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戦争遺跡のご紹介やホームページの制作状況などを綴っていきます♪

総軍BLOGへようこそっ!

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祐実総軍三等兵

Author:祐実総軍三等兵
全国に残る戦争遺跡を探訪し
記録することを趣味とする
祐実総軍三等兵ですっ★

稚拙な内容ではございますが
これまでに関係者の皆様方と
見てきた戦争遺跡を中心に、
ブログ・ホームページなどで
順次ご紹介をしていきます♪

よろしくお願いしますっ★

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皆様、いかがお過ごしでしょうか。


ここのところ、仕事でめった打ちにされ
ブログの更新が滞ってしまい
申し訳ありません m(_ _)m


これでも、仕事イキイキ人間達に抗い
そういう人達の弱みに付け込んで
早く帰っている方ですが、
断れない人達はもっと大変です・・・


このままいくと愚痴が上々になるので
このくらいにしておきます。。。


さて、今回は和泉軍團「軍報」の
第116弾といたしまして、
千葉県館山市に設置されていた
陸軍東京湾要塞の要塞第一区を示す
地帯標を1本だけご紹介します↓




東京湾要塞は、日本の本土におかれた
永久要塞のうちの 1つです。

1895年(明治28)の要塞司令部条例により
永久的な防御工事を施している場所は
「要塞地帯」とされ、軍事機密の
保持のため、要塞地帯に指定された
区域内での測量や撮影・スケッチ・
土木工事などは、要塞司令部の
許可がないと出来ませんでした。

また、これらの防御営造物より
250間(約455メートル)以内を
特に「要塞地帯第一区」として
一般人の立入りが禁止され、
衛兵が守備していました。

さらに、その距離に応じ「第二区」・
「第三区(区域)」が設定され、
これらを明確にするため
その境界部に要塞地帯標が
設置されました。

要塞地帯を定義する法律は
数度にわたって改正されましたが
最終的に防御営造物から
1,000メートル以内を第一区・
5,000メートル以内を第二区・
15,000メートル以内を第三区(区域)と
当初よりも大幅に拡大されました。

このうち、館山市内については
洲崎第一砲台・洲崎第二砲台の
周辺が第一区に定められており
見物地区の神社内に要塞地帯標が
1本だけ移設保存されています。



関係者の皆様方と
館山市内にお邪魔しております↓



見物地区の神社内に
要塞第一区地帯標が
保存されています↓



側面には「陸軍省」・「第五號(号)」と
刻まれています↓



背面には「昭和五年二月」と
刻まれていました↓



【収録遺構】
 陸軍東京湾要塞地帯(館山市)

  軍用地境界標 1本

【探訪情報】
 2007.05.04  第1回探訪

 歩数(指数) 未計測(100)


この記事を書いてて思い出しましたが
館山市のお隣に位置する
南房総市になかなかの規模の
軍事施設跡が残っていることが
判りました。

ストビューや空撮を見る限り
地上系の遺構が大半のようなので
近いうちに単騎で見てきますね。


それでは、またお会いいたしましょう★



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皆様、いかがお過ごしでしょうか。


気温が上がり、一気に暑くなりました。
私の職場も上着・ネクタイなしの
クールビズを推奨してますが
私服OKにして欲しいところです。
そしたら、金曜日の夜から
思い付きで職場から遠征も
出来るのに・・・(笑)


ってな感じで、私の頭の中は
常に軍跡探訪最優先でございます★


さて、今回はバックナンバーである
和泉軍團「軍報」の第115弾の続編として
千葉県館山市におかれていた
洲ノ崎海軍航空隊の地下壕を
1つだけご紹介させてください↓



