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戦争遺跡のご紹介やホームページの制作状況などを綴っていきます♪

総軍BLOGへようこそっ!

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祐実総軍三等兵

Author:祐実総軍三等兵
全国に残る戦争遺跡を探訪し
記録することを趣味とする
祐実総軍三等兵ですっ★

稚拙な内容ではございますが
これまでに関係者の皆様方と
見てきた戦争遺跡を中心に、
ブログ・ホームページなどで
順次ご紹介をしていきます♪

よろしくお願いしますっ★

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皆様、いかがお過ごしでしょうか。


早いもので9月に入り、
当方の誕生月が去って
我が総軍大元帥の誕生月に
スライドしていきます。


総軍プロジェクトの年度末は
10月末になるので、そろそろ
次のシーズンに向けて
探訪先を模索していきたいですが
なかなか許してくれず…


まあ、今の時期から気張っても
気持ちが疲弊するだけなので
じっくりと考えていきます。


さて、今回は美恵軍團「軍報」の
第116弾といたしまして
三重県津市におかれていた
津陸軍衛戍病院の遺構群を
簡単にご紹介させてください↓




津衛戍病院は歩兵第五十一連隊が
久居地区に展開したことにより
兵営に隣接するようにして
1908年(明治41)に設置されました。

1936年(昭和11)に入ると
津陸軍病院に改称されますが
病院の機能は変わらず
終戦まで存続しました。

戦後、敷地は厚生省に移管されて
国立病院に使用されましたが、
現在は陸上自衛隊の久居駐屯地や
合同宿舎に変遷しており、
わずかに遺構が残っています。



今回は日本戦跡協会さんと一緒に
陸上自衛隊久居駐屯地の皆様方の
ご協力を賜り、敷地内を見学します↓



こちらは別掲載を予定していますが
歩兵第五十一連隊(第三十三連隊)と
第三十旅団司令部を見学し、
敷地の南東端付近に進みます↓



自衛隊敷地の南東部分が
衛戍病院ゾーンとなり
さっそく浴場が残っています↓



煉瓦で造られており
入口や窓は木で塞がれて
内部の様子は判りませんでしたが
良好な残存状態です↓



隣接して食堂が残ります↓



こちらも煉瓦で造られており
背面に部屋があるのか
中央が突き出ており
凸形になっています↓



突き出た部分を
別の角度から見ると
こんな感じになっており、入口を
煉瓦で埋めた跡がありました↓



すぐ隣にコンクリート製の
構造物もありました↓



ここから北に少し進んだ場所に
昭和21年の航空写真に写る
木造の建物が残ります↓



反転して南に下ると
結核患者を収容したといわれる
隔離病棟が残っています↓



外壁はリフォームされているようですが
基礎部分は煉瓦で造られていることが
判ります↓



さらに南に進んでいくと
木造の演芸場が残っており
現在は武道場に使われています↓



短い時間ではありましたが
敷地内の案内をしてくれた
広報ご担当者様にお礼を申し上げ
次の案件に進んでいきます↓



【収録遺構】
 津陸軍衛戍病院
 (津陸軍病院)

  建物 5棟
  その他 1箇所

【探訪情報】
 2021.12.01 第1回探訪

 歩数(指数) 未計測(100)


後ほどホームページ内でも
ご紹介させていただきますねっ♪


それでは、またお会いしましょうっ★



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皆様、いかがお過ごしでしょうか。


もうね、探訪がご無沙汰過ぎて
おかしくなりそうです(笑)


仕事ばっかりさせやがって
まったくふざけた話です。


さて、今回は美恵軍團「軍報」の
第115弾といたしまして
三重県四日市市に残る
海軍水路部の水準標石を
1本ご紹介させてください↓




今回は近鉄四日市駅付近に
宿を取っていたので
ここから歩いていきます↓



約20分ほど東に歩いて
四日市旧港の港湾施設に
到着です↓



潮吹き防波堤のレプリカが
ありましたが、お目当てはないので
簡単に眺めるだけにしました↓



港湾施設の一角に位置する
公園内に水準標石があります↓



4面にわたって記載があり
「水路部」・「昭和十二年」の
文字が見れます↓



残る2面には
「水路部」・「+」の記載が
ありました↓



こういったタイプの標石は
まだ見たことがなかったので
お供のカエル軍団も
興味津々でした(笑)↓



海軍水準標石は
この他にも残るようなので
時間を捻出して少しずつ
見ていきたいと思います。


時間が圧しているので
次の案件に進みます↓



【収録遺構】
 海軍水路部
 (三重県四日市市)

