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戦争遺跡のご紹介やホームページの制作状況などを綴っていきます♪

総軍BLOGへようこそっ!

♦ プロフィール

祐実総軍三等兵

Author:祐実総軍三等兵
全国に残る戦争遺跡を探訪し
記録することを趣味とする
祐実総軍三等兵ですっ★

稚拙な内容ではございますが
これまでに関係者の皆様方と
見てきた戦争遺跡を中心に、
ブログ・ホームページなどで
順次ご紹介をしていきます♪

よろしくお願いしますっ★

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皆様、いかがお過ごしでしょうか。


大好き過ぎてたまらない
「クソったれ」仕事の疲れが
出てしまい、せっかくの週末が
無気力になってしまいそうです・・・


仕事以外にやることがない
ダメ社蓄の典型ですね。
こんなんじゃイカンですっ!


さてさて、土曜日からの
起算更新になってしまいますが
今回は美恵軍團「軍報」の
第77弾といたしまして
静岡県島田市におかれていた
海軍技術研究所電波研究部の
島田分室の建物を1つだけですが
ご紹介させてくださいませ↓




島田分室は、電波兵器の開発や
実験などを目的に1944年(昭和19)に
開所しました。

設置の背景には、大出力の磁電管を
使用するために大量の電力を
まかなうための大井川水系の水力が
利用出来ることがあがりました。

ここでは、電磁管を使って強力な
マイクロ波を発生させ、
敵機に照射して電気系統をマヒさせ
エンジンを停止させる電波兵器の
研究が行われ、1945年(昭和20)の
組織改編で横浜第二海軍技術廠
実験所となりました。

跡地は、島田市博物館の分館や
住宅地などに変遷しており
面影がなくなっていますが、
当時の宿舎といわれる建物を
1棟だけ残存を確認しています。



東海地方における軍跡探訪の
ホープである空母先生を筆頭に
ヘラ男の三等兵が追従するかたちで
島田市内にお邪魔しております↓



当時の建物が1棟残っています↓




本拠に帰還後、血眼になって
終戦直後の航空写真と比較し、
他に残ってないか探しましたが
見つけられませんでした・・・↓



 【収録遺構】
  海軍技術研究所電波研究部
  島田分室
  (横浜第二海軍技術廠
   島田実験所)

   建物 1棟

 【探訪情報】
  2016.04.23  第1回探訪

 歩数(指数) 未計測(100)


次回のブログ更新は8月5日(日)で、
我々のホームページ関係の
アクセス統計を掲載させてください。


それでは、またお会いいたしましょうっ★



↑8月は当方の誕生月なので
 「応援」よろしくお願いします♪

皆様、いかがお過ごしでしょうか。


金曜日からブログの更新が
途絶えてしまい申し訳ありません m(_ _)m


金曜日は送別会で不満が爆発し
久々に記憶の一部をなくすくらい
飲んだくれてしまいまして・・・


久々にやっちまいましたっ(涙)


さて、本日は美恵軍團「軍報」の
第76弾といたしまして
静岡県浜松市におかれていた
陸軍中野学校二俣分校の
軍用地境界標を2つほど
簡単にご紹介させてくださいませ↓




中野学校は、諜報や防諜などの
秘密戦に関する教育や訓練などを
目的として1937年(昭和12)に
東京の中野に設置されました。

1944年(昭和19)には、ゲリラ戦術や
破壊工作の要員の育成を目的として
現在の浜松市内に二俣分校が開校し
太平洋戦争の終戦までの期間に
約800名が卒業したそうです。

現在、跡地は天竜保健福祉センターに
変遷して面影がありませんが、
敷地の東側をはしる市道沿いに
軍用地境界標が移設保存されています。



遠征時のパートナーでもある
おピンちゃん先生と一緒に
新浜松駅から遠州鉄道に乗ります↓



終点の西鹿島駅に到着です↓



時間がないので、タクシーの力を借り
天竜区役所付近を目指します↓



天竜区役所の手前付近に
2本の軍用地境界標が
移設保存されています↓



このほか、豊橋に移駐した
工兵第三大隊の架橋演習に
用いられた渡河訓練用の
錨も保存されています↓



説明板も設置されていましたが
内容に違和感があります・・・↓



時間がなかったので、手短に
引き揚げてしまったのですが
後日、ストリートビューで見ると
気になるものが4箇所ばかり
ありました・・・


いつになるか判りませんが
「再訪確定」ですっ(笑)


【収録遺構】
 陸軍中野学校
 二俣分校

  軍用地境界標 2本

【探訪情報】
 2017.07.27  第1回探訪

 歩数(指数) 未計測(76)


後ほど、我々のホームページでも
ご紹介させていただきますっ★


それでは、またお会いいたしましょうっ!



