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戦争遺跡のご紹介やホームページの制作状況などを綴っていきます♪

総軍BLOGへようこそっ!

♦ プロフィール

祐実総軍三等兵

Author:祐実総軍三等兵
全国に残る戦争遺跡を探訪し
記録することを趣味とする
祐実総軍三等兵ですっ★

稚拙な内容ではございますが
これまでに関係者の皆様方と
見てきた戦争遺跡を中心に、
ブログ・ホームページなどで
順次ご紹介をしていきます♪

よろしくお願いしますっ★

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皆様、いかがお過ごしでしょうか。


ここのところ、関東地方は季節外れの
暖かい気候が続いているようです。

でも、本拠は室温が低いため
寒がりの三等兵にとって
それほど暖かくは感じません・・・


さて、本日は美恵軍團「軍報」の
第80弾といたしまして、
長野県長野市におかれていた
長野飛行場の遺構をご紹介します↓




長野飛行場は、長野市の都市計画事業の
一環で設置された公共の飛行場で、
1939年(昭和14)に開業しました。

その後、太平洋戦争での戦局が悪化し
国体護持と国家の機能維持を目的として
松代大本営の建設工事が開始されると
その一環で長野飛行場は陸軍に
接収されましたが、敷地の拡張や
飛行機掩体などの建設工事が
終わったところで終戦を迎えました。

終戦後、長野飛行場は
1990年(平成 2)まで民間飛行場に
引き続き使用されましたが、
現在は長野市立犀陵中学校や
住宅地などに変遷しており、
わずかに飛行場時代の遺構が
残ります。



我が総軍大元帥と一緒に
長野駅に到着いたしました↓



大元帥が一緒ですので、
御車となるタクシーの力を借りて
川合新田地区に向かいます↓



飛行場の東側にあたる県道付近に
門柱が残っています↓



門柱から少し進んだところに
長野飛行場の碑がおかれています↓




市営団地付近に当時の区画の
名残があります↓




市営団地の北側に、昭和22年の
航空写真に写っていると思われる
建物が1つあります↓



御車を待たせているので
急いで戻り、次の案件に進みます↓



【収録遺構】
 長野陸軍飛行場
 (松代大本営長野飛行場)

  門柱 1箇所
  建物 1棟

【探訪情報】
 2018.09.09  第1回探訪

 歩数(指数) 未計測(100)


後ほどホームページ内でも
ご紹介させていただきますねっ♪


それでは、またお会いしましょうっ★



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 ひとつよろしくお願いします♪

皆様、いかがお過ごしでしょうか。


廃車になって約10日経ちましたが
おかげさまで、やりたいことが沢山あり
どれから手を付ければ効率がいいか
判らなくなってしまいました(汗)

ここで、面倒くさいからといって
ダラけて手を付けずにいると
長期休暇特有の病気(笑)になるので
しっかりやっていこうと思いますっ!


さて・・・本日は美恵軍團「軍報」の
第79弾といたしまして、
静岡県湖西市におかれていた
陸軍第七十三師団の抵抗拠点陣地の
一部をご紹介させてくださいませ↓




第七十三師団は、駿河湾から
知多半島にいたる地域の防衛を
目的として1944年(昭和19)に
第三師団の留守部隊を基幹に
編成されました。

その後、司令部を名古屋から
豊橋に移し、防衛地域を浜名湖から
豊橋にいたる区域に縮小して
第十三方面軍の傘下に入り、
来たる本土決戦に備えて
抵抗拠点となる陣地の構築途中で
終戦を迎えました。

湖西市については配下の
野砲兵第七十三連隊や
歩兵第一九七連隊・
独立重砲兵第三十七大隊を
はじめとする部隊が展開し、
白須賀から新居町にかけて
陣地が広範囲に現存しています。



