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戦争遺跡のご紹介やホームページの制作状況などを綴っていきます♪

総軍BLOGへようこそっ!

♦ プロフィール

祐実総軍三等兵

Author:祐実総軍三等兵
全国に残る戦争遺跡を探訪し
記録することを趣味とする
祐実総軍三等兵ですっ★

稚拙な内容ではございますが
これまでに関係者の皆様方と
見てきた戦争遺跡を中心に、
ブログ・ホームページなどで
順次ご紹介をしていきます♪

よろしくお願いしますっ★

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皆様、いかがお過ごしでしょうか。


関東よりも3週間早く緊急事態宣言を
解除した大阪で、特に感染者が
激増しているようですね。


我が社は変化に気が付いたようで
出社率を下げるようですが、
3週間後はこちらも同じようなことが
起こり得るというのに、これまで通り
出社させている企業も多いようで
何なんでしょうかね。


余暇を自粛・制限させるわりには
出社は無制限で、オリンピックも
きっちりやりますとかおかしいよなぁ。


そんなことのためだけに
生きているわけではないのに…


さて、このままいくと愚痴が
エスカレートしてしまうので、
今回は祐実軍團「軍報」の
第206弾の続編といたしまして
週末に限り、ガイドなしで見学が
可能になった走水低砲台を
見学してきたので
ご紹介させていただきます↓



なお、これは「後続記事」ですので
よろしければ「本記事」も
ご覧くださいませ↓

 (206)陸軍東京湾要塞走水低砲台



我が総軍大元帥と一緒に
旗山崎公園にお邪魔しています↓



いつの間にか、入口に
見事な案内板が設けられています↓



これも気が付きませんでしたが
入口付近に階段が残ってました↓



さっそく、中に入り
一番左側の砲座から
見学していきます↓



次の砲座との中間に
砲側弾薬庫がありますが
こちらは塞がれており
見学は出来ないようです↓



2つ目の砲座も至近距離で
見学することが出来ます↓



2つ目と3つ目の砲座の中間に
掩蔽部が設けられており、
こちらは中に入れました↓



掩蔽部の内部をきちんと
見学出来ていなかったので
とてもいい機会となりました↓




掩蔽部に隣接して
3つ目の砲座があります↓



4つ目の砲座との中間にも
砲側弾薬庫がありますが、
こちらは開放されており
内部に入ることが出来ます↓



内部は整備されており、
弾薬庫・通路の全てを
見ることが出来ます↓




フランス積みであることも
はっきりと判ります↓



揚弾口の上部の見学は
ガイド付きが条件のようですが
砲側庫に繋がる下部は
見ることが出来ます↓



以前の写真ですが
揚弾口上部には滑車跡が
残されています↓



各砲側弾薬庫の真上に
砲台長の立台と揚弾口があり
引き続き、ガイドがいないと
至近で見学出来ないようです↓



砲側弾薬庫に隣接して
4つ目の砲座が展開しており
間近で見ることが出来ます↓



総軍大元帥の従者も
熱心に見学していました(笑)↓



胸墻からの眺めもいいです↓



4つの砲座群の前面におかれた
9センチ速射カノン砲の砲座も
4つ全てを見ることが出来ます↓






週末に限り、砲台の非公開部分を
一般開放する取り組みは
米が浜砲台でも行われており、
こちらも是非行きたいと思います。


それでは、退却します↓



【収録遺構】
 陸軍東京湾要塞走水低砲台
 (陸軍東京湾要塞走水第一砲台,
  陸軍重砲兵学校走水演習砲台)

   砲座 8箇所
   観測所 1箇所
   地下施設 3箇所
   建物基礎 1箇所
   軍用地境界標 1本
   その他 1箇所

【探訪情報】
 2006.04.01  第1回探訪
 2007.01.02  第2回探訪
 2014.06.01  第3回探訪
 2014.12.28  第4回探訪
 2016.05.04  第5回探訪
 2021.03.27  第6回探訪

