【和泉軍團】軍報 - 戦争遺跡調査研究軍 祐実総軍

【和泉軍團】(43)陸軍工兵学校

皆様、月曜日をいかがお過ごしでしょうか。

やっと、普通な平日を迎えることが
出来ましたよっ!

あんな、ひどい体質での長時間労働は
もう2度とやりたくないですね。
っていうか、やりませんけどね(笑)


さて、本日は和泉軍團「軍報」の
第43弾といたしまして
既出案件となりますが
千葉県松戸市におかれていた
陸軍工兵学校の遺構を
ご紹介させてくださいませ↓



工兵学校は、軍備の近代化に際し
工兵の技術を高めることが
求められて制定された条例により
工兵に関する兵科教育を
行うことを目的として
1919年(大正 8)に設立された
教育機関です。

「工兵」は、戦地において
道路や橋梁・塹壕・飛行場などを
構築・爆破する役割を持つ兵科で
戦略上の重要な支援部隊となるため
工兵技術の専門教育を施すことは、
軍備を強固にする上で、他の兵科と
同様に重要視されました。

ここでは、工兵に関する専門的な
教育をはじめ、工兵が取り扱う
機材の研究や実験などが行われ
終戦までに多くの学生が卒業しました。

現在、学校の敷地は松戸中央公園や
聖徳大学・市立第一中学校などと
なっていますが、軍用地境界標を
中心とした遺構が残っています。


今から約12年前に、いっちゃん先生
探訪したのが最初となります↓



松戸中央公園内には、当時の
門柱と歩哨が保存されています↓




初回の探訪から約3か月後に
当方の師でもあるslycrow先生
東葛博士の異名をもつ
ゆきたんく先生と初対面が叶い、
松戸・柏・市川・船橋と
一緒に戦跡探訪をしました~ シミジミ
このメンバーで私は最年少でしたが
そんな私も40を過ぎたオジサンに
なってしまいました・・・。
昔より体力が落ち残念です(涙)


敷地の北限付近に
当時の倉庫が残存しています↓



周辺に軍用地境界標も残ります↓




給水井がおかれた跡です↓



関連建物跡が残ります↓



これも当時の遺構だと思われます↓



隅に軍用地境界標も残ります↓



敷地の西側をはしる市道沿いにも
軍用地境界標が残ります↓




ここから市道を南下して
敷地の南西端付近に移動します。


軍用地境界標が残ります↓




相模台公園内にも
軍用地境界標が残ります↓




敷地の南東側にも
軍用地境界標が残っていました↓




歴戦の猛者達です★↓


この期間中の探訪を経て
当方は一気に成長しましたね。
まさに「脂」がのり始めた時期です。


少し離れた上矢切地区にも
架橋演習場のものと思われる
軍用地境界標が残ってましたが
消失した可能性があります・・・↓



【収録遺構】
 陸軍工兵学校

  門柱 1箇所
  歩哨 1箇所
  建物 1棟
  建物基礎 3箇所
  軍用地境界標 12本

【探訪情報】
 2005.08.20   第1回探訪
 2005.11.13   第2回探訪
 2010.03.11   第3回探訪
 2010.04.17   第4回探訪
 2010.04.18   第5回探訪
 2011.03.10   第6回探訪
 2013.07.28   第7回探訪

 歩数(指数) 約50,000歩(999)


それでは、また明日っ!



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【和泉軍團】(42)陸軍歩兵学校

皆様、日曜日をいかがお過ごしでしょうか。

三等兵は、ちょっとお酒が過ぎまして
アルコール性頭痛を発症中です(笑)
この後は、遅い「サザエさん病」に
見舞われる予定ですっ!

