戦争遺跡のご紹介やホームページの制作状況などを綴っていきます♪

総軍BLOGへようこそっ!

♦ プロフィール

祐実総軍三等兵

Author:祐実総軍三等兵
全国に残る戦争遺跡を探訪して
記録することを生き甲斐とする
祐実総軍三等兵でございます★
稚拙な内容ではございますが、
これまで調べてきた戦争遺跡を
ブログ・ホームページで紹介を
させていただいておりますっ♪

よろしくお願いしますm(__)m

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皆様、月曜日をいかがお過ごしですか?

三等兵は「廃車」の日まで
残り9営業日となりました。
そろそろ「本線」から退きたいと
思っているのですが、
まだまだのようです・・・

終始、優等運用について
惜しまれながら「有終の美」を
「飾りたい」だなんて、1ミクロンも
考えてないところがミソです。
だって、話が通じないんだもん。

「惰性」で乗り切ります(笑)


さてさて、本日は阪奈軍團の
「軍報」の第83弾といたしまして
兵庫県神戸市におかれていた
川西航空機甲南製作所の
建物群を2つばかりご紹介します↓




川西航空機は、前身である
川西機械製作所から飛行機部が
独立する形で1928年(昭和 3)に
設立された民間の航空機製作会社で
主に海軍で使う航空機を製造し
代表する製作機として「二式飛行艇」や
「紫電改」などがあり、兵庫県内を中心に
多くの製作所を抱えていました。

その中で甲南製作所は、海軍からの
拡張要請を受けて1942年(昭和17)に
開設され、主に「二式飛行艇」を
中心とする大型飛行機の組み立てが
行われましたが、太平洋戦争末期に
受けた空襲で大半が消失し、
壊滅状態となりました。

現在、敷地跡の大半が新明和工業の
甲南工場となっており面影が
ありませんが、当時の建物が
残っています。



遠征探訪時の「混結」相手となる
おピンちゃん先生と一緒に
阪神電車の深江駅付近に
お邪魔しております↓


ホームページのシナリオ上では
阪奈軍團と密接に提携させて
もらっている大日本者神國也
盡忠報國先生からの事前情報を
もとに探訪していきますっ★


総組立工場です↓



さすがっ!
フレームに入りきらないほどの
巨大な建物です(驚)


この奥に滑走台もあるそうですが
学生さん達が海洋実習を
一生懸命にやっておられたので
今回は見学を断念しました。


熱処理工場です↓



このまま青木駅まで歩き、
阪神電車で三宮に戻りました↓



【収録遺構】
 川西航空機
 甲南製作所

   建物 2棟

【探訪情報】
 2017.03.19  第1回探訪
 
 歩数(指数) 約3,000歩(67)


詳細は、後ほどホームページ内で
ご紹介させていただきますねっ★


それでは、またお会いいたしましょうっ!



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皆様、いかがお過ごしでしょうか。

仕事を想うと、しゃっきりしちゃって
夜も眠れない日々が続いてますが
(仕事、だーいすきなんです)
今週に1つの「山場」をむかえるので
変則的なブログ更新です・・・


本日は阪奈軍團「軍報」の
第82弾といたしまして
陸軍三木飛行場の遺構群のうち
兵庫県加古郡稲美町に位置するものを
いくつかご紹介させてくださいませ↓




三木飛行場は、陸軍の飛行部隊の
教育と訓練を行う目的で設置された
飛行場で、太平洋戦争での戦局が
劣勢になりつつあった
1944年(昭和19)に建設が急ピッチで
開始されました。

翌年の1945年(昭和20)に、
199ヘクタールにもおよぶ
広大な敷地に、3本の滑走路が完成し
戦争末期に特攻作戦を行うための
中継飛行場として使用されたようです。

