戦争遺跡のご紹介やホームページの制作状況などを綴っていきます♪

総軍BLOGへようこそっ!

♦ プロフィール

祐実総軍三等兵

Author:祐実総軍三等兵
全国に残る戦争遺跡を探訪して
記録することを生き甲斐とする
祐実総軍三等兵でございます★
稚拙な内容ではございますが、
これまで調べてきた戦争遺跡を
ブログ・ホームページで紹介を
させていただいておりますっ♪

よろしくお願いしますm(__)m

♦ 最新記事

♦ カウンター

皆様、週初めのご精勤・ご講義、
お疲れ様でございました。

この三等兵たるもの、
新しくPCを導入いたしました・・・
型落ちではありますが、今春モデルを
買ったので、スペックは相当いいですっ!

遠征調査にするか、PCを買うか
究極の選択だったのですが、
これを逆手にとり、あえて
「両方」を選ぶことにしましたっ!
来月終わりは確実に死にますっ♪
散華いたしましょうっ!

さてさて、祐実軍團「軍報」第8弾は
第7弾の続きとなってしまうのですが
神奈川県横浜市金沢区におかれていた
横須賀海軍航空技術廠の室の木工場を
ご紹介させてくださいっ m(_ _)m

とはいえ・・・
確認出来た遺構が地下壕1箇所だけという
寂しい実績なのですが・・・


横須賀海軍航空技術廠は、航空機・
航空機材の設計や研究などを行う目的で、
この前身である横須賀海軍航空廠からの
改編によって、1940年(昭和15)に
開設されました。

その後、部門拡大による敷地拡張により
現在の六浦東地区一帯の敷地を買収して
新たに室の木工場を新設し、発着機部の
施設がおかれました。

終戦後、施設は取り壊され、現在は
横浜創学館高校や室の木公務員住宅などに
なっているため、当時の面影がありませんが
この背面にあたる低山に構築された
地下工場が残っており、封鎖されているものの
現在も入口部分を見ることが出来ます。


横浜市金沢区六浦東にやってきました↓


とはいえ、残念ながら室の木工場の
地上遺構は見つけることが
出来ず、わずかな地下工場の痕跡が
確認出来ただけだったのですっ▲

「存在に気が付くのが遅かった」
理由はこれに尽きますね・・・

私有地内なので、詳細な場所は
伏せますが、確認出来た地下壕の
入口部分です↓


残念ながら、埋め戻されているようで
入る余地がございませんです・・・

もう一つの地下壕入口部分↓
3_20150629220531212.jpg

こちらもブロックで塞がれており
入れそうにありません・・・

でも、入口部分の幅が広いことから
生産系の地下壕であることは
間違いないものと思われ、位置的に
室の木工場の敷地背面部分となるので
地下工場でファイナルアンサーですっ★

何とか、内部見学させて欲しいです~(涙)

【収録遺構】
 横須賀海軍航空技術廠
 室の木工場

  地下壕 1区画

【探訪情報】
 2007.01.03  第 1回探訪

 歩数(指数) 約1,000歩(100)


なお、ホームページ内でも
ご紹介させていただいております↓
 横須賀海軍航空技術廠
 室の木工場



それでは、おやすみなさいませっ!
皆様、週末をいかがお過ごしでしょうか。
今週は仕事(息抜きあり)が忙しくて
やりたいことが何にも出来ませんでした~(涙)

おまけに、ホムペの更新をしようと
メインPCの電源入れたらディスククラッシュし
OSが立ち上がらなくなりまして・・・
享年5歳でございました(涙)

あ~っ、お金がぁ~(涙)
遠征調査をとるか、新しいPCをとるか・・・
究極の選択です。

当面は、遠征用の小さなPCで頑張ります(涙)


さて、祐実軍團「軍報」の第7弾は
神奈川県横須賀市におかれていた
横須賀海軍航空廠(のちの第一海軍技術廠)の
ご紹介をさせていただきますねっ。


横須賀海軍航空廠は、航空機の設計・実験や
機材の研究・調査などを行う機関で、
それまでおかれていた海軍技術研究所の
航空研究部門と横須賀海軍工廠の
造兵部飛行機工場を統合させる形で
1932年(昭和 7)に新設されました。

