戦争遺跡のご紹介やホームページの制作状況などを綴っていきます♪

総軍BLOGへようこそっ!

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祐実総軍三等兵

Author:祐実総軍三等兵
全国に残る戦争遺跡を探訪して
記録することを生き甲斐とする
祐実総軍三等兵でございます★
稚拙な内容ではございますが、
これまで調べてきた戦争遺跡を
ブログ・ホームページで紹介を
させていただいておりますっ♪

よろしくお願いしますm(__)m

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皆様、いかがお過ごしでしょうか。

今日の関東地方は朝から豪雨で
気が滅入りますね~。

明日から遠征するのですが、
大丈夫かな・・・


さて、昨日に引き続き
珠美軍團「軍報」の
第11弾といたしまして、
新潟県上越市におかれていた
陸軍第十三師団の遺構を
ご紹介させてくださいませ↓




陸軍第十三師団は、
日露戦争の開戦によって
新設された4師団の1つで、
1905年(明治38)に現在の上越市で
編制され、高田城跡に司令部が
設置されました。

日露戦争後、第十三師団は
朝鮮半島内の警備を経て、
シベリア出兵に参加しますが、
大正末期の軍縮で師団そのものが
廃止となりました。

その後、日中戦争が勃発すると
師団は復活して中国戦線での
さまざまな作戦に参戦し、
出征先で終戦となりました。

現在、師団の跡地は
高田公園となっていますが
わずかに当時の遺構が
残っています。



福山・岡山探訪の帰りに暴走し
福井・金沢・富山と経て
上越妙高駅に到着です↓


残念ながら、この地も
滞在時間が2時間とタイトなので
ここから高田公園まで
頸城ハイヤーの力を借ります。


高田公園周辺にやってきました↓



公園内に正門が残ります↓



案内板です↓



昼食を挟んで、今度は移設された
師団長官舎を見に行きます↓



門柱です↓



庭園内には、併せて移設された
灯篭群が4つおかれています(抜粋)↓




移設された師団長官舎です↓




長官舎の設計に携わった
当時の師団長である
長岡外史中将の銅像が
おかれていました↓



案内板も設置されています↓



師団長官舎は、建物の中も
見学出来るのですが、
新幹線の時間まで30分を
切ってしまっているので
今回は断念します・・・


大急ぎで高田駅まで歩き、
何とか電車に間に合いました↓



【収録遺構】
 陸軍第十三師団
 師団司令部

  門柱 2箇所
  建物 1棟
  その他 4箇所

【探訪情報】
 2017.07.13  第1回探訪

 歩数(指数) 3,482歩(100)


後ほど、我々のホームページでも
ご紹介させていただきますっ★


明日から2日間は美恵軍團管轄の
遺構探訪に出かけますので
その間は「雑記」形式での
ブログ更新となります m(_ _)m


それでは、またお会いいたしましょうっ!



↑もしよろしければ応援してくださいっ♪

皆様、いかがお過ごしでしょうか。

お暑い中、日々のご精勤、
誠にお疲れ様でございます。
お盆休みまで、あと少しです!

我々のホームページの制作を
「仕事」に見立てるのであれば
当方も負けてはおりません(笑)
月の労働時間数で仕事の「濃淡」を
決めるような「素敵」な企業からは
多分、表彰されるでしょうね。
(既に200時間は余裕で超えてます)

A:俺なんかさ、まだ1日しか休めてないよ~
B:俺も負けてねえよ。3日連続で
  家に帰れてないからさ~
C:いやいや、俺の方がもっとすげーよ。
  もはや職場が「家」だからさ~(エッヘン)

アホかっ!くだらねえ。


こういうことを「是」と考えさせるような
人間育成をしている「素敵」な企業は
改めた方がいいと思います。

ん?
廃車になった人間が言うなって?
おっしゃる通りですわ~(笑)


そういうわけでございまして・・・
本日は珠美軍團「軍報」の
第10弾といたしまして
富山県富山市におかれていた
陸軍墓地をご紹介させてくださいませ↓
DSC_0310_20170725112552fc7.jpg



