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戦争遺跡のご紹介やホームページの制作状況などを綴っていきます♪

総軍BLOGへようこそっ!

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祐実総軍三等兵

Author:祐実総軍三等兵
全国に残る戦争遺跡を探訪し
記録することを趣味とする
祐実総軍三等兵ですっ★

稚拙な内容ではございますが
これまでに関係者の皆様方と
見てきた戦争遺跡を中心に、
ブログ・ホームページなどで
順次ご紹介をしていきます♪

よろしくお願いしますっ★

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皆様、いかがお過ごしでしょうか。


最近、色々とありまして
ブログを更新する時間がなく
再び開いてしまいました…


好きなことをする時は
時間の経過が遅くならないか
本気で思ってたりしますね(笑)


その代わり、仕事は
8分の1の時間に縮んでもらって
構いませんからっ!


さて、今回は和泉軍團「軍報」の
第136弾といたしまして
茨城県つくばみらい市の公園内に
保存されている旧南満州鉄道の
プレニ型機関車をご紹介させてください↓




南満州鉄道は、日露戦争の勝利により
ロシアより譲渡されたシベリア鉄道の
支線と付属事業を経営した国策会社で
1906年(明治39)に設立され、
以後の日本の大陸進出では
軍事輸送で重要な役割を担いました。

プレニ型機関車は、南満州鉄道が
保有していた機関車の 1つで
1935年(昭和10)に名古屋の日本車輌で
製造され、南満州鉄道が運営した
昭和製鋼所で人員の輸送や
貨車の入替に使用されました。

戦後は満州国の解体にともない
昭和製鋼所は中国が引き継いで
鞍山鋼鉄公司となりますが
1995年(平成 7)まで機関車は
現役で活躍し、その後は
このうちの248号を有志が買い取り
現在はきらくやまふれあいの丘公園で
展示保存されています。



めぐさんご一家と一緒に
きらくやまふれあいの丘公園に
お邪魔しています↓



駐車場から公園内に入り
世代ふれあいの館の手前に
プレニ型248号が保存されています↓



さすが、大陸で使われただけあり
一言でいうと「とても大きい」です↓



機関車の側面には
PL2(PLはプレーリー型の略で、
先輪1軸・動輪3軸・従輪1軸の
車軸配置をもつアメリカでの型名で
2は2代目を表し、略がプレ二)と
車番の248が記載されています↓



正面は車番の248が入ります↓



機関車のあまりのデカさに
我が総軍大元帥の遣いでもある
お供のサブ郎さんもこの表情です(笑)↓



そろそろ日没という時間帯だったので
逆光になってしまいましたが、
車長は約18メートル・幅は約3メートル・
高さが約4メートルちょっとあります↓



この機関車を取り上げている
ブロガー様も多くいらっしゃり、
以前の姿を見ると黒塗装ですが
現在は銀に塗装されています↓



機関車の後方には
石炭や水を積載した
炭水車が連結されています↓



炭水車は、機関車のバック運転でも
視界がきくように低くなっており
後方も斜めに切り落としてあるのが
特徴なのだそうです↓



大きな機関車だけあって
それぞれのパーツも
巨大で圧巻ですね↓





ちょうど、炭水車のあたりに
案内板が設けられています↓




お供のサブ郎さんは
公園の番人であるリスさんと
お友達にもなれたようで(笑)↓



ひと通り、見学したところで
引き揚げます↓



【収録遺構】
 南満州鉄道
 プレニ型機関車

  その他 1箇所

【探訪情報】
 2022.02.27 第1回探訪

 歩数(指数) 未計測(100)


後ほどホームページ内でも
ご紹介させていただきますねっ♪


それでは、またお会いしましょうっ★



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皆様、いかがお過ごしでしょうか。


ここのところ、コロナやゲリラ豪雨の
話題が多くて気分が下がりますね…


そうは言っても、仕事している時点で
気分がだだ下がりなので
これ以上、落ちようもないですが(笑)


