2015年09月 - 戦争遺跡調査研究軍 祐実総軍

【祐実軍團】(34)横須賀海軍警備隊第一高射機銃大隊川間山防空砲台

皆様、こんばんわっ★
本日もお疲れ様でございましたっ。

結局、9月はホームページの更新が
ほとんど出来ずに終了です・・・

10月は真面目にやりますねっ★
予定満載ですが(涙)


さてさて、本日も祐実軍團「軍報」の
第34弾といたしまして、
神奈川県横須賀市におかれていた
横須賀海軍警備隊の
川間山防空砲台の遺構を
簡単にご紹介させてくださいませ。


川間山防空砲台は、横須賀軍港を
統括した横須賀海軍鎮守府の隷下におかれ
軍港の防衛任務についた
横須賀海軍警備隊が守備する防空砲台で
浦賀船渠と周辺の施設を防衛する目的で
1944年(昭和19)に建設されました。

ここには、同隊の傘下におかれた
第一高射機銃大隊の兵員を配置し
25ミリ3連装機銃が2基と
25ミリ連装機銃が1基据付けられました。

現在、砲が設置されたと思われる場所は
山林で手が加えられていないため
遺構が残っていると考えられますが、
調査の時期が悪く、
見事に敗走いたしましたっ▲
(継続調査中です)

なお、危険な場所にあるため
明確な場所は伏せておきますm(_ _)m


神奈川県民の自慢の一つである
快特爆走電鉄の浦賀駅から
スタートしていきますっ↓



当時の遺構と思われます↓



1つ目の地下壕の入口です↓



1つ目の地下壕の内部ですっ↓



内部図です↓
yokosuka_kawamayama_1.png
 ※この内部図はそのうち消しますっ


2つ目の地下壕です↓



内部の様子です↓



内部図です↓

 ※この内部図もそのうち消しますっ


この冬、山頂付近を探訪予定ですっ★


【収録遺構】
 横須賀海軍警備隊第一高射機銃大隊
 川間山防空砲台

  地下壕 2箇所
  その他 1箇所
  (継続調査中です)

【探訪情報】
 2014.04.27 第1回探訪

 歩数(指数) 約1,000歩(68)


詳細は、後ほどホームページ内で
ご紹介させていただきますねっ★
ご期待いただければ幸いですっ!


それでは、おやすみなさいっ★
←応援してくださいっ♪

【祐実軍團】(33)陸軍東京湾要塞大浦堡塁

皆様、本日もお疲れ様でございました!

三等兵は、ここのところ帰りが遅くて
ゲンナリしておりますっ(涙)
どこまで気力がもつか・・・

本日は「単発もの」で申し訳ないのですが
祐実軍團「軍報」の第33弾といたしまして
神奈川県横須賀市におかれていた
陸軍東京湾要塞の大浦堡塁の
遺構を1つだけご紹介させてくださいませ。


大浦堡塁は東京湾要塞の 1つで、
海方向を向く観音崎海岸の砲台群の
背面部を防備する目的で
1896年(明治29) 5月に竣工し、
車両式 9センチカノン砲が
2門据付けられました。

日露戦争を経て、大正時代に入ると
装備が旧式であったため
1913年(大正 2)に廃止となり
1925年(大正14)に防御営造物より
除籍されました。

現在、砲台跡地は
神奈川県立観音崎公園として
整備され、戦没船員の碑がおかれた
広場になっているため、ほとんどの
遺構は消失していますが
わずかに砲座の一部が残っています。


ハアハア、観音崎公園に来ました↓



戦没船員の碑付近に到着です↓



砲座の一部が残っています↓



【収録遺構】
 陸軍東京湾要塞大浦堡塁

  砲座 1つ

【探訪情報】
 2005.05.29 第1回探訪
 2014.05.24 第2回探訪

 歩数(指数) 約20,000歩(999)


詳細は、後ほどホームページ内で
ご紹介させていただきますねっ★
ご期待いただければ幸いですっ!


