【美恵軍團】軍報 - 戦争遺跡調査研究軍 祐実総軍

【美恵軍團】(40)陸軍第三師団飛行第二連隊

皆様、いかがお過ごしでしょうか。

平日は本当につまらないですね。。。
今日はまだ火曜日なんですね。

我々のホームページの制作に
集中する時間をもっともっと
捻出しなければ・・・

こんなんじゃ、プロジェクトに
協力してくれている皆様方に
申し訳なくて、頭が上がらんです(涙)

特に横須賀。
既に400ちょっと挙げていますが、
残が約1,050あります・・・
この数を頭に浮かべただけで
挫折しそうですが、関係者の皆様に
褒めてもらいたいから、
頑張っていきたいと思います(笑)


さて、本日の「軍報」は
美恵軍團の第40弾といたしまして
岐阜県各務原市におかれていた
飛行第二連隊の遺構を
ご紹介させてくださいませ。


飛行第二連隊は第三師団に隷属した
航空部隊で、この前身の交通兵団に
隷属した飛行第二大隊からの
昇格によって、1925年(大正14)に
兵営が各務原に設置されました。

その後、各飛行連隊の上部組織として
飛行団が新設されたことで
第一飛行団隷下となり、
日中戦争の勃発によって
満州へと進出した飛行第一戦隊の
兵営に移駐しました。

1943年(昭和18)に入ると、
学校跡地に飛行兵を養成する
機関の拡張を目的として、
岐阜航空整備学校の第二教育隊が
開設され、太平洋戦争末期には
学校を軍隊化して編制された
第四航空教育団に編入されて
岐阜第二教育隊となり
終戦まで存続しました。

現在、敷地跡の大半が
住宅地に変遷して
面影がありませんが、
個人宅が所有する畑地内に
飛行第二連隊時代の医務室前に
設置された薬品庫と付属の建物が
残存しています。


今回は「単独」で各務原市内に
お邪魔しております↓


単独行動ですので、
全て「徒歩」で巡っていきます。
「単独」の場合は、何もかもが
気前が悪く、つまんない野郎に
なり果てます~★

こんな姿を見たら、客観的に
「面白い?」って聞かれてしまうこと
うけあいです(笑)


薬品庫と付属施設が
畑の中に並んで残っています↓



このあとは、掩体壕群に向けて
ひたすら歩きました(笑)
なんだかんだで、この日は
トータル約42,500歩を
黙々と歩いていました(笑)


【収録遺構】
 陸軍第三師団
 飛行第二連隊
 (岐阜航空整備学校
 第二教育隊,
 陸軍第四航空教育団
 岐阜第二教育隊)

  建物 2棟

【探訪情報】
 2016.12.17   第1回探訪

 歩数(指数) 3,027歩(100)


詳細は、後ほどホームページ内で
ご紹介させていただきますねっ★


それでは、また明日っ!

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【美恵軍團】(39)岐阜陸軍衛戍病院

皆様、いかがお過ごしでしょうか。

三等兵の職場は、いよいよ
「デスマーチ」の様相を呈して
きましたよ~(笑)

作業ボリュームもロクに把握せず
「今日中」を連発してきた顛末ですね~
大した金も払わないくせに、
無理難題をふっかけてばっかりで
こちらもそれを「断る」ことなく
安請け合いを続けた結果、
ほぼ全員疲弊して、ステキな光景です(笑)
2年以上もずーっとこんな毎日じゃ
みんなダメになりますよね~
「何」のために使うシステムなのかも
わからない連中に振り回されてばっかで
笑いが止まりませんね。

そのうち、真面目な顔して
100人程度の工員に対して
「今日中に、職場の向かいに
城を建ててください」とか
本気で言ってきそうです、マジで。
そのうち、誰も相手にしなくなる光景が
目に見えて判ります(笑)

金のためなら何でもやると思ったら
「大間違い」でっせ(笑)
まあ、そういうお願いは
神様にでもすればいいさっ!

