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戦争遺跡のご紹介やホームページの制作状況などを綴っていきます♪

総軍BLOGへようこそっ!

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祐実総軍三等兵

Author:祐実総軍三等兵
全国に残る戦争遺跡を探訪し
記録することを趣味とする
祐実総軍三等兵ですっ★

稚拙な内容ではございますが
これまでに関係者の皆様方と
見てきた戦争遺跡を中心に、
ブログ・ホームページなどで
順次ご紹介をしていきます♪

よろしくお願いしますっ★

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皆様、いかがお過ごしでしょうか。


先日、東日本に上陸した台風19号の
猛威は大変なものでしたね・・・


さすがに今回は我が家も
ダメになるかと思いましたが
何とか持ちこたえました。


被災したわけではないので
あまり余計なことは言いませんが
まったく、たまったものじゃ
ありませんね(怒)


さて、今回は祐実軍團「軍報」の
第216弾といたしまして
東京都昭島市に敷設されていた
陸軍航空工廠の軍用線跡を
ご紹介します↓




陸軍航空工廠は、航空機と
これに関連する部品を
製造することを目的として
1940年(昭和15) に造兵廠名古屋工廠の
発動機部門を編入し、現在の昭島市に
工場をおいて独立しました。

ここでは、機体やエンジン・プロペラの
生産が主に行われ、最盛期は
約10,000名の工員が配属されていました。

軍用線は、陸軍航空工廠へ資材を
搬入する目的で建設された引込線で
JR青梅線の中神駅から北上して
航空工廠の敷地へ至る区間が
1943年(昭和18)に完成しました。

軍用線の延長は約 1.9kmで、
終戦後もアメリカ軍の専用線として
燃料類の運搬用に使用されましたが
日本に返還されたのと同時に
廃線となりました。

現在、軍用線は道路として
整備されていますが、レールの一部や
転轍機が保存されており、
見学することが可能です。



約11年ぶりに中神駅で下車しました↓



軍用線跡は東中神に向かって
青梅線と平行にはしります↓



中神駅から200メートルほど進むと
進路を北に変えていきます↓



軍用線跡は北に進路を変えると
しばらく直線が続きます↓



軍用線は道路に変遷しており、
「中神引込線通り」という
名前が付けられています↓



さらに北上していくと
分岐跡がありますが、
どちらも航空工廠の敷地に
繋がっています↓



分岐跡には、レールの一部と
転轍機が保存されています↓



その横に案内板が立てられています↓



今回は進路を左にとり、
一番外側をはしる線路跡を
たどっていきます↓



やがて、線路は再び東へ
進路を変えていきます↓



東に進路を変えると
しばらく直線が続き
航空工廠跡に入ります↓



航空工廠跡の一部は
公園として整備されており
構内に引き込まれていた
線路の跡が保存されています↓




公園内にも案内板が
立てられています↓



久しぶりに再訪しましたが
このあたりは、風景がガラッと
変わってしまいました↓



もう少し寒くなったら
航空工廠の遺構を
もう少し探してみようと思います。


【収録遺構】
 立川陸軍航空工廠
 中神軍用線

  その他 4箇所

【探訪情報】
 2008.02.16  第1回探訪
 2019.10.05  第2回探訪

 歩数(指数) 未計測(150)


それでは、またお会いしましょうっ★



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皆様、いかがお過ごしでしょうか。


残念ながら、平日は
「全て仕事に費やす日」と
勘違いもはなはだしい
会社大好き人間に翻弄され
大好きな残業が続いております。


仕様も要件もロクに知らないヤツが
一体、何を作ろうとしているのか
私には「さっぱり」判りませんね。


成果を出さなくても作業時間数が
多ければ評価が高くなるシステムは
本当に迷惑極まりないですね。
とっとと、潰れてしまえっ!


