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戦争遺跡のご紹介やホームページの制作状況などを綴っていきます♪

総軍BLOGへようこそっ!

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祐実総軍三等兵

Author:祐実総軍三等兵
全国に残る戦争遺跡を探訪し
記録することを趣味とする
祐実総軍三等兵ですっ★

稚拙な内容ではございますが
これまでに関係者の皆様方と
見てきた戦争遺跡を中心に、
ブログ・ホームページなどで
順次ご紹介をしていきます♪

よろしくお願いしますっ★

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皆様、いかがお過ごしでしょうか。


またしばらくブログの更新が
途絶えてしまいました。


全て仕事のせいです、ええ…


さて、今回は阪奈軍團「軍報」の
第151弾といたしまして
京都府舞鶴市におかれていた
上安久射撃場の軍用地境界標を
ご紹介させてください↓




上安久射撃場は、舞鶴要塞の
防備のために編成された
要塞砲兵大隊の射撃演習場として
兵営に隣接して設置されました。

現在、跡地のほとんどが
農地となっていますが
外周に設置されていた
軍用地境界標がわずかに
残っています。



前回の記事に引き続き、
西の大御所・盡忠報國先生とともに
舞鶴市内にお邪魔中です↓



戦後、射撃場の跡地は
農地に払い下げられており
現在にいたっていますが
谷戸に挟まれた細長い区画が
その名残です↓



何か遺構が残っていないか
左右を見渡しながら奥に進むと
神社の入口付近に
引き抜かれて放置されている
怪しい標柱が2本ありました↓



よく見ると「陸軍省所轄地」と
書かれておりアタリですが
太陽光のバランスが悪く
写真ではなんだか…ですね↓



逆方向から撮影したら
見やすくなりました↓



引き続き歩いていくと
射撃場の最奥付近に
到達したようです↓



手分けして周辺を
探索していると
斜めになった標柱が
ありました↓



一番見づらい面に
「陸軍省所轄地」と書かれており
撮影アングルに難儀しました…↓



1段下がった場所にも
もう1本ありましたが、
風化が著しくて
よく判りませんでした↓



設置されている場所や
標柱の材質・形状から
クロだと思われます↓



時間が圧しているので
次の案件に向けて進みます↓



【収録遺構】
 陸軍舞鶴要塞
 要塞砲兵大隊
 上安久射撃場

 軍用地境界標 4本

【探訪情報】
 2019.04.12  第1回探訪
 2021.04.09  第2回探訪

 歩数(指数) 未計測(100)


また、後ほどホームページ内でも
ご紹介させていただきますねっ♪


それでは、またお会いしましょうっ★



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皆様、いかがお過ごしでしょうか。


早くも1月が終わりに近付き
せっかくの探訪シーズンなのに
年始の北九州を除いて
実績が0という不甲斐ない日々に
持病の仕事イキイキが始まって
早帰りが出来ないという
残念な状態です…


探訪に繋がらないような
仕事のあり方を心から
嫌っておりまして…


さて、今回は阪奈軍團「軍報」の
第150弾といたしまして
京都府舞鶴市におかれていた
舞鶴要塞砲兵大隊の遺構群を
ご紹介させてください↓




舞鶴要塞砲兵大隊は、舞鶴要塞の
防備を担った砲兵部隊で
1897年(明治30)に編成され、
上安久地区に新設された
兵営に入りました。

その後、1907年(明治40)の
平時編制改正により重砲兵大隊に
改称され、最終的に1936年(昭和11)の
編制改正で重砲兵連隊に昇格し、
1940年(昭和15)以降は
中部軍司令部の隷下に変更され
終戦まで存続しました。

