戦争遺跡のご紹介やホームページの制作状況などを綴っていきます♪

総軍BLOGへようこそっ!

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祐実総軍三等兵

Author:祐実総軍三等兵
全国に残る戦争遺跡を探訪し
記録することを趣味とする
祐実総軍三等兵ですっ★

稚拙な内容ではございますが
これまでに関係者の皆様方と
見てきた戦争遺跡を中心に、
ブログ・ホームページなどで
順次ご紹介をしていきます♪

よろしくお願いしますっ★

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皆様、いかがお過ごしでしょうか。


本当に平日はつまらないですね。
仕事が嫌で嫌で仕方がないですね。

とはいえ、食いぶちがかかってるので
嫌でもやるんですけどね・・・


ふふふ、今に見てろよ~(笑)


さて・・・
本日は美恵軍團「軍報」の
第75弾といたしまして、
愛知県名古屋市におかれていた
東京陸軍砲兵工廠の
名古屋機器製造所の遺構を
1つだけご紹介させてください↓
P1040091.jpg



名古屋機器製造所は第一次世界大戦で
新しい兵器として使用された
飛行機のエンジンを製造する目的で
1919年(大正 8)に東京砲兵工廠
分工場として開設されました。

1923年(大正12)に入ると、組織の
改正が行われ、名古屋工廠管轄の
千種機器製造所に名称が変更されると
熱田兵器製造所のエンジン製造部門を
吸収して敷地が拡張されます。

また、この年に発生した関東大震災で
東京砲兵工廠が被災し、
小銃や機関銃の生産も行うように
なりました。

その後、1940年(昭和15)の組織改定で
エンジン製造部門が立川に移り
名古屋陸軍造兵廠管轄の
千種製造所に改称されると、
航空機用機関砲や軽機関銃などが
製造されるようになりますが、
太平洋戦争の末期になると、
アメリカ軍による空襲が激化し
ここも爆撃目標とされて
施設は壊滅的な打撃を受け、
終戦を迎えました。

現在、敷地は市立東部医療センターや
千種公園などに変遷し、当時の面影が
全くありませんが、千種公園内に
移設された当時の軍用地境界塀が
保存展示されており、
見学することが可能です。



千種公園内に軍用地境界塀が
移設保存されています↓



爆撃の痕跡も見ることが出来ます↓




この横に、戦争の記録として
移設保存されている旨の
碑がおかれています↓



【収録遺構】
 東京陸軍砲兵工廠
 名古屋機器製造所
 (陸軍造兵廠名古屋工廠
  千種機器製造所,
  名古屋陸軍造兵廠
  千種製造所)

  軍用地境界塀 1区画

【探訪情報】
 2012.02.26  第1回探訪

 歩数(指数) 約1,000歩(100)


それでは、またお会いしましょうっ★



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 ひとつよろしくお願いします♪

皆様、いかがお過ごしでしょうか。


今日はプレミアムフライデーですね。
早帰り出来ている方は、はたして
おられるのでしょうか・・・?


誰だ、これ発案したの?
ぶん殴ってやりたいです(怒)


さて・・・
本日も愚痴が上々なところで、
今回は美恵軍團「軍報」の
第74弾といたしまして
静岡県三島市におかれていた
陸軍墓地跡のご紹介です↓




三島陸軍埋葬地は、三島に展開した
陸軍部隊の戦没者や戦病没者の
方々が埋葬されている
陸軍墓地です。

現在は、残念ながら墓標様は
ない状態ですが、三島市遺族会により
忠魂碑が設置されており
整備されています。

また、当時の遺構として門柱や
軍用地境界標・石柱列が残っており
見学することが可能です。



三島市内にお邪魔しております↓



門柱が残っています↓



敷地の外周部分に軍用地境界標が
4本残っていました↓






残念ながら、墓標はありませんが
墓地の区画ははっきりと残ります↓



中央に忠魂碑が建立されています↓



北側部分には参道跡と考えられる
石柱列がありました↓



【収録遺構】
 三島陸軍埋葬地
 (三島陸軍墓地)