設置当初は、総務部・科学部・飛行機部・
飛行実験部・兵器部・発動機部を中心とする
部門が設置されていましたが、
のちに、材料部や電気部などの部門も
創設され、航空機の研究・試作・実験を行う
機関として日本最大の設備と陣容を誇り、
主な航空機として「彗星」や「銀河」は
ここで試作して実用化に漕ぎついています。

1940年(昭和15)に入ると組織の変更が行われ
横須賀海軍航空技術廠と改称して
施設の拡大が行われましたが、用地が
手狭になったことから、1941年(昭和16)に
部門の一部を横浜へ移し、支廠が新たに
開設されました。その後、1945年(昭和20)の
2月の改編で横須賀第一海軍技術廠に改称し
終戦末期は「桜花」や「秋水」などの
特攻兵器の設計や実験が行われました。

現在、敷地は民間企業に払い下げられており
岡村製作所や関東自動車工業・東邦化学などの
工場となっていますが、当時の建物群の多くが
活用されています。


横須賀の追浜(おっぱま)に来ました↓


平和な光景です。
70年以上前は、ネコちゃんだって
居座れない場所だったのです。

そして、ここは三等兵が知り合った
多くの関係者の皆様方と共に、現在に至るまで
戦争遺跡を調査をしていくきっかけを創った
神聖な場所でもあるのですっ★

現在は、書籍やウェブが数多くあるため
メジャーな調査案件となっていますが、
おそらく・・・かつては、我々が
ここの遺構情報を「一番」知り得ていた
時期があったと思いますよ~★
なーんて、意味のない自慢をしてみます(笑)


遺構のご紹介に移らせていただきますっ♪
今回も長くなりそうですので、
材質や構造・残存状態などの記載は
極力省かせていただきますねっ(汗)

終戦時点の建物配置図です(案内板より)↓


 うーん・・・
 縦で画像をアップロードしてんのに
 横になってしまうのはナゼなんだ?
 何回やってもダメなのだが・・・


話しが脱線しました(怒)
まずは、敷地外側周辺の遺構から
いってみましょうっ★

イシカワ製作所付近に残る通用門です↓


通用門付近に残る軍用地境界塀です↓


エコマルコ付近にも塀が残っています↓



続いて、敷地内の遺構をご紹介していきます♪


最初は、科学部の遺構ですっ。

高圧風洞場です↓


高速風洞場です↓


第四風洞場です↓


第一研究所です↓


試験水槽準備室です↓


製図工場です↓


浦郷トンネル付近に残る
等速実験水槽ですっ↓



次は、総務部と周辺の遺構ですっ。

電話交換所です↓


ツタだらけですが、書庫です↓


軍用電柱と防火水槽です(抜粋)↓



続きまして、材料部の遺構ですっ♪

第六研究所です↓


耐震補強工事が入っているので
外側は大幅に改修されております▲ 

第四研究所です↓


この西側に本部庁舎がありましたが
現在は解体されてしまっています▲

第一実験準備場です↓


材料庫です↓


周辺には、材料貯蔵のためと思われる
横穴式地下壕も掘削されていますが
詳細は判っていません・・・
まずは、素掘り壕群です(抜粋)↓


続いて、コンクリート壕群です(抜粋)↓



次は、発動機部の遺構ですっ♪

第一工場です↓


おそらく、第一工場に関係した
地下壕です(抜粋)↓


コンクリート製の貯蔵系と思われる
地下構造物も残っています↓


第二実験場に関係する遺構です↓


おそらく、第二実験場に関係した
地下壕です↓



最後は、お待ちかね(?)の地下工場です★
(ここでは具体的な場所を伏せます)

貝山1区↓


貝山2区↓


貝山3区↓


貝山4区↓


これらの地下壕は、敷地上は
横須賀海軍航空隊なので、はたして
航空技術廠の所管なのか微妙なところですが
あえてここで掲載させていただきますね★
また、上層部については明らかに用途が
異なるので、別所管としますね。

浦郷1区↓


浦郷2区↓


武1区↓


武2区↓


ちなみに、これらの地下壕の合算延長は
8142.2メートルとなっていますよっ★


【収録遺構】
 横須賀海軍航空廠
 (横須賀海軍航空技術廠,
 横須賀第一海軍技術廠)