現在、跡地は日星高等学校や
住宅などになっていますが、
校内に遺構が少し残っています。



少し前のお話しになりますが、
西の大御所・盡忠報國先生とともに
舞鶴市内にお邪魔中です↓



さっそく、日星高等学校の入口に
当時の門柱が残ります↓



門柱の反対側は
こんな感じです↓



道路側に舞鶴重砲兵連隊跡と
書かれた石柱が立てられています↓



また、門柱に付随して
わずかに軍用地境界塀も
残されています↓



外側は門柱と同じ白色に
塗装されていますが、
内側はそのままのようです↓



さっそく、高校内を
見学させていただきます↓



校舎付近に木造の建物が
残っていました↓



別アングルから
もう1枚載せてみます↓



現在は学校の物置に
使われているようです↓



この付近は整地されてますが
当時のものと考えられる
建物の基礎や付属構造物の
残骸が点在していました↓






西側に進んでいくと
車庫に活用された
関連施設跡が残ります↓



どこまでが当時のものか
よく判りませんでしたが
基礎は煉瓦で造られており
間違いないですね↓



隣接して基礎の跡も
残されています↓



このすぐ脇に煉瓦製の
西門が残っています↓



さらに敷地の奥に進むと
北東端付近に煉瓦で造られた
倉庫が残っていました↓



両側に互い違いに
3つ入口が設けられており
内部は独立した狭い小部屋に
なっていました↓



ご挨拶を済ませて
今度は敷地の外周を
見ていきます↓



東側に終戦後の航空写真に写る
1棟の長屋がありました↓



ただ、場所が演習場内なので
戦後に建てられた市営住宅の
可能性が高そうですが…↓



このほか、地下壕の
陥没痕のようなものが
敷地西側の山で
見られましたが、
特に遺構と判るものは
ありませんでした…↓



この後は、射撃場の区画に
向かって進みます↓



【収録遺構】
 陸軍舞鶴要塞
 要塞砲兵大隊
 (陸軍舞鶴要塞
  重砲兵連隊,
  陸軍中部軍
  舞鶴重砲兵連隊)

 門柱 2箇所
 建物 2棟
 建物基礎 6箇所
 軍用地境界塀 1箇所


【探訪情報】
 2019.04.12  第1回探訪
 2021.04.09  第2回探訪

 歩数(指数) 未計測(100)


また、後ほどホームページ内でも
ご紹介させていただきますねっ♪


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皆様、いかがお過ごしでしょうか。


1週間近く遠征してたので
今週はおとなしいです(笑)


仕事のことなど1ミクロンも
思い出すことなく没頭した結果、
仕事に復帰した時に
本当に今まで何の作業をしてたか
わからなくなりまして。


もう今年もあと少しですので
仕事は惰性でやっていこうかと(笑)


さて、今回は近代建築寄りに
なってしまいますが、
阪奈軍團「軍報」の第149弾として
大阪府富田林市におかれていた
防空監視哨の建物を
1つご紹介させてください↓




大阪防空監視隊は、本土への
空襲に対する早期発見を目的に
編成された防空監視隊の1つで
大阪市と周辺の防空監視に
あたりました。

富田林防空監視哨は、
大阪防空監視隊が統轄した
防空監視哨の1つであり
1941年(昭和16)頃に
旧国分銀行の本店の屋上に
おかれたようです。

現在、監視哨そのものの遺構は
なさそうですが、1924年(大正13)頃に
建設された旧国分銀行の建物は
現存しており、中内眼科医院が引き継ぎ
市の登録有形文化財に
指定されています。



関西探訪の折、K先生
付き合っていただきまして
近鉄電車の富田林駅に
到着いたしました↓



途中、国の重要伝統的建造物の
保存地区に選定されている
寺内(じない)町を通ります↓



江戸時代のお寺や商家が並び
落ち着いた雰囲気が
とてもよかったです↓



富田林駅から10分ほど歩き
屋上に防空監視哨がおかれた
中内眼科医院に到着です↓



この建物は、旧国分銀行の本店で
1924年(大正13)頃の建築だそうです↓



その後は1942年(昭和17)より
三和銀行が引き継いで
1975年(昭和50)まで銀行として
使われたのち、中内眼科医院の
建物となったそうです↓



建物は鉄筋コンクリート造3階建てで
現在は市の登録有形文化財に
なっています↓



よく見ると屋上に細い鉄塔が
ありますが、もしかしたら
防空監視哨に関わる
ものかもしれませんね…↓



残念ながら内部の見学は
出来ないそうなので
外観を見て引き揚げます↓



【収録遺構】
 大阪防空監視隊
 富田林防空監視哨

 建物 1棟

【探訪情報】
 2021.09.21  第1回探訪

 歩数(指数) 2,996歩(100)


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皆様、いかがお過ごしでしょうか。


残念ながら、週末に台風が
来るということで、士気が
だだ下がりでございます。


仕事以外に何もさせないという
台風の気概を感じ、
社畜かテメ―わ状態です(笑)


日曜以降はちょっと判りませんが
土曜は外に出られなそうですね…


そういった台風イキイキは
夜中にして欲しいですね。


さて、今回は阪奈軍團「軍報」の
第148弾といたしまして
奈良県橿原市におかれた
海軍経理学校橿原分校の
遺構を簡単にご紹介させてください↓




海軍経理学校は、主に会計の
監査などを行う主計科要員を
養成する教育機関で
1907年(明治40)に創設され、
東京の築地に校舎がおかれました。

昭和時代に入ると軍備拡張により
主計科士官の需要が増大したことで
分校が設置されていき、
1945年(昭和20)に、当時の
畝傍中学校の校舎を借用した
橿原分校が開校し、短い期間でしたが
終戦まで存続しました。

