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戦争遺跡のご紹介やホームページの制作状況などを綴っていきます♪

総軍BLOGへようこそっ!

♦ プロフィール

祐実総軍三等兵

Author:祐実総軍三等兵
全国に残る戦争遺跡を探訪し
記録することを趣味とする
祐実総軍三等兵ですっ★

稚拙な内容ではございますが
これまでに関係者の皆様方と
見てきた戦争遺跡を中心に、
ブログ・ホームページなどで
順次ご紹介をしていきます♪

よろしくお願いしますっ★

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皆様、いかがお過ごしでしょうか。


残念ながら、8月の後半から
大好き過ぎて死にそうなクソ仕事が
忙しくなってしまい、ブログの更新が
パタッと止まってしまいました・・・


定時ダッシュに定評がある私が
残業をするようになってから、
一部の仕事クソオタク共が
「改心」したと喜んでいますが
そんな手には乗らず、引き続き
「拘束」に抗うつもりです。


趣味で仕事をしているわけでは
毛頭ないので、会社のために
みんなで「頑張ろう」などといった
社畜の詭弁は、これからも
聞き入れるつもりは1ミリもないです。


さてさて、仕事「大好き」が災いし
うっかり褒め過ぎてしまったところで
今回は阪奈軍團「軍報」の
第143弾といたしまして、
和歌山県和歌山市の友ヶ島に
おかれていた友ヶ島第一砲台の
遺構群を3回に分けてご紹介します↓




友ヶ島第一砲台は、紀伊水道の
中央に位置する友ヶ島地区に
配備されていた由良要塞の1つで
1890年(明治23)に完成しました。

ここには、27cmカノン砲が
4門据え付けられ、終戦まで
防備につきましたが、終戦後は
一部の施設が爆破処理されました。

現在は、跡地の一部が
友ヶ島灯台となっており、
砲座や掩蔽部・付属施設などの
遺構群が数多く残されています。



友ヶ島にお邪魔しております↓



友ヶ島港から第二砲台を経由して
孝助松海岸方面に進んでいくと
関連する遺構群が点在しています↓



さらに進んでいくと、煉瓦で造られた
トイレ跡が残っています↓



池尻広場付近にも建物跡が
残っています↓



建物跡の背面付近にも
小さなトイレ建物があります↓



ここから反転するように
友ヶ島灯台方面に進んでいくと
もう1つトイレ跡が残っています↓



隣接して建物跡とおぼしき
基礎部分が2ヶ所残ります↓




さらに、貯水施設跡と考えられる
区画が残っています↓



このまま進んでいくと、
砲台の背墻部分にぶつかり
トンネルが設けられています↓



残念ながら、トンネルは通行が
出来なくなっているので、
山越えをして反対側に行きます↓



背墻トンネルの反対側の
入口に隣接して、封鎖された
掩蔽部が2ヶ所おかれています↓



掩蔽部の向かい側に、
砲座・弾薬庫・観測所などの
遺構が残っていますが
時間の都合で次回の掲載に
持ち越します。


【収録遺構】
 陸軍由良要塞
 友ヶ島第一砲台
 
   建物 2箇所
   地下施設 2箇所
   トンネル 1箇所
   建物基礎 4箇所
   その他 3箇所

【探訪情報】
 2008.03.16  第1回探訪

 歩数(指数) 未計測(100)


後ほどホームページ内でも
ご紹介させていただきますねっ♪


それでは、またお会いいたしましょう★



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皆様、いかがお過ごしでしょうか。


ここのところ、関東地方は
天気がパッとしませんね・・・
暑さが収束して、ある意味で
過ごしやすいのですが
傘が手放せないのが面倒です。


世の中、自分の思い通りには
いかないものです。


さて、今回は阪奈軍團「軍報」の
第142弾といたしまして、
兵庫県西宮市に掘削された
甲陽園地下工場の遺構を
1つだけご紹介させてくださいませ↓




川西航空機は、この前身である
川西機械製作所から飛行機部が
独立する形で1928年(昭和 3)に
設立された民間の航空機製作会社で
主に海軍で使う航空機を
製造するための工場が兵庫県を中心に
たくさんおかれていました。

そのなかで鳴尾製作所は、
主に水上機の製造を目的として
1930年(昭和 5)に開設されました。

太平洋戦争の末期は、防空対策のため
甲陽園に地下工場が建設されましたが
完成することなく終戦となりました。

現在、跡地の大半が住宅地に
変遷していますが、わずかに
地下工場の一部が残っています。



我が総軍大元帥とともに
阪急電車の甲陽園駅に
到着でございます↓



壕口まで歩いて向かう途中にある
公園内に甲陽園地下壕群の看板が
立てられています↓



甲陽園地下壕群は、
川西航空機の地下工場と
大阪海軍警備府の地下壕の
総称であり、7か所にわたって
掘削されたことが判っていますが
資料に乏しく、厳密な区分けが
出来ておりません・・・


