戦争遺跡のご紹介やホームページの制作状況などを綴っていきます♪

総軍BLOGへようこそっ!

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祐実総軍三等兵

Author:祐実総軍三等兵
全国に残る戦争遺跡を探訪し
記録することを趣味とする
祐実総軍三等兵ですっ★

稚拙な内容ではございますが
これまでに関係者の皆様方と
見てきた戦争遺跡を中心に、
ブログ・ホームページなどで
順次ご紹介をしていきます♪

よろしくお願いしますっ★

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皆様、連休をいかがお過ごしでしょうか。


三等兵は明日から2日間の日程で
鎌倉市内の寺社をめぐる予定なので
今日の1日をフルに使って
昨日のまとめと明日の準備を
酒飲みながらやってます(笑)

酒飲んじゃってるから、
だんだんとお得意の「ダラけ」モードに
切り替わりつつありますが(汗)


さてさて、今回は美恵軍團「軍報」の
第71弾といたしまして
愛知県豊川市におかれていた
大恩寺山防空砲台の遺構を
簡単にご紹介させてくださいませ↓




大恩寺山防空砲台は、
横須賀海軍警備隊が守備する
防空砲台として、豊川海軍工廠を
防衛する目的で1943年(昭和18)に
建設が開始されました。

ここには12.7センチ連装高角砲が
3基据え付けられたほか、
25ミリ機銃が 3基・高角測距儀・
探照灯なども配備されました。

現在、跡地は御津山園地に
変遷していますが、わずかに
遺構が残っています。



畏れ多くも総軍大元帥閣下が
自ら先頭に立ち、本拠から出陣です↓


三等兵は大枚を引き連れて
すごすごと追従します(笑)


新幹線で豊橋に向かいます↓



豊橋からは名鉄電車です↓



国府駅からはタクシーの力を借り
豊川市内の遺構探訪をします↓



今回も、過去に豊廠見学会へ
行くと知って耳打ちしてくれた
盡忠報國先生からの事前情報により
巡ってまいります。


タクシーで御津山園地まで
一気に上がります↓



御津山園地内に砲座跡が
3箇所残っています↓





おそらく、関連した施設跡であると
思っています↓



このほか、材質から当時のものと
推測する構造物がありましたが、
違うものだったらスミマセン・・・↓




後で気が付いたのですが、
御津山園地に向かう道路沿いにも
遺構が残っていたのですが
思いっきりタクシーで「素通り」を
してしまいました・・・(涙)

時期がきたら、改めてお願いに
あがるつもりですが、
「素通り」しちゃった3遺構について
ホームページへの掲載用に
盡忠報國先生から写真を
たかってしまうかもしれません(汗)
(事前情報のD・E・Fですっ!)

せっかくの遠征なのに、
タクシー待機料金を気にしてしまい
せこいことをした代償です(涙)
私は本当にバカだな・・・


この北西の位置する山林内にも
遺構が残っているのですが
これらは大恩寺山聴測所のものとして
別掲載とさせてください m(_ _)m


【収録遺構】
 横須賀海軍警備隊
 大恩寺山防空砲台

  砲座 3箇所
  建物基礎 1箇所
  その他 2箇所

【探訪情報】
 2017.08.06  第1回探訪

 歩数(指数) 未計測(84)


後ほど、我々のホームページにも
掲載予定ですっ★


明日は、泊まりで鎌倉周辺を
ウロウロするので、
予約しておいた「軍報」を
掲載させていただきます m(_ _)m


それでは、よい連休をっ!



↑よろしければ、こちらの「応援」も
 ひとつよろしくお願いします♪

皆様、いかがお過ごしでしょうか。


残念ながら、本日は会社のイベントで
シフト勤務を命じられてしまい
帰宅が遅くなるので、この時間から
ブログを更新させていただきますね。


なんて日だっ!(笑)


さて・・・・
本日は美恵軍團「軍報」の
第70弾といたしまして
静岡県牧之原市におかれていた
大井海軍航空隊の遺構群を
一部、空母先生の写真を混ぜて
ご紹介させてくださいませ↓




大井海軍航空隊は、
1939年(昭和14)に策定した
海軍の軍備充実計画により、
偵察機を使用した訓練部隊の
拡充を目的として1942年(昭和17)に
開隊しました。

