戦争遺跡のご紹介やホームページの制作状況などを綴っていきます♪

総軍BLOGへようこそっ!

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祐実総軍三等兵

Author:祐実総軍三等兵
全国に残る戦争遺跡を探訪し
記録することを趣味とする
祐実総軍三等兵ですっ★

稚拙な内容ではございますが
これまでに関係者の皆様方と
見てきた戦争遺跡を中心に、
ブログ・ホームページなどで
順次ご紹介をしていきます♪

よろしくお願いしますっ★

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皆様、いかがお過ごしでしょうか。


月曜日は本当に気分が落ちますね・・・
しかも、今週は年度末にあたるので
飲み会なども色々ありまして(涙)


私は、お酒は好きです(笑)
ですが、本当に心を許せる人と
一緒に飲めないお酒は
あまり好きではありません・・・

一番、おいしく飲めるお酒は
何といっても、探訪後に
関係者の皆様方とやることに
尽きますねっ!

おいしいお酒の飲み方を
知っちゃったもんだから、
「大好き」な仕事の社交辞令などの
いわゆる「付き合い」で飲む酒が
くそ不味いこと・・・

不味いと思うなら、飲み会に
参加しなければいいのにね・・・

色々と難しいもんです(涙)


さてさて、本日は和泉軍團「軍報」の
第80弾といたしまして
千葉県旭市に残存する
香取海軍航空隊の飛行機掩体を
1つだけご紹介させてください↓




香取海軍航空隊は、飛行機の操縦や
整備を行う練習部隊で、1944年(昭和19)に
開隊しました。

飛行場は、1943年(昭和18)9月に
完成し、約1,500メートルの滑走路が
×印を描く形で 2本設置され、
飛行訓練が昼夜を問わず
行われました。

1945年(昭和20)に入ると、
本土空襲が本格化したことで
本土を防衛するための基地となり、
関東地区の基地から直接出撃する
最初の特攻隊が編成され、
硫黄島沖に展開したアメリカ軍の
4艦艇に突入し撃沈させています。

以降、訓練を終えた隊員は
特攻要員として編成され、
南九州における特攻作戦に出撃し
壮絶な最期を遂げています。

現在、跡地は工業団地や高校・
水田などになり、当時の遺構は
消失していますが、鎌数伊勢神宮裏手に
飛行機掩体が1つ残っています。



三等兵の知力・膂力を
大きく伸ばしてくれた
古参メンバーの皆様方と
旭市内にお邪魔しております↓



鎌数伊勢神宮の裏手に
飛行機掩体が1つ残っています↓




案内板も設けられています↓



香取海軍航空隊の敷地は、
匝瑳市にも跨っており、
同市内にも遺構が残っていますが
別掲載とさせてくださいませ m(_ _)m


【収録遺構】
 香取海軍航空隊(千葉県旭市)

  飛行機掩体 1箇所

【探訪情報】
 1998.05.02   第1回探訪
 2005.02.26   第2回探訪
 2007.04.29   第3回探訪


 歩数(指数) 未計測(216)


明日は、大好きな仕事の
「送別会」がありますので、
大変申し訳ありませんが
ブログの更新をお休みします m(_ _)m


それでは、またお会いしましょうっ★



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皆様、いかがお過ごしでしょうか。


いや~、久々に不本意ながら
仕事が忙しかったもので・・・

忙しいといっても、当方は基本的に
定時間内でしか働かないので
仕事が大好きな人達は「まだまだ」と
言うかもしれませんが、そんなことは
知ったことじゃぁございやせん(笑)


さてさて、本日も和泉軍團「軍報」の
第79弾といたしまして、
千葉県勝浦市におかれていた
海軍第七特攻戦隊の鵜原基地の
遺構群を簡単にご紹介します↓




第七特攻戦隊は、太平洋戦争の
戦局が圧倒的に劣勢となったことに伴い
本土決戦に備えて編成された
特別攻撃部隊で、1945年(昭和20)の
初頭に入り、勝浦市に司令部が
おかれました。

