戦争遺跡のご紹介やホームページの制作状況などを綴っていきます♪

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祐実総軍三等兵

Author:祐実総軍三等兵
全国に残る戦争遺跡を探訪して
記録することを生き甲斐とする
祐実総軍三等兵でございます★
稚拙な内容ではございますが、
これまで調べてきた戦争遺跡を
ブログ・ホームページで紹介を
させていただいておりますっ♪

よろしくお願いしますm(__)m

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皆様、いかがお過ごしでしょうか。


いや~、寒いっ!
ついに、我が家も暖房です・・・
どんだけ寒がりなんだっ(笑)

関東地方は、4日連続で
日照0時間ということで、
数年ぶりの「快挙」なんだとか(笑)


さてさて、本日は既出案件ですが
阪奈軍團「軍報」の第99弾として
大阪府大阪市におかれていた
陸軍被服廠大阪支廠のものと
考えられる遺構をご紹介します↓




被服廠は、軍服や軍靴などの
装備品を製造した工場で、
1886年(明治19)に開設され
東京の本所に本廠が
おかれていました。

その後、被服品の生産拡大を
目的として、各地に支廠が
設置され、1903年(明治36)に
大阪支廠が開設し、大阪被服支廠への
改称を経て、終戦まで存続しますが
太平洋戦争の末期に大阪市内を
狙った空襲で施設は壊滅状態と
なっています。

現在、跡地は大規模マンションなどに
変遷しており、再開発によって
面影がなくなりましたが、
敷地南側付近に、当時のものと
考えられる塀が少し残っています。


雨の中、谷町四丁目駅から
歩いて進んでいきます↓



法円坂地区の一角に
当時の塀とおぼしき遺構が
残っています↓




いや~、もう少しだけ大阪に
いたかったのですが、
雨がすごくなっちゃって
一気に士気が低下してしまい
これを最後に本拠へ帰還しました。


【収録遺構】
 陸軍被服廠大阪支廠
 (大阪陸軍被服支廠)

  軍用地境界塀 2区画

【探訪情報】
 2008.03.30  第1回探訪
 2011.11.25  第2回探訪

 歩数(指数) 未計測(100)


それでは、またお会いしましょうっ★



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皆様、いかがお過ごしでしょうか。

今日の関東地方は、昨日に続き
暑かったですね~(汗)

朝に乗った電車の冷房が
あんまり効いてなくて、
汗だくになっちまいました(笑)


さてさて、本日は阪奈軍團「軍報」の
第98弾といたしまして、
兵庫県神戸市に掘削された
大阪海軍警備府第十一警備大隊の
地下壕をご紹介させてください↓




大阪警備府は、各軍港を統括した
海軍鎮守府に準ずる海軍組織の1つで
大阪都市圏の防備を目的に
1940年(昭和15)に発足しました。

太平洋戦争の末期は、
神戸港一帯の防衛のために
傘下部隊の第十一警備大隊が
神戸市内に展開し、司令部を
はじめする地下壕が5箇所にわたり
設けられていたようです。

これらの地下壕の詳細は
判っておらず、現在も踏査を
継続していますが、口城山に
地下司令部と推測する
地下壕が残っています。
(踏査継続中です・・・)



毎度、おなじみのメンバーである
おピンちゃん先生と新神戸駅に
到着いたしました↓



今回は、いつもお世話になっている
盡忠報國先生からいただいた
一次資料をもとに探訪をします。

色々と盡忠報國先生には
西日本地方を中心とする
案件を教えてもらっているので
何とか見つけて、いい結果を
報告したいところっ!


口城山地区に向かって
進んでいきます↓



おおっ、ありましたっ↓


でも・・・
これは入れなさそうです(涙)


周辺をガサゴソやっていると・・・


もう1つ、入口がありましたっ↓


いや、しかし・・・
30度以上の斜坑なので
今回の装備じゃ厳しい感じです。

本気でかかれば行けるんだけど
総軍大元帥閣下をここで
お待たせするわけにはいかず、
今回は入るのを断念しますっ!

