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戦争遺跡のご紹介やホームページの制作状況などを綴っていきます♪

総軍BLOGへようこそっ!

♦ プロフィール

祐実総軍三等兵

Author:祐実総軍三等兵
全国に残る戦争遺跡を探訪し
記録することを趣味とする
祐実総軍三等兵ですっ★

稚拙な内容ではございますが
これまでに関係者の皆様方と
見てきた戦争遺跡を中心に、
ブログ・ホームページなどで
順次ご紹介をしていきます♪

よろしくお願いしますっ★

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皆様、いかがお過ごしでしょうか。


大好きなお仕事が1ミクロンも
面白く感じません(笑)

明日から「来なくていいです」って
言ってもらいたいですっ!

喜んで行きませんからっ★


さて、今回は美恵軍團「軍報」の
第70弾の続編といたしまして
静岡県牧之原市におかれていた
大井海軍航空隊の地下壕群を
3ヶ所ほど簡単にご紹介します↓


なお、これは「後続記事」ですので
「本記事」もご覧くださいませ↓

 【美恵軍團】大井航空隊(牧之原市)



関係者の皆様方と静岡県牧之原市に
お邪魔しております↓



今回は空母先生のご案内の下で
敷地東側の斜面に掘削された
地下壕群に挑んでいきます↓



足場の悪い斜面を下っていくと
1つ目の地下壕の入口があります↓



内部は一部が水没していましたが・・・↓



トロッコの枕木跡や・・・↓



抜けなくなった削岩機のロッドが
3つ連続で残っていたりします↓



1つ目の地下壕の総延長は
298メートルを計測しましたっ↓

tonotama先生からの提供写真です。


次に向かいます↓



2つ目の地下壕は、入口から
深く水没していました↓



入口付近が特に深く水没し
うみ先生が大興奮でした(笑)↓



全面的に水没しています↓



胆力のない三等兵も
何とか追従させていただき
内部図の作成に成功です↓

tonotama先生からの提供写真です。


ほぼ全域が水没していましたが
坑道総延長は76メートルを
計測いたしました↓

空母先生からの提供写真です。


ここから戻るようにして
藪漕ぎをしていくと・・・↓

tonotama先生からの提供写真です。


3つ目の地下壕の入口が
ありました↓



内部は、岐路をもたない坑道が
S字を描くように下っており・・・↓



最深部は水没していました↓



この坑には謎な彫り文字が残りますが
書体から戦後のものと判断しています↓



3つ目の坑道延長は18メートルと
短いものでございました。


3つの地下壕群をgoogleマップに
トレースするとこうなります↓

※一定期間経過後、削除します。


3つ目の地下壕を出た時点で
夜になってしまったので
引き揚げます↓

tonotama先生からの提供写真です。


皆様、お疲れ様でございました↓



 【収録遺構】
  大井海軍航空隊(牧之原市)

   門柱 1箇所
   軍用地境界塀 3区画
   建物 2棟
   建物基礎 3箇所
   地下施設 2箇所
   地下壕 2区画
   橋梁 1箇所
   その他 4箇所
   その他 1箇所(消失)
   地下壕 3区画(今回追加)


 【探訪情報】
  2000.05.06  第1回探訪
  2016.04.23  第2回探訪
  2016.12.04  第3回探訪
  2018.10.14  第4回探訪

 歩数(指数) 未計測(198)


後ほど、ホームページ内でも
ご紹介させていただく予定です。
また、個々の地下壕の詳細図は
後日、「内示」形式で再掲載しますね。


それでは、またお会いいたしましょう★



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 ひとつよろしくお願いします♪

皆様、いかがお過ごしでしょうか。


三等兵は、昨日・今日と
関係者の皆様方と一緒に
静岡県内を探訪してきました。


先ほど帰還したばかりで
ちょっと余裕があまりないので
今回は美恵軍團「軍報」の
第76弾の続編といたしまして
静岡県浜松市におかれていた
陸軍中野学校二俣分校のものと
推測する遺構群を簡単にご紹介します↓



