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戦争遺跡のご紹介やホームページの制作状況などを綴っていきます♪

総軍BLOGへようこそっ!

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祐実総軍三等兵

Author:祐実総軍三等兵
全国に残る戦争遺跡を探訪し
記録することを趣味とする
祐実総軍三等兵ですっ★

稚拙な内容ではございますが
これまでに関係者の皆様方と
見てきた戦争遺跡を中心に、
ブログ・ホームページなどで
順次ご紹介をしていきます♪

よろしくお願いしますっ★

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皆様、いかがお過ごしでしょうか。


もう秋に入っているはずなのに
連日35度超えの暑い日々が
続いていましたが、
今日は朝から涼しく、
久しぶりに快適ですね。


秋が実感出来ないと
次の探訪シーズンへの
心構えが出来ず…


さて、今回は横須賀市におかれた
横須賀海軍砲術学校の長井分校の
遺構群を簡単にご紹介させてください↓




砲術学校は、砲術指揮官や
技官を養成した海軍機関の 1つで
1907年(明治40)に、この前身の
砲術練習所からの改編により開校し
横須賀に施設がおかれていました。

昭和に入ると、対艦・対地の
砲術だけではなく、陸戦隊の操練術や
対空砲の操作術なども重要課題となり
これらの教育を行うため、館山にも
砲術学校が新設されたことで
横須賀海軍砲術学校に改称されました。

太平洋戦争に突入すると、予備学生・
予備生徒への教育を行う目的で
1944年(昭和19)に分校が
長井に設置されますが、戦局が逼迫し
きたる本土での決戦に備えるため
教育を中止し、特設警備隊に改編され
沿岸防備にあたりました。

現在、分校の跡地は長井小・中学校や
住宅などに変遷して面影がありませんが
地下壕を中心とする遺構が
わずかに残っています。



3度目の正直(?)の探訪となるべく
ルルルさんゴウさんトイさん
横須賀の長井地区に来ております↓



長井小学校の門柱は
当時のものであると
教えていただきました↓



探訪不足と言われれば
それまで…なんですが、
知らなかったです…
色々な視点・情報をもつ
仲間の存在はありがたいです↓



よく見ると、門札を引っ掛けていた
鉄製フックが出ていますね↓



少し南にくだると、終戦直後の
航空写真に写る円形の大きな水槽が
4分の1のサイズに縮小された形で
現在も使われているようです↓



少し離れたところに地下壕があり
以前に古の探訪5人衆とめぐって
封鎖痕くらいは見ていたのですが…↓



こちらも条件付で見学出来ると知り
さっそく、連れてってもらいます↓



住民の方にお声をかけさせていただき
さっそく、見学させていただきます↓



さすが、海軍学校の地下壕、
やはり分岐がありますな(笑)↓



支保工の跡も残っています↓



一部は排水溝も切られており
「ああ、退避系の地下壕だな」と
思いきや…↓



坑道が狭くなっていきます↓



アレ(笑)の予感しかしません↓



ああ・・・横須賀特有の
陣地複合形ってやつです↓



細い坑道を進んだ一番最後が
狙撃室になっているようです↓



棲息部や弾薬庫と考えられる
部屋状の空間も展開しています↓



狙撃口付近にミツバチが
大きな巣を作っており、
坑道内を飛び回っているので
足早に逃げます(笑)↓
1 (1)


陣地の坑道には傾斜がついており
最奥の狙撃室が1段高い位置に
あることがよく判ります↓



地下壕の内部図です↓



ひととおり、内部の見学をして
外に出ます↓



もう1つ、地下壕が残るとのことで
さっそく移動していきます↓



以前の探訪で「小さな壕がある」と
聞いた記憶があり、これのことだ!と
確信しました↓



幅が約3メートルほどと大きく
T字形の坑道構成で
倉庫系の壕と考えられます↓



突き当たりから左右にのびる坑道は
それぞれ行き止まっており、
掘削途中?と思いましたが…↓
1 (7)


先端を丸みがかった形に
あえてしており、棚のような
掘り込みもあるため
これで完成形のようです↓



なかなか充実した探訪でした↓



【収録遺構】
 横須賀海軍砲術学校
 長井分校

   門柱 1箇所
   地下壕 2区画
   その他 1箇所
 
【探訪情報】
 2006.11.12  第1回探訪
 2014.06.08  第2回探訪
 2023.05.03  第3回探訪

 歩数(指数) 未計測 (100)