 歩数(指数) 未計測(400)


それでは、またお会いしましょうっ★



↑よろしければ、こちらの「応援」も
 ひとつよろしくお願いします♪

皆様、いかがお過ごしでしょうか。


ここのところ、都内は連日2,000人を
超える感染者が続出していますが、
緊急事態宣言後も特に変化なく
大勢の通勤風景があり、
「緊急」の文字が入っているのに
企業は個人の自粛に頼るばかりで
特に何かをするわけではなく、
飲食店にしわ寄せがいくだけの
宣言に憤る毎日を過ごしてます。


仕事は経済のために通常通り
やって欲しいけど、それ以外は
自粛してくださいといわんばかりで
とても酷い宣言内容ですな。


飲食店が20時に閉まるのであれば
企業の終業時間も早めないと
間に合わないサラリーマンだって
たくさんいると思いますが、
こういうことを全て度外視して
従ってくださいといわれてもなぁ。


こんな状況下でも仕事は
スケジュール通りですので、
私も探訪スケジュール通りに
今後もこなしていくつもりです。


会社も私も、
スケジュール>緊急事態宣言なので
おたがいさまですね(笑)


さて、今回は祐実軍團「軍報」の
第229弾といたしまして、
神奈川県足柄上郡山北町におかれた
国際電気通信足柄送信所跡を
ご紹介させてください↓




国際電気通信は、対外無線電信・
電話における設備建設や保守を
行う目的で1938年(昭和13)に
日本無線電信と国際無線電話との
合併によって設立された
民間の株式会社です。

1944年(昭和19)に入ると、本土への
空襲に備え、戦時の海外放送や
通信の維持を軍部に要請され
御殿場線の廃トンネルを
耐弾式の送信所として活用する形で
足柄送信所が設置されました。

ここに電話や電信送信機などの
機器が並べられ、昭和天皇の
終戦玉音放送の送信は
足柄送信所で行われました。

現在、跡地は山林となっていますが
トンネルや遮蔽壁・水槽などが
残っています。



フォロー様のすまる先生と
沼津駅から御殿場線に
乗って出発します↓



談笑しながら電車に乗ること1時間、
谷峨駅に到着しました↓



ここで空母欲奈先生と合流し
谷ケ地区へ入ります↓



谷峨駅から御殿場方面に進んだ
最初の御殿場線の廃トンネルが
耐弾式送信所として設置された
足柄送信所となります↓



トンネルは煉瓦で造られており
廃線トンネルそのものですが…↓



途中からコンクリート床になり…↓



電話や電信送信機などの機器を
設置するための区画跡が残ります↓



区画跡のほかに排水溝なども
見ることが出来ます↓



トンネルの側壁部分にも
ケーブルや電線を引き込んだ跡が
残っていました↓




トンネルは反対側に貫通しており
入口に遮蔽壁が残っています↓



遮蔽壁はコンクリート製で
戦後に鉄筋を盗もうとしたのか
中央部分が壊されていましたが
鉄筋は入ってなさそうです↓



遮蔽壁の背面は下ったのちに
用水路を挟んで1段あがった
山になっていますが、
そこに大きな水槽と関連施設の
基礎部分が残されています↓




このあとは、周辺を散策して
次の案件に向けて御殿場に
進んでいきました↓



【収録遺構】
 国際電気通信
 足柄送信所

   トンネル 1箇所
   建物基礎 1箇所
   その他 2箇所

【探訪情報】
 2020.12.26  第1回探訪

 歩数(指数) 未計測(100)


また、後ほどホームページ内でも
ご紹介させていただきますねっ★


それでは、またお会いいたしましょうっ!