もっとも、他のブログや2chでも
思いっきり「炎上」している
クソプロジェクトだから、
悪口はこれくらいにしときます(笑)


さてさて、毎度「おなじみ」の
悪口からの「軍報」です(笑)
本日は美恵軍團の第39弾として
岐阜県岐阜市におかれていた
岐阜陸軍衛戍病院の遺構を
簡単にご紹介させてください。


岐阜衛戍病院は、第三師団の
所属部隊であった歩兵第六十八連隊が
岐阜市内に展開したことで
1909年(明治42)に設置されました。

その後は岐阜陸軍病院に改称され、
岐阜市内に展開した多くの部隊の
付属病院として終戦まで機能しました。

戦後、敷地は岐阜県に移管されて
現在は岐阜県総合医療センターとなり
面影がありませんが、隣接する
市立長森中学校の敷地に門柱と
軍用地境界標が移設保存されています。


岐阜市内にお邪魔しております↓



市立長森中学校の敷地内には
通用門と軍用地境界標が
移設保存されています↓



案内板も立てられています↓



【収録遺構】
 岐阜陸軍衛戍病院
 (岐阜陸軍病院)

  門柱 1箇所
  軍用地境界標 1本

【探訪情報】
 2016.12.17   第1回探訪

 歩数(指数) 4,390歩(100)


詳細は、後ほどホームページ内で
ご紹介させていただきますねっ★


今日は、不快な内容でのブログ更新で
申し訳ないです m(_ _)m


それでは、また明日っ!


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【美恵軍團】(38)横須賀海軍鎮守府伊勢防備隊神島特設見張所

皆様、いかがお過ごしでしょうか。

三等兵は、引き続き今週の探訪計画を
練っているところですが、昨日は
色々と集中し過ぎて朝方まで
粘ってしまい寝不足です(笑)
今日は早く寝ますZzz


おやすみ前に・・・
本日は美恵軍團「軍報」の
第38弾といたしまして
三重県鳥羽市神島におかれていた
伊勢防備隊の特設見張所の遺構を
簡単にご紹介させてくださいませ。


伊勢防備隊は、横須賀海軍鎮守府の
隷属部隊で、伊勢湾の防備を目的として
1942年(昭和17)に開設され、
真珠島に本部がおかれていました。

太平洋戦争の末期に入ると
アメリカ軍の侵攻に備えて
神島に特設見張所がおかれました。

現在、見張所の跡地は山林となっており
草木に埋もれた状態となっていますが、
当時のものと考えられる遺構が
残っています。


空母先生とともに、神島の
中心街に来ております↓



山をどんどん上がっていきます↓



灯明山のレーダー塔の脇に
施設防衛のための機銃を
据え付けたと考えられる
円形の掘り込みが
2箇所残っています↓




このほか、電波探信儀を
設置するためのものと
思われる掘り込みがありました↓


掘り込みの中央部分に
円形の土盛りが残っており
これが架台だったのではないかと
推測しているところですが、
なにぶん、資料に乏しいです・・・


【収録遺構】
 横須賀海軍鎮守府
 伊勢防備隊
 神島特設見張所

  その他 3箇所

【探訪情報】
 2016.12.18   第1回探訪

 歩数(指数) 未計測(100)


詳細は、後ほどホームページ内で
ご紹介させていただきますねっ★


だめだ、今日は目がショボショボして
あまり考え事が出来ないです・・・
おとなしく布団に入ります。


それでは、また明日っ!


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【美恵軍團】(37)神島灯台官舎付属防空壕

皆様、日曜日をいかがお過ごしでしょうか。

三等兵は、日曜日なのに
めずらしく「サザエさん病」に
かかっておりません(笑)

それは・・・
またまた「遠征」の予定を立てることが
出来たからでございましてねっ★

次回の金曜日~日曜日にかけて
三重県行くことに決めました(笑)
この回は全て「単騎」で
総攻撃をしかけて玉砕しますっ!
ターゲットは亀山・津・鈴鹿です。
出陣までの残り5日間で
軍略(探訪予定のことです)を
練っていくのですが、軍跡について
耳打ち(情報提供)してくれる方を
募集しますっ★

個別に、関係者の皆様方にも
メールさせていただくかもしれません。
その時は相手にしてやってくだせえ m(_ _)m

2月は、以前のブログで告知しましたが
北九州に行ってきます(汗)


それと、本日の総軍大元帥閣下の
御前会議(笑)にて、3月の遠征も
決まりましたっ!


行先は・・・
兵庫県神戸市ですっ
3月17日(金)~3月21日(火)までの
4泊5日の行程で宿を予約しましたっ!
3月は「特別」な催しもございましてね、
三等兵の全力をもって散財します(笑)
この期間で神戸・三田・篠山と
大阪府内の一部を探訪します。

こちらについても、じわじわと
軍略を練っていくつもりですが
皆様方に情報の提供を
求めてしまうかもしれませんです・・・
その時は、よろしくお願いいたします!


