戦争遺跡のご紹介やホームページの制作状況などを綴っていきます♪

総軍BLOGへようこそっ!

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祐実総軍三等兵

Author:祐実総軍三等兵
全国に残る戦争遺跡を探訪して
記録することを生き甲斐とする
祐実総軍三等兵でございます★
稚拙な内容ではございますが、
これまで調べてきた戦争遺跡を
ブログ・ホームページで紹介を
させていただいておりますっ♪

よろしくお願いしますm(__)m

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皆様、いかがお過ごしでしょうか。

クククっ、本日の名言出ました(笑)↓
「何かさ~、業後に酒飲んで帰るのって
仕事出来ないって言ってるのと同じで」

もうちょっとさ~、誘いを断るための
「交わし方」を勉強したまえ(笑)

酒、飲めねーんだろ?


成人がお酒飲めないことって
恥ずかしいことなのかしらね?
素直に「飲めないんでパス」って
言えばいいのにさ。

酒を飲んで家に帰る奴は、
「仕事が出来ない」っていう
物言いには「ダサい」の一言に
尽きちゃいますよね~

思わず「ダッセー物言いだ」って
言っちまったおいらもガキだが・・・

まっ、年下だし
こういうことを言う奴とは絶対に
仲良くなることはないから
別に反省することもねーか(笑)

逆に仕事しか出来ないことの方が
よっぽど「恥ずかしい」と思うけどね~

こんなこと言う奴に、
ノリツッコミがうまい関西の方々は
どうツッコミを入れるのかしら。
勉強させてもらいたいです★


さてさて・・・
本日は和泉軍團「軍報」の
第60弾といたしまして、
千葉県千葉市に敷設された
陸軍鉄道連隊材料廠の
軍用線の遺構を抜粋して
ご紹介させてくださいませ↓




鉄道連隊材料廠は、機材類の保管や
鉄道連隊で使う機関車の修理や
改造などを行う目的で設置され
連隊敷地の一角に施設が
おかれました。

また、千葉駅より軍用の引込線が
敷設され、資材類の搬入に
使用されました。

現在、軍用線跡は生活道路に
変遷していますが、軍用線の
名残を示す軍用地境界標が
道路両脇にいくつか残っています。



千葉市内にお邪魔しております↓



軍用線跡の大半は生活道路に
変遷しています↓



軍用地境界標が残ります(抜粋)↓




残念ながら、ここでトラブルが(汗)
デジカメが壊れてしまって
シャッターが切れなくなって
しまいました・・・

予備のデジカメ持ってきてないし。


・・・・・・・・・


ってなわけで、家に2時間かけて
戻り、再び千葉市に来ました。
おかげさまで、夜です(笑)


軍用地境界標が残っています↓





結局、終電2本前の電車で
家に着きましたでござる(笑)


【収録遺構】
 陸軍鉄道連隊
 材料廠
 椿森軍用線

  軍用地境界標 18本


【探訪情報】
 2011.03.05  第1回探訪

 歩数(指数) 約4,500歩(660)


我々のホームページには
時間制約付きで公開中です。


それでは、また明日っ★



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皆様、いかがお過ごしでしょうか。

だんだん暑さがなくなってきました。
何だか切ない気もするのですが、
これを越さないと、本格的な
探訪シーズンが到来しないし・・・


さてさて、本日は和泉軍團「軍報」の
第59弾といたしまして、
群馬県高崎市におかれていた
高崎陸軍埋葬地のご紹介です↓




高崎埋葬地は高崎市内に
展開した陸軍部隊の戦没者や
戦病没者の方々を埋葬するために
明治時代に設置され終戦まで
存続しました。

敷地の面積は951坪といわれており
ここに建立された墓標は
257基を数えるそうです。

現在は竜広寺で管理されており、
個人墓標や忠霊碑のほか、
日露戦争で捕虜となって
収容されていたロシア兵の
墓標があります。



真夏の暑い中におピンちゃん先生
高崎へやってまいりました↓



駅から歩いて10分ほどの場所に
竜広寺があります↓



竜広寺内にある墓地内に
陸軍墓地の由来を記した
碑が建立されています↓



個人墓標がならんでいます↓



満州事変・支那事変・大東亜戦争の
忠霊碑が建立されています↓



墓標を囲むようにして灯篭が
おかれています(抜粋)↓




本拠に帰還します↓



【収録遺構】
 高崎陸軍埋葬地
 (高崎陸軍墓地)

