【和泉軍團】軍報 - 戦争遺跡調査研究軍 祐実総軍

【和泉軍團】(40)横須賀海軍警備隊霞ヶ浦北防空砲台

皆様、いかがお過ごしでしょうか。

今日は仕事終わりにちょっとした
レクリエーションがありまして
久々に運動してきました(笑)

体を動かすのが久々だったので
凄く楽しめたのですが、
場所が渋谷だったので
帰路が大変で日を跨いじゃいました・・・


本日は、既出案件となりますが
和泉軍團「軍報」の第40弾として
茨城県土浦市におかれていた
霞ヶ浦北防空砲台の遺構を
起算更新の扱いで、簡単に
ご紹介させてくださいませ。


霞ヶ浦北防空砲台は、
横須賀軍港を統括した
横須賀海軍鎮守府の隷下におかれ
軍港周辺の防衛任務にあたった
横須賀海軍警備隊が守備する
防空砲台として、第一海軍航空廠や
霞ヶ浦海軍航空隊の各施設を
防衛する目的で1944年(昭和19)に
建設されました。

ここには、12.7cm連装高角砲の
2門をはじめ、機銃や高角測距儀・
探照灯・高射装置なども
設置されました。

現在、砲台の跡地は
山林となっており、草木で
埋もれた状態ですが、
当時の遺構が残存しています。


土浦市の山林内に
お邪魔しております↓



高角砲座といわれる
円形の窪みが残ります↓



機銃座といわれる遺構ですが
形状に違和感があります・・・↓



探照灯座といわれる遺構も
周辺に残っています↓



林道を挟んだ反対側の山林内にも
円形の窪みが残っていました↓




【収録遺構】
 横須賀海軍警備隊
 霞ヶ浦北防空砲台

  砲座 2箇所
  その他 3箇所

【探訪情報】
 2013.12.31  第1回探訪
 2016.04.02  第2回探訪

 歩数(指数) 13,212歩(100)


それでは、また明日っ!
(もう、今日ですけどねっ・・・)

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【和泉軍團】(39)陸軍東京湾兵団竹原洞窟砲台

皆様、いかがお過ごしでしょうか。

今日は仕事4割、ホムペ2割、
美容院2割、酒盛り1割、テレビ1割の
比率で12時間を過ごしました(笑)
平時の仕事時間の半分程度で
1日の仕事量をこなせるんだから、
平日がいかに無駄な時間で
構成されていることがよく判ります。


メール、全てに返信出来ませんでした。。。
そして、明日の探訪をすっぽかして
ゴメンナサイ m(_ _)m
「仕事」と言えば「免罪」になるとは
絶対になりえないと思っているので
こういうことを「言い訳」にするのは
本当に心苦しい・・・


さて・・・
更新が遅くなってしまいましたが
本日は和泉軍團「軍報」の
第39弾といたしまして
千葉県館山市におかれていた
竹原洞窟砲台のご紹介です↓



東京湾兵団は、太平洋戦争の末期に
アメリカ軍が計画していた
本土上陸作戦(コロネット作戦)に
対抗すべく、1945年(昭和20)に編制され
本土決戦作戦の一環で第一総軍の
第十二方面軍の傘下に入り、
房総半島の君津・天津小湊以南に
対する沿岸部の防備にあたりました。

この一環で竹原洞窟砲台は、
千倉方面の沿岸部の防衛を
目的として、傘下の九重地区隊が
守備する砲台として1944年(昭和19)に
設置され、15センチ榴弾砲が
2門据え付けられたようです。

