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戦争遺跡のご紹介やホームページの制作状況などを綴っていきます♪

総軍BLOGへようこそっ!

♦ プロフィール

祐実総軍三等兵

Author:祐実総軍三等兵
全国に残る戦争遺跡を探訪し
記録することを趣味とする
祐実総軍三等兵ですっ★

稚拙な内容ではございますが
これまでに関係者の皆様方と
見てきた戦争遺跡を中心に、
ブログ・ホームページなどで
順次ご紹介をしていきます♪

よろしくお願いしますっ★

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皆様、いかがお過ごしでしょうか。


仕事が少しも面白くないですね・・・

「軍跡探訪が生きがい」というのは
「仕事が生きがい」という方々と
同じことだと思うのですが、
仕事バカには賛同出来ませんね・・・

以上、軍跡バカの戯言でした。


さてさて、今回は真己軍團「軍報」の
第40弾といたしまして、
鳥取県鳥取市におかれていた
鳥取射撃場の軍用地境界標を
1本だけご紹介させてくださいませ↓




鳥取演習場は、鳥取市内に展開した
歩兵第四十連隊の射撃演習場として
設置され、敷地は終戦まで存続しました。

現在、跡地の大半が住宅地に
変遷し面影が全くありませんが、
敷地の中央にあたる市道沿いに
軍用地境界標が1本だけ
移設されています。



前回の記事に引き続き、
西の大御所・盡忠報國先生
ご案内の下、鳥取市内に
お邪魔しております↓



当時の射撃場の中央付近にあたる
道路沿いに軍用地境界標が
1本だけ残っています↓



側面を見ると「明治四十三年十一月」と
年月が刻まれていました↓



これまでに色々な標柱を見ましたが
年月が入るものは関東では
あまり見かけません。


軍用地境界標と全力で向き合う
盡忠報國先生↓



2人そろって、我を忘れるように
写真をパシャパシャ撮っていたら
横のお地蔵さんをきれいにしていた
お婆さまから声をかけられました(笑)


射撃場跡について軽くお話しした後は
敷地の外周をまわるように歩き
新たな標柱が残っていないか
確認していきます↓



最奥にあたる稲葉丘公園が
当時の射垜跡になり、界隈を捜索するも
徒労に終わってしまいました・・・↓



敷地を1周した後は、
次の案件を目指します↓



【収録遺構】
 陸軍第十師団
 鳥取射撃場

  軍用地境界標 1本

【探訪情報】
 2018.12.19  第1回探訪

 歩数(指数) 未計測(100)


後ほどホームページ内でも
ご紹介させていただきますねっ♪


それでは、またお会いしましょうっ★



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皆様、いかがお過ごしでしょうか。


2月から、少しもめでたくない職場復帰を
したわけなのですが、復帰2週間目で
早くも風邪をひきそうです・・・


去年の11月から3か月にわたって
探訪やまとめなどで忙しくしてた期間は
二日酔いを除いて調子が悪くなることが
皆無だったのに残念です。


もはや、体までが大好きな仕事に対する
拒否反応をしているようですね(笑)


さてさて、今回は真己軍團「軍報」の
第39弾といたしまして、
鳥取県鳥取市におかれていた
歩兵第四十連隊の遺構群を
簡単にご紹介させてくださいませ↓




歩兵第四十連隊は、第十師団
隷属する部隊で、1897年(明治30)に
鳥取市内に新設された兵営に
入りました。

その後は日露戦争に出征して
主要作戦に参加し、凱旋帰還の途に
つきますが、昭和時代に入ると満州へ
再び出征して満州事変・日中戦争の
主要作戦を経て第二十五師団の
傘下部隊に変更され、太平洋戦争では
一部がサイパンの守備にあたり
アメリカ軍と激戦を繰り広げて
玉砕しました。

また、残りの部隊は来たる本土での
決戦準備のために九州へ移動し
終戦を迎えました。

なお、歩兵第四十連隊が満州へ
移駐した後は、戦時動員によって
鳥取の兵営では歩兵第一四〇連隊・
歩兵第一二一連隊・歩兵第二〇〇連隊を
はじめとする 7つの部隊が終戦までに
編成され、戦地で活躍しました。