なお、これは「後続記事」ですので
「本記事」もご覧くださいませ↓

 【美恵軍團】陸軍中野学校二俣分校



掛川から天浜線に乗り、
二俣本町駅にやってきました↓



単騎でトボトボと歩いていきます↓



二俣分校の碑に到着です↓



今回は碑の北側と東側を
中心に見ていきます↓



当時のものと考えられる
建物跡の一部がありました↓




東側にも当時のものと
考えられる建物があります↓



西側にも当時の遺構を
転用していると考えられる
構造物がありました↓
DSC_3297_20181014230149c51.jpg


ここを見た後は、空母先生と合流し
ラーメンを食べてから湖西方面へ
向かいましたっ★↓



【収録遺構】
 陸軍中野学校
 二俣分校

  軍用地境界標 2本
  建物 1棟(今回追加)
  建物基礎 1箇所(今回追加)
  その他 1箇所(今回追加)

【探訪情報】
 2017.07.27  第1回探訪
 2017.10.13  第2回探訪

 歩数(指数) 未計測(100)


後ほど、我々のホームページでも
ご紹介させていただきますっ★


それでは、またお会いいたしましょうっ!



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皆様、いかがお過ごしでしょうか。


残念ながら、昨日は
今日からの3連休の前夜ということで
仕事に張り切ってしまいまして
お得意の「残業」でございました。


残業メンバーの中には、
「連休中はやることがない」といった
人達も数名いるようでしたが、
まったくもって可哀想ですね。


もっとも、限られた人生の中で
どの部分に打ち込むかは
各々の考え方がありますから
干渉しませんけど、その考え方に
関心を持たない他の人達を
巻き込まないで欲しいものです。


さて、今回は美恵軍團「軍報」の
第78弾といたしまして、
長野県上田市におかれていた
旧市営飛行場を接収して
開設された熊谷陸軍飛行学校の
上田分教所の遺構群を
簡単にご紹介させてくださいませ↓




熊谷陸軍飛行学校は、
下士官や少年飛行兵達に対して
飛行機の操縦方法や技術などを
教育する目的で1935年(昭和10)に
埼玉県の熊谷市に開設された
教育機関で、戦局に沿って
飛行兵を拡充する必要が
出てきたため、市営の上田飛行場を
陸軍が接収し、その分教所が
設置されました。

その後は、太平洋戦争の
戦局悪化にともない、特別攻撃隊の
訓練基地として敷地が拡張されていき
最終的に約560,000平方メートルに及ぶ
広大な敷地面積となり終戦となりました。

現在、跡地は県立上田千曲高校や
住宅地などに変遷していますが、
門柱や格納庫の基礎などの遺構が
わずかに残っています。



おピンちゃん先生と一緒に
上田駅に到着いたしました↓



今回の上田探訪の主旨は
温泉であるため、上田千曲高校の
周辺のみを見てまわります↓



上田千曲高校の敷地東端に
門柱が残っています↓



門柱から少し離れた場所に
上田飛行場の碑が
建立されています↓



付近に当時の建物跡が
わずかに残っていました↓




これも、コンクリートの材質から
当時のものと判断しました↓



学校の周りを歩いていきます↓



学校の南西付近に
敷地内で最大規模をもっていた
第四格納庫の基礎部分が
わずかに残っています↓




周辺に案内板が立てられています↓



こちらも、コンクリートの材質から
当時のものと推測しています↓



簡単に歩いた後は、宿泊先の
別所温泉に駒を進めました↓



 【収録遺構】
  熊谷陸軍飛行学校
  上田分教所
  (上田市営飛行場)

   門柱 1箇所
   建物基礎 3箇所
   その他 2箇所

 【探訪情報】
  2018.09.08  第1回探訪

 歩数(指数) 861歩(86)


後ほど、我々のホームページでも
ご紹介させていただきますっ★


それでは、またお会いいたしましょうっ!



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皆様、いかがお過ごしでしょうか。


大好き過ぎてたまらない
「クソったれ」仕事の疲れが
出てしまい、せっかくの週末が
無気力になってしまいそうです・・・


仕事以外にやることがない
ダメ社蓄の典型ですね。
こんなんじゃイカンですっ!


