戦争遺跡のご紹介やホームページの制作状況などを綴っていきます♪

総軍BLOGへようこそっ!

♦ プロフィール

祐実総軍三等兵

Author:祐実総軍三等兵
全国に残る戦争遺跡を探訪し
記録することを趣味とする
祐実総軍三等兵ですっ★

稚拙な内容ではございますが
これまでに関係者の皆様方と
見てきた戦争遺跡を中心に、
ブログ・ホームページなどで
順次ご紹介をしていきます♪

よろしくお願いしますっ★

♦ カウンター

♦ 最新記事

♦ アクセスランキング

[ジャンルランキング]
地域情報
262位
アクセスランキングを見る>>

[サブジャンルランキング]
その他
10位
アクセスランキングを見る>>

皆様、いかがお過ごしでしょうか。


今日は、総軍大元帥閣下が
ご友人と着物関係の展示会に
お出かけになられたので
ホームページ関係の作業に
打ち込むことが出来ました(笑)

とはいえ、とある地下壕の内部図を
電子化していただけなので
そんなに進展しませんでしたが・・・

次週は、関係者の皆様方と一緒に
西湘方面の探訪をする予定です!
今から気合い入っちゃったりして(笑)


さて、本日は真己軍団「軍報」の
第34弾といたしまして
岡山県岡山市におかれていた
岡山陸軍兵器支廠の遺構を
ご紹介させてくださいませ↓




岡山陸軍兵器支廠は、
新設された第十七師団に関係する
兵器や弾薬・材料の購買や、
これらの貯蔵・修理を行う機関として
師団司令部に隣接する形で
1908年(明治41)に開設されました。

大正時代に入ると、組織改正により
第十七師団兵器部に改称されますが
その後の軍縮により第十七師団が
廃止されたため、周辺におかれた
隷属部隊の敷地も吸収して
大阪兵器本廠の岡山出張所に
改編されました。

昭和時代に入ると、陸軍兵器廠条例の
改正によって岡山兵器支廠・
岡山兵器補給廠の改称を経て、
最終的な組織改正によって
広島兵器補給廠岡山分廠となり
終戦まで存続しました。

現在、跡地の大半が
岡山大学となっていますが、
キャンパス内に当時の遺構が
残っており、簡単に見学することが
出来ます。



岡山駅前のホテルから
岡山大学の最寄りである
法界院駅に向かっていきます↓



今回も、いつものことながら
日頃からお世話になっている
盡忠報國先生ブログを参考に
めぐっていきますっ★


岡山大学の南東端付近に
当時の塀が残っています↓



塀の近くには当時の門柱が
1対あり「北倉庫第一通用門」という
門札が付いた状態で残っており
とっても貴重です↓



門柱の手前には当時の橋梁が
残っています↓



キャンパス内に当時のものと思われる
建物が残っていました↓



キャンパス内には、このほかにも
遺構が残っていますが、
別案件として掲載しているので
ここでは割愛します m(_ _)m

もし、よろしければ
下記の過去記事も見ていただければ
幸いでございます↓

 陸軍第十七師団山砲兵第二連隊
 陸軍第十七師団野砲兵第二十三連隊
 陸軍第十七師団工兵第十七大隊


【収録遺構】
 岡山陸軍兵器支廠
 (大阪陸軍兵器本廠
  岡山出張所,
  岡山陸軍兵器補給廠,
  広島陸軍兵器補給廠
  岡山分廠)

  門柱 1箇所
  建物 1棟
  軍用地境界塀 1区画
  橋梁 1箇所

【探訪情報】
 2017.07.11  第1回探訪

 歩数(指数) 約1,000歩(100)


後ほど、我々のホームページでも
ご紹介させていただきますっ★


おっ、ちょうど大元帥閣下が
ご帰還なされましたっ(笑)

それでは、またお会いいたしましょうっ!



↑よろしければ、こちらの「応援」も
 ひとつよろしくお願いします★

皆様、いかがお過ごしでしょうか。


本日で11月も終わりですね。。。
そろそろ2017年も終わりかぁ。
そんな気が全然しないな~(汗)


さて・・・
本日は真己軍團「軍報」の
第33弾といたしまして
岡山県岡山市におかれていた
工兵第十七大隊および、
岡山陸軍兵器補給廠の南倉庫の
遺構を1つだけですが、
ご紹介させてくださいませ↓




工兵第十七大隊は、
第十七師団の新設によって
1908年(明治41)に広島から転営し
岡山市内に新設された兵営に
入りました。

大正時代に入り、第十七師団の
隷下部隊とともに満州へ
出征しましたが1925年(大正14)の
軍縮で廃止となり、その後は
第十師団に隷属する
工兵第十大隊が福知山から移り
兵営を使いますが、
敷地が手狭であったため、
輜重兵第十七大隊の兵営へ
移駐したことで大阪陸軍兵器本廠の
岡山出張所の倉庫に使われて
終戦まで存続しました。

