戦争遺跡のご紹介やホームページの制作状況などを綴っていきます♪

総軍BLOGへようこそっ!

♦ プロフィール

祐実総軍三等兵

Author:祐実総軍三等兵
全国に残る戦争遺跡を探訪して
記録することを生き甲斐とする
祐実総軍三等兵でございます★
稚拙な内容ではございますが、
これまで調べてきた戦争遺跡を
ブログ・ホームページで紹介を
させていただいておりますっ♪

よろしくお願いしますm(__)m

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皆様、お盆休みをいかがお過ごしですか?


昨日は、私事ながら誕生日だったのですが
拙ブログを見てくださる皆様方から
多くの「拍手」や、「ブログランキング」の
ご投票を頂戴いたしまして、
驚異的な順位に浮上いたしました~(驚)

順位が常に上位のブロガー様には
大変恐れ入りますが、誕生日に免じ
1日だけお許しくださいませ。

昨日、宿泊した鬼怒川の温泉宿から
記念の「大杯」を受けるヘボ太郎(笑)↓


本拠に帰還した数時間後には
東武鬼怒川線でSLが走り始めました↓

※フジテレビ「みんなのニュース」より


また、日頃より中途半端な内容での
ブログの更新にお付き合いいただきまして
本当に感謝しております m(_ _)m

我々のホームページともども、
関心をもっていただけるような内容で
これからも更新をしてまいりますので
引き続き応援していただければ幸いです★


さて・・・
本日は真己軍團「軍報」の
第24弾といたしまして、
広島県福山市におかれていた
福山連隊区司令部の遺構を
1つだけご紹介させてくださいませ↓




福山連隊区は、徴兵や召集に
関連する兵事事務を行う部署で、
歩兵第四十一連隊が福山市へ
移駐したことによって、1908年(明治41)に
司令部が福山市内に設置され
広島県の一部を管轄区域としました。

大正時代に入ると、愛媛県の一部も
区域に加わり、その後の軍縮で
第十七師団が廃止されたことで
岡山県の一部も担当しましたが、
1942年(昭和17)に廃止され、
広島市内におかれていた
広島連隊区に編入されました。

現在、跡地はカトリック福山教会と
なっており、当時の門柱が
移設保存されています。



「バラの町」としても有名な福山市
おピンちゃん先生とお邪魔しております↓



今回も、西日本地方における
探訪の権威である盡忠報國先生
ブログを参考にしてめぐりますっ★


市内の商店街を抜けていきます↓



当時の門柱が移設保存されています↓



門柱の横に案内板がありました↓



【収録遺構】
 陸軍広島師管区
 福山連隊区司令部

  門柱 1箇所

【探訪情報】
 2017.07.10  第1回探訪

 歩数(指数) 761歩(100)


後ほど、我々のホームページでも
ご紹介させていただきますっ★


明日は房総半島戦跡考古調査会
皆様方と一緒に探訪予定ですので
帰宅後に探訪の成果を雑記形式の
ダイジェストでお送りいたします。


それでは、またお会いしましょうっ!



↑もしよろしければ
 応援してやってくださいっ♪

皆様、いかがお過ごしでしょうか。

今日の関東地方は、いつもより
涼しい感じですが、天候が・・・

私の四十○回目の誕生日はともかく、
お盆休みまであと少しですので
頑張っていきましょうっ★


さてさて、今回は真己軍團「軍報」の
第23弾といたしまして
岡山県岡山市におかれていた
第十七師団司令部関連の遺構を
ご紹介させてくださいませ↓




陸軍第十七師団は、日露戦争後の
戦力増強策の一環として新設された
師団で、1907年(明治40)に
岡山で編制され司令部が
設置されました。

大正時代に入り、満州に
派遣されましたが、1925年(大正14)の
軍縮によって師団そのものが
廃止となりました。

第十七師団が廃止されると、
跡地は第十師団の管轄となり
歩兵第六十三連隊と
歩兵第十連隊を統轄した
第三十三旅団の司令部が移りましたが
昭和に入り、師団編成の改編によって
廃止され、岡山県全域にわたる
兵事事務を取り扱った岡山連隊区の
司令部が移り終戦まで存続しました。

現在、跡地は岡山大学津島キャンパスに
変遷し、一部の建物が保存されているほか
南東に少し離れた広瀬町地区に
司令長官舎の遺構が残り、
いずれも簡単に見学出来ます。



引き続き、おピンちゃん先生
岡山市内にお邪魔しております↓



岡山駅から津山線に乗って
1つ目の法界院まで移動します↓


久しぶりに「気動車」に乗車です★
残念ながら、ディーゼルカーには
あまり関心がないのですが、
昭和時代からの車両を見ると
ものすごく元気にさせられますっ!


法界院駅から15分ほど歩いた
岡山大学内に、移設された
司令部庁舎が一部保存されています↓



大学の入口付近に衛兵所
保存されています↓



ここからは「ももちゃり」と呼ばれる
貸「銀輪」を使って市内をまわります(笑)↓



岡山大学から南方にはしっていき
広瀬町へ移動していきます↓



旭公民館は、かつての司令長官舎が
おかれていた場所であり、
通用口が残っています(抜粋)↓



公民館の入口付近に、
当時のロータリーも残ります↓
DSC_0174.jpg


【収録遺構】
 陸軍第十七師団
 師団司令部
 (陸軍第十師団
  歩兵第三十三旅団
  旅団司令部,
  陸軍第十師管区
  岡山連隊区司令部)

  建物 2棟
  軍用地境界塀 2区画
  その他 2箇所

【探訪情報】
 2017.07.11  第1回探訪

 歩数(指数) 1,009歩(100)
  (一部自転車区間あり)


後ほど、我々のホームページでも
ご紹介させていただきますっ★


それでは、また明日っ!



