FC2ブログ

戦争遺跡のご紹介やホームページの制作状況などを綴っていきます♪

総軍BLOGへようこそっ!

♦ プロフィール

祐実総軍三等兵

Author:祐実総軍三等兵
全国に残る戦争遺跡を探訪し
記録することを趣味とする
祐実総軍三等兵ですっ★

稚拙な内容ではございますが
これまでに関係者の皆様方と
見てきた戦争遺跡を中心に、
ブログ・ホームページなどで
順次ご紹介をしていきます♪

よろしくお願いしますっ★

♦ カウンター

♦ 最新記事

♦ アクセスランキング

[ジャンルランキング]
地域情報
267位
アクセスランキングを見る>>

[サブジャンルランキング]
その他
8位
アクセスランキングを見る>>

皆様、いかがお過ごしでしょうか。


今日は金曜日ですので、
仕事が「趣味」の、我が社畜の面々は
一生懸命に仕事をしております。
私を「除いて」ですけどね(笑)


明日・明後日は、会社で仕事が
出来ないから残念で仕方がないです。


一式、持って帰って家でやれば?(笑)


さてさて、本日は和泉軍團「軍報」の
第95弾の続編といたしまして
千葉県南房総市に掘削された
陸軍東京湾兵団の陣地と考えられる
地下壕を2つご紹介させてください↓



なお、これは「後続記事」ですので
「本記事」もご覧くださいませ↓

 【和泉軍團】(95)陸軍東京湾兵団陣地
 【和泉軍團】(95_続編1)東京湾兵団陣地



関係者の皆様方と南房総市の
多田良西浜海岸付近にお邪魔中です↓



海岸に壕が残っています↓



内部は、岐路をもたない単一の
坑道が1本展開しているだけですが
かなり大きなものです↓



壕内に構造物がありましたが
「昭和廿九年九月八日」とあるため
戦後のものと思われます↓



日本築城史を要約すると、
この多田良浜に洞窟砲台が
構築されているようなので
これがそうなのかもしれませんが、
一般的に洞窟砲台の砲口は
海上に向けられているのに対し
対岸に向いているので
違う可能性も十分にあります↓



隣接して、もう1つ壕の入口が
残っていました↓



入口の形状を見ると判りますが
これは明らかに「陣地」です。


こちらも岐路をもたない単独の坑道が
20メートルほどで右に曲がり・・・↓



その先は行き止まりでした・・・↓



いずれも規模は小さいですが、
実地踏査で陣地の存在の裏付けが
とれた意義は非常に大きいです。


【収録遺構】
 陸軍東京湾兵団
 抵抗拠点陣地(南房総市)

   地下壕 5区画
   その他 1箇所
   地下壕 2区画(今回追加)

【探訪情報】
 2017.01.02  第1回探訪(深井)
 2018.08.19  第2回探訪(多田良)
 2018.08.26  第3回探訪(大井)

 歩数(指数) 未計測(148)


後ほど、我々のホームページ内でも
ご紹介させていただきますねっ★


それでは、またお会いいたしましょうっ!



↑よろしければ、こちらの「応援」も
 ひとつよろしくお願いします♪

皆様、いかがお過ごしでしょうか。


おかげさまで、昨日の難関を無事に
越えることが出来ましたっ★

これで、当方は仕事の「定期運用」から
完全に離脱しました。

あとは「その日」まで、のびのびと
留置線で過ごしていきます。


我が総軍プロジェクトの新年度は
11月が始まりとなるのですが
これに合わせて、本格的に
遠征を中心として探訪する予定です。


あとは、軍資がどこまで続くか・・・です(笑)


さて、今回はバックナンバーである
和泉軍團「軍報」の第78弾の
続編として、千葉県船橋市に
おかれていた陸軍騎兵学校の
遺構と考えられる門柱を
1つだけご紹介させてください↓