それでは、おやすみなさいっ★
←応援してくださいっ♪

【雑記】真己軍團キャラクター制作・広島探訪戦略

皆様、週末をいかがお過ごしでしょうか。
明日からしばらく平日ですね~(涙)

この三等兵、仕事なんかしている
場合ではないのでございます(笑)

さてさて、本日は発足準備中である
真己軍團の従軍キャラクターのご紹介と
11月20日~11月24日に予定している
広島探訪の戦略を雑記程度に
ご紹介させていただこうかと思います。


まずは、真己軍團に従軍する
キャラクターのヘッド3人衆を
お披露目させていただきますね~↓
左側から
 福田真己大将(広島)
 中野祐里副将(岡山)
 阿部利枝子参謀長(広島) ですっ★

 ※「HECTO ナル絵」ブログを管理している
  ナルナル様にお願いをさせていただき
  デザインしてもらったものとなります。
  この絵の所有権は私ですが、著作権は
  ナルナル様にありますので、くれぐれも
  無断転載はご遠慮くださいませ。


真己軍團に登場予定のキャラクターは
1軍團での構成人数が最も多い
7名を予定しており、このうち3名が
広島県専属の予定ですので
いかに三等兵が広島県という場所を
恐れているかお判りかと(笑)

キャラクター個々の能力は高めですが
文献調査:実地調査の比率を6.32:3.68という
構成にしているため機動力は低めです(汗)

ちなみに、祐実軍團は4.96:5.04であり、
阪奈軍團も5.22:4.78とほぼ均等で、
和泉軍團は3.75:6.25で機動重視ですね~(笑)
美恵軍團は6:4なので、真己軍團と
ほぼ同様の機動力でしょうかねっ★
(何のことだかさっぱりですよね~)


広島探訪の戦略は・・・

 初日・2日目は広島市内
 3日目は廿日市市内
 4日目は予備(観光)
 5日目は帰るだけ
 ※呉・江田島・大久野島は
  病気になるので別機会っ!

これでいこうと思っていますっ★


うまいものも食べますよっ♪

こんな感じだから、パソコンが
もう1台買えちゃいますね・・・
でも、家から700キロ離れた場所で
後悔なんかしたくないですっ★
そのかわり、1発で仕留めます(笑)


【本日の写真】
 陸軍由良要塞西ノ庄堡塁の
 防御営造物境界標群(抜粋)
 (和歌山県和歌山市西庄)↓




それでは、明日から頑張りましょう★
←応援してくださいっ♪

【和泉軍團】(9)陸軍東京湾要塞洲崎弾薬支庫

皆様、おはようございますっ★
週末をいかがお過ごしでしょうか。

三等兵は「寝坊」により、遠征予定が
遅れており、まだ名古屋にも
着いていません(涙)

本当は朝から堺方面に行く
予定だったのに・・・

今回は日帰りなので、おそらく
堺市内だけで終了でしょうね~
残念すぎますね(涙)


さてさて、本日は和泉軍團「軍報」の
第9弾といたしまして、
千葉県館山市におかれていた
陸軍東京湾要塞の洲崎弾薬支庫の
遺構をご紹介させてくださいませ。


洲崎弾薬支庫は、東京湾要塞の
施設群の 1つで、館山地区におかれた
砲台群で使用する砲弾類を一元管理する
目的で1927年(昭和2)に設置されました。

ここには、防水・防湿対策として
外庫と内庫が区画された洞窟式弾薬庫が
1つ設置されており、これを接続する
前室と主室が区画された坑道が
2つ設けられていました。

終戦後、弾薬類を撤去したうえで
山林内に放置された状態が続き、
内部の見学が可能でしたが、
現在は残土処分場の建設が
進んでおり、消失する可能性が
あるようです。

でも、戦争遺跡の保存に積極的な
館山市のことですから、何かしら
対策を施していただけると
強く信じておりますっ★


今回は、愛沢伸雄先生が率いる
NPO法人の「安房文化遺産フォーラム」の
皆様方と見学していきます↓


見学者の大半は、ご高齢の方々ですので
隊のしんがりは三等兵の関係者達で
厳重にかためております(笑)


弾薬庫の入口部分です↓



通路部分です↓



弾薬庫内部です↓


弾薬庫内部は、外庫と内庫の
二重構造となっていたようですが、
残念ながら現在は外庫のみが
残っている状態です。


【収録遺構】
 陸軍東京湾要塞洲崎弾薬支庫

  地下施設 1箇所

【探訪情報】
 2006.03.25  第1回探訪
 2006.12.02  第2回探訪

 歩数(指数) 約15,000歩(178)


詳細は、後ほどホームページ内で
ご紹介させていただきますねっ★


それでは、よい週末をっ★
本日の探訪は「日帰り」なので
どこまでやれるか判らないですが
三等兵も頑張りますっ!
(三河安城を通過しました)
←応援してくださいっ♪

【祐実総軍】中国地方出陣決定っ★

皆様、連休最後の日を
いかがお過ごしでしょうか?