現在、飛行場跡は三木市・加古川市・
稲美町にまたがっており、
そのほとんどが農地や工場に
変遷していますが、当時の遺構が
残っています。



探訪前日に、おピンちゃん先生
「仲間」に加わった北野出身の
ウィー太郎君は、二日酔いにつき
ホテルで留守番です(笑)↓



新神戸から鈴蘭台まで
タクシーでショートカットして
神鉄電車で志染へ行きます↓



志染駅からは再びタクシーの
お世話になり現地に到着です↓



今回も、阪奈軍團が密接に
提携させてもらっている
大日本者神國也
盡忠報國先生からの事前情報をもとに
探訪していきますっ★


飛行場敷地の南東にあたる
山林内に軍用地境界標が
残っています↓



続いて飛行場敷地の東端部分へ
駒を移していきます↓



藪地に突入していきます↓



軍用地境界標が残ります↓



この周辺に、塹壕のような
掘り込みが残っていました↓


山林内には野バラが多く
おピンちゃん先生の全身に
トゲが刺さってしまい、
血だらけになっちゃいました・・・

おピンちゃん先生の士気に
三等兵も引きずられてしまい
この周辺の捜索を断念しました。

せっかく、事前情報をもらったのに
満足な記録が出来ず、
申し訳ないです・・・


低い士気のまま、敷地の
北東部に移動していきます↓



軍用地境界標が残ります↓



ここから少し北に進んだ
三木市側の山林内にも
いくつか軍用地境界標が
残っているようなのですが、
おピンちゃん先生の顔色も
あまり芳しくないので、
敷地の南西付近にあたる
加古川市側に転進します↓



ここで、痛恨のミスっ!
士気の低さが災いして
中央池の南に位置する
稲美町最大の遺構といえる
格納庫の基礎部分を
「素通り」してしまいました・・・

ここは、時期を改めて
再訪することにしますっ!
でも、おピンちゃん先生の
賛同が得られるかどうか(笑)


【収録遺構】
 陸軍三木飛行場(稲美町)

   軍用地境界標 3本
   その他 1箇所

【探訪情報】
 2017.03.20  第1回探訪
 
 歩数(指数) 6,483歩(68)


我々のホームページでは、
懇意にさせていただいている
盡忠報國先生からご提供いただいた
格納庫の基礎部分の写真を含めて
ご紹介させていただく予定ですっ★


それでは、またお会いいたしましょうっ!



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皆様、月曜日をいかがお過ごしでしょうか。

プロゴルファーの宮里藍選手が
今季限りで引退を表明しましたね。
「お疲れ様でした」と言いたいですが、
「私より一回りも若いのに引退かぁ」と
客観的に思ってもしまいますね。

やはり「プロ」になると、私みたいな
ど素人なんかには到底解らない
プレッシャーがあるのでしょうね。

それに比べて、私なんか
常日頃「ヘラヘラ」ばっか
しているから、逆に戦跡探訪は
「病気でくたばるまで現役」を
宣言しちゃいますっ(笑)


さてさて、本日は阪奈軍團「軍報」の
第81弾といたしまして
陸軍三木飛行場の遺構群のうち
兵庫県三木市に位置するものを
いくつかご紹介させてくださいませ↓




三木飛行場は、陸軍の飛行部隊の
教育と訓練を行う目的で設置された
飛行場で、太平洋戦争での戦局が
劣勢になりつつあった
1944年(昭和19)に建設が急ピッチで
開始されました。

翌年の1945年(昭和20)に、
199ヘクタールにもおよぶ
広大な敷地に、3本の滑走路が完成し
戦争末期に特攻作戦を行うための
中継飛行場として使用されたようです。

現在、飛行場跡は三木市・加古川市・
稲美町にまたがっており、
そのほとんどが農地や工場に
変遷していますが、当時の遺構が
残っています。



前回に引き続き探訪します↓


今回も、阪奈軍團が密接に
提携させてもらっている
大日本者神國也
盡忠報國先生からの事前情報をもとに
おピンちゃん先生と記録していきますが
序盤でバラのトゲにやられて
士気がだだ下がりです・・・↓



まずは、中央池の北側に
展開する山林を攻めます↓



軍用地境界標が残っています↓



さらに進んでいくとY字形の
地下壕崩落跡も残っていました↓



ここから、さらに進んでいくと
軍用地境界標が10本前後
残っているそうなのですが、
体力を考えて断念しました。。。


中央池の北西付近に転進です↓



駐機場の跡が残ります↓



この周辺に飛行機掩体の
土塁がわずかに残っています↓



水槽も残っていました↓



さらに北西を攻めていきます↓



軍用地境界標が残ります↓



ここでおピンちゃん先生に
待機をお願いして突撃します↓



飛行機掩体が2つ残ります↓




周辺の藪にも関連遺構と思われる
円形の窪みが残っていました↓



単独で激藪の中を猛攻し、他にも
軍用地境界標が残っていないか
あがいてみましたが、
敗走いたしました(笑)