現在、兵営の跡地は
市立岡北中学校をはじめ、
津島保育園などに変遷して
面影がありませんが、敷地の
南東端に軍用地境界標が
残っています。



おピンちゃん先生と一緒に
岡山駅から津山線に乗って
法界院駅へ移動しました↓



JR津山線は岡山~津山を結ぶ路線で
ディーゼルカーでの運行です↓


始発駅の岡山の次駅が法界院ですが
SUICA等のICカードが使えるのは
わずかにこの区間だけのようです。
知らないで無意識にICカードで
入場しちゃったから、後から知って
ちょっと驚きました・・・


法界院駅の北をはしる用水路に
折れた軍用地境界標が
1つだけ残っています↓



日頃からお世話になっている
盡忠報國先生ブログによると
市立岡北中学校の敷地内にも
井戸と思われる遺構が
残っているそうなのですが、
ノーアポなので素通りしました(涙)


【収録遺構】
 陸軍第十七師団
 工兵第十七大隊
 (大阪陸軍兵器本廠
  岡山出張所 南倉庫)

  軍用地境界標 1本

【探訪情報】
 2017.07.11  第1回探訪

 歩数(指数) 約200歩(100)


後ほど、我々のホームページでも
ご紹介させていただきますっ★


明日は月を跨ぎ12月に入りますので
恒例のホームページアクセス統計で
ブログの更新をさせていただきます。
また、明後日の土曜日は久々に
「鉄道」ネタでのブログ更新です。
よろしければ、またお越しください♪


それでは、またお会いいたしましょうっ!



↑よろしければ、こちらの「応援」も
 ひとつよろしくお願いします★

皆様、いかがお過ごしでしょうか。


昨日はブログの更新を
「さぼって」しまいましたが、
PCにほとんど触れることなく
「水入らず」の1日を過ごしました。

久しぶりにお酒も飲んじゃった アーア
少しくらい、いいよね・・・(汗)


さて、本日は真己軍團「軍報」の
第32弾といたしまして
岡山県岡山市におかれていた
野砲兵第二十三連隊および、
岡山陸軍兵器補給廠の北倉庫の
遺構をご紹介させてくださいませ↓




野砲兵第二十三連隊は、
第十七師団の新設により
1908年(明治41)に広島から
転営しました。

大正時代に入り、満州に
派遣されますが、のちの
軍縮によって廃止され、
その後は大阪兵器本廠
岡山出張所の北倉庫に
兵営が使われました。

現在、兵営の跡地は岡山大学に
変遷しており、キャンパス内に
当時の遺構が残っています。



おピンちゃん先生と一緒に
法界院駅から岡山大学まで
歩いていきます↓



今回も、いつものことながら
日頃からお世話になっている
盡忠報國先生ブログを参考に
めぐっていきますっ★


岡山大学内に当時の木造建物が
残っています↓



煉瓦製の建物も2つばかり
残っていました↓




建物の前をはしる道路沿いに
煉瓦製の遺構も残っています↓



このほかに、岡山出張所北倉庫時代の
遺構も残っていましたが、これらは
別掲載とさせていただきますね。


【収録遺構】
 陸軍第十七師団
 野砲兵第二十三連隊
 (大阪陸軍兵器本廠
  岡山出張所 北倉庫)

  建物 3棟
  その他 1箇所

【探訪情報】
 2017.07.11  第1回探訪

 歩数(指数) 約500歩(100)


後ほど、我々のホームページでも
ご紹介させていただきますっ★


それでは、またお会いいたしましょう!



↑いつものお願いですが、
 こちらの「応援」もお願いします★

皆様、いかがお過ごしでしょうか。


いや~、平日は「愚痴」しか
出てこないですね・・・
今日も「大喧嘩」ですわ(笑)

だって、やることやってねーんだもん。
やらなきゃいけないことを
「やっていない」くせに、
どうして、やっていない他人に対し
文句が言えるのかな~って思う。

自分に「甘く」、他人に「厳しい」輩が
私は大嫌いでしてね・・・
これが仕事であれば「なおさら」です。
手の内を明かさない奴になんか
こちらの手の内を明かしてたまるか(笑)

私を否定的に見る人を
当然、私が肯定するはずはなく、
言い換えれば「目には目を」タイプの
典型とも言えますかね。
(ある意味、バカなんで・・・)

信用してくれない人なんかを
信用するわけないじゃんね~!
世の中、そんな「甘く」ありません。

こういう「見る目」だけは
長けちまっているもんだから、
「会社」という「組織」には
いつになっても馴染まない。
だから、嫌なヤツからは「冷たい」と
いつも言われちゃうんだな・・・(笑)

こんな「性格」なもんですから、
「失敗」をしてしまったことも
数多くあるのです・・・(涙)