さてさて、大好きな会社を
大いに褒めちぎったところで
今回は祐実軍團「軍報」の
第215弾の続編といたしまして
神奈川県逗子市におかれていた
池子火薬倉庫の外周遺構を
簡単にご紹介させてくださいませ↓



なお、これは「後続記事」ですので
「本記事」もご覧くださいませ↓

 (215)横須賀海軍軍需部池子火薬倉庫



今回は京急逗子線の六浦駅から
スタートしていきます↓



横浜市立朝比奈小学校の
裏手から山を上っていきます↓



山を上り切ったところから
逗子市内に入ります↓



敷地の北端をかすめる
登山道に沿うようにして
軍用地境界標が残ります↓




さらに西端をまわりこむように
登山道を進んでいきます↓



埋もれていますが、通用口とおぼしき
門柱が残っています↓




軍用地境界標も残っています↓





さらに南下するようにして進むと、
鎌倉市と逗子市の境界付近に
通用口とおぼしき門柱が残ります↓



このあたりから軍用地境界塀が
長い区間にわたって残っています↓



引き抜かれ横倒しにされて
埋もれている軍用地境界標が
1本ありました↓



残念ながら、この先は軍用地境界標を
確認することは出来ませんでした・・・


【収録遺構】
 横須賀海軍軍需部
 池子火薬倉庫

  軍用地境界標 16本

  門柱 3箇所(今回追加)
  軍用地境界塀 1区画(今回追加)
  軍用地境界標 6本(今回追加)

【探訪情報】
 2006.12.17  第1回探訪
 2007.01.14  第2回探訪
 2007.05.26  第3回探訪
 2014.11.22  第4回探訪
 2016.05.07  第5回探訪
 2018.01.13  第6回探訪

 歩数(指数) 25,000歩以上(999)


それでは、またお会いしましょうっ★



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皆様、いかがお過ごしでしょうか。


8月に引き続き、9月も探訪実績が
0という恥ずかしい実績を
残してしまいそうな予感がします・・・


さしあたって、直近の遠征は
10月以降に持ち越しですね。


11月に福岡~熊本間のデカい探訪を
ねじ込んでいますが・・・


さて、時間の都合で新規探訪案件を
なかなか記事に出来ないところで
今回は祐実軍團「軍報」の
第215弾といたしまして、
神奈川県逗子市におかれていた
池子倉庫の外周遺構を2回に分けて
ご紹介させていただきます↓




軍需部は、兵器や燃料・物資などを
全国の生産工場などから収集し、
前線にこれらを補給する重要な
役割を果たしていた部署で、物資を
送り出すまでの間は一時的な保管が
必要であり、沢山の保管施設を
保有していました。

このうち、火薬類を貯蔵する目的で
池子地区に火薬倉庫が
1937年(昭和12)に建設されました。

戦争末期は、防空対策の一環で
周辺に地下壕が掘削されますが、
目立った爆撃は受けず、大量の
砲弾類を抱えたまま終戦を迎えました。

終戦後、施設はアメリカ軍が接収し
弾薬庫に使用されましたが、
現在は家族住宅が建てられ
引き続きアメリカ軍によって
使用されており、遺構の全容は
不明ですが、敷地外周に構築された
地下壕や軍用地境界標などが残り
見学することが可能です。



池子倉庫の外周は関係者の皆様と
かなり歩いておりますが、
今回はいっちゃん先生・OKN先生と
まわった時の写真を載せていきます↓



逗子駅の北側に展開する山へ
最短ルートで上っていきます↓



久木・山の根地区の境界線に
敷地南端を示す軍用地境界標が
多く残っています↓










敷地の南西端付近から東へ抜けると
久木方面に下りる道と、池子方面に
向かう道に分岐しますが、
池子方面に進んでいきます↓



さらに進んでいくと、軍用地境界標が
残っています↓










池子倉庫の外周遺構は
この他にも多く残りますが
いったん、ここで打ち切って
久木方面に下りていきます↓



【収録遺構】
 横須賀海軍軍需部
 池子火薬倉庫

  軍用地境界標 16本

【探訪情報】
 2006.12.17  第1回探訪
 2007.01.14  第2回探訪
 2007.05.26  第3回探訪
 2014.11.22  第4回探訪
 2016.05.07  第5回探訪
 2018.01.13  第6回探訪

 歩数(指数) 25,000歩以上(999)


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皆様、いかがお過ごしでしょうか。


7月に入り、下半期に突入ですね。
仕事のおかげで、半年が経過したとは
全くと言っていいほど実感がないです。


今月は遠征を2本入れているので、
気合いを入れていきます。


仕事どころではありません(笑)


さてさて、今回は祐実軍團「軍報」の
第214弾の続編といたしまして
神奈川県藤沢市に掘削された
陸軍第一四〇師団の陣地で、
片瀬地区に残るうちの3か所を
ご紹介させてください↓