  その他 1箇所

【探訪情報】
 2021.11.06 第1回探訪

 歩数(指数) 未計測(100)


後ほどホームページ内でも
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皆様、いかがお過ごしでしょうか。


今年も残すところ
あと4日ですね…


会社の雰囲気や、テレビの
コマーシャルなどで
正月休みに入るのかぁと
思うんですが、どうもイマイチ
まだ実感がないんですよね…


多分、仕事のせいですね(笑)


さて、今回は美恵軍團「軍報」の
第110弾の続編といたしまして
三重県鈴鹿市におかれていた
鈴鹿海軍工廠の遺構群のうち
平田町の官舎群を簡単に
ご紹介させてくださいませ↓



なお、これは「後続記事」ですので
よろしければ「本記事」も
ご覧くださいませ↓

 (110)鈴鹿海軍工廠
 (110_続編1)鈴鹿海軍工廠



順番が前後しちゃいますが
近鉄鈴鹿線の平田町駅から
歩いていきます↓



色々な官舎・工員宿舎を見て
いつも思うのですが、
敷地の境界部分をはしる道路は
でたらめに延びていることが多く
違和感をおぼえます↓



平田町駅から北に進んだ
平田地区の住宅地内に
1つ目の官舎が残っています↓



敷地の外周に繋がる道路は
こういう違和感演出(笑)が
ありますね↓



官舎・工員宿舎は
統一された規格で
建設されているので
同じような形・向きのものは
クロであることが多いです↓



隣接してもう1棟ありますが
こちらは外壁をリフォームしており
当時の官舎には見えません↓



違和感演出(笑)を抜け
西に進んでいきます↓



今度は平田本町地区に
入りました↓



平田本町地区にも
官舎が残っていますが
こちらは使われてないようです↓



南に下るともう1棟ありますが
リフォームされており、
パッと見て判りませんね↓




さらに西へ少し進んだところに
もう1棟残っていましたが
生垣と塀に囲まれており
ほとんど見通しが利きません↓



草木が多いので、
暑い時期は虫対策が
大変そうですが、とても素敵な
佇まいでした↓



この後は国府町の工員住宅を
見学するべく歩きましたが
次回の記事にさせてください↓



【収録遺構】
 鈴鹿海軍工廠

【探訪情報】
 2021.06.26  第1回探訪

 歩数(指数) 27,892歩(98)


また、後ほどホームページ内でも
ご紹介させていただきますねっ♪


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皆様、いかがお過ごしでしょうか。


12月に入り、本拠の最低気温も
5℃以下の日々が続いており
冬本番を実感しています。


冬は探訪シーズンなので
好きな季節ではあるのですが
極度の寒がりなもんで、
特に平日の朝はお布団から
出たくなくなりますな(笑)


さて、今回は美恵軍團「軍報」の
第114弾といたしまして
三重県伊賀市におかれた
津防空監視隊の柘植防空監視哨の
遺構をご紹介させてください↓




津防空監視隊は、本土への
空襲に対する早期発見を目的に
編成された防空監視隊の1つで
三重県中部から北部にかけ
対空監視にあたり、多くの
防空監視哨がおかれていました。

