戦争遺跡のご紹介やホームページの制作状況などを綴っていきます♪

総軍BLOGへようこそっ!

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祐実総軍三等兵

Author:祐実総軍三等兵
全国に残る戦争遺跡を探訪し
記録することを趣味とする
祐実総軍三等兵ですっ★

稚拙な内容ではございますが
これまでに関係者の皆様方と
見てきた戦争遺跡を中心に、
ブログ・ホームページなどで
順次ご紹介をしていきます♪

よろしくお願いしますっ★

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皆様、いかがお過ごしでしょうか。


先週末の大阪・奈良探訪で
運を使い切ってしまったようで、
今週は不運の連続でございます(涙)

昨日に続き、明日も夜間帯に
作業があるため、シフト勤務です・・・
早くスランプから脱出したいですっ!


さてさて、本日は祐実軍團「軍報」の
第180弾といたしまして、
今は見ることが出来ない
東京陸軍兵器支廠赤羽火薬庫の
軍用線跡のご紹介です↓




赤羽火薬庫は、1872年(明治5)に
陸軍兵器廠の前身である武庫司が
創設したもので、北区で最初に
設置された軍事施設です。

その後、第一師団・近衛師団の
工兵大隊がここへ転営すると
陸軍が施設を引き継ぎ、
兵器支廠の火薬庫として
機能しました。

赤羽火薬庫の設置を皮切りにして
周辺に被服本廠の赤羽倉庫や
兵器支廠などの陸軍施設が続々と
展開し、砲弾や軍服・資材などを
運搬するための軍用線が
敷設されました。

軍用線は、東北本線の線路から
分岐し、現在の桐ヶ丘団地の
南側付近まで延びており、
戦後に線路は撤去されましたが
線路跡のほとんどは
赤羽緑道公園として整備され、
かつての線路をイメージした
意匠が施されています。

この他、赤羽台3丁目をはしる部分に
線路の跡と判る築堤が
残っていましたが、残念ながら
開発により消失しました・・・



今月の23日をもって、14年目の
お付き合いに突入する
古参メンバーのいっちゃん先生
赤羽駅にお邪魔しております↓



JRの線路に沿うようにして
北に進んでいくと、
東北線との分岐跡が
現在も残っています↓



軍用線は東北線から分岐し
南から西へ方向を変えますが
かつては、この部分が
線路跡と明確に判りました↓


残念ながら、この部分は
住宅や駐車場などになり
面影がなくなっています・・・


一部がコンクリートで補強された
築堤の跡も見ることが出来ました↓



さらに進んでいくと、軍用線跡を
活用した赤羽緑道公園に入り、
かつての線路をイメージした
意匠が施された遊歩道となります↓



【収録遺構】
 東京陸軍兵器支廠
 赤羽火薬庫
 赤羽軍用線
 (東京陸軍兵器支廠
  赤羽軍用線,
  陸軍被服本廠
  赤羽軍用線)

  その他 1箇所

【探訪情報】
 2007.04.08  第1回探訪 
 2011.01.02  第2回探訪 

 歩数(指数) 未計測(100)


明日は残念ながらシフト勤務のため
午前中にブログ更新を予定してます。


それでは、またお会いしましょう★



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皆様、いかがお過ごしでしょうか。


毎度の愚痴で恐縮ですが、
月曜日は気分が滅入りますね。
昨日まで大阪にいたのが
ウソみたいですわ(涙)

こんな日々が、あと4日も
続くのかと思うと、本当に
ゲンナリですね。

土曜日まで、1日が5分くらいの
時短にならないかな・・・


さてさて、本日は祐実軍團「軍報」の
第179弾といたしまして
神奈川県逗子市におかれていた
小坪防空砲台の遺構群を
ご紹介させてくださいませ↓




小坪防空砲台は、横須賀市におかれた
海軍施設の防衛を目的として
1944年(昭和19)に建設されました。

ここには、12.7センチ連装高角砲が
2門と、25ミリ連装機銃が2基
据え付けられ、九五式陸用高射器や
九六式150センチ探照灯なども
おかれていました。

現在、砲台跡地は披露山公園として
整備され、小動物園や展望台などが
設置されていますが、砲台の一部が、
猿の檻や花壇の基礎部分などに
現在も活用されて残っています。