なお、これは「後続記事」ですので
「本記事」もご覧くださいませ↓

 (214)第一四〇師団陣地(藤沢市)
 (214_続編1)陸軍第一四〇師団抵抗拠点陣地
 (214_続編1)陸軍第一四〇師団抵抗拠点陣地



前回の記事に引き続き、
関係者の皆様方と藤沢市内の
片瀬地区にお邪魔しております↓



公園の展望台付近に
陣地が残っています↓



入口付近は崩落が著しいですが
内部はしっかりと造られています↓



動物が生息していたようで
素敵な臭いを発する壕内です(笑)↓



陣地の内部図です↓



坑道の総延長は47.5メートルを
計測しています。


頂上付近にもコンクリート製の
台座が残っています↓



形状から、タンクの基礎部分と
推測していますが、用途は
今のところ不明です↓



遺構の詳細図です↓



いったん山を下り、今度は
公園の北東付近を見ていきます↓



山の中腹部分に砲口と考えられる
入口をもつ陣地が残っています↓




こちらも掘削途中だったようで
規模は小さいですが、
造りがいいです↓



2つ目の陣地の内部図です↓



公園内には、この他にもう1つ
陣地の存在を確認していますが
残念ながら塞がれており
詳細は不明です・・・↓



【収録遺構】
 陸軍第一四〇師団
 抵抗拠点陣地(藤沢市)

  地下壕 9箇所
  地下施設 2箇所

  地下壕 3箇所(今回追加)
  その他 1箇所(今回追加)

【探訪情報】
 2006.03.19  第1回探訪
 2006.07.23  第2回探訪
 2006.09.10  第3回探訪
 2018.01.28  第4回探訪

 歩数(指数) 10,000歩以上(318)


それでは、またお会いいたしましょう★



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私からすれば、どうでもよい平日の
天気がよくて、肝心な休日に
天気が悪くなってしまうことが
気に入らないです。


もう少し梅雨前線も、そのあたりを
汲み取っていただきたいものです(笑)


さて、今回は祐実軍團「軍報」の
第214弾の続編といたしまして
神奈川県藤沢市に掘削された
陸軍第一四〇師団の陣地で、
片瀬地区に残るうちの3か所を
ご紹介させてくださいませ↓



なお、これは「後続記事」ですので
「本記事」もご覧くださいませ↓

 (214)第一四〇師団陣地(藤沢市)
 (214_続編1)陸軍第一四〇師団抵抗拠点陣地



関係者の皆様方と藤沢市内の
片瀬地区にお邪魔しております↓



今回は境川の背面に位置する
陣地を見ていきます↓



山の中腹部分に1つ目の陣地が
残っていました↓



入口の形状から、あきらかに
「軍掘り」であることが判ります↓



内部はぬかるみと水没で
状態はよくありません・・・↓



坑道は「コ」の字を描くように
掘られており、最深部は
部屋のような広い空間が
設けられていました↓



1つ目の陣地の内部図です↓



谷戸の向かい側にも
2つ目の陣地が掘られていますが
構築途中のようで単独壕でした↓



山の頂上に向けて進んでいくと
3つ目の陣地が残っていますが
全ての入口が塞がれており
唯一残る縦坑から入って内部を
確認していきます↓



3つ目の陣地は、界隈で一番の
規模をほこり、足場が悪いですが
支保工やコンクリート補強痕などが
残っています↓




また、3つ目の陣地を挟むようにして
頂上付近にコンクリート製の
監視壕が2ヶ所設けられています↓



1つ目の監視壕の内部です↓



2つ目の監視壕です↓



2つ目の監視壕の内部です↓



監視壕の存在から、3つ目の陣地は
戦闘指揮関係のものと思われます。


3つ目の陣地の内部図と
監視壕との相関です↓



すみません、時間の都合で
今回はここで打ち切ります m(_ _)m


続きは続編にて。


【収録遺構】
 陸軍第一四〇師団
 抵抗拠点陣地(藤沢市)

  地下壕 6箇所
  地下壕 3箇所(今回追加)
  地下施設 2箇所(今回追加)

【探訪情報】
 2006.03.19  第1回探訪
 2006.07.23  第2回探訪
 2006.09.10  第3回探訪
 2018.01.28  第4回探訪

 歩数(指数) 10,000歩以上(318)


それでは、またお会いいたしましょう★



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