三等兵は、本日の昼下がりから
「サザエさん病」を発症中です・・・
仕事、行きたくない~(涙)


今日は、総軍総合プロデューサーと
軍報会議をいたしましてね、
11月20日(金)~11月24日(火)の
5日間をかけ、待望の「広島」へ
遠征することが決まりました~★
(宿も予約しちゃいましたっ♪)

これに伴い、拙ホームページの
内部的なお話になってしまいますが
各地方毎に所属している
総軍キャラクターが増えますっ♪

今回、登場予定のキャラクター達は
HECTO ナル絵」ブログを管理している
ナルナル様にお願いをさせていただき
デザインしてもらったものとなります。
さすがはプロ、凡人レベルの絵とは
格が違いますっ★
(左が新軍團大将、右が既存の総軍大将)
真己軍團総大将:福田真己prof_yumi.png
 ※この絵の所有権は私ですが、著作権は
  ナルナル様にありますので、くれぐれも
  無断転載はご遠慮くださいませ。


大将以下、副将・参謀長・親衛・斬込の
5名が新たに登場することになります。

大将の名前は「福田真己」さんですので
中国地方(広島・岡山・山口・鳥取・島根)の
戦争遺跡を探訪するバーチャル集団として
「真己軍團」を発足させますっ!

もっとも、既存軍團管轄内の踏査すら
満足に出来ていない状態で軍拡の道を
歩んでしまう一抹の不安はあるのですが
同業のサイト様と争うわけでもないし
殻に閉じこもったままのサイトも
いかがなものかと思いますので
この際、大きく出ることにしますっ★


出世観音を前に、立身・出世を目論む
総軍プロデューサー(笑)↓


お供いたしますぞっ↓



最近は制作準備ばかりで、ホームページの
更新が全然出来ていませんが、
祐実総軍 ― 戦争遺跡データベース」を
今後ともよろしくお願い申し上げます m(_ _)m


【本日の写真】
陸軍高射第三師団独立高射砲兵第十三大隊の
本部庁舎とおぼしき建物基礎
(大阪府堺市北区中村町)



それでは、明日から2日間
頑張っていきましょうっ★
←応援してくださいっ♪

【和泉軍團】(8)陸軍東京湾要塞見物砲塔砲台

皆様、連休をいかがお過ごしでしょうか。

三等兵は、連休の全てを調査以外の催しに
費やしました(笑)

こういう過ごし方は戦争遺跡を調べ始めて
初めてのことかもしれません。。。

今度の週末は遠征予定ですが
まだ目的地を決めておりません(汗)
どこにしようか。。。


さてさて、本日は和泉軍團「軍報」の
第8弾といたしまして、
千葉県館山市におかれていた
陸軍東京湾要塞の見物砲塔砲台の
遺構をご紹介させてくださいませ。


見物砲塔砲台は、東京湾要塞の 1つで
1932年(昭和 7)に竣工しました。

ここには、軍艦生駒の主砲であった
45口径40cm2門入砲塔を、
横須賀海軍工廠で陸上用に
改修したものが1基据えつけられて
戦闘配備につきました。

なお、砲の最大射程は26kmという
広い射程をもっていました。

また、砲塔砲台の西方に位置している
坊の山に観測所を設けて
八八式電気式海岸射撃具が設置され
砲塔砲台と共に終戦まで存続しました。

終戦後、砲塔部は破壊された状態で
放置されていましたが、砲台の跡地を
ポピーランドという分譲地に転用する
整地工事が始まり、探訪時は
ギリギリのタイミングで地下施設の
内部を見ることが出来ましたが、
現在は埋め戻されているものと
思われます。

また、この他に現存する遺構として
門柱や地下施設の一部分と通風口・
観測所の一部分があり見学が
可能です。さらに、観測所が設置された
坊の山への登山道沿いにも
防御営造物境界標がいくつか
見ることが出来ます。