なお、これは「後続記事」ですので
「本記事」もご覧くださいませ↓

 (115)洲ノ崎海軍航空隊
 (115_続編1)洲ノ崎海軍航空隊



前回の記事以前の日になりますが、
関係者様と館山市内でお得意の
残業(笑)をしております↓



今回は一二八高地地下壕の
西側に掘削されている地下壕に
入っていきます↓



さっそく、井戸が残っています↓



内部は素掘り構造ですが、
排水溝がしっかりと設けられており
造りはものすごくよいです↓



補強のために使われた坑木も
一部で見ることが出来ます↓



天井に通風口が設けられている
坑道もありました↓



坑道は、東西にはしる3本の主坑道に
連絡坑が垂直に交わる構造ですが
東側は変則的になっており
少し曲がっています↓



Y字に分岐する箇所もあります↓



くまなく歩いた結果、
総延長は417メートルを
計測しましたっ★


地下壕の内部図です↓



今回はここで区切り、続編として
掲載させていただきます。


【収録遺構】
 洲ノ崎海軍航空隊

  地下施設 2ヶ所
  地下壕 2区画
  その他 1箇所

  地下壕 1区画(今回追加)

【探訪情報】
 2006.01.29  第1回探訪
 2006.03.25  第2回探訪
 2006.06.11  第3回探訪
 2019.01.27  第4回探訪
 2019.03.04  第5回探訪

 歩数(指数) 未計測(250)


後ほどホームページ内でも
ご紹介させていただきますねっ♪


それでは、またお会いしましょうっ★



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皆様、連休をいかがお過ごしでしょうか。


この調子でゴールデンウィークは
常に10連休でお願いしたいですね。

経済効果もかなりあると思いますし。
(単に仕事したくないだけです・・・)


さて、今回はバックナンバーである
和泉軍團「軍報」の第115弾の続編として
千葉県館山市におかれていた
洲ノ崎海軍航空隊の地下壕を
1つだけご紹介させてください↓


なお、これは「後続記事」ですので
「本記事」もご覧くださいませ↓

 (115)洲ノ崎海軍航空隊



前回の記事に引き続き、
関係者様と館山市内に
お邪魔をしているところです↓



有名な一二八高地地下壕に
今回は入っていきます↓



「戦闘指揮所」の記載がある部屋が
最初に登場します↓



その隣には「作戦室」と書かれた
部屋が展開しています↓



さらに進むと、戦争指揮所・作戦室と
同型の部屋がもう1つ展開しています↓



この地下壕の最大の見どころである
龍の紋章が入った坑道も残ります↓



坑道の補強に使用した
当時のセメント袋が固まったまま
放置されている箇所もあります↓



セメント補強されている坑道は
入口周辺までのようで、
西側と南側は素掘り構造です↓




続いて、2階部分に続く
崩落した螺旋階段を上ります↓



階段部分は、かなりガレています↓



階段は、南北に貫通する1本の
坑道に接続していました↓



2階部分の坑道にも
若干の段差があり、部分的に
階段や斜路が設けられています↓



この坑道の両側は、崩落もなく
開口していますが、その先に展開する
鬱蒼とした林に阻まれます・・・↓



2階部分を網羅したので、
引き返して1階部分に戻ります↓



長年、1階部分から地下1階に
続いているといわれていた階段跡は
関係者様と検証した結果、掘りかけで
どこにも接続していないことが
判りました↓



地下1階といわれる部分は
別の入口跡を確認しているので
それぞれが独立しているものと
思われます。


地下壕の内部図です↓



坑道の総延長は593.5メートルを
計測しました。


仲間との再訪を記念して
写真も撮らせてもらいました↓



今回はここで区切り、続編として
掲載させていただきます。


【収録遺構】
 洲ノ崎海軍航空隊

  地下施設 2ヶ所
  地下壕 1区画
  その他 1箇所

  地下壕 1区画(今回追加)

【探訪情報】
 2006.01.29  第1回探訪
 2006.03.25  第2回探訪
 2006.06.11  第3回探訪
 2019.01.27  第4回探訪
 2019.03.04  第5回探訪

 歩数(指数) 未計測(136)


後ほどホームページ内でも
ご紹介させていただきますねっ♪


次回は、我々のホームページ関連
ブログの更新をさせていただきます。


それでは、またお会いしましょうっ★



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皆様、いかがお過ごしでしょうか。


残念ながら、三等兵は大好きな仕事に
「イキイキ」としてしまったせいか、
おなかの調子がすこぶる悪く
午後から出社です・・・


平日は本当にロクなことが
ありませんね。


さて、今回はバックナンバーである
和泉軍團「軍報」の第103弾の続編として
千葉県八街市におかれていた
下志津陸軍教導飛行師団の
八街飛行場(飛行学校八街分教所)の
転圧ローラーをご紹介させてください↓


