戦争遺跡のご紹介やホームページの制作状況などを綴っていきます♪

総軍BLOGへようこそっ!

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祐実総軍三等兵

Author:祐実総軍三等兵
全国に残る戦争遺跡を探訪して
記録することを生き甲斐とする
祐実総軍三等兵でございます★
稚拙な内容ではございますが、
これまで調べてきた戦争遺跡を
ブログ・ホームページで紹介を
させていただいておりますっ♪

よろしくお願いしますm(__)m

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皆様、いかがお過ごしでしょうか。
週初めは本当に気が萎えますね。


本日、三等兵は午後から出社です。
京急に例えるなら、金沢文庫始発の
三崎口行きみたいな運用につきます(笑)
相変わらず「本線」での運用です・・・


そういったわけでございまして、
この時間からブログの更新です(笑)


今回は祐実軍團「軍報」の
第112弾といたしまして
約10年前に探訪がかなった
千代ヶ崎砲塔砲台の遺構を
簡単にご紹介させてください↓




千代ヶ崎砲塔砲台は、
東京湾要塞の1つであり、
日本で最初となる陸上の
砲塔砲台として1925年(大正14)に
竣工しました。

ここには、ワシントン軍縮条約で
日本の主力艦の制限を受け
廃艦となった戦艦「鹿島」の
主砲の30センチカノン 2門入砲塔を
呉海軍工廠で改修したものが
1基据えつけられ、主として
横須賀重砲兵連隊や重砲兵学校の
演習砲台に使用され、
砲塔の旋回は80度・射角は42度・
射程は26キロありました。

終戦後、砲塔砲台は山林内に
放置された状態が続いていましたが
現在は周辺が造成されており
立ち入りが出来なくなっています。

探訪時は、夏の暑い時期で
多くの遺構が草木に埋もれた
状態でしたが、兵舎の跡や
機関室などの残存を確認しています。



いっちゃん先生と横須賀市内に
お邪魔しております↓



門柱が1つ残っています↓



当時の建物と思われます↓



兵舎とおぼしき建物基礎は
解体間近といった状態でした↓



この周辺にも関連遺構が
残っていましたが、現在は不明です↓





ここから少し上っていきます。


判りづらいですが砲塔井です↓



砲塔トンネルです↓



動力機室です↓



並んで副動力機室がありました↓



現在は、この周辺が造成されているため
立ち入りが出来なくなっており、
遺構の残存状態も不明です・・・


【収録遺構】
 陸軍東京湾要塞
 千代ヶ崎砲塔砲台
 (陸軍重砲兵学校
  千代ヶ崎砲塔砲台)

  門柱 1箇所
  砲座 1箇所
  地下施設 2箇所
  トンネル 1箇所
  建物 1棟
  建物基礎 1箇所
  その他 3箇所

【探訪情報】
 2005.07.03   第1回探訪

 歩数(指数) 約5,000歩(100)


詳細は、後ほどホームページ内で
ご紹介させていただきますねっ★


明日は、最期の「運動会」があるので
ブログの更新をお休みしますね m(_ _)m


それでは、またお会いいたしましょう!



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 させていただきますね~)

皆様、いかがお過ごしでしょうか。

昨日は仕事でゲンナリしちゃって
ブログの更新を怠けました・・・

もうね、来週で「廃車」なんです。
京急でいうと、平日の24時を過ぎた
横浜駅の下り方面みたいなもの。
時間的に久里浜以遠へ行く電車は
もう走っていないんです。
これは普段の「決まり」です。
なのに、真面目な顔して駅員さんに
「何で三崎口まで行かないんだ」って
詰め寄っているのと同じということに
気が付いていない大バカユーザー。
当然、駅員さんは深夜バスや
タクシーの提案をするでしょうね。
でも「予算がない」の一点張りで
「三崎口まで行け」と食い下がる。

要するに、電車がなくなる時間まで
好き勝手にやっていた挙句、
お金も使い切っちゃっていることを
棚上げして自分の予定通りに電車が
終点まで行かないことに
激高しているわけですよ。
どうみても自分が悪いでしょう。

こういう例えを出すと「おかしい」と
自覚するくせに、それと同じことを
仕事でやっていることに気が付かない。
なーんにも考えていない証拠です。
お気楽ですな~★

ユーザーってのは、メーカーに対しては
所詮「そんなもの」なのかもしれませんが、
メーカーは、こういったクソったれの
子守りまでする「何でも屋さん」じゃ
ないからね~(笑)

