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戦争遺跡のご紹介やホームページの制作状況などを綴っていきます♪

総軍BLOGへようこそっ!

♦ プロフィール

祐実総軍三等兵

Author:祐実総軍三等兵
全国に残る戦争遺跡を探訪し
記録することを趣味とする
祐実総軍三等兵ですっ★

稚拙な内容ではございますが
これまでに関係者の皆様方と
見てきた戦争遺跡を中心に、
ブログ・ホームページなどで
順次ご紹介をしていきます♪

よろしくお願いしますっ★

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皆様、いかがお過ごしでしょうか。


ついに、私の誕生月である
8月に入りましたっ★


毎年、8月になると
終戦を祈念して様々な
イベントがありますねっ!


我々のホームページ・ブログ共に、
その恩恵(?)にあやかりまして
毎年、年間最大のアクセス数を
頂戴する月でもあります。


いつもありがとうございます m(_ _)m


本来であれば、恒例の
「月初」でございますので、
我々のホームページの
アクセス統計を掲載させて
いただくところでございますが、
収集出来ておりません(汗)


今週末に収集予定ですので、
今日・明日は通常通り
「軍報」形式でブログの更新を
させてくださいませ m(_ _)m


今回はバックナンバーである
阪奈軍團「軍報」の第132弾の
続編として、京都府京都市を
はしっていた愛宕山鉄道の
廃止トンネルを利用した
三菱重工業京都機器製作所の
地下工場跡をご紹介します↓



なお、これは「後続記事」ですので
「本記事」もご覧くださいませ↓

 【阪奈軍團】京都発動機製作所



前回の記事に引き続き、
西日本地方における軍跡探訪の
権威である盡忠報國先生
ご案内の下、京都市内に
お邪魔しております↓



愛宕山鉄道のトンネル跡である
清滝トンネルに入っていきます↓



トンネルの幅を見る限り、
単線のトンネルだったようです↓



現在は道路トンネルですが、
すれ違えないため、トンネルの
両側に信号機を設けて
交互通行にしていました↓



かなり長いトンネルです↓



全長は、400メートルくらい
ありそうですかね・・・↓



トンネルの途中に、連絡坑なのか
退避用の坑なのか判らない
横穴が2ヶ所ありました↓



方々の地下工場跡を
巡らせてもらっている身としては
前者であって欲しいところですが、
残念ながら奥には行けません↓



トンネルを抜けた反対側に
清滝駅があったようです↓



【収録遺構】
 三菱重工業
 京都機器製作所
 (三菱重工業
  第十四製作所)

  建物 2棟
  トンネル 1箇所(今回追加)

【探訪情報】
 2018.06.30  第1回探訪

 歩数(指数) 未計測(100)


後ほど、我々のホームページでも
ご紹介させていただきますっ★


それでは、またお会いいたしましょう♪



↑8月は当方の誕生月なので
 「応援」よろしくお願いします♪

皆様、いかがお過ごしでしょうか。


月曜日は本当にゲンナリですね・・・
月曜日だけではなく、平日が
「仕事」だけで終わってしまうのは
本当にもったいないことです。


仕事好きな人はそれでいいのかも
しれませんけど、職場には私みたいに
仕方なく最低限で済ませたいと
考えている人もいるんでね、
少しは考えてもらいたいもんです。


でも、みんなに「普通じゃない」って
言われるから、おそらく私は
おかしい頭なのかもしれません(笑)


もっとも、否定はしませんが・・・


さて・・・
本日は阪奈軍團「軍報」の
第132弾といたしまして
京都府京都市におかれていた
三菱重工業の京都機器製作所の
建物を簡単にご紹介します↓




京都機器製作所は、日本を代表する
民間の兵器製造会社である
三菱重工業がかかえた工場群の1つで
航空機のエンジン部品の生産を目的に
1944年(昭和19)に開設されました。

工場の敷地面積は、
約121,000平方メートルあり、
ここに約 2,000台の工作機械が設置され
主に排気弁・吸入弁が製造されました。

1945年(昭和20)に入ると、
第十四製作所に改称し、その後は
空襲に備え工場の分散疎開がはじまり
周辺の学校や愛宕山鉄道の
廃止トンネルなどを工場として
転用したところで終戦となりました。

