戦争遺跡のご紹介やホームページの制作状況などを綴っていきます♪

総軍BLOGへようこそっ!

♦ プロフィール

祐実総軍三等兵

Author:祐実総軍三等兵
全国に残る戦争遺跡を探訪して
記録することを生き甲斐とする
祐実総軍三等兵でございます★
稚拙な内容ではございますが、
これまで調べてきた戦争遺跡を
ブログ・ホームページで紹介を
させていただいておりますっ♪

よろしくお願いしますm(__)m

♦ 最新記事

♦ カウンター

皆様、週末をいかがお過ごしでしょうか?

三等兵は遠征の途上にございますっ★
今度と次々週の土・日は東海・関西へ
お邪魔させていただきますっ♪

さてさて、平日が忙しくて更新が
遅くなってしまいましたが、
今回から5回にわたって和泉軍團の
調査管轄の戦争遺跡をご紹介させていただく
「軍報」を掲載させていただきますね♪

今回は栃木県宇都宮市におかれた
歩兵第六十六連隊の遺構紹介です。


歩兵第六十六連隊は、第十四師団に隷属する
基幹部隊で、1908年(明治41)に軍旗を拝受し
師団司令部に隣接して施設がおかれました。

大正時代に入ると、一旦軍縮によって
廃止となりましたが、1937年(昭和12)に
日中戦争の遂行のために再編制され、
第一一四師団を経て第五十一師団の
隷下部隊として中国へ出征し太平洋戦争では
南方の作戦に従事するため、ニューギニアへと
転進しアメリカ軍と激戦を繰り広げました。

現在、連隊跡地は宇都宮中央女子高校などに
なっていますが、当時の遺構が少し残っています。


栃木県宇都宮市にやってまいりましたっ↓
P1040970.jpg

宇都宮市は「餃子の町」として有名ですが
ここに展開した陸軍部隊が中国戦線へと出征し、
帰還した際に「餃子」を広めたそうですよっ★
浜松市に負けていられませんねっ!


連隊跡地である宇都宮中央女子高校の
校庭付近に通用門の跡である土留が
残っています↓
P1050004.jpg


宇都宮中央女子高校の敷地内には
煉瓦製の庖厨棟が残っています↓
P1050014.jpg


庖厨棟付近には、当時の井戸も
残っています↓
P1050024.jpg


敷地北西にも当時の通用門が
残っております↓
P1050026.jpg


当時の遺構か判断出来ませんでしたが
通用門がもうひとつあります↓
P1050016.jpg


【収録遺構】
 陸軍第十四師団歩兵第六十六連隊
  建物 1,
  門柱 3,
  その他 2

【探訪情報】
 2013.02.09 第1回探訪
 歩数(指数) 2,063歩(100)

詳細は、後ほどホームページ内で
ご紹介させていただきますっ★
是非、ご期待いただければ
幸いでございますっ!


さてさて、「あと9分で名古屋に到着します」と
車掌にアナウンスされたので
降りる準備をしますね~

それでは、よい週末をっ!
←応援してくださいっ♪
皆様、週末をいかがお過ごしでしょうか。
三等兵は金曜日から本日まで関西方面へ
遠征しておりましたっ。

先週の初めから色々とバタバタしまして
更新が途絶えてしまいました。。。
申し訳ありません m(_ _)m

さて、阪奈軍團「軍報」第5弾は
京都府奈京都市におかれていた
陸軍第十六師団輜重兵第十六連隊の
遺構をご紹介させていただきますっ★


輜重兵第十六連隊は、前線に弾薬や食料などを
運搬し、補給する役割を持つ、陸軍第十六師団の
隷下部隊の 1つで、1905年(明治38)に編制され
京阪電車の墨染駅の西側に部隊を展開していました。

現在、敷地跡地は消防学校や深草市営住宅・
京都教育大付属高校に変遷しており、
当時の遺構として、京都教育大学付属高校付近に
軍用地境界標や門柱・歩哨が残存しています。