  建物 13棟
  門柱 1本
  軍用地境界塀 2箇所
  地下施設 4箇所
  地下壕 9区画
  その他 5箇所
  建物(消失) 2棟
  その他(消失) 1箇所

【探訪情報】
 2003.02.01  第 1回探訪
 (探訪回数が多いので途中省略)
 2014.12.28  第47回探訪

 歩数(指数) 350,000歩以上(999)


詳細は、後ほどホームページ内で
ご紹介させていただきますねっ★

それでは、来週も頑張っていきましょう!
←応援してくださいっ♪
皆様、週末は楽しめましたでしょうか?
三等兵は、久々に両日とも家に引きこもり
ホムペの制作に専念しておりましたっ!
腰が痛いです~(涙)


さて、先日のブログでもお話ししましたが
当ホムペで定義している各軍管区の
「軍報」が、現段階において5掲載ずつで
1周しましたので、今回から軍管区を
シャッフルして掲載を継続していきます★
(実は、こちらの方が「5回縛り」がないから
気が向くままで楽だったりするんです~ 汗)


今回は祐実軍團「軍報」の第6弾としまして
神奈川県三浦市に構築された
横須賀海軍鎮守府の抵抗拠点陣地を
ご紹介させていただきますねっ♪
(洞窟砲台・特攻基地は別ですっ!)

今回はお話しが長くなりそうなので
時間がある時にでもお読みくださいっ★


太平洋戦争末期、連合軍が計画した
日本上陸作戦の1つである「コロネット作戦」に
備えるべく、日本軍は「本土決戦作戦」を
展開するため、三浦市全域の沿岸部にかけて
上陸を想定した抵抗拠点となる洞窟陣地が
構築されました。

現在は、一部の入口が封鎖されているものの
放置されており見学が可能です。


神奈川県三浦市の海岸にやってきましたっ↓


この時は、横須賀市内の調査もそこそこに
こなしてきた後の三浦市調査だったので
三浦半島の調査の終焉を一思いに
ふけっておりましたが、蓋を開けてみれば
横須賀市のとんでもない膨大な調査量に
以降追われることになるんですっ(汗)

舞鶴・呉・広島・佐世保・長崎なんかも
とっても膨大な数の遺構が残っていますが
個人的に「横須賀市こそ日本一の残存数」に
仕立て上げたいと思っています~(汗)
三等兵は横須賀「神推し」ですっ★
(横須賀ファンの皆様、すみませんっ!)

ちなみに、現在調べられている横須賀市内の
遺構総数は1,478ですっ★
(未調査案件を入れると1,700くらいでしょうか)

これって、とんでもない数字なんですけど
他の自治体はどうなんでしょうかね??
個人的には舞鶴・呉の総数が気になりますっ!
(完全に調べられていないもので・・・)


おっと、申し訳ございません m(_ _)m
話が脱線してしまいました~っ


それでは、三浦市に掘削された洞窟陣地を
海岸反時計回りでご紹介していきますっ♪

まずは、最北西端に位置する黒崎陣地です。
ここは、現在の長浜・和田海水浴場への
上陸を阻止する目的で、対面の長浜陣地と
十字砲火を形成するように構築されてますっ


黒崎北洞窟陣地です↓


ここは構築途中だったようで、
銃眼部分が完全に開口していませんが
通路部分は完成しており、側面部分から
内部に入ることが可能です。なお、
総延長は32.5メートルを計測しました。


黒崎南洞窟陣地です↓


黒崎北洞窟陣地のすぐ横に控えており
内部は素掘り構造で坑道延長は
80.5メートルを測っております。


続いて、海岸線を南に進んでいくと
三戸陣地に到達します。

ここは、三戸海岸への上陸を
阻止する目的で構築されており
海岸を挟み込むように北・南の
洞窟陣地が十字砲火を形成するように
構築されてますっ


三戸北洞窟陣地です↓


ここは、三浦市の洞窟陣地の中では
最大の坑道規模をもっており、
狙撃口が4箇所も設けられていますっ!
内部は大半が素掘構造とはいえ
複雑な坑道を形成しており
この場所が戦略的に重要であると
位置付けされていたのでしょうねっ★
なお、坑道延長は378メートルです。


