戦争遺跡のご紹介やホームページの制作状況などを綴っていきます♪

総軍BLOGへようこそっ!

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祐実総軍三等兵

Author:祐実総軍三等兵
全国に残る戦争遺跡を探訪して
記録することを生き甲斐とする
祐実総軍三等兵でございます★
稚拙な内容ではございますが、
これまで調べてきた戦争遺跡を
ブログ・ホームページで紹介を
させていただいておりますっ♪

よろしくお願いしますm(__)m

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残暑お見舞い申し上げます m(_ _)m

本日、8月15日は
私を含め、いわゆる「戦争遺跡」を
探訪する方々におかれましては、
「大事な日」でございますね。

現代の日本がある背景の1つに、
自国を想い、かの戦争で勇敢に戦い、
戦争を知らない我々に、国の未来を託した
多くの方々がいらっしゃることを
忘れてはいけないと考えます。

時期が少しずれてしまうのですが、
商談で田舎から上京する機会があるので
靖国へ行き、私の念を伝えてこようと
思います。


さて・・・
本日は美恵軍團「軍報」の
第49弾といたしまして、
愛知県豊橋市におかれた
豊橋陸軍埋葬地のご紹介です↓




豊橋陸軍埋葬地は、豊橋市に展開した
陸軍部隊の戦没者や戦病没者の方々が
埋葬されている陸軍墓地で、
当初は東前山に設置されていましたが
1897年(明治30)に西前山へ移されました。

終戦時の墓地面積は3,481坪と
いわれており、将校・下士官・兵卒・
清兵の墓標や軍馬の塚・合葬墓などが
建立されました。

終戦後、敷地は豊橋市に移管され
現在は敷地が縮小されていますが
桜ヶ丘公園とともに維持管理されており、
墓標様のほか、門柱や軍用地境界標・
境界柵の支柱などが残存しており、
見学することが可能です。



豊廠の見学会を中止にさせた
クソったれ台風が上陸する直前に
おピンちゃん先生豊橋駅前から
市内線で前畑に向かいます↓



墓地に到着です↓



手水鉢です↓



正面奥に、戦役ごとの合葬墓碑
並んでおります↓



合葬墓碑の手前には個人墓標
並んでおります↓



入口の正反対に当たる部分に
裏門が残っています↓



周辺に建てられた民家の入口に
使用されている門柱は、墓地の
規模を縮小する前の位置に
おかれていた当時の門柱であると
思われます↓




敷地の北限部分には
境界柵の支柱が残っています↓



敷地の南端部分には
移設されたものと考えられる
軍用地境界標が1つ残ります↓



墓地の入口には案内板
立てられており、簡単にお参りが
出来るようになっています↓



さて・・・
くそったれ台風のせいで、
午後からは電車の本数が
大幅に間引かれてしまうので
早めに宿泊地へ移動します↓



【収録遺構】
 豊橋陸軍埋葬地
 (豊橋陸軍墓地)

  門柱 4箇所
  軍用地境界標 1本
  その他 3箇所
  墓標様

【探訪情報】
 2017.08.07  第1回探訪

 歩数(指数) 未計測(100)


後ほど、我々のホームページでも
ご紹介させていただきますっ★


それでは、またお会いしましょうっ!



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皆様、暑中お見舞い申し上げます m(_ _)m
これから暑い日が続きますが、
暑さで不調とならないように
お互いに気を付けたいところですね。


三等兵は、今度の日曜日から3日間をかけ
再び東海地方の軍跡を探訪してきます★

ちなみに、3日間の行程ですが・・・
 1日目:豊橋・豊川
 2日目:豊川・名古屋
 3日目:岐阜(昼くらいまで)
こんな感じでいこうと思っています。

計画当初の目論見では
1日目の豊橋に代わって
大府・刈谷としていましたが
これらは後に予定している
美浜・半田の行程に組み込み
1日目・2日目は豊川周辺に
専念することにしました・・・

一部の関係者の皆様方に
大府・刈谷へ行く「宣言」を
しちゃいましたが、今回はやめます。
紛らわしくて申し訳ありません m(_ _)m


さてさて、本日は美恵軍團「軍報」の
第48弾といたしまして、
愛知県春日井市におかれていた
陸軍名古屋工廠千種機器製造所の
鳥居松分工場の遺構を
ご紹介させてくださいませ↓




千種機器製造所は、名古屋市におかれた
造兵廠名古屋工廠が管轄した
兵器製造工場で、第一次世界大戦から
新しい兵器として活躍をはじめた
飛行機のエンジンや、航空機関砲・
小銃などの生産を目的として
1923年(大正12)に、この前身の
東京砲兵工廠分工場からの組織改編で
開設され、兵器や弾薬類の需要が
高まったことを受けて、1939年(昭和14)に
千種機器製造所の分工場が
現在の春日井市内に設置されました。

ここでは、主に小銃や拳銃・短剣などを
製造し、1940年(昭和15)の組織改編により
名古屋工廠が名古屋造兵廠に改称されると
分工場から独立して鳥居松製造所となり、
約263,000坪の敷地に5つの工場と
本館・試射場・工員寮などを設け
約12,000名の工員が従事していました。

