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戦争遺跡のご紹介やホームページの制作状況などを綴っていきます♪

総軍BLOGへようこそっ!

♦ プロフィール

祐実総軍三等兵

Author:祐実総軍三等兵
全国に残る戦争遺跡を探訪し
記録することを趣味とする
祐実総軍三等兵ですっ★

稚拙な内容ではございますが
これまでに関係者の皆様方と
見てきた戦争遺跡を中心に、
ブログ・ホームページなどで
順次ご紹介をしていきます♪

よろしくお願いしますっ★

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皆様、いかがお過ごしでしょうか。


先週末に大きな山を無事に越えて
いよいよ支線での運用に入ると
思っていたのですが、今週に入っても
まだ残作業みたいなことをしてます・・・


本来、廃車が確定しているなら
運用が減るはずなのですが
その日までボロ雑巾のように
働かせようという魂胆のようです。


もっとも、山を越えたからといっても
すぐに運用がなくなるというのは
極端な考え方かもしれませんが、
暗に残業を強要するのが
本当に気に喰わないですね。


こんな素敵な職場なんかに
人材が集まるわけがないです。
潰れるまで人手不足に
いつまでも悩んでいなさい(笑)


さて、今回はバックナンバーである
祐実軍團「軍報」の第145弾の
続編として、神奈川県相模原市に
おかれていた陸軍工科学校の
遺構をご紹介させてくださいませ↓



なお、これは「後続記事」ですので
「本記事」もご覧くださいませ↓

 【祐実軍團】(145)陸軍工科学校



雨がシトシトと降る中、相模原市に
我が総軍大元帥とお邪魔中です↓



敷地の北側に当時のものと思われる
建物が残っています↓




これはフォロワー様のつぶやきで
存在を知ったのですが、昭和17年の
航空写真にも写っているため
当時のものであると思われます。


お供のウィー太郎くんも
盛り上がっちゃってます(笑)↓



矢部駅に向かって西端部分を
歩いていると、何かを見つけました↓



おおっ、軍用地境界標のようです↓



標柱は、ほとんど埋まっていますが
「陸」の文字の一部が見えたので
軍用地境界標と断定しました★


矢部駅にほど近い場所に
キンモクセイの花がたくさん咲き
見頃を迎えていました↓



秋を感じながら、次の案件に
進んでいく総軍一行でした。


【収録遺構】
 陸軍工科学校

   軍用地境界標 1本
   建物 1棟(消失)

   建物 1棟(今回追加)
   軍用地境界標 1本(今回追加)

【探訪情報】
 2008.05.28  第1回探訪
 2016.07.23  第2回探訪
 2018.09.29  第3回探訪


 歩数(指数) 未計測(146)


それでは、またお会いいたしましょうっ★



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 ひとつよろしくお願いします♪

皆様、いかがお過ごしでしょうか。


連休も終わりですね・・・
明日から再び仕事ですが、
無事に支線へ移ったので
実作業はほとんどありません。


まだ、少し先になってしまうのですが
あとは時が来るのを待つだけです。

その間、じっくりと今後の探訪計画を
自席で練らせてもらいます(笑)


さて、今回はバックナンバーである
祐実軍團「軍報」の第100弾の
続編として、神奈川県愛甲郡愛川町に
おかれていた熊谷陸軍飛行学校の
中津分教所の遺構を1つだけ
ご紹介させてくださいませ↓



なお、これは「後続記事」ですので
「本記事」もご覧くださいませ↓

 【祐実軍團】(100)中津分教所



我が総軍大元帥の同行の下、
淵野辺駅からタクシーの力を借り
愛川町に入っております↓



住宅地内に弾薬庫といわれる
建物が1つだけ残っています↓




建物配置図を見ると、弾薬庫は
4つおかれていたようなので
周辺を少し歩いてみましたが
残念ながら失敗しました・・・↓



【収録遺構】
 熊谷陸軍飛行学校
 中津分教所

  建物 1棟(今回追加)
  建物 1棟
  建物基礎 1箇所
  門柱 2箇所
  地下壕 2区画
  その他 2箇所

【探訪情報】
 2006.03.26  第1回探訪
 2008.05.10  第2回探訪
 2017.05.03  第3回探訪
 2018.09.29  第4回探訪

 歩数(指数) 約36,000歩(446)


それでは、またお会いいたしましょうっ!



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 ひとつよろしくお願いします♪

皆様、いかがお過ごしでしょうか。


今日の関東地方の朝は
風がひんやりしていて
探訪日和ですねっ★


こういう日に美容院なんか
予約しちゃってさ・・・
少し前にぼやいていた
青森・盛岡弾丸ツアーの話は
どこに行っちゃったのだろう・・・


さて、今回はバックナンバーである
祐実軍團「軍報」の第11弾の
続編として、埼玉県深谷市に
おかれていた東京第二陸軍造兵廠の
深谷製造所の遺構群のうち、
原郷地区に残るものご紹介します↓



なお、これは「後続記事」ですので
「本記事」もご覧くださいませ↓

 【祐実軍團】(11)深谷製造所



深谷駅に到着いたしました↓



駅前のロータリーから
日本煉瓦製造の専用線跡
歩きながら原郷地区へ入ります↓



大きな給水塔が残っています↓



現在は住居に使われていますが
登録有形文化財に指定されており
看板が設置されています↓



隣接する畑地内にも
建物基礎が残っていました↓



さらに周辺を歩いてみましたが
見つけられたのは2つだけでした・・・


【収録遺構】
 東京第二陸軍造兵廠
 深谷製造所

  建物 4棟
  建物基礎 2箇所
  その他 2箇所

  建物 1棟(今回追加)
  建物基礎 1箇所(今回追加)

