戦争遺跡のご紹介やホームページの制作状況などを綴っていきます♪

総軍BLOGへようこそっ!

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祐実総軍三等兵

Author:祐実総軍三等兵
全国に残る戦争遺跡を探訪して
記録することを生き甲斐とする
祐実総軍三等兵でございます★
稚拙な内容ではございますが、
これまで調べてきた戦争遺跡を
ブログ・ホームページで紹介を
させていただいておりますっ♪

よろしくお願いしますm(__)m

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皆様、いかがお過ごしでしょうか。

三等兵は、残念ながら明日まで
仕事でございます・・・

まあ、普段は怠けてばかりなので
たまにはいいでしょうかね・・・


さて、本日は由香里軍團「軍報」の
第6弾といたしまして
宮城県仙台市におかれていた
歩兵第四連隊の遺構を
ご紹介させてくださいませ。


歩兵第四連隊は、師団編成の前身にあたる
仙台鎮台に隷属し、その後の改編をうけて
第二師団に隷属し、1875年(明治 8)に
兵営が榴ヶ岡に設置されました。

戦歴も古く、西南戦争をはじめ
日清戦争や日露戦争では
主要な作戦に参加し戦果を出しており
昭和に入ると満州へ出征して
日中戦争の主要な作戦にも参加して
帰還しますが、太平洋戦争で再び出征して、
ガダルカナル島やバリ島などの
守備につき、その後はビルマに
転進して終戦となりました。

現在、兵営の跡地は榴岡公園となり
整地されて面影がありませんが、
外観を復元して移築保存された兵舎や
軍用地境界標が残っています。


仙台駅から仙石線に乗って
榴岡公園に向かいます↓



榴岡公園内にある
仙台市歴史民俗資料館は
移築保存された当時の兵舎を
活用して営業しています↓



雨の中、おピンちゃん先生
講演が始まります↓



残念ながら、知名度が低く
観衆はZEROでございます(笑)↓


先生、ご安心くだされっ!
この三等兵だけは、
きっちり聞いておりましたからっ(笑)


榴岡公園内には移設された
軍用地境界標も残っています↓



この後は、観客0で
すっかりしょげてしまった
おピンちゃん先生を
精一杯の「おもてなし」をもって
接待させていただきました(笑)↓


ついつい、清酒を飲み過ぎて
接待どころか、逆に介抱された
三等兵でございました~(笑)


【収録遺構】
 陸軍第二師団
 歩兵第四連隊

   建物 1棟
   軍用地境界標 1本

【探訪情報】
 2016.10.08  第1回探訪

 歩数(指数) 計測忘れ(100)


詳細は、後ほどホームページ内で
ご紹介させていただきますねっ★


年内は、明日で「軍報」の掲載を
最後にさせていただきます m(_ _)m
来年は1月6日(金)から再開します。
その間は「雑記」および
「ホームページ関係」の記事にて
ブログを更新させてください。


それでは、また明日っ!


↑制作意欲につながりますので
 もしよければ応援してくださいっ★
皆様、月曜日をいかがお過ごしでしょうか。


週の初めから、お仕事「みっちり」な
雰囲気を出してきたので
いち早く帰ってきました~
「仕事好き」の人達に任せたっ!
好きにしたまえ(笑)


さてさて、早く帰ってきた割には
いい時間ですので
本日は由香里軍團「軍報」の
第5弾といたしまして
宮城県仙台市におかれていた
仙台陸軍幼年学校の遺構を
1つだけご紹介させてくださいませ。


幼年学校は、幼少時から陸軍の
将校候補を養成するための
教育機関で、大正時代の軍縮により
廃止された仙台地方幼年学校が
昭和時代に入り中国での戦局拡大に
ともない復活し、三神峯に
校舎が新設されました。

ここでは13歳から16歳で入校した
生徒へ教育が行われ、卒業後は
予科士官学校に無試験で
進学出来ました。

現在、学校の跡地は
三神峯公園となっており、
整地されているため面影が
全くない状態ですが、
当時の門柱が残存しており
保存されています。


仙台市営地下鉄の南北線の
終着である富沢駅にきております↓


ここから、三神峯公園まで
歩いて向かいます。


道中、何か悲しい雰囲気を出す
居酒屋さんを見つけました↓


トレードマークである
おじいちゃんの「顔」が
悲しい感じで、三等兵も
悲しくなってしまいました・・・

残念ながら営業時間外だったので
お店の中には入れませんでした。

「おじいちゃんなんかじゃないよ」
そんな気持ちを伝えるため、
次回の再訪では必ず寄ります。


幼年学校の門柱です↓



門柱の裏側も載せておきます↓



雨がすごくなってきたので
記録後は早々に立ち去りました。


【収録遺構】
 仙台陸軍幼年学校

   門柱 1箇所

【探訪情報】
 2016.10.08  第1回探訪

 歩数(指数) 1,609歩(100)


