【美恵軍團】軍報 - 戦争遺跡調査研究軍 祐実総軍

【美恵軍團】(43)陸軍第十五師団野戦重砲兵第三連隊

皆様、いかがお過ごしでしょうか。

好きで好きでたまらない
クソ「仕事」の忙しさが
ピークを迎えましてね、
たまらない生活を送っております。


同業者の方々や読者の皆様方から
貴重な情報提供や、ご感想などを
メールで頂戴しておりますが
昨日から再び完全に「停滞」しました。
申し訳ございません m(_ _)m

今度の土曜日までには
きちんとお返事させていただきますので
しばらくのお時間をいただきたく・・・


さて、本日は時間が捻出出来ず
既出案件でのブログ更新です。
今回は美恵軍團「軍報」の
第43弾といたしまして、
静岡県三島市におかれていた
野戦重砲兵第三連隊の遺構を
簡単にご紹介させてください↓



野戦重砲兵第三連隊は、
第十五師団に隷属する部隊で、
和歌山におかれていた
要塞砲兵第二連隊の改編によって
誕生し、1920年(大正 9)に三島へ
移転して兵営が設置されました。

その後、1925年(大正14)の軍縮で
第十五師団の廃止にともなって
第三師団の隷属に変更され、
1932年(昭和 7)に発生した
上海事変を皮切りに出征し、中国戦線の
主要作戦に参加して戦果を挙げた後、
1941年(昭和16)以降の太平洋戦争で
マレー半島制圧をはじめとする
諸作戦に参加し最後は東南アジアの
ティモール島の防備につき
終戦となりました。

現在、連隊跡地は県立三島北高校や
市立三島北小学校などに
なっていますが、煉瓦製の門柱や
コンクリート製の歩哨などが
残っており、見学することが可能です。


三島市内にお邪魔しております↓



正門が残っています↓



正門の横には歩哨が残ります↓



通用門も残ります↓



通用門とセットで、歩哨も残ります↓



【収録遺構】
 陸軍第十五師団
 野戦重砲兵第三連隊
 (陸軍第三師団
 野戦重砲兵第三連隊)

  門柱 2箇所
  歩哨 2箇所

【探訪情報】
 2013.03.24  第1回探訪

 歩数(指数) 約2,000歩(100)


あと2日の勤務で平常に戻ります。
それまでは雑なブログ更新を
お許しください m(_ _)m


それでは、また明日っ!



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【美恵軍團】(42)陸軍高射第二師団高射砲兵第一二五連隊各務原高射砲台

皆様、おはようございますZzz
本日もこの時間でのブログ更新です・・・

早く、今週末になって欲しいです~(笑)
週末を迎えれば、自由になれるっ!
来週からはウェブ更新と探訪に
ある程度「専念」出来そうです★


さて・・・
今回は美恵軍團「軍報」の
第42弾といたしまして、
岐阜県各務原市から
各務原高射砲台の遺構を
1つだけご紹介させてください↓



各務原高射砲台は、
各務原飛行場周辺の防空を
目的として1944年(昭和19)に
設置されました。

ここには、八八式 7センチ
野戦高射砲が 6門と付属施設などが
おかれており、高射第二師団に
隷属した高射砲兵第一二五連隊の
第十二中隊が防備についていました。

現在、跡地は航空自衛隊の
岐阜基地となっており、
ほとんどの遺構は消失していると
思われますが、陣営具庫といわれる
建物が 1つだけ残ります。


岐阜市内の探訪を終えて
各務原市内に入っております↓


今回は単独での探訪ですので
とにかく歩いていきます。


陣営具庫といわれる構造物が
1つだけ残っています↓



別アングルからもう1枚載せます↓



いや~、この日は
とにかく歩きました・・・(笑)


【収録遺構】
 陸軍高射第二師団
 高射砲兵第一二五連隊
 各務原高射砲台

  建物 1棟

【探訪情報】
 2016.12.17   第1回探訪

 歩数(指数) 2,020歩(100)


詳細は、後ほどホームページ内で
ご紹介させていただきますっ★


それでは、仕事行ってきますっ!