さて、今回は和泉軍團「軍報」の
第67弾の続編といたしまして
千葉県館山市におかれていた
館山海軍砲術学校の地下系遺構を
簡単にご紹介させていただきます↓



なお、これは「後続記事」ですので
「本記事」もご覧くださいませ↓

 (67)館山海軍砲術学校
 (67_続編1)館山海軍砲術学校



日本戦跡協会さんと一緒に
事前に訪問のお約束をしていた
房南学園にお邪魔しています↓



構内に自力発電所が
残っています↓



お供のサブ郎さんも
お昼にお寿司を食べたので
熱心に見学しています(笑)↓



内部は全面にコンクリートが
捲かれており、奥行きは
30メートルほどで、床には
溝が残っていました↓



付近にもう1つ、地下壕が
展開しているので
早速、見学していきます↓



入口は複数にわたって
設けられていたようですが
ほとんどが埋没しており
コンクリートで補強されています↓





これまでの探訪で、海軍の
学校系の地下壕の規模が
小さかったことがないので
ここも大きいと思ってましたが…↓



その予想を裏切ることなく
坑道が枝分かれしており
あちこちに延びています↓



用途は判っていませんが
一部の坑道は全面にコンクリートが
捲かれており、重要な機能を
果たしていたものと
容易に想像することが出来ます↓




社殿がおかれたものと思われる
台座なんかも残っていました↓



坑道は北の方に向かって
掘り進められたようですが…↓



いずれも掘りかけで
終戦を迎えたようです↓



今回も例に漏れず
内部図を書きながら進みましたが
総延長は597.5メートルを測り
128高地なんかに匹敵する
規模でした↓



図を書きながら進むと
時間を消費してしまうので
いったん退却し、他にも
壕がないかを見ることにします↓



プールを横目にして
北に向かって進んでいきます↓



ひとまず、見つかったのですが
残念なことに家の方が不在で
内部探索出来なかったので
いつかリベンジします↓



歩いているうちに
日が落ちてしまったので
今回はこのあたりで退却します↓



【収録遺構】
 館山海軍砲術学校
 (横須賀海軍砲術学校
  館山分校)

   建物 3棟
   建物基礎 4箇所
   砲座 8箇所
   門柱 2箇所
   地下施設 1箇所
   橋梁 2箇所
   地下壕 3箇所
   その他 9箇所

   地下施設 1箇所 (今回追加)
   地下壕 2区画 (今回追加)

【探訪情報】
 2006.01.29 第1回探訪
 2006.06.11 第2回探訪
 2017.08.11 第3回探訪
 2017.11.25 第4回探訪
 2019.01.09 第5回探訪
 2022.06.04 第6回探訪

 歩数(指数) 未計測(622)


後ほど、我々のホームページでも
ご紹介させていただきますっ★


それでは、またお会いいたしましょうっ!



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皆様、いかがお過ごしでしょうか。


引き続き、探訪のまとめ作業に追われ
なかなかブログまで手がまわらず
毎日、足跡を付けてくださる方々に
申し訳ないです m(_ _)m


しばらく、こんな感じの更新周期に
なってしまいますが、
よろしくお付き合いくださいませ。


さて、今回は和泉軍團「軍報」の
第135弾といたしまして
千葉県習志野市におかれていた
騎兵第十三連隊の遺構を
簡単にご紹介させてください↓




騎兵第十三連隊は、
近衛師団に隷属する部隊で
1901年(明治34)に編成されました。

その後、日露戦争に出動し
第一軍の傘下に入り活躍しましたが
昭和以降は馬に代わり戦車や
自動車が普及したことで
戦車師団に編入されて
満州に移りました。

現在、跡地は東邦大学の
習志野キャンパスに変遷しており
ほとんど面影がなくなっていますが
用材庫や碑が残っています。



前回に引き続き、日本戦跡協会さん
大野和美さんと一緒に
東邦大学習志野キャンパスに
お邪魔しております↓



キャンパス内に
当時の建物としては唯一残る
用材庫が残っています↓



上屋は木造ですが、基礎部分は
煉瓦で造られています↓



基礎部分には、こんなイメージの
ガラリがあるそうなのですが
残念ながら草ボーボーで
見ることが出来ませんでした…↓



それもそのはず、どうやら
建物の取り壊しが決まっているようで
その話を聞き、お供のサブ郎さんが
慌ててカバンから飛び出し
熱心に見学を始めました(笑)↓



遺構が無くなってしまうのを
残念に思いつつ、少し南に下ると
「騎兵第十三連隊発祥之地」の
記念碑が建立されています↓



案内板も立てられており
大学側も積極的な姿勢が
感じ取れるのですが、
唯一残る建物の取り壊しは
ちょっと残念です…↓



隣接して、昭和7年に建立された
軍人勅諭下賜五十周年碑が
ありました↓



この周辺に記念碑がまとめられており
「大正七年度除隊記念」と書かれた
手水鉢が保存されています↓



さらにその奥が神社になっており
社殿脇に騎兵第十三連隊跡の碑が
建立されていました↓



日没まで時間がないので
見学を手短に済ませて
次の案件に進みます↓



【収録遺構】
 陸軍近衛師団
 騎兵第十三連隊

  建物 1棟
  その他 1箇所

【探訪情報】
 2022.07.09   第1回探訪

 歩数(指数) 未計測(100)


それでは、またお会いいたしましょうっ!