  門柱 1箇所
  軍用地境界標 4本
  その他 1箇所

【探訪情報】
 2013.03.24  第1回探訪

 歩数(指数) 約1,500歩(100)


それでは、またお会いしましょうっ★



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皆様、いかがお過ごしでしょうか。

あと1日頑張れば週末です・・・
早く、明日が終わらないかな~(笑)

今日はおピンちゃん先生
仕事帰りに1杯ひっかけてきたから
いつもよりはマシですが、
平日は本当にうんざりでしてね・・・

毎日、愚痴ばかりでスミマセン。。。


さて、本日は美恵軍團「軍報」の
第73弾といたしまして、
愛知県名古屋市におかれていた
笠寺高射砲台の遺構群を
簡単にご紹介させてくださいませ↓




笠寺高射砲台は、名古屋におかれていた
三菱重工業の工場群や、熱田神宮の
防衛を主目的として、1942年(昭和17)に
設置されました。

設置当初は、八八式 7cm高射砲を
4門配備していましたが、
1943年(昭和18)に増強配備されて
6門となり、高射砲兵第一二四連隊の
1個大隊が展開して防備に
あたっていました。

砲台がおかれた場所は、弥生時代の
遺跡が発掘された場所でもあって、
現在は笠寺公園として整備されており
見晴台の考古資料館内に
出土資料などが展示されています。

また、資料館の横には
破壊を免れた砲座や砲側弾薬庫が
展示保存されており、案内板が
立てられているほか、公園内に
当時の建物と思われるコンクリートの
基礎部分などが残存しており、
見学することが可能です。



笠寺公園にお邪魔しております↓



見晴台考古資料館付近に
砲座が1つ保存されています↓



少し離れた場所には砲座跡と判る
砲側弾薬庫が3つ残っています↓



高射砲の案内板が設けられています↓



笠寺公園の東端部分に
建物がおかれていたようですが
現在は壊されており、
排水升と考えられる遺構が
わずかに残るのみでした↓



区画のための土留擁壁も
わずかに残ります↓



笠寺公園の北西端付近にも
建物跡がありました↓



【収録遺構】
 陸軍高射第二師団
 高射砲兵第一二四連隊
 笠寺高射砲台

  砲座 1箇所
  建物基礎 1箇所
  その他 5箇所

【探訪情報】
 2012.02.26  第1回探訪

 歩数(指数) 約3,000歩(100)


明日は鉄道ネタでブログの更新を
させてくださいませ m(_ _)m


それでは、またお会いしましょうっ♪



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皆様、いかがお過ごしでしょうか。


今日は、個人的に全くもって意味を
もたないプレミアムフライデーですね。
もう1年経つんですか、これ。
誰もやらねーんだから、
やめちまえばいいのにね~。

安い金しか出してくれないなら
月に1度くらい、15時で帰らせろよな。

こんなことすら企業はやらないんだから
議論している「働き方改革」なんてものは
机上の空論になるでしょうな。
こんな議論で税金使わんで欲しいですわ。

あっ、いけねえ、仕事嫌いの
癇癪をおこしてしまいました(笑)
お見苦しくてすみません・・・


さて・・・
本日は美恵軍團「軍報」の
第72弾といたしまして
愛知県名古屋市におかれていた
陸軍第三師団司令部の遺構を
簡単にご紹介させてください↓




第三師団は、師団編成の前身である
名古屋鎮台より改編をうけ、
1888年(明治21)に発足した
最も古い陸軍師団のうちの 1つで
名古屋城を囲むようにして
司令部がおかれました。

戦歴も古く、日清戦争から日露戦争・
シベリア出兵・山東出兵を経て
満州に駐屯し、日中戦争では
中国戦線の主要作戦に参加して、
戦局の悪化で撤退中に
終戦となりました。