東海地方における探訪の権威である
空母欲奈プロと湖西市内の
山林内にお邪魔しております↓



難所を越えながら山を上ります↓



進んでいくと塹壕が残っていました↓



さらに山を上がっていくと
監視所が残っています↓



監視窓は南南東を向いています↓



監視所の外観は粗悪ですが
内部はしっかり造られています↓




次のポイントに移動していきます↓



再び、山を上がっていきます↓



山頂付近に砲陣地が残っています↓



砲室部分です↓



コウモリさんの家と化していますが
砲側弾薬庫が1つ設けられています↓



内部の状態は良好ですっ★↓



砲室の背面に設けられた入口は
少し土砂に埋まっています↓



砲陣地から少し山を上がります↓



土砂に埋まった状態ですが、
さきほどの砲陣地の観測所が
山頂に残っています↓



内部の様子です↓



側面部分に設けられている入口は
土砂で完全に埋まっています↓



周辺には塹壕も残っています↓



探訪時間に限りがあったため
今回はこれで引き揚げましたが
引き続き、探訪を継続していきます★


 【収録遺構】
  陸軍第七十三師団
  抵抗拠点陣地(湖西市)

   地下施設 3箇所
   その他 2箇所


 【探訪情報】
  2018.10.13  第1回探訪

 歩数(指数) 未計測(80)


後ほど、我々のホームページ内でも
ご紹介させていただく予定です。


それでは、またお会いいたしましょう★



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皆様、いかがお過ごしでしょうか。


大好きなお仕事が1ミクロンも
面白く感じません(笑)

明日から「来なくていいです」って
言ってもらいたいですっ!

喜んで行きませんからっ★


さて、今回は美恵軍團「軍報」の
第70弾の続編といたしまして
静岡県牧之原市におかれていた
大井海軍航空隊の地下壕群を
3ヶ所ほど簡単にご紹介します↓


なお、これは「後続記事」ですので
「本記事」もご覧くださいませ↓

 【美恵軍團】大井航空隊(牧之原市)



関係者の皆様方と静岡県牧之原市に
お邪魔しております↓



今回は空母先生のご案内の下で
敷地東側の斜面に掘削された
地下壕群に挑んでいきます↓



足場の悪い斜面を下っていくと
1つ目の地下壕の入口があります↓



内部は一部が水没していましたが・・・↓



トロッコの枕木跡や・・・↓



抜けなくなった削岩機のロッドが
3つ連続で残っていたりします↓



1つ目の地下壕の総延長は
298メートルを計測しましたっ↓

tonotama先生からの提供写真です。


次に向かいます↓



2つ目の地下壕は、入口から
深く水没していました↓



入口付近が特に深く水没し
うみ先生が大興奮でした(笑)↓



全面的に水没しています↓



胆力のない三等兵も
何とか追従させていただき
内部図の作成に成功です↓

tonotama先生からの提供写真です。


ほぼ全域が水没していましたが
坑道総延長は76メートルを
計測いたしました↓

空母先生からの提供写真です。


ここから戻るようにして
藪漕ぎをしていくと・・・↓

tonotama先生からの提供写真です。


3つ目の地下壕の入口が
ありました↓



内部は、岐路をもたない坑道が
S字を描くように下っており・・・↓



最深部は水没していました↓



この坑には謎な彫り文字が残りますが
書体から戦後のものと判断しています↓



3つ目の坑道延長は18メートルと
短いものでございました。


3つの地下壕群をgoogleマップに
トレースするとこうなります↓

※一定期間経過後、削除します。


3つ目の地下壕を出た時点で
夜になってしまったので
引き揚げます↓

tonotama先生からの提供写真です。


皆様、お疲れ様でございました↓



 【収録遺構】
  大井海軍航空隊(牧之原市)

   門柱 1箇所
   軍用地境界塀 3区画
   建物 2棟
   建物基礎 3箇所
   地下施設 2箇所
   地下壕 2区画
   橋梁 1箇所
   その他 4箇所
   その他 1箇所(消失)
   地下壕 3区画(今回追加)


 【探訪情報】
  2000.05.06  第1回探訪
  2016.04.23  第2回探訪
  2016.12.04  第3回探訪
  2018.10.14  第4回探訪

 歩数(指数) 未計測(198)