墨染駅付近にやってまいりました↓


ここから連隊跡の京都教育大付属高校へ
向かっていきますっ♪


京都教育大付属高校の北東に展開する
農地内に軍用地境界標が残っています↓


下部はほとんど土に埋もれている状態ですが
「陸」の文字が入っていることが判りますっ♪


京都教育大学付属高校の入口付近には
移設された門柱・歩哨・軍用地境界標が
保存されていますっ★

まずは通用門です↓


続きまして、歩哨でございます↓
P1060919.jpg

軍用地境界標ですっ↓


もともと、これらは学校に隣接した京都市の
消防学校内にあったようなのですが、
消防学校が別地に移転するとのことで
この場所に移されて保存されているようです。


また、高校に隣接する工場内にも
当時の付属建物が残っています↓



【収録遺構】
 陸軍第十六師団輜重兵第十六連隊
  建物 1棟
  歩哨 1箇所
  門柱 1本
  軍用地境界標 2本
  その他 1つ

【探訪情報】
 2007.07.09  第1回探訪
 2007.12.23  第2回探訪
 2013.11.22  第3回探訪
 歩数(指数) 約10,000歩(148)

詳細は、後ほどホームページ内で
ご紹介させていただきますねっ★
ご期待いただければ幸いですっ!

さてさて、5回にわたって阪奈軍團管轄の戦争遺跡を
ご紹介させていただきましたが、次回から5回分は
和泉軍團管轄(千葉県・茨城県・群馬県・栃木県)の
戦争遺跡をご紹介する「軍報」を掲載させて
いただきますっ!


次回の週末と6月の2週も遠征予定ですっ★
頑張りますっ♪

それでは、またお会いしましょうっ♪
←応援してくださいっ♪
皆様、日曜日をいかがお過ごしでしょうか?
三等兵は、今日もホムペ制作に時間を
使いました~(汗)

さてさて、微増で申し訳ありませんが
ホームページを更新しましたので、
お知らせさせていただきますっ★

  ・奈良県奈良市の戦争遺跡(全22遺構)

 是非、こちらからアクセスをお願い申し上げますっ↓
  祐実総軍 ― 戦争遺跡データベース


 それと、「提携ウェブリンク一覧」を開設しました。
 取り急ぎ、日頃お世話になっている方々と
 戦争遺跡を通じて知り合うことが出来た
 関係者の皆様のサイト・ブログを一覧に
 させていただきました m(_ _)m

 開設にあたり、余計なことを2点ほど
 こちらで行っていますので
 一覧に掲載された管理者の皆様は
 是非、ご一読くださいませっ★


  ①バナーを勝手に作成していますっ!

   以前から数度にわたりまして
   バナー提供のお願いをしておりますが
   リンク先が「ブログ」であることが多く
   「バナーはありません」といったご回答が
   多くよせられました。もっとも、この時期に
   ホームページを開設して運営することは
   時代に逆行しているかもしれませんが
   かつてからの手前勝手な信念を貫き通したい
   想いと、当ページの体裁を整えたい気持ちから
   いただいていないサイト様のバナーを
   無礼を承知で勝手に作成させていただきました。


  ②作成にあたり、個人的な評論を記載してます!

   当方としては、こちらから「ゴリ推し」したい
   サイト様ですので、閲覧される方々に
   変な印象を持たれる書き方はしていない
   つもりですが、サイト様の掲載概要や
   お薦め記事などを書かせていただきました。


  いずれも、掲載にあたりまして
  細心の注意をはらっているつもりですが
  「バナーがサイトの雰囲気にあっていない」
  「こういう書き方をされるとイメージダウン」
  などの、ご不満・ご指摘・ご要望がありましたら
  以下のメールアドレスにメッセージをください↓
   yumisogun.yamasan@gmail.com


まだまだ弱小サイトではございますが、
皆様に関心をもっていただけるように
頑張って制作を続けてまいりますので
今後とも応援よろしくお願い申し上げますm(_ _)m
 
それでは、明日からお仕事・ご講義、
頑張っていきましょうっ★


【本日の写真】
陸軍第四師団歩兵第九連隊の
軍用地境界標(滋賀県大津市御陵町2)↓
皆様、週末をいかがお過ごしですか?
関東地方は、午前中があいにくの
天気となってしまいましたね・・・