この北側をはしる県道に向かって
歩いている途中の山林内にも
軍用地境界標が残っていました↓



この周辺にも、関連遺構と思われる
円形の窪みが残っています↓
P1230292.jpg


ちょうど、県道に到達したところで
バス停がありましたが、
バスの時間まで50分近くあり、
近くのとんかつ屋さんで
遅いお昼ゴハンにありつきました(笑)


無事、神鉄電車の三木駅に
到着し、宿に帰還します↓



たまたま10分ほど待ったら
電車が来たからよかったのですが
日中は1時間に1本しか来ないことを
後で知りました・・・↓



探訪当日は、遠征最終日だったので
いったんホテルに戻り、着替えた後に
神戸市内の夜景を楽しみました↓




全身にバラのトゲが刺さっちゃって
傷を負ってしまったおピンちゃん先生は
ここにきて士気を盛り返しました(笑)


ここから大急ぎでタクシーに乗って
新神戸に戻り、ホテル内の
中華料理屋さんで乾杯しました↓



総括すると、三木飛行場の探訪は
交通のアクセスがよくないこともあり
せっかく盡忠報國先生から
事前に教えていただいたのに
全体の半分くらいしか見ることが
出来ませんでしたが、土地勘がない
初回にしてはよかったと思ってます。


宿からの夜景もなかなかでした↓



おピンちゃん先生の「仲間」に
加わった北野出身の
ウィー太郎君も一緒に入れて
最上階のバーで2次会もしました↓



【収録遺構】
 陸軍三木飛行場(三木市)

   飛行機掩体 3箇所
   軍用地境界標 3本
   その他 5箇所

【探訪情報】
 2017.03.20  第1回探訪
 
 歩数(指数) 8,978歩(72)


詳細は、後ほどホームページ内で
ご紹介させていただきますねっ★


次回の阪奈軍團「軍報」は、
時系列が前後しますが
引き続き、加古郡稲美町に分布する
遺構をご紹介予定ですっ♪


それでは、また明日っ!



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 (のちほど、お返しポチも
 させていただきますね~)

皆様、いかがお過ごしでしょうか。

やっと、週末ですね。。。
この1週間、三等兵は地獄でしたね。

全ては、好き過ぎてたまらない
クソったれ仕事のおかげですわ。
お仕事、最高っ!

さてさて、仕事に対する
私の意気込み具合を
皆様に知っていただいたところで
「軍報」を掲載させていただきますね。


今回は阪奈軍團から
第80弾といたしまして、
陸軍三木飛行場の遺構群のうち
兵庫県加古川市に位置するものを
ご紹介させてくださいませ↓




三木飛行場は、陸軍の飛行部隊の
教育と訓練を行う目的で設置された
飛行場で、太平洋戦争での戦局が
劣勢になりつつあった
1944年(昭和19)に建設が急ピッチで
開始されました。

翌年の1945年(昭和20)に、
199ヘクタールにもおよぶ
広大な敷地に、3本の滑走路が完成し
戦争末期に特攻作戦を行うための
中継飛行場として使用されたようです。

現在、飛行場跡は三木市・加古川市・
稲美町にまたがっており、
そのほとんどが農地や工場に
変遷していますが、当時の遺構が
残っています。



遠征時の混結相手の筆頭にあたる
おピンちゃん先生と加古川市の
北東部にお邪魔しております↓


今回は、阪奈軍團が密接に
提携させてもらっている
大日本者神國也
盡忠報國先生からの事前情報を
もとに探訪していきますっ★

無知の三等兵に、貴重な情報を
ご提供いただきました
盡忠報國先生に、この場をお借りして
お礼を申し上げます。
ありがとうございました m(_ _)m


早速、山林に入りましたが、
土質が脆く危険な箇所があるため
おピンちゃん先生に待機をお願いし
単騎で乗り込んでいきます↓



軍用地境界標が残っています↓



標柱は、いずれも背面部分に
通番を表す番号が刻まれています。


さらに山林を進んでいくと、
飛行場の防衛のために
構築された高射砲陣地の
砲座部分が2つ残っています↓




これも高射砲台に関連する
掘り込みであると思われます↓



【収録遺構】
 陸軍三木飛行場(加古川市)

   軍用地境界標 2本
   砲座 2箇所
   その他 1箇所

【探訪情報】
 2017.03.20  第1回探訪
 
 歩数(指数) 約2,000歩(86)


詳細は、後ほどホームページ内で
ご紹介させていただきますねっ★


次回の阪奈軍團「軍報」は、
引き続き、三木市に分布する遺構を
ご紹介予定ですっ♪


それでは、また明日っ!