現在、跡地は三菱自動車の
京都製作所に変遷し、敷地内に
当時の建物が少し残っています。



前回の記事に引き続き、
西日本地方における軍跡探訪の
権威である盡忠報國先生
ご案内の下、京都市内に
お邪魔しております↓



三菱自動車の京都製作所の
敷地内に当時の工場建物が
残っています↓



この周辺にも当時の建物が
残っていそうですが、
残念ながら敷地の外側からは
見ることが出来ませんでした・・・


敷地の北側にも当時の建物が
一部残っています↓



外周部分を1周したあとは
清滝の疎開地下工場跡に
駒を進めていきます↓



【収録遺構】
 三菱重工業
 京都機器製作所
 (三菱重工業
  第十四製作所)

  建物 2棟

【探訪情報】
 2018.06.30  第1回探訪

 歩数(指数) 未計測(100)


後ほど、我々のホームページでも
ご紹介させていただきますっ★


明日は月末日となりますので
恒例の「鉄道」ネタで
ブログの更新をさせてください。


それでは、またお会いいたしましょう♪



↑よろしければ、こちらの「応援」も
 ひとつよろしくお願いします♪

皆様、いかがお過ごしでしょうか。


今週は大好き過ぎてたまらない
仕事の勢いに負けてしまい
忙しくしてしまったため、
水曜日からブログの更新を
お休みさせていただきましたm(_ _)m


週末も台風ときたもんだ・・・
せっかくの単独遠征もパー。
こんなんで、仕事の疲れなんか
取れるわけがありませんよね~。


さて、本日は阪奈軍團「軍報」の
第131弾といたしまして
滋賀県大津市におかれていた
三菱重工業京都発動機製作所の
地下工場をご紹介させてください↓
DSC_0470.jpg



京都発動機製作所は日本を代表する
民間の兵器製造会社である
三菱重工業がかかえた工場の1つで
主に海軍が使用する航空機の
エンジンを製造するため
1944年(昭和19)に現在の京都市に
開設されました。

太平洋戦争の末期は、
工場の生産ラインを維持するため
大丸百貨店や阪急嵐山線の高架下を
疎開工場としたほか、
大津市内をはしる東海道線の
廃トンネルを地下工場に転用し
この一部が実際に稼働しました。

現在、トンネルの一部は
地震観測所になっており、
入口が塞がれていますが
JR西日本の鉄道記念物に
指定されており、一部見学が
可能です。



西日本地方における軍跡探訪の
権威である盡忠報國先生と一緒に
京都市内から大津市内に
入っております↓



地下工場に転用された
東海道線の旧逢坂山トンネルは
廃止されていますが、
JR西日本の鉄道記念物に
指定されており、道路の入口に
案内板が設けられています↓



旧逢坂山トンネルに到着です↓



入口のすぐ横に、トンネルの
経緯が記載された案内板が
ありました↓



1つ目のトンネルは、約10メートルほど
内部見学が出来るようになっており
碍子や金具などが壁面に残ります↓




線路は複線であったようで
トンネルも2つ設けられています↓



2つ目の入口は封鎖されており
中をのぞくことも出来ません・・・↓



【収録遺構】
 三菱重工業
 京都発動機製作所
 逢坂山地下軍需工場

  トンネル 1箇所

【探訪情報】
 2018.06.30  第1回探訪

 歩数(指数) 未計測(100)


後ほど、我々のホームページでも
ご紹介させていただきますっ★


それでは、またお会いいたしましょう♪



↑よろしければ、こちらの「応援」も
 ひとつよろしくお願いします♪

皆様、いかがお過ごしでしょうか。


週初めから、社畜のバカどもに
振り回されて、今週もおかげさまで
「最高」の平日スタートでございます。


いっそのこと、残業しない私に
「おまえなんか要らない」って
ストレートに言って欲しいですね~。
喜んで次の日から行かないけど。


このままいくと、大好き過ぎて
たまらない仕事の話で
終わってしまいそうなので
このくらいにしておきます・・・


さて、本日は阪奈軍團「軍報」の
第130弾といたしまして
京都府京都市におかれていた
三菱重工業の京都発動機製作所の
遺構群をご紹介させてくださいませ↓




三菱重工業は、航空機部門の
三菱航空機と、造船部門の
三菱造船との合併によって
1934年(昭和 9)に設立された
日本を代表する民間の
兵器製造会社で、全国に
多くの工場をかかえていました。