別の日にも盡忠報國先生・K先生とも
探訪させていただきました↓



ここから、約15分ほど北上した
マンション付近に地下工場の
壕口が1箇所だけ残っています↓



軍跡探訪にあまり関心がない
総軍大元帥も立派にお仕事を
こなされました(笑)↓



壕内は、住宅の基礎部分とぶつかり
途中で塞がっているため、
土砂や水が溜まっています↓



現存するのはここだけのようですが
多くの地下壕が塞がれて
面影がなくなっている現在、
とても貴重な遺構といえます。


【収録遺構】
 川西航空機
 鳴尾製作所
 甲陽園地下軍需工場
 
   地下壕 1箇所

【探訪情報】
 1997.12.20  第1回探訪
 2008.01.26  第2回探訪
 2017.03.19  第3回探訪
 2019.07.21  第4回探訪

 歩数(指数) 未計測(176)


後ほどホームページ内でも
ご紹介させていただきますねっ♪


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皆様、いかがお過ごしでしょうか。


台風が西日本に接近するようで。。。
関西の電車が運休しそうなので
「俺、いけねーわ」と職場で言ったら
総スカンを喰らいました(笑)


これだから、仕事イキイキは
ダメなんですよ。


仕事イキイキのくせして、職場で
面白いことの1つも言えないなんて
とても「残念」ですね。


さてさて、今回は阪奈軍團「軍報」の
第141弾といたしまして、
兵庫県西宮市におかれていた
三重海軍航空隊西宮分遣隊の
唯一ともいえる遺構である神風神社の
社殿を簡単にご紹介します↓




西宮分遣隊は、三重海軍航空隊の
派生隊で、海軍航空兵を養成する
制度の1つである予科練への教育を
目的として1944年(昭和19)に
関西学院の校舎を接収して
開隊しました。

その後、滋賀海軍航空隊の
分遣隊となりますが、航空隊に昇格し
1945年(昭和20)6月の予科練教育の
凍結まで存続しました。

現在、跡地は関西学院大学の
キャンパスとなり面影はありませんが
隊内神社としておかれた
神風神社の社殿が解体を免れ
上ケ原八幡神社に遷座されています。



巷では「水魚の交わり」といわれている
西の大御所・盡忠報國先生と、
初顔合わせをさせていただいたK先生と
我が総軍大元帥の名代である
ウィー太郎くんと西宮市内に入りました↓



上ケ原八幡神社の境内に
西宮海軍航空隊の碑が
建立されています↓



横には九七式戦闘機のものといわれる
プロペラと、爆沈特設掃海艇の錨が
おかれていました↓



普段は食べ物しか関心を示さない
ウィー太郎くんも熱心に
見学していました(笑)↓



その奥には隊内神社であった
神風神社の社殿があります↓



この後は、かつての当方の
地元であった宝塚市の
零戦のレプリカが目印の
宝塚聖天にご案内いただきました↓



撮影・見学を満喫される
お二方です↓



あいにく、この日が当方の
帰還日ですので、この後は
大阪市内に戻り、鶴橋の焼肉屋さんに
付き合ってもらい、軽く打ち上げを
させていただきました↓



【収録遺構】
 三重海軍航空隊
 西宮分遣隊
 (滋賀海軍航空隊
  西宮分遣隊,
  西宮海軍航空隊)
 
   その他 1箇所

【探訪情報】
 2019.07.21  第1回探訪

 歩数(指数) 未計測(100)


後ほどホームページ内でも
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皆様、いかがお過ごしでしょうか。


お盆休み期間に入った方も多いと
推察いたしますが、残念ながら
当方は3連休明け早々に
通常勤務に戻ります・・・


他の仕事イキイキ連中にあわせて
もっと夏休みを取りたかったのですが
当方は職場に人がいない時に頑張り
人がいる時に手を抜くタイプですので(笑)