そのなかで柘植防空監視哨は、
旧柘植町役場の裏山にあたる
成田山不動明王の北に設置され
在郷軍人や青年学校の生徒達が
任務についていたようです。

現在、跡地は山林になっていますが
哨舎の基礎部分や土製の
窪地などが残ります。



草津線に乗りまして…↓



終点の柘植駅に到着です↓



ここから20分ほど歩いて
柘植町の集落に入ります↓



土地勘が全くないですが、
柘植小学校の裏山に
あるようなので、
登れる場所を探します↓



小学校の隣にお寺さんがあり
ここから登ることにしました↓



お寺さんから山に上がる径が
あると読んで周辺をウロウロ…↓



高台からの景色が
とても美しかったです↓



残念ながら、読みをハズし
山につながる径はなく、
15キロの荷物を背負って
結局、強引な山登りを
することになりまして…↓



ゼーハーやりながら
山登りをすると
尾根筋をはしる径に
ぶつかりました…↓



これだけの幅がある径なので
こんな変な登り方をしなくても
麓から続いていたんだろうと
思いながら進んでいくと
不動様に到着です↓



その奥の高台に哨舎の
基礎部分が残っています↓



基礎部分はコンクリート製の
長方形で、上屋を固定した
ボルトや金属片が残ります↓



お供のカエル軍団も
カバンから出てきたので
記念写真を撮りました(笑)↓



ちょっと鬱蒼としていますが
哨舎跡から馬の背状に
削平地が続いてそうなので
茂みに入っていきます↓



少し入ったところに
土に埋もれたコンクリートの
基礎が残っていました↓



よく見ると、哨舎跡と同じ
ボルトや金属片が付いています↓



さらに奥へ入っていくと
通路跡と考えられる
直線の土の掘り込みが
10メートルほど続いており…↓



通路の左右に円形と方形の
掘り込みが残っていました↓




馬の背の終点まで
進んでみましたが、
何も痕跡が見られず
急斜面になったので
ここで引き返しました↓



最後は不動様にお参りし、
無事に見学出来たことに感謝して
お賽銭とお祈りをしました↓



帰りは不動様の参道を
楽々と降りて麓へ戻りました↓



上りの苦労は何だったのかと
思いつつ、歩いて柘植駅に戻り
1時間ほど電車を待ちました(笑)↓



【収録遺構】
 津防空監視隊
 柘植防空監視哨

 建物基礎 2箇所
 その他 3箇所

【探訪情報】
 2021.11.29  第1回探訪

 歩数(指数) 未計測(100)


また、後ほどホームページ内でも
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今日の昼下がりから
シーズン初の遠征に
出かけてまいります。


今月いっぱい、外に出るので
以降のブログ更新は
全て予約で行いますので
よろしくお願いいたします。


仕事のことなんか
1ミクロンも思い出す余地もない
充実した探訪にしてきます。


さて、今回は美恵軍團「軍報」の
第113弾といたしまして
三重県鈴鹿市におかれていた
亀山陸軍病院の遺構群を
簡単にご紹介させてください↓




亀山陸軍病院は、
現在の鈴鹿市と亀山市に
展開していた陸軍部隊の
負傷兵を収容するために
1943年(昭和18)に設立され、
終戦まで存続しました。

現在、跡地は鈴鹿病院や
三重県立杉の子特別支援学校に
変遷しており面影がありませんが
門柱と軍用地境界標が
残っています。



北伊勢飛行場を歩いてまわり
日没間近になりましたが
加佐登駅に向かう途中で
寄らせてもらいました↓



さっそく、鈴鹿病院の入口にあたる
県道沿いに軍用地境界標が
1本残っていました↓



鈴鹿病院に向けて
歩いていきます↓



暗くなってしまうので
病院内を歩くことを諦め
敷地の外周を見ていきます↓



病院の駐車場には入らず
西に向けて境界を進むと
当時の区画である土盛りが
広範囲に残っています↓



土盛りの外側部分で
2本の軍用地境界標を
確認しました↓




この奥の竹林にも
入りたかったのですが
ゲームオーバーの
予感がするので、
引き返します…↓



駐車場の入口まで戻り
境界部分を南下していくと
同じように土盛りが広範囲に
残っていました↓



北東端にあたる
土盛りの外側の畑に
軍用地境界標も残ります↓



土盛りに沿って南下していくと
東側の入口にあたる門柱が
よい状態で残っています↓



日没タイムアップにつき
これにて引き揚げます↓



電車は1時間に1本しか来ない
時間帯でしたが、運よく
それほど待たずに
乗ることが出来ました↓



【収録遺構】
 亀山陸軍病院

 門柱 1箇所
 軍用地境界標 4本
 その他 2箇所


【探訪情報】
 2019.11.23  第1回探訪
 (継続調査中)

 歩数(指数) 未計測(90)


また、後ほどホームページ内でも
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