詳細は、後ほどホームページ内で
ご紹介させていただきますねっ★


それでは、おやすみなさいませZzz


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皆様、いかがお過ごしでしょうか。

せっかくの休暇がなくなりましたよ(怒)
クソったれですね。精神が病みそうですよ。
そんなに仕事したいなら、会社に住めば?
会社に住んで、思う存分やったらいいですよ。
きっと通勤時間も惜しいだろうからね。
そういう人は、1日で何でもこなせますよ(笑)
何でもタダで「今日中」にやればよろしい。

そんなこんなで、画策していた
明日からの三重探訪は「延期」にして
明後日に日帰りで浜松行ってきます。


さてさて、日を追うごとに愚痴が
酷くなっていますが、
本日は由香里軍團「軍報」の
第4弾といたしまして、
宮城県仙台市におかれていた
仙台陸軍埋葬地のご紹介です。


仙台陸軍埋葬地は仙台市に
展開した陸軍部隊の戦没者や
戦病没者の方々が埋葬されている
陸軍墓地で、小松島への移転により
1876年(明治9)に設置されました。

現在は仙台市に移管されて
常盤台霊苑となっており、
納骨堂や個人・合葬墓などが
ありますが、普段は入口が
閉ざされているため、見学は
外側からに限られます。


仙山線の東照宮駅に来ております↓



ここから15分ほど歩いていきます↓



陸軍墓地の碑が目印です↓



当時の門柱です↓



墓標様です↓



納骨堂です↓
P1200641.jpg


この他、御手洗や灯篭なども
あるようなのですが、
残念ながら門が閉ざされており
中に入ることが叶いませんでした。。。
遠方からの拝礼とはいえ
こちらの都合だけを押し付けるわけに
いかないですものね。


【収録遺構】
 仙台陸軍埋葬地
 (仙台陸軍墓地)

   門柱 1箇所
   建物 1棟
   墓標様 1区画
   その他 1箇所

【探訪情報】
 2016.10.08  第1回探訪

 歩数(指数) 1,922歩(100)


詳細は、後ほどホームページ内で
ご紹介させていただきますねっ★


今日はこのまま土曜日の探訪作戦を
練りたいと思いますので
これで失礼いたします m(_ _)m
おやすみなさいませ♪


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皆様、月曜日をいかがお過ごしでしょうか。
今日の関東地方は雨だし寒かったです。
本格的な探訪シーズンの到来を
心待ちにはしているものの、
いまひとつ寒期の到来に対する
心構えが出来ていないというか・・・


さてさて、本日は由香里軍團「軍報」の
第3弾といたしまして、
宮城県柴田郡柴田町におかれていた
平塚海軍火薬本廠の船岡支廠
(船岡第一海軍火薬廠)の遺構を
簡単にご紹介させてくださいませ。


火薬廠は、兵器に使用するための
爆薬・火薬を製造していた
海軍の工場で、神奈川県の平塚市に
本廠がおかれていました。

第一次世界大戦を機に航空機が発達し
これに使用する機銃火薬や、
爆弾用爆薬の拡充要請をうけたことで
1939年(昭和14)に火薬廠の支廠が
船岡に設置されました。

1941年(昭和16)に入ると組織が改正されて
船岡支廠は第一火薬廠として独立し、
太平洋戦争の終戦までに
10,000人以上の工員が製造に従事し
総量が約30,000トンの火薬や爆薬が
製造され, その規模は東洋で
最大級をほこったそうです。

戦後、これらの広大な敷地は、
仙台大学や陸上自衛隊船岡駐屯地などに
変遷しており、軍用地境界標を中心とする
遺構が多く残っています。


柴田町にある船岡駅に到着しました↓


ここから、しばたの郷土館まで
歩いて進んでいきます。


しばたの郷土館内に保存されている
軍用地境界標です(抜粋)↓




構内をはしっていた軌道の
線路も保存されています↓



ここから、本部がおかれた
仙台大学を目指していきます。

その前に、畏れ多くも総軍元帥の
ストレッチが入ります(笑)↓



仙台大学の西側に展開する山にも
軍用地境界標が多く残ります(抜粋)↓





畏れ多くも軍用地境界標を
どんどん見つける総軍元帥(笑)↓



この場は総軍元帥がガッチリと
お仕切りになっておられるので
三等兵なんかこんな感じですよ(笑)↓


出番なし、見せ場なし・・・


軍用地境界標に沿う形で
境界柵の支柱も一部区間で残ります↓



山の斜面には、地下施設の入口が
埋没していますが残っています↓



仙台大学の門柱は、当時の門柱を
流用して使われているようです(抜粋)↓


探訪当日は学園祭が催されており
大学の中に入ることが出来ました★
総軍元帥のおかげです、はいっ(笑)


