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戦争遺跡のご紹介やホームページの制作状況などを綴っていきます♪

総軍BLOGへようこそっ!

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祐実総軍三等兵

Author:祐実総軍三等兵
全国に残る戦争遺跡を探訪し
記録することを趣味とする
祐実総軍三等兵ですっ★

稚拙な内容ではございますが
これまでに関係者の皆様方と
見てきた戦争遺跡を中心に、
ブログ・ホームページなどで
順次ご紹介をしていきます♪

よろしくお願いしますっ★

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皆様、いかがお過ごしでしょうか。


残念ながら、本日で在宅勤務が
いったん終了となります…


コロナウィルスの新規感染者が
減少しているわけでもなく
在宅勤務も出来る環境があるのに
「やはり出社するのが一番」といった、
働き方が少しずつ変わってきたのに
再び逆行させようとする変な人間が
まだまだ日本には大勢いるようです。


早く、当たり前に感じていたことが
実は普通じゃなかったと
気が付いて欲しいものです…


お金をもらえるなら
出社してもいいですが(笑)


さてさて、今回は祐実軍團「軍報」の
第228弾といたしまして
東京都練馬区に保存されている
陸軍鉄道大隊のE18型機関車を
簡単にご紹介させてください↓




鉄道大隊は、日清戦争で問題となった
物資類の輸送を、馬から鉄道に
移行することで、飛躍的に
向上させることを目的として
1896年(明治29)の軍政改変で
市ヶ谷の陸軍士官学校内に
創設されました。

開設当初は鉄道2中隊と電信1中隊・
材料廠で構成され、この翌年には
中野に兵営が新設されました。

その後に起きた義和団事変や
日露戦争では、鉄道の修復や
砲弾の輸送などを行って
大きな実績を出し、鉄道隊が
戦地で必要不可欠であることが
認められ、近衛師団に隷属する
交通兵旅団傘下となり、それまでの
1大隊から3大隊に拡張し
鉄道連隊に昇格しましたが
敷地が手狭になったことから
千葉県の習志野へ兵営を
移転させました。

練馬区に兵営はおかれませんでしたが
大隊で使用したE18型機関車が
豊玉北地区の住宅地に
移設保存されています。

E18型機関車は、戦地での輸送力の
拡大を目的に、ドイツのコッペル社から
1921年(大正10)に輸入された25両の
蒸気機関車のうちの1つで、
終戦当時は千葉市の材料廠
(千葉陸軍兵器補給廠)に
留置されていました。

その後は西武鉄道に引き取られて
入間川の砂利の採取に使われたのちに
所沢市のユネスコ村で
展示保存されましたが、施設工事で
展示場所を失ったために、
外観の修復工事を行ったあと
この地に移されたそうです。



都営大江戸線の新江古田駅から
トボトボと歩いていきます↓



今年は桜の開花が早く
3月の3週目でもう咲いてました↓



10分ほど住宅地内を歩くと
アパートのテラス部分に
E18型機関車が保存されています↓



側面には鉄道連隊の徽章が
入っています↓



機関車を後ろから見ると
こんな感じです↓



案内板も設置されています↓



この日は夕方から
空母先生と陸軍伍長先生と
横須賀で会うお約束をしていたので
この後は急いで現地に向かいました↓



【収録遺構】
 陸軍鉄道大隊
 E18型機関車

  その他 1箇所

【探訪情報】
 2020.03.21  第1回探訪

 歩数(指数) 未計測(100)


後ほどホームページ内でも
ご紹介させていただきますねっ♪


それでは、またお会いしましょうっ★



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皆様、いかがお過ごしでしょうか。


残念ながら、6月に入り
通勤と在宅勤務を交互に繰り返し
明日から1週間ほど通勤です…


会社がニコニコ笑って
手招いているのが目に浮かびますが
そんな手には乗りません(笑)


定時になったら、とっとと
帰らせていただきます。


さて、今回は祐実軍團「軍報」の
第227弾の続編といたしまして
神奈川県横須賀市に掘削された
横須賀海軍鎮守府の洞窟陣地のうち
走水地区のものをご紹介します↓



なお、これは「後続記事」ですので
よろしければ「本記事」も
ご覧くださいませ↓

 (227)横須賀海軍鎮守府抵抗拠点陣地



関係者の皆様方と一緒に
走水の海岸にお邪魔中です↓



海岸に沿って突端に向かう途中に
走水砲台のものと考えられる
囚人煉瓦がたくさん残ります↓



入口はいくつかありますが
入りやすいところから行きます↓



入口付近はガレていますが
坑道の状態はとてもいいです↓



海側には狙撃口と思われる
小さい穴が数ヵ所展開しています↓



狙撃口と考えられる穴の近くに
弾薬庫と思われる部屋状の空間が
展開していました↓



坑道は放射状に延びており
海側から山側に向かって
勾配が設けられています↓



棲息部と考えられる
広い部屋状の空間も
展開していました↓



電線を引き込んでいたことが判る
碍子も多く残っています↓



奥の方は、掘削途中だったようで
土屑が外に排出されていない
状態のままのようです↓



陣地の内部図です↓



トンネルを抜けて、馬掘方面に
この後は進んでいきます↓



【収録遺構】
 横須賀海軍鎮守府
 抵抗拠点陣地(横須賀市)