現在、跡地は山林となっており
草木に埋もれているものの
坑道などが良好な状態で残ります。


房総半島戦跡考古調査会の皆様と
館山市の山林に来ております↓



筆頭メンバーであるmaya先生
洞窟砲台への入口部分で
立ってもらいました↓



内部は、一部に水没区間がありますが
全体を通して丁寧に掘削されています↓




砲室は2箇所設けられています↓




このうち、1つの砲室には
名前の彫り込みが残っています↓



砲室の上部にあたる山頂部分に、
高井ヶ谷砲台の観測所と同じような
円形の掘り込みと交通壕が
残っていました↓
P1220162.jpg


さらに、山頂から下ったところで
yakumo先生が陣地とおぼしき
地下壕を発見しました↓


内部は階層構造となっており
階段が設けられていましたが
水没しており進めませんでした↓



【収録遺構】
 陸軍東京湾兵団
 竹原洞窟砲台

   地下壕 2箇所
   トンネル 1箇所
   観測所 1箇所

【探訪情報】
 2017.01.02  第1回探訪

 歩数(指数) 未計測(100)


詳細は、後ほどホームページ内で
ご紹介させていただきますっ★


それでは、また明日っ!

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【和泉軍團】(38)海軍東京無線電信所船橋送信所

皆様、いかがお過ごしでしょうか。

何気なく朝のテレビを観ていたら、
関東地方で住みたい町の
1位が千葉県船橋市だそうで。

そういえば、少し昔に
市川市や松戸市などと合併して
政令指定都市にするような
構想があったような気がしましたが
立ち消えになったのでしょうかね。


本日は、船橋市にちなんで
時間限定の既出案件ですが
和泉軍團「軍報」の第38弾として
千葉県船橋市におかれていた
海軍東京無線電信所の
船橋送信所の遺構を簡単に
ご紹介させてくださいませ。


船橋送信所は、日露戦争後における
海軍兵力の増強に伴って建設された
無線通信所の 1つで、1913年(大正2)に
建設工事が開始されました。

当初、使用する無線電信機は
ドイツ製のものが採用されることと
なったため、工事はドイツ人技師も
参加して進められましたが、
後の第一次世界大戦で日本は
ドイツに宣戦布告したため、
工事に携わったドイツ人技師は
設計図や書類を焼いて
帰国したそうです。

このため、日本人の技術者だけで
建設作業を継続させ、この翌年に
高さ200mの主塔と、これを包囲する形で
高さ60mの副塔18本が完成し、
主塔と副塔の間には鋼鉄の
空中線が張り巡らされ、無線通信が
開始されました。

開始直後は、軍用の通信のみに
使用されましたが、国際無線通信も
行われるようになり、後の関東大震災では
東京の状況を各地へ伝える役割も
果たしました。

1937年(昭和12)に入ると、無線塔は
全て新しいものに替わり、高さ150mの
鉄塔6本と、短波送信用の高さ100mの
鉄塔2本と高さ73mの鉄塔3本が設置され
同時に東京海軍通信隊船橋分遣隊と
改称し、1941年(昭和16)になると
日米交渉が決裂したことによって
太平洋戦争の開戦を全艦隊に伝える
暗号電文を長波・短波で一斉送信しました。
(ニイタカヤマノボレ1208)

終戦後、施設はアメリカ軍に接収され
極東空軍専用送信所に使われましたが、
のちに返還され現在は行田団地や
行田公園などとなっており、
建物などは消失していますが
軍用地境界標を中心とした遺構が
残存しています。

また、行田団地の外側をはしる
円周道路は、初期の敷地の外側を
はしっていた道路の名残です。


夜の行田公園にお邪魔してます↓


今、思い返せば
いっちゃん先生と一緒に
探訪するようになって半年が経った
2005年11月のことです(笑)

三等兵に「若さ」が残ってた頃、
この私めに、いわゆる「戦争遺跡」が
何たるかを陰で教えてくれた
「師」であり、「戦友」であり
今となっては「何」でもあり(笑)の
slycrow先生と、初めて「一緒」に
探訪したのがこの案件です★

また、slycrow先生つながりで
「東葛博士」の異名をもつ
ゆきたんく先生とも
この日に初めてお会いしました★

お二方に初めて会った時の印象は
「ごっつい」「いかつい」でした(笑)