今日は茨城方面に行こうかと
思っていたのですが、出陣見合わせと
してしまい台無しです・・・
最近、週末がこんなのばっかで
ちょっとブルーな感じです。。。

さて、阪奈軍團「軍報」第4弾は
奈良県奈良市におかれていた
奈良陸軍埋葬地のご紹介ですっ★


奈良陸軍埋葬地は、奈良市内に展開した
第十六師団の歩兵第五十三連隊や、
大津・京都を経て奈良へ移駐した
歩兵第三十八連隊の戦没者や戦病没者が
埋葬されている陸軍墓地で兵営から
南へ少し離れた場所におかれました。

埋葬地の敷地面積は 5,649㎡で、現在は
将兵の墓標様のほかにも、満州事変の
戦没者合同墓碑などがおかれています。

このほか、埋葬地の遺構として軍用地境界標や
門柱などが残っており、見学が可能です。


奈良市古市町にやってきましたっ↓
P1120997.jpg

「陸軍墓地」とかかれた石標脇の道を
上がっていきますっ★

寒いけど、士気は高いですっ♪
おなかも痛くありません(笑)


墓標様への入口となる部分には
当時の門柱が残っています↓
P1130004.jpg


中に入ると、左側に手水鉢があります↓
P1130009.jpg

中央に陸軍徽章である星マークが
入っていますっ★


さらに進んでいくと、墓標様が眠っています↓
P1130010.jpg

墓標様のほかにも、
満州事変戦没者合同墓碑や
歩兵第三十八連隊将兵英霊合祀之碑が
おかれています。


このほか、入口付近と敷地の北東端付近に
軍用地境界標が4つ残っています。

入口付近の軍用地境界標です(抜粋)↓
P1130008.jpg

標柱は花崗岩製で、表面部分に
「陸軍用地」の文字と、上部に
敷地境界線を示す印が入っています。

北東端付近の軍用地境界標です(抜粋)↓
P1130001.jpg


【収録遺構】
 奈良陸軍埋葬地
  門柱 1箇所
  墓標様 1区域
  軍用地境界標 4本
  その他 1つ

【探訪情報】
 2014.12.08  第1回探訪
 歩数(指数) 922歩(100)

詳細は、後ほどホームページ内で
ご紹介させていただきますねっ★
ご期待いただければ幸いですっ!

それでは、よい週末をっ♪
←応援してくださいっ♪
皆様、ご精勤・ご勉学、お疲れ様ですっ!
季節はずれの「台風」に翻弄された方も
多いかと存じます・・・

さてさて、阪奈軍團「軍報」の第3弾は
和歌山県和歌山市大川におかれた
陸軍由良要塞の大川山堡塁の
ご紹介をさせてくださいませっ。


陸軍由良要塞は、日本第二の
経済都市であった、大阪市周辺の
防衛を目的に、紀淡海峡から大阪湾への
敵艦船の侵入を防ぐために構築された
強力な火砲群と、これに関連する
施設群の集合体です。

これらは加太地区・沖ノ島地区(友ヶ島)・
由良地区(兵庫県洲本市)にそれぞれ配備され
連携しながら敵艦船を撃滅させる
強力な火網を形成していました。

大川山堡塁は、加太地区に配備されていた
由良要塞の 1つで、1897年(明治30)に完成し
9cmカノン砲 2門を戦時に限って据え付け
平時は深山の砲具庫に収納していました。

「堡塁」は、砲身を海上に向けて敵艦船などを
撃つ「砲台」とは逆で、砲身を陸地に向けて
上陸兵を撃ったり、砲台の死角域を補うための
背射的な役割を持ちます。 (ちなみに、両方の
役目を持つ場合は「堡塁砲台」といいます)

現在は、大川山の山中に放置されていますが
土砂の崩落が激しく、ほとんどが土に
埋もれている状態です▲


和歌山県和歌山市にやってきました↓
RIMG1958.jpg

和歌山市は、県内最大の都市で
関東では所沢や柏・高崎くらいの
人口規模をもっているのですが
この場所は全くそれを感じさせません▲
語弊があるかもしれませんが
南房総みたいです。。。