現在、跡地は引き続き
奈良県立畝傍高等学校が
使用しており、実際に使われた
校舎が残るほか、耳成山の麓に
掘削途中の地下壕群が残ります。



探訪イキイキ?のK先生
大和八木駅で待ち合わせして
歩いていきます↓



ちょうど、お昼をまわったので
まずはカエル軍団と昼食です↓

※K先生からの提供写真です。


おなかが満たされたところで
耳成山の麓に向かい
地下壕群を見ていきます↓

※K先生からの提供写真です。


耳成山の南側の麓で
崩れて埋まりかけた地下壕を
4ヶ所見ることが出来ました↓






内部はいずれも5メートル前後で
行き止まっており、入口は
木柵で封鎖されているので
サブ郎さんとウィー太郎さんも
安心してカバンから出てきました(笑)↓



さらに周辺も歩いてみたのですが
時期が悪く、このほかには
見つけることが出来ませんでした↓

※K先生からの提供写真です。


耳成山を離れ、今度は
畝傍高校に向けて歩きます↓



現在の畝傍高校の校舎は
昭和8年に建てられたようで
昭和20年の4月から終戦まで
経理学校の校舎として
使用されました↓



このほか、境界柵や
木造の建物が残ります↓



残念ながら、写真を
消失させてしまったので
機会をみて再訪します…↓

※K先生からの提供写真です。


【収録遺構】
 海軍経理学校
 橿原分校

【探訪情報】
 2021.05.04  第1回探訪

 歩数(指数) 4,218歩(80)


また、後ほどホームページ内でも
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皆様、いかがお過ごしでしょうか。


明後日から、東京周辺で
緊急事態宣言が発令されるようですね。


我が社もそうですが、リモートで
仕事できる環境があるのに
通勤を前提とするスタイルは
これまで通りのようです。


このご時世、仕事だけしてりゃ
いいんだと言わんばかりの要請内容で
企業にだけいい思いを
させるわけにはいかない(笑)ので、
職場の感染対策と同じように
こちらも対策をきちんとしたうえで
当方もどんどんやります、どんどん。


要請は、まず企業へどうぞ。
会社が聞く耳をもたないのに
個人だったらお願いを聞くと
思ったら大間違いです。
冗談じゃない。


企業と同じで、こちらにも
スケジュールってものがあるし
遺構も待ってくれないんでね。


さてさて、今日はこんな感じで
朝から社会への不満ばかりを
ぶちまけてしまい恐縮ですが
今回は阪奈軍団「軍報」の
第90弾の続編といたしまして
兵庫県加古川市に展開した
歩兵第一〇六連隊の
消火栓を1つご紹介します↓


なお、これは「後続記事」ですので
よろしければ「本記事」も
ご覧くださいませ↓

 (90)歩兵第一〇六連隊



去年の夏に盡忠報國先生を
囲む会(笑)で消火栓の存在を
教えてもらったので、さっそく
K先生と加古川駅から出発します↓



目的地までのバスが
出発したばかりで、しばらく
来なそうなので、タクシーで
甲南加古川病院まで移動します↓



道路を挟んで病院の向かいにある
官舎内の一角に陸軍徽章が入る
消火栓が残っています↓



陸軍の消火栓は
あまり他でも見ることがなく
貴重だとK先生にお話ししたら
お供のサブ郎さんが熱心に
見学をはじめました(笑)↓



反対側にも陸軍徽章が
入ります↓



このためだけに、それなりに
お金もかけましたので
思い残しのないように
記念写真も撮りました↓



せっかくなので、前回見そびれた
あかり保育園内に残る兵舎も
見に行きましたが、残念ながら
取り壊されてしまったようです…↓



残念ながら、帰りのバスも
目の前で行ってしまったので
タクシー会社に電話をして
迎えに来てもらい、加古川駅へ
帰還しました↓



お供のサブ郎さんが、
おなかが空いたとうるさいので
駅前の和幸さんでとんかつを食べ…↓



K先生とお別れして
次の探訪地である北九州を
目指していきました↓



【収録遺構】
 陸軍第六十三独立歩兵団
 歩兵第一〇六連隊
 (陸軍航空通信学校
  神野教育隊)

   建物基礎 1箇所
   門柱 1箇所
   軍用地境界標 2本
   その他 2箇所

   その他 1箇所(今回追加)

【探訪情報】
 2016.02.20  第1回探訪
 2020.12.29  第2回探訪

 歩数(指数) 約5,000歩(100)


また、後ほどホームページ内でも
ご紹介させていただきますねっ★


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