三戸南洞窟陣地です↓


ここも、なかなかの坑道規模を
もつ洞窟陣地で、259メートルの
坑道延長を計測していますっ♪


続きまして、マリンパークがある
油壺陣地へ移動していきますっ!
ここは突端部に構築されており
横須賀の荒崎方面(北)へ向けて
狙撃口が設けられています。


油壺洞窟陣地です↓


ここは、坑道延長は43メートルと
規模は小さいのですが、狙撃口部分が
コンクリートで頑丈に造られています。
きっと、大きな重火器を据え付けようと
したのでしょうねっ★

ちなみに、この陣地の背面の湾には
第一特攻戦隊第五十六震洋隊の
油壺基地がおかれておりますっ!
実に強力ですねっ♪


続きまして、諸磯へ移動します。

諸磯陣地は、浜諸磯の洞窟砲台の
死角を補う形で構築されており
まるで「堡塁」のような役目を
担っているかのようですっ★


諸磯洞窟陣地です↓


ここは、坑道の半分くらいまで
埋め戻されており、内部は非常に
歩きづらいのですが、なんといっても
銃眼部分の彫り込みが美しいですっ!
ちなみに、内部の総延長は
203.3メートルを計測しています。


次は城ヶ島へと進んでいきますっ↓



城ヶ島陣地は、三崎港周辺への上陸を
阻止するためと、城ヶ島自体へ上陸を
阻止するための2つの性格を持っており
前者は西・東・安房崎の3箇所、
後者は赤羽根の2箇所となっています。
(※呼称はあくまでも仮です)


まずは、城ヶ島西洞窟陣地です↓


城ヶ島の陣地は、坑道の幅が
約80センチと大変狭く、冬場は
ゲジゲジくんと接触事故を起こす
危険が孕んでおりますっ▲

ちなみに、城ヶ島西陣地の
坑道延長は54.8メートルでしたっ。


続いて、城ヶ島東洞窟陣地です↓


こちらも坑道の幅が非常に狭いですっ▲
坑道延長は、66メートルを計っています。


安房崎洞窟陣地です↓


ごめんなさい、こちらは中に入ってません▲
磯のかほりで吐きそうになっちゃって・・・
おまけにフナムシーも大量でして(汗)
おそらくですが、坑道自体は
さほど大きくないものと思ってます。


城ヶ島の南側にまわりこんでいきますっ!
先述の後者である赤羽根海岸に行きますっ♪


赤羽根第一洞窟陣地です↓


ここは、坑道狭い・夏はフナムシー・
冬はゲジゲジーで大変なところです・・・
規模は小さく60メートルほどです。


赤羽根第二洞窟陣地です↓


ここも、第一陣地と同じ危険がありますが
階段を有す階層構造となっています。
坑道規模は第一より確実に大きいですが
途中で埋まっており、全貌は明らかに
出来ておりません・・・


続いて、松輪に移動しますっ!

松輪陣地は、江奈湾への進入を阻止する
目的で構築されているものと思われます。
現在のところ、内部調査が叶った陣地は
1箇所ですが、この他にもあるものと
推測しています・・・


松輪陣地です↓


ここは南西方向に2箇所の狙撃室が
設けられており、135.8メートルの
坑道延長を確認していますっ。


さてさて、長くなってしまいましたが
三浦市最後の案件となる金田陣地へ
移動いたしますっ★

金田陣地は、三浦海岸への上陸と
金田湾周辺への上陸を阻止する目的で
構築されており、高抜・蛭田・金田の
合計3箇所の洞窟陣地を確認しています。


まずは、金田洞窟陣地です↓


この壕は、1本の坑道が山の頂上付近まで
階段を有しながら延びている単独壕ですが
階段の中腹部分に棲息部と思われる
空間があることから、洞窟陣地の一種と
判断させていただきましたっ★
なお、坑道延長は65.2メートルを
計りましたっ。


