FC2ブログ

戦争遺跡のご紹介やホームページの制作状況などを綴っていきます♪

総軍BLOGへようこそっ!

♦ プロフィール

祐実総軍三等兵

Author:祐実総軍三等兵
全国に残る戦争遺跡を探訪し
記録することを趣味とする
祐実総軍三等兵ですっ★

稚拙な内容ではございますが
これまでに関係者の皆様方と
見てきた戦争遺跡を中心に、
ブログ・ホームページなどで
順次ご紹介をしていきます♪

よろしくお願いしますっ★

♦ カウンター

♦ 最新記事

♦ アクセスランキング

[ジャンルランキング]
地域情報
179位
アクセスランキングを見る>>

[サブジャンルランキング]
その他
6位
アクセスランキングを見る>>

皆様、いかがお過ごしでしょうか。


ここのところ、寒くて雪が多いですね。
毎日、通勤で電車を待っている間、
ホームで膝を震わせています(笑)

今年は「暖冬」と聞いていたのですが
そうでもないようです。

まあ、当方の「聞き間違い」かも
しれませんけどね。


さてさて、今回は和泉軍團「軍報」の
第111弾といたしまして、
茨城県小美玉市におかれていた
筑波海軍航空隊百里原分遣隊の
遺構群を簡単にご紹介させてください↓




百里原分遣隊は、航空機の操縦や
航空戦術などの教育を行うことを
目的として、1938年(昭和13)に
開設されました。

この翌年に航空隊に昇格し、
太平洋戦争に突入すると
任務が増強され、太平洋上の
哨戒任務や沖縄方面の特攻作戦にも
従事しています。

現在、跡地は航空自衛隊百里基地や
茨城空港・住宅地・畑地などに
変遷していますが、当時の遺構が
いくつか残っています。



マッキー先生と茨城空港付近に
お邪魔しております↓



茨城空港の入口付近の道路沿いに
移設された門柱が残っています↓



塀の一部も残っています↓



移設されている門柱の横に
航空隊の鎮護神として祀られた
百里神社があります↓



本殿でお賽銭とお祈りを
させていただきました↓



北側の農地付近を進んでいきます↓



長波方位測所や光学兵器整備場と
いわれる建物が1つ残っています↓



納屋として使用されているようです↓



県道を挟んで反対側の林に
入っていきます↓



埋もれていますが、無蓋式の
飛行機掩体が1つ残っています↓



今度は航空自衛隊百里基地の
東側に駒を移していきます↓



林の中に飛行機掩体が
1つだけ完存しています↓



規模が大きいので撮影が難しいですが
「W」の字を描くように盛土が残っており
2機が格納出来るようになっています↓



探訪に際し、事前に耳打ちしてくれた
盡忠報國先生の情報をもとに
他の飛行機掩体も探してみましたが・・・↓



時すでに遅く、残念ながら造成のため
消失してしまったようです・・・↓



敷地の北側にあたる部分にも
飛行機掩体があったようですが、
こちらは既に家まで建っていました↓



ちょっと不完全燃焼でしたが
遅いお昼を食べて次の案件に
進んでいきます↓



【収録遺構】
 筑波海軍航空隊
 百里原分遣隊
 (百里原海軍航空隊,
  第六〇一海軍航空隊)

  門柱 1箇所
  建物 2棟
  軍用地境界塀 1区画
  飛行機掩体 2箇所
  その他 1箇所

【探訪情報】
 2018.11.26  第1回探訪

 歩数(指数) 未計測(100)


後ほどホームページ内でも
ご紹介させていただきますねっ♪


それでは、またお会いしましょうっ★



↑よろしければ、こちらの「応援」も
 ひとつよろしくお願いします♪

皆様、いかがお過ごしでしょうか。


残念ながら、大好き過ぎて震えてしまう
「お仕事」の打ち合わせで、3月より
開発現場に出向を言い渡されてしまい
浜松町に異動となります・・・

仕事に興味もやりがいもないし、
どちらにしても本拠からは不便な
位置なので、どうでもいいお話しです。

軍跡調査関係のお仕事なら
超ウェルカムなんですがっ(笑)


