戦争遺跡のご紹介やホームページの制作状況などを綴っていきます♪

総軍BLOGへようこそっ!

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祐実総軍三等兵

Author:祐実総軍三等兵
全国に残る戦争遺跡を探訪し
記録することを趣味とする
祐実総軍三等兵ですっ★

稚拙な内容ではございますが
これまでに関係者の皆様方と
見てきた戦争遺跡を中心に、
ブログ・ホームページなどで
順次ご紹介をしていきます♪

よろしくお願いしますっ★

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皆様、いかがお過ごしでしょうか。


今日は、自宅を出て出勤を開始して
50メートルのところで滑って転び、
その時に変に体をかばおうとして
腰をひねってしまい、あえなく撃沈(笑)

もう、こんなことで体を痛めてしまう
「お年頃」でして・・・

もうね、口が裂けても
昔は「運動神経よかったの」といった
中年男が最も得意とする
「昔話」もしてはいけない感じ(笑)

今日の出勤に関しては、
無理して来なくていいって
事前にも言われていたから
みんなの厚意に甘え、
自宅で仕事することに・・・

・・・してないけど(笑)


いや~、食べ物のストックがないから
家から至近のスーパーに
買い物に行ったのですが、
ものすごく品薄でびっくりした(笑)

びっくりはしたものの、
どこかのクソったれワイドショーじゃ
ないけれど、品薄だったことの責任は
「他人のせい」と、とれるような物言いは
一切しませんっ!

こうなる予報を事前に聞いておきながら
不用意だった自分が悪い。当たり前です。
もう少し、天災に対する備えを勉強します。


さて・・・
本日は由香里軍團「軍報」の
第7弾といたしまして
宮城県仙台市におかれていた
東京第一陸軍造兵廠仙台製造所の
建物をご紹介させてくださいませ↓




仙台製造所は小銃・機関銃の弾薬類を
製造していた東京第一陸軍造兵廠の
生産拡張を目的として、1941年(昭和16)に
開設されました。

ここには、主に20ミリと12.7ミリの
航空機関砲の弾丸を製造する
4区画の工場のほかに、工員の養成所や
本部・宿舎などがおかれていました。

現在、跡地は陸上自衛隊の
仙台駐屯地をはじめ、トラックターミナルや
物流倉庫などに変遷していますが、
終戦直後の航空写真と比較する限り
当時のものと考えられる建物の
外観を見ることが出来ます。



毎度、遠征でおなじみの
おピンちゃん先生とともに、
仙台駅から仙石線に乗り
苦竹駅に到着しております↓



1947年(昭和22)の航空写真と
比較をする限りでは、
当時のものと考えられる建物が
いくつか残っています↓










仙台の街並みは本拠と違い
ものすごく素敵でした★↓
P1200863_20180123191634ab5.jpg


【収録遺構】
 東京第一陸軍造兵廠
 仙台製造所

   建物 8棟

【探訪情報】
 2016.10.08  第1回探訪

 歩数(指数) 約3,000歩(100)


後ほど、我々のホームページにも
掲載予定ですっ★


それでは、またお会いいたしましょう★



↑よろしければ、こちらの「応援」も
 ひとつよろしくお願いします♪

皆様、いかがお過ごしでしょうか。

三等兵は、残念ながら明日まで
仕事でございます・・・

まあ、普段は怠けてばかりなので
たまにはいいでしょうかね・・・


さて、本日は由香里軍團「軍報」の
第6弾といたしまして
宮城県仙台市におかれていた
歩兵第四連隊の遺構を
ご紹介させてくださいませ。


歩兵第四連隊は、師団編成の前身にあたる
仙台鎮台に隷属し、その後の改編をうけて
第二師団に隷属し、1875年(明治 8)に
兵営が榴ヶ岡に設置されました。

戦歴も古く、西南戦争をはじめ
日清戦争や日露戦争では
主要な作戦に参加し戦果を出しており
昭和に入ると満州へ出征して
日中戦争の主要な作戦にも参加して
帰還しますが、太平洋戦争で再び出征して、
ガダルカナル島やバリ島などの
守備につき、その後はビルマに
転進して終戦となりました。

現在、兵営の跡地は榴岡公園となり
整地されて面影がありませんが、
外観を復元して移築保存された兵舎や
軍用地境界標が残っています。


仙台駅から仙石線に乗って
榴岡公園に向かいます↓



榴岡公園内にある
仙台市歴史民俗資料館は
移築保存された当時の兵舎を
活用して営業しています↓



雨の中、おピンちゃん先生
講演が始まります↓



残念ながら、知名度が低く
観衆はZEROでございます(笑)↓


先生、ご安心くだされっ!
この三等兵だけは、
きっちり聞いておりましたからっ(笑)