続いて、蛭田洞窟陣地です↓


こちらの陣地は、県道沿いに狙撃口が
設けられているので、県道から見ることも
可能ですっ。

坑道延長は132.4メートルと小規模ですが
坑道が複雑に入り組んでおり
見ごたえがありますっ★


最後に、高抜洞窟陣地です↓


これは三浦海岸に一番寄っている陣地で
残念ながら入口が民家の敷地内なので
内部調査が出来ておりませんが、
海岸から狙撃口部分を確認することが
出来ますっ★



【収録遺構】
 横須賀海軍鎮守府抵抗拠点陣地
  三浦市
   地下壕 15箇所

【探訪情報】
 2005.11.12  第1回探訪(三戸)
 2005.12.18  第2回探訪(黒崎)
 2006.01.09  第3回探訪(油壺)
 2006.04.01  第4回探訪(城ヶ島)
 2006.04.15  第5回探訪(金田)
 2006.07.29  第6回探訪(三戸・油壺)
 2006.08.06  第7回探訪(諸磯)
 2015.02.21  第8回探訪(松輪)

 歩数(指数) 50,000歩以上(999)


詳細は、後ほどホームページ内で
ご紹介させていただきますねっ★
文中で坑道延長が書かれている
洞窟陣地については内部図も
制作しておりますので、完成を
楽しみにしていてくださいませ m(_ _)m
(ここには掲載しませんっ!
掲載したら、誰もホムペを見てくれなく
なっちゃいそうで・・・)

なお、当方で調査が叶った三浦市内の
洞窟陣地はご紹介した15箇所だけです▲
この他にも絶対あるはずなので
もし、ご存知の方がおられましたら
情報提供をお願いいたします m(_ _)m


それでは、来週も頑張っていきましょう!
←応援してくださいっ♪
皆様、土曜日をいかがお過ごしでしょうか。
ゲリラ豪雨・低温など、様々な異常気象に
ここのところ翻弄されていますが
体調管理には気をつけたいところですねっ。


さて、和泉軍團「軍報」第5弾は
千葉県内に設置された、陸軍・海軍の
東京湾要塞地帯標をご紹介しますっ★


東京湾要塞は、日本の本土におかれた
12箇所の永久要塞のうちの 1つです。
1895年(明治28)の要塞司令部条例により
永久的な防御工事を施している場所は
「要塞」とされ、海軍の場合砲台や軍港が
「要塞地帯」とされました。また、
これに伴う法律も公布されており、
軍事機密の保持のため、要塞地帯に
指定された区域内での測量や撮影・
スケッチ・土木工事などは、要塞司令部の
許可がないと出来ませんでした。
また、これらの防御営造物より
250間(約455メートル)以内を特に
「要塞地帯第一区」として一般人の立入が
禁止され、衛兵が守備していました。
さらに、その距離に応じ「第二区」・
「第三区(区域)」が設定され、これらを
明確にするため、その境界部には
要塞地帯標が設置されました。

要塞地帯を定義する法律は数度にわたって
改正されましたが、最終的に防御営造物から
1,000メートル以内を第一区とし、
5,000メートル以内を第二区・
15,000メートル以内を第三区(区域)と
当初よりも大幅に拡大されました。

千葉県についても、要塞地帯に定められた
箇所があり、その境界に設置された
要塞地帯標が現在も残っています。


まずは、南房総市の大房岬公園内にある
陸軍の要塞地帯標です↓


続いて、本織の三芳病院付近にあった
海軍の要塞地帯標です↓
R0013560.jpg

これ、県道沿いにあったのですが、
最近のgoogleストリートビューで見ると
消失していることが判明しました・・・
経緯は判りませんが、移設されて別地で
保存されていればよいのですが・・・


次は、館山市の要塞地帯標を
ご紹介していきますっ♪

まずは、笠名にある
海軍の要塞地帯標です↓


続いて、北条の内房線踏切脇の
海軍の要塞地帯標です↓


最後は、見物の神社内にある
陸軍の要塞地帯標です↓


実は、この要塞地帯標の場所を
失念してしまい、どこの神社だったか
判りません・・・

どなたかご存知でしたら、
是非教えてください m(_ _)m


【収録遺構】
 陸軍東京湾要塞地帯
  南房総市
   軍用地境界標 1本
  館山市
   軍用地境界標 1本
 海軍東京湾要塞地帯
  南房総市
   軍用地境界標 1本
  館山市
   軍用地境界標 2本