富山陸軍埋葬地は、富山市内に
展開した部隊の戦没者や戦病没者の
墓地です。

墓地面積は 1,445坪といわれており、
ここには太平洋戦争の終戦までに
28,748の御霊様が合祀されています。

現在、敷地は市営長岡墓地に
なっていますが、忠霊塔と合葬碑などが
丁寧に残されています。



おピンちゃん先生とともに
富山駅に到着しました↓



富山の中心街は路面電車が
発達しており便利そうです↓


残念ながら、行程の都合で
1時間しか滞在できないので
タクシーのお世話になり
長岡墓地へ向かっていきます。

また、今回はkan先生ブログ
参考にさせていただきまして
お参りしていきます。


長岡墓地周辺に到着です↓



入口部分に軍用地境界標が残ります↓



当時の門柱と思われます↓



少し進むと陸軍徽章が入った
手水鉢がありました↓



1941年(昭和16)に建立された
忠霊塔です↓


手を合わせて拝礼をします・・・


忠霊塔の横には合葬墓碑が
3つ並んで建立されています↓



周辺に灯篭もあります(抜粋)↓



次の新幹線の出発20分前に
富山駅に戻ってきたので
富山地鉄の車両も撮影しようかと
思ったのですが、東急車ばかりで
諦めました(笑)


【収録遺構】
 富山陸軍埋葬地
 (富山陸軍墓地)

  門柱 1箇所
  軍用地境界標 1本
  その他 7箇所

【探訪情報】
 2017.07.13  第1回探訪

 歩数(指数) 213歩(92)


後ほど、我々のホームページでも
ご紹介させていただきますっ★


それでは、またお会いいたしましょうっ!



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皆様、日々のご精勤・ご講義、
誠にお疲れ様でございます。


三等兵も本日は「出庫」しました!
運用にはついていませんがね(笑)

情勢・困っていることなどを
ボランティアで聞きつつ、
お昼を食べてきました。
3週間ぶりの青山です(笑)


帰り際に、ピカ五郎が始まり・・・
ギリギリ濡れずに帰ってこれましたが
3日連続でこんな陽気ですね。


さてさて、本日は珠美軍團「軍報」の
第9弾といたしまして、
福井県敦賀市におかれていた
敦賀陸軍埋葬地のご紹介です↓




敦賀陸軍埋葬地は、敦賀市内に
展開した部隊の戦没者や
戦病没者の墓地です。

墓地面積は 2,324坪といわれており、
ここには太平洋戦争の終戦までに
6,765の御霊様が合祀されています。

現在、敷地は市立中郷小学校や
岡山公園などになっていますが、
忠霊塔と合葬碑などが丁寧に残されており、
敦賀市で整備されています。



福井県で最初の探訪地となる
敦賀に到着いたしました↓



前回に引き続き、盡忠報國先生
大日本者神國也
参考にさせていただきましたっ!


次の電車まで1時間しかないので
タクシーの力をお借りして
おピンちゃん先生と強行します(笑)


当時の門柱と思われます↓
DSC_0225.jpg


階段付近にも門柱がありました↓



この横には陸軍徽章が刻まれた
手水鉢が残っています↓



雑な撮り方をしてしまいましたが
階段を上がると忠霊塔があります↓



少し下ったところに合葬墓碑が
3つ並んでいます↓



灯篭も残っています(抜粋)↓



境界柵の一部も残っています↓



アジサイが綺麗に咲いていました↓



大急ぎで敦賀駅に戻り、
何とか次の電車に間に合いました↓



【収録遺構】
 敦賀陸軍埋葬地
 (敦賀陸軍墓地)

  門柱 2箇所
  その他 6箇所
  墓標様

【探訪情報】
 2017.07.12   第1回探訪

 歩数(指数) 309歩(100)


後ほど、ホームページでも
ご紹介させていただきますねっ★


それでは、またお会いいたしましょうっ!



↑もしよろしければ
 応援してやってくださいっ♪
 (のちほど、お返しポチも
 させていただきますね~)

皆様、金曜日をいかがお過ごしでしょうか。

蒸し暑い日が続いていますが
東海地方の一部で集中豪雨と
なっているようですね・・・

日頃から、三等兵を可愛がってくれる
関係者様ならびにブロ友様が
名古屋周辺にお住まいですので
少々心配しております・・・


昨日まで3泊4日の行程で
中国・北陸地方を探訪してましたが
その間に、関係者様からたくさんの
メールが来ていてビックリしました~!
ありがとうございます m(_ _)m

順次、返信させていただきますので
少しお時間をくださいっ!