まあ、今のうちに頑張って
去年のようにドカーンと休みを取り
次回のシーズンの遠征に備えようと
考えているところです。


さてさて、今回は阪奈軍團「軍報」の
第140弾の続編といたしまして
京都府舞鶴市におかれていた
金岬砲台の遺構群をご紹介します↓



なお、これは「後続記事」ですので
「本記事」もご覧くださいませ↓

 (140)陸軍舞鶴要塞金岬砲台



前回に引き続き、軍跡探訪ガチ勢の
皆様方と舞鶴市内の山中に
お邪魔しております↓



炊事場や貯水所などが残る
付属施設跡の先を進み、
掘平地の最奥までに行くと
15センチカノン砲を据え付けた
砲座が見えてきます↓



残念ながら草木に埋もれており
全景が判りづらいですね・・・↓



来た道を引き返すように進むと
砲側弾薬庫が残っています↓



砲側弾薬庫の内部です↓



さらに戻るように進んでいくと
高台に観測所跡が残ります↓



その横に砲台長立台が
良好な状態で残ります↓



観測所から少し下ると
付属施設であると考えられる
掩蔽部が2つ残ります↓



2つの掩蔽部は繋がっておらず
観測所に向けて伝声管が
残っていました。


さらに進んでいくと
21センチカノン砲を据え付けた
砲座が4つ残っています↓






1つ目と2つ目の砲座間には
砲台長立台が残ります↓



砲座の背面下付近に、
4つの砲座に挟まれるようにして
砲側弾薬庫が展開しています↓





砲側弾薬庫の内部は
3つとも同じ構造でした↓




さらに戻るように進んでいき
4つ目の砲座を過ぎたところに
見張所と考えられる遺構が残ります↓



すぐ脇には、舞鶴要塞をあらわす
「舞要」と刻まれた標柱が
残っていました↓



用途は判っていませんが
非常に珍しいものだと思います。


さらに戻っていくと
15センチカノン砲を据え付けた
2つ目の砲座が良好な状態で
残っています↓



砲座の背面部分に
砲側弾薬庫が残ります↓



炊事場や貯水所などが残る
付属施設まで戻ってきたので
このあたりで撤収します↓



ここは、もう少しじっくりと腰を据えて
再度、見学したいと思っていますが
関東から、おいそれと行けないのが
ちょっと辛いところですね・・・


【収録遺構】
 陸軍舞鶴要塞金岬砲台

   門柱 1箇所
   地下施設 5箇所
   建物基礎 4箇所
   その他 5箇所

   砲座 6箇所(今回追加)
   観測所 1箇所(今回追加)
   地下施設 7箇所(今回追加)
   その他 4箇所(今回追加)


【探訪情報】
 2019.07.14  第1回探訪

 歩数(指数) 未計測(100)


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既にSNSで発信をしておりますが
本日、8月9日は長崎原爆の祈念日と
三等兵の誕生日でございます m(_ _)m


子供の頃、長崎に原爆が落ちた日が
私の誕生日ということで
変なあだ名がつけられたり、
夏休み期間中なので、私だけ
友達から祝ってもらえなかったりして
誕生日が嫌だった時期もありましたが
軍跡探訪を始めてからというもの、
これを何かの縁と感じており
今やこの日が誕生日でよかったと
本気で思っていたりします(笑)


房総の素掘りトンネル巡り→
地下壕探訪→軍跡探訪と進化して
26年目に入りますが、今後とも
どうぞよろしくお願いします m(_ _)m


さて、今回は阪奈軍團「軍報」の
第140弾といたしまして
京都府舞鶴市におかれていた
金岬砲台の遺構群を2回に分けて
ご紹介させていただきます↓




金岬砲台は舞鶴要塞の1つで
1900年(明治33)に完成しました。

ここには、21センチカノン砲が4門と
15センチカノン砲が4門据え付けられて
防備につきましたが、1934年(昭和9)の
要塞整理処理要領に基づいて
廃止となりました。

現在、跡地は山林に変遷していますが
砲座や掩蔽部・付属施設の跡などが
良好な状態で残り、簡単に
見学することが出来ます。



軍跡探訪ガチ勢の皆様方と
舞鶴市内の山中を進みます↓



そんな軍跡イキイキのメンバー方を
おピンちゃん先生のお遣いが
出迎えてくれました(笑)↓



鬱蒼としていますが、なだらかな
軍道跡を約20分ちょっと進むと
門柱があらわれます↓



門柱を過ぎて少し進んだところに
炊事場とおぼしき建物跡が
残っています↓



すぐ横に、排水溝跡も
残っています↓



お馴染みの貯水所の遺構群も
ありました↓




炊事関係の遺構群を見ながら
さらに奥に進んでいくと
5連掩蔽部が登場します↓



5つの掩蔽部の内部は
どれも同じ構造です↓



これらは最奥部分で連絡通路が
設けられているため、両隣に
抜けることが出来ます↓



5連掩蔽部の向かい側に
トイレ跡が残っています↓



その近くにも関連する
建物跡が残っています↓




さらに砲座に向かって進むと
貯水所の遺構群が残ります↓




貯水所の規模や構造は、
さきほどの炊事場のものと
おおよそ同じようです。


この先を進んでいくと砲座や
砲側弾薬庫・観測所の遺構が
残っていますが、時間の都合で
続編として掲載させてください m(_ _)m



【収録遺構】
 陸軍舞鶴要塞金岬砲台

   門柱 1箇所
   地下施設 5箇所
   建物基礎 4箇所
   その他 5箇所

【探訪情報】
 2019.07.14  第1回探訪

 歩数(指数) 未計測(100)


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 (今日はお誕生日です エヘエヘ)