また、反対の山に位置する
大崎公園内にも、関連していたと
思われる遺構がわずかに
残っています。



いっちゃん先生とOKN先生と一緒に
披露山公園に来ています↓



当時の砲座が花壇や猿の檻に
転用されています↓



実は過去のトラウマから
ニホンザルが大嫌いでして・・・

こいつらを見ると、いつも私は
ブツブツと文句をたれてます(笑)


終戦直後の航空写真を見ると、
展望台の基礎部分も
当時の施設跡だったようですよ↓



展望台から少し北上したところに
当時の建物が残っています↓



現在は、この上に売店が建てられ
全景を撮影するのが難しいです↓



売店の裏手に指揮所と考えられる
遺構が残ります↓



弾薬庫といわれる素掘りの壕の
入口部分が残っています↓



兵舎がおかれていたあたりは
公園の駐車場となっており、
水槽が現存しています↓



披露山の南西に位置する
大崎公園にも機銃の痕跡と
思われるコンクリート製の
遺構が残っています↓



【収録遺構】
 横須賀海軍警備隊
 第三高角砲大隊
 小坪防空砲台

  砲座 2箇所
  建物 1棟
  地下施設 1箇所
  その他 4箇所

【探訪情報】
 2005.04.23  第1回探訪 
 2014.11.22  第2回探訪 

 歩数(指数) 未計測(112)


それでは、またお会いしましょう★



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皆様、いかがお過ごしでしょうか。


残念ながら、週初めから
業後に新人歓迎会があり
帰りが遅くなりそうなので、
本日は「予約投稿」でございます・・・

何で月曜日から飲み会なんだよ(怒)
まったく、センスが微塵にも
感じられませんね~


さてさて、今回は祐実軍團「軍報」の
第178弾といたしまして、
神奈川県川崎市におかれていた
溝口演習場の軍用地境界標群を
ご紹介させてくださいませ↓




溝口演習場は、第一〇一師団に隷属した
歩兵第一〇一連隊の兵科演習を
行うことを目的に設置され、
その敷地規模は、高津区・宮前区・
横浜市青葉区の3区域にまたがる
広大なものでした。

宮崎地区に歩兵第一〇一連隊の
連隊兵営がおかれてから
1943年(昭和18)の4月に上海へ
出征するまでの短い期間に
ここでさまざまな演習が行われました。

現在、跡地のほとんどが
住宅となっていますが、広大な
敷地を有していたこともあり、
未開発の箇所を中心に
軍用地境界標が残存しています。



いにしえの重鎮メンバーの皆様方と
溝の口駅に来ております↓



溝の口駅の南東にあたる
久本1丁目周辺に軍用地境界標が
2本残存しています↓




田園都市線に乗って宮崎台駅に
ぞろぞろと移動していきます↓



宮崎台駅の南東にあたる
馬絹地区に軍用地境界標が
いくつか残っています↓





西へ少し進んだ宮崎1丁目内にも
軍用地境界標が残っています↓



田園都市線の線路をまたいだ
向ケ丘地区にも軍用地境界標が
2本残っています↓




過去に実施された
地元の中学校の調査によると
演習場の敷地に沿って
50本以上に及ぶ軍用地境界標の
残存を確認しているそうですが、
我々の力が及ばず、8本しか
見つけられませんでした・・・


【収録遺構】
 陸軍第一〇一師団
 溝口演習場

  軍用地境界標 8本

【探訪情報】
 2007.05.19  第1回探訪 
 2008.02.16  第2回探訪 
 2013.04.27  第3回探訪 

 歩数(指数) 約25,000歩(427)


それでは、またお会いしましょう★



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皆様、いかがお過ごしでしょうか。


今日はいい天気ですねっ★

こういう陽気が次の週末も
続いて欲しいのですが・・・


さて、本日は祐実軍團「軍報」の
第177弾といたしまして
埼玉県さいたま市に建設された
陸軍新和飛行場の遺構を
ご紹介させてくださいませ↓




新和飛行場は、東京周辺の
防衛を目的に1944年(昭和19)7月に
建設が開始されました。

わずか2ヶ月という短い期間での
完成を予定していたものの、
悪天候や建築資材の不足などが
原因で工事は著しく遅れ、
終戦間近の1945年(昭和20)8月に
完成しましたが、実際に使われることは
ありませんでした。

