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戦争遺跡のご紹介やホームページの制作状況などを綴っていきます♪

総軍BLOGへようこそっ!

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祐実総軍三等兵

Author:祐実総軍三等兵
全国に残る戦争遺跡を探訪し
記録することを趣味とする
祐実総軍三等兵ですっ★

稚拙な内容ではございますが
これまでに関係者の皆様方と
見てきた戦争遺跡を中心に、
ブログ・ホームページなどで
順次ご紹介をしていきます♪

よろしくお願いしますっ★

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皆様、いかがお過ごしでしょうか。


お盆休みもそろそろ終わりですね・・・
来週あたりから、通勤で乗る
電車の混雑が復活ですかね。


平日の朝・夕は、大変な思いをして
会社のために通勤をしているのですから
毎月の定期代にプラスαをして
「支払ってやる」くらいの度量を
会社に求めたいものですね~


さて、ブログ更新に間が開きましたが
今回は美恵軍團「軍報」の
第85弾といたしまして、
愛知県豊川市内に敷設された
豊川海軍工廠の専用路線であった
豊川鉄道西豊川支線の遺構群を
ご紹介させていただきます↓




豊川鉄道は、JR飯田線の路線の
前身にあたる民間の鉄道会社で
明治期に現在の豊橋市から
新城市を結ぶ路線が開業しました。

1939年(昭和14)に豊川海軍工廠が
開設されると、工員と資材類の輸送を
目的として、豊川駅から工廠内にいたる
西豊川支線が1942年(昭和17)に開業し
のちに国鉄に買収されました。

その後、戦争の終結にともない
豊川海軍工廠が閉鎖されたことで
利用客が減少して旅客営業が廃止され
現在は日本車輌製造の専用線として
活用されていますが、当時の橋梁や
門柱などの遺構が残っています。



JR飯田線の豊川駅前に
到着いたしました↓



豊川駅から約300メートルほど
飯田線の線路と並行します↓



少し進むと、飯田線とわかれて
西に進路をとるようになります↓



その後は、少しずつ上っていき
築堤をはしるようになります↓



さらに進んでいくと、県道を跨ぐ
当時の橋梁が残っています↓



現在は単線ですが、
橋梁をよく見ると、かつては
複線であったことが判ります↓



橋梁を過ぎると、約500メートルほど
直線区間が続きます↓



架線の支柱からも判るように
このあたりは複線区間だったようです↓



さらに進んでいくと、佐奈川にかかる
当時の橋梁が残っています↓



橋梁内は立入禁止ですが、
佐奈川に平行する遊歩道より
近い距離で見ることが出来ます↓



佐奈川を渡ると、いよいよ線路は
豊川海軍工廠の敷地内に
入っていき、鉄道門と思われる
門柱が1対残っています↓



さらに西側に進んでいくと、
線路は日本車輌製造豊川製作所に
入っていくため、追跡を終えました↓



当初、ここは「軍用線」と認識して
軍用地境界標を追いかけようと
探訪したのですが、結果は0でした。

それもそのはず、ここは
民間の鉄道会社が運営を
していたわけですからね・・・

夏場の時期に歩いたこともあり
結構、しんどかったですが
これが判っただけでもよしとします。


【収録遺構】
 豊川鉄道西豊川支線
 (豊川海軍工廠専用線)
 
   門柱 1箇所
   橋梁 2箇所

【探訪情報】
 2017.08.06  第1回探訪
 2018.12.17  第2回探訪

 歩数(指数) 約7,000歩(158)