せっかくなので、次の機会に
盡忠報國先生と一緒に
行きたいと思いますっ★


いただいた資料では、
おおまかに残りの4箇所も
記載があるのですが、
ちょっと場所が判らない(汗)
うむむ、どうしたものか・・・


そうだ、コイツに
聞いてみようっ(笑)↓


おピンちゃん先生のお供である
ウィー太郎君は、神戸の北野の
出身なんですよ(笑)


場所でいうと、このへんです(笑)↓



三等兵:これこれ、ウィー太郎君★
    この周辺で地下壕の入口を
    見たことありませんか?

  :ウィーウィー
    (いつも意地悪くブログで
     紹介する人には教えません)

三等兵:そ、そんなぁ・・・(涙)
    大元帥閣下、お出ましを~

大元帥:ウィー太郎、教えなさいっ!
    ゴハン、ないよっ!

  :ウィー!ヒイぃ~(涙)
    (えーっ!白状するので
     それだけはご勘弁を シクシク)

  :ウィー、ウィープンプンプン・・
    (奥再度ドライブウェイの
     トンネルに何かあった気が・・)


ってなわけで、前置きが長いですが
行ってみましたっ(笑)↓



トンネルを歩いていくと・・・↓



おおっ、ありました(笑)↓



うむむ、この入口は何だろう・・・
いただいた資料によると
確かに、丸山あたりに
マークが付いているから、
もしかしたら、関係するものかも
しれませんね。
(情報を募集しますっ!)


【収録遺構】
 大阪海軍警備府
 第十一警備大隊

  地下壕 2箇所

【探訪情報】
 2017.03.18  第1回探訪

 歩数(指数) 約7,000歩(100)


明日は、「ホームページ」関連で
ブログを更新予定ですっ!


それでは、またお会いしましょうっ★



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皆様、こんばんわ m(_ _)m


昨日のラーメンで不調でしたが、
(食中毒じゃないですよっ★)
ようやく落ち着きを取り戻しました。
油分の摂取過多で、日中は
色々なところのトイレに巡れたな(笑)


さてさて、本日も阪奈軍團「軍報」の
第97弾といたしまして、
奈良県磯城郡田原本町におかれた
唐古高角砲台の遺構を
1つだけご紹介させてください↓




奈良唐古高角砲台は、
柳本飛行場をはじめ、
大和海軍航空隊の施設を
防衛する目的で、1945年(昭和20)に
構築された高角砲台で、
12cm高角砲が6門据え付けられて
配備についていました。

現在は、ほとんどが消滅しており
面影がありませんが
唐古・鍵遺跡内に、円形に近い
八角形を呈すコンクリート製の
台座部分が 1つ残存しています。



唐古・鍵遺跡に来ております↓



遊歩道が設けられているのですが
時期が悪く、桜並木に大量の
毛虫達がひっついており
失神しそうになりながら
歩いていきます↓



砲座とおぼしき遺構が
1つだけ残っています↓



拡大するとこんな感じです↓



大量の毛虫(白いやつ)に
精神をめった打ちにされてしまい
早々に退却します・・・


【収録遺構】
 大阪海軍警備府
 奈良唐古高角砲台

  砲座 1箇所

【探訪情報】
 2007.07.07  第1回探訪

 歩数(指数) 未計測(100)


明日は、「ホームページ」関連で
ブログを更新予定ですっ!


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皆様、いかがお過ごしでしょうか。


ここのところ、ラーメンにハマり
今日も行ってきたのですが・・・↓


いや~、味薄なのに油ビタビタで
ちょっとまいった(汗)

残念ながら、おいしくなかったな。
ここで総評する代わりに、
昼過ぎから胃もたれすごくて
夕飯が喉を通らないということで
相殺とさせていただきますね。


さて・・・
今回も、阪奈軍團「軍報」の
第96弾といたしまして、
滋賀県近江八幡市に移築された
飛行第三連隊の建物を
1つだけご紹介させてください↓




飛行第三連隊の前身である
飛行第三大隊は、第十六師団に
隷属する部隊で、各務原で編制され
民間の飛行場がおかれていた
沖野ヶ原飛行場を整備し、これに
隣接する形で1922年(大正11)に
兵営が設置されました。

その後、飛行第三連隊への改編を
経て、隷属先が飛行第一集団に
変更され、爆撃・偵察の錬成に
あたりましたが、飛行第三戦隊へ
改編後、1942年(昭和17)に
八戸へ移駐しました。