さて・・・
本日は珠美軍團「軍報」の
第8弾といたしまして、
福井県敦賀市におかれていた
歩兵第十九連隊の遺構を
ご紹介させてくださいませ↓




歩兵第十九連隊は、陸軍の師団編成の
前身である名古屋鎮台に隷属した部隊で
1885年(明治18)に名古屋で編制されました。

その後、第三師団の基幹部隊となり、
日清戦争に参戦しました。

日清戦争が終結すると、敦賀に新設された
兵営に移駐し、金沢に新設された
第九師団に隷属先が変更されて
日露戦争へ突入しました。

日露戦争での勝利で敦賀に
凱旋帰還したあとは、京都に新設された
第十六師団に隷属先が変わり
満州の警備にあたりますが、
大正末期の軍縮で廃止された
富山の歩兵第六十九連隊に代わって
再び第九師団に隷属先が
変更されました。

昭和時代に入ると、日中戦争へ
突入したことを機に満州へ移駐して
参戦しましたが、そのまま太平洋戦争に
突入すると、第十九連隊は満州から
沖縄へ移り第九師団の精鋭として
防衛の中核を担う予定でしたが、
作戦が変更されて台湾へと転出して
防衛の任務についたものの、
連合国軍は台湾を通り越して
沖縄本島へと上陸したため、
交戦せずに終戦を迎えました。

終戦後、跡地はアメリカ軍に
接収されましたが、現在は返還されて
桜ヶ丘団地や住宅などに
変遷しています。



京都から湖西線経由の新快速で
敦賀に向かいます↓


京都や大津は大きな都市なので
電車の本数がそれなりにあるのですが
近江今津を過ぎると、敦賀までの駅では
日中に1時間に1本の新快速しかないので
少し大変でした(笑)

京都から福井に行くなら
「特急に乗りなさいよ」という
声が聞こえてきそうですが、
ちょうどいい特急がなかったもので・・・


遠征でのパートナーである
おピンちゃん先生と敦賀に到着です↓



敦賀駅では友達が出迎えてくれました↓



今回の探訪も、盡忠報國先生
大日本者神國也
参考にさせていただきましたっ!


桜ヶ丘団地に到着です↓



敷地の外周部分に軍用地境界塀が
2箇所残っていました↓




敦賀連隊の史跡として
歩哨と軍用地境界標が
保存されています↓




これはどうでしょうか・・・↓


歩哨や塀に用いられている
セメントと同じ感じがするのですが・・・
知っている方、教えてくださいませ m(_ _)m


【収録遺構】
 陸軍第九師団
 歩兵第十九連隊
 (陸軍第三師団
  歩兵第十九連隊,
  陸軍第十六師団
  歩兵第十九連隊)

  歩哨 1箇所
  軍用地境界塀 2区画
  軍用地境界標 1本
  その他 1箇所

【探訪情報】
 2017.07.12   第1回探訪

 歩数(指数) 426歩(100)


後ほど、ホームページでも
ご紹介させていただきますねっ★

今日・明日とホームページの更新に
専念したいと思っています。
今度の日曜日に更新内容を
まとめて掲載いたしますね★


それでは、またお会いいたしましょうっ!



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 応援してやってくださいっ♪
 (のちほど、お返しポチも
 させていただきますね~)

皆様、いかがお過ごしでしょうか。

寒い日が続いておりますね。。。
特に、日本海側は大雪とのことで
大変なことになっているようですね・・・


本日は、珠美軍團「軍報」の
第7弾といたしまして
石川県金沢市におかれていた
陸軍第九師団の輜重兵第九大隊の
遺構を1つだけご紹介させてください。


輜重兵第九大隊は、前線に弾薬や
食料などを運び補給する役割を
持つ部隊で、1897年(明治30)に
名古屋で編制され、第九師団の
新設にともない、金沢に新設された
兵営に移駐しました。

昭和時代に入ると、大隊から連隊に
昇格し、日中戦争へ突入したことを機に
満州へ移駐して参戦しましたが、
太平洋戦争の開戦によって
沖縄の守備を経て台湾に転出し
終戦となりました。

現在、跡地は住宅地に変遷しており
面影が全くない状態ですが、
兵営内におかれた輜勲神社の
石柱の一部が平和神社内に
保存されています。


真夏の金沢市内でございます↓


あまりの暑さに、総軍大元帥も
もはや威厳が感じられません(笑)

かなり「険しい」顔つきなので、
kan先生ブログを参考にしながら
手短に探訪を済ませます(笑)


平和神社に到着です↓



境内には、輜勲神社の入口を示す
標柱の一部が保存されています↓



この後は、バス停近くの銀行で
少し涼ませてもらい、
バスで中心街に戻りました(笑)


【収録遺構】
 陸軍第九師団
 輜重兵第九大隊
 (陸軍第九師団
  輜重兵第九連隊)

   その他 1箇所

【探訪情報】
 2016.08.20 第1回探訪

 歩数(指数) 約2,000歩(100)


詳細は、後ほどホームページ内で
ご紹介させていただきますねっ★


それでは、また明日っ!


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