後ほどホームページ内でも
ご紹介させていただきますねっ♪


それでは、またお会いいたしましょう★



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 ひとつよろしくお願いします♪

皆様、いかがお過ごしでしょうか。


ここのところ、ブログの更新まで
手がまわらず、時間が開きました・・・


さて、今回は美恵軍團「軍報」の
第84弾といたしまして、
静岡県磐田市におかれていた
第一航空情報連隊の遺構群を
簡単にご紹介させてくださいませ↓




第一航空情報連隊は、航空作戦の
支援要員の養成を目的として
1942年(昭和17)に編成され、
磐田市内に新設された兵営に
入りました。

ここでは、上空を飛来する敵機の
監視につき、友軍の迎撃を
有利にするための情報を
無線で通報することを任務としたほか
レーダーや暗号戦術に対する
教育なども行われました。

現在、敷地跡は静岡県立農林大学校に
変遷し、当時の面影がありませんが
かぶと塚公園の入口と外周付近に
当時の遺構が残っており、一部は
保存されています。



今回は我が総軍大元帥の
遣いであるウィー太郎くんと
マンツーで探訪します↓



新幹線で浜松まで行き
そこから在来線に乗り換えて
磐田駅に到着です↓



磐田駅から、かぶと塚公園まで
歩いて進んでいきます↓



まずは、公園の外周に残る
遺構を見ていきます↓



敷地の東端部分にあたる箇所に
境界柵の支柱が2区画残ります↓




さらに北上していくと、配置図では
材料廠付近にあたる場所に
当時のものと思われる遺構が
埋もれていました↓



藪の中に入ってみたのですが
時期が悪く、大量のヤブ蚊の
襲来に阻まれてしまい、
退却しました・・・↓



それでも境界柵の支柱群と・・・↓



敷地の北東端にあたる部分で
軍用地境界標をウィー太郎くんが
見つけました↓



事前に盡忠報國先生
耳打ちしてくれたもう1本の標柱は
藪に阻まれてしまい失敗しました・・・


ですが、敷地の南東端にあたる箇所で
もう1本見つけることが出来ました↓



暑さで早くも士気がだだ下がりですが
次はかぶと塚公園内を見ていきます↓



駐車場内にロータリー跡かもしれない
円形の古いものがありました↓



駐車場付近に門柱が保存されています↓



その奥に碑が建立されています↓



少し進んでいくと、もう1対の門柱が
保存されています↓



こちらは第一航空情報連隊の
派生隊である第四航空情報連隊の
碑が建立されています↓



この周辺で、当時のものと思われる
遺構をウィー太郎くんが発見です↓



猛暑の中、再び磐田駅まで戻り
浜松駅から再び新幹線に乗ります↓



次の新幹線の発車まで
少々時間があったので
ウィー太郎くんとお休憩です↓



新幹線に乗り込み、今度は
名古屋を目指していきます↓



【収録遺構】
 陸軍第五十三航空師団
 第一航空情報連隊

  門柱 1箇所
  軍用地境界標 2本
  その他 6箇所

【探訪情報】
 2015.08.01  第1回探訪
 2019.07.20  第2回探訪

 歩数(指数) 未計測(100)


後ほどホームページ内でも
ご紹介させていただきますねっ♪


それでは、またお会いしましょうっ★



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皆様、いかがお過ごしでしょうか。


三等兵は、相変わらず
大好きなクソ仕事のおかげで
平日はガッカリの日々です・・・


仕事イキイキなんざ、
クソくらえってなもんです(笑)


さてさて、今回は美恵軍團「軍報」の
第72弾の続編といたしまして
名古屋城内に残る陸軍消火栓蓋を
1つご紹介して布団に行きます↓


なお、これは「後続記事」ですので
「本記事」もご覧くださいませ↓

 (72)陸軍第三師団司令部



我が総軍大元帥の名代である
ウィー太郎くんと一緒に
名古屋市内に入りました↓



名古屋城に隣接する愛知県体育館で
大相撲名古屋場所が催されてました↓



名古屋城の正門で入場券を買い
二之丸庭園を目指します↓



庭園周辺を探すこと30分、
ウィー太郎くんが見つけました↓



残念ながら、土砂で埋もれており
状態はあまりよくありません・・・


写真を補正するとこんな感じです↓



他にも残っていないか、
くまなく歩いてみましたが、残るのは
これだけのようです・・・


撤収がてら、出来町通沿いの
境界塀を再訪しましたが、
こちらも無事のようですね↓



地下鉄に乗って名古屋へ戻り
大阪を目指します↓



【収録遺構】
 陸軍第三師団司令部

  建物 1棟
  軍用地境界塀 1区画

  その他 1箇所(今回追加)