それでは、またお会いいたしましょう★



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 ひとつよろしくお願いします♪

皆様、いかがお過ごしでしょうか。


8月ももうすぐ終わり
今月も目立った遠征が出来ず
残念ですね…


厄年なんかとっくに過ぎましたが
今年は色々と厄が多いなぁ…


まあ…気にしていても仕方ないので
先々に向け現状打破したいですな。


さて、今回は祐実軍團「軍報」の
第238弾といたしまして
東京都昭島市におかれた
昭和飛行機東京製作所の遺構群を
簡単にご紹介させてください↓




昭和飛行機工業は、輸送機を中心とした
機材を製造する目的で設立された
民間企業で、1938年(昭和13)に
工場が設置されました。

設立当初は輸送機の製作がうまくいかず
量産に漕ぎ着けなかったものの
終戦までに零式輸送機430機を生産し
この他にも九九式艦上爆撃機や
紫電改などの製作に携わりました。

現在、昭和飛行機工業は
航空機事業が主力ではないものの
企業として存続しており、
往時の敷地より小さくなっていますが
航空写真との比較をする限り
当時の建物がいくつか残っています。



当時の格納庫が残っていると
日本戦跡協会さんに教えていただき
一緒に昭島市にお邪魔しています↓



往時の敷地の東側にあたる区画に
格納庫が2つ連続して残っています↓



現在はテニススクールの
コートとして使われています↓



さらに進んでいくと
もう1つ格納庫が残ります↓



終戦直後の空撮を見ると
2つの格納庫の中間に付属建屋が
挟まれる形で1セットだったようですが
こちらは格納庫の1つが壊されており
公園の駐車場になっていました↓



レッスンの邪魔にならないよう
合間を縫うようにして手短に
内部も見学させていただきました↓




いやぁ、節穴でした(笑)



お供のサブ郎さんも
こんなものが残っていたなんて…と
驚きを隠せない様子(笑)です↓



こういった形で旧施設が
有効活用されている姿を見ると
ウキウキしますね(笑)↓



テニススクールを後にして
今度は敷地外周を歩いていきます↓



戦後の航空写真と比較する限り
当時の工場を活用している建屋が
この他、敷地内にも残っており
外周から見ることが出来ます↓





上記3枚のうちの最後の建屋は
特に大きなものです↓



過去の探訪写真をPCクラッシュで
消失させてしまったので
我々のホームページに掲載している
写真の引き伸ばしになっちゃいますが
かつては本部庁舎も残ってました…↓



ブログ上の構成が前後しますが
この後は瑞穂町に向けて
転進しました↓



【収録遺構】
 昭和飛行機工業
 東京製作所

   建物 6棟
   建物 1棟 (消失)
 
【探訪情報】
 2007.06.16  第1回探訪
 2011.12.10  第2回探訪
 2022.08.11  第3回探訪

 歩数(指数) 未計測 (100)


それでは、またお会いいたしましょう★



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皆様、いかがお過ごしでしょうか。


あと少しで私の誕生月である8月も
終わってしまい、いよいよ秋に
入っていきますね…


今月も色々ありまして
遠方の探訪が叶いませんでしたが
次のシーズンに向けて
照準を定めていきたいと思います。


さて、今回は祐実軍團「軍報」の
第140弾の続編といたしまして
東京都西多摩郡瑞穂町におかれた
陸軍航空士官学校狭山分校
(狭山陸軍飛行場)の弾薬庫を
2つほど簡単にご紹介します↓



なお、これは「後続記事」ですので
「本記事」「関連記事」も
是非、ご覧くださいませ↓

 (140)所沢陸軍飛行学校狭山分教所
 (140_続編1)所沢陸軍飛行学校狭山分教所
 (140_続編2)所沢陸軍飛行学校狭山分教所



日没間近に日本戦跡協会さん
野山北・六道山公園に
お邪魔しています↓



山沿いの遊歩道を
進んでいくと…↓



山肌にコンクリートで造られた
弾薬庫が残存しています↓



この周辺はヤブ蚊がすごいのと
フェンスで弾薬庫に接近出来ないので
外観だけ確認してさらに進みます↓



こちらも接近出来ませんが
もう1つ、コンクリートで造られた
弾薬庫が残っていました↓



遊歩道沿いに案内板が設けられており、
弾薬庫はコンクリートの厚さが
60センチもある強固なものであるほか
周辺に掘削中のものもあったとか…↓



他にも残ってないか
確認したいところでしたが
なにぶん時期が悪いもので
次回に持ち越しということで
これにて撤収します↓




【収録遺構】
 陸軍航空士官学校
 狭山分校
 (所沢陸軍飛行学校
  狭山分教所)

   建物基礎 5箇所
   軍用地境界標 2本
   その他 5箇所

   地下施設 2箇所(今回追加)
 
【探訪情報】
 2013.03.19  第1回探訪
 2019.05.06  第2回探訪
 2022.08.11  第3回探訪

 歩数(指数) 約30,000歩(390)


