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戦争遺跡のご紹介やホームページの制作状況などを綴っていきます♪

総軍BLOGへようこそっ!

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祐実総軍三等兵

Author:祐実総軍三等兵
全国に残る戦争遺跡を探訪し
記録することを趣味とする
祐実総軍三等兵ですっ★

稚拙な内容ではございますが
これまでに関係者の皆様方と
見てきた戦争遺跡を中心に、
ブログ・ホームページなどで
順次ご紹介をしていきます♪

よろしくお願いしますっ★

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皆様、いかがお過ごしでしょうか。


早いもので、9月も終わりですね。
あと3か月で新年ですか…


来月は総軍プロジェクトの
年度末になるので、そろそろ
今年度の総括をしないと
いけませんが、仕事のおかげで
なかなか時間もさけず…


緊急事態宣言も今月末で
明けてしまいますが
さっそく「出勤っ」とか言って
意気込んでいる社畜イキイキを
見ていると腹立たしいですな(笑)


さて、今回は由香里軍團「軍報」の
第16弾といたしまして
岩手県盛岡市におかれた
観武ケ原演習場の軍用地境界標を
1本ご紹介させてください↓




観武ケ原演習場は、
現在の盛岡市内に工兵隊や
騎兵隊が展開したことで
兵科演習を行う目的で
明治末期に設置され、終戦まで
敷地が存続していたようです。

跡地は盛岡少年院や住宅地などに
変遷し、面影がなくなっていますが
敷地の北限を示す軍用地境界標を
1本だけ確認出来ています。



騎兵第二十四連隊跡の探訪に続き
滝沢方面に向けて北上します↓



まずは敷地の南端付近を
歩きましたが、住宅地ですね…↓



諸葛川の手前で転進し、
今度は西端付近を歩きます↓



盛岡少年院付近あたりに
標柱が残ってるかなと
思っていたのですが、
見事にアテがハズレました(笑)


北端に向け、このまま
西端付近を歩いていくと…↓



1本だけ軍用地境界標が
残っていました↓



標柱はコンクリート製で
「陸軍用地」と記載されており
境界線や通し番号はなかったです↓



今度は西端から北端部分を
東に進みつつ青山駅に
向かいましたが、特にめぼしい
遺構は見つかりませんでした…↓



すっかり日が暮れてしまったので
本拠へ引き揚げます↓



【収録遺構】
 陸軍第八師団
 観武ケ原演習場

【探訪情報】
 2020.10.17  第1回探訪

 歩数(指数) 未計測(100)


また、後ほどホームページ内でも
ご紹介させていただきますねっ♪


それでは、またお会いしましょうっ★



↑よろしければ、こちらの「応援」も
 ひとつよろしくお願いします♪

皆様、いかがお過ごしでしょうか。


本日、9月11日はアメリカの
同時多発テロ事件の日と同時に
我が総軍大元帥の誕生日です。


残念ながら、私よりも先に
世代の節目を迎え、
節々が痛いから歩けないと
仰せですが、引き続き
探訪に同行出来るように
頑張ってくれるそうですので
引き続き、ひとつ応援のほど
よろしくお願いします m(_ _)m


そういうわけでございまして
生誕祭(笑)のさなかですので
今日は予約でのブログ更新です。


今回は由香里軍團「軍報」の
第15弾といたしまして
青森県弘前市におかれた
弘前偕行社を簡単に
ご紹介させてくださいませ↓




弘前偕行社は、将校の研修や
親睦を目的として、第八師団の
展開にともなって1907年(明治40)に
本館が完成し、陸軍の付属施設として
終戦まで使用されました。

戦後は弘前厚生学院の校舎を経て
記念館として公開されたのち、
現在は国の重要文化財に
指定されており、大規模な
保存修繕工事が行われて
旧弘前偕行社として
一般公開されています。



我が軍の最高指導者(笑)である
総軍大元帥と一緒に弘前駅から
レンタサイクルで進んでいきます↓



弘前駅から約1キロほど
南西に進んでいくと
偕行社の門柱と塀
残されています↓



門柱の裏側です↓



少し進んでいくと
案内板があります↓



さらに進むと、とても美しい
偕行社本館が残っていますが
建物が大きすぎて全体が
入りませんでした…↓




見学料金(300円)が発生しますが
内部も隅々まで見ることが
出来ます(抜粋)↓




庭園側から外に出て
本館をぐるっと1周します↓





閉館時間ギリギリに
お邪魔したので、駆け足に
なってしまいましたが、
とても美しい建物ですので
次回の再訪では時間をかけて
見学したいと思います↓



【収録遺構】
 弘前陸軍偕行社

【探訪情報】
 2021.05.01  第1回探訪

 歩数(指数) 未計測(80)