【探訪情報】
 2012.02.26  第1回探訪
 2019.07.20  第2回探訪

 歩数(指数) 約4,500歩(156)


それでは、またお会いいたしましょう★



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皆様、いかがお過ごしでしょうか。


三等兵は2月からの仕事復帰に向け
引き続き、軍跡関連のまとめ作業を
していますが、時間を割いているわりに
進んでいる実感があまり得られておらず
復帰までの残りの日数ばかりを気にして
気持ちが空回りしています(汗)


なかなか思うように進みませんね。。。


さてさて、本日は美恵軍團「軍報」の
第83弾といたしまして、静岡県富士市に
掘削された独立混成第一一七旅団の
抵抗拠点陣地をご紹介いたします↓




独立混成第一一七旅団は
1945年(昭和20)に編制され、
独立歩兵第七〇七大隊~
独立歩兵第七一二大隊の
6個部隊を基幹としました。

その後、司令部を現在の沼津市に移し
第一総軍の第十二方面軍に所属した
第五十三軍の傘下に入り、
本土決戦に備えて駿河湾の防衛任務に
つきますが、富士市・沼津市の山中に
抵抗拠点となる陣地を構築する途中で
終戦となりました。

富士市については愛宕山周辺に
陣地が現存し、崩落が著しいですが
内部の見学も可能です。



関係者の皆様方と一緒に
富士市内の山中にお邪魔しております↓



今回は東海地方の大御所・空母先生
ご案内の下、市内に残る陣地を
探訪していきます↓



まずは、雨乞山の東側の麓に残る
陣地を見ていきます↓



残念ながら、入口部分は水没し
かなりぬかるんでいます・・・↓



その先は上り坂が続き、右方向に
曲がっているようです↓



右に曲がると、さらに上り坂が続き
出口に到達しますが、土砂の流入が
ひどく、出ることは難しそうです↓



1つ目の陣地の内部図です↓


陣地の総延長は約30メートルを
計測しています。


1つ目の陣地のトレース図です↓

※内示用ですので、一定期間経過後は
 削除する予定です。


次に進んでいきます↓



2つ目の陣地も土砂崩落が
著しいようです↓



規模としては小さく、
L字形に曲がっています↓



残念ながら、曲がった先に出口が
ありますが、土砂で埋まっています↓
fuji13.jpg

壕の総延長は12メートルでした。


2つ目の陣地の背面部分に
コンクリート製の狙撃口がありました↓



構築の途中だったのか、背面部分はなく
ただの壁に狙撃口を設けたような
造りになっていました↓



狙撃口です↓



この狙撃口の背面部分にも
崩落した陣地の入口がありましたが
中に入ることは出来ず詳細不明です↓



2つ目の陣地の周辺をトレースすると
こんな感じになります↓

※内示用ですので、一定期間経過後は
 削除する予定です。


次に進んでいきます↓



3つ目の陣地は、市道沿いに
入口がありました↓



坑道は「コ」の字を描いて
下に向かうように掘削されており
市道の下をはしっているようです↓



こちらも残念ながら最深部は崩落し
閉塞しています↓



坑道延長を19メートル計測したところで
引き返します↓



3つ目の陣地の内部図です↓



3つ目の陣地のトレース図です↓

※内示用ですので、一定期間経過後は
 削除する予定です。


3つ目の陣地の内部図を書いている間に
すじ先生が壕を見つけたようです↓



tonotama先生が手を尽くして
中に入れるようになりました↓



内部は部屋のような空間が
拡がった単一壕のようです↓



最後は愛宕山を目指します↓



4つ目の陣地は、愛宕山付近に
案内板が立てられています↓



南へまくようにして藪漕ぎをすると・・・↓



陣地の入口が残っています↓



4つ目の陣地は、最大規模を