榴岡公園内には移設された
軍用地境界標も残っています↓



この後は、観客0で
すっかりしょげてしまった
おピンちゃん先生を
精一杯の「おもてなし」をもって
接待させていただきました(笑)↓


ついつい、清酒を飲み過ぎて
接待どころか、逆に介抱された
三等兵でございました~(笑)


【収録遺構】
 陸軍第二師団
 歩兵第四連隊

   建物 1棟
   軍用地境界標 1本

【探訪情報】
 2016.10.08  第1回探訪

 歩数(指数) 計測忘れ(100)


詳細は、後ほどホームページ内で
ご紹介させていただきますねっ★


年内は、明日で「軍報」の掲載を
最後にさせていただきます m(_ _)m
来年は1月6日(金)から再開します。
その間は「雑記」および
「ホームページ関係」の記事にて
ブログを更新させてください。


それでは、また明日っ!


↑制作意欲につながりますので
 もしよければ応援してくださいっ★
皆様、月曜日をいかがお過ごしでしょうか。


週の初めから、お仕事「みっちり」な
雰囲気を出してきたので
いち早く帰ってきました~
「仕事好き」の人達に任せたっ!
好きにしたまえ(笑)


さてさて、早く帰ってきた割には
いい時間ですので
本日は由香里軍團「軍報」の
第5弾といたしまして
宮城県仙台市におかれていた
仙台陸軍幼年学校の遺構を
1つだけご紹介させてくださいませ。


幼年学校は、幼少時から陸軍の
将校候補を養成するための
教育機関で、大正時代の軍縮により
廃止された仙台地方幼年学校が
昭和時代に入り中国での戦局拡大に
ともない復活し、三神峯に
校舎が新設されました。

ここでは13歳から16歳で入校した
生徒へ教育が行われ、卒業後は
予科士官学校に無試験で
進学出来ました。

現在、学校の跡地は
三神峯公園となっており、
整地されているため面影が
全くない状態ですが、
当時の門柱が残存しており
保存されています。


仙台市営地下鉄の南北線の
終着である富沢駅にきております↓


ここから、三神峯公園まで
歩いて向かいます。


道中、何か悲しい雰囲気を出す
居酒屋さんを見つけました↓


トレードマークである
おじいちゃんの「顔」が
悲しい感じで、三等兵も
悲しくなってしまいました・・・

残念ながら営業時間外だったので
お店の中には入れませんでした。

「おじいちゃんなんかじゃないよ」
そんな気持ちを伝えるため、
次回の再訪では必ず寄ります。


幼年学校の門柱です↓



門柱の裏側も載せておきます↓



雨がすごくなってきたので
記録後は早々に立ち去りました。


【収録遺構】
 仙台陸軍幼年学校

   門柱 1箇所

【探訪情報】
 2016.10.08  第1回探訪

 歩数(指数) 1,609歩(100)


詳細は、後ほどホームページ内で
ご紹介させていただきますねっ★


それでは、おやすみなさいませZzz


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皆様、いかがお過ごしでしょうか。

せっかくの休暇がなくなりましたよ(怒)
クソったれですね。精神が病みそうですよ。
そんなに仕事したいなら、会社に住めば?
会社に住んで、思う存分やったらいいですよ。
きっと通勤時間も惜しいだろうからね。
そういう人は、1日で何でもこなせますよ(笑)
何でもタダで「今日中」にやればよろしい。

そんなこんなで、画策していた
明日からの三重探訪は「延期」にして
明後日に日帰りで浜松行ってきます。


さてさて、日を追うごとに愚痴が
酷くなっていますが、
本日は由香里軍團「軍報」の
第4弾といたしまして、
宮城県仙台市におかれていた
仙台陸軍埋葬地のご紹介です。


仙台陸軍埋葬地は仙台市に
展開した陸軍部隊の戦没者や
戦病没者の方々が埋葬されている
陸軍墓地で、小松島への移転により
1876年(明治9)に設置されました。

現在は仙台市に移管されて
常盤台霊苑となっており、
納骨堂や個人・合葬墓などが
ありますが、普段は入口が
閉ざされているため、見学は
外側からに限られます。


仙山線の東照宮駅に来ております↓



ここから15分ほど歩いていきます↓



陸軍墓地の碑が目印です↓



当時の門柱です↓



墓標様です↓



納骨堂です↓
P1200641.jpg


この他、御手洗や灯篭なども
あるようなのですが、
残念ながら門が閉ざされており
中に入ることが叶いませんでした。。。
遠方からの拝礼とはいえ
こちらの都合だけを押し付けるわけに
いかないですものね。


