戦争遺跡のご紹介やホームページの制作状況などを綴っていきます♪

総軍BLOGへようこそっ!

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祐実総軍三等兵

Author:祐実総軍三等兵
全国に残る戦争遺跡を探訪し
記録することを趣味とする
祐実総軍三等兵ですっ★

稚拙な内容ではございますが
これまでに関係者の皆様方と
見てきた戦争遺跡を中心に、
ブログ・ホームページなどで
順次ご紹介をしていきます♪

よろしくお願いしますっ★

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皆様、いかがお過ごしでしょうか。


せっかくの金曜日なのに、
早く帰れず残念ですが、
本日も業後にパッチ作業が
割増なしで予定されているので
早い時間からブログの更新です・・・


今回は阪奈軍團「軍報」の
第111弾といたしまして
大阪府和泉市におかれていた
信太山憲兵分遣所の遺構を
ご紹介させてください↓




信太山憲兵分遣所は、現在の
和泉市内に野砲兵第四連隊が
移駐したことによって
1920年(大正 9)に設置されました。

その後、隷属先や組織の
改正などにともなって
昇格や改称が行われましたが
1945年(昭和20)の最終的な
組織改正によって
中部憲兵隊司令部に隷属する
和泉憲兵分隊となりました。

現在、跡地は伯太宮前公園や
住宅地などに変遷して
面影がない状態ですが、
わずかに長官舎が残っています。



和泉市内に単騎でお邪魔しています↓


今回も、いつものことながら
関西探訪でお世話になっている
盡忠報國先生ブログ
参考にさせていただきながらの
探訪となりますっ★


長官舎が良好な状態で
1棟残っています↓


現在は、住宅に活用されており
とてもきれいですっ★


当時の門柱と思われます↓



【収録遺構】
 陸軍大阪憲兵隊
 大阪憲兵分隊
 信太山憲兵分遣所
 (中部憲兵隊司令部
  和泉憲兵分隊)

   建物 1棟
   門柱 1箇所

【探訪情報】
 2016.07.17  第1回探訪(素通り)
 2018.04.13  第2回探訪

 歩数(指数) 約1,000歩(100)


後ほど、我々のホームページにも
掲載予定ですっ★


それでは、また明日っ♪



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皆様、いかがお過ごしでしょうか。


極めて遺憾(笑)なことですが、
本日は業後にパッチ作業が
割増なしで予定されているので
早い時間からブログの更新です。


今回は阪奈軍團「軍報」の
第110弾といたしまして
大阪府大東市におかれていた
飯盛山防空監視哨の遺構を
1つだけご紹介させてください↓




大阪防空監視隊は、本土への
空襲に対する早期発見を目的に
編成された防空監視隊の1つで
大阪市と周辺の防空監視に
あたりました。

飯盛山防空監視哨は、
大阪防空監視隊が統轄した
防空監視哨の1つであり、
四条畷市と大東市との境界に
位置する飯盛山の山頂に
おかれました。

現在、飯盛山は大阪府内でも
有名なハイキングコースとして
山頂まで登山道が整備されており
展望台付近に鉄筋コンクリート製の
建物が1つだけ残っています。



四條畷神社に来ております↓



飯盛山への山登りルートは
色々とあるようですが、
不慣れ者ゆえ、盡忠報國先生
たどったルートをトレースするように
四條畷市側から上っていきます↓



階段を上がっていきます↓



とにかく上がっていきます↓



30分以上階段を上がります↓


ハアハア、こりゃスゴイです・・・
階段が延々と続きます(汗)


おおっ、あと少しで山頂ですか・・・↓



そう思いきや、ダメ押しの階段です(涙)↓



盡忠報國先生は、大元帥閣下と
一緒に上ったそうですっ(驚)
我が家の大元帥閣下は、
絶対にギブだと思います・・・


ようやく、防空監視哨跡に到着です↓



鉄筋コンクリート製の建物が
1つだけ残っています↓



中に入ると監視窓が3方向に
設けられていることが判ります↓



屋根部分には、3方向に
「国威宣揚」
「四條畷警察署管下警防團」・
「結團記念建之 昭和十四年七月七日」
「施工寄付者 岡田・・・」の文字が
刻まれていました↓



背面の崖下には、建物と
同じ材質の土留擁壁があり、
これも当時のものと推測します↓



飯盛山の山頂からの眺めも
ものすごくステキでしたっ★↓



【収録遺構】
 大阪防空監視隊
 飯盛山防空監視哨

   建物 1棟
   その他 1箇所

【探訪情報】
 2018.04.13  第1回探訪

 歩数(指数) 約10,000歩(100)


それでは、またお会いいたしましょう★



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皆様、いかがお過ごしでしょうか。


いや~、今日は傘を本拠に忘れて
出社したのですが、帰り際に
雨が降ってきてしまいました・・・

仕方がなく、本拠の最寄り駅で
ビニール傘を買って帰りましたが
すぐに雨が止みやがって(怒)


これだから、平日は嫌ですっ!