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【美恵軍團】(41)陸軍技術本部伊良湖射場神島着弾観測所

皆様、いかがお過ごしでしょうか。

残念ながら、帰宅が日を跨ぎました・・・

本日の名言出ました(笑)↓
「土・日は力尽きて寝込んでもいいので
月曜日から会社に絶対来てください」

さすがっ!
週末に楽しみが全くない
仕事バカは言うことが違うっ★
素敵っ!素晴らしいっ!
酒、飲めないだろうけど
ビールごちそうするよ(笑)

でも、そんなこと言う前に・・・

「他人の体調を心配する暇あったら
もっと業務の勉強をしてください」

かっこいい、俺(笑)

もはや、お互いに気持ちのゆとりが
全く無いから、会話の次元が低い。

ともあれ、来月は休み過ぎてやる(笑)


さてさて・・・
本日も「お得意」の愚痴から「軍報」です。
今回は美恵軍團カテゴリーの
第41弾といたしまして、
三重県鳥羽市におかれていた
伊良湖射場の神島着弾観測所を
ご紹介させてくださいませ↓



伊良湖射場は、大砲・弾丸の研究や
効力実験・弾道の研究などを
行う目的で1901年(明治34)に設置され、
海を隔てた愛知県の渥美半島の先端に
施設がおかれていました。

神島着弾観測所は、伊良湖射場の
付属施設として、射場から西方より
発射された砲弾の着弾を
観測することを目的として、
1929年(昭和 4)に設置されました。

現在、神島は三島由紀夫氏の
小説の 1つである「潮騒」の舞台で
有名な観光スポットとなり、
着弾観測所の一部の遺構群も
整備されたうえで保存されており、
見学することが可能です。


東海地方探訪の権威である
空母先生と神島に上陸です↓



山頂付近を目指していきます↓



着弾観測所のメイン遺構となる
監的哨に到着です↓



内部の様子です↓



以前は、この建物から
地下に繋がる通路が
延びていたようですが、
残念ながらコンクリートで
塞がれています・・・↓



監的哨を囲むようにして
軍用地境界標が3本残ります↓





伊良湖方面の眺めも
素晴らしかったです(笑)↓



【収録遺構】
 陸軍技術本部
 伊良湖射場
 神島着弾観測所

  建物 1棟
  軍用地境界標 3本

【探訪情報】
 2016.12.18   第1回探訪

 歩数(指数) 未計測(100)


詳細は、後ほどホームページ内で
ご紹介させていただきますっ★


今日はもう寝ます・・・Zzz
また明日(今日ですが)
お会いいたしましょうっ!



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【美恵軍團】(40)陸軍第三師団飛行第二連隊

皆様、いかがお過ごしでしょうか。

平日は本当につまらないですね。。。
今日はまだ火曜日なんですね。

我々のホームページの制作に
集中する時間をもっともっと
捻出しなければ・・・

こんなんじゃ、プロジェクトに
協力してくれている皆様方に
申し訳なくて、頭が上がらんです(涙)

特に横須賀。
既に400ちょっと挙げていますが、
残が約1,050あります・・・
この数を頭に浮かべただけで
挫折しそうですが、関係者の皆様に
褒めてもらいたいから、
頑張っていきたいと思います(笑)


さて、本日の「軍報」は
美恵軍團の第40弾といたしまして
岐阜県各務原市におかれていた
飛行第二連隊の遺構を
ご紹介させてくださいませ。


飛行第二連隊は第三師団に隷属した
航空部隊で、この前身の交通兵団に
隷属した飛行第二大隊からの
昇格によって、1925年(大正14)に
兵営が各務原に設置されました。

その後、各飛行連隊の上部組織として
飛行団が新設されたことで
第一飛行団隷下となり、
日中戦争の勃発によって
満州へと進出した飛行第一戦隊の
兵営に移駐しました。