  地下壕 1箇所

  地下壕 1箇所(今回追加)

【探訪情報】
 2006.10.01  第1回探訪
 2014.06.01  第2回探訪
 2017.01.04  第3回探訪

 歩数(指数) 未計測(999)


後ほどホームページ内でも
ご紹介させていただきますねっ♪


それでは、またお会いしましょうっ★



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皆様、いかがお過ごしでしょうか。


やっと金曜日ですね…
週末が近付くと、会社から
外出の自粛要請が出て
うんざりしているところです。


平日は通勤はして欲しいけど、
週末は息抜きをして欲しくないと
言わんばかりで、もはや開いた口が
塞がらんです(笑)


やることをやらないくせに
注文だけは人一倍な組織や人には
残念ながら強いアレルギー反応が
出てしまうので、お願いなんか
はなから聞く気などありません。


社会人として失格ですな(笑)


さて、今回は祐実軍團「軍報」の
第227弾といたしまして、
神奈川県横須賀市に掘削された
横須賀海軍鎮守府管轄の
洞窟陣地のうち、長浜海岸に
残るものを1つご紹介します↓




横須賀海軍鎮守府は、
海軍条例によって定めた
5つの海軍区のうち、
第一海軍区 (東北地方~近畿地方の
一部と小笠原の各沿岸海域)を統括した
海軍組織で、1884年(明治17)に
前身である東海鎮守府を横須賀へ
移したことによって開設されました。

太平洋戦争末期、連合軍が計画した
日本上陸作戦の1つである
「コロネット作戦」に備えるべく、
日本軍は「本土決戦作戦」を
展開するため、横須賀市内の
沿岸からの上陸を想定した
抵抗拠点となる洞窟陣地が
構築されています。

陣地は、一部の入口が
封鎖されているものの、
放置されており見学が可能です。



いにしえの関係者の皆様方と
一緒に、横須賀市の長浜海岸に
お邪魔しております↓



海岸に沿って少し歩きます↓



この写真の中に陣地の入口が
埋もれているのですが、
まず判りません…↓



取り付きが簡単そうに見えて
実は、ものすごく大変な藪漕ぎを
していきます↓



何とか入口を見つけることが
出来ました↓



内部は崩落がなく、この手の
坑道が山に沿って延々と
続きます↓



一部、アップダウンがあり
階段が設けられています↓




いずれも塞がっていますが、
コンクリートで固められた狙撃口が
海岸に向かって2ヶ所ほど
設けられていました↓




一部は掘削途中だったようで
階段を下りた先が行き止まりに
なっている部分もありました↓



棲息部と考えられる
部屋のような空間が
1つ設けられています↓



坑道の総延長は502.7メートルを
計測しており、横須賀市内に残る
陣地の中では最大規模です↓



陣地の内部図です↓



内部探索を終え、
次の案件に進んでいきます↓



【収録遺構】
 横須賀海軍鎮守府
 抵抗拠点陣地(横須賀市)

  地下壕 1箇所

【探訪情報】
 2006.10.01  第1回探訪
 2017.01.04  第2回探訪

 歩数(指数) 未計測(999)


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皆様、いかがお過ごしでしょうか。


残念ながら、6月から
会社へ出勤することに
なってしまいました…


とはいえ、平日全てではなく
週に2~3日程度の出勤で
済みそうなのですが、
パソコンの持ち運びが面倒で
仕事うつになりそうです(笑)


さて、今回は祐実軍團「軍報」の
第226弾といたしまして、
10年以上前の探訪案件ですが
神奈川県横浜市におかれていた
海軍連合艦隊司令部の地下壕を
中心にご紹介します↓




海軍連合艦隊は、明治初期に
編成されていた「常備艦隊」と
「西海艦隊 (この前身は「警備艦隊」と
いいました) 」で構成され、開戦時に
編成される非常設(大正に入り常設)の
複合体で日本を代表する海軍の
中核部隊です。

戦時に編成された連合艦隊の司令部は
海上で戦闘を指揮する必要があるため
創設当初より旗艦におかれてきました。
しかし、その役割が戦闘部隊の
指揮以外に、海上における全作戦の
指揮も執るようになったために
司令部規模の拡張が必然的となり
旗艦で指揮を執ることが難しくなり
これを満足させるために
軽巡洋艦「大淀」へ司令部を
移しました。

1944年(昭和19)に入って、
マリアナ沖海戦での敗退により
本土空襲が決定的となると、
司令部機能を維持させるため
接収した慶應義塾大学寄宿舎に
司令部を移し、陸上にあがって
指揮を執るようになりました。

また、防空対策として寄宿舎の下に
全面コンクリート製の地下壕を構築し
連合艦隊の実質的な壊滅につながった
レイテ沖海戦の指揮や、沖縄戦における
戦艦「大和」の特攻作戦の指揮などは
これらの施設内部で執られました。