軍用地境界塀も一部で残ります↓


せっかくなので、お母さんお手製の
カレーライス(300円。安いっ!)を
大学内の出店で買わせてもらい
敷地内で食べましたっ★
ゴロっと野菜がたくさん入っており
とてもおいしかったです♪


三等兵が個人的に「あやしい」とみた
建物群を載せてみます。
(知見のある方、ご意見をっ!)

工員宿舎でしょうかね・・・↓


これもあやしいんだよな・・・↓

 ※百足光生さまより、仙台大学初期の
  体育館であるとご教示いただきました。
  ありがとうございますm(__)m


遺構は、この他にも
陸上自衛隊船岡駐屯地にも
あるようですが、見れそうもないので
このまま船岡駅まで戻りました。。。


このあとは仙台駅に戻って
総軍元帥を讃えるための
酒宴会場へ向かいました(笑)↓



【収録遺構】
 平塚海軍火薬本廠
 船岡支廠
 (船岡第一海軍火薬廠)

   門柱 2箇所
   地下施設 1箇所
   軍用地境界標 15本
   軍用地境界塀 1区域
   その他 2箇所

【探訪情報】
 2016.10.09  第1回探訪

 歩数(指数) 17,194歩(100)


詳細は、後ほどホームページ内で
ご紹介させていただきますねっ★


それでは、またお会いいたしましょう★


↑制作意欲につながりますので
 応援をしてやってくださいませ♪
皆様、いかがお過ごしでしょうか。
ついに三等兵もスーツの上着を
着用するようになりまして・・・
ここのところ、関東地方は
寒いですね・・・


さてさて、本日は由香里軍團「軍報」の
第2弾といたしまして、
宮城県仙台市に掘削された
東北帝国大学科学計測研究所の
防空壕をご紹介させてくださいませ。


東北帝国大学の科学計測研究所は、
科学計測に関する総合研究を
目的として1943年(昭和18)に
創設されました。

太平洋戦争の末期は、数々の
貴重な資料などを空襲で
焼失させないように、防空壕が
北山地区に掘削されましたが、
地下水が染み出したことで
資料保管にむかず、実際には
使われずに終戦となったようです。

現在、科学計測研究所は
東北大学内の多元物質科学研究所に
集約されて存続しており、
防空壕も御嶽三吉神社で管理され
保存されています。


由香里軍團の本拠となる
仙台市にお邪魔しております↓


ここから仙山線に乗って
北山を目指しますっ★


北山駅に到着しましたっ↓


仙山線は仙台と山形を結ぶ路線で、
仙台市内に限り、日中は20分に
1本の割合で運行されているようです。
後で気が付いたのですが、
仙台市と山形市って、50キロ程度しか
離れてないのですね。

関西でいうならば、大阪市~京都市や
大阪市~和歌山市くらいの距離でしょうか。

仙台も山形も、県を代表する都市だし
人口も少なくないので、仙山線の
需要がありそうですね。


防空壕の入口に到着です↓



内部の様子です↓


坑道は、緩いS字を描いており
途中に1箇所分岐がありますが、
その先は5m~15mで行き止まりです。


内部の様子をもう1枚掲載します↓


坑道の総延長は約30mほどでした。
内部図は未制作ですが、
ホームページが充実してきたら
時間限定で公開しますね★


【収録遺構】
 東北帝国大学科学計測研究所
 北山防空壕

   地下壕 1区画

【探訪情報】
 2016.10.09  第1回探訪

 歩数(指数) 約1,000歩(100)


本案件の掲載により、
我々のホームページである
祐実総軍 ― 戦争遺跡データベース」 に
宮城県のページが追加されました★
また、和歌山県も1遺構の掲載で
ページを追加しております。。。
非常に薄っぺらい内容なので、
制作サイドからすると寒気がして
寝込んでしまいそうですが、
今が踏ん張り時であると信じて
頑張って充実させてまいりますっ!


それでは、本日も制作作業に入りますので
そろそろ失礼いたします m(_ _)m


↑応援をたまわりますように♪

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