飛行第三戦隊が八戸に移駐した後は
第五十一教育飛行師団に隷属する
第百四教育飛行連隊が引き続き
施設を使用し、軽爆撃機を使った
戦技教育が実施されました。

太平洋戦争の末期には
第四教育飛行隊に改編され、
第五十二航空師団の
隷下部隊として児玉飛行場に
移駐しました。

第四教育飛行隊の移駐後は
飛行第二四四戦隊が小牧から移り、
中部・近畿地区の防空を担当し
終戦を迎えました。

なお、兵営や飛行場の敷地は
現在の東近江市におかれましたが
近江八幡市の安土匠の里に
戦闘指揮所を移築したものとされる
木造建物が1つ残っています。



東近江市から、引き続き
タクシーで近江八幡市内に
向かっていきます↓



安土駅の北に位置する
安土匠の里に戦闘指揮所を
移築した建物が残ります↓



閉館時間を過ぎていたので
少し見た後は能登川駅まで
行ってもらい、新快速で米原へ
向かいます↓



米原から新幹線で本拠へ
帰還でございます・・・↓



2泊3日の行程で、
豊川・豊橋・名古屋・岐阜・大垣・
米原・東近江・近江八幡とめぐり、
おなかいっぱいのはずですが
いざ帰還となると、物足りない気に
どうしてもなってしまいます・・・↓



【収録遺構】
 陸軍飛行第一集団
 飛行第三連隊
 八日市飛行場(近江八幡市)

  建物 1棟

【探訪情報】
 2017.08.08  第1回探訪

 歩数(指数) 未計測(100)


それでは、またお会いしましょうっ!



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皆様、いかがお過ごしでしょうか。

今日は雨が降る予報を無視し
傘を忘れて「出庫」したのですが
案の定、帰宅時に雨にやられ・・・

あっ、傘と書いて思い出しましたが
多分、maya先生の車に
ボロい折り畳み傘を忘れたかも
しれませんです・・・
次回の探訪で回収しますね~★
もし、なかったら教えてくだせぇ(笑)


さてさて、本日も前回に引き続き
阪奈軍團「軍報」の第95弾として
兵庫県加古川市におかれていた
三木高射砲台の遺構を
ご紹介させてくださいませ↓




三木高射砲台は、三木飛行場を
防衛する目的で1945年(昭和20)頃に
構築されたようです。

資料に乏しく、しっかりと詳細を
掴めていない状況ですが、
ここには、高射砲兵第百二十三連隊の
1中隊が配備についていたようです。

現在、跡地は山林になっているものの、
周辺に工場や倉庫などを建設した際に
整地されたため、わずかな遺構が
残るのみとなっています。



毎度おなじみ、おピンちゃん先生
加古川市内に入りました↓



残念ながら、お供のウィー太郎君は
前日の深酒による二日酔いで
神戸市内のホテルで待機です(笑)↓



今回も盡忠報國先生
事前情報により探訪をしますが、
山林内は足場が悪いため
おピンちゃん先生には麓で
待機してもらうことにします。


山林内を10分ほど進んでいくと
砲座が2つ残っています↓




これも関連するものと
思われます↓



【収録遺構】
 陸軍高射第三師団
 高射砲兵第一二三連隊
 三木高射砲台

  砲座 2箇所
  その他 1箇所


【探訪情報】
 2017.03.20  第1回探訪

 歩数(指数) 3,029歩(100)


後ほどホームページ内でも
ご紹介させていただきますねっ★


話が変わりまして、
砲台遺構の探訪を終えて
おピンちゃん先生が待つ
山の麓に下りていくと
待たされ過ぎて大変に
ご立腹でした(笑)


「私を誰だと思っているのか」と。


このお言葉に恐れをなした
三等兵は、料亭へお連れして
ご機嫌をとらせていただくことに↓
DSC_2563_201709222147391dc.jpg



食べ物の話になると
ウィー太郎君も二日酔いで
寝込んでいる場合じゃ
なくなるようです(笑)↓



調子に乗るウィー太郎君を
指導するおピンちゃん先生(笑)↓



今回の探訪でお世話になった
神戸電鉄の車両達↓



今後、しばらくは阪奈軍團の
「軍報」が続く予定ですので
明日は息抜きに関西の
「鉄道」ネタでブログを更新します。


よろしければ、またお越しください。
それでは、また明日っ★



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