あっ、でも、自分で言うのも難ですが
何もなければ私は「優しい」ですよ(汗)

もちろん、相手が「直す」のであれば
私だって直しますよ! ナハハッ


さてさて、本日は真己軍團「軍報」の
第31弾といたしまして、
岡山県岡山市におかれていた
山砲兵第二連隊の遺構を
簡単にご紹介させてくださいませ↓




山砲兵第二連隊は、
第十七師団の新設によって
1908年(明治41)に、香川県の
善通寺から転営し、岡山市内に
新設された兵営に入りました。

大正時代に入ると満州に
派遣されますが、陸軍の平時編制が
改正されたことによって廃止となり
その後は大阪兵器本廠の岡山出張所の
北倉庫に兵営が使われました。

現在、兵営の跡地は岡山大学に
変遷しており、キャンパス内に
当時の遺構が残っています。



岡山大学にお邪魔しております↓


今回は、毎度のことながら
日頃からお世話になっている
盡忠報國先生ブログを参考に
めぐっていきますっ★


当時の建物の一部が
キャンパス内に残っています↓



敷地の南側に門柱が残ります↓



【収録遺構】
 陸軍第十七師団
 山砲兵第二連隊
 (大阪陸軍兵器本廠
  岡山出張所 北倉庫)

  建物 1棟
  門柱 1箇所

【探訪情報】
 2017.07.11  第1回探訪

 歩数(指数) 約500歩(100)


後ほど、我々のホームページでも
ご紹介させていただきますっ★


いつもながら、愚痴ばっかりの
ブログで申し訳ありません m(_ _)m


それでは、おやすみなさいZzz



↑よろしければ、こちらの「応援」も
 よろしくお願いします★

皆様、連休をいかがお過ごしですか。

雨降ってきたよ、こっちは(驚)
何だかな~


三等兵は、家のことを済ませ
これからホームページ
更新作業に専念するため
PCを占有して頑張っちゃいます(笑)
どこまでやれるかな~(汗)


さてさて、本日は真己軍團「軍報」の
第30弾といたしまして
岡山県岡山市におかれていた
輜重兵第十七大隊を中心とした
遺構群をご紹介させてください↓




輜重兵第十七大隊は、
第十七師団の新設により
1908年(明治41)に兵庫県の
姫路市から転営し、岡山市内に
新設された兵営に入りました。

大正時代に入り、第十七師団の
隷下部隊とともに満州に
出征しましたが、1925年(大正14)の
軍縮で廃止となり、その後は
大阪陸軍兵器本廠の岡山出張所の
倉庫に兵営は転用されました。

昭和時代に入ると、工兵第十連隊の
前身である工兵第十大隊が
姫路から転営して兵営を使用し
満州事変を経て日中戦争で
満州へ移ったため、
日中戦争遂行のために編制された
一一〇師団に隷属する
工兵一一〇連隊が満州へ
移駐するまで展開し、
その後は第五十四師団に隷属する
工兵第五十四連隊が編成され、
タイ・ビルマ方面の諸作戦に
参加しました。

終戦後、兵営跡は連合国軍に
接収されましたが、現在は返還され
岡山大学津島キャンパスに
変遷しており、当時の遺構が
残っています。



おピンちゃん先生とともに
法界院駅に到着しました↓



法界院駅から15分ほど歩き
岡山大学に入っていきます↓


今回は、毎度のことながら
日頃からお世話になっている
盡忠報國先生ブログを参考に
めぐっていきますっ★


炊事場と思われる建物が
残っています↓



炊事場に接続するようにして
2階建ての建物も残っています↓



南西側の一角に将校集会所の
庭園跡の名残である灯篭が
残っていました↓


時期が悪くて草がボーボーで
何だか判りませんね・・・


輜重兵大隊の後に衛戍した
工兵連隊の演習用橋梁が
東端付近に残っています↓



岡山大学の守衛所は、当時の
建物といわれているそうですが、
盡忠報國先生のおっしゃる通り
造りに違和感がありますね↓



守衛所の裏手に位置する建物は
当時のものと思われます↓



盡忠報國先生ブログでは
守衛所の東側に演習機材庫の
建物が掲載されていますが、
先生の危惧通り、破却されて
現存していませんでした・・・
くそっ、現地入りが遅かったかっ!


【収録遺構】
 陸軍第十七師団
 輜重兵第十七大隊
 (陸軍第十師団
  工兵第十連隊,
  陸軍一一〇師団
  工兵一一〇連隊,
  陸軍第五十四師団
  工兵第五十四連隊)

  建物 3棟
  橋梁 1箇所
  その他 1箇所

【探訪情報】
 2017.07.11  第1回探訪

 歩数(指数) 約1,000歩(100)


後ほど、我々のホームページでも
ご紹介させていただきますっ★


それでは、またお会いいたしましょう!



↑こちらの「応援」も、
 ひとつ、よろしくお願いします★