戦争遺跡のご紹介やホームページの制作状況などを綴っていきます♪

総軍BLOGへようこそっ!

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祐実総軍三等兵

Author:祐実総軍三等兵
全国に残る戦争遺跡を探訪し
記録することを趣味とする
祐実総軍三等兵ですっ★

稚拙な内容ではございますが
これまでに関係者の皆様方と
見てきた戦争遺跡を中心に、
ブログ・ホームページなどで
順次ご紹介をしていきます♪

よろしくお願いしますっ★

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皆様、いかがお過ごしでしょうか。

あと1日頑張れば週末です・・・
早く、明日が終わらないかな~(笑)

今日はおピンちゃん先生
仕事帰りに1杯ひっかけてきたから
いつもよりはマシですが、
平日は本当にうんざりでしてね・・・

毎日、愚痴ばかりでスミマセン。。。


さて、本日は美恵軍團「軍報」の
第73弾といたしまして、
愛知県名古屋市におかれていた
笠寺高射砲台の遺構群を
簡単にご紹介させてくださいませ↓




笠寺高射砲台は、名古屋におかれていた
三菱重工業の工場群や、熱田神宮の
防衛を主目的として、1942年(昭和17)に
設置されました。

設置当初は、八八式 7cm高射砲を
4門配備していましたが、
1943年(昭和18)に増強配備されて
6門となり、高射砲兵第一二四連隊の
1個大隊が展開して防備に
あたっていました。

砲台がおかれた場所は、弥生時代の
遺跡が発掘された場所でもあって、
現在は笠寺公園として整備されており
見晴台の考古資料館内に
出土資料などが展示されています。

また、資料館の横には
破壊を免れた砲座や砲側弾薬庫が
展示保存されており、案内板が
立てられているほか、公園内に
当時の建物と思われるコンクリートの
基礎部分などが残存しており、
見学することが可能です。



笠寺公園にお邪魔しております↓



見晴台考古資料館付近に
砲座が1つ保存されています↓



少し離れた場所には砲座跡と判る
砲側弾薬庫が3つ残っています↓



高射砲の案内板が設けられています↓



笠寺公園の東端部分に
建物がおかれていたようですが
現在は壊されており、
排水升と考えられる遺構が
わずかに残るのみでした↓



区画のための土留擁壁も
わずかに残ります↓



笠寺公園の北西端付近にも
建物跡がありました↓



【収録遺構】
 陸軍高射第二師団
 高射砲兵第一二四連隊
 笠寺高射砲台

  砲座 1箇所
  建物基礎 1箇所
  その他 5箇所

【探訪情報】
 2012.02.26  第1回探訪

 歩数(指数) 約3,000歩(100)


明日は鉄道ネタでブログの更新を
させてくださいませ m(_ _)m


それでは、またお会いしましょうっ♪



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 ひとつよろしくお願いします♪

皆様、いかがお過ごしでしょうか。


今日は、個人的に全くもって意味を
もたないプレミアムフライデーですね。
もう1年経つんですか、これ。
誰もやらねーんだから、
やめちまえばいいのにね~。

安い金しか出してくれないなら
月に1度くらい、15時で帰らせろよな。

こんなことすら企業はやらないんだから
議論している「働き方改革」なんてものは
机上の空論になるでしょうな。
こんな議論で税金使わんで欲しいですわ。

あっ、いけねえ、仕事嫌いの
癇癪をおこしてしまいました(笑)
お見苦しくてすみません・・・


さて・・・
本日は美恵軍團「軍報」の
第72弾といたしまして
愛知県名古屋市におかれていた
陸軍第三師団司令部の遺構を
簡単にご紹介させてください↓




第三師団は、師団編成の前身である
名古屋鎮台より改編をうけ、
1888年(明治21)に発足した
最も古い陸軍師団のうちの 1つで
名古屋城を囲むようにして
司令部がおかれました。

戦歴も古く、日清戦争から日露戦争・
シベリア出兵・山東出兵を経て
満州に駐屯し、日中戦争では
中国戦線の主要作戦に参加して、
戦局の悪化で撤退中に
終戦となりました。

現在、敷地跡地は名古屋城や
庭園などとなっており、観光客で
連日賑わっていますが、遺構が
わずかに残っており見学が可能です。



名古屋城周辺にお邪魔しております↓



天守閣の北西に位置する
深井丸広場内に弾薬庫が残ります↓


弾薬庫は平屋建ての煉瓦造りで、
建築時期は明治時代初期といわれ、
かつて乃木希典大将が名古屋鎮台に
在任していた経緯から「乃木倉庫」と
呼ばれるようになったそうです。