現在、跡地は農地や
しらこばと水上公園などに変遷し、
当時の面影がありませんが、
飛行場の南西端にあたる農地内に
当時の格納庫や兵舎の基礎部分が
残存しています。



日没間近に岩槻区の高曽根に
お邪魔しております↓


残念ながら、暗くなっちゃって
いい写真が撮れなかったので
画質と明るさを補正しています。


国道463号の北に展開する農地内に
格納庫の基礎部分が残ります↓



農地内を北上していくと
兵舎の基礎部分も残っています↓


畑の所有者に話を伺ったところ
「私が子供の頃はここを遊び場に
していた」とのことでした。

その当時は、まだ建物が
きちんとあったそうですよ。


兵舎のすぐ北側には
付属建物の基礎部分が
3箇所残っています↓





すぐ近くには井戸と思われる
円形の遺構が残っています↓



少し離れた場所にも
当時のものと思われる
遺構がありました↓



このあたりは本拠から近いので
再訪しようと思っていますっ★


【収録遺構】
 陸軍新和飛行場
 (陸軍論田飛行場)

  建物基礎 5箇所
  その他 2箇所

【探訪情報】
 2011.04.29  第1回探訪 

 歩数(指数) 17,111歩(110)


それでは、またお会いしましょう★



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皆様、いかがお過ごしでしょうか。


やっと週末ですね・・・
いつもより、時間の経過が
遅かった気がしますね。
休みの時こそ、時間の経過が
遅ければいいのにね。。。


さてさて、本日も祐実軍團「軍報」の
第176弾といたしまして、
東京都武蔵野市に敷設された
中島飛行機武蔵野製作所の
専用線の遺構を1つご紹介します↓




中島飛行機は、1917年(大正6)に
創設された民間の航空機製作会社です。

特筆に値する製作戦闘機に「隼」や
「疾風」などがあり、戦前の日本を
代表する陸軍・海軍御用達の
戦闘機製造会社として、「零戦」などの
設計で有名な三菱重工業と
双璧をなします。

昭和に入ると、近代戦の主力が
航空機となり、戦闘機の需要が
急激に伸び、群馬県の太田市に
かかえていた工場だけでは
生産が間に合わず、1938年(昭和13)に
陸軍専用の戦闘機エンジン工場として
武蔵野製作所を開設しました。

また、エンジンの製作にあたって
必要な資材を搬入するために
中央線の三鷹駅から武蔵野製作所を
結ぶ専用線が敷設されました。

終戦後、武蔵製作所の敷地は
NTTやグリーンパーク野球場などに
払い下げられて、専用線は野球場への
人員輸送に活用されましたが
都立武蔵野中央公園となった際、
野球場や専用線は撤去され
整地されて現在にいたり、
遺構は玉川上水に架けられた
コンクリート製の橋梁跡だけと
なっています。



メンバー最古参のいっちゃん先生
三鷹駅から歩いていきます↓



武蔵野グリーンパーク野球場が
おかれていた時代に、専用線を
中央線の支線として活用した
武蔵野競技場線の名残が
残っています↓



玉川上水に架けられた橋梁の跡が
専用線の唯一の遺構です↓



専用線の線路跡は
グリーンパーク遊歩道として
整備されているため、
簡単に歩くことが出来ます↓



遊歩道を北上していくと、
武蔵野製作所の跡地である
武蔵野中央公園に入ります↓



公園の入口には、周辺の歴史が
記載されている案内板があります↓



【収録遺構】
 中島飛行機
 武蔵野製作所
 専用線

  橋梁 1箇所

【探訪情報】
 2005.06.18  第1回探訪 
 2005.10.30  第2回探訪 

 歩数(指数) 未計測(100)


明日は所用のため、ブログの更新を
お休みさせていただきます m(_ _)m


それでは、またお会いしましょう★



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