現在、跡地は三洋テクノソリューションズの
工場や、商業施設などに変遷していますが
兵舎や将校集会所などの遺構が
残っています。



西の大御所・盡忠報國先生
ご案内の下、鳥取市内に
お邪魔しております↓



先生と一緒に敷地の外周を
歩いていきます↓



三洋テクノソリューションズの敷地内に
兵舎が2棟残っています↓



また、兵舎付近にも当時の水槽が
いくつか残っているようなのですが
敷地の外側からは見れませんでした・・・


敷地西側をはしる道路を北上していくと
かなり改装されているようですが
覆練兵場が残っています↓



さらに北へ進んでいくと
こちらも改装されていますが
1898年(明治31)に竣工した
将校集会所が残っています↓


ちなみに、探訪時は将校集会所内で
企業会議が開催されていました★


将校集会所に隣接して庭園があり
現在も名残を見ることが出来ます↓



将校集会所の背面には剣術道場として
使用された建物が残っています↓



将校集会所の東側には、かつて
聯隊本部・大隊本部庁舎も
残っていたようなのですが、当方の
探訪が遅く壊されてしまったようです・・・


敷地北側の入口付近の風景は
だいぶ変わってしまっているようですが
面会所だけは無事に残っていました↓



敷地をぐるっと一回りした後は
次の案件に進んでいきます↓



【収録遺構】
 陸軍第十師団
 歩兵第四十連隊

  建物 6棟
  その他 1箇所

【探訪情報】
 2018.12.19  第1回探訪

 歩数(指数) 未計測(100)


後ほどホームページ内でも
ご紹介させていただきますねっ♪


それでは、またお会いしましょうっ★



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皆様、いかがお過ごしでしょうか。


残念ながら、2月の連休は
天気が悪くて出掛けることが出来ず
モチベーションが下がったまま
「楽しい」仕事に従事することに
なってしまいました。。。


連休という気分にならなかったため
この「代休」をいただかなければ(笑)


さて、今回は真己軍團「軍報」の
第38弾といたしまして、
岡山県美作市に掘削された
広島陸軍兵器補給廠の
入田弾薬庫跡を簡単にご紹介します↓




広島兵器補給廠は、兵器行政本部に
隷属し、第五師団に関係する兵器の
材料や燃料などの保管と補給を行う
目的で、1940年(昭和15)に前身の
広島兵器支廠からの改称により
発足しました。

太平洋戦争に突入すると、空襲に備え
弾薬類の疎開を目的として入田地区に
横穴式の格納壕が構築されました。

現在、跡地は山林や畑地などに
なっていますが、地下壕がいくつか
残存しています。



西の大御所・盡忠報國先生とともに
美作市の山林内にお邪魔しております↓



低山の麓に進んでいくと・・・↓



埋まりかかった1区画目の地下壕が
展開しています↓



入口付近は崩落しゴミの山に
なってしまっていますが、
内部はしっかりしています↓



岐路をもたない坑道が
約25メートルほど展開しています↓



低山に沿って南に下っていきます↓



入口は崩落しているものが多いですが
山に沿って複数の地下壕が残ります↓



ひととおり、中に入れるものは
くまなく確認しましたが、
5メートル~25メートルほどの
単一の壕が展開していました↓



最南付近に展開する壕のみL字を描く
坑道ですが、掘削途中であったようで
最深部は行き止まりでした・・・↓




いくつかは完全に埋没し、
見学出来ないものもありましたが
6本の壕を見ることができ、これらの
合算延長は約200メートルほどでした↓




道路を挟んだ反対側の区画にも
地下壕が展開していたようなので、
地主さんに声をかけて捜索します↓



1箇所だけ壕の崩落痕と思われる
入口跡がありましたが、ここ以外に
見つけることは出来ませんでした・・・↓



この周辺は前日までの悪天候で
足場も悪かったため、捜索を打ち切り
次の案件に進んでいきます↓



【収録遺構】
 広島陸軍兵器補給廠
 入田弾薬庫

  地下壕 1区画
  その他 1箇所

【探訪情報】
 2018.12.18  第1回探訪

 歩数(指数) 未計測(100)


後ほどホームページ内でも
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それでは、またお会いしましょうっ★



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皆様、いかがお過ごしでしょうか。


毎度の愚痴でございますが、
平日は本当に眠たい日々です(笑)

仕事している暇があったら、
未見の軍用地境界標の1本でも
探したいと思うのですが、
課されている以上は仕方ないです・・・

その代わり、お金に見合った作業しか
するつもりはありません(笑)