さて、今回はバックナンバーである
和泉軍團「軍報」の第106弾の続編として
千葉県木更津市におかれていた
木更津第二海軍航空廠補給工場の
遺構をご紹介させてください↓



なお、これは「後続記事」ですので
「本記事」もご覧くださいませ↓

 (106)木更津第二海軍航空廠
 (106_続編1)第二工員宿舎
 (106_続編2)第三工員宿舎



木更津の海上自衛隊航空補給処付近に
お邪魔しております↓



敷地の北側に当時の格納庫が
4棟残っています↓




これらは昭和21年の航空写真にも
写っています↓



このほか、敷地の外周に
軍用地境界標が3本残っていましたが
現在は引き抜かれて消失しています↓





標柱の正面に防衛庁(当時)の杭が
設置されて見づらいものばかりでしたが
このうち1本はマークと海の文字が
確認出来ました↓



太田山に移動し、次の案件を
見学していきます↓



【収録遺構】
 木更津第二海軍航空廠

   建物 9棟
   その他 5箇所
   建物 4棟(今回追加)
   軍用地境界標 3本
   (消失分として今回追加)

【探訪情報】
 2004.10.09  第1回探訪
 2006.01.21  第2回探訪
 2011.02.26  第3回探訪
 2018.12.06  第4回探訪
 2018.01.27  第5回探訪

 歩数(指数) 未計測(450)


後ほどホームページ内にも
追加させていただきますねっ♪


それでは、またお会いしましょうっ★



↑よろしければ、こちらの「応援」も
 ひとつよろしくお願いします♪

皆様、いかがお過ごしでしょうか。


本日が軍跡関連にかかりきれる
最後の日でございます・・・

明日からクソリーマン社会に復帰となり
おかげさまで、少しも嬉しくないです。


当方には、軍跡関係にかかりきるため
3か月の期間が与えられましたが、
総括すると「時間が足りない」ですね。

仕事が大好きで仕方ない人から見ると
「どうせダラけて暇してたんでしょ?」と
言われてしまいそうですが、残念ながら
「お金にならなかった」だけであって
確実にそういう人達より作業してます(笑)

取り組んでいることが仕事になれば、
確実に「社畜」になれる自信があります。
真面目ですし(笑)


さて、久しぶりに仕事へ行きたくない病に
かかったところで、和泉軍團「軍報」の
第110弾の続編として、千葉県富津市に
おかれていた富津射場の磯根観測所の
遺構をご紹介させてください↓



なお、これは「後続記事」ですので
「本記事」もご覧くださいませ↓

 【和泉軍團】陸軍技術本部富津射場



房総探訪チームの懐刀である
マッキー先生と富津市内の山中に
お邪魔しております↓



磯根崎を目指していきます↓



途中で道を外れて山頂を目指し
鬱蒼とした竹林を越えていくと
観測所の建物跡が残っています↓



残念ながら破壊されていますが
想像していたよりも大きいです↓



建物内部にまで竹がおよんでましたが
当方に耳打ちしてくれた盡忠報國先生が、
以前に探訪した時に掃除をしてくれたので
見やすくなっています↓



脇には関連する遺構が埋もれています↓



少し山を下った場所に軍用地境界標が
埋もれるようにして2本残っていました↓




雨がひどくなってきたので引き返し
安楽亭で遅いお昼ゴハンにして
次の案件を目指していきます↓



【収録遺構】
 陸軍技術本部富津射場
 (陸軍兵器行政本部
  第一技術研究所
  富津試験場)

  砲座 1箇所
  その他 7箇所

  建物 1棟(今回追加)
  軍用地境界標 2本(今回追加)
  その他 1箇所(今回追加)

