戦争遺跡のご紹介やホームページの制作状況などを綴っていきます♪

総軍BLOGへようこそっ!

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祐実総軍三等兵

Author:祐実総軍三等兵
全国に残る戦争遺跡を探訪し
記録することを趣味とする
祐実総軍三等兵ですっ★

稚拙な内容ではございますが
これまでに関係者の皆様方と
見てきた戦争遺跡を中心に、
ブログ・ホームページなどで
順次ご紹介をしていきます♪

よろしくお願いしますっ★

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皆様、いかがお過ごしでしょうか。


今日はバレンタインデーですね~
残念ながら、今年は義理チョコを
いただくことは叶いませんでした(笑)

しょせん、私のライフワークなんて
こんなものでございます。
人気がないんでね(笑)


さてさて・・・
今回は和泉軍團「軍報」の
第74弾といたしまして、
千葉県松戸市におかれていた
第九十三師団のものとされる
千駄堀倉庫(仮称)の塹壕群を
簡単にご紹介させてくださいませ↓




第九十三師団は、太平洋戦争での
戦局が劣勢となったことにより、
金沢におかれた第五十二師団の
留守部隊を基幹として1944年(昭和19)に
編制され、来たる本土決戦に備えて
隷下部隊とともに松戸市内へ
移りました。

この翌年の1945年(昭和20)に入ると
千駄堀に食料の備蓄や弾薬類の
保管を目的として塹壕や地下壕が
掘削されたようですが、
詳しいことは判っていません。

現在、跡地は21世紀の森公園や
住宅地に変遷し整地されていますが
公園内に塹壕や地下壕の痕跡などを
少しだけ見ることが出来ます。



八柱から歩いて図書館に寄り
21世紀の森公園を目指します↓



公園の南側に位置する
つどいの広場付近に
塹壕が残っています↓



遊歩道を北上していくと
少し外れた林の中に塹壕が
あと2区画残っていますが
これじゃ何だか判りませんね(涙)↓




周辺には地下壕も掘削された
ようなのですが、残念ながら
崩れてしまっているみたいで
全滅でした・・・(涙)


【収録遺構】
 陸軍第九十三師団
 千駄堀倉庫

   その他 3箇所

【探訪情報】
 2011.03.23  第1回探訪

 歩数(指数) 約3,826歩(100)


後ほど、我々のホームページでも
ご紹介させていただきますっ★


それでは、またお会いいたしましょう!



↑よろしければ、こちらの「応援」も
 ひとつよろしくお願いします♪

皆様、こんばんわ m(_ _)m


明日は、埼玉方面の探訪前日に
なるのですが、よりによって
大好きな会社のイベントがあるため
シフト勤務になってしまいました(涙)

普通、会社でのイベントって
飲み会じゃあるめーし、
前日にいきなり湧いてくるような
話にはならないと思うのですがね(怒)

文句言ってても前に進まないから
結局やってやるんですけどね・・・

こういう素敵な企業体質が
改善されない限り、この業界は
人手不足が解消されることは
ないんだろうね~

今のご時世、金も払わないくせに
「仕方がない」となれば
社員が何でもやると思ったら
大間違いだよっ!

腹が立って「仕方がない」から
やってあげる代わりに
来週の火曜日を休みとして
4連休にしました~。


目一杯、遊んでやるんだ(笑)


さて・・・
本日もお得意の「愚痴」スタートで
申し訳ありません m(_ _)m

今回は和泉軍團「軍報」の
第73弾といたしまして、
千葉県四街道市におかれていた
陸軍砲兵射的学校の遺構を
1つだけご紹介させてくださいませ↓




砲兵射的学校は、1886年(明治19)に
設立した砲兵戦術や射撃の研究を
行う教育機関です。

学校設立の背景には1873年(明治6)に
明治政府が、フランス陸軍の
ジョルジュ・ルボン大尉を招聘して
旧佐倉藩の大砲の試射場が
おかれていた下志津原で、
砲術の伝習教育が行われたことに
あります。

1897年(明治30)に入ると、施設の
拡大に伴い、現在の鹿渡地区に
施設を移し、野戦砲兵射撃学校に
改称されます。

また、砲術が進歩したことにより、
隣接しておかれた砲撃の
演習場(下志津演習場)が
拡張されて、他の部隊でも
使用されるようになりました。

1922年(大正11)には、演習科目も増えて
野戦砲兵学校に改称され、
射撃戦術や着弾観測・通信技術などの
ほかに、高射砲を使用した訓練も
行われるようになり、終戦までに
多くの学生が卒業しました。