また、明日から「地獄」かぁ。

一部の「仕事オタク」どもから
「忙しい時に土・日が休めるだけでも
ありがたいと思え」とかいう
素敵な「名言」を頂戴してますがね、
こういうことしか言えない輩が
かわいそうで仕方ありませんね。
もっとも、私は会社員ではないので
同情の余地はありませんが フハハ


さて・・・
本日は和泉軍團「軍報」の
第42弾といたしまして
千葉県千葉市におかれていた
陸軍歩兵学校の遺構群を
ご紹介させてくださいませ↓



歩兵学校は、東京の新宿におかれた
戸山学校の歩兵戦術部門を
拡大させて独立した教育機関で
1912年(明治45)に設立されました。

「歩兵」は小銃や機関銃などを所持して
徒歩で移動する兵士を指し、
陸軍の基幹となる兵科で、その規模の
大部分を占める重要な部隊であり、
歩兵戦術の教育を施すことは、
戦争をする上で重要なこととして
扱われてきました。

ここでは、「歩兵」の運用方法や
戦闘術などの教育や研究が行われ、
終戦まで教育機関として機能しました。

現在、学校の敷地は作草部公園や
公務員住宅・少年鑑別所などに
変遷しており、面影がありませんが
門柱や軍用地境界標が
わずかに残っています。


2年ほど在住経験がある
千葉市にお邪魔しております↓



当時の通用門が残ります↓



敷地の南側と東側に
軍用地境界標が残っています↓





作草部公園内に歩兵学校の
碑が設置されています↓




【収録遺構】
 陸軍歩兵学校

  門柱 1箇所
  軍用地境界標 3本

【探訪情報】
 2005.12.29   第1回探訪
 2007.05.01   第2回探訪
 2007.05.10   第3回探訪
 2009.01.12   第4回探訪

 歩数(指数) 約10,000歩(677)


それでは、また明日っ!



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【和泉軍團】(41)柏陸軍病院

皆様、いかがお過ごしでしょうか。

ここのところ、本当にうれしい話で、
皆様方からメールを頂戴しておりますが
再び「滞留」しております。
私の大好きな「仕事」のおかげです。
申し訳ありません m(_ _)m

明後日までには返信しますので
もう少しだけお時間をくださいっ!
既読スルーではございませんので
くれぐれも誤解のなきよう・・・


さてさて、本日は既出案件での
ブログ更新です・・・

今回は、和泉軍團「軍報」の
第41弾といたしまして
千葉県柏市から柏陸軍病院の
遺構をご紹介させてください↓



柏陸軍病院は、柏飛行場と
この周辺に展開した陸軍部隊の
負傷兵を収容するための
病院として1939年(昭和14)に開院し、
終戦まで機能をしていました。

現在、跡地は国立柏病院を経て、
市立柏病院となっており、
当時の建物は消失していますが、
病院の入口付近に、敷地の
南端部を示す軍用地境界標が
2つ残存しています。


柏市にお邪魔しております↓



軍用地境界標が2つ残ります↓




【収録遺構】
 柏陸軍病院

  軍用地境界標 2本

【探訪情報】
 2007.XX.XX 第1回探訪
 (写真全消失により時期失念)
 2010.03.23 第2回探訪

 歩数(指数) 約3,000歩(100)


明日は、業後にちょっとした運動会が
あるため、ブログの更新は
「起算更新」となりそうです。


それでは、また明日っ!



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【和泉軍團】(40)横須賀海軍警備隊霞ヶ浦北防空砲台

皆様、いかがお過ごしでしょうか。

今日は仕事終わりにちょっとした
レクリエーションがありまして
久々に運動してきました(笑)

体を動かすのが久々だったので
凄く楽しめたのですが、
場所が渋谷だったので
帰路が大変で日を跨いじゃいました・・・


本日は、既出案件となりますが
和泉軍團「軍報」の第40弾として
茨城県土浦市におかれていた
霞ヶ浦北防空砲台の遺構を
起算更新の扱いで、簡単に
ご紹介させてくださいませ。