それでは、またお会いいたしましょう★



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皆様、いかがお過ごしでしょうか。


なかなかブログまで手が回らず
起算での更新が続いちゃって
申し訳ないです m(_ _)m


引き続き、空き時間を縫うように
進めていけたらと…


おおむね、4日ごとの更新ペースに
戻していけるように頑張ります★


さて、今回は祐実軍團「軍報」の
第237弾といたしまして
東京都小金井市におかれた
陸軍技術研究所の軍用地境界標を
数本ご紹介させてください↓




陸軍技術研究所は、
兵器行政本部に隷属する研究機関で、
兵器に関する研究や試験を行う目的で
1942年(昭和17)に開設されました。

ここには第一・第三・第八の
各技術研究所がおかれ、銃砲・火薬・
兵器材料などの研究が行われ、
翌年の1943年(昭和18)には
電波兵器の研究を行う
多摩陸軍技術研究所も新設され、
終戦まで機能が存続しました。

現在、跡地は東京学芸大学や
サレジオ中学校などの教育機関のほか
住宅地などに変遷し、
当時の面影がありませんが
軍用地境界標が残っています。



前回の記事に引き続き
日本戦跡協会さん
今度は小金井市に入りました↓



まずは小金井市文化財センターを
見ていきます↓



軍用地境界標が2本
引き抜かれた状態で
移設保存されており、
市の有形文化財に
指定されています↓




涼しい場所で快適に
大好きな標柱を見学出来て
お供のサブ郎さんも大喜びです↓



2本の標柱の横には
案内板がおかれています↓



標柱の概略図を見ると
地表部分の露出が少ない
鉄道第一連隊の演習線のものと
同じタイプのようです↓



標柱のほか、ほかの展示物も
多くありました↓




館内の学芸員さんにも
色々とお話しを聞くことが出来て
とても充実した資料館を出て
今度は前から気になっていた
敷地の南側を歩いていきます↓



残念ながら記載面が塀に埋もれ
文字の確認が出来ませんでしたが
材質・大きさ・位置関係から
軍用地境界標と思われる標柱を
1本だけ確認出来ました↓



ここからは約15年前に
いっちゃんさんと一緒に
歩いた時のものになりますが
敷地の東端部分にも
軍用地境界標が残っています↓



ここより北上した上水公園内にも
公園事務所として使われていた
木造の建物があったのですが
残念ながらこの時代はまだ
地下壕の方が関心が強かったので
写真を撮らなかったことを
悔やみながら次の案件に進みます↓



【収録遺構】
 陸軍兵器行政本部
 技術研究所
 (多摩陸軍技術研究所)

  軍用地境界標 4本

【探訪情報】
 2005.07.24  第1回探訪
 2007.06.16  第2回探訪
 2022.08.11  第3回探訪

 歩数(指数) 未計測(100)


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皆様、ご無沙汰しております。


ここのところ、仕事・探訪で
ブログを更新する時間を
捻出出来ず、再び
期間が開いてしまいました…


ネタ切れではないので
どうかご安心を(笑)


さて、今回は祐実軍團「軍報」の
第236弾といたしまして
東京都東久留米市・小平市に
跨っておかれていた
参謀本部の北多摩通信所跡の
ご紹介でございます↓




北多摩通信所は、無線の受信と
暗号の解析を目的として
1933(昭和8)に設置されました。

ここには、通信に使用する鉄塔や
作業を行う庁舎・官舎などが設置され
傍受・解析した内容を
三宅坂におかれた参謀本部に
転送する任務に従事していました。

現在、跡地は住宅地や
商業施設などに変遷し
ほとんど面影がありませんが
敷地の南側におかれた官舎や
防火水槽が残っています。



今回は日本戦跡協会さんと一緒に
東久留米市の南部に展開する
住宅地内を見ていくことにします↓



終戦直後の航空写真にも写る
官舎がとてもよい状態で残ります↓



残念ながら、空家になっており
国有地の看板とともに
管理されていました↓



空家とはいえ、驚異的な
残存状態を保っており
お供のサブ郎さんは
壊されないか心配しながら
熱心に見学していました↓



もう1棟、同じ形状の官舎が
南側の区画に残っています↓



背面をよく見ると
減築されているようですが
現在も住宅に使われているので
居住者のご迷惑にならないよう
簡単な見学にとどめました↓



さらに南に進んだ公園内には…↓



こちらも終戦直後の航空写真に
くっきりと写っている防火水槽が
残っています↓



この東側をはしる通りには
バスがはしっており、
ちょうどバス停がありましたが
これが以前は「通信住宅」という
停留所で、往時の名残でも
あったそうですよ↓



このほか、周辺も歩いてみましたが
遺構を見つけることが出来ず
次の案件に向かいました↓



【収録遺構】
 参謀本部
 北多摩通信所

  建物 2棟
  その他 1箇所

【探訪情報】
 2022.08.11   第1回探訪

 歩数(指数) 未計測(100)


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