さてさて、本日は三重県への探訪を
決意したこともありまして、
美恵軍團「軍報」の
第37弾といたしまして、
三重県鳥羽市におかれていた
神島灯台の官舎付属防空壕を
1つだけご紹介させてくださいませ。


神島灯台は、伊良湖水道を
通行する船舶の航行目標として
1910年(明治43)に設置されました。

太平洋戦争の末期には、
灯台の職員の避難用に、
灯台の北側におかれた官舎の
背面部分の斜面に防空壕が
掘削されました。

防空壕は小規模なもので、
灯台の職員によって掘られたものと
推測されており、T字型を呈す坑道が
現在も残っています。


東海地方の業界大手である
空母先生とともに神島灯台に
来ております↓



灯台の詳細も書かれております↓



防空壕が残っています↓


壕内部の規模については
残念ながら目も当てられないほど
短い(5メートル以下)ので、
あえてやりません(笑)


【収録遺構】
 神島灯台
 官舎付属防空壕
 (民間用防空壕)

  地下壕 1区画

【探訪情報】
 2016.12.18   第1回探訪

 歩数(指数) 未計測(100)


詳細は、後ほどホームページ内で
ご紹介させていただきますねっ★


ちなみに・・・
神島には小規模な壕だけでなく、
伊勢防備隊の陣地や
伊良湖試験場などの
「立派」な遺構が多く残っており
その数は1日で廻ることが
難しいくらいです!

この遺構を軽視するわけでは
さらさらありませんが、
業界大手の空母先生の株や
神島の探訪価値を
下げるわけにいなかいので、
敢えて記載をしておくと、
神島の魅力は、決して「潮騒」の
舞台だけではありませんよ~。

また、今回ご紹介した防空壕の他に
神島内の遺構については
ほぼ「探訪」出来ておりますので
くれぐれも誤解なきように。
(掲載準備が整わないだけです)


さてさて、明日からの仕事の
準備にとりかかりますかね。。。
今は士気が高いけど
明日、現場に着く頃には
限りなく「0」になってるんだろうな~(笑)


それでは、またお会いいたしましょうっ★


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【美恵軍團】(36)岐阜陸軍埋葬地

皆様、いかがお過ごしでしょうか。

明日から連休ですね。
三等兵も明日の夕方から
明後日までお出かけしますが
連休後半は天気が悪いようで・・・


さて、本日は美恵軍團「軍報」の
第36弾といたしまして
岐阜県各務原市におかれていた
岐阜陸軍埋葬地を簡単に
ご紹介させてくださいませ。


岐阜埋葬地は、第三師団の
所属部隊である歩兵第六十八連隊が
岐阜市内に展開したことにより
1908年(明治41)に設置されました。

その後、岐阜陸軍墓地に改称されて
終戦までに合葬墓碑や個人墓標が
建立されました。

現在、墓地は岐阜県に移管されており
定期的に清掃や剪定が行われ
管理されています。


本年最初の「軍報」は美恵軍團です。
中部地方の第1地域を専属で探訪する
美恵軍團をよろしくお願いします↓



岐阜市内から名鉄電車に乗って
手力駅にやってまいりました↓



のどかな風景がひろがります↓


ここからひたすら歩いていきます。


高山本線の線路を跨ぎます↓


ひたすら歩きます(笑)


1時間ほど歩きましたかね・・・↓



墓地の入口に到着です↓



門柱が残ります↓



当時の井戸と思われます↓



合葬墓碑です(抜粋)↓
P1210746.jpg


個人墓標も2基ありました↓



灯篭もおかれています(抜粋)↓



【収録遺構】
 岐阜陸軍埋葬地
 (岐阜陸軍墓地)

  門柱 1箇所
  墓標様 1区画
  その他 6箇所

【探訪情報】
 2016.12.17   第1回探訪

 歩数(指数) 14,106歩(100)


詳細は、後ほどホームページ内で
ご紹介させていただきますねっ★


明日は、おピンちゃん先生
お接待する日なので
予定を変更させていただき
「雑記」でのブログ更新とさせてください。


それでは、またお会いいたしましょう!


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