ここには、第七特攻戦隊の
傘下におかれていた
第五十五震洋隊をはじめとする
突撃部隊が戦闘配備について、
鵜原地区の入江部分に横穴式の
特攻艇格納庫をはじめ、複数の
地下施設が設置されていました。

現在、これらは草木などに埋もれて
内部見学は難しくなっていますが
見学が可能です。



勝浦市内にお邪魔しております↓



鵜原館の西に位置する山に、
コンクリートが捲かれた
地下壕が2つ残っています↓



このうちの1つは、
内部がY字に分岐しており
一方が山の反対側まで
貫通しています↓



付近には海龍の格納壕と推測する
高さがある壕も残っていました↓



市道をはさんだ向かい側には
震洋の格納壕と推測する
幅広の壕がいくつか残ります↓




南側に位置する漁港には
陸地に格納した舟艇や魚雷類を
着水させるための滑走台といわれる
コンクリート製の遺構が残ります↓



【収録遺構】
 横須賀海軍鎮守府
 第七特攻戦隊
 鵜原基地

  地下壕 4区画
  その他 1箇所

【探訪情報】
 1996.XX     第1回探訪
 2014.01.04   第2回探訪

 歩数(指数) 未計測(100)


それでは、またお会いいたしましょうっ!



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皆様、いかがお過ごしでしょうか。


今日は寒いし、天気が悪いし
雪まで降っちゃうし、最悪な
祝日でしたね・・・

今度の週末は、再び泊りがけで
おピンちゃん先生の鎌倉取材の
助手をするために埋まっているので
今日が探訪のチャンスだったのですが
こんな陽気じゃ仕方がありません・・・


さて・・・
今回は和泉軍團「軍報」の
第78弾といたしまして、
千葉県船橋市におかれていた
騎兵実施学校の建物群を
簡単にご紹介させてください↓




騎兵実施学校は、馬術や射撃などの
教育を行うことを目的として
1888年(明治21)に、この前身の
乗馬学校が東京の麹町に
設置されたことが始まりで、
教育科目が増えたことに伴って
騎兵実施学校に改称されて
目黒の新校舎に移転します。

しかし、演習や訓練を行うには
用地が手狭であったため
広大な習志野原演習場に目をつけ
これに隣接する形で1916年(大正5)に
再度移転しました。

翌年に入ると、最終的な名称となる
騎兵学校に改称されて、
馬術・馬事・射撃・実兵の指揮と
その教育手法を学ぶための
教育機関として機能しました。

現在、跡地は陸上自衛隊の
習志野駐屯地となっていますが、
当時の建物と思われる遺構が
駐屯地の敷地内に残っています。



終戦直後の航空写真に
写っているので、これらは
当時の建物であると思われます↓




駐屯地内には馬見所も
移設保存されています↓


馬見所は、天皇陛下が
演習風景を見るためのもので
以前は習志野駐屯地の
入口付近にありましたが、
移設されて現在に至っており
空挺館に使用されています。


【収録遺構】
 陸軍騎兵実施学校
 (陸軍騎兵学校)

  建物 3棟

【探訪情報】
 2007.05.29   第1回探訪
 2011.03.08   第2回探訪

 歩数(指数) 約1,500歩(78)


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皆様、いかがお過ごしでしょうか。


三等兵は風邪がなかなか治らず
まだゲホゲホやってます・・・

おかげで、土・日とも買い物以外に
外出することなく、結果として
月曜日からの大好きな仕事に備えて
療養する形になってしまいました・・・

まったく「残念」で仕方がありません。


さて・・・
本日は和泉軍團「軍報」の
第77弾といたしまして、
千葉県勝浦市におかれていた
横須賀海軍鎮守府第七特攻戦隊の
勝浦基地の遺構をご紹介します↓




第七特攻戦隊は、太平洋戦争の
戦局が圧倒的に劣勢となったことに
伴って、本土決戦に備えて
編成された特別攻撃部隊で、
1945年(昭和20)の初頭に入り、
勝浦市に司令部がおかれました。