【探訪情報】
 2004.11.10  第1回探訪(館山)
 2006.03.25  第2回探訪(館山)
 2006.12.02  第3回探訪(館山)
 2007.05.04  第4回探訪(南房総)
 2007.05.20  第5回探訪(南房総)
 
 歩数(指数) 約10,000歩以上(422)

詳細は、後ほどホームページ内で
ご紹介させていただきますねっ★


なお、当方で記録が叶った千葉県内の
要塞地帯標はご紹介した5本だけです・・・
この他にも絶対あるはずなので
もし、ご存知の方がおられましたら
情報提供をお願いいたします m(_ _)m


さてさて、今回の「軍報」をもって
祐実・阪奈・美恵・和泉の各軍管区の
戦争遺跡のご紹介が5回ずつで1周したので
次回からは軍管区の縛りなしに
ランダムに「軍報」を掲載させて
いただきますねっ★

また、ホームページですが
若干ですが更新しておりますっ★

 ・茨城県の戦争遺跡を追加 (全46遺構)
   阿見町・鹿島市・鉾田市

 是非、こちらからアクセスをお願い申し上げます↓
  祐美総軍―戦争遺跡データベース

本当は、先日お話しした通り
まとまった数で更新したかったのですが
ちょっと制作が難儀しておりまして
分散させていただくことにしました(汗)

現在、大阪市・京都市を制作中です!
もう少しでリリース出来そうですので
いましばらくお待ちくださいませっ m(_ _)m

それでは、よい週末をっ★
皆様、週末をいかがお過ごしでしょうか?

おかげさまで、三等兵は公私共に
忙しくさせていただいておりまして
ホムペやブログの更新間隔が
開いてしまって申し訳ありませんm(_ _)m

最近は、閲覧される皆様方から
メールで戦争遺跡の所在についての
お問い合わせや、現況などのご報告や
新たな情報などを多く寄せられるようになり
「戦争遺跡」に対する関心が
以前に比べて高くなっていることを
実感しております。

もっとも、拙ホムペ・ブログは
「戦争遺跡」を多くの皆様方に
知ってもらうことを第一として
旗揚げしたので、掲載開始から
まだ半年強の弱小ではございますが
一定の成功はおさめることを
出来たのかもしれません。

三等兵を含め、関係者一同の
「誇り」にしつつ、これからも
調査・踏査活動に邁進させて
いただく所存です。

どうぞ今後ともホムペ・ブログを
よろしくお願い申し上げます。


さて、和泉軍團「軍報」第4弾は
千葉県館山市に配備された
横須賀海軍鎮守府第一特攻戦隊の
波左間基地をご紹介させてくださいっ★


第一特攻戦隊は、太平洋戦争の戦局が
圧倒的に劣勢となったことに伴って、
本土決戦に備えて編成された特別攻撃部隊で、
1945年(昭和20)に神奈川県の横須賀市に
司令部がおかれました。

波左間基地は、傘下の第五十九震洋隊が
配備につきましたが、震洋の格納や
爆装などの整備に追われたことで
海上での訓練は行われず終戦となりました。

跡地は、波左間海岸から背面部分の山に
かけた場所で、現在は大半が
放置されている状態ですが、わずかに
格納壕などが残っています。


波左間海岸にやってまいりました↓


館山市は、千葉県内に残る
戦争遺跡の遺構数がダントツで
1番多い自治体ですっ★
また、行政も保存に積極的だし
NPO法人による戦争遺跡を見学する
フィールドワークなどもありますよっ!

すてきな街ですっ!
決して、海水浴だけがメジャーでは
ないですよ~♪


おっと、話が脱線しましたっ!
海岸をよく見ると、特攻艇の
滑走台の残骸が残っています↓


海岸から陸地に進んでいき、
暴走(笑)フラワーラインを跨いだ
山林内には格納壕が残っています↓


残念ながら、放置された状態が
続いていたためか、入口部分が
まともに開いている壕はありません・・・

格納壕はいくつか残っていますが
大半は水没しており、内部へ入るのは
かなり困難です↓



掲載写真が少ないので、別の格納壕の
内部も載せますね↓



【収録遺構】
 横須賀海軍鎮守府第一特攻戦隊
 波左間基地
  地下壕 1区画
  その他 1つ

【探訪情報】
 2006.01.29  第1回探訪
 2006.12.02  第2回探訪
 歩数(指数) 約1,000歩(100)


詳細は、後ほどホームページ内で
ご紹介させていただきますが、
館山市は遺構が多いので掲載は
まだまだ先です・・・

でも、ご期待くださいませっ★
いつかは絶対やりますのでっ!