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皆様、土曜日をいかがお過ごしですか。

三等兵は、暑い中の遠征で傷んだ髪を
修復するべく美容院へ行ってきます(笑)


さてさて、本日は真己軍團「軍報」の
第22弾といたしまして、
岡山県岡山市におかれていた
呉海軍軍需部岡山作業所の遺構を
1つだけご紹介させてくださいませ↓




岡山作業所は、広島県呉市におかれた
呉海軍軍需部の設備拡張のため
主に軍衣などの生産を目的として
1941年(昭和16)に開設されました。

翌年の1942年(昭和17)に入り、
軍服や保存食を製造した
第二衣糧廠が兵庫県の姫路市内に
開設されると、その分廠に改称され
終戦まで存続しました。

現在、敷地跡は県立岡山工業高校と
なっており、わずかに当時の建物が
1つ残っています。



おピンちゃん先生にしがみついてきた
ウィー太郎君と岡山市内に来ております↓



今回、岡山市内に初上陸ですので
市内を少し観光します↓



岡山市内のレンタサイクルであり
祐実総軍「奥義」の 1つでもある
「ももちゃり」で市内を駆け回ります(笑)↓



岡山工業高校内に当時の建物が
1つだけ残っています↓



【収録遺構】
 呉海軍軍需部岡山作業所
 (姫路第二海軍衣糧廠
  岡山分廠)

  建物 1棟

【探訪情報】
 2017.07.11  第1回探訪

 歩数(指数) 自転車のためなし(100)


後ほど、我々のホームページでも
ご紹介させていただきますっ★


それでは、また明日っ!



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皆様、日曜日をいかがお過ごしでしょうか。

三等兵は、今週に予定している
遠征の準備を進めているところです。


さて、本日も前回に引き続きとなりますが
真己軍團「軍報」の第21弾といたしまして
広島県福山市におかれていた
福山陸軍埋葬地の遺構を
簡単にご紹介させてくださいませ↓




福山陸軍埋葬地は、福山市内に
展開した部隊の戦没者や戦病没者の
墓地として、1908年(明治41)に
造成が開始され、敷地は終戦まで
存続しました。

現在は民間の墓地となっていますが、
もともと陸軍の墓地として
使用されなかった話もあり、
詳細は判っていません・・・

経緯は不明ですが、敷地外周に
軍用地境界標や墓標群の基礎と
思われる遺構が残っているため
墓地建設のための用地取得や
造成は行われたと考えられます。



前回に引き続き、福山市内に
お邪魔をしております↓



アジサイを見ながら
山を上っていきます↓
DSC_0036.jpg


墓標の基礎部分と思われる
遺構が2つ残ります↓




軍用地境界標が周辺に残ります↓





入口部分に案内板も
設けられていました↓



日頃からお世話になっている
盡忠報國先生大日本者神國也によると
このほかにコンクリート製の
軍用地境界標も残っているようです。

三等兵も現認したく藪に突入しましたが・・・

 木の根につまずき滑落しそうになる(士気-10)
 大量のヤブ蚊の襲来(士気-15)
 ふと見た青葉の裏側に大量の毛虫(士気-70) 

残念ながら潰走しました~(涙)
やはり、夏場の探訪は厳しいですね・・・


【収録遺構】
 福山陸軍埋葬地
 (福山陸軍墓地)

  軍用地境界標 3本
  その他 2箇所

【探訪情報】
 2017.07.10  第1回探訪

 歩数(指数) 1,820歩(76)


後ほど、我々のホームページでも
ご紹介させていただきますっ★


明日はホームページ関係で
ブログを更新させていただきます。


それでは、またお会いいたしましょうっ!



↑もしよろしければ応援してくださいっ♪

皆様、土曜日をいかがお過ごしでしょうか。


三等兵は、短パン・サンダル・サングラスで
ザギンに出かけてまいりました(笑)


銀座に全く似合わない格好だったので
相方には「大不評」でしたが・・・(笑)

だって、暑いんだもん・・・(大汗)


さて・・・
本日は、昨日に引き続きまして
真己軍團「軍報」の第20弾として
広島県福山市におかれていた
福山陸軍病院の遺構を
ご紹介させてくださいませ↓




福山衛戍病院は、
第十七師団に所属が
変更された歩兵第四十一連隊が
福山市内に移駐したことで
1907年(明治40)に開院し、
太平洋戦争の終戦まで
機能が存続していました。

終戦後、病院は現在の厚生労働省に
移管されて国立病院となりましたが、
現在は移転しておりJA福山市が
敷地を引き継いでいます。

残念ながら、当時の建物群は
消失していますが、石垣や
福山医療センター内に移設された
門柱がわずかに残っています。



引き続き、福山市内にお邪魔中です↓



JA福山市の敷地外周部分に
石垣が2区画残っています↓




敷地内には記念碑が
おかれていました↓



本当は、この撮影をもって
別案件の探訪に移ろうとしてましたが
日頃からお世話になっている
盡忠報國先生大日本者神國也によると
当時の門柱が福山医療センターに
移設されているとのことで
ここから歩いて向かいますっ!


おおっ、ありました↓



【収録遺構】
 福山陸軍衛戍病院
 (福山陸軍病院)

  門柱 1箇所
  その他 2区画

【探訪情報】
 2017.07.10  第1回探訪

 歩数(指数) 3,329歩(100)


詳細は、後ほどホームページ内で
ご紹介させていただきますっ★


それでは、また明日っ!



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