており
現存していませんが、当方で
写真記録出来ているものだけを
掲載しようと思います。


砲塔工場(左)と製缶工場(右)です↓


砲塔工場のガントリークレ-ンは
造兵部の遺構群の中でも
一番の見ごたえがあり、
有名にもなりましたねっ↓



我々のホームページでは、
このほかに砲熕工場と砲架組立工場を、
重鎮であるyakumo先生より写真を
提供してもらって本日より掲載です↓
 横須賀海軍兵器廠

ちなみに・・・
フルブラウズ時のみ見ることが可能な
地下壕の内部図は深夜~早朝までと
なっております。


【収録遺構】
 横須賀海軍兵器廠
 (横須賀海軍工廠造兵部)

  門柱 3箇所
  建物 13棟
  地下施設 5箇所
  地下壕 3区画
  軍用地境界塀 2区画
  軍用地境界標 4本
  橋梁 1箇所
  その他 8箇所
  建物(消失) 4棟
  建物(消失) 2棟(yakumo先生)

【探訪情報】 ※()内は主となった代表様です。
 2003.01.03  第1回探訪
 2005.07.03  第2回探訪(いっちゃん先生)
 2005.07.18  第3回探訪(ヒシナマズ先生)
 2006.05.03  第4回探訪(OKN先生・SUM先生)
 2006.05.05  第5回探訪(誉先生)
 2006.05.13  第6回探訪(黒魔先生)
 2006.06.17  第7回探訪(土龍先生)
 2007.01.07  第8回探訪(K先生)
 2007.05.02  第9回探訪(誉先生)
 2014.03.29  第10回探訪(OKN先生・いっちゃん先生)
 2014.04.12  第11回探訪(おピンちゃん先生)
 2014.05.17  第12回探訪(いっちゃん先生・OKN先生)
 2014.11.02  第13回探訪(おピンちゃん先生)

 歩数(指数) 100,000歩以上(999)


それでは、またお会いいたしましょう★

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【祐実軍團】(95)横須賀海軍警備隊第一高射機銃大隊大勝利山防空砲台

皆様、おはようございます m(_ _)m

本日はシフト勤務のため、
この時間からブログの更新を
させてください。


今回は、祐実軍團「軍報」の
第95弾といたしまして
神奈川県横須賀市におかれていた
海軍第一高射機銃大隊の
大勝利山防空砲台のものと考えられる
遺構群をご紹介させてくださいませ。


大勝利山防空砲台は、
横須賀の軍港を統括した
横須賀海軍鎮守府の隷下におかれ、
軍港周辺の防衛任務についた
横須賀海軍警備隊が守備する
防空砲台として、1944年(昭和19)に
建設されたようです。

ここには、同隊の傘下におかれた
第四高射機銃中隊の兵員が配置され、
25ミリ連装機銃が2基据付けられました。

現在、大勝利山一帯は
景勝地として横須賀市の案内板が
建てられているものの、
整備はされていないため
大半が竹林となっており、その中に
当時のものと考えられる遺構が
残っています。


いっちゃん先生と一緒に
いわゆる「戦争遺跡」の探訪を始めて
通算5回目となる時期まで遡ります↓



大勝利山の東端にあたる
中腹部分に関連していたと
考えられる地下壕が残っています↓


残念ながら、落石防止用の金網が
二重にかけられているため
内部の調査は出来ておりません・・・

最近の動向を把握出来てませんが
擁壁に埋もれてしまったのかな・・・?


この踏査から約1年経った夏日に
再びOKN先生とkan先生とも一緒に
この地を訪れた際に、山林内にも
関連していたと考えられる
遺構群の記録が叶いました。


水槽です↓



建物の基礎部分であると
思われます↓



【収録遺構】
 横須賀海軍警備隊
 第一高射機銃大隊
 大勝利山防空砲台

  建物基礎 1箇所
  地下壕 1区画
  その他 1箇所

【探訪情報】
 2005.05.15  第1回探訪
 2006.07.15  第2回探訪

 歩数(指数) 未計測(100)


詳細は、後ほどホームページ内で
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