  墓標様 1区画
  その他 3箇所


【探訪情報】
 2017.07.07  第1回探訪

 歩数(指数) 約1,500歩(100)


明日は鉄道ネタでブログの更新を
させてくださいませ m(_ _)m


それでは、またお会いいたしましょう★



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皆様、いかがお過ごしでしょうか。

少々の小遣い稼ぎに
何日か「出庫」して本線上を
走りましたが、おなかいっぱいです(笑)

非正規相手にあれこれ言い過ぎっ!
これだから大好きになっちゃうんだよな。


さてさて、本日は内示を兼ねて
和泉軍團「軍報」の第58弾として
千葉県館山市に掘削された
香寺山洞窟砲台のご紹介です↓




香寺山洞窟砲台は、
館山におかれた海軍施設の
防衛を目的に太平洋戦争中に
建設されました。

資料に乏しく、詳細は
判っていない状況ですが、
構築途中で終戦を迎えたようです。

現在、跡地は鬱蒼とした山林に
なっていますが、全面が
コンクリート製の砲室を有する
地下壕が残っています。



yakumo先生のご案内の下、
房総半島戦跡考古調査会
皆様方とtonotama先生
一緒にめぐっていきます↓

マッキー先生からの提供写真です


藪漕ぎを開始します↓

マッキー先生からの提供写真です


砲室部分が見えてきました↓



内部の様子です↓




おピンちゃん先生のお友達が
坑道内にいましたウィー



内部図です↓

※我々のホームページへの
 掲載と同時に削除します。


坑道の総延長は75メートルを
計測しましたっ★


googleマップにトレースすると
こんな感じになります(小せぇ・・)↓

※2週間後を目途に削除します。


他のサイトを見ると、館空の
防衛目的で構築された
防空砲台の1つとして
ここが挙がっていますが、
yakumo先生の見解同様に
構造を見る限り「対空」では
ないですね、これ。

砲室は海方向を向いているし
明らかに「海面」ですね。

ブツがないので、推測の域を
出ないのですが、NPOさんの
ページでは「探照灯」となっており、
あり得る線であれば、これですね。


maya先生ブログから
記念写真をパチりました↓



探訪仲間と一緒にめぐれるのは
最高ですねっ♪


【収録遺構】
 横須賀海軍鎮守府
 香寺山洞窟砲台

  地下壕 1箇所


【探訪情報】
 2017.09.03  第1回探訪

 歩数(指数) 未計測(100)


それでは、また明日っ!



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皆様、いかがお過ごしでしょうか。


三等兵が「やりたかった」ことに
専念出来る期間が、いよいよ
終焉を迎えようとしております(笑)
ほぼ2か月にわたり休車状態でしたが
そろそろ再び運用につくために
出庫をする準備をしなくては・・・


さて、本日は和泉軍團「軍報」の
第57弾といたしまして、
千葉県千葉市におかれた
気球連隊の遺構を
簡単にご紹介します↓




気球連隊は、主に気球を使用して
戦況の偵察を行うことを目的に、
1905年(明治38)にこの前身である
「気球班」が東京の中野におかれた
電信学校内に設置されたのが
はじまりです。

のち、鉄道連隊や電信中隊と共に
交通兵旅団の隷下となり「気球隊」と
改称して埼玉の所沢飛行場に
転出しますが、1927年(昭和 2)に入り
千葉市の作草部町に移設され、
1936年(昭和11)に陸軍の平時における
編成が全面的に改正されたことに
ともなって「連隊」に昇格しました。