ここには50機ほどの練習機「白菊」を
使用した訓練が行われ、
太平洋戦争の末期に入ると
特別攻撃隊も編成されますが、
出撃待機状態で終戦を迎えたようです。

現在、跡地は工場や倉庫・住宅地・
農地などに変遷していますが、
当時の遺構が残っています。



静岡県のホープである
空母先生を筆頭に、重鎮メンバーと
一緒に菊川市内の探訪に続き
牧之原市にお邪魔しています↓



敷地の北側にあたる市道沿いに
当時の門柱が縮小された形で
保存されています↓



周辺に軍用地境界塀が
おおよそ3区画残っています↓





これも当時の建物跡でしょうね↓



敷地の東側に駒を進めます↓



電探講堂といわれる建物が
残存しています↓



講堂の入口付近には
当時の橋梁が残っています↓



かつては、号令台も残ってましたが
現在は消失したみたいです・・・↓

空母先生の写真です。


少し南下した農地内にも
当時の建物跡が残っています↓




さらに南に下っていくと
工場内に当時の建物が残ります↓

空母先生の写真です。


南北に縦断する県道沿いに
移動しました↓



県道沿いの畑の中に
地下施設が残っています↓



路地を1つ入った場所にも
地下施設が残っていました↓




今度は敷地の東側の崖下を
降りていきます↓



地下壕が残っています↓


掘削の途中であったのか、
坑道の規模は小さいです。


さらに藪漕ぎしていくと・・・↓



2つ目の地下壕が残っていました↓




2つ目の地下壕は1つ目よりは
規模が大きいですが、
やはり掘削途中であったようです↓



坑道の総延長は31メートルを
計測しています。


2つ目の地下壕の内部図です↓



空母先生のブログによると
3つ目の地下壕もあるそうですが、
時期が悪かったようで
見つけることが出来ませんでした・・・


最後は牧之原コミュニティセンターに
立ち寄ります↓



コミュニティーセンター内に
門札と精神注入棒と
練習機「白菊」の車輪と・・・↓

空母先生の写真です。


練習機「白菊」のエンジンが
保存展示されています↓



 【収録遺構】
  大井海軍航空隊(牧之原市)

   門柱 1箇所
   軍用地境界塀 3区画
   建物 2棟
   建物基礎 3箇所
   地下施設 2箇所
   地下壕 2区画
   橋梁 1箇所
   その他 4箇所
   その他 1箇所(消失)


 【探訪情報】
  2000.05.06  第1回探訪
  2016.04.23  第2回探訪
  2016.12.04  第3回探訪

 歩数(指数) 未計測(100)


後ほど、ホームページ内でも
ご紹介させていただく予定です。


それでは、仕事行ってきますっ!
(行きたくねーんだよ・・・)



↑よろしければ、こちらの「応援」も
 ひとつよろしくお願いします♪

皆様、いかがお過ごしでしょうか。


うーん。。。
おなかの調子が悪いです(脂汗)
大したことやっていないくせに、
お酒ばっか飲んでるからだな(笑)


さて・・・
本日は美恵軍團「軍報」の
第69弾といたしまして、
静岡県浜松市におかれていた
浜松憲兵分隊の遺構を
1つだけご紹介させてください↓




浜松憲兵分隊は、歩兵第六十七連隊が
浜松市に展開したことで設置され
兵営の南東に位置する鹿谷町に
庁舎がおかれていました。

現在、跡地の大半が住宅地と
なっており、面影が全くありませんが
姫街道沿いに軍用地境界標が
1つだけ残っています。



毎度、遠征でおなじみの
おピンちゃん先生と一緒に
浜松の静岡大学から
姫街道を南下していきます↓



姫街道沿いに軍用地境界標が
1つだけ残っています↓



美術館停留所からバスに乗って
浜松駅に移動します↓



浜松駅からは新幹線に乗ります↓



2駅先の三河安城を目指します↓



おそらく、一部の方々には
どの案件を目指しているのか
判ってしまったと思いますが、
ここから先は別案件となるので
別掲載とさせてくださいませ m(_ _)m


【収録遺構】
 陸軍静岡憲兵隊
 浜松憲兵分隊

  軍用地境界標 1本

【探訪情報】
 2017.07.27  第1回探訪

 歩数(指数) 約500歩(100)


後ほど、我々のホームページにも
掲載予定ですっ★


それでは、またお会いいたしましょう★



↑よろしければ、こちらの「応援」も
 ひとつよろしくお願いします♪

皆様、いかがお過ごしでしょうか。


いや~、事前に予測されていたけど
想像以上の大雪ですね~(驚)

16時半の時点で、本拠も
こんな景色ですからね・・・↓


今日は、自発的にお昼過ぎで
「早退」しましたっ(笑)
自発的とはいっても、きちんと
私の会社も早めの退社をするよう
肩を叩いてくれましたけどね。
(超めずらしいっ!)

明日も状況を見て出勤する旨も
行動予定として事前にきちんと
伝えたから、とりあえずは目の前にある
最低限のやるべきことは
全てやったつもりですっ!