私の印象はどうだったのでしょう。
おそらく「若い」「ガリ骨」かな?(笑)

この日は朝から夜遅くまで
柏→松戸→船橋→市川と探訪し
おかげさまでガッツリと
記録することが出来ました!
当時、私は千葉市の幕張本郷に
住んでたので、帰りは楽チンで
恐縮しちゃったのを覚えてます(笑)


おっと、ちと脱線しました(笑)
敷地外周部分に軍用地境界標が
いくつか残っています↓




行田東小学校の校内にも
立入禁止標が保存されています↓


ちなみに・・・
学校内に無断立ち入りしてませんよ★
ゆきたんく先生の「特権」で
学校の先生の同行付きで
見学させてもらってますっ!


後日の探訪で、同様の立入禁止標が
住宅地内にも残っていることが
判りました↓




昭和に入ると、敷地南側の
敷地拡張が行われており、
拡張部分にも軍用地境界標が
残っています↓






後日の探訪で、もう1つ
記録が叶いましたが、残念ながら
現在は消失しています↓



【収録遺構】
 海軍東京無線電信所
 船橋送信所
 (東京海軍通信隊
  船橋分遣隊)

   軍用地境界標 6本
   軍用地境界標 1本(消失)
   その他 3箇所

【探訪情報】
 2005.11.13  第1回探訪
 2007.04.29  第2回探訪
 2011.02.09  第3回探訪

 歩数(指数) 25,000歩以上(798)


それでは、これからホームページ
更新作業にはげみたいと思います。


また、お会いいたしましょうっ★

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【和泉軍團】(37)陸軍東京湾兵団稲都大月砲台

皆様、いかがお過ごしでしょうか。

三等兵は今週末に「突撃」する
三重県遠征の軍略(計画です)を
練っているところなのですが、
遺構の数がたくさんありすぎて
なおかつ広範囲なので、
これじゃ本当に「玉砕」しますね・・・

「勝算」の見込みがないため、
探訪規模と日数を「縮小」して
土曜日の朝から日曜日の
夕方までの時間内で、
四日市・菰野・亀山・鈴鹿の
4自治体に限定して
チャレンジしたいと思います。

とりあえず、こんな策でいきます↓

 1月21日(土)
  ①名古屋→亀山経由で関へ
   ・鈴鹿海軍工廠
    関地下工場(再訪)
  ②関から井田川へ
   ・明野陸軍飛行学校
    北伊勢分教所
   ・森、不動院地下工場(?)
  ③井田川から加佐登へ
   ・陸軍第一航空軍教育隊
   ・亀山陸軍病院
  ④加佐登から南四日市へ
   ・第二海軍燃料廠
    地下貯蔵庫群

 ----四日市市内に宿泊----

 1月22日(日)
  ①四日市→湯の山温泉へ
   ・陸軍千種演習場
   ・竹永陸軍飛行場
   ・陸海軍凱旋門

  保々~富田経由で名古屋へ出て
  新幹線で帰還・・・


今回、鈴鹿市内のメインディッシュは
探訪そのものを断念します・・・
(鈴鹿海軍工廠・鈴鹿海軍航空隊など)

これなら、何とかやれそうかなっ!
頑張ってみますねっ★


さて、まえおきが長くなりましたが
本日は和泉軍團「軍報」の
第37弾といたしまして、
千葉県南房総市におかれていた
陸軍東京湾兵団が守備した
稲都大月砲台の遺構を
簡単にご紹介させてくださいませ。

なお、本案件の掲載により
三等兵と和泉軍團は、
房総半島戦跡考古調査会
正式メンバーとなりますっ★
皆様、よろしくお願いいたします m(_ _)m


東京湾兵団は太平洋戦争の末期に
アメリカ軍が計画していた
本土上陸作戦(コロネット作戦)に
対抗すべく、1945年(昭和20)に編制され
本土決戦作戦の一環で第一総軍の
第十二方面軍の傘下に入り、
房総半島の君津・天津小湊以南に
対する沿岸部の防備にあたりました。