1943年(昭和18)に入ると、
学校跡地に飛行兵を養成する
機関の拡張を目的として、
岐阜航空整備学校の第二教育隊が
開設され、太平洋戦争末期には
学校を軍隊化して編制された
第四航空教育団に編入されて
岐阜第二教育隊となり
終戦まで存続しました。

現在、敷地跡の大半が
住宅地に変遷して
面影がありませんが、
個人宅が所有する畑地内に
飛行第二連隊時代の医務室前に
設置された薬品庫と付属の建物が
残存しています。


今回は「単独」で各務原市内に
お邪魔しております↓


単独行動ですので、
全て「徒歩」で巡っていきます。
「単独」の場合は、何もかもが
気前が悪く、つまんない野郎に
なり果てます~★

こんな姿を見たら、客観的に
「面白い?」って聞かれてしまうこと
うけあいです(笑)


薬品庫と付属施設が
畑の中に並んで残っています↓



このあとは、掩体壕群に向けて
ひたすら歩きました(笑)
なんだかんだで、この日は
トータル約42,500歩を
黙々と歩いていました(笑)


【収録遺構】
 陸軍第三師団
 飛行第二連隊
 (岐阜航空整備学校
 第二教育隊,
 陸軍第四航空教育団
 岐阜第二教育隊)

  建物 2棟

【探訪情報】
 2016.12.17   第1回探訪

 歩数(指数) 3,027歩(100)


詳細は、後ほどホームページ内で
ご紹介させていただきますねっ★


それでは、また明日っ!

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【美恵軍團】(39)岐阜陸軍衛戍病院

皆様、いかがお過ごしでしょうか。

三等兵の職場は、いよいよ
「デスマーチ」の様相を呈して
きましたよ~(笑)

作業ボリュームもロクに把握せず
「今日中」を連発してきた顛末ですね~
大した金も払わないくせに、
無理難題をふっかけてばっかりで
こちらもそれを「断る」ことなく
安請け合いを続けた結果、
ほぼ全員疲弊して、ステキな光景です(笑)
2年以上もずーっとこんな毎日じゃ
みんなダメになりますよね~
「何」のために使うシステムなのかも
わからない連中に振り回されてばっかで
笑いが止まりませんね。

そのうち、真面目な顔して
100人程度の工員に対して
「今日中に、職場の向かいに
城を建ててください」とか
本気で言ってきそうです、マジで。
そのうち、誰も相手にしなくなる光景が
目に見えて判ります(笑)

金のためなら何でもやると思ったら
「大間違い」でっせ(笑)
まあ、そういうお願いは
神様にでもすればいいさっ!

もっとも、他のブログや2chでも
思いっきり「炎上」している
クソプロジェクトだから、
悪口はこれくらいにしときます(笑)


さてさて、毎度「おなじみ」の
悪口からの「軍報」です(笑)
本日は美恵軍團の第39弾として
岐阜県岐阜市におかれていた
岐阜陸軍衛戍病院の遺構を
簡単にご紹介させてください。


岐阜衛戍病院は、第三師団の
所属部隊であった歩兵第六十八連隊が
岐阜市内に展開したことで
1909年(明治42)に設置されました。

その後は岐阜陸軍病院に改称され、
岐阜市内に展開した多くの部隊の
付属病院として終戦まで機能しました。

戦後、敷地は岐阜県に移管されて
現在は岐阜県総合医療センターとなり
面影がありませんが、隣接する
市立長森中学校の敷地に門柱と
軍用地境界標が移設保存されています。


岐阜市内にお邪魔しております↓



市立長森中学校の敷地内には
通用門と軍用地境界標が
移設保存されています↓



案内板も立てられています↓



【収録遺構】
 岐阜陸軍衛戍病院
 (岐阜陸軍病院)

  門柱 1箇所
  軍用地境界標 1本

【探訪情報】
 2016.12.17   第1回探訪

 歩数(指数) 4,390歩(100)


詳細は、後ほどホームページ内で
ご紹介させていただきますねっ★


今日は、不快な内容でのブログ更新で
申し訳ないです m(_ _)m


それでは、また明日っ!


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