それでは、新幹線で関東へ
帰還しますね~っ
(している最中です)

よい週末をっ★
←応援してくださいっ♪
皆様、本日もご精勤お疲れ様でしたっ!

三等兵は職場から家までの約35キロを
2時間20分かけて帰宅しました(怒)
まったく、最近の鉄道会社は
客扱い中に車両が「故障」して
遅延しているのに「点検」と
説明するのはどうしてなんだろう?
免罪符のように点検を乱発してますが
単なる「整備不良」なだけです、そんなの。
くだらない言い訳せんといてください(笑)

お金を払って不愉快な気分になるのが
一番嫌いな三等兵の愚痴でした~


さてさて、和泉軍團「軍報」の第3弾は
茨城県土浦市におかれていた
霞ヶ浦海軍病院の遺構紹介を
させていただきますねっ★


霞ヶ浦海軍病院は、霞ヶ浦一帯に
海軍施設が設置されたことで、傷病兵を
収容するための病院として、1941年(昭和16)に
開院し、終戦まで機能しました。

終戦後、病院は現在の厚生労働省に移管され
霞ヶ浦病院を経て独立行政法人国立病院機構
霞ヶ浦医療センターとなっていますが、
水道関係の遺構や門柱・軍用地境界標などが
多く残っており見学することが可能です。

土浦市にある霞ヶ浦医療センターへ来ました↓


霞ヶ浦海軍病院の存在は、5年ほど前に知り
門柱や消火栓・電柱などの記録は
出来ていたのですが、最近になり
とくがわ様のブログを拝見し、実に
多くの遺構が残されていることを知り
リトライしてきましたっ★

みなさん、さすがですねっ♪
三等兵には真似出来ない
精度の高さに脱帽ですm(_ _)m


まずは、病院内に残る「水」関連の
遺構を抜粋でご紹介いたしますね★

最初は消火栓です(抜粋)↓


消火栓は赤い塗装が施されており
海軍記号である波マーク2つと
海軍マークである「錨」と
「消火栓」の文字が両側に入っていますっ♪

続いては貯水タンクです↓


こちらも赤い塗装が施されており
リベット打ちで接合されている部分が
特徴といえるかと思いますっ♪
これは他であまり見ることが出来ない
遺構であると思われますっ!

最後は止水栓蓋です↓



残念ながら、構内の当時の建物は
消失しているようですが、基礎部分が
いくつか残っています。

まずは病棟跡(抜粋)↓


続いて、守衛関連建物跡(抜粋)↓


最後は配水関連施設跡(抜粋)↓


病棟間を結んでいた渡り廊下の跡も
残っておりますっ↓



電柱なんかもありますっ(抜粋)↓


病院への入口は数箇所あったものと
思われますが、現存している門柱は
正門のみのようです↓


下に載せている【収録遺構】欄を見れば
一目瞭然ですが、ここでは紹介できない程の
遺構がたくさん残っていますっ★

「海軍病院」で、これほどの遺構が
残っているのは、過去の三等兵の
探訪履歴では他にありませんよっ!


最後になりますが、周辺に多く残る
軍用地境界標のご紹介ですっ♪

まずは、敷地北端部分です(抜粋)↓


続いて、敷地東端部分です(抜粋)↓


敷地西端部分です(抜粋)↓


敷地南端部分です(抜粋)↓


抜粋ですが、敷地南端よりさらに南にも
軍用地境界標が残存しています↓


んん?
軍用地境界標に精通している方は
お気づきかと存じますが、東西南北の
標柱が御影石製なのに、最後の1枚は
コンクリート製で記載文字にも変化が
ありますよね。。。

三等兵は、当時の敷地を詳細に
調べられておらず、この変化を見ただけの
客観的な言い分ではあるのですが
当初の敷地を後になって拡張したか
別の海軍施設が設置されていた
可能性があるかもしれませんよ(汗)

もっと文献調査をしてみますねっ!