連合艦隊で使用された施設は
現在も慶應義塾大学で活用されており
コンクリートの厚さが40センチもある
強固な地下壕は、貴重な戦跡として
大学で保存されており
「日吉台地下壕の保存をすすめる会」が
定める日だけ、施錠されている入口が
開かれ、同会の立ち会いの下に
一部の坑道が公開されます。



関係者の皆様方と一緒に
慶応義塾大学にお邪魔してます↓



保存会の方々と合流し
簡単な説明を受けた後は
地下壕に向かって進みます↓



地下壕の入口に到着です↓



外が暑いので、さっそく中に
入っていきます↓



入口から少し傾斜して
大学の地下に潜っていることが
判ります↓



内部は地下水による湿気が
すごいですが、排水溝が
設けられており、水没してません↓
0006_202005290928574d1.jpg


見学可能な坑道は限られますが
周回出来るように整備されており
ルートに沿ってゾロゾロと
進んでいきます↓



内部に電線が引き込まれていた
跡が残っています↓



坑道は全面がコンクリート製で
司令長官室・電信室・暗号室のほか
発電機を据え付けた部屋などを
見学することが出来ます↓




要所で立ち止まり、保存会の方から
丁寧に解説していただきました↓



見学ルートには照明も付けられ
歩きやすくなっていますが、
非公開部分は仕切り扉が付けられ
その先は闇の中です↓



非公開部分はどんな感じか
気になって仕方ないです(笑)↓



見学出来た坑道の内部は
こんな感じになっています↓



じっくりと見たいところですが
見学時間の制約があり
退却します…↓



この後は、地下壕からのびる
大きな通風口跡を
案内していただきました↓


通風口は埋め戻されてしまっており
現在は壕内に繋がってないようです。


接収された司令部庁舎は、
現在は寄宿舎として使用されており
ご迷惑にならないように
手早く簡単に外周から見ました↓



ローマ風呂といわれる
風呂場の跡も外から見れます↓



【収録遺構】
 海軍連合艦隊司令部

  建物 1棟(接収)
  地下壕 1箇所

【探訪情報】
 2005.05.21  第1回探訪
 2006.02.19  第2回探訪
 2007.08.04  第3回探訪

 歩数(指数) 未計測(82)


詳細は、我々のホームページ内でも
見ることが出来ますっ★

地下壕の内部図は深夜時間帯のみ
公開しておりますので
あわせてご覧くださいませ。


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皆様、いかがお過ごしでしょうか。


ついに、緊急事態宣言が
解除されましたね。


我が残業イキイキ仕事一番の会社も
解除と同時に大好き通勤復活かと
思っていたのですが、当初の予定通り
5月末までは在宅勤務を
継続することとなりました。


解除早々、次の日から
通勤を強要するようなら、
ウソでも週末に旅行することを
会社に堂々と宣言して、何一つ
文句を言わせないように
してやろうと思っていたのですが
予想に反した結果で残念です(笑)


もっとも、在宅勤務の環境が
整っているのに、急いで
通勤に戻すメリットなど
何一つないわけで。


さて、今回は祐実軍團「軍報」の
第6弾の続編として、
神奈川県三浦市に構築された
横須賀海軍鎮守府の陣地のうち
新たに内部踏査がかなった
三戸浜の地下壕を
1つだけご紹介させてください↓



なお、これは「後続記事」ですので
よろしければ「本記事」も
ご覧くださいませ↓

 (6)横須賀海軍鎮守府抵抗拠点陣地



静岡・茨城からのお客様と一緒に
三戸浜海岸に車を停めて
少し内陸に進んでいきます↓


今回の壕は私有地内に位置するため
詳細な場所を伏せさせていただきます。


所有者の方にお声がけをして
許可を得て内部に入ります↓



内部は素掘り構造で、
山の地形に沿うようにして
うねうねした1本の坑道が
展開しており、物を置くための
掘り込みが随所にありました↓



坑道は幅広の部屋状の空間に
複数接続しています↓




最奥でクランクし、出口が
2ヶ所設けられていますが、いずれも
土砂で埋まりかかっており、
外からは狙撃口のように見えますが
所有者の方のお話しでは
出口が埋まってこのような形に
なってしまったそうです↓




坑道の総延長は60.8メートルを
計測しました。


地下壕の内部図です↓



【収録遺構】
 横須賀海軍鎮守府
 抵抗拠点陣地(三浦市)

  地下壕 15箇所

  地下壕 1箇所(今回追加)

【探訪情報】
 2005.11.12  第1回探訪(三戸)
 2005.12.18  第2回探訪(黒崎)
 2006.01.09  第3回探訪(油壺)
 2006.04.01  第4回探訪(城ヶ島)
 2006.04.15  第5回探訪(金田)
 2006.07.29  第6回探訪(三戸・油壺)
 2006.08.06  第7回探訪(諸磯)
 2015.02.21  第8回探訪(松輪)
 2020.03.22  第9回探訪(三戸)

 歩数(指数) 50,000歩以上(999)


詳細は、我々のホームページ内でも
見ることが出来ますっ★

地下壕の内部図は深夜時間帯のみ
公開しておりますので
あわせてご覧くださいませ。


それでは、またお会いしましょうっ★



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