↑応援してやってくださいっ♪

皆様、いかがお過ごしでしょうか。


残念ながら、本日で在宅勤務が
いったん終了となります…


コロナウィルスの新規感染者が
減少しているわけでもなく
在宅勤務も出来る環境があるのに
「やはり出社するのが一番」といった、
働き方が少しずつ変わってきたのに
再び逆行させようとする変な人間が
まだまだ日本には大勢いるようです。


早く、当たり前に感じていたことが
実は普通じゃなかったと
気が付いて欲しいものです…


お金をもらえるなら
出社してもいいですが(笑)


さてさて、今回は祐実軍團「軍報」の
第228弾といたしまして
東京都練馬区に保存されている
陸軍鉄道大隊のE18型機関車を
簡単にご紹介させてください↓




鉄道大隊は、日清戦争で問題となった
物資類の輸送を、馬から鉄道に
移行することで、飛躍的に
向上させることを目的として
1896年(明治29)の軍政改変で
市ヶ谷の陸軍士官学校内に
創設されました。

開設当初は鉄道2中隊と電信1中隊・
材料廠で構成され、この翌年には
中野に兵営が新設されました。

その後に起きた義和団事変や
日露戦争では、鉄道の修復や
砲弾の輸送などを行って
大きな実績を出し、鉄道隊が
戦地で必要不可欠であることが
認められ、近衛師団に隷属する
交通兵旅団傘下となり、それまでの
1大隊から3大隊に拡張し
鉄道連隊に昇格しましたが
敷地が手狭になったことから
千葉県の習志野へ兵営を
移転させました。

練馬区に兵営はおかれませんでしたが
大隊で使用したE18型機関車が
豊玉北地区の住宅地に
移設保存されています。

E18型機関車は、戦地での輸送力の
拡大を目的に、ドイツのコッペル社から
1921年(大正10)に輸入された25両の
蒸気機関車のうちの1つで、
終戦当時は千葉市の材料廠
(千葉陸軍兵器補給廠)に
留置されていました。

その後は西武鉄道に引き取られて
入間川の砂利の採取に使われたのちに
所沢市のユネスコ村で
展示保存されましたが、施設工事で
展示場所を失ったために、
外観の修復工事を行ったあと
この地に移されたそうです。



都営大江戸線の新江古田駅から
トボトボと歩いていきます↓



今年は桜の開花が早く
3月の3週目でもう咲いてました↓



10分ほど住宅地内を歩くと
アパートのテラス部分に
E18型機関車が保存されています↓



側面には鉄道連隊の徽章が
入っています↓



機関車を後ろから見ると
こんな感じです↓



案内板も設置されています↓



この日は夕方から
空母先生と陸軍伍長先生と
横須賀で会うお約束をしていたので
この後は急いで現地に向かいました↓



【収録遺構】
 陸軍鉄道大隊
 E18型機関車

  その他 1箇所

【探訪情報】
 2020.03.21  第1回探訪

 歩数(指数) 未計測(100)


後ほどホームページ内でも
ご紹介させていただきますねっ♪


それでは、またお会いしましょうっ★



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皆様、いかがお過ごしでしょうか。


残念ながら、6月に入り
通勤と在宅勤務を交互に繰り返し
明日から1週間ほど通勤です…


会社がニコニコ笑って
手招いているのが目に浮かびますが
そんな手には乗りません(笑)