なお、これは「後続記事」ですので
「本記事」もご覧くださいませ↓

 【和泉軍團】(78)陸軍騎兵実施学校



おピンちゃん先生と新京成線の
北習志野駅に来ております↓



ここから、タクシーの力を借りて
陸上自衛隊習志野駐屯地付近を
目指していきます。


当時の門柱であると思われます↓



一部、モルタルが剥がれており
煉瓦が露出しています↓



昭和23年の航空写真で見る限り
門柱付近が区画された広場に
なっているため、当時のものである
可能性は高いと思われます。


【収録遺構】
 陸軍騎兵実施学校
 (陸軍騎兵学校)

  門柱 1箇所(今回追加)
  建物 3棟

【探訪情報】
 2007.05.29   第1回探訪
 2011.03.08   第2回探訪
 2018.09.22   第3回探訪

 歩数(指数) 約2,000歩(100)


それでは、またお会いいたしましょうっ!



↑よろしければ、こちらの「応援」も
 ひとつよろしくお願いします♪

皆様、いかがお過ごしでしょうか。


そろそろ、仕事上での上半期が
終わろうとしていますね。

期末になると多いのが
人事異動です・・・

当方は古株しかいない部署に
新風を吹き込むべく配属された
10人の中の1人でしたが、古株の
クソみたいな派閥に耐えられず
1人辞め、2人異動し・・・が続き、
そして、明日で1人が退職。
残るは私1人となりました(笑)

その私も、次の契約延長を
お断りしたので、今年中に
「全廃」となります★


派閥と新風、色々な意味で
最後に笑うのはどっちかな(笑)


さて、今回はバックナンバーである
和泉軍團「軍報」の第92弾の
続編として、千葉県館山市に
掘削された陸軍東京湾兵団の
抵抗拠点陣地のうち、
布良地区のものを1箇所だけ
ご紹介させてくださいませ↓



なお、これは「後続記事」ですので
「本記事」もご覧くださいませ↓

 【和泉軍團】(92)陸軍東京湾兵団陣地
 【和泉軍團】(92_続編1)東京湾兵団陣地




房総半島戦跡考古調査会の皆様方と
館山市内にお邪魔しておりますが、
まずは相浜亭で海鮮丼をいただきます↓



さすが、界隈をよく知る
隊長先生とmaya先生が
ゴリ推ししてくれただけあって
このボリュームで950円です↓



満足したところで探訪再開です↓



壕は私有地内にあるため
所有者の方に一声かけて
内部に入ります↓



水槽が残っています↓



一部の坑道は水没していますが・・・↓



このような砲室が3箇所も
設けられていました↓



また、棲息部と考えられる空間も
残っています↓



3箇所ある砲室の1つは
コンクリートの残骸が残っており
砲口がコンクリート製であったことが
よく判ります↓



陣地の内部図です↓



坑道の総延長は246メートルを
計測しましたっ★


【収録遺構】
 陸軍東京湾兵団
 抵抗拠点陣地(館山市)

  地下壕 6箇所
  地下壕 1箇所(今回追加)

【探訪情報】
 2006.01.29  第1回探訪
 2006.03.25  第2回探訪
 2017.08.11  第3回探訪
 2017.09.03  第4回探訪
 2017.11.25  第5回探訪

 歩数(指数) 未計測(480)


後ほど、我々のホームページ内でも
ご紹介させていただきますねっ★


それでは、またお会いいたしましょうっ♪



↑よろしければ、こちらの「応援」も
 ひとつよろしくお願いします♪

皆様、いかがお過ごしでしょうか。


いよいよ、連休も「終了」ですね・・・
休みの間、関係者の皆様方から
探訪の成果を教えていただきましたが
当方は先週の連休に続いて
成果はほとんどナシでして・・・


次週は頑張りますっ★


さて、今回はバックナンバーである
和泉軍團「軍報」の第92弾の
続編として、千葉県館山市に
掘削された陸軍東京湾兵団の
抵抗拠点陣地のうち、
大神宮地区のものを
ご紹介させてくださいませ↓