太平洋戦争の末期は銃剣類のほかに
風船爆弾の製造にも携わりますが
アメリカ軍による空襲が激化し、
終戦前日の1945年(昭和20)8月14日に
1発あたりの総重量が4.8トンもある
パンプキン爆弾と呼ばれた原爆模擬爆弾が
3発投下されて施設は壊滅状態となりました。

現在、跡地は王子製紙春日井工場と
なっており、門柱や塀の一部・建物などが
残っています。



金山駅近くのホテルから
おピンちゃん先生
お供のウィー太郎君と一緒に
春日井を目指していきます↓



中央本線の快速電車に乗って
15分ほどで春日井駅に到着です↓



今回は、初対面となる
我が町 守山区」のかとう先生
一緒に探訪していきますっ★

なお、ウィー太郎君は初対面が
苦手でカバンから出てきません(笑)


簡単なご挨拶をすませたあとは、
車に乗せてもらって敷地の外周を
まわっていきます↓



試射場の壁ともいわれている
が1区画残っています↓



敷地の東側に門柱が1つだけ
残っていました↓



当時の建物の1つであると思われます↓



敷地を1周したあとは、同工場の
軍用線跡を見て、鷹来分工場関連の
遺構を見に行きましたが、
これらは別掲載とさせてください。


【収録遺構】
 陸軍造兵廠名古屋工廠
 千種機器製造所
 鳥居松分工場
 (名古屋陸軍造兵廠
  鳥居松製造所)

  門柱 1箇所
  建物 1棟
  軍用地境界塀 1区画

【探訪情報】
 2017.07.28  第1回探訪

 歩数(指数) 未計測(100)


後ほど、我々のホームページでも
ご紹介させていただきますっ★


明日は、久々に「鉄道」ネタで
ブログの更新をさせてください。


それでは、またお会いしましょうっ!



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皆様、いかがお過ごしでしょうか。

関東地方は、どんより雲で嫌な感じです。
梅雨明けしたんじゃなかったっけ?


ここのところ、三等兵は
7月からの遠征のまとめや、
我々のホームページの制作や、
期間内にいただいたメールの返信や、
次週の遠征の探訪作戦を練ったり・・・と
私が好き過ぎた「仕事」ばりに
忙しい日々を過ごしておりまして
おかげさまで「リア充」ですよ(笑)


今を大事にしなければ・・・


そんな中ではございますが、
本日は久々の美恵軍團「軍報」の
第47弾といたしまして、
現在は静岡県浜松市に編入されている
二俣町役場の防空壕を
簡単にご紹介させてくださいませ↓




二俣町は静岡県磐田郡におかれていた町で
1889年(明治22)の町村制の施行によって
発足し、木造 2階建てのモダンな町役場が
1936年(昭和11)に建設されました。

戦後、二俣町は天竜市を経て
浜松市に編入され廃止されていますが
太平洋戦争中の防空対策で掘削された
防空壕が残存しており、入口部分を
見ることが出来ます。

また、町役場の建物も登録文化財に
指定され、現在は地元出身の
本田宗一郎氏を顕彰する
本田宗一郎ものづくり伝承館
使われています。



おピンちゃん先生とともに
浜松北部の西鹿島駅に到着です↓



今回は「廃墟日常記録帳」のオーナー兼
東海地方探訪の権威である
空母欲奈先生ブログを参考に
進んでいきますっ★


本田宗一郎ものづくり伝承館です↓


これが旧二俣町役場の建物で
現在は国の登録有形文化財に
指定されています。


町役場の背面にあたる山に
防空壕の入口が残っています↓



残念ながら入口は封鎖されており
内部には入れませんが、
施錠されているところをみると
一般公開する機会があるのかな・・・↓



【収録遺構】
 二俣町役場防空壕

  地下壕 1区画

【探訪情報】
 2017.07.27  第1回探訪

 歩数(指数) 185歩(100)


後ほど、我々のホームページでも
ご紹介させていただきますっ★


それでは、また明日っ!



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皆様、週末をいかがお過ごしでしょうか。
関東地方はパッとしない天気ですね・・・

さてさて、本日の19時頃までに
最期となる「サザエさん病」を
発症予定ですので、その前に
ブログの更新をさせてください。


今回は美恵軍團「軍報」の
第46弾といたしまして
静岡県三島市におかれていた
野戦重砲兵第二連隊の遺構群を
簡単にご紹介させてくださいませ↓




野戦重砲兵第二連隊は、
第十五師団に隷属する部隊で、
横須賀におかれた要塞砲兵第一連隊の
改編によって誕生し、1918年(大正7)に
三島へ移転して兵営が設置されました。

その後、1925年(大正14)の軍縮で
第十五師団の廃止にともなって
第三師団の隷属に変更され、
1932年(昭和7)に発生した上海事変を
皮切りに出征し、中国戦線の主要作戦に
参加して戦果を挙げたあとは
満州の防衛にあたっていましたが、
1945年(昭和20)に入ると戦況の悪化と
防衛線の後退が相次ぎ、日本本土で
決戦することを想定せざるを得ない
状況に陥ったため、日本に帰還したのち
同年に本土防衛軍として編成された
第五十三軍の傘下に入り、相模湾と
駿河湾方面の防備につきますが、
本土決戦となる前に終戦となりました。