なお、これは「後続記事」ですので
「本記事」もご覧くださいませ↓

 (106)下志津飛行学校八街分教所



隊長先生パパゲーノ先生とともに
八街市内に到着いたしました↓



隊長先生の情報によると、
八街飛行場の整地に使われた
転圧ローラーが残るとのことで、
さっそく、民家の庭先にお邪魔します。


コンクリート製の転圧ローラーが
保管されています↓




このうちの1つに文字が刻まれており
「昭和二十年八月二日建笑(?)」と
「印旛郡八街町」との記載があります↓
DSC_3531(1).jpg


うーむ。。。自治体が軍に
ローラーを献納したということですかね。


いいものを見させてもらった後は
横芝飛行場跡に移動します↓



【収録遺構】
 下志津陸軍飛行学校
 八街分教所
 (下志津陸軍教導飛行師団
  八街飛行場)

  建物基礎 3箇所
  その他 3箇所
  軍用地境界標 2本
  その他 1箇所(今回追加)

【探訪情報】
 2009.04.29  第1回探訪
 2018.11.24  第2回探訪
 2019.03.09  第3回探訪

 歩数(指数) 未計測(100)


後ほどホームページ内でも
ご紹介させていただきますねっ♪


それでは、またお会いしましょうっ★



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皆様、いかがお過ごしでしょうか。


そろそろ4月に入るのに、
まだ真冬並みの寒の戻りがあり
未だにストーブが手放せませんね。


さてさて、ちょっと色々とバタバタして
ブログの更新が遅滞気味ですが、
今回は和泉軍團「軍報」の
第115弾といたしまして、
千葉県館山市におかれていた
洲ノ崎海軍航空隊の遺構群のうち
中心部分に残るものをご紹介します↓




洲ノ崎海軍航空隊は、
射爆兵器整備教育を行う
練習航空隊として1943年(昭和18)に
開設され、館山海軍航空隊の
南隣に施設がおかれました。

ここでは、主に航空兵器を整備する
兵士の養成と訓練が行われましたが
戦争末期は防空壕や飛行機掩体の
建設作業に追われたそうです。

現在、跡地は国立館山海上技術学校や
住宅地・農地などに変遷していますが
地下壕をはじめ当時の遺構が
数多く残っています。



雨の中、関係者様と館山市内に
お邪魔をしているところです↓



せっかく、重鎮メンバー様が
揃っているのに、スマホ・デジカメの
バッテリー残量が軒並み1ケタ台で
残念ながら、スナップ写真は
ほとんど撮れませんでした(涙)


当時の防火水槽といわれる
遺構が残っています↓



細い市道を挟んで反対側に
コンクリート製の防空壕が
埋まるように残っています↓



防空壕を検証する関係者ご一行↓



この背面に位置する二子山に
資料では御真影奉安所とされる
地下施設が残っています↓



内部は奥行きが5メートルにも
満たない小さなものですが
コンクリートが捲かれています↓
P1260237.jpg


少し離れた場所に
埋もれた地下壕の入口が
ありました↓



壕の存在は知っていたのですが
有効な壕口までは押さえておらず、
中に入るのは初めてです。

仲間がいると、このように情報が
連携出来ることが多いので
本当に嬉しいです★


入口部分は、崩落か埋め戻しか
判りませんが、土砂が多いです↓



崩落が著しいのは壕口付近のみで
内部の状態は良い方でした↓
P1260255_20190331102523479.jpg


地下壕の内部図です↓



坑道の総延長は106メートルを
計測しています。


今回はここで区切り、続編として
掲載させていただきます。


【収録遺構】
 洲ノ崎海軍航空隊

  地下施設 2ヶ所
  地下壕 1区画
  その他 1箇所

【探訪情報】
 2006.01.29  第1回探訪
 2006.03.25  第2回探訪
 2006.06.11  第3回探訪
 2019.01.27  第4回探訪
 2019.03.04  第5回探訪

 歩数(指数) 未計測(100)


後ほどホームページ内でも
ご紹介させていただきますねっ♪


次回は、我々のホームページ関連
ブログの更新をさせていただきます。


それでは、またお会いしましょうっ★



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