大川トンネルの上をはしる旧道を行き
中腹あたりから獣道を進みます↓
RIMG1961.jpg


少し歩いていくと防御営造物境界標が
左右に残っています(抜粋)↓
RIMG1965.jpg

標柱は花崗岩製で、表面には「陸」の文字、
背面には「防」の文字と通し番号が
それぞれ明朝体で刻まれており、上部には
敷地境界を示す矢印が記載されています。

このタイプの標柱は、全国の要塞跡地で
見ることが出来る一般的なものと
いえるかと思います。


由良要塞では、このタイプの境界標の他に
こういったタイプのものもあります(抜粋)↓
RIMG1969.jpg

標柱は安山岩製で、表面に「陸」の文字と、
漢数字表記の通し番号が明朝体で
記載されています。

別に偉いわけでもないのに
偉そうなことを申し上げますと、
標柱の記載内容や材質で、構築年代が
ある程度特定出来るといわれていますが
これまで何千本も見てきた三等兵の
見解では特定出来ないとの見方です。
しかし、そういわれるのも
すごくよく解りますけどねっ


獣道を進んでいくこと30分くらいでしょうか。
入口跡に到着します↓
RIMG1970.jpg


さらに進んでいくと砲座があります↓
RIMG1981.jpg

砲座は石で構築されており、砲床部分は
土で完全に埋もれていますが、
ほぼ原形を留めているようです。

ここは、戦時に限り 9cmカノン砲を 2門
据え付ける設計になっていましたが、
その痕跡を見ることは非常に難しいです・・・


砲座の横には掩蔽部があります↓
RIMG1972.jpg

残念ながら、土砂で埋没している状態ですが
外側部分は煉瓦で構築されており、ポイント部分に
コンクリートが使用されていることが確認出来ます。
また、内部には入れませんが入口手前の階段部分と
開口部が何とか判り、上部に円形の通風口が
残っています。


また、周囲には小さな建物の基礎部分が
いくつか残っています(抜粋)↓
RIMG1983.jpg


【収録遺構】
 陸軍由良要塞大川山堡塁
  砲座 1箇所
  地下施設 1箇所
  建物基礎 3箇所
  軍用地境界標 5本
  その他 2箇所

【探訪情報】
 2008.03.18  第1回探訪(敗走)
 2008.03.21  第2回探訪
 歩数(指数) 約30,000歩(900)

詳細は、後ほどホームページ内で
ご紹介させていただきますねっ★
ご期待いただければ幸いですっ!


それでは、明日も(もう今日ですがっ)
頑張っていきましょうっ!

おやすみなさいませっ★
←応援してくださいっ♪
皆様、週末をいかがお過ごしですか?
関東地方は、久方ぶりに雨が
降ったような気がしますっ。

さて、阪奈軍團「軍報」第2弾は
大阪府高槻市におかれていた
陸軍第四師団工兵第四連隊の
ご紹介ですっ★


工兵第四連隊は、大阪市におかれた
第四師団に隷属する部隊として
1909年(明治42)に開設され、平時は連隊の
南側を流れる淀川を利用して架橋訓練を
行ったり、連隊北側の山間部で射撃訓練などを
行っていました。また、地元の土木工事や
災害救助などにも活躍したそうですが、
日中戦争で満州へ出征し、その後も
フィリピン戦やガダルカナル戦などの
厳しい戦闘に動員され、多数の死傷者を
出しております。

現在は、連隊の跡地に城跡公園や第一中学校が
建設されて整地されていますが、公園北西側の
入口付近に当時の遺構が残存しています。


高槻市城内町の城跡公園にやってまいりました↓
RIMG1476.jpg

平和な風景です。
しかし、この日の三等兵は
前日の深酒が災いし、おなかが
平和ではありませんでした・・・
高槻駅の改札を出るやいなや
脂汗流しながらトイレを探すも
デパートなどの「お店」系は
早い時間だけあって、開いておらず
極限状態まで追い詰められました(笑)


脱線しましたが、まずは正門です↓
工兵第四連隊門柱1

門柱は煉瓦で造られており、ポイント部分に
花崗岩が使用され、重厚な造りに見えます。
現在は、この横に案内板が設置されており、
戦跡として保存されています。また、門柱の
後側には工兵連隊の石碑がおかれています。