ここには、第七特攻戦隊の傘下に
おかれていた第一二九震洋隊を
はじめとする突撃部隊が戦闘配備につき
浜勝浦地区の先端部分に横穴式の
特攻艇格納庫をはじめ、複数の
地下施設が設置されていました。

現在、これらの大部分は
水産加工場などに転用されており
内部見学は難しいですが入口部分を
見ることは可能です。



勝浦市の浜勝浦地区にお邪魔してます↓



浜勝浦地区を南北に縦断する
県道沿いに、入口がコンクリート製の
地下施設がいくつか残っています↓



残念ながら、入口が鉄格子などで
塞がれており、内部には入れませんが
それなりの規模がありそうです↓



さらに南へ進んでいくと、
船艇の格納庫と思われる
地下壕がいくつか残っています↓




【収録遺構】
 横須賀海軍鎮守府
 第七特攻戦隊
 勝浦基地

  地下壕 2区画

【探訪情報】
 1997.XX.XX   第1回探訪
 2014.01.04   第2回探訪

 歩数(指数) 未計測(100)


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皆様、いかがお過ごしでしょうか。


三等兵は体調を崩してしまい、
昨日・一昨日と会社を休んだツケが
一気にまわってきてしまい、
今日は大変でした(笑)


今の会社は、そんなにクソじゃないから
多少、無理してでも行かなきゃって
思えるけど、それまでのところだったら
絶対3日休んで5連休にしてましたね(笑)

人間を「物」や「道具」としか見ない
会社に尽くすことなんかありませんっ!
そんなに尽くしたところで
しょせん、大した金なんか
どこも出さねーんだから(怒)

私が会社員を辞めた最大の理由が
ここにあります(笑)

とはいっても、フリーランスは
いいことばかりじゃありませんが(涙)


さてさて、本日も社会への愚痴が
いい感じになったところで
今回は和泉軍團「軍報」の
第76弾といたしまして
千葉県習志野市におかれていた
騎兵第一旅団司令部の遺構を
ご紹介させてくださいませ↓




騎兵第一旅団は、近衛師団に
隷属する部隊で、1901年(明治34)に
司令部と隷下の騎兵第十三連隊・
騎兵第十四連隊が大久保地区一帯に
設置されました。

また、これに隣接して第一師団に
隷属する騎兵第二旅団もおかれ、
司令部とこの隷下部隊の
騎兵第十五連隊・騎兵第十六連隊も
設置されました。

これらの兵営は、一直線上に
並べられて配置され、互いに競争させ
訓練の成果を戦闘で引き出す狙いが
あったようです。

その後、両旅団は日露戦争に出動し
第一軍と第二軍の傘下にそれぞれ入り
活躍しますが、なかでも騎兵第一旅団は
満州総司令部の失態で黒溝台において
ロシア軍の奇襲攻撃を受けた際、
苦戦に陥りながらも見事に撃退させる
大戦果を挙げています。

しかし、大正時代に入り軍備の縮小を
迫られて、第一次世界大戦以降は
騎馬に代わる兵器として戦車や
自動車・航空機などが近代戦の主力と
なったために解隊され、部隊は最終的に
戦車師団へ編入されました。

旅団の跡地は公園や住宅地などになり
当時の面影が全くありませんが、
八幡公園内に門柱が残存しており
案内板が設置されて習志野市で
保存されています。

また、この北方には頂部が三角錐の
軍用地境界標と思われる標柱が
残っています。



習志野市の大久保地区にお邪魔中です↓



八幡公園内に門柱が保存されています↓



門柱の横に案内板も設けられています↓



公園内には騎兵旅団発祥の地として
石碑も建立されています↓



この北側に軍用地境界標と考えられる
頂部が三角錐の石柱がありました↓



【収録遺構】
 陸軍近衛師団
 騎兵第一旅団司令部

  門柱 1箇所
  軍用地境界標 1本

【探訪情報】
 2005.01.22   第1回探訪
 2007.05.10   第2回探訪

 歩数(指数) 約2,000歩(100)


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