【収録遺構】
 仙台陸軍埋葬地
 (仙台陸軍墓地)

   門柱 1箇所
   建物 1棟
   墓標様 1区画
   その他 1箇所

【探訪情報】
 2016.10.08  第1回探訪

 歩数(指数) 1,922歩(100)


詳細は、後ほどホームページ内で
ご紹介させていただきますねっ★


今日はこのまま土曜日の探訪作戦を
練りたいと思いますので
これで失礼いたします m(_ _)m
おやすみなさいませ♪


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皆様、月曜日をいかがお過ごしでしょうか。
今日の関東地方は雨だし寒かったです。
本格的な探訪シーズンの到来を
心待ちにはしているものの、
いまひとつ寒期の到来に対する
心構えが出来ていないというか・・・


さてさて、本日は由香里軍團「軍報」の
第3弾といたしまして、
宮城県柴田郡柴田町におかれていた
平塚海軍火薬本廠の船岡支廠
(船岡第一海軍火薬廠)の遺構を
簡単にご紹介させてくださいませ。


火薬廠は、兵器に使用するための
爆薬・火薬を製造していた
海軍の工場で、神奈川県の平塚市に
本廠がおかれていました。

第一次世界大戦を機に航空機が発達し
これに使用する機銃火薬や、
爆弾用爆薬の拡充要請をうけたことで
1939年(昭和14)に火薬廠の支廠が
船岡に設置されました。

1941年(昭和16)に入ると組織が改正されて
船岡支廠は第一火薬廠として独立し、
太平洋戦争の終戦までに
10,000人以上の工員が製造に従事し
総量が約30,000トンの火薬や爆薬が
製造され, その規模は東洋で
最大級をほこったそうです。

戦後、これらの広大な敷地は、
仙台大学や陸上自衛隊船岡駐屯地などに
変遷しており、軍用地境界標を中心とする
遺構が多く残っています。


柴田町にある船岡駅に到着しました↓


ここから、しばたの郷土館まで
歩いて進んでいきます。


しばたの郷土館内に保存されている
軍用地境界標です(抜粋)↓




構内をはしっていた軌道の
線路も保存されています↓



ここから、本部がおかれた
仙台大学を目指していきます。

その前に、畏れ多くも総軍元帥の
ストレッチが入ります(笑)↓



仙台大学の西側に展開する山にも
軍用地境界標が多く残ります(抜粋)↓





畏れ多くも軍用地境界標を
どんどん見つける総軍元帥(笑)↓



この場は総軍元帥がガッチリと
お仕切りになっておられるので
三等兵なんかこんな感じですよ(笑)↓


出番なし、見せ場なし・・・


軍用地境界標に沿う形で
境界柵の支柱も一部区間で残ります↓



山の斜面には、地下施設の入口が
埋没していますが残っています↓



仙台大学の門柱は、当時の門柱を
流用して使われているようです(抜粋)↓


探訪当日は学園祭が催されており
大学の中に入ることが出来ました★
総軍元帥のおかげです、はいっ(笑)


軍用地境界塀も一部で残ります↓


せっかくなので、お母さんお手製の
カレーライス(300円。安いっ!)を
大学内の出店で買わせてもらい
敷地内で食べましたっ★
ゴロっと野菜がたくさん入っており
とてもおいしかったです♪


三等兵が個人的に「あやしい」とみた
建物群を載せてみます。
(知見のある方、ご意見をっ!)

工員宿舎でしょうかね・・・↓


これもあやしいんだよな・・・↓

 ※百足光生さまより、仙台大学初期の
  体育館であるとご教示いただきました。
  ありがとうございますm(__)m


遺構は、この他にも
陸上自衛隊船岡駐屯地にも
あるようですが、見れそうもないので
このまま船岡駅まで戻りました。。。


このあとは仙台駅に戻って
総軍元帥を讃えるための
酒宴会場へ向かいました(笑)↓



【収録遺構】
 平塚海軍火薬本廠
 船岡支廠
 (船岡第一海軍火薬廠)

   門柱 2箇所
   地下施設 1箇所
   軍用地境界標 15本
   軍用地境界塀 1区域
   その他 2箇所

【探訪情報】
 2016.10.09  第1回探訪

 歩数(指数) 17,194歩(100)


詳細は、後ほどホームページ内で
ご紹介させていただきますねっ★


それでは、またお会いいたしましょう★


↑制作意欲につながりますので
 応援をしてやってくださいませ♪