さてさて、土曜日からの
起算更新になってしまいますが
今回は美恵軍團「軍報」の
第77弾といたしまして
静岡県島田市におかれていた
海軍技術研究所電波研究部の
島田分室の建物を1つだけですが
ご紹介させてくださいませ↓




島田分室は、電波兵器の開発や
実験などを目的に1944年(昭和19)に
開所しました。

設置の背景には、大出力の磁電管を
使用するために大量の電力を
まかなうための大井川水系の水力が
利用出来ることがあがりました。

ここでは、電磁管を使って強力な
マイクロ波を発生させ、
敵機に照射して電気系統をマヒさせ
エンジンを停止させる電波兵器の
研究が行われ、1945年(昭和20)の
組織改編で横浜第二海軍技術廠
実験所となりました。

跡地は、島田市博物館の分館や
住宅地などに変遷しており
面影がなくなっていますが、
当時の宿舎といわれる建物を
1棟だけ残存を確認しています。



東海地方における軍跡探訪の
ホープである空母先生を筆頭に
ヘラ男の三等兵が追従するかたちで
島田市内にお邪魔しております↓



当時の建物が1棟残っています↓




本拠に帰還後、血眼になって
終戦直後の航空写真と比較し、
他に残ってないか探しましたが
見つけられませんでした・・・↓



 【収録遺構】
  海軍技術研究所電波研究部
  島田分室
  (横浜第二海軍技術廠
   島田実験所)

   建物 1棟

 【探訪情報】
  2016.04.23  第1回探訪

 歩数(指数) 未計測(100)


次回のブログ更新は8月5日(日)で、
我々のホームページ関係の
アクセス統計を掲載させてください。


それでは、またお会いいたしましょうっ★



↑8月は当方の誕生月なので
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皆様、いかがお過ごしでしょうか。


金曜日からブログの更新が
途絶えてしまい申し訳ありません m(_ _)m


金曜日は送別会で不満が爆発し
久々に記憶の一部をなくすくらい
飲んだくれてしまいまして・・・


久々にやっちまいましたっ(涙)


さて、本日は美恵軍團「軍報」の
第76弾といたしまして
静岡県浜松市におかれていた
陸軍中野学校二俣分校の
軍用地境界標を2つほど
簡単にご紹介させてくださいませ↓




中野学校は、諜報や防諜などの
秘密戦に関する教育や訓練などを
目的として1937年(昭和12)に
東京の中野に設置されました。

1944年(昭和19)には、ゲリラ戦術や
破壊工作の要員の育成を目的として
現在の浜松市内に二俣分校が開校し
太平洋戦争の終戦までの期間に
約800名が卒業したそうです。

現在、跡地は天竜保健福祉センターに
変遷して面影がありませんが、
敷地の東側をはしる市道沿いに
軍用地境界標が移設保存されています。



遠征時のパートナーでもある
おピンちゃん先生と一緒に
新浜松駅から遠州鉄道に乗ります↓



終点の西鹿島駅に到着です↓



時間がないので、タクシーの力を借り
天竜区役所付近を目指します↓



天竜区役所の手前付近に
2本の軍用地境界標が
移設保存されています↓



このほか、豊橋に移駐した
工兵第三大隊の架橋演習に
用いられた渡河訓練用の
錨も保存されています↓



説明板も設置されていましたが
内容に違和感があります・・・↓



時間がなかったので、手短に
引き揚げてしまったのですが
後日、ストリートビューで見ると
気になるものが3箇所ばかり
ありました・・・


いつになるか判りませんが
「再訪確定」ですっ(笑)


【収録遺構】
 陸軍中野学校
 二俣分校

  軍用地境界標 2本

【探訪情報】
 2017.07.27  第1回探訪

 歩数(指数) 未計測(76)


後ほど、我々のホームページでも
ご紹介させていただきますっ★


それでは、またお会いいたしましょうっ!



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