【探訪情報】
 2006.11.19  第1回探訪
 2014.08.14  第2回探訪
 2018.12.06  第3回探訪

 歩数(指数) 未計測(348)


今回の追加分は、後ほど
我々のホームページ内でも
ご紹介させていただきます。


それでは、またお会いしましょうっ★



↑よろしければ、こちらの「応援」も
 ひとつよろしくお願いします★

皆様、いかがお過ごしでしょうか。


11月から約3か月間にわたって、
軍跡関係の作業にかかりきりましたが
いよいよ終焉の時がやってきました・・・

気分が乗らない日もありましたが
ブラック企業なみの作業時間数は
こなしたものと確信しています(笑)

「成果は?」と聞かれてしまうと
探訪以外は自信がもてませんが・・・


さて、本日は和泉軍團「軍報」の
第110弾といたしまして、
千葉県富津市におかれていた
富津射場の遺構群のうち、
富津岬周辺に残るものを
簡単にご紹介させてくださいませ↓




富津射場は、機関銃や大口径砲などを
使用して弾丸の速度や空気抵抗の
測定を行ったり、命中試験・貫通試験・
耐久試験などを行う目的で、
1915年(大正4)に設置された試射場です。

当初、兵器技術の調査や研究を行う
機関である陸軍技術本部の試射場として
機能しましたが、1941年(昭和16)の
組織改編によって、陸軍兵器行政本部に
属すこととなり、この傘下に入った
第一技術研究所の試験場に使用されました。

現在、跡地は県立富津公園となっており
一部整地されていますが、監的や
射入窖などの遺構が現存しています。



重鎮メンバーの皆様方とともに
富津岬にお邪魔しております↓



ここから、さらに岬の方に進み
富津海浜の森に入っていきます↓



富津海浜の森を進んでいくと
小銃や機関銃の弾の速さや
貫通力を確認するために設置された
放列施設が残っています↓



放列施設の向かい側には
射入窖と呼ばれるコンクリート製の
的が残っています↓



さらに岬の突端部分へ進むと
埋もれるようにして監視所が
3ヶ所残っています↓





道路を挟んだ北側に位置する
富津岬荘の駐車場付近にも
長距離大口径砲を据付けた
砲座が1つだけ残っています↓



北側の海岸付近には
長距離大口径砲の試射を行った際に
観測を行うための監視所が残ります↓



判りづらい場所ですが、県立富津公園の
東端付近に位置する林の中にも
重機関銃の機構保護と、さまざまな方向に
照準して射撃を可能とするために
設置された隠顕式の銃塔が残ります↓



銃塔の内部はこんな感じでした↓



富津岬だけではなく、周辺に
監視所を中心とする遺構が残りますが
これらは別記事とさせていただきますね。


【収録遺構】
 陸軍技術本部富津射場
 (陸軍兵器行政本部
  第一技術研究所
  富津試験場)

  砲座 1箇所
  その他 7箇所


【探訪情報】
 2006.11.19  第1回探訪
 2014.08.14  第2回探訪

 歩数(指数) 未計測(296)


それでは、またお会いしましょうっ★



↑よろしければ、こちらの「応援」も
 ひとつよろしくお願いします★

皆様、いかがお過ごしでしょうか。


私のまわりでインフルエンザをはじめ
風邪をひいてダウンしている方が多くて
ちょっとビックリしています。


今は、まだ軍跡のまとめ作業などで
家にこもっていることが多いですが
2月に入って外に出た矢先に
ダウンしたら嫌ですね。。。


さてさて、本日も和泉軍團「軍報」の
第109弾といたしまして、
千葉県勝浦市に掘削された
陸軍第一四七師団の陣地を
ご紹介させてくださいませ↓
DSC_0220_201901251603117ba.jpg



第一四七師団は、1945年(昭和20) に
旭川で編成されて開設された特設師団で
第一総軍の第十二方面軍に
所属していた第五十二軍の
隷下部隊となり、師団基幹には
歩兵第四二五連隊~歩兵第四二八連隊の
4個部隊がありました。