続きまして、門柱横に残る歩哨です↓
工兵第四連隊歩哨

歩哨はコンクリート製で、上部にポイントが
入っており、両側面に円形の穴が開いています。
また、下部に立ち位置の角度を表す線が
刻まれており、非常に珍しいですっ★
現在は、中へ入れないようになっていますが
門柱と同様に戦跡として保存されています。


正門横に残る軍用地境界標↓
工兵第四連隊軍用地境界標

標柱は花崗岩製で、連隊の門柱を正面に見た面と、
その左側面に「陸軍」と明朝体で入る
他ではあまり見かけない珍しいタイプです。
また、上部には敷地の境界線を示した印が
刻まれています。


正門とは正反対の位置にあたる
高槻市立第一中学校の入口付近にも
片方だけですが通用門が残っています↓
工兵第四連隊門柱2

【収録遺構】
 陸軍第四師団工兵第四連隊
  門柱 2箇所
  歩哨 1箇所
  軍用地境界標 1本

【探訪情報】
 2008.03.13  第1回探訪
 2013.11.23  第2回探訪
 歩数(指数) 2,358歩(116)

詳細は、後ほどホームページ内で
ご紹介させていただきますねっ★
ご期待いただければ幸いですっ!

なお、別案件でホームページを
更新しておりますので、是非
アクセスをお願い申し上げます↓
 祐実総軍 ― 戦争遺跡データベース

さて、これから茨城県・埼玉県の
制作を継続していきますっ!

まだ日曜日だし、頑張れそうな気が・・・
←応援してくださいっ♪
皆様、大型連休はいががでしたかっ?
関東地方は、連休全てが晴天で
遠出された方も多くいらっしゃるかと
存じます。

連休中、三等兵はもっぱら東京都下の
調査と家でホームページの制作作業を
しておりましたっ ポリッ

さてさて、今回から5回にわたりまして
阪奈軍團管轄(大阪府・兵庫県・京都府・
三重県・滋賀県・奈良県・和歌山県)の
戦争遺跡をご紹介させていただく
「軍報」を掲載させていただきますっ!

今回は、大阪府大阪市天王寺区玉造本町に
現存する真田山陸軍埋葬地のご紹介を
させていただきますねっ。


真田山陸軍埋葬地は、日本で最初となる
陸軍の墓地として、陸軍省の前身であった
兵部省が、1871年(明治 4)に定めたものです。

当初の敷地面積は28,040㎡に及んでいましたが
1928年(昭和 3)に真田山小学校を建設するため
その規模を縮小し、15,077㎡の敷地面積となり
現在に至っています。

墓地には戦没者・戦病没者・戦中捕虜となった
外国人病没者の方々が埋葬されており、墓標は
4,875基(正確ではないかもしれません)を数え
現存する陸軍墓地の中では最大の規模を
誇っています。


天王寺区玉造本町の宰相山公園に
やってまいりましたっ↓
P1070091.jpg

宰相山西公園側より大阪靖国霊場へ進むと、
墓地の北側にあたる入口部分があります。


この門柱もちょっと怪しい感じなので
当時のものとして掲載しますね↓
真田山陸軍埋葬地軍用地門柱

この門柱の詳細は判っていませんが、
外側にモルタルが施されており、
その材質が古そうだったので、
当時の遺構と判断しましたが、
違っている可能性も十分にありますっ(汗)


中に入ると、墓標様がたくさんあります↓
ricoh奈良・大阪 092

墓標様は、花崗岩製で頂上部が四角錐のものが
最も多く見られ、将校・下士官・兵卒などの
階級で区画がそれぞれ分かれており、ここに
およそ47,300名にのぼる方々の遺骨が丁寧に
納められているようです。