精神論・根性論というウンコみたいな
思想に振り回されることもありません。

あっ、軍跡は別ですよっ★


さてさて、愚痴が上々なところで
今回は真己軍團「軍報」の
第37弾といたしまして、
島根県松江市におかれていた
松江陸軍埋葬地をご紹介します↓




松江埋葬地は、歩兵第六十三連隊
松江市に展開したことによって
開設された陸軍墓地で、終戦まで
存続しました。

戦後は荒廃しましたが、個人墓が
引き抜かれて、現在は公園として
整備されており、門柱や灯篭などが
移設保存されているほか、慰霊碑や
連隊歌碑が建立されています。



前回の記事に引き続き、
西の大御所・盡忠報國先生
ご案内の下、緑山公園に
お邪魔しております↓



ここまで車で上がったため、きちんと
歩くことが出来ませんでしたが、
当時の参道に設けられた階段が
残っています↓



忠魂碑の入口付近に
当時の灯篭群が移設されています↓




門柱も移設されていますが、
どうやら向きはバラバラのようです↓




入口付近の遺構群を記録しながら
盡忠報國先生と共に、お参りを
させていただきます↓




現在の慰霊塔は、当時の忠霊塔に
手を加えて建立されており、
裏側が本来の表だったそうです↓



この横の連隊歌碑は1982年(昭和57)に
建立されたようです↓



我ら2名、慰霊塔に向かい
生涯にわたって軍跡探訪を
していくことを宣言した後は
外周部分を見ていきます↓



敷地外周付近は鬱蒼とした林に
なっており、当時の個人墓標が
雑に放置されているようですが
これはいけません・・・↓



陸軍墓地を「公園」として
整備している以上は、先代の墓標様を
このように放置することなく、
整備する必要があると思います。


敷地外周部分に軍用地境界標を
2本確認することが出来ました↓




いずれも、裏側には漢数字で
通し番号が刻まれていました↓



【収録遺構】
 松江陸軍埋葬地
 (松江陸軍墓地)

  門柱 1箇所
  軍用地境界標 2本
  その他 6箇所
  墓標様

【探訪情報】
 2018.12.20  第1回探訪

 歩数(指数) 未計測(100)


後ほどホームページ内でも
ご紹介させていただきますねっ♪


それでは、またお会いしましょうっ★



↑よろしければ、こちらの「応援」も
 ひとつよろしくお願いします♪

皆様、いかがお過ごしでしょうか。


2月に入り、大好きな仕事復帰で
大幅に士気を削がれております。。。

充実感・達成感などは「皆無」ですが
探訪資金を捻出するためには
仕方がありませんね・・・

今の私の仕事スタンスなんか
しょせん、こんなもんです。

それ以前に「無能」でもあるので(笑)


さて、本日は真己軍団「軍報」の
第36弾といたしまして、
島根県松江市におかれていた
歩兵第六十三連隊の遺構を
ご紹介させてくださいませ↓




歩兵第六十三連隊は、第十七師団の
新設により1908年(明治41)に大阪から
転営し、松江市内に新設された
兵営に入りました。

大正時代に入ると、軍縮で第十七師団
廃止され、その後は第十師団
隷下部隊として満州に移り、
満洲事変・日中戦争での戦闘に
参加しました。

太平洋戦争では台湾の守備を経て
フィリピンのルソン島に移り、
アメリカ軍と一進一退の激戦を
繰り広げますが、壊滅状態となり
終戦となりました。

現在、兵営跡地は県立松江工業高校や
市営住宅に変遷し、わずかに遺構が
残っています。



西の大御所・盡忠報國先生
ご案内の下、松江工業高校に
お邪魔をしております↓



校舎の北側に移設された門柱が
保存されています↓



移設保存されている旨の
案内板が立てられています↓



この西側の区画に将校集会所が
おかれていたようです↓



残念ながら、建物は消失していますが
庭園の区画や名残がわずかに
残っています↓




校舎のすぐ脇に、老朽化により
取り壊された覆練兵場の壁の一部が
保存されています↓



その横に、歩兵第六十三聨隊跡の碑と
至誠の碑とおかれていました↓



校内見学の機会をいただきましたので
隅々まで盡忠報國先生と見ていきます↓



昭和22年の航空写真に写っていると
思われる階段が2箇所ありました↓




材質から当時の石床と思われます↓



敷地南端付近にも怪しいコンクリート製の
構造物がありました↓



校内見学を快諾いただいた
先生方にお礼を申し上げて、
次の案件を目指します↓



【収録遺構】
 陸軍第十七師団
 歩兵第六十三連隊
 (陸軍第十師団
  歩兵第六十三連隊)

  門柱 1箇所
  その他 7箇所

【探訪情報】
 2018.12.20  第1回探訪

 歩数(指数) 未計測(100)


後ほどホームページ内でも
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