100万円で新車の「クラウン」は
買えませんぜ。ダンナ方★ バカジャネーノ
もうちょっと考えようぜ(笑)

予算がないところに仕事はないんです。

ってな厳しいオーラを出しながら
あと5営業日を凌ぎます。
「廃車」当日の夜は、セレモニーが
「お情け」程度にあるようなので、
ユーザーが来たらクッソミソに吐き捨てて
実に清々しい気分になって
帰途につくつもりです(笑)


大好きすぎる「仕事」への愚痴は、
枚挙にいとまがない状態なので
このくらいにして「軍報」の
掲載にうつらせていただきますね。
毎度「おなじみ」の展開で
申し訳ないです(笑)


今回は、既出案件となりますが
祐実軍團の111弾といたしまして
東京都世田谷区におかれていた
陸軍獣医学校の遺構紹介です↓




陸軍獣医学校は、動物を使用した
医学の研究や化学兵器の研究などを
行っていた教育機関で、
1909年(明治42)に設置されました。

現在、跡地は区立富士中学校や
駒場学園高校・住宅地に変遷し、
面影がほとんどありませんが、
代沢 1丁目の住宅地内に、
軍用地境界標が残存しています。



今回も、いっちゃん先生
マンツーで探訪していきます↓



住宅地内を進んでいくと・・・↓



軍用地境界標が残っています↓




我々のホームページには
掲載していませんでしたが
これもおそらくそうでしょうね↓



【収録遺構】
 陸軍獣医学校

  軍用地境界標 2本
  軍用地境界標 1本(今回追加予定)


【探訪情報】
 2005.07.24   第1回探訪
 2007.03.18   第2回探訪
 2007.03.24   第3回探訪
 2007.05.13   第4回探訪

 歩数(指数) 約5,000歩(999)


それでは、よい週末をっ!



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おかげさまで、三等兵は疲弊してます。
廃車なので、疲弊箇所の交換や
メンテナンスも一切なしです。
壊れたままで終わりを迎えろと(笑)

早く、7月に入らないかな・・・
本格的に動く予定です★


さてさて、本日は疲弊度が高く
既出案件でのブログ更新です・・・


今回は、祐実軍團「軍報」の
第110弾といたしまして、
東京都板橋区におかれていた
陸軍工科学校板橋分校の
遺構を1つだけご紹介します↓




陸軍工科学校は、技術系に従事していた
将校や下士官に対し、兵器業務の
教育を施す機関として設立され、
分校が東京第二陸軍造兵廠の
板橋製造所南東の一角に
おかれていました。

ここでは、兵器の調査や分析を行い
兵器の修理や調製をしていました。

跡地は区立板橋第五中学校と
なっているため面影がありませんが
軍用地境界標が1つ残っています。



今回は、いにしえの重鎮方の中でも
筆頭にあたるいっちゃん先生
一緒にめぐっていきます↓



軍用地境界標が残ります↓



区立板橋第五中学校に
板橋分校の石碑があります↓



【収録遺構】
 陸軍工科学校
 板橋分校

  軍用地境界標 1本

【探訪情報】
 2005.07.24   第1回探訪
 2007.04.08   第2回探訪
 2007.06.30   第3回探訪
 2010.12.31   第4回探訪

 歩数(指数) 約5,000歩(999)


それでは、またお会いいたしましょうっ!



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皆様、いかがお過ごしでしょうか。

月初から「さよなら」ヘッドマークを
出しながら「大好き」な仕事に
従事する三等兵は、京急に例えるなら
最混雑区間である戸部~横浜を過ぎ、
横浜を出発した感じになっております。
あとは終着駅に向けて少しずつ
お客さんを降ろしながら進んでいき
最後は廃車回送で車庫に戻ります。
4両編成に12両編成分のお客さんが
乗ってる感じだったので大変でした(笑)

長ったらしく、まわりくどい例えを
挙げてしまいましたが、
「峠」を越えたということです。
これ以上の山登りはしません(笑)


さてさて・・・
本日は祐実軍團「軍報」の
第109弾といたしまして、
神奈川県横須賀市におかれていた
久里浜山防空砲台のものと推測する
遺構をご紹介させてくださいませ↓




久里浜山防空砲台は、横須賀の
軍港周辺の防衛任務についた
横須賀海軍警備隊が守備する
防空砲台で、軍需部の久里浜倉庫を
中心とした施設の防衛を目的として
1944年(昭和19)に建設されたようです。