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皆様、いかがお過ごしでしょうか。


ここのところ、ブログの更新まで
手がまわらず、遅滞が続いちゃって
毎日、見に来てくださるブロガー様に
申し訳ないです…


基本的に訪問者リストから
足跡をたどってお返し訪問を
させていただいておりますが、
ブロガー様の訪問者リストに
当方のブログ名が付いていたら
ブログを更新されたんだなぁと
思っていただければ(笑)


さて、今回はバックナンバーである
和泉軍團「軍報」の第78弾の
続編として、千葉県船橋市に
おかれていた陸軍騎兵学校の
遺構と考えられる門柱と
軍用地境界標群のご紹介です↓



なお、これは「後続記事」ですので
「本記事」もご覧くださいませ↓

 (78)陸軍騎兵実施学校
 (78_続編)陸軍騎兵実施学校



今回は日本戦跡協会さん
茨城の覇者・大野和美さんと一緒に
笠間方面の探訪を終え、はるばる
薬円台地区にやってきております↓



当方が過去に歩いてなかった
敷地境界線上に遺構が残っていると
教えていただきまして
早速、歩いていきます。


敷地の南側を進んでいくと
お供のサブ郎さんが軍用地境界標に
一番乗りしてました(笑)↓



さらに進んでいくと
「陸」と刻まれている標柱を
2本見つけることが出来ました↓




続いて、敷地の西端部分を
進んでいきます↓



終戦直後の写真を見る限り
入口と一致することから
当時の門柱であると思われます↓



いやぁ、節穴だったな…(笑)
遺構は無いと思いこんだ結果です。
やはり、しっかり歩かないとダメだと
再認識した日になりました。


【収録遺構】
 陸軍騎兵実施学校
 (陸軍騎兵学校)

  門柱 1箇所
  建物 3棟

  門柱 1箇所(今回追加)
  軍用地境界標 3本(今回追加)


【探訪情報】
 2007.05.29   第1回探訪
 2011.03.08   第2回探訪
 2018.09.22   第3回探訪
 2022.07.09   第4回探訪

 歩数(指数) 約2,000歩(112)


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皆様、いかがお過ごしでしょうか。


長い間、ブログの更新を
滞らせてしまいまして、
今月はズルズルと起算更新の刑に
服しております(笑)


ネタがないわけではないので
おおむね2日~4日の更新周期に
戻していきます。


さて、今回は和泉軍團「軍報」の
第111弾の続編といたしまして
茨城県小美玉市におかれていた
百里原海軍航空基地の
移設鉄塔などをご紹介出来ればと…↓


なお、これは「後続記事」ですので
「本記事」もご覧くださいませ↓

 (111)百里原海軍航空基地



今回は日本戦跡協会さん
めぐさんご一家と一緒に
探訪してまいります↓



当時の敷地から約2キロほど
南西に下がった場所に
監視塔が火の見櫓として
移設されています↓



きちんと補修・塗装されており
今でも上部にあがれると思います。
(高所が苦手なのでやりません:笑)↓



機銃掃射の跡と思われる
弾痕がちらほらありました↓




下から見上げるとこんな感じです↓



こういった類の遺構は
横須賀でしか見たことが
なかったので貴重です↓



せっかくの機会なので
射撃場の区画も見ようと
移動しましたが…↓



残念ながら、完全に時期が悪く
何がなんだかでした(笑)↓



周辺に残る他の遺構も
簡単に見学して、この後は
次の案件に進みました↓



【収録遺構】
 筑波海軍航空隊
 百里原分遣隊
 (百里原海軍航空隊,
  第六〇一海軍航空隊)

  門柱 1箇所
  建物 2棟
  軍用地境界塀 1区画
  飛行機掩体 2箇所
  その他 1箇所

  その他 2箇所 (今回追加)

【探訪情報】
 2018.11.26  第1回探訪
 2022.05.28  第1回探訪

 歩数(指数) 未計測(100)


後ほどホームページ内でも
ご紹介させていただきますねっ♪


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