現在、学校跡地は四街道市役所や
中央公園・イトーヨーカドーなどと
なっており、当時の面影がありませんが
砲撃の的に使用された
射朶(砲弾の的)が残っています。



四街道にお邪魔しております↓



佐倉街道付近に、射朶の跡が
残っています↓



射朶の麓付近に
「砲兵射朶の跡」の碑が
建立されています↓



2006年時点の射朶は
こんな感じだったのですが・・・↓



ストリートビューを見る限り
周辺の開発が著しく、
ハゲ山さんになっている模様・・・↓



射朶の上部には小さなあずまやが
建てられており、ちょっとした
休憩スペースになっています↓



射朶の斜向かいにあたる
佐倉街道沿いには
野戦砲兵学校の碑・案内板と
砲弾類が展示されています↓




【収録遺構】
 陸軍砲兵射的学校
 (陸軍野戦砲兵射撃学校,
  陸軍野戦砲兵学校)

   その他 1箇所

【探訪情報】
 2006.08.27  第1回探訪
 2007.05.21  第2回探訪

 歩数(指数) 約1,000歩(100)


それでは、またお会いしましょうっ★



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 ひとつよろしくお願いします♪

皆様、いかがお過ごしでしょうか。


まったく、月曜日は色々な意味で
気が滅入りますね~(汗)
こういう日に限って、バタバタと
対応を迫られちゃったりして・・・

今度の土曜日に埼玉方面へ
探訪するので、当日のプランを
検討するのに忙しいんだから、
仕事でバタバタやってる場合じゃ
ないんですよ(怒)

今は「シーズン」ですから、
私にとっては「探訪」が
「仕事」よりも優先なんです。

 探訪>家のこと>ホムペ>仕事 ククク

我が家は本当に舐めている(笑)


さてさて・・・
本日は和泉軍團「軍報」の
第73弾といたしまして
千葉県千葉市におかれていた
鉄道連隊の演習場の遺構を
ご紹介させてくださいませ↓




鉄道連隊の演習場は、椿森におかれた
兵営に隣接する形で設置され、
架橋に関する演習作業を中心とした
兵科演習が行われました。

また、園生町と萩台町に跨った地域にも
狭窄射撃場が設置されて射撃の訓練も
行われています。

現在、演習場の跡地は千葉公園や
競輪場などとなっていますが、
架橋演習に使用された橋脚や
演習線のトンネル・軍用地境界標などが
残っています。

また、狭窄射撃場の跡地は
京葉道路が建設されて分断され、
さらに住宅が建ち並んでいるために
面影がほとんど無い状態ですが
狭窄した地形が部分的に判り
穴川インターの近くや園生町の
森林内に、軍用地境界標が
残っています。



重鎮メンバーの皆様方と
千葉公園にお邪魔しております↓



公園内に演習用の橋脚が
2つ残っています↓




千葉都市モノレールの
千葉公園駅付近にも
1931年(昭和6)に竣工した
演習用トンネルが残っています↓



ウィンチ台の基礎といわれている
遺構も公園内に残っています↓



一部は公園内になりますが、
外周部分に軍用地境界標が
6本残ります↓








穴川・園生方面に移動します↓



狭窄射撃場の軍用地境界標が
4つ残存しています↓






【収録遺構】
 陸軍鉄道連隊
 椿森演習場
 (陸軍鉄道第一連隊
  椿森演習場)

   トンネル 1箇所
   軍用地境界標 10本
   その他 3箇所

【探訪情報】
 2005.12.29  第1回探訪
 2007.04.29  第2回探訪
 2007.05.01  第3回探訪
 2007.05.10  第4回探訪
 2009.01.02  第5回探訪

 歩数(指数) 約35,000歩(660)


昨日の記事に引き続きまして
急ぎ足でのご紹介になってしまい
申し訳ありません m(_ _)m


それでは、またお会いしましょうっ★



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皆様、いかがお過ごしでしょうか。


今日は「休暇」でございます(笑)
陽気もいいので、近場にでも
探訪しようと思ったのですが、
ちょっと、気分の高まりが遅くて
断念しました・・・

それならばっ!と思い、
パソコンに座ってホームページ
制作を継続しようとしたのですが
おピンちゃんのブログの更新日と
被ってしまい、畏れ多くも大元帥閣下に
パソコンをお譲りし、ついさっきまで
長い間、腑抜けになっておりました(笑)