なお、これは「後続記事」ですので
「本記事」もご覧くださいませ↓

 【和泉軍團】(92)陸軍東京湾兵団陣地



房総半島戦跡考古調査会の皆様方と
館山市内にお邪魔しております↓



ぞろぞろと遊歩道を進んでいきます↓



大きな入口が開いています↓



早速、精鋭部隊の皆様方と
内部の確認をしていきます↓



岐路をもたない単一壕でしたが・・・↓



最奥部分は巨大な砲室が
設けられていました↓



砲室内で隊長先生に
立っていただきましたが、
いかに大きなものか判りますね↓



内部図です↓



さらに山を上がっていきます↓



山の中腹からは平砂浦が
見渡せますよ↓



おっ、狙撃口ですね↓



狙撃口に隣接して入口が
設けられています↓



内部は小規模で崩落が
著しいです↓



階段を下ると、先ほどの
狙撃口に繋がりました↓



最新部分は崩落していましたが
どうやら縦坑に接続していたようで
これが先ほどの洞窟砲台の
観測所なのかもしれません。


内部図です↓
tateyama_daijingu_1.png


この周辺で壕が残っていないか
手分けして探していくと
maya先生が発見しました↓



早速、内部を確認していきます↓



壕の規模は小さいですが、
造りはよいです↓



最深部は狙撃口の構築途上で
あったことが判ります↓



内部図です↓



館山市内には、このような陣地が
たくさん構築されていますが、
探訪が不完全であることと
数が多いので、引き続き続編として
別掲載をしていきます m(_ _)m


【収録遺構】
 陸軍東京湾兵団
 抵抗拠点陣地(館山市)

  地下壕 3箇所
  地下壕 3箇所(今回追加)

【探訪情報】
 2006.01.29  第1回探訪
 2006.03.25  第2回探訪
 2017.08.11  第3回探訪
 2017.09.03  第4回探訪
 2017.11.25  第5回探訪

 歩数(指数) 未計測(426)


後ほど、我々のホームページ内でも
ご紹介させていただきますねっ★


それでは、またお会いいたしましょうっ♪



↑よろしければ、こちらの「応援」も
 ひとつよろしくお願いします♪

皆様、連休をいかがお過ごしでしょうか。


先週・今週と3連休が続き、
非常に嬉しいですっ★

収入が下がってもいいので、
週休3日制にしてくれると
「大好きな」仕事に対して
やる気が微増するんですけどね。


さてさて、本日も前回に引き続き
和泉軍團「軍報」の第97弾として、
千葉県船橋市におかれていた
習志野陸軍墓地のご紹介です↓




習志野陸軍墓地は、現在の船橋市・
習志野市内に展開した陸軍部隊の
戦没者や戦病没者の方々を
埋葬するために明治時代に設置され
終戦まで存続しました。

戦後は、習志野開拓入植者のための
墓地となり、その後は船橋市に移管され
現在は習志野霊園となっていますが
霊園の一角に墓標群がおかれており
定期的に清掃や剪定が行われています。



おピンちゃん先生と北習志野駅から
タクシーの力を借りて、習志野霊園に
お邪魔しております↓



霊園内の一角に、この場所が
陸軍墓地であったことを記した
記念碑が建立されています↓



記念碑の奥には、3つの碑が
建立されており、向かって中央に
日本軍人戦没者慰霊碑があり、
左側に第一次世界大戦での
ドイツ軍人戦没者慰霊碑・
右側には日露戦争での
ロシア軍人戦没者慰霊碑が
それぞれ建立されています↓



この3つの碑を囲むようにして
個人墓標が建立されています↓






陸軍墓地の東方におかれていた
習志野演習場区域内には、
俘虜収容所が設置されていたため
慰霊の木として「友愛の木」も
植えられています↓



【収録遺構】
 習志野陸軍埋葬地
 (習志野陸軍墓地)

  墓標様 1区域

【探訪情報】
 2011.03.08  第1回探訪
 2018.09.22  第2回探訪

 歩数(指数) 未計測(100)


後ほど、我々のホームページ内でも
ご紹介させていただきますねっ★


それでは、またお会いいたしましょうっ★



↑よろしければ、こちらの「応援」も
 ひとつよろしくお願いします♪