墓標様の中には、戦歴や死亡経緯などが
詳細に記されているものがありますが、
その内容は掲載をしないでおきますね。


また、墓地の周りには軍用地境界標が
いくつか残っています。

まずは、南東側です↓
ricoh奈良・大阪 095

標柱は花崗岩製で、高さは約1.5mと大きく、
かなりの風化が進行していますが、表面は
標柱いっぱいのスペースを使って明朝体で
「陸軍省所轄地」と刻まれています。


続いて、北側の軍用地境界標です↓
P1070093.jpg

標柱は花崗岩製で、下部が埋もれていますが
表面に「陸軍」と明朝体で刻まれています。


北側には、もう1つ軍用地境界標があります↓
ricoh奈良・大阪 103

標柱は花崗岩製で、下部が埋もれていますが
表面に「陸軍省」、裏側に「境界査定標」と
明朝体で刻まれています。

裏側部分の記載文字ですっ↓
ricoh奈良・大阪 106

「境界査定標」と刻まれた標柱は
初めて見ましたよっ!


墓地の周囲を歩いていくと、レンガ製の
軍用地境界塀が少しだけ残っています↓
ricoh奈良・大阪 100


【収録遺構】
 真田山陸軍埋葬地
  門柱  1箇所
  軍用地境界塀 1箇所
  軍用地境界標 3本
  墓標様 1区域

【探訪情報】
 2007.12.08 第1回探訪
 2013.11.23 第2回探訪
 2014.12.07 第3回探訪
 歩数(指数) 約4,500歩(168)

詳細は、後ほどホームページ内で
ご紹介させていただきますっ★
是非、ご期待いただければ
幸いでございますっ!

なお、別案件でホームページを
更新しておりますので、是非
アクセスをお願い申し上げます↓
 祐実総軍 ― 戦争遺跡データベース

ホームページの次回更新ですが、
少しの間、時間を頂戴いたします m(_ _)m
掲載対象の自治体は、以下を予定しております↓

 ・東京都
  西多摩郡瑞穂町
  国立市

 ・埼玉県
  本庄市
  児玉郡上里町

 ・茨城県
  稲敷郡阿見町
  鹿嶋市
  鉾田市

 ・群馬県(いけるか微妙ですが・・・)
  太田市

どんな遺構が残っているのか
是非、ご期待くださいませっ!

それでは、明日から(もう今日ですが)
仕事頑張っていきましょうっ!
おやすみなさいませっ Zzz
←応援してくださいっ♪
皆様、ゴールデンウィークを
いかがお過ごしでしょうか。

あと1日で大型連休も終わりですねっ。
三等兵は、あと1日休みがあるのに
早くも「サザエさん病」を発症してます▲

さてさて、微増で申し訳ありませんが
ホームページを更新しましたので、
お知らせさせていただきますっ★

 ・東京都三鷹市の戦争遺跡(全9遺構)
 ・東京都小金井市の戦争遺跡(全1遺構)
 ・千葉県旭市の戦争遺跡(全3遺構)

是非、こちらからアクセスをお願い申し上げますっ↓
 祐実総軍 ― 戦争遺跡データベース

最近、当ホームページやブログに
リンクを張っていただいている
関係者様のサイトのおかげで
アクセス数が増えており、本当に
嬉しいです。ありがとうございますm(_ _)m

まだまだご紹介したい遺構が
たくさんあるのですが、
制作が追いつかず、
明治~昭和初期における
日本の軍備拡張のような勢いで
当ホームページが膨張出来ないのに
イライラしておりますっ▲

2014年12月9日(プレ開業日)からの
1年間を経て、メニュー画面の全機能を
網羅する本開業を目指しておりますので
今後も是非是非ご期待いただければ
幸いでございますっ★


次回のブログ内容は、阪奈軍團の
「軍報」となる予定です。
どこをご紹介しようかな。。。

それでは、残り少ない連休を
存分にお楽しみくださいませっ。

【本日の写真】
東京陸軍砲兵工廠岩鼻火薬製造所の
軍用地境界標(群馬県高崎市八幡原町)↓
P1040877.jpg
皆様、ゴールデンウィークを
いかがお過ごしでしょうか。
あっという間に残り3日と
なってしまいましたね・・・