定時になったら、とっとと
帰らせていただきます。


さて、今回は祐実軍團「軍報」の
第227弾の続編といたしまして
神奈川県横須賀市に掘削された
横須賀海軍鎮守府の洞窟陣地のうち
走水地区のものをご紹介します↓



なお、これは「後続記事」ですので
よろしければ「本記事」も
ご覧くださいませ↓

 (227)横須賀海軍鎮守府抵抗拠点陣地



関係者の皆様方と一緒に
走水の海岸にお邪魔中です↓



海岸に沿って突端に向かう途中に
走水砲台のものと考えられる
囚人煉瓦がたくさん残ります↓



入口はいくつかありますが
入りやすいところから行きます↓



入口付近はガレていますが
坑道の状態はとてもいいです↓



海側には狙撃口と思われる
小さい穴が数ヵ所展開しています↓



狙撃口と考えられる穴の近くに
弾薬庫と思われる部屋状の空間が
展開していました↓



坑道は放射状に延びており
海側から山側に向かって
勾配が設けられています↓



棲息部と考えられる
広い部屋状の空間も
展開していました↓



電線を引き込んでいたことが判る
碍子も多く残っています↓



奥の方は、掘削途中だったようで
土屑が外に排出されていない
状態のままのようです↓



陣地の内部図です↓



トンネルを抜けて、馬掘方面に
この後は進んでいきます↓



【収録遺構】
 横須賀海軍鎮守府
 抵抗拠点陣地(横須賀市)

  地下壕 1箇所

  地下壕 1箇所(今回追加)

【探訪情報】
 2006.10.01  第1回探訪
 2014.06.01  第2回探訪
 2017.01.04  第3回探訪

 歩数(指数) 未計測(999)


後ほどホームページ内でも
ご紹介させていただきますねっ♪


それでは、またお会いしましょうっ★



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皆様、いかがお過ごしでしょうか。


やっと金曜日ですね…
週末が近付くと、会社から
外出の自粛要請が出て
うんざりしているところです。


平日は通勤はして欲しいけど、
週末は息抜きをして欲しくないと
言わんばかりで、もはや開いた口が
塞がらんです(笑)


やることをやらないくせに
注文だけは人一倍な組織や人には
残念ながら強いアレルギー反応が
出てしまうので、お願いなんか
はなから聞く気などありません。


社会人として失格ですな(笑)


さて、今回は祐実軍團「軍報」の
第227弾といたしまして、
神奈川県横須賀市に掘削された
横須賀海軍鎮守府管轄の
洞窟陣地のうち、長浜海岸に
残るものを1つご紹介します↓




横須賀海軍鎮守府は、
海軍条例によって定めた
5つの海軍区のうち、
第一海軍区 (東北地方~近畿地方の
一部と小笠原の各沿岸海域)を統括した
海軍組織で、1884年(明治17)に
前身である東海鎮守府を横須賀へ
移したことによって開設されました。

太平洋戦争末期、連合軍が計画した
日本上陸作戦の1つである
「コロネット作戦」に備えるべく、
日本軍は「本土決戦作戦」を
展開するため、横須賀市内の
沿岸からの上陸を想定した
抵抗拠点となる洞窟陣地が
構築されています。

陣地は、一部の入口が
封鎖されているものの、
放置されており見学が可能です。



いにしえの関係者の皆様方と
一緒に、横須賀市の長浜海岸に
お邪魔しております↓



海岸に沿って少し歩きます↓



この写真の中に陣地の入口が
埋もれているのですが、
まず判りません…↓



取り付きが簡単そうに見えて
実は、ものすごく大変な藪漕ぎを
していきます↓



何とか入口を見つけることが
出来ました↓



内部は崩落がなく、この手の
坑道が山に沿って延々と
続きます↓



一部、アップダウンがあり
階段が設けられています↓




いずれも塞がっていますが、
コンクリートで固められた狙撃口が
海岸に向かって2ヶ所ほど
設けられていました↓




一部は掘削途中だったようで
階段を下りた先が行き止まりに
なっている部分もありました↓



棲息部と考えられる
部屋のような空間が
1つ設けられています↓



坑道の総延長は502.7メートルを
計測しており、横須賀市内に残る
陣地の中では最大規模です↓



陣地の内部図です↓



内部探索を終え、
次の案件に進んでいきます↓



【収録遺構】
 横須賀海軍鎮守府
 抵抗拠点陣地(横須賀市)

  地下壕 1箇所

【探訪情報】
 2006.10.01  第1回探訪
 2017.01.04  第2回探訪

 歩数(指数) 未計測(999)


それでは、またお会いしましょうっ★



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