霞ヶ浦北防空砲台は、
横須賀軍港を統括した
横須賀海軍鎮守府の隷下におかれ
軍港周辺の防衛任務にあたった
横須賀海軍警備隊が守備する
防空砲台として、第一海軍航空廠や
霞ヶ浦海軍航空隊の各施設を
防衛する目的で1944年(昭和19)に
建設されました。

ここには、12.7cm連装高角砲の
2門をはじめ、機銃や高角測距儀・
探照灯・高射装置なども
設置されました。

現在、砲台の跡地は
山林となっており、草木で
埋もれた状態ですが、
当時の遺構が残存しています。


土浦市の山林内に
お邪魔しております↓



高角砲座といわれる
円形の窪みが残ります↓



機銃座といわれる遺構ですが
形状に違和感があります・・・↓



探照灯座といわれる遺構も
周辺に残っています↓



林道を挟んだ反対側の山林内にも
円形の窪みが残っていました↓




【収録遺構】
 横須賀海軍警備隊
 霞ヶ浦北防空砲台

  砲座 2箇所
  その他 3箇所

【探訪情報】
 2013.12.31  第1回探訪
 2016.04.02  第2回探訪

 歩数(指数) 13,212歩(100)


それでは、また明日っ!
(もう、今日ですけどねっ・・・)

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【和泉軍團】(39)陸軍東京湾兵団竹原洞窟砲台

皆様、いかがお過ごしでしょうか。

今日は仕事4割、ホムペ2割、
美容院2割、酒盛り1割、テレビ1割の
比率で12時間を過ごしました(笑)
平時の仕事時間の半分程度で
1日の仕事量をこなせるんだから、
平日がいかに無駄な時間で
構成されていることがよく判ります。


メール、全てに返信出来ませんでした。。。
そして、明日の探訪をすっぽかして
ゴメンナサイ m(_ _)m
「仕事」と言えば「免罪」になるとは
絶対になりえないと思っているので
こういうことを「言い訳」にするのは
本当に心苦しい・・・


さて・・・
更新が遅くなってしまいましたが
本日は和泉軍團「軍報」の
第39弾といたしまして
千葉県館山市におかれていた
竹原洞窟砲台のご紹介です↓



東京湾兵団は、太平洋戦争の末期に
アメリカ軍が計画していた
本土上陸作戦(コロネット作戦)に
対抗すべく、1945年(昭和20)に編制され
本土決戦作戦の一環で第一総軍の
第十二方面軍の傘下に入り、
房総半島の君津・天津小湊以南に
対する沿岸部の防備にあたりました。

この一環で竹原洞窟砲台は、
千倉方面の沿岸部の防衛を
目的として、傘下の九重地区隊が
守備する砲台として1944年(昭和19)に
設置され、15センチ榴弾砲が
2門据え付けられたようです。

現在、跡地は山林となっており
草木に埋もれているものの
坑道などが良好な状態で残ります。


房総半島戦跡考古調査会の皆様と
館山市の山林に来ております↓



筆頭メンバーであるmaya先生
洞窟砲台への入口部分で
立ってもらいました↓



内部は、一部に水没区間がありますが
全体を通して丁寧に掘削されています↓




砲室は2箇所設けられています↓




このうち、1つの砲室には
名前の彫り込みが残っています↓



砲室の上部にあたる山頂部分に、
高井ヶ谷砲台の観測所と同じような
円形の掘り込みと交通壕が
残っていました↓
P1220162.jpg


さらに、山頂から下ったところで
yakumo先生が陣地とおぼしき
地下壕を発見しました↓


内部は階層構造となっており
階段が設けられていましたが
水没しており進めませんでした↓



【収録遺構】
 陸軍東京湾兵団
 竹原洞窟砲台

   地下壕 2箇所
   トンネル 1箇所
   観測所 1箇所

【探訪情報】
 2017.01.02  第1回探訪

 歩数(指数) 未計測(100)


詳細は、後ほどホームページ内で
ご紹介させていただきますっ★


それでは、また明日っ!

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