仕事も連日の本番障害で
対応に追われまして・・・
おかげで、明日はデータパッチで
深夜勤務です(涙)

パッチくれー、テメ―らでやれよっ!
出来ねーくせに、えばってんじゃねえ。
合意後の不具合を、そもそも
「障害」と呼ぶこと自体がおかしい。
って、言ってやりたいな~(汗)


さて・・・本日も愚痴からの
「軍報」でございます(笑)


今回は阪奈軍團の第109弾として
奈良県天理市におかれていた
海軍第五八一設営隊の遺構を
簡単にご紹介します↓




第五八一設営隊は、
大阪海軍施設部の隷属部隊で
1945年(昭和20)に編成され、
大和海軍航空隊の飛行場機能の
強化拡張を主な任務として
現在の天理市内に、宿舎や
資材置き場などが設置されて
終戦まで存続しました。

現在、跡地の大半が住宅地と
なっていますが、JR桜井線の
柳本駅の東側に、宿舎といわれる
建物群がわずかに残っています。



祐実総軍序列第2位の阪奈軍團が
日頃よりお世話になっている
西日本地方の軍跡探訪の権威である
盡忠報國先生のご案内の下で
天理市内にお邪魔しております↓



JR桜井線の柳本駅付近の一角に
宿舎といわれる建物が残っています↓



現在は建物の一部が
住居となっていますが、
屋根が落ちたりしており、
非常に危険な状態です↓



隣接してもう1棟残っていますが
こちらも非常に状態が悪いです↓



【収録遺構】
 大阪海軍施設部
 第五八一設営隊

   建物 2棟

【探訪情報】
 2018.04.14  第1回探訪

 歩数(指数) 未計測(100)


それでは、またお会いいたしましょう★



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皆様、いかがお過ごしでしょうか。


この時間にブログの更新をする
理由は特にありませんが、
本日は早い時間に済ませます(笑)


今回は阪奈軍團「軍報」の
第109弾といたしまして
大阪府大阪市におかれていた
大阪砲兵工廠の遺構群を
ご紹介させてくださいませ↓




大阪砲兵工廠は、大砲や爆弾などの
兵器を製造する工場として、
明治政府が1870年(明治3)に
この前身にあたる造兵司を
設置したことからはじまり、
大砲製造所・砲兵第二方面砲兵支廠と
名称を変更しながら変遷し、
1878年(明治11)に開設された
陸軍管轄の兵器生産工場です。

その規模は東洋一を誇るもので、
大阪城とその周辺一帯に
広がっていました。

開設当初は、主に大砲などの
重兵器や、砲弾・爆弾を
製造していましたが、1940年(昭和15)に
大阪造兵廠と改称されてからは、
航空機の部品や風船爆弾の
製造が中心となりました。