太平洋戦争の末期、アメリカ軍は
「コロネット作戦」と呼ぶ日本本土への
上陸作戦を計画し、九十九里浜と
神奈川県の相模湾より上陸して、
首都圏の拠点を制圧しながら
帝都に攻め入るという作戦内容で
九十九里浜には約24万人もの
アメリカ軍が上陸を予定していました。

これに対し、日本軍は「本土決戦作戦」を
計画して両海岸の防備にあたり、
この中で第五十二軍は九十九里浜沿岸の
防備を担当し、第一四七師団は
大網白里市より勝浦市に至る地域の
防衛任務にあたりました。

主な防衛方針は海岸後方の山に
抵抗拠点となる陣地を展開させ
上陸兵に狙撃を行うというものでしたが
決戦となる前に終戦となり、実際に
使用されることはありませんでした。

勝浦市については、関谷地区周辺で
洞窟陣地の存在を確認しており、
崩落が進んでいるものの、
現在も見学することが可能です。



maya先生yakumo先生と一緒に
毎年恒例の「新春初潜り大会」の一環で
御宿町の探訪後、勝浦市内に
お邪魔しております↓



お昼を過ぎたので、みんなで焼き鳥を
食べてから山に入っていきます↓



しばしの談笑のあと、
早速、背面の山に掘削されている
洞窟陣地に入っていきます↓



陣地特有の、うねった坑道が
たまりませんな(笑)↓



主坑道は東西方向にはしっています↓



水没しているものの、狙撃口が
設けられていました↓



このほか、砲室や弾薬庫と考えられる
空間が残り、坑道の総延長は
70.5メートルを計測しています↓



1つ目の陣地の内部図です↓



さらに山を上がっていきます↓



1つ目の陣地を越えた反対側に
2つ目の陣地の入口が残ります↓



内部は坑道がクランクしながら
最深部に設けられた部屋状の
空間に接続しており、坑道延長は
30.5メートルを計測しています↓



2つ目の陣地の内部図です↓



隣接するようにして
3つ目の陣地が残ります↓



こちらも2つ目の陣地と同様で
最深部に部屋状の空間が
設けられており、坑道延長は
11.5メートルと小規模です↓
katsuura20.jpg


3つ目の陣地の内部図です↓



3つ目の陣地の向かい側に
進んでいきます↓



4つ目の陣地が口を開けていました↓



こちらは2つの入口が
設けられていたようです↓



2箇所の入口からのびる通路の間に
挟まるようにして部屋状の空間が
展開しています↓



残念ながら、もう1つの入口は
土砂の流入が著しい状況ですが、
「コ」の字形となっていることが判り、
坑道総延長は49.5メートルでした↓



4つ目の陣地の内部図です↓



越えてきた山を戻るように進むと
5つ目の陣地の入口がありました↓
katsuura22.jpg


5つ目の陣地は、坑道がクランクして
最深部に狙撃口が設けられており、
坑道総延長は24.5メートルでした↓



時間が圧してきたので退却し、
次の案件を探訪します↓



今回、探訪出来た全ての陣地群を
トレースするとこのようになります↓

※内示用ですので一定期間経過後は
 削除する予定です。


この山の山頂部分には、塹壕や
たこつぼと考えられる小さい窪みや
何かの設置痕と思われる
円形の窪みなどが残っていました。

機会があれば再訪をして
もう少し見てみたい場所でした。


【収録遺構】
 陸軍第一四七師団
 抵抗拠点陣地(勝浦市)

  地下壕 5箇所

【探訪情報】
 2019.01.03  第1回探訪

 歩数(指数) 未計測(100)


後ほどホームページ内でも
ご紹介させていただきますねっ♪


それでは、またお会いしましょうっ★



↑よろしければ、こちらの「応援」も
 ひとつよろしくお願いします★