もっとも、割増くれるのなら
帰らずに無理して仕事しますけど。

とは言うものの、せっかく早く帰ったのに
こんな天気ですからね、とりあえずは
「不要不急の外出を控えろ」との
お達しを確実に履行し、家に引きこもって
大元帥閣下と酒でも飲もうかなと(笑)


さてさて、本日は美恵軍團「軍報」の
第68弾といたしまして、
静岡県浜松市におかれていた
歩兵第六十七連隊をはじめとする
遺構群を簡単にご紹介させてください↓




歩兵第六十七連隊は、
第十五師団に隷属する基幹部隊で
1857年(明治40)に編成され、
浜松市内に新設された兵営に
移りました。

その後、1925年(大正14)の軍縮で
第十五師団の廃止にともなって
解隊され、第三師団に隷属する
歩兵第十八連隊の一部が移り
兵営としましたが、同時期に豊橋で
編成された高射砲兵第一連隊が
この地へ移り、1932年(昭和 7)に
発生した上海事変を皮切りに出征して
中国戦線の主要作戦に参加し
1941年(昭和16)以降は補充隊に改編され
補充業務を担当しました。

この一方で、大正時代に廃止された
歩兵第六十七連隊は、1938年(昭和13)に
日中戦争遂行のため第十五師団が
復活したことで再編成され、
ビルマ方面の作戦に参加して
終戦となりました。

現在、兵営の跡地は静岡大学の
浜松キャンパスに変遷していますが、
当時の遺構が残存しており
見学することが可能です。



毎度、遠征でおなじみの
おピンちゃん先生と一緒に
浜松の静岡大学にお邪魔しています↓



キャンパスの外周部分に
門柱が3箇所残っています↓





静岡大学のキャンパス内にも
当時の遺構が残っています。


トイレです↓



高射砲兵第一連隊時代の
砲廠です↓



これも同時期の建物と
推測しているところです↓



隣接して付属建物跡が
残っています↓



当時の水槽であると推測します↓



水槽は、この他にもキャンパス内に
残っていたようなのですが、
大学建物の新築や改良工事などで
消失してしまったようです・・・


キャンパスの南側には、
将校集会所の庭園跡が残ります↓



うーん。。。酒保の階段であると
推測していますが・・・↓



【収録遺構】
 陸軍第十五師団
 歩兵第六十七連隊
 (陸軍中部防衛軍司令部
  高射砲兵第一連隊)

  門柱 3箇所
  建物 3箇所
  建物基礎 1箇所
  その他 3箇所

【探訪情報】
 2017.07.27  第1回探訪

 歩数(指数) 約1,500歩(100)


後ほど、我々のホームページにも
掲載予定ですっ★


それでは、またお会いいたしましょう★



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 ひとつよろしくお願いします♪

皆様、いかがお過ごしでしょうか。


今日の関東地方の日中は
ポカポカ陽気でいい感じでした★


私事で恐縮ですが、昨日早帰りしたら
色々と嬉しいことがあったので、
今日もわき目もふらずにまっすぐ
家に帰ったんですよ(笑)


そしたら、昨日のようにはいかず、
「いつも通り」な展開でして(笑)


「あたりまえ」ですよね~。
昨日のようなことが続くわけがない。
1回、いい思いをしてしまうと
いつしか、それが「茶飯事」と
思ってしまうのはいけないことだ。


自分の「身の丈」もわきまえないとね(笑)


もっとも、昨日のようなことだけが
楽しみで家に帰っているわけじゃないので
定時過ぎたら一目散に退社しますがね(笑)


このことは、安い予算であるくせに
最高級のモノを造らせようとする
「素敵」な企業にも言えることですなっ!

1人月の予算で、5人月のモノなんか
造れないことが判っていない(マジで)

理由は1つ。世の中が便利になりすぎて
従事する人間がワガママになってるから。
便利にすることは、一概に悪いこととは
言わないけど、お金がかかるんですよ!

別に、お友達を作りに就職してないから
嫌われたってお構いなしだけど、企業も
人間を学歴や経歴だけで判断する前に、
もう少し「身の丈」を勉強したらどうかね?


さて・・・
本日は美恵軍團「軍報」の
第67弾といたしまして、
三重県鳥羽市に掘削された
八代神社の防空壕を
ご紹介させていただきます↓




神島の北方に位置する八代神社は
1907年(明治40)に同島の山神社や
神明社などの11社が合祀されたことで
創建し、古墳時代から室町時代にわたる
数多くの神宝が秘蔵されており
国の重要文化財に指定されているものも
あります。

その後、太平洋戦争に突入して
本土への空襲が激化すると
これらの文化財を保護することを
目的として、境内に防空壕が
掘削されました。

防空壕は小規模で、大半が
封鎖されていますが、現在も3つの
入口部分を見ることが出来ます。



東海地方探訪の権威である
空母先生と神島に上陸し・・・↓



あちこちと陣地を見てまわった後、
島内の北に位置する八代神社に
やってまいりました↓



境内の裏手に防空壕が残ります↓


文化財の保護が目的だそうで、
数メートル先で終わってました。


このほかに2箇所の入口がありましたが
いずれも厳重に封鎖されていました↓




【収録遺構】
 八代神社防空壕
 (民間防空壕)

  地下壕 1箇所

【探訪情報】
 2016.12.18  第1回探訪

 歩数(指数) 約200歩(100)


後ほど、我々のホームページにも
掲載予定ですっ★


それでは、またお会いいたしましょう★



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