戦争遺跡のご紹介やホームページの制作状況などを綴っていきます♪

総軍BLOGへようこそっ!

♦ プロフィール

祐実総軍三等兵

Author:祐実総軍三等兵
全国に残る戦争遺跡を探訪して
記録することを生き甲斐とする
祐実総軍三等兵でございます★
稚拙な内容ではございますが、
これまで調べてきた戦争遺跡を
ブログ・ホームページで紹介を
させていただいておりますっ♪

よろしくお願いしますm(__)m

♦ 最新記事

♦ カウンター

皆様、週末をいかがお過ごしでしょうか。
関東地方はパッとしない天気ですね・・・

さてさて、本日の19時頃までに
最期となる「サザエさん病」を
発症予定ですので、その前に
ブログの更新をさせてください。


今回は美恵軍團「軍報」の
第46弾といたしまして
静岡県三島市におかれていた
野戦重砲兵第二連隊の遺構群を
簡単にご紹介させてくださいませ↓




野戦重砲兵第二連隊は、
第十五師団に隷属する部隊で、
横須賀におかれた要塞砲兵第一連隊の
改編によって誕生し、1918年(大正7)に
三島へ移転して兵営が設置されました。

その後、1925年(大正14)の軍縮で
第十五師団の廃止にともなって
第三師団の隷属に変更され、
1932年(昭和7)に発生した上海事変を
皮切りに出征し、中国戦線の主要作戦に
参加して戦果を挙げたあとは
満州の防衛にあたっていましたが、
1945年(昭和20)に入ると戦況の悪化と
防衛線の後退が相次ぎ、日本本土で
決戦することを想定せざるを得ない
状況に陥ったため、日本に帰還したのち
同年に本土防衛軍として編成された
第五十三軍の傘下に入り、相模湾と
駿河湾方面の防備につきますが、
本土決戦となる前に終戦となりました。

現在、連隊跡地は市立北中学校や
日本大学など教育機関に
変遷していますが、煉瓦製の門柱や
コンクリート製の歩哨などが残っており
見学することが可能です。



久々の単独編成で三島に入りました↓



正門が残っています↓



正門の横に、歩哨も残っています↓



日本大学9号館の裏手には
戦後に移築された将校集会所の
建物が残されています↓



敷地の北側には塀の一部と思われる
コンクリート製の支柱群が残ります↓



【収録遺構】
 陸軍第十五師団
 野戦重砲兵第二連隊
 (陸軍第三師団
  野戦重砲兵第二連隊)

  建物 1棟
  門柱 1箇所
  歩哨 1箇所
  その他 1箇所

【探訪情報】
 2013.03.24   第1回探訪

 歩数(指数) 約3,000歩(100)


それでは、またお会いいたしましょう!



↑もしよかったら応援してくださいっ♪

皆様、いかがお過ごしでしょうか。

もう、こんな時間ですか・・・
素敵過ぎますね。
家に「寝るだけ」のために
帰っているだけなら
いっそのこと職場を「家」に
しちゃえばいいか(笑)

さすが、仕事大好きな人間は
言うことが違いますよっ!