この一環で南房総市を形成した
前身の三芳村の稲都地区の
海老敷・高井ヶ谷・大月の3箇所に
砲が据え付けられていたようです。

資料に乏しく詳細は判りませんが、
このなかで大月砲台は
28センチ榴弾砲が2門据え付けられ
現在も砲座や砲側弾薬庫が
残っています。


房総半島戦跡考古調査会の
maya先生yakumo先生とともに
南房総市にお邪魔しております↓


この右側の背面部分に
遺構が残存しています。


第一砲座の砲側弾薬庫の入口です↓



砲側弾薬庫の内部です↓



第一砲側弾薬庫の坑道延長は
159メートルを計測しています。

砲側弾薬庫の内部図です↓

※この内部図はホームページへの
 掲載と当時に削除します。


弾薬庫の横に第一砲座が
残っていますが、もはや
何を撮っているのか・・・↓



藪をさらに入っていくと、
2つ目の砲側弾薬庫が
残っています↓



砲側弾薬庫の内部です↓



第二砲側弾薬庫の坑道延長は
120メートルを計測しています。

砲側弾薬庫の内部図です↓

※この内部図はホームページへの
 掲載と当時に削除します。


このあとは、高井ヶ谷に向けて
駒を進めた3名でしたっ★


【収録遺構】
 陸軍東京湾兵団
 稲都大月砲台

   砲座 2箇所
   地下壕 2区画

【探訪情報】
 2017.01.02  第1回探訪

 歩数(指数) 未計測(100)


詳細は、後ほどホームページ内で
ご紹介させていただきますねっ★


それでは、また明日っ!


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【和泉軍團】(36)宇都宮陸軍飛行学校那須野分教所

皆様、いかがお過ごしでしょうか。

年の瀬に、会社から素敵なプレゼントを
いただきまして、本日が仕事納めです。
おかげさまで、あと2日で2016年も
終わりという感覚が全くありません。


さて、本日は和泉軍團「軍報」の
第36弾といたしまして、
栃木県那須塩原市におかれていた
宇都宮陸軍飛行学校の那須野分教所の
遺構をご紹介させていただきまして
年内の「軍報」掲載を終了します。


宇都宮陸軍飛行学校は、
飛行機の基本操縦教育を
行うことを目的として
1940年(昭和15)に開設され、
生徒の増加にともなって
1942年(昭和17)に那須野分教所が
開設されました。

その後は、太平洋戦争の戦局が
悪化し、飛行学校が軍隊化されたことで
編制された宇都宮陸軍教導飛行師団の
拠点として施設が使われました。

戦後、飛行場の敷地は開拓されており、
農地や住宅地に変遷していますが、
敷地の南東付近にあたる場所に
当時の遺構がわずかに残ります。


那須塩原市にお邪魔しております↓



格納庫の基礎部分です↓



滑走路からの誘導路跡が残ります↓



器材庫の基礎部分です↓



付属建物の基礎部分です↓



別の格納庫の一部と思われる遺構も
残っています↓



その西側にも誘導路跡が残ります↓



数年前までは、この他にも
遺構が残っていたようですが
すでに手遅れでした・・・


【収録遺構】
 宇都宮陸軍飛行学校
 那須野分教所
 (宇都宮陸軍教導飛行師団
  埼玉飛行場)

   建物基礎 3箇所
   その他 2箇所

【探訪情報】
 2016.12.24  第1回探訪

 歩数(指数) 12,210歩(100)


詳細は、後ほどホームページ内で
ご紹介させていただきますねっ★


明日から1月5日(木)までの間は
「ホームページ関係」と「雑記」にて
ブログの更新をさせてください。


それでは、また明日っ!



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