気球連隊の主な任務は、係留式の
気球を上げて上空より戦況の偵察や
砲撃誘導を行うことで、連隊昇格後の
翌年からは中国やシンガポール・タイ・
フィリピンなどの作戦に従軍しましたが
航空機の発達により役目を失いました。

太平洋戦争末期になると、アメリカの
本土を爆撃するための「風船爆弾」が
考案され、気球連隊を母体に部隊を
編制し、千葉や茨城・福島の各海岸より
合わせて約 9,300発の風船爆弾を
放球しました。

このうち約1割にあたる爆弾が
偏西風に乗ってアメリカの西海岸に
着弾したそうです。

現在、連隊の跡地は住宅街と
なっていますが、格納庫が会社の
倉庫として活用されているなど
当時の遺構が残っています。



重鎮の皆様方と一緒に
千葉市内に入っております↓



川光倉庫の敷地内に
当時の格納庫が残っています↓



周辺に境界塀が残ります↓




千葉公園体育館は、当時の
建物の一部が使われているようです↓



千葉県計量検定所内にも
当時のものといわれている
建物が残っていますが、
オリジナルサイズの写真を
消失させてしまいました・・・↓



【収録遺構】
 陸軍気球連隊

  建物 2棟
  軍用地境界塀 2区画
  その他 1箇所


【探訪情報】
 2005.12.29  第1回探訪
 2006.06.11  第2回探訪
 2007.04.29  第3回探訪
 2007.05.01  第4回探訪
 2007.05.10  第5回探訪

 歩数(指数) 30,000歩以上(720)


それでは、また明日っ!



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皆様、いかがお過ごしでしょうか。

お盆休みが終わってしまった方も
いらっしゃるようですね・・・

私も仕事を作業に見立てて
我々のホームページの更新に
邁進していかないと・・・(汗)


さて、本日は和泉軍團「軍報」の
第56弾といたしまして
千葉県館山市におかれていた
館山補給工場の遺構群を
ご紹介させてくださいませ↓




木更津第二海軍航空廠は、
海軍航空機の造修と補給を行うことを
目的として、木更津におかれた
横須賀海軍航空技術廠の出張所を
母体として1941年(昭和16)に開設され、
航空機のエンジンや航空機銃などの
造修を行う補給工場が館山をはじめ
横須賀平塚などに設置されました。

このなかで館山補給工場も、
1941年(昭和16)に開設され、
館山海軍航空隊をはじめとした
周辺の航空基地に対し造修と
補給業務を行いました。

現在、跡地は民宿や住宅地などに
変遷しており、当時の建物や
塀の一部が残っています。

また、敷地の南方に展開する
山林内にも地下壕が残り
一部は地殻活動観測所に
使われています。



今回は房総半島戦跡考古調査会
主力である隊長先生maya先生
館山市内にお邪魔しております↓


ホームページのシナリオ上は
和泉軍團が同会に所属していますが
会としては、基本的に海軍ものは
取り扱わない方向のところを
駄々をこねまして(笑)、無理矢理に
連れて行ってもらいましたっ★
まったく、お調子もんですなっ(笑)


当時の建物が残っています↓



これも当時の建物です↓



敷地の東端にあたる部分に
軍用地境界塀が残っています↓



敷地の南側にも塀の支柱
残っています↓



ここからは、約10年前に
いっちゃん先生OKN先生
はじめとした古参メンバー方と
記録したものとなります。


国土交通省地殻活動観測所
周辺にも地下壕が残ります(抜粋)↓





大半は、岐路をもたない単独の
地下壕群ですが、一部は「ト」の
字を描くものも存在しています。


【収録遺構】
 木更津第二海軍航空廠
 館山補給工場

   建物 2棟
   軍用地境界塀 1区画
   地下壕 1区画
   その他 1箇所

【探訪情報】
 2006.01.29  第1回探訪
 2006.03.25  第2回探訪
 2017.08.11  第3回探訪

 歩数(指数) 未計測(296)


後ほど、我々のホームページでも
ご紹介させていただきますっ★


それでは、またお会いしましょうっ!



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