さて・・・
本日は美恵軍團「軍報」の
第45弾といたしまして
三重県鳥羽市に位置する
神島におかれていた
伊勢防備隊の陣地群を
簡単にご紹介させてくださいませ↓




伊勢防備隊は、横須賀海軍鎮守府の
隷属部隊で、伊勢湾岸の防備を
目的として1942年(昭和17)に開設し、
鳥羽市に位置する真珠島に本部が
おかれていました。

太平洋戦争の末期は、敵艦船の侵入を
阻止する目的で伊良湖水道を
囲むようにして抵抗拠点が設けられ、
神島にも陣地が設置されました。

現在、これらの跡地は山林となっており
草木に埋もれた状態ですが
掘削途中で終戦を迎えたと
考えられる洞窟陣地が多く残っています。



東海地方探訪の筆頭に名を連ねる
空母先生と神島に上陸しました↓



中心街を少し歩いて藪漕ぎ開始です↓



機銃座とおぼしき円形の窪みが
山中に残っています↓



背面には通行用のトンネルが
残っていました↓



今回の探訪にあたり、参考にした
書籍「三重県の戦争遺跡」では
支保工が完存しているとの
記載がありましたが、残念ながら
経年劣化で倒壊していました。。。


ここから少し斜面を上がっていくと
塹壕が残っています↓



塹壕から少し下ったところに
崩落した砲口が残っています↓



山を南側から廻りこむようにして
頂上にあがっていくと
建物跡が残っていました↓



これも関連遺構であるものと
断定しています↓



山を南側に下り、電話交換所を
経由してさらに下っていくと
コンクリート製の遺構が
残っています↓



果樹園の脇を抜けた
山の斜面にも陣地がありました↓



陣地の内部です↓


ホームページに掲載する時までに
内部図を制作予定ですが
掘削途中だったようで、
規模は小さいです。


陣地の入口から少し進んだ
平場部分にも建物跡が
残っていました↓



電話交換所まで戻って
今度は南の海岸方向へ
道を下っていくと、斜面に
陣地が残っています↓



陣地の内部です↓


こちらも規模は小さいです・・・


道をさらに下っていくと、
神島の南西部にあたる
海岸に到達します↓



海岸から少し北上したところに
展開する山林の中腹にも
陣地が残っています↓



山林の麓付近には
水槽とおぼしきコンクリート製の
遺構も残っていました↓



ここから、島の東側を廻りこむように
神島灯台を経由して八代神社に
進んでいきます↓



神社の境内にも陣地とおぼしき
崩落した壕が残っています↓


残念ながら、3箇所ある入口の
2つは石で塞がれています。


神社から細い道を南に進み
山を上っていくと、ポンプ場の
裏手あたりにも塹壕が
はしっており・・・↓



塹壕を抜けると陣地の入口が
ありましたっ!↓



陣地の内部です↓


ここも掘削途中だったようで
接続予定であったものと推測する
2本の坑道が20メートルの間隔をおき
展開している小規模な壕でした。


船の出発時間まで
残り20分を切ってしまったので
大急ぎで港へ戻りました~↓



【収録遺構】
 横須賀海軍鎮守府
 伊勢防備隊
 神島抵抗拠点陣地

  砲座 1箇所
  トンネル 1箇所
  地下壕 6箇所
  建物基礎 2箇所
  その他 5箇所

【探訪情報】
 2016.12.18   第1回探訪

 歩数(指数) 約7,500歩(100)


詳細は、後ほどホームページ内で
ご紹介させていただきますねっ★


明日は、所用のため
ブログの更新は「お休み」を
させていただきますね。


それでは、またお会いいたしましょう!



↑もしよろしければ
 応援してやってくださいっ♪
 (のちほど、お返しポチも
 させていただきますね~)

皆様、プレミアムフライデーを
いかがお過ごしでしょうか。

こういった、月末15時上がりを
法令化して、私達のような
お仕事「バカ」を撲滅するべきです。
プレミアムフライデー制度は
役人どもだけに与えられた
「特権」ではないことを
もっと広めるべきでしょう。
そもそもこれって、役人どもだけを
楽させるための制度でしたっけ?


さてさて、こんな日にもかかわらず
仕事で普通に日を跨いでしまったので
残念ながら起算更新での
「軍報」でございます・・・

今回は美恵軍團の第44弾として
静岡県沼津市におかれていた
重須基地のご紹介です↓



第一特攻戦隊は、太平洋戦争で
日本軍の戦局が圧倒的に
劣勢となったことで、その後の展開が
予想された本土決戦に備えて
編成された特別攻撃部隊で、
1945年(昭和20)に司令部が
三浦市の油壺地区に
設置されました。

重須基地には、第一特攻戦隊の
隷下部隊である第十五突撃隊が
展開し、海龍を格納するための
壕が12本掘削されていたようです。

現在、格納壕の大半が倉庫に
活用されており、中に入ることが
困難ですが、重須地区をはしる
県道に沿って入口を見学することが
出来ます。


現在の三等兵の探訪能力の
「骨格」を築いてくれた
いにしえの重鎮方と共に
沼津まで遠征でございます↓



県道の左右に、海龍の格納壕と
いわれる地下壕群が
展開しています↓




その真ん中に設けられた
長井崎トンネルも、おそらく
地下壕を転用したものであると
勝手に推測しています↓



この日の探訪リミットとする時間を
過ぎていたので、きちんと周辺を
見ることは出来ませんでしたが
入口がコンクリート捲きの壕も
いくつか残っているようです。


【収録遺構】
 横須賀海軍鎮守府
 第一特攻戦隊
 重須基地

  地下壕 2区域

【探訪情報】
 2016.10.30   第1回探訪

 歩数(指数) 約100歩(50)