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皆様、いかがお過ごしでしょうか。


本当に平日はつまらないですね。
仕事が嫌で嫌で仕方がないですね。

とはいえ、食いぶちがかかってるので
嫌でもやるんですけどね・・・


ふふふ、今に見てろよ~(笑)


さて・・・
本日は美恵軍團「軍報」の
第75弾といたしまして、
愛知県名古屋市におかれていた
東京陸軍砲兵工廠の
名古屋機器製造所の遺構を
1つだけご紹介させてください↓
P1040091.jpg



名古屋機器製造所は第一次世界大戦で
新しい兵器として使用された
飛行機のエンジンを製造する目的で
1919年(大正 8)に東京砲兵工廠
分工場として開設されました。

1923年(大正12)に入ると、組織の
改正が行われ、名古屋工廠管轄の
千種機器製造所に名称が変更されると
熱田兵器製造所のエンジン製造部門を
吸収して敷地が拡張されます。

また、この年に発生した関東大震災で
東京砲兵工廠が被災し、
小銃や機関銃の生産も行うように
なりました。

その後、1940年(昭和15)の組織改定で
エンジン製造部門が立川に移り
名古屋陸軍造兵廠管轄の
千種製造所に改称されると、
航空機用機関砲や軽機関銃などが
製造されるようになりますが、
太平洋戦争の末期になると、
アメリカ軍による空襲が激化し
ここも爆撃目標とされて
施設は壊滅的な打撃を受け、
終戦を迎えました。

現在、敷地は市立東部医療センターや
千種公園などに変遷し、当時の面影が
全くありませんが、千種公園内に
移設された当時の軍用地境界塀が
保存展示されており、
見学することが可能です。



千種公園内に軍用地境界塀が
移設保存されています↓



爆撃の痕跡も見ることが出来ます↓




この横に、戦争の記録として
移設保存されている旨の
碑がおかれています↓



【収録遺構】
 東京陸軍砲兵工廠
 名古屋機器製造所
 (陸軍造兵廠名古屋工廠
  千種機器製造所,
  名古屋陸軍造兵廠
  千種製造所)

  軍用地境界塀 1区画

【探訪情報】
 2012.02.26  第1回探訪

 歩数(指数) 約1,000歩(100)


それでは、またお会いしましょうっ★



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皆様、いかがお過ごしでしょうか。


今日はプレミアムフライデーですね。
早帰り出来ている方は、はたして
おられるのでしょうか・・・?


誰だ、これ発案したの?
ぶん殴ってやりたいです(怒)


さて・・・
本日も愚痴が上々なところで、
今回は美恵軍團「軍報」の
第74弾といたしまして
静岡県三島市におかれていた
陸軍墓地跡のご紹介です↓




三島陸軍埋葬地は、三島に展開した
陸軍部隊の戦没者や戦病没者の
方々が埋葬されている
陸軍墓地です。

現在は、残念ながら墓標様は
ない状態ですが、三島市遺族会により
忠魂碑が設置されており
整備されています。

また、当時の遺構として門柱や
軍用地境界標・石柱列が残っており
見学することが可能です。



三島市内にお邪魔しております↓



門柱が残っています↓



敷地の外周部分に軍用地境界標が
4本残っていました↓






残念ながら、墓標はありませんが
墓地の区画ははっきりと残ります↓



中央に忠魂碑が建立されています↓



北側部分には参道跡と考えられる
石柱列がありました↓



【収録遺構】
 三島陸軍埋葬地
 (三島陸軍墓地)

  門柱 1箇所
  軍用地境界標 4本
  その他 1箇所

【探訪情報】
 2013.03.24  第1回探訪

 歩数(指数) 約1,500歩(100)


それでは、またお会いしましょうっ★



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皆様、いかがお過ごしでしょうか。

あと1日頑張れば週末です・・・
早く、明日が終わらないかな~(笑)

今日はおピンちゃん先生
仕事帰りに1杯ひっかけてきたから
いつもよりはマシですが、
平日は本当にうんざりでしてね・・・

毎日、愚痴ばかりでスミマセン。。。


さて、本日は美恵軍團「軍報」の
第73弾といたしまして、
愛知県名古屋市におかれていた
笠寺高射砲台の遺構群を
簡単にご紹介させてくださいませ↓




笠寺高射砲台は、名古屋におかれていた
三菱重工業の工場群や、熱田神宮の
防衛を主目的として、1942年(昭和17)に
設置されました。

設置当初は、八八式 7cm高射砲を
4門配備していましたが、
1943年(昭和18)に増強配備されて
6門となり、高射砲兵第一二四連隊の
1個大隊が展開して防備に
あたっていました。

砲台がおかれた場所は、弥生時代の
遺跡が発掘された場所でもあって、
現在は笠寺公園として整備されており
見晴台の考古資料館内に
出土資料などが展示されています。

また、資料館の横には
破壊を免れた砲座や砲側弾薬庫が
展示保存されており、案内板が
立てられているほか、公園内に
当時の建物と思われるコンクリートの
基礎部分などが残存しており、
見学することが可能です。



笠寺公園にお邪魔しております↓



見晴台考古資料館付近に
砲座が1つ保存されています↓



少し離れた場所には砲座跡と判る
砲側弾薬庫が3つ残っています↓



高射砲の案内板が設けられています↓



笠寺公園の東端部分に
建物がおかれていたようですが
現在は壊されており、
排水升と考えられる遺構が
わずかに残るのみでした↓



区画のための土留擁壁も
わずかに残ります↓



笠寺公園の北西端付近にも
建物跡がありました↓



【収録遺構】
 陸軍高射第二師団
 高射砲兵第一二四連隊
 笠寺高射砲台

  砲座 1箇所
  建物基礎 1箇所
  その他 5箇所

【探訪情報】
 2012.02.26  第1回探訪

 歩数(指数) 約3,000歩(100)


明日は鉄道ネタでブログの更新を
させてくださいませ m(_ _)m


それでは、またお会いしましょうっ♪



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