館山市の波左間海岸にきましたっ↓



砲座の一部です↓


後日談となりますが、現地をよく知る
関係者の方から、砲座部分は
土地を所有する方が整備をして
保存されているとの話を聞きました★

2006年以降、探訪していませんが
現在は整備された砲座が
見られるものと思われますっ♪


これは砲座関連の遺構であると
思われますが詳細不明でした↓



砲塔砲台の地下施設入口です↓



地下施設の内部です↓


内部は折れそうな材木で補強しており
非常に危険な状態でした。。。


坊の山にある観測所の一部です↓



観測所に向かう山道沿いには
防御営造物境界標が
点在しています(抜粋)↓




【収録遺構】
 陸軍東京湾要塞見物砲塔砲台
 (陸軍東京湾要塞洲崎第一砲台)

  砲座 1箇所
  地下施設 1箇所
  観測所 1箇所
  軍用地境界標 6本
  その他 1箇所

【探訪情報】
 2006.03.25  第1回探訪
 2006.12.02  第2回探訪

 歩数(指数) 約25,000歩(322)


詳細は、後ほどホームページ内で
ご紹介させていただきますねっ★


それでは、よい連休をっ★
←応援してくださいっ♪

サミット開催しますっ★

皆様、シルバーウィークを
いかがお過ごしでしょうか。

本年最後の大型連休ですので
仕事なんか忘れて、思いっきり
楽しみたいところですねっ★



三等兵の関係者様へご連絡ですっ★
明日(9月21日)は予定通り
サミットを開催させていただきます。

既にご連絡させていただいておりますが
11時に所定の場所にて戦闘配備に
ついてくださいませ(笑)


何といっても、三等兵の「師」でもあり
「重鎮(最強クラス)」でもあり、
「友人」でもある方々が、飲み会以外で
一堂に会すのは初めてなもので。。。

会場は古い建物でもあり
だらしない人間が管理していますので
多少の粗相は目をつぶってくださいね(拝)

それでは、明日を楽しみにしております♪


【本日の写真】
川崎航空機工業明石工場
高槻地下軍需工場↓

【祐実軍團】(32)日立航空機中藤地下軍需工場

皆様、木曜日をいかがお過ごしでしょうか。
三等兵は風邪真っ盛りですっ!

さてさて、今回は祐実軍團「軍報」の
第32弾といたしまして、
東京都武蔵村山市に疎開した
日立航空機立川発動機工場の
地下工場跡をご紹介させてくださいませ。

でも・・・
水路トンネルを活用した地下工場なので
新設地下壕マニアの皆様には
相手にとって十分不足する内容です。
申し訳ありません m(_ _)m


日立航空機は、航空機エンジンを
製作していた前身の東京瓦斯電気工業を
引き継ぐ形で、1939年(昭和14)に
設立された民間の航空機製作会社として
戦闘機の機体とエンジンの製造を行っており
約2,000機の航空機と約14,000基のエンジンを
実際に製造し、大森・羽田・立川・千葉に
製造工場を抱え、航空機エンジン部門では
総生産の約10%を占めており、当時の
中島・三菱・川崎に次ぐ航空機メーカーでした。

このうち立川工場は、エンジンの製造を
専門に取り扱う工場として1937年(昭和12)に
開設され、東京瓦斯電気工業時代から
稼動していました。最盛期には
14,000人もの工員がここに従事し、
月産350基ものエンジンを製造する
日立航空機最大のエンジン工場となりました。

1945年(昭和20)に入ると、本土空襲が
本格化し、立川工場の周辺には
立川航空機や陸軍航空廠・昭和飛行機などの
軍需工場が集中していたために
爆撃のターゲットにされ、空襲を受けてしまい
立川工場は約50%が壊滅しました。これを受け
生産ラインの分散疎開計画に基づき、
羽村から山口貯水池へ繋がる導水路の
トンネルを利用して工場の一部を疎開させ
エンジンの製造を継続させました。

現在、これらのトンネルのほとんどが
自転車の通行用トンネルに活用されています。


武蔵村山市にある自転車道の
トンネル群にやってきました↓


まずは横田トンネルからスタートです。
自転車道としてトンネルが4つ
連続しますっ。


横田トンネルの内部です↓



内部はコンクリート捲きで、照明も
ついており、ごく普通のトンネルです・・・
ブログのタイトルを見て、「おっ!」って
思われた新設地下壕マニアの皆様には
期待外れとなってしまいスミマセン・・・