ほこっているようです↓



内部は少々崩落していますが
狙撃口が3ヶ所と弾薬庫と考えられる
部屋状の空間などが残ります↓






案内板が設置されている脇の
入口部分に到達しました↓



4つ目の陣地の総延長は
123.1メートルを計測しています↓



4つ目の陣地の内部図です↓



4つ目の陣地のトレース図です↓

※内示用ですので、一定期間経過後は
 削除する予定です。


時間が圧してきたので、
次の案件に移動していきます↓



【収録遺構】
 陸軍独立混成第一一七旅団
 抵抗拠点陣地(静岡県富士市)

  地下壕 6箇所
  その他 1箇所

【探訪情報】
 2018.12.16  第1回探訪

 歩数(指数) 未計測(100)


後ほどホームページ内でも
ご紹介させていただきますねっ♪


それでは、またお会いしましょうっ★



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皆様、いかがお過ごしでしょうか。


今日から本格的に平日ですかね。
当方は、大好き過ぎてたまらない
お仕事の復帰は約半月先ですが
それまでの間は、仕事同様に
軍跡探訪・我々のホムペ更新・
このブログの更新作業を
きっちりやっていきたいと思います。

三等兵は仕事していないから、
「どうせ暇なんだろ?」などとは
くれぐれも勘違いしないようにっ★

正直、仕事以上に「忙しい」ので
仕事なんかしている場合じゃないです(笑)


さて、今回は美恵軍團「軍報」の
第82弾といたしまして、
静岡県富士市に掘削された
明野陸軍飛行学校富士分教所の
地下壕をご紹介させてくださいませ↓




明野陸軍飛行学校は、戦闘機を使った
射撃や戦技に関する教育と研究を
行う目的で1921年(大正10)に開設し
操縦者を大量に養成する必要が
出てきたことから、1944年(昭和19)に
富士分教所が設置されました。

ここには、幅100メートル・
長さ1,500メートルの滑走路をはじめ
格納庫・兵舎なども建設され
操縦や爆撃の訓練が行われましたが
太平洋戦争の戦局悪化によって
飛行学校を軍隊化して編制された
明野教導飛行師団の拠点としても
施設が使用されました。

現在、跡地は住宅地や畑地に変遷し
面影がありませんが、岩本地区に
燃料類の貯蔵壕がわずかに
残っています。



関係者の皆様方と富士市内に
お邪魔をしております↓



今回も東海地方の大御所である
空母先生のご案内の下、
燃料貯蔵を目的とした地下壕を
見ていきます↓



残念ながら、入口付近から
大水没しており、ウェーダーが
必須となります↓



内部は東西方向に延びる
3本の主坑道に対し、入口を兼ねた
連絡壕が5本設けられています↓



最南端をはしる主坑道は
ほぼ直線に掘削されていますが
北側の2本は曲線部分が多く
かなり歪んでいるようです↓



最北端をはしる主坑道は
一部が水没していない区間があり
少しだけ歩きやすかったです↓



また、一部の坑道の床は
コンクリートで造られており
排水溝が残っています↓



全体的に大水没でしたが
総延長436.8メートルの坑道が
展開していることが判りました↓



地下壕の内部図です↓



googleマップにトレースすると
こんな感じになります↓

※内示用ですので、一定期間経過後は
 削除する予定です。


【収録遺構】
 明野陸軍飛行学校
 富士分教所
 (明野教導飛行師団
  富士飛行場)

  地下壕 1区画

【探訪情報】
 2018.12.16  第1回探訪

 歩数(指数) 未計測(100)


後ほどホームページ内でも
ご紹介させていただきますねっ♪


それでは、またお会いしましょうっ★



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