ここには、同隊の傘下におかれた
第一高射機銃大隊の兵員を配置し、
25ミリ連装機銃が2基と、
25ミリ単装機銃が1基据付けられた
ようです。

現在、跡地の大半が山林となっており
機銃座や軍用地境界標などの
遺構が残っています。



いにしえの重鎮方と共に、
快特爆走電鉄の爆走久里浜駅から
進んでいきます↓
P1120665.jpg


くりはま花の国から尾根沿いに
ゾロゾロと進んでいきます↓



尾根道沿いに機銃座と思われる
窪みが2つ残っています↓




少し離れた場所に水槽も
残っていました↓



尾根道を東に進んでいくと
送電線の鉄塔付近にも
機銃座とおぼしき遺構が残ります↓



さらに千駄ヶ崎方面に進んでいくと
軍用地境界標が10本残っています↓












【収録遺構】
 横須賀海軍警備隊
 第一高射機銃大隊
 久里浜山防空砲台

  砲座 3箇所
  軍用地境界標 10本
  その他 1箇所

【探訪情報】
 2006.07.25   第1回探訪
 2006.08.13   第2回探訪
 2007.12.30   第3回探訪
 2014.11.02   第4回探訪
 2016.03.12   第5回探訪

 歩数(指数) 約25,000歩(864)


詳細は、後ほどホームページ内で
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皆様、いかがお過ごしでしょうか。

関東もいよいよ「梅雨入り」したそうで。
しばらくは戦跡探訪に制約が出そうですね。
もっとも、虫類が得意じゃないので
「オフシーズン」なのですが・・・


さてさて、本日は祐実軍團「軍報」の
第108弾といたしまして
神奈川県横須賀市におかれていた
西浦砲台の遺構をご紹介させてください↓




西浦砲台は東京湾要塞の 1つで、
従前の要塞の防御線が
東京湾内部から三浦半島・房総半島・
伊豆半島を連ねる線に
拡大されたことによって
新設された砲台で1920年(大正 9)に
築城工事が完成しました。

ここには、30センチ長榴弾砲を
4門据え付ける予定でしたが
地質不良で数度におよぶ地滑りが
発生したために備砲せず、
対策工事が施されたものの
1923年(大正12)に発生した
関東大震災で甚大な被害を
受けてしまい、1925年(大正14)に
そのまま除籍されました。

現在、跡地は山林となっており
草木に埋もれてしまっていますが、
砲座や建物跡などの遺構が
良好な状態で残存しています。



野良ネコさんも一目置くくらいの
探訪能力を誇る重鎮メンバーの
皆様方と立石公園から出発です↓



さっそく、麓付近には当時の
石垣が残っています↓



この周辺に、防御営造物境界標が
5本残っていました↓







道中を省略しちゃいますが、
ここから山を上がっていくと
砲台跡に到着です↓



第一砲座は埋もれているため
第二砲座から見ていきます↓



第二砲座から第一砲座へ続く
横墻トンネルです↓



横墻トンネル内には弾薬庫が
2箇所残っています(抜粋)↓



第二砲座の背面付近に
砲台長立台が残っています↓



第二砲座から第三砲座へ続く
横墻トンネルを抜けていきます↓



横墻トンネルの中央には
線対称の配置となる弾薬庫が
2箇所残っています(抜粋)↓



第三砲座です↓



第三砲座から第四砲座へ続く
横墻トンネルを抜けていきます↓



この横墻トンネルも、
他のトンネルと同じように
弾薬庫が2箇所残ります(抜粋)↓



第四砲座です↓



弾薬庫へ直結する
横墻トンネルです↓



第四砲座の背面付近には
砲台長立台が残っています↓



少し進むと通信室が残ります↓



水槽も残っています↓



別のアプローチポイントから
山を上っていくと、
観測所が残っています↓
観測所遠景


通信室です↓



計算室です↓



計算室は両側に貫通しており
抜けた場所に観測所が残ります↓



砲台長の立台も良い状態で
残っていました↓



水槽も残っています↓



少し離れた場所にも
防御営造物境界標が残ります↓



【収録遺構】
 陸軍東京湾要塞
 西浦砲台

  砲座 3箇所
  観測所 1箇所
  トンネル 4箇所
  地下施設 9箇所
  軍用地境界標 6本
  その他 6箇所

【探訪情報】
 2006.06.04   第1回探訪
 2006.07.01   第2回探訪

 歩数(指数) 約15,000歩(202)


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