また、後ほどホームページ内でも
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皆様、いかがお過ごしでしょうか。


悪天候が続いていましたが
ようやく関東地方は晴れ間が
のぞくようになり、暑さも
復活ですね。


夏の終焉とともに、
長期休暇もおしまいですので
今週・来週末は思い残すことの
ないようにしたいと思います。


さて、今回は由香里軍團「軍報」の
第14弾といたしまして
岩手県盛岡市におかれていた
騎兵第二十三連隊の遺構を
簡単にご紹介させてくださいませ↓




騎兵第二十三連隊は
第八師団に隷属する部隊で
1909年(明治42)に編成され、
盛岡市内に新設された
兵営に入りました。

1935年(昭和10)に入ると満州に移り
以降はノモンハン事件をはじめ、
ソ連の侵攻に備えて動員され
歩兵連隊への改編まで存続しました。

その後、1934年(昭和14)に
予備役将校の養成機関として
仙台におかれていた予備士官学校が
この地に移り盛岡予備士官学校と
なりますが、1941年(昭和16)に
群馬県の相馬原へ再び移り
前橋予備士官学校に改められました。

現在、これらの跡地は
森永乳業の工場や県営の体育館などに
変遷しており面影がありませんが
遺構がわずかに残っています。



盛岡から、いわて銀河鉄道に
乗っていきます↓



1駅目の青山駅で下車します↓



敷地の東側から歩いていくと…↓



森永乳業の工場敷地内に
門柱が保存されています↓



柵があり見学しづらいですが
状態はとてもいいです↓



門柱の中央には、
騎兵連隊が満州に移駐した後に
仙台から移ってきた
盛岡予備士官学校の碑が
建立されています↓



この後、南下しつつ
かつて残っていた建物群を
見に行こうと歩いたものの
全て消失していました…


今度は北限付近を
歩いていきます↓



北限をはしる道路沿いの
コンビニの裏手に
軍用地境界標が残っています↓



今度は西端と思われる部分を
歩いていきます↓



どこにおかれたものか
よく判りませんでしたが
岩手県営体育館の西側に
門柱と塀が移設保存されていました↓



この後は、隣接しておかれていた
騎兵第二十四連隊の跡地に
進んでいきました↓



【収録遺構】
 陸軍第八師団
 騎兵第三旅団
 騎兵第二十三連隊
 (盛岡陸軍予備士官学校)


【探訪情報】
 2020.10.17  第1回探訪

 歩数(指数) 未計測(80)


また、後ほどホームページ内でも
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皆様、いかがお過ごしでしょうか。


残念ながら、私の休暇期間も
2週間を切ってしまい、
徐々に仕事ヤダ病を
発症しつつあります(笑)


もう1ヶ月延長で!!って
言いたいところですが
そろそろ軍資金の心配も
しないといけないので
仕方がありませんな…


さて、今回は由香里軍團「軍報」の
第13弾といたしまして、
青森県弘前市におかれた
陸軍第八師団司令部関連の
遺構をご紹介させてください↓




第八師団は、日清戦争の後に
日本の軍備増強の必要性から
新設された6師団のうちの1つで
1898年(明治31)に弘前で
編制されました。

戦歴も古く日露戦争をはじめ、
シベリア出兵・満州事変に出動し
日中戦争へ突入したことを機に
満州へ移駐すると、留守部隊を
基幹にして第一〇八師団や
第三十六師団が続いて編制され
施設が使われました。

太平洋戦争に突入すると、最終的に
第八師団は満州からフィリピンへ、
第三十六師団はニューギニアへ、
第一〇八師団は再編成されて
満州の国境に移って防備につき
終戦となりました。

司令部の跡地は弘前大学となっており
以前は施設の一部が弘前大学の
校舎などに転用されて
残っていたようですが、
現在は取り壊されており
弘前市役所前に移築された
師団長の官舎が残るほか、
師団長室の備品類が
旧弘前市立図書館や
陸上自衛隊弘前駐屯地に
保存されています。