美恵軍團「軍報」第5弾は
愛知県瀬戸市に掘削された
愛知航空機の地下工場を
ご紹介させてくださいっ★


瀬戸地下軍需工場は、名古屋市に
おかれていた愛知航空機永徳工場
防空対策と、生産能力を維持するために
設備群を分散疎開させる目的で構築された
地下工場です。

ここでは、翼の組立と周辺部品の製作が
行われ、周辺に建設された地上工場と
半地下工場を含め、彗星を月産で
40機製作することが目標とされ、
地下工場の一部が実際に操業しています。

地下工場は、5ブロックに分けられて
建設されましたが、現在は大半が埋没して
入口部分すら確認することが
困難になってきています・・・


約15年ぶりくらいに瀬戸市民公園周辺に
やってまいりましたっ↓
P1130843.jpg

おおっ、ハゲ山の面積が以前に比べ
拡がっているようです・・・

三等兵がここを最初に訪れたのは
1999年の冬のことですっ。

黒魔先生と地下工場調査遠征として
善師野(犬山)・楽田(犬山)・久々利(可児)・
平牧(可児)・明世(瑞浪)・釜戸(中津川)・
阿木(恵那)の各地下壕を寄りつつ
ここへ立ち寄ったのでしたっ。。。

でも。。。
せっかく仕上げたこれらの内部図が
どうしても見つからない・・・
多分、もう一度行かなきゃダメです・・・
誰か行く方いませんか~(涙)

久々利なんか、その後の単独調査で
夜通し調べた挙句に地下工場内部の
T字路で見知らぬ同業者と鉢合せ
お互いに悲鳴を上げた思い出も
パーです・・・


おっと、愚痴話にふけってしまいました。。
瀬戸地下工場に戻しますねっ スミマセン

第一工場の入口↓
P1130830.jpg

約15年前に比べると、土砂が堆積し
ほとんど埋まりかかっております・・・▲
おまけに、鉄格子が追加されております・・・


第一工場の内部↓
P1130831.jpg

写真では、幾分高さがあるように
見えるのですが、四つん這いになって
通れるほどの高さしかありません・・・

これ・・・
坑道の内部を見る限り、自然による
埋没ではないですっ!
「埋め戻し」です。

非常に残念ですね。。。


続きまして、第二工場の入口部分↓
P1130839.jpg

第一工場に比べると、埋没度合いが
はるかにマシですが、完全バリケードです。。。

15年前、この入口から中に入りましたが
30メートルほど進んだところで完全に
土砂閉塞しておりました・・・


第二工場の内部↓
P1130841.jpg

今回、カマドウマはいませんでしたが
前回の調査では天井にびっしり
はりついており、当サイトのキャラクターで
美恵軍團の先任参謀である珠姫さんのように
気持ち悪すぎて失神しそうになりました(汗)


第一工場、第二工場が展開する山は
保存されているようで、瀬戸地下軍需工場の
保存会の皆様の手で山道を整備して
案内板が随所に立てられています↓
P1130829.jpg


第二工場が展開する山の頂上には
貯水槽が残っています↓
P1130848.jpg

水槽はコンクリート製で、一般的な25mの
プールくらいの大きさがあります。


【収録遺構】
 愛知航空機永徳工場
 瀬戸地下軍需工場
  地下壕 2箇所
  その他 1つ

【探訪情報】
 1999.12  第1回探訪
 2015.4.10 第2回探訪
 歩数(指数) 10,016歩(128)

以上、美恵軍團「軍報」でしたっ!

「祐美総軍―戦争遺跡データベース」についても
更新しておりますので、是非、
アクセスをお願い申し上げます↓
 祐実総軍 ― 戦争遺跡データベース

さてさて、5回にわたって美恵軍團管轄の戦争遺跡を
ご紹介させていただきましたが、次回から5回分は
阪奈軍團管轄(大阪府・兵庫県・京都府・滋賀県・
三重県・奈良県・和歌山県)の戦争遺跡を
ご紹介する「軍報」を掲載させていただきますっ★

それでは、またお会いしましょうっ!
←応援してくださいっ♪
皆様、ご精勤お疲れ様でございますっ★
一部の方々はゴールデンウィークに
突入されていますでしょうか。

今回の「軍報」は、本来であれば4月29日に
アップする予定だったのですが、
前日に催された現場の送別会で
メンバーに煽られて深酒してしまい
アル中でぶっ倒れる寸前までとなり
危うく病院送りとなるところでして
「軍報」どころではありませんでした(汗)

色々と申し訳ありませんでした m(_ _)m
もう少し「老兵」であることを
自覚したほうがよさそうです(涙)

それでは、4月29日の分といたしまして
美恵軍團「軍報」の第4弾は、
愛知県安城市におかれた
第二一〇海軍航空隊の遺構を
ご紹介させてくださいっ!