現在、連隊跡地は市立北中学校や
日本大学など教育機関に
変遷していますが、煉瓦製の門柱や
コンクリート製の歩哨などが残っており
見学することが可能です。



久々の単独編成で三島に入りました↓



正門が残っています↓



正門の横に、歩哨も残っています↓



日本大学9号館の裏手には
戦後に移築された将校集会所の
建物が残されています↓



敷地の北側には塀の一部と思われる
コンクリート製の支柱群が残ります↓



【収録遺構】
 陸軍第十五師団
 野戦重砲兵第二連隊
 (陸軍第三師団
  野戦重砲兵第二連隊)

  建物 1棟
  門柱 1箇所
  歩哨 1箇所
  その他 1箇所

【探訪情報】
 2013.03.24   第1回探訪

 歩数(指数) 約3,000歩(100)


それでは、またお会いいたしましょう!



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皆様、いかがお過ごしでしょうか。

もう、こんな時間ですか・・・
素敵過ぎますね。
家に「寝るだけ」のために
帰っているだけなら
いっそのこと職場を「家」に
しちゃえばいいか(笑)

さすが、仕事大好きな人間は
言うことが違いますよっ!


さて・・・
本日は美恵軍團「軍報」の
第45弾といたしまして
三重県鳥羽市に位置する
神島におかれていた
伊勢防備隊の陣地群を
簡単にご紹介させてくださいませ↓




伊勢防備隊は、横須賀海軍鎮守府の
隷属部隊で、伊勢湾岸の防備を
目的として1942年(昭和17)に開設し、
鳥羽市に位置する真珠島に本部が
おかれていました。

太平洋戦争の末期は、敵艦船の侵入を
阻止する目的で伊良湖水道を
囲むようにして抵抗拠点が設けられ、
神島にも陣地が設置されました。

現在、これらの跡地は山林となっており
草木に埋もれた状態ですが
掘削途中で終戦を迎えたと
考えられる洞窟陣地が多く残っています。



東海地方探訪の筆頭に名を連ねる
空母先生と神島に上陸しました↓



中心街を少し歩いて藪漕ぎ開始です↓



機銃座とおぼしき円形の窪みが
山中に残っています↓



背面には通行用のトンネルが
残っていました↓



今回の探訪にあたり、参考にした
書籍「三重県の戦争遺跡」では
支保工が完存しているとの
記載がありましたが、残念ながら
経年劣化で倒壊していました。。。


ここから少し斜面を上がっていくと
塹壕が残っています↓



塹壕から少し下ったところに
崩落した砲口が残っています↓



山を南側から廻りこむようにして
頂上にあがっていくと
建物跡が残っていました↓



これも関連遺構であるものと
断定しています↓



山を南側に下り、電話交換所を
経由してさらに下っていくと
コンクリート製の遺構が
残っています↓



果樹園の脇を抜けた
山の斜面にも陣地がありました↓



陣地の内部です↓


ホームページに掲載する時までに
内部図を制作予定ですが
掘削途中だったようで、
規模は小さいです。


陣地の入口から少し進んだ
平場部分にも建物跡が
残っていました↓



電話交換所まで戻って
今度は南の海岸方向へ
道を下っていくと、斜面に
陣地が残っています↓



陣地の内部です↓


こちらも規模は小さいです・・・


道をさらに下っていくと、
神島の南西部にあたる
海岸に到達します↓



海岸から少し北上したところに
展開する山林の中腹にも
陣地が残っています↓



山林の麓付近には
水槽とおぼしきコンクリート製の
遺構も残っていました↓



ここから、島の東側を廻りこむように
神島灯台を経由して八代神社に
進んでいきます↓



神社の境内にも陣地とおぼしき
崩落した壕が残っています↓


残念ながら、3箇所ある入口の
2つは石で塞がれています。


神社から細い道を南に進み
山を上っていくと、ポンプ場の
裏手あたりにも塹壕が
はしっており・・・↓



塹壕を抜けると陣地の入口が
ありましたっ!↓



陣地の内部です↓


ここも掘削途中だったようで
接続予定であったものと推測する
2本の坑道が20メートルの間隔をおき
展開している小規模な壕でした。


船の出発時間まで
残り20分を切ってしまったので
大急ぎで港へ戻りました~↓



【収録遺構】
 横須賀海軍鎮守府
 伊勢防備隊
 神島抵抗拠点陣地

  砲座 1箇所
  トンネル 1箇所
  地下壕 6箇所
  建物基礎 2箇所
  その他 5箇所

【探訪情報】
 2016.12.18   第1回探訪

 歩数(指数) 約7,500歩(100)


詳細は、後ほどホームページ内で
ご紹介させていただきますねっ★


明日は、所用のため
ブログの更新は「お休み」を
させていただきますね。


それでは、またお会いいたしましょう!



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