その中で京都発動機製作所は
海軍より航空機エンジンの
増産要請を受けて1944年(昭和19)に
開設されました。

ここでは、主に「一式陸上攻撃機」や
「雷電」に組みつけるための
エンジンが製造されたほか、
中島や川西などの航空機メーカーに
エンジンを納入していました。

1945年(昭和20)に入ると、
防諜上の理由により第八製作所に
改称され、空襲に備えて各工場の
分散疎開がはじまり、阪急嵐山線の
高架線の下や大津市の逢坂山などを
地下工場として転用したところで
終戦を迎えました。

戦後、第八製作所は第十四製作所と
統合して京都機器製作所に改称され
貨物自動車などの製造が
開始されましたが、業績が悪く
太秦工場へ集約され工場は
閉鎖されました。

現在、跡地は陸上自衛隊桂分屯地と
なっており、わずかに当時の建物が
残っています。

このほか、地下工場に転用された
阪急嵐山線のガード下や
工員宿舎の建物などが
現存しています。



西日本地方における軍跡探訪の
権威である盡忠報國先生
ご案内の下、京都市内に
お邪魔しております↓



陸上自衛隊桂分屯地内に
当時の工場建物がわずかに残り
敷地の外周から見ることが出来ます↓




工場の西側に位置する
住宅地内に移動します↓



当時の工員宿舎の建物が
いくつか残っていました↓







ここから北へ約1キロほどに
位置する阪急嵐山線の
ガード下に移動します↓



当時、この周辺のガード下は
疎開地下工場として
使用されており、現在も
その名残があります↓




【収録遺構】
 三菱重工業
 京都発動機製作所
 (三菱重工業
  第八製作所)

  建物 7棟
  その他 2箇所

【探訪情報】
 2018.06.30  第1回探訪

 歩数(指数) 未計測(100)


後ほど、我々のホームページでも
ご紹介させていただきますっ★


それでは、またお会いいたしましょう♪



↑よろしければ、こちらの「応援」も
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皆様、いかがお過ごしでしょうか。


やっと・・・やっと、金曜日ですっ!
今週も非常に長かったです・・・


昨日の宣言通り、仕事オタクを
コテンパンにしてやりましたが
こちらの精神的ダメージも
非常に大きいので痛み分けです。
しかも、残業しちゃったし(笑)


明日・明後日は探訪です★
とても楽しみですが、
かなり疲弊しているので
早朝に起きられるか心配です・・・

今回は弾丸ツアーなので、
切符類は事前に買っておらず
探訪そのものを簡単に
キャンセルすることが出来ます(汗)

私も気まぐれな性格なもので
どこまでやれるか判りませんが
早起き出来たら徹底的にやります!


さて・・・
本日は阪奈軍團「軍報」の
第129弾といたしまして
大阪府枚方市に敷設されていた
津田軍用線の軍用地境界標を
簡単にご紹介させてください↓




戦時中、片町線(学研都市線)の
津田駅より枚方製造所を経由して
禁野火薬庫へいたる軍用線が
敷設されていました。

軍用線は、枚方製造所への
材料搬入・生産品の搬出や
禁野火薬庫への弾薬輸送に使用され
終戦と同時に役目を終え
廃線となりました。

現在、軍用線の殆どが
国道307号(旧道)となっており
線路は撤去されていますが、
一部の区間だけは
「中宮平和ロード」として整備され
線路跡を見ることが出来ます。

この軍用線跡に沿うように
当時、軍用線と民有地との
敷地境界に設置されていた
軍用地境界標のうち、
3本が移設保存されています。



枚方市内にお邪魔しております↓



現在、軍用線跡のほとんどが
道路になっていますが、
一部は「中宮平和ロード」として
整備されています↓




中宮平和ロード内に
3本ですが、軍用地境界標が
移設保存されています↓





軍用電柱も移設保存されています↓



標柱は風化が進んでいますが
夜に懐中電灯を上から当てると
文字がくっきりと出ます↓





【収録遺構】
 大阪陸軍造兵廠
 枚方製造所津田軍用線

  軍用地境界標 3本

【探訪情報】
 2007.07.09  第1回探訪
 2007.12.09  第2回探訪

 歩数(指数) 約10,000歩(326)


明日は、土曜日ですので
ブログの更新をお休みさせてください。


それでは、またお会いいたしましょう♪



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