【探訪情報】
 2012.06.17  第 1回探訪
 2012.06.23  第 2回探訪

 歩数(指数) 69,029歩(582)


それでは、またお会いいたしましょう★



↑8月は当方の誕生月なので
 「応援」よろしくお願いします♪

皆様、いかがお過ごしでしょうか。


月曜日から「残業」でゲンナリです・・・

残業しないと「仕事してない」という
バカな風潮を払拭したいものです。
今のご時世、こんなことを是とする
企業なんかに人は集まりませんよ。


さてさて、本日は祐実軍團「軍報」の
第199弾といたしまして、
東京都葛飾区におかれていた
山本亭の防空壕跡を簡単に
ご紹介させてくださいませ↓




山本亭は、カメラ部品メーカーであった
合資会社山本工場の創立者である
山本栄之助氏の住居で、
和洋折衷を取り入れた建物として
1926年(大正15)に建てられ、
1930年(昭和 5)頃まで増改築が
重ねられました。

太平洋戦争に突入すると、
空襲時に避難可能な6畳2間の
全面コンクリート製の防空壕が
地下部分に建設されました。

現在、山本亭は葛飾区の
登録有形文化財に指定され
一般公開されていますが、
防空壕の内部は原則非公開と
なっており、地上部分から
痕跡を見ることが出来ます。



おピンちゃん先生と柴又に
到着いたしました↓



今回は無理を言って
付き合ってもらっているので
山本亭へ行く途中に
ウナギをご奉仕いたしました↓



入場料をお支払いし、
山本亭に入っていきます↓



ご奉仕には念をいれて
庭園前で白玉ぜんざいも
ご提供させていただきました↓



カウンターに赴き、当方の素性を
明かして防空壕内部を
少しだけでも見せてもらおうと
交渉させていただきましたが、
ちょっと「雑」に扱われて
断られました(笑)


もっとも、土壇場だったので
こちらにも非があるのですが
その扱いが「雑」だったので、
「目」には「目」を・・・ではないですが
山本亭の内部は、ここでは「雑」に
扱います(笑)↓



邸宅の外側にまわると
地下に設けられた防空壕に
通じる階段部分が見れます↓



防空壕の内部は6畳2間となっており
換気扇や地上への脱出口などが
設けられているようです。


地上への脱出口は
外側からも見ることが出来ます↓



柴又駅まで戻り、京成電車で
本拠に帰還します↓



【収録遺構】
 山本亭防空壕
 (民間用防空壕)

   地下施設 1箇所

【探訪情報】
 2018.04.30  第1回探訪


後ほど、我々のホームページでも
ご紹介予定ですっ★


それでは、またお会いいたしましょうっ!



↑雑なご紹介ですが、
 応援してくださいませ♪

皆様、いかがお過ごしでしょうか。


昨日はやさぐれてしまい、昼間から
お酒を飲んでいたのですが、
ちょっと飲み過ぎてしまって
ブログの更新を怠りました(汗)
申し訳ありません m(_ _)m


今日の朝、出勤したら
何やら職場がザワザワしているので
障害が発生したかと思ったのですが
通勤時間帯に大阪周辺で大きな地震が
発生したようですね・・・

大阪大好き人間としては、
このような惨事になってしまい
仕事に手が付かないほど
1日ソワソワしてたのですが、
あくまで私はよそ者ですので
とやかく言わないことにします。


早く、元通りになりますように・・・


さて・・・
本日は祐実軍團「軍報」の
第198弾といたしまして
埼玉県春日部市におかれていた
東京第一陸軍造兵廠江戸川工場と
精工舎南桜井工場の遺構群を
ご紹介させてくださいませ↓




江戸川工場は、東京の十条に
おかれていた東京第一陸軍造兵廠の
第三製造所の疎開を目的として
すでにおかれていた精工舎の
未使用の工場敷地を借用する形で
1945年(昭和20)に開設されました。

ここには、工作工場や機械工場・
組立工場などを中心とした建物群が
設置され、瞬発信管や時限信管などが
製造されましたが、わずか数ヶ月で
終戦となり閉鎖されました。

現在、跡地は商業施設や住宅地などに
変遷して面影がない状態ですが、
当時の遺構がわずかに残っています。



東武野田線の南桜井駅に
到着いたしました↓



まずは、敷地の外周部分を
歩いていくことにします↓



敷地の南西端に当時の門柱が
残っていました↓



引き続き、外周を歩いていきます↓



敷地の東端付近にも倉庫が
残っています↓



これも当時の石垣の一部であると
推測しています↓



外周を1周した後は、敷地の
中央付近を見ていきます↓



組立工場付近に建つ桜川小学校の
校庭内に古いコンクリート製の
構造物がありましたが、
これはいったい何でしょうかね・・・↓



この構造物の詳細をご存じの方が
いらっしゃいましたら、是非とも
ご教示いただきたいですっ!


googleのストリートビューでは
怪しい建物が写っていたのですが・・・↓



残念ながら、取り壊されてました・・・↓



このほか、航空写真では
工作工場と考えられる建物が
残っているように見えたのですが、
残念ながら確認することが
出来ませんでした(涙)


もしかしたら、近々開業予定の
商業施設の立体駐車場から
見えるようになるかもしれませんが
どうでしょうかね・・・


当時の建物配置図と現存遺構を
トレースするとこうなります↓



【収録遺構】
 東京第一陸軍造兵廠
 第三製造所
 江戸川工場
 (精工舎 南桜井工場)

   門柱 1箇所
   建物 1棟
   その他 1箇所

【探訪情報】
 2018.06.09  第1回探訪

 歩数(指数) 約16,000歩(100)


後ほど、我々のホームページでも
ご紹介させていただきますっ★


それでは、またお会いいたしましょうっ!



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