敷地の南側にあたる県道沿いにも
塀が長い区間残っています↓



【収録遺構】
 陸軍第三師団司令部

  建物 1棟
  軍用地境界塀 1区画

【探訪情報】
 2012.02.26  第1回探訪

 歩数(指数) 約1,000歩(100)


明日は神奈川県案件での探訪のため
雑記形式でのブログ更新です。


それでは、またお会いいたしましょう★



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 ひとつ、お願い申し上げますっ★

皆様、連休をいかがお過ごしでしょうか。


三等兵は明日から2日間の日程で
鎌倉市内の寺社をめぐる予定なので
今日の1日をフルに使って
昨日のまとめと明日の準備を
酒飲みながらやってます(笑)

酒飲んじゃってるから、
だんだんとお得意の「ダラけ」モードに
切り替わりつつありますが(汗)


さてさて、今回は美恵軍團「軍報」の
第71弾といたしまして
愛知県豊川市におかれていた
大恩寺山防空砲台の遺構を
簡単にご紹介させてくださいませ↓




大恩寺山防空砲台は、
横須賀海軍警備隊が守備する
防空砲台として、豊川海軍工廠を
防衛する目的で1943年(昭和18)に
建設が開始されました。

ここには12.7センチ連装高角砲が
3基据え付けられたほか、
25ミリ機銃が 3基・高角測距儀・
探照灯なども配備されました。

現在、跡地は御津山園地に
変遷していますが、わずかに
遺構が残っています。



畏れ多くも総軍大元帥閣下が
自ら先頭に立ち、本拠から出陣です↓


三等兵は大枚を引き連れて
すごすごと追従します(笑)


新幹線で豊橋に向かいます↓



豊橋からは名鉄電車です↓



国府駅からはタクシーの力を借り
豊川市内の遺構探訪をします↓



今回も、過去に豊廠見学会へ
行くと知って耳打ちしてくれた
盡忠報國先生からの事前情報により
巡ってまいります。


タクシーで御津山園地まで
一気に上がります↓



御津山園地内に砲座跡が
3箇所残っています↓





おそらく、関連した施設跡であると
思っています↓



このほか、材質から当時のものと
推測する構造物がありましたが、
違うものだったらスミマセン・・・↓




後で気が付いたのですが、
御津山園地に向かう道路沿いにも
遺構が残っていたのですが
思いっきりタクシーで「素通り」を
してしまいました・・・(涙)

時期がきたら、改めてお願いに
あがるつもりですが、
「素通り」しちゃった3遺構について
ホームページへの掲載用に
盡忠報國先生から写真を
たかってしまうかもしれません(汗)
(事前情報のD・E・Fですっ!)

せっかくの遠征なのに、
タクシー待機料金を気にしてしまい
せこいことをした代償です(涙)
私は本当にバカだな・・・


この北西の位置する山林内にも
遺構が残っているのですが
これらは大恩寺山聴測所のものとして
別掲載とさせてください m(_ _)m


【収録遺構】
 横須賀海軍警備隊
 大恩寺山防空砲台

  砲座 3箇所
  建物基礎 1箇所
  その他 2箇所

【探訪情報】
 2017.08.06  第1回探訪

 歩数(指数) 未計測(84)


後ほど、我々のホームページにも
掲載予定ですっ★


明日は、泊まりで鎌倉周辺を
ウロウロするので、
予約しておいた「軍報」を
掲載させていただきます m(_ _)m


それでは、よい連休をっ!



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 ひとつよろしくお願いします♪

皆様、いかがお過ごしでしょうか。


残念ながら、本日は会社のイベントで
シフト勤務を命じられてしまい
帰宅が遅くなるので、この時間から
ブログを更新させていただきますね。


なんて日だっ!(笑)


さて・・・・
本日は美恵軍團「軍報」の
第70弾といたしまして
静岡県牧之原市におかれていた
大井海軍航空隊の遺構群を
一部、空母先生の写真を混ぜて
ご紹介させてくださいませ↓




大井海軍航空隊は、
1939年(昭和14)に策定した
海軍の軍備充実計画により、
偵察機を使用した訓練部隊の
拡充を目的として1942年(昭和17)に
開隊しました。