後ほど、ホームページ内でも
ご紹介させていただく予定です。
また、個々の地下壕の詳細図は
後日、「内示」形式で再掲載しますね。


それでは、またお会いいたしましょう★



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皆様、いかがお過ごしでしょうか。


三等兵は、昨日・今日と
関係者の皆様方と一緒に
静岡県内を探訪してきました。


先ほど帰還したばかりで
ちょっと余裕があまりないので
今回は美恵軍團「軍報」の
第76弾の続編といたしまして
静岡県浜松市におかれていた
陸軍中野学校二俣分校のものと
推測する遺構群を簡単にご紹介します↓



なお、これは「後続記事」ですので
「本記事」もご覧くださいませ↓

 【美恵軍團】陸軍中野学校二俣分校



掛川から天浜線に乗り、
二俣本町駅にやってきました↓



単騎でトボトボと歩いていきます↓



二俣分校の碑に到着です↓



今回は碑の北側と東側を
中心に見ていきます↓



当時のものと考えられる
建物跡の一部がありました↓




東側にも当時のものと
考えられる建物があります↓



西側にも当時の遺構を
転用していると考えられる
構造物がありました↓
DSC_3297_20181014230149c51.jpg


ここを見た後は、空母先生と合流し
ラーメンを食べてから湖西方面へ
向かいましたっ★↓



【収録遺構】
 陸軍中野学校
 二俣分校

  軍用地境界標 2本
  建物 1棟(今回追加)
  建物基礎 1箇所(今回追加)
  その他 1箇所(今回追加)

【探訪情報】
 2017.07.27  第1回探訪
 2017.10.13  第2回探訪

 歩数(指数) 未計測(100)


後ほど、我々のホームページでも
ご紹介させていただきますっ★


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皆様、いかがお過ごしでしょうか。


残念ながら、昨日は
今日からの3連休の前夜ということで
仕事に張り切ってしまいまして
お得意の「残業」でございました。


残業メンバーの中には、
「連休中はやることがない」といった
人達も数名いるようでしたが、
まったくもって可哀想ですね。


もっとも、限られた人生の中で
どの部分に打ち込むかは
各々の考え方がありますから
干渉しませんけど、その考え方に
関心を持たない他の人達を
巻き込まないで欲しいものです。


さて、今回は美恵軍團「軍報」の
第78弾といたしまして、
長野県上田市におかれていた
旧市営飛行場を接収して
開設された熊谷陸軍飛行学校の
上田分教所の遺構群を
簡単にご紹介させてくださいませ↓




熊谷陸軍飛行学校は、
下士官や少年飛行兵達に対して
飛行機の操縦方法や技術などを
教育する目的で1935年(昭和10)に
埼玉県の熊谷市に開設された
教育機関で、戦局に沿って
飛行兵を拡充する必要が
出てきたため、市営の上田飛行場を
陸軍が接収し、その分教所が
設置されました。

その後は、太平洋戦争の
戦局悪化にともない、特別攻撃隊の
訓練基地として敷地が拡張されていき
最終的に約560,000平方メートルに及ぶ
広大な敷地面積となり終戦となりました。

現在、跡地は県立上田千曲高校や
住宅地などに変遷していますが、
門柱や格納庫の基礎などの遺構が
わずかに残っています。



おピンちゃん先生と一緒に
上田駅に到着いたしました↓



今回の上田探訪の主旨は
温泉であるため、上田千曲高校の
周辺のみを見てまわります↓



上田千曲高校の敷地東端に
門柱が残っています↓



門柱から少し離れた場所に
上田飛行場の碑が
建立されています↓



付近に当時の建物跡が
わずかに残っていました↓




これも、コンクリートの材質から
当時のものと判断しました↓



学校の周りを歩いていきます↓



学校の南西付近に
敷地内で最大規模をもっていた
第四格納庫の基礎部分が
わずかに残っています↓




周辺に案内板が立てられています↓



こちらも、コンクリートの材質から
当時のものと推測しています↓



簡単に歩いた後は、宿泊先の
別所温泉に駒を進めました↓



 【収録遺構】
  熊谷陸軍飛行学校
  上田分教所
  (上田市営飛行場)

   門柱 1箇所
   建物基礎 3箇所
   その他 2箇所

 【探訪情報】
  2018.09.08  第1回探訪

 歩数(指数) 861歩(86)


後ほど、我々のホームページでも
ご紹介させていただきますっ★


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