【収録遺構】
 霞ヶ浦海軍病院
  門柱 1箇所
  建物基礎 6箇所
  軍用地境界標 18本
  その他 20つ

【探訪情報】
 2010.11.23  第1回探訪
 2014.06.15  第2回探訪
 歩数(指数) 28,113歩(298)

詳細は、後ほどホームページ内で
ご紹介させていただきますねっ★
ご期待いただければ幸いですっ!


それでは、ホームページの製作に
移りますので、本日はこのへんにて
失礼いたしますm(_ _)m
←応援してくださいっ♪
皆様、週末をいかがお過ごしでしょうか。
関東地方は、昨日からの雨もやんで
土・日と行楽日和になりそうですねっ★

最近、色々と嫌なことばかりで
気が滅入ってしまい、ご無沙汰ですが
和泉軍團「軍報」第2弾は
群馬県太田市におかれていた
高射第一師団下小林高射砲台の
ご紹介をさせていただきますねっ♪


高射第一師団は、本土決戦の準備の一環で
それまでおかれた東部高射砲部隊の改変で
編成されたうちの 1つで、主に関東周辺の
戦略拠点の防備を目的として1944年(昭和19) に
開設され、隷下の独立高射砲兵第四大隊が
中島飛行機を中心とした太田市内の
軍需工場の防衛にあたり、周辺に高射砲が
3箇所設置されました。

このうち、下小林高射砲台は
九九式 8センチ高射砲が 6門据え付けられ、
現在はイオンモールの開業によって
整地されていますが、1つの砲座が
破壊を免れ、移設したうえで保存されています。


群馬県太田市にやってまいりましたっ↓
P1080780.jpg

駅舎を写すと、気分はまるで
slycrow先生のサイトのオーナーです(笑)

 -太田駅-
 【所在地】群馬県太田市東本町15
 【開業】1909(明治42)年
 【乗降人員(日)】10,819人

先生、こんな感じでいかがでしょう?(笑)
三等兵には、モノを伝えるセンスが
欠落しているのでグダグダですが
本家のページはとても素敵ですので
是非一度ご覧あれ↓

 「酒保開ケ。

あっ、先生っ!宣伝料370円ですっ(笑)


さてさて、ここから「矢島タクシー」が運営する
「路線バス」に乗り込んでイオンを目指します!

三等兵にとって、群馬県は自家用車社会の
イメージが強いのですが、
バスはほぼ満員状態でしたっ!
す、すごいです・・・(汗)


イオンモールの西側に高射砲の台座が残ります↓
P1080786.jpg

砲座は円形のコンクリート製で、
中央には高射砲を固定していた
太いボルト設置痕が円を描くように
残っておりますっ★


砲座の脇には説明板が設置されています↓
P1080788.jpg

個人的に、こういった遺構が残る場所へ
商業施設や工場などを建設することに
激しい憤りを感じてしまいますが、
その中でも保存に向け最大限の
努力をしたイオンモールの姿勢は
評価されるべきですっ★


掲載写真が少ないので、反対からの
アングルで撮影した砲座をあげておきます↓
P1080800.jpg


【収録遺構】
 陸軍高射第一師団独立高射砲兵第四大隊
 下小林高射砲台
  砲座 1つ

【探訪情報】
 2013.05.03  第1回探訪
 歩数(指数) 337歩(100)

詳細は、後ほどホームページ内で
ご紹介させていただきますねっ★
ご期待いただければ幸いですっ!


最近、ホームページの更新が
滞っておりますが、次回のリリースは
ある程度まとまった量を掲載出来る
見込みでおりますので、もう少しだけ
お待ちくださいねっ♪

ちなみに、公開予定の自治体は
以下でございます↓

 東京都(約10)
  立川市
 埼玉県(約10)
  本庄市・上里町・坂戸市・川越市
 茨城県(約100)
  鹿嶋市・鉾田市・阿見町
  土浦市(追加)
 群馬県(約10)
  太田市
 山梨県(1つだけ・・・)
  大月市
 大阪府(約70)
  大阪市・八尾市・藤井寺市
 兵庫県(約10)
  尼崎市
 京都府(約70)
  京都市
 滋賀県(約20)
  大津市


それでは、またお会いしましょう♪

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