「宣伝」になってしまいますが、
パソコンの操作が「絶望的」な
あの総軍大元帥閣下が、
自己啓発のためにパソコンと向き合い
おピンちゃんのブログを一生懸命に
更新しているようですので、
時間がある時にでもご笑覧いただき
ヤツの涙ぐましい努力を
応援してやってくださいませ m(_ _)m


さてさて、PCの占有が解除されたので
ここからは私がPCを独占します(笑)

今回は、和泉軍團「軍報」の
第71弾といたしまして、
千葉県柏市と流山市にまたがって
おかれていた第四航空教育隊の
遺構をご紹介させてくださいませ↓




第四航空教育隊は、第一飛行集団に
隷属した教導部隊で、1938年(昭和13)に
開設し、当初は東京の立川に
施設がおかれていましたが、
柏飛行場の開設にともなって
1940年(昭和15)に現在の高田周辺へ
移駐して施設がおかれました。

ここでは、半年の期間にわたって
航空兵の養成を行い、
その教育課程を終えると、
航空兵として実戦部隊へ
送り込まれていきました。

現在は、跡地のほとんどが
機械金属工業団地となっていますが、
当時の遺構がいくつか残っています。



いにしえである古株メンバーの方々と
柏市内にお邪魔しております↓



梅林第四公園の入口に
当時の門柱が移設保存されています↓



公園内に第四航空教育隊の沿革を
記した看板が立てられています↓



公園の裏手付近にも
1対だけ残されていました↓



公園から西に進んだ工場付近には
給水塔の一部が残っています↓



このほか、周辺に弾薬庫が1棟だけ
残っていますが、ここでは
掲載を控えさせていただきます m(_ _)m


続いて、流山市に入っていきます↓



軍用地境界標が5本残っています↓








【収録遺構】
 陸軍第一飛行集団
 第四航空教育隊

   門柱 2箇所(柏市)
   その他 1箇所(柏市)
   軍用地境界標 5本(流山市)

【探訪情報】
 2005.11.13  第1回探訪
 2010.03.20  第2回探訪
 2010.03.23  第3回探訪
 2016.04.02  第4回探訪

 歩数(指数) 未計測(160)


さて・・・
ホームページの制作を継続します。


それでは、またお会いいたしましょうっ★



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皆様、連休をいかがお過ごしでしょうか。


今日は、畏れ多くも総軍大元帥閣下と
地元の安養院へ初詣に行きました↓



毎年恒例の厄除銀杏をゲットです(笑)↓



ここに来て、やっと「正月」ムードです。
なので、あと5日くらい休まないと(笑)


さてさて、本日は和泉軍團「軍報」の
第70弾といたしまして、
茨城県稲敷郡阿見町におかれた
横須賀海軍施設部の霞ヶ浦支部の
遺構と考えられる軍用地境界標を
1つだけご紹介させてくださいませ↓




海軍施設部は、軍事施設の建設と
建造物の維持をしていく部署で、
阿見町に霞ヶ浦海軍航空隊が
設置されたことにより、
横須賀海軍施設部の支部が
隣接しておかれていました。

現在、敷地跡の大半が
住宅地となっており、当時の面影が
全くありませんが、敷地の西側境界を
示しているものと考えられる
軍用地境界標が1つだけ
残存しています。



阿見町にお邪魔をしております↓


この道路も、霞ヶ浦海軍航空隊の
本部から、のちの土浦海軍航空隊の
敷地となる水上機の練習場を
舗装道路で結んでいた名残です。


軍用地境界標が1つ残っています↓


ちょっと写りが悪いですが
太陽の光が当たっている面に
「海軍用地」と刻まれています。


いつも気になっているのですが、
この古い構造物は何なのだろうか・・・↓


ご存じの方がおられましたら、
是非ともご教示いただきたいですっ!


【収録遺構】
 横須賀海軍施設部
 霞ヶ浦支部

   軍用地境界標 1本

【探訪情報】
 2013.12.31  第1回探訪

 歩数(指数) 3,159歩(100)


それでは、またお会いいたしましょうっ★



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