明日から5月9日までは
雑記形式・ホームページ関係での
ブログの更新となります。
変わらずご訪問いただければ
幸いでございますっ★



↑もしよろしければ
 応援してやってくださいっ♪
 (のちほど、お返しポチも
 させていただきますね~)

皆様、いかがお過ごしでしょうか。

好きで好きでたまらない
クソ「仕事」の忙しさが
ピークを迎えましてね、
たまらない生活を送っております。


同業者の方々や読者の皆様方から
貴重な情報提供や、ご感想などを
メールで頂戴しておりますが
昨日から再び完全に「停滞」しました。
申し訳ございません m(_ _)m

今度の土曜日までには
きちんとお返事させていただきますので
しばらくのお時間をいただきたく・・・


さて、本日は時間が捻出出来ず
既出案件でのブログ更新です。
今回は美恵軍團「軍報」の
第43弾といたしまして、
静岡県三島市におかれていた
野戦重砲兵第三連隊の遺構を
簡単にご紹介させてください↓



野戦重砲兵第三連隊は、
第十五師団に隷属する部隊で、
和歌山におかれていた
要塞砲兵第二連隊の改編によって
誕生し、1920年(大正 9)に三島へ
移転して兵営が設置されました。

その後、1925年(大正14)の軍縮で
第十五師団の廃止にともなって
第三師団の隷属に変更され、
1932年(昭和 7)に発生した
上海事変を皮切りに出征し、中国戦線の
主要作戦に参加して戦果を挙げた後、
1941年(昭和16)以降の太平洋戦争で
マレー半島制圧をはじめとする
諸作戦に参加し最後は東南アジアの
ティモール島の防備につき
終戦となりました。

現在、連隊跡地は県立三島北高校や
市立三島北小学校などに
なっていますが、煉瓦製の門柱や
コンクリート製の歩哨などが
残っており、見学することが可能です。


三島市内にお邪魔しております↓



正門が残っています↓



正門の横には歩哨が残ります↓



通用門も残ります↓



通用門とセットで、歩哨も残ります↓



【収録遺構】
 陸軍第十五師団
 野戦重砲兵第三連隊
 (陸軍第三師団
 野戦重砲兵第三連隊)

  門柱 2箇所
  歩哨 2箇所

【探訪情報】
 2013.03.24  第1回探訪

 歩数(指数) 約2,000歩(100)


あと2日の勤務で平常に戻ります。
それまでは雑なブログ更新を
お許しください m(_ _)m


それでは、また明日っ!



↑もしよろしければ
 応援してやってくださいっ♪
 (のちほど、お返しポチも
 させていただきますね~)

皆様、おはようございますZzz
本日もこの時間でのブログ更新です・・・

早く、今週末になって欲しいです~(笑)
週末を迎えれば、自由になれるっ!
来週からはウェブ更新と探訪に
ある程度「専念」出来そうです★


さて・・・
今回は美恵軍團「軍報」の
第42弾といたしまして、
岐阜県各務原市から
各務原高射砲台の遺構を
1つだけご紹介させてください↓



各務原高射砲台は、
各務原飛行場周辺の防空を
目的として1944年(昭和19)に
設置されました。

ここには、八八式 7センチ
野戦高射砲が 6門と付属施設などが
おかれており、高射第二師団に
隷属した高射砲兵第一二五連隊の
第十二中隊が防備についていました。

現在、跡地は航空自衛隊の
岐阜基地となっており、
ほとんどの遺構は消失していると
思われますが、陣営具庫といわれる
建物が 1つだけ残ります。


岐阜市内の探訪を終えて
各務原市内に入っております↓


今回は単独での探訪ですので
とにかく歩いていきます。


陣営具庫といわれる構造物が
1つだけ残っています↓



別アングルからもう1枚載せます↓



いや~、この日は
とにかく歩きました・・・(笑)


【収録遺構】
 陸軍高射第二師団
 高射砲兵第一二五連隊
 各務原高射砲台

  建物 1棟

【探訪情報】
 2016.12.17   第1回探訪

 歩数(指数) 2,020歩(100)


詳細は、後ほどホームページ内で
ご紹介させていただきますっ★


それでは、仕事行ってきますっ!



↑もしよろしければ
 応援してやってくださいっ♪
 (のちほど、お返しポチも
 させていただきますね~)

♦ 検索フォーム

♦ ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる