戦争遺跡のご紹介やホームページの制作状況などを綴っていきます♪

総軍BLOGへようこそっ!

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祐実総軍三等兵

Author:祐実総軍三等兵
全国に残る戦争遺跡を探訪し
記録することを趣味とする
祐実総軍三等兵ですっ★

稚拙な内容ではございますが
これまでに関係者の皆様方と
見てきた戦争遺跡を中心に、
ブログ・ホームページなどで
順次ご紹介をしていきます♪

よろしくお願いしますっ★

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皆様、週末をいかがお過ごしですか。


今週は都内へ軽い探訪を
予定していたのですが、
特に強い意思がなかったため
日中からお酒を飲んでしまい、
グダグダになりました(汗)


個人的に、探訪シーズンは
秋まで休みといったところですが
藪漕ぎを必要としない
近場の市街地の遺構群を
次週から見ていこうと思います。


さてさて・・・
本日は阪奈軍團「軍報」の
第120弾といたしまして
大阪府交野市・枚方市に
またがって敷設されていた
東京第二陸軍造兵廠香里製造所の
軍用線のうち、交野市内に残る
軍用地境界標群をご紹介します↓




戦時中、片町線 (現:学研都市線)の
星田駅より、枚方市におかれていた
香里製造所へ向かって軍用の
引込線が敷設されていました。

軍用線は、1941年(昭和16)9月に
開通し、大阪造兵廠枚方製造所と
京都におかれた同廠の
宇治製造所からの砲弾・爆弾の
資材搬入や、香里製造所から
京都の祝園火薬貯蔵庫へ向けた
完成品の搬出に使用され、
鉄道による砲弾の生産工程と
搬送するネットワークが
確立されていました。

終戦と同時に軍用線は役目を終えて
廃線となり線路は撤去され、
現在は道路になっていますが
星田北 7丁目周辺を中心に、
軍用線の跡と判る盛土や
軍用地境界標が残存しています。



遠征時のパートナーである
おピンちゃん先生と学研都市線の
星田駅に到着いたしました↓



線路に沿って西に少し進むと
畑の中に軍用地境界標が
2本残っています↓




引き返すようにして、今度は
線路に沿って東に進みます↓



さらに進んでいくと、軍用線は
東から北へ転進していきますが、
周辺の畑地内に軍用地境界標が
3本残っていました↓





軍用線が北向きとなる部分に
線路の名残である盛土が
残っています↓



軍用線は、さらに北上していき
枚方市内に入っていきますが
そちらは別掲載とさせてください★


【収録遺構】
 東京第二陸軍造兵廠
 香里製造所
 星田軍用線(交野市)

   軍用地境界標 5本
   その他 1箇所

【探訪情報】
 2007.07.09  第1回探訪
 2013.11.25  第2回探訪

 歩数(指数) 未計測(128)


それでは、またお会いいたしましょうっ♪



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皆様、いかがお過ごしでしょうか。


やっと、木曜日の業務が終了ですね。
平日は、本当に時間が経つのが
遅いですね・・・

楽しいことをしている時に限って
時間の経過が早いくせにね。


さてさて、本日は阪奈軍團「軍報」の
第119弾といたしまして、
大阪府大阪市におかれていた
藤永田造船所の遺構群を
ご紹介させてくださいませ↓




藤永田造船所は、造船や鋳鉄管・
鉄道車両などの製造を目的に、
この前身の兵庫屋からの改称で
1874年(明治 7)に設立されました。

大正時代に入ると、規模が拡大されて
敷津工場が新設されると
海軍の指定工場となり、
駆逐艦の建造に携わるように
なりました。

その後、ロンドン海軍軍縮会議により
駆逐艦の建造が制限されたことで
会社は低迷しますが、日中戦争への
突入の過程で艦艇や船舶の需要が
急増して業績が回復し、
「駆逐艦の藤永田」とも称されるほどに
なりました。

現在は敷地規模を縮小して
三井造船に吸収合併されていますが
当時の建物や護岸が残存しています。



前回の記事に続きまして
西日本地方における軍跡探訪の
権威である盡忠報國先生
ご案内の下、大阪市内にお邪魔中です↓



軽快に高台を歩く盡忠報國先生の後を
必死になって追従します(笑)↓



第三製缶工場の建物です↓



側面から見るとこんな感じです↓



隣接して第二製缶工場が残ります↓



こちらは、側面を撮りませんでしたが
ノコギリ屋根になっているのが
判るかと思います↓


これらの建物では、艦艇・船舶の
機関を製造していました。


敷地の北側には、進水後の艦艇・
船舶の艤装を行っていた
入堀の護岸がわずかに残ります↓



他にも、あやしい煉瓦製の建物が
残っていましたが・・・↓


盡忠報國先生がおっしゃる通り
終戦後(1948年)の空撮には
写っていないようです・・・


敷地を1周した後は、藤井寺市内
駒を進めた2人でしたっ!


【収録遺構】
 藤永田造船所

   建物 2棟
   その他 1箇所

【探訪情報】
 2018.04.14  第1回探訪

 歩数(指数) 未計測(80)


後ほど、我々のホームページにも
掲載予定ですっ★


それでは、またお会いいたしましょうっ♪



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皆様、いかがお過ごしでしょうか。


いやぁ、ゴールデンウィークが
終わってからというもの、
関東地方は寒いし雨だし
いいことが全くありませんね。。。

とはいえ、休日に雨風になるよりは
はるかにマシだと思ってますが・・・


さて・・・本日は阪奈軍團「軍報」の
第118弾といたしまして、
大阪府大阪市におかれていた
海軍艦政本部大阪倉庫の遺構群を
ご紹介させてくださいませ↓




艦政本部は、艦船を製作して
供給を行うための事務を掌る
海軍省の外局にあたる組織として
1900年(明治33)に開設されました。

大正時代に入ると、大阪市内を
ながれる木津川・尻無川沿いに
藤永田造船所をはじめとした
海軍指定工場が多く設置されたことで
原料や完成品などの保管を
目的として、現在の大正区に
倉庫が設置されていたようです。

現在、跡地は大阪製鐵の
恩加島工場に変遷していますが
当時の遺構が残っています。



今回が「初」となる盡忠報國先生との
探訪に馳せ参ずべく、大阪市内に
お邪魔をしています↓


いつもであれば、盡忠報國先生
ブログを参考に巡るところですが、
今回は直接ご案内いただきました!
本当にありがたいお話しです★


門柱が2箇所残っています↓




軍用地境界塀も2区画にわたって
長い区間が残っていました↓




大阪製鐵の敷地内にも
当時の倉庫建物が2つ残ります↓



1948年(昭和23)の航空写真にも
写っているので、当時のものに
間違いないでしょうねっ↓



この後は藤永田造船所跡を
探訪しましたが、これは別の記事に
させてくださいませっ★


【収録遺構】
 海軍艦政本部
 大阪倉庫

   建物 2棟
   門柱 2箇所
   軍用地境界塀 2区画

【探訪情報】
 2018.04.14  第1回探訪

 歩数(指数) 未計測(100)


後ほど、我々のホームページにも
掲載予定ですっ★


それでは、またお会いいたしましょうっ♪



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皆様、いかがお過ごしでしょうか。


残念ながら、連休のダラダラが
全然抜けておりません・・・
今週いっぱいはダメですね(笑)

連休明けで仕事に張り切っている方も
いらっしゃいますが、私は張り切る場面が
全然違うところですので、別で
それを行使しようと思っておりますっ!


さてさて・・・
本日は阪奈軍團「軍報」の
第117弾といたしまして、
大阪府河内長野市におかれた
大阪防空監視隊に所属する
天見防空監視哨の遺構群を
簡単にご紹介させてくださいませ↓




大阪防空監視隊は、本土への
空襲に対する早期発見を目的に
編成された防空監視隊の1つで
大阪市と周辺の防空監視に
あたりました。

天見防空監視哨は、
大阪防空監視隊が統轄した
防空監視哨の 1つであり、大阪府と
和歌山県の境界付近にあたる
菊水台に設置されました。

現在、監視哨の跡地は
山林に変遷していますが、
聴音壕をはじめとした遺構群が
残存しており、見学することが
可能です。



この翌日に予定していた
盡忠報國先生との合同探訪に
馳せ参ずべく、新幹線で大阪へ
向かってまいります↓



新幹線での遠征は、普段であれば
おピンちゃん先生が同行しますが
今回は習い事で欠席のため
単独でトボトボと向かいます↓



新大阪からは御堂筋線で
なんばへ向かっていきます↓



なんばからは南海電車で
河内長野方面に進みます↓

※写真は別の日に撮影しました。


約50分ほど区間急行の
お世話になりました↓



天見駅に到着しました↓



あらかじめ盡忠報國先生から
教えてもらっている位置情報を
片手に南東の山頂を攻めます↓



山頂への取り付け口で一服し
軍備を整えて気勢を上げていきます↓



悪路を上っていきます↓



堆積する落ち葉に滑りながら
どんどん上っていきます↓



約20分ほど山道を上がっていくと
聴音壕が残っています↓



塹壕も良好な状態で残ります↓




少し離れた場所に、関連する
コンクリートの基礎が残ります↓



残骸ですが、これも関連遺構であると
思われますね↓



ここから南西の谷底付近にも
兵舎の痕跡があるそうですが
下っている途中に堆積した落ち葉で
滑落しそうになったため、
これ以上の探訪は止めました・・・


大急ぎで下山して天見駅に戻り
今度は信太山憲兵分遣所跡
駒を進めていきました↓



【収録遺構】
 大阪防空監視隊
 天見防空監視哨

   その他 5箇所

【探訪情報】
 2018.04.13  第1回探訪

 歩数(指数) 約3,000歩(100)


後ほど、我々のホームページにも
掲載予定ですっ★


それでは、また明日っ♪



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皆様、いかがお過ごしでしょうか。


ゴールデンウィーク、始まりましたね★
残念ながら、当方は軍資不足により
期間内の遠征は予定しておりません(涙)

とりあえずは、夏に予定している
広島・呉探訪のために、
軍資をストックしようと思ってますっ!


さて・・・
本日は阪奈軍團「軍報」の
第116弾としたしまして
奈良県天理市に掘削された
奈良仮行宮の地下壕を
ご紹介させてくださいませ↓




奈良仮行宮は、太平洋戦争の
末期に策定した本土決戦計画に
基づき、海軍が推進した
天皇陛下の仮宮として、
奈良海軍航空隊の格納壕を
転用して整備が進められました。

工事は同航空隊の約2,000名の
予科連生によって計画の
90パーセントを完成させましたが
終戦となりました。

当時は2層構造の総檜造りで、
下層の中央には20畳ほどの
御座所があったようですが、
現在は崩落しており、
わずかに上層部分の坑道が
残存するのみとなっています。



天理市内の山中にお邪魔しています↓



前回の記事に続き、関西地方の
軍跡探訪の権威である盡忠報國先生
ご案内いただきますっ★


写真正面の山林内を目指します↓



盡忠報國先生と藪漕ぎ開始です↓



しばらく山林内を進んでいくと
入口部分がわずかに開口しています↓



残念ながら、土砂崩落が著しく
唯一の開口部も50センチほどの
隙間しか開いていませんが
せっかく、このような機会に
恵まれたのですから、
服の汚れを気にしている
場合ではございませんっ!


突入に成功しましたっ★↓



内部は埋め戻されていたり・・・↓



大規模に崩落していたり・・・↓



一部が水没していたりします↓



ここで、バランスを崩してしまい
片足を水没させましたが
長年、探訪したかった地下壕の
1つでもあり、総攻撃中(笑)なので
そんなことはお構いなしでいきますっ!


最奥部分の坑道群は崩落が少なく
歩きやすいです↓




くまなく内部を歩いた結果、
坑道の総延長は335メートルを
計測しました。


地下壕の内部図です↓

※一定期間経過後に削除します。


googleマップに壕内図を
トレースするとこうなります↓

※一定期間経過後に削除します。


【収録遺構】
 奈良仮行宮

  地下壕 1区画

【探訪情報】
 2018.04.14  第1回探訪 

 歩数(指数) 未計測(100)


明日はホームページ関係で
ブログを更新させていただきます。


それでは、またお会いしましょうっ★



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