ここには50機ほどの練習機「白菊」を
使用した訓練が行われ、
太平洋戦争の末期に入ると
特別攻撃隊も編成されますが、
出撃待機状態で終戦を迎えたようです。

現在、跡地は工場や倉庫・住宅地・
農地などに変遷していますが、
当時の遺構が残っています。



静岡県のホープである
空母先生を筆頭に、重鎮メンバーと
一緒に菊川市内の探訪に続き
牧之原市にお邪魔しています↓



敷地の北側にあたる市道沿いに
当時の門柱が縮小された形で
保存されています↓



周辺に軍用地境界塀が
おおよそ3区画残っています↓





これも当時の建物跡でしょうね↓



敷地の東側に駒を進めます↓



電探講堂といわれる建物が
残存しています↓



講堂の入口付近には
当時の橋梁が残っています↓



かつては、号令台も残ってましたが
現在は消失したみたいです・・・↓

空母先生の写真です。


少し南下した農地内にも
当時の建物跡が残っています↓




さらに南に下っていくと
工場内に当時の建物が残ります↓

空母先生の写真です。


南北に縦断する県道沿いに
移動しました↓



県道沿いの畑の中に
地下施設が残っています↓



路地を1つ入った場所にも
地下施設が残っていました↓




今度は敷地の東側の崖下を
降りていきます↓



地下壕が残っています↓


掘削の途中であったのか、
坑道の規模は小さいです。


さらに藪漕ぎしていくと・・・↓



2つ目の地下壕が残っていました↓




2つ目の地下壕は1つ目よりは
規模が大きいですが、
やはり掘削途中であったようです↓



坑道の総延長は31メートルを
計測しています。


2つ目の地下壕の内部図です↓



空母先生のブログによると
3つ目の地下壕もあるそうですが、
時期が悪かったようで
見つけることが出来ませんでした・・・


最後は牧之原コミュニティセンターに
立ち寄ります↓



コミュニティーセンター内に
門札と精神注入棒と
練習機「白菊」の車輪と・・・↓

空母先生の写真です。


練習機「白菊」のエンジンが
保存展示されています↓



 【収録遺構】
  大井海軍航空隊(牧之原市)

   門柱 1箇所
   軍用地境界塀 3区画
   建物 2棟
   建物基礎 3箇所
   地下施設 2箇所
   地下壕 2区画
   橋梁 1箇所
   その他 4箇所
   その他 1箇所(消失)


 【探訪情報】
  2000.05.06  第1回探訪
  2016.04.23  第2回探訪
  2016.12.04  第3回探訪

 歩数(指数) 未計測(100)


後ほど、ホームページ内でも
ご紹介させていただく予定です。


それでは、仕事行ってきますっ!
(行きたくねーんだよ・・・)



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皆様、いかがお過ごしでしょうか。


うーん。。。
おなかの調子が悪いです(脂汗)
大したことやっていないくせに、
お酒ばっか飲んでるからだな(笑)


さて・・・
本日は美恵軍團「軍報」の
第69弾といたしまして、
静岡県浜松市におかれていた
浜松憲兵分隊の遺構を
1つだけご紹介させてください↓




浜松憲兵分隊は、歩兵第六十七連隊が
浜松市に展開したことで設置され
兵営の南東に位置する鹿谷町に
庁舎がおかれていました。

現在、跡地の大半が住宅地と
なっており、面影が全くありませんが
姫街道沿いに軍用地境界標が
1つだけ残っています。



毎度、遠征でおなじみの
おピンちゃん先生と一緒に
浜松の静岡大学から
姫街道を南下していきます↓



姫街道沿いに軍用地境界標が
1つだけ残っています↓



美術館停留所からバスに乗って
浜松駅に移動します↓



浜松駅からは新幹線に乗ります↓



2駅先の三河安城を目指します↓



おそらく、一部の方々には
どの案件を目指しているのか
判ってしまったと思いますが、
ここから先は別案件となるので
別掲載とさせてくださいませ m(_ _)m


【収録遺構】
 陸軍静岡憲兵隊
 浜松憲兵分隊

  軍用地境界標 1本

【探訪情報】
 2017.07.27  第1回探訪

 歩数(指数) 約500歩(100)


後ほど、我々のホームページにも
掲載予定ですっ★


それでは、またお会いいたしましょう★



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