第二一〇海軍航空隊は、太平洋戦争での
戦局が悪化したことに伴い飛行兵の拡充を
目的として1944年(昭和19) 9月に
開設されました。

ここでは、多機種の飛行機を操縦出来るように
零戦や紫電・月光・彗星など、各種の
新鋭機を配備して、慣熟させるための
錬成訓練が行われましたが、開設から
3ヵ月経った同年12月には、アメリカ軍に
よる名古屋地区への空襲が始まり
航空隊の位置づけが錬成部隊から
作戦部隊へと変更され名古屋周辺の
防空任務にあたったほか、沖縄方面の
特攻作戦にも参加しています。

現在、跡地のほとんどが農地となっていますが
いくつか当時の遺構が残存しています。


愛知県安城市にやってまいりました↓
P1130930.jpg

「朝鮮川」?
この川の名前の経緯も是非調べたいと
思いましたが、何分「徒歩調査」なもので
寄り道している余裕がありませぬ・・・


まずは、明祥中学校の門に活用されている
当時の通用門↓
P1130933.jpg

ほとんどが埋没している状態です▲

この北側には格納庫の基礎部分が
(豊成飛行場や明野学校天竜文教所などの
格納庫基礎をイメージしてください)
残っていたようなのですが、市道の舗装で
消失してしまったようです・・・(残念)


ここから北西に進んでいくと
弾薬庫といわれている建物が
残存しています↓
P1130938.jpg

道路を挟んだ向かい側にも
建物が残存しています↓
P1130937.jpg

どちらもレンガで造られており
建設資材の乏しさが伝わってきます・・・


少し北上すると、燃弾庫といわれる
地下構造物が残存しています↓
P1130948.jpg

内部はコンクリート製で、天井から
地上に伸びる通風口が2つ
設けられておりますっ★


これは、詳細不明ですが
おそらく当時のものでしょうね↓
P1130943.jpg

砲台関連との話もあるのですが
位置的・構造的に見ても
信憑性は低いかと考えております。


燃弾庫は老人ホームの駐車場内にも
残っており、保存されています↓
P1130952.jpg

このほか、あと2つほど残っている
そうなのですが、残念ながら発見には
いたらず、敗走いたしました(恥)

写真をお持ちの方は、是非是非
当ホームページで掲載させてくださいm(_ _)m


ここから「徒歩」で高浜港駅まで
ひたすら歩き、次の目的地を目指した
三等兵なのでした。。。

【収録遺構】
 第二一〇海軍航空隊
  門柱 1箇所
  建物 2棟
  地下施設 2箇所
  その他 1箇所

【探訪情報】
 2015.04.11 第1回探訪
 歩数(指数) 28,436歩(91)

詳細は、後ほどホームページ内で
ご紹介させていただきますっ★
是非、ご期待いただければ
幸いでございますっ!

次回の軍報掲載までにはホームページを
日進・瀬戸・豊田・安城・岡崎あたりで
更新出来ると思っておりますヾ

あっ、そうだ。。。
一部の方々には、事前に
お伝えしておりましたが
ホームページ内で「リンク」ページを
追加しますので、当ブログおよび
ホームページをリンクしていただいている
管理者の皆様におかれましては
可能であれば「バナー」を
ご提供いただけますと幸いでございます!
(当方で作ってもいいですっ★)

 当ホームページのトップページメニュー欄の
 「提携ウェブリンク一覧」を開通させます↓
  祐実総軍 ― 戦争遺跡データベース


どうぞよろしくお願いいたしますっ♪


以上、「軍報」でした。
ご閲覧、ありがとうございますっ★
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