現在、敷地跡地は名古屋城や
庭園などとなっており、観光客で
連日賑わっていますが、遺構が
わずかに残っており見学が可能です。



名古屋城周辺にお邪魔しております↓



天守閣の北西に位置する
深井丸広場内に弾薬庫が残ります↓


弾薬庫は平屋建ての煉瓦造りで、
建築時期は明治時代初期といわれ、
かつて乃木希典大将が名古屋鎮台に
在任していた経緯から「乃木倉庫」と
呼ばれるようになったそうです。


敷地の南側にあたる県道沿いにも
塀が長い区間残っています↓



【収録遺構】
 陸軍第三師団司令部

  建物 1棟
  軍用地境界塀 1区画

【探訪情報】
 2012.02.26  第1回探訪

 歩数(指数) 約1,000歩(100)


明日は神奈川県案件での探訪のため
雑記形式でのブログ更新です。


それでは、またお会いいたしましょう★



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皆様、連休をいかがお過ごしでしょうか。


三等兵は明日から2日間の日程で
鎌倉市内の寺社をめぐる予定なので
今日の1日をフルに使って
昨日のまとめと明日の準備を
酒飲みながらやってます(笑)

酒飲んじゃってるから、
だんだんとお得意の「ダラけ」モードに
切り替わりつつありますが(汗)


さてさて、今回は美恵軍團「軍報」の
第71弾といたしまして
愛知県豊川市におかれていた
大恩寺山防空砲台の遺構を
簡単にご紹介させてくださいませ↓




大恩寺山防空砲台は、
横須賀海軍警備隊が守備する
防空砲台として、豊川海軍工廠を
防衛する目的で1943年(昭和18)に
建設が開始されました。

ここには12.7センチ連装高角砲が
3基据え付けられたほか、
25ミリ機銃が 3基・高角測距儀・
探照灯なども配備されました。

現在、跡地は御津山園地に
変遷していますが、わずかに
遺構が残っています。



畏れ多くも総軍大元帥閣下が
自ら先頭に立ち、本拠から出陣です↓


三等兵は大枚を引き連れて
すごすごと追従します(笑)


新幹線で豊橋に向かいます↓



豊橋からは名鉄電車です↓



国府駅からはタクシーの力を借り
豊川市内の遺構探訪をします↓



今回も、過去に豊廠見学会へ
行くと知って耳打ちしてくれた
盡忠報國先生からの事前情報により
巡ってまいります。


タクシーで御津山園地まで
一気に上がります↓



御津山園地内に砲座跡が
3箇所残っています↓





おそらく、関連した施設跡であると
思っています↓



このほか、材質から当時のものと
推測する構造物がありましたが、
違うものだったらスミマセン・・・↓




後で気が付いたのですが、
御津山園地に向かう道路沿いにも
遺構が残っていたのですが
思いっきりタクシーで「素通り」を
してしまいました・・・(涙)

時期がきたら、改めてお願いに
あがるつもりですが、
「素通り」しちゃった3遺構について
ホームページへの掲載用に
盡忠報國先生から写真を
たかってしまうかもしれません(汗)
(事前情報のD・E・Fですっ!)

せっかくの遠征なのに、
タクシー待機料金を気にしてしまい
せこいことをした代償です(涙)
私は本当にバカだな・・・


この北西の位置する山林内にも
遺構が残っているのですが
これらは大恩寺山聴測所のものとして
別掲載とさせてください m(_ _)m


【収録遺構】
 横須賀海軍警備隊
 大恩寺山防空砲台

  砲座 3箇所
  建物基礎 1箇所
  その他 2箇所

【探訪情報】
 2017.08.06  第1回探訪

 歩数(指数) 未計測(84)


後ほど、我々のホームページにも
掲載予定ですっ★


明日は、泊まりで鎌倉周辺を
ウロウロするので、
予約しておいた「軍報」を
掲載させていただきます m(_ _)m


それでは、よい連休をっ!



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