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 (のちほど、お返しポチも
 させていただきますね~)

皆様、いかがお過ごしでしょうか。

昨日に引き続き、関東地方は
ひんやりしていますね。
予報だと、昨日よりは気温が
上がるって言ってたよね?
「予報」なんで、仕方ないか・・・


さて・・・
本日は阪奈軍團「軍報」の
第79弾といたしまして
前回のブログ更新直前に
めでたく記事を全消失させた
友ヶ島第四砲台のご紹介です↓





友ヶ島第四砲台は、紀伊水道の
中央に位置する友ヶ島地区に
配備されていた由良要塞の1つで
1892年(明治25)に完成し、
最重量級である28cm榴弾砲が
6門据え付けられていました。

この砲台の首線は南西40度で、
対岸におかれた加太・深山地区の
砲台群と連携し、主に友ヶ島南方と
中ノ瀬戸・加太方面へと砲撃を
意図していましたが、
友ヶ島第三砲台と同様に
由良要塞の主力砲戦砲台として
360度の全周射界を持っていました。

大正時代に入ると、装備が
旧式化したことにより、要塞整理計画の
一環で廃止され、その後は
活用されることなく
現在にいたっていますが
沖ノ島全域が国立公園として
整備されており、砲座や観測所などを
簡単に見学することが可能です。



1番船が「満員」で乗船出来ず、
やむなく2番船で友ヶ島に上陸です↓



今回も、暑さでバテバテの
おピンちゃん先生と探訪します↓



桟橋からひたすら歩き、
砲台の入口に到着です↓



関連施設の跡でしょうね・・・↓



門柱が残ります↓



門柱を抜けると看守衛舎と
おぼしき建物が残ります↓



看守衛舎に隣接して
付属建物の基礎部分が
残っていました↓



田倉崎砲台や加太砲台などにも
見られた飲料水路の標柱です↓



少し下ったところに3連の
掩蔽部が残ります↓



最左側の背墻トンネルから
入っていきます↓



トンネル内で砲側弾薬庫に
接続しています↓



さらに、トンネル内で分岐する
階段を介して左翼砲台長の
立台に接続していますが
ハシゴがないため上がれません↓



トンネルは階段を介して
横墻トンネルにぶつかります↓



横墻トンネルから1つ目の砲座に
到着しました↓



横墻トンネルを戻るように進むと
2つ目の砲座に到達します↓
P1190025.jpg


2つ目の横墻トンネルに入ります↓


2つ目の横墻トンネルの
基本構造は、砲台長立台の
階段を除けば1つ目と同じ造りで
背墻トンネルと砲側弾薬庫に
接続されています↓




2つ目の横墻トンネルを抜けると
3つ目の砲座が残っています↓



3つ目の横墻トンネルに入ります↓


3つ目の横墻トンネルは、
1つ目の横墻トンネルと構造が
似ており、砲側弾薬庫と
背墻トンネルと右翼砲台長の
立台に接続されていますが・・・↓




3つ目のトンネルの特異な部分として
螺旋階段を介して観測所と
掩蔽部に接続しているところです↓





観測所が残ります↓



夏場ということもあって
トラップにかかった
虻・蚊が大量でしたよ・・・
ここは冬場の探訪を
お奨めしますっ!


【収録遺構】
 陸軍由良要塞
 友ヶ島第四砲台

   門柱 1箇所
   建物 1棟
   建物基礎 2箇所
   砲座 3箇所
   観測所 1箇所
   地下施設 7箇所
   トンネル 6箇所
   その他 3箇所

【探訪情報】
 2016.07.18  第1回探訪
 
 歩数(指数) 約2,000歩(100)


詳細は、後ほどホームページ内で
ご紹介させていただきますねっ★


それでは、また明日っ!



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