戦争の拡大に伴って、敷地の拡張と
工員の増員が行われてきましたが、
終戦前日の1945年(昭和20)8月14日に
空襲により壊滅しました。

現在、跡地は大阪城公園や
大阪城ホールなどとなっていますが、
大阪城公園内を中心に遺構が
残っています。



総軍序列第2位の軍團である
阪奈軍團の本拠で、三等兵も大好きな
大阪市内にお邪魔しております↓



砲兵工廠の表門がおかれた
筋鉄門跡の入口より大阪城公園に
入っていきます↓



入口周辺に軍用地境界塀が
残っています↓



入口を抜けてすぐの場所に
守衛所やトイレなどに使われた
多目的建物が残っています↓



これも関連する遺構と思われますが
詳細は判っておりません。。。↓



公園の遊歩道を進んでいくと、
砲兵工廠最大の遺構である
化学分析場の建物が残ります↓



いったん公園を出て市道を
北に進んでいくと、
資材の搬入口に使用された
アーチ状の通用口が残ります↓



さらに北へ進んでいくと
軍用地境界塀が残っています↓



今度は南方向へ転進し、
大阪城公園の京橋口を
目指していきます↓



京橋口には軍用地境界標が
1本残存しています↓



京橋口から極楽橋を渡り
天守閣方面に進んでいきます↓



大阪城の北東隅と南西隅の
石垣には、空襲の被災痕が
残っています↓



この一帯は、何度もアメリカ軍の
爆撃目標とされていましたが、
天候不順で大規模空襲を
免れてきたそうです。

しかし、終戦前日の8月14日に
大空襲を受けてしまい、壊滅的な
被害を受け、その周辺も焼け野原と
化してしまいました・・・


大阪城の天守閣と西の丸庭園に
はさまれた内濠には水道管が
残っています↓



大阪城を横切るようにして南下し
玉造口に進んでいくと、
軍用地境界標が1つ残ります↓



軍用地境界標の後ろには、
「是ヨリ濠迄」と刻まれた
花崗岩製の柱が倒されています↓


標柱より濠に至る場所には、
火薬の溜置場や信管材料置場などが
建てられていたことから、砲兵工廠の
敷地を識別するためのものとして
軍用地境界標とセットでおかれていた
可能性が極めて高いです。


玉造口から梅林・少年野球場を経由し
北上していくと、第二寝屋川沿いに
荷揚水門が残っています↓



荷揚水門から大阪城の桃園を
経由して最初に入った筋鉄門跡の
入口に戻ります↓



第二寝屋川に沿って進んでいくと
取水口といわれる遺構が
残っています↓



大阪砲兵工廠の遺構の大半は
大阪城公園内にあるので、
大阪城への観光と兼ねて
めぐってみるのはいかがでしょう?



【収録遺構】
 大阪陸軍砲兵工廠
 (陸軍造兵廠大阪工廠,
  大阪陸軍造兵廠)

   建物 2棟
   門柱 2箇所
   軍用地境界標 3本
   軍用地境界塀 2区画
   その他 5箇所

【探訪情報】
 2007.07.08  第1回探訪
 2007.12.09  第2回探訪
 2007.12.23  第3回探訪
 2008.02.24  第4回探訪
 2008.03.24  第5回探訪
 2013.11.25  第6回探訪

 歩数(指数) 15,000歩以上(999)


それでは、またお会いいたしましょう★



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いや~、本当に平日は嫌ですね・・・
憂鬱だな~って思っている時に限って
職場で重大な障害が出ちゃったりして
最悪でした(涙)


さて・・・
本日は軍跡紹介とは程遠い内容ですが
阪奈軍團「軍報」の第108弾として
兵庫県西宮市に敷設されていた
川西航空機鳴尾製作所の専用線跡を
簡単にご紹介させてください↓




川西航空機は、この前身である
川西機械製作所から飛行機部が
独立する形で1928年(昭和3)に
設立された民間の航空機製作会社で、
兵庫県内を中心に海軍で使う航空機を
製造するための工場がおかれました。

そのなかで鳴尾製作所は
1930年(昭和5)に開設され、
工員と資材などの輸送を目的に
現在のJR神戸線の甲子園口駅から
分岐する形で鳴尾製作所にいたる
専用線が1944年(昭和19)に
敷設されました。

現在は、路線の一部が
阪神武庫川線として活用されており
線路跡を見ることが出来ます。



おピンちゃん先生と一緒に
川西航空機鳴尾製作所の
跡地の1つである武庫川団地に
お邪魔しております↓



武庫川団地前駅から
当時の専用線を引き継いで運行する
阪神武庫川線に乗ります↓



昭和を感じる2両編成の電車が
専用線の上をコトコトとはしります↓



終点の武庫川駅に着きました↓



帰りの新幹線の出発時間まで
残りわずかであるため、
武庫川駅から少しだけ北上して
専用線跡に沿ってを歩くことにします↓



武庫川駅より北側は、
阪神電車の留置場になっており
線路が続いています↓



さらに北上していくと、
武庫川橋の西詰付近で
線路はなくなり、その先は
道路の一部や駐車場・
住宅などになっています。


名残惜しいですが、
タイムアップのため、梅田に出て
新大阪から新幹線で帰還します↓



【収録遺構】
 川西航空機
 鳴尾製作所
 武庫川専用線

   その他 1箇所

【探訪情報】
 2016.03.05  第1回探訪
 2016.07.20  第2回探訪

 歩数(指数) 未計測(76)


それでは、またお会いいたしましょう★



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