赤堀トンネルです↓



御岳トンネルです↓



最後は赤坂トンネルです↓



ここで自転車道は反れるのですが
さらに砂利道を北側へ進みます↓



少し進むと、閉鎖されたトンネルが
1つだけ残っています↓



内部の様子です↓


水没しているうえに、不法投棄された
ゴミなどが散乱していますが
貫通していました。


【収録遺構】
 日立航空機立川発動機工場
 中藤地下軍需工場

  トンネル 5箇所

【探訪情報】
 2005.10.30 第1回探訪

 歩数(指数) 12,897歩(100)


詳細は、後ほどホームページ内で
ご紹介させていただきますねっ★
ご期待いただければ幸いですっ!


それでは、よい1日をっ★
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【阪奈軍團】(18)大津陸軍墓地

皆様、こんばんわっ★
水曜日をいかがお過ごしでしょうか。

三等兵は、職場で蔓延している
風邪菌に侵されてしまい、
午前中で職務を打ち切り
家で寝込んでおりました。。。

市販の薬とユンケル皇帝ロイヤルで
復調を目指していきますっ!


さてさて、本日は阪奈軍團「軍報」の
第18弾といたしまして、滋賀県大津市に
おかれていた大津陸軍埋葬地を
ご紹介させてくださいませ。


大津陸軍埋葬地は、大津市に
展開していた陸軍部隊の戦没者や
戦病没者の方々が埋葬されている
陸軍墓地で、1906年(明治39)年に
設置され、終戦まで存続しました。

終戦直後は、墓地周辺一帯が
進駐軍に接収されたため、立ち入りが
制限された時期があったようですが、
現在は返還されており、国道の
バイパス建設によって敷地の規模を
縮小しながらも、引き続き大津市で
丁寧に管理されており、墓標様や
軍用地境界標を見ることが出来ます。


大津市の皇子山にやってまいりました↓



墓標様は、現在も引き続き大津市で
丁寧に管理されています↓



墓地の境界にあたる部分には
軍用地境界標が残っています↓


標柱は、「陸軍地」と彫られており、
関東地方に残存する陸軍境界標では
お目にすることが出来ないパターンです。


【収録遺構】
 大津陸軍埋葬地
 (大津陸軍墓地)

  墓標様 1区画
  軍用地境界標 1本

【探訪情報】
 2014.12.06 第1回探訪

 歩数(指数) 4,696歩(100)


詳細は、後ほどホームページ内で
ご紹介させていただきますねっ★
ご期待いただければ幸いですっ!


それでは、本日はこのへんで
失礼させていただきますっ。
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【祐実軍團】(31)浅野綜合中学校防空壕

皆様、日曜日をいかがお過ごしでしょうか。
今日の関東地方は、雲が多く
パッとしない陽気ですね・・・

先日、茨城県・栃木県・宮城県の
周辺でおこってしまった大洪水は
2度と無いようにしてほしいです・・・
クソ雨っ!わかったかっ(怒)


さてさて、本日も祐実軍團ネタです。
今回は、神奈川県横浜市にある
浅野学園の防空壕のご紹介です。


浅野綜合中学校は、1920年(大正9)に
創立した私立中学校で、現在も
学校法人浅野学園として存続しています。

昭和に入り、太平洋戦争の末期になると
防空対策の一環で、銅像山の通称をもつ
山の下に、当時在籍していた生徒達を
動員し、防空壕を掘削しました。

現在は、全ての入口がコンクリートで
封鎖され、規模や構造をうかがい知ることは
出来ませんが、浅野学園で戦争遺跡として
保存しており、入口部分を見学することが
可能です。


横浜市の新子安周辺にやってきました↓



浅野学園の山下部分の擁壁に
封鎖された防空壕の入口が
数箇所見ることが出来ます↓



入口の痕跡です↓





保存意図がわかる案内板です↓


内部も公開してくれれば
満点なんですがね。。。


【収録遺構】
 浅野綜合中学校防空壕

  地下壕 1箇所

【探訪情報】
 2013.12.29 第1回探訪

 歩数(指数) 1,388歩(100)


詳細は、後ほどホームページ内で
ご紹介させていただきますねっ★


それでは、よい日曜日をっ★
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