我が総軍大元帥とともに
初となる弘前にやってきました↓



弘前駅から弘前市役所まで
100円で乗れる循環バスで
進んでいきます。


弘前市役所に隣接する
スターバックスコーヒーの建物は
第八師団長官舎となります↓



長官舎は移築されたもので
移築の際に3分の1サイズに
されたそうです↓



現在は国登録有形文化財に
指定されており、案内板が
設けられています↓



内部は応接室や会議室・
洋室・和室で構成されますが
お店が混んでいたので
入口付近だけ撮影しました↓



減築前の姿を一目見たかったです…↓



せっかくなので、
青森県重宝に指定されている
旧弘前市立図書館にも
寄らせてもらいました↓



こちらの内部も重厚感があり
見ごたえがありました↓



図書館の一角に
第八師団司令部で使用された
机と椅子が保存されています↓



椅子の足には
「弘前師団司令部」の
刻印が入っています↓



滞在時間が少なくて
駆け足でまわりましたが
次回はじっくりと司令部の
外周を歩いてみたいです。



【収録遺構】
 陸軍第八師団
 司令部

【探訪情報】
 2021.05.01  第1回探訪

 歩数(指数) 未計測(80)


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皆様、いかがお過ごしでしょうか。


この3連休で山口・広島を
探訪してきましたが、
すごい混雑してました。


誰かさんが「我慢の3連休」とか
なんか言ってましたけど、
平日はがっつり仕事して
休日は自粛というフレーズに
みんな我慢出来なくなった
感じがしましたね。


感染を拡大させないための
最低限の装備やルール・
エチケットは今後も意識しますが
出社ルールを変えないまま
休日だけ自粛しろといった
会社からのお願いは
引き続き、聞くつもりは
毛頭ありません。


私も会社も、それぞれ
都合のいい解釈で
物言いしているので
お互い様ですけどね(笑)


さてさて、遠征でブログ更新が
飛んでしまいましたが
今回も由香里軍團「軍報」の
第12弾といたしまして
山形県天童市に掘削された
東京第一陸軍造兵廠仙台製造所の
疎開地下工場跡をご紹介します↓




仙台製造所は、小銃・機関銃の
弾薬類を製造した
東京第一陸軍造兵廠の
生産拡張を目的として
1941年(昭和16)に開設され
太平洋戦争の末期に入り、
空襲に備え生産ラインを維持するため
現在の天童市内に地下工場が
掘削されました。

地下工場は1944年(昭和19)の
12月頃から掘削がはじまり、
越王山の東西方向から掘り進められ
天童駅から資材を搬入するための
軍用線も計画されていたようですが
完成することなく終戦となりました。

跡地は山林や畑になっており、
脆い地質のため、ほとんどが
崩落していますが、壕口が
わずかに残っています。



我が総軍大元帥と一緒に
天童市内にお邪魔しております↓



時短のため、天童駅から
長龍寺までタクシーの力を
借りて移動します↓



ちょうど境内に住職さんが
いらっしゃったので、
お話しをうかがいましたが
残念ながら、地下壕は
潰れて藪に埋もれ危険だよと
教えていただきました↓



痕跡をどうしても見たくて
埼玉から来たとお話しすると
おおよその場所を
教えてくださりましたので
とにかく行ってみます↓



藪の中を進んでいくと
建物があったと推測する
区画がありました↓



その背面には
「入るな危険」の看板が
立てられており、地下壕が
存在していたことを
におわせますが…↓



残念ながら崩落しており
ごらんのような有様です…↓



山の麓をまわり込むようにして
さらに北へ進んでいくと
入口が埋没した痕跡が
ありました↓



壕口付近に古いコンクリート製の
水槽のようなものがありましたが
他の地下工場などでも
よく見られるものなので
当時の遺構であると
断定しました↓



ここから先は、藪が深く
急斜面を横切る形になるので
総軍大元帥に待ってていただき
進んでいきます↓



地下壕跡がもう1つ
確認出来ました↓



さらに北上していくと
わずかに1ヶ所だけ
開口している部分を
見つけることが出来ました↓



そうはいっても、土砂と
土嚢で塞がっており
中に入ることは出来ませんが
10メートルほどの壕を
確認することが出来ます↓



10分ほど界隈をうろちょろして
総軍大元帥のもとへ引き返し
長龍寺付近まで戻ると
この山についての看板が
立てられており、地下壕の存在が
判るようになっていました↓



ここから天童駅までは
まあまあの距離がありますが
歩いて戻ることにします↓



途中、リンゴ畑がたくさんあり
総軍大元帥が楽しみながら
熱心に見ていた光景が
今でも忘れられません↓



1時間ほど歩いたところで
日没となり、天童駅から
山形市内のホテルに戻りました↓



【収録遺構】
 東京第一陸軍造兵廠
 仙台製造所
 天童地下軍需工場

  地下壕 1箇所
  その他 4箇所

【探訪情報】
 2020.10.31 第1回探訪

 歩数(指数) 14,252歩(100)


後ほど我々のホームページ内でも
ご紹介させていただきますね。


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