2015年10月 - 戦争遺跡調査研究軍 祐実総軍

【祐実総軍】10,000アクセスありがとうございます

皆様、土曜日をいかがお過ごしでしょうか。
今日は天気もイマイチで寒かったですね。

さてさて、おかげさまで
ブログ・ホームページのアクセス数が
2014年11月のプレ開業以来で
2015年10月29日に10,000アクセスを
突破いたしました。ありがとうございます。


ちょっと、公私共に忙しい中での
到達と相成りまして、まだ準備段階ですが
当初の宣告通り、神奈川県横須賀市のほか
神奈川県横浜市・愛知県豊橋市・静岡県静岡市を
月曜日以降に順次公開していきます。

制作しながらの公開となりますので
はじめはショボイ内容となってしまいますが
是非ともご期待いただければ幸いです。

どうぞ今後とも
祐実総軍 ― 戦争遺跡データベース」を
よろしくお願い申し上げます m(_ _)m


意気込む祐実総軍プロデューサー↓


「パシリ」の三等兵↓



11月から色々と進化を遂げますよ~


【本日の写真】
神奈川県横須賀市におかれていた
横須賀海軍航空技術廠
技術将校寄宿舎の関連遺構ですっ★
(記録ホヤホヤです)


門柱↓


軍用地境界塀↓


軍用地境界標↓


軍用地境界標(推測)↓


防火水槽↓



皆様、本当にありがとうございますっ★

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【阪奈軍團】(22)陸軍大阪憲兵隊築港憲兵分隊尼崎憲兵分遣隊

皆様、おはようございます・・・
三等兵はダウンですっ
昨日の仕事で気力を全て使い果たし
身も心もボロボロでございます。
今日は静養させてくださいっ

静養の前に・・・
本日は阪奈軍團「軍報」の
第22弾といたしまして
兵庫県尼崎市におかれていた
大阪憲兵隊の尼崎憲兵分遣隊の
遺構をご紹介させてくださいませ。

なお、今回のご紹介と探訪にあたりまして
盡忠報國様の大日本者神國也
参考にさせていただきましたっ。
盡忠報國様のレポートは、三等兵が
理想とする掲載内容ですっ♪
ここまで精度を上げたいが、
今の三等兵のキャパでは無理です(涙)


尼崎憲兵分遣隊は、大阪港に
おかれていた築港憲兵分隊の
分署として1941年(昭和16)に
おかれました。

その後、1943年(昭和18)に
憲兵分遣隊から憲兵分隊へと
昇格し、1945年(昭和20)の
組織改正により、中部憲兵隊司令部の
神戸地区憲兵隊の隷下となり、
終戦まで組織が存続しました。

現在、敷地跡地は尼崎拘置支所と
なっており、建物系の遺構は
消失していますが、敷地の境界部分に
塀や石垣の一部が残っています。


尼崎市の阪神国道に来ています↓



尼崎拘置支所前に残る石垣部分です↓


「写真撮影はご遠慮ください」って
書かれているのを気付かず
撮影してしまいましたぁ・・・
申し訳ありません(涙)

もう1つの石垣部分です↓



軍用地境界塀も一部分で
残っており、拘置所の塀として
活用されています↓



ここから、バスで阪急電車の
阪神国道駅に移動して、西宮を
目指す三等兵でした~


【収録遺構】
 陸軍大阪憲兵隊築港憲兵分隊
 尼崎憲兵分遣隊

   軍用地境界塀 1箇所
   その他 2箇所

【探訪情報】
 2015.05.22  第1回探訪

 歩数(指数) 3,329歩(100)


詳細は、後ほどホームページ内で
ご紹介させていただきますねっ★


それでは、よい1日をっ♪
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【雑記】真己軍團キャラクター制作3・広島行き切符購入

皆様、こんばんわっ★
週初めをいかがお過ごしでしょうか。

三等兵は仕事も忙しい・ホムペの制作も
忙しいでテンテコマイでございます・・・


先日、広島行きの切符を買ってまいりました↓


ごめんなさい、一部を塗りつぶしてますっ。
旅行も兼ねているので、少し贅沢に
行かせていただきたいと思いますっ★


広島探訪の教科書です↓



もはや、自治体単位での網羅は
確実に無理だと判っていますが
やれる範囲で全力で巡り
真己軍團の初陣にしたいと思います。

とりあえず、牡蠣とお好み焼きは
確実に食しますっ★

あと、お酒も探訪に響かない範囲で
いただきたいですね~(笑)


真己軍團を構成する最後のキャラクターも
完成しましたっ↓


 中村朱里 先任参謀(鳥取)

  ※「HECTO ナル絵」ブログを管理している
  ナルナル様にお願いをさせていただき
  デザインしてもらったものとなります。
  この絵の所有権は私ですが、著作権は
  ナルナル様にありますので、くれぐれも
  無断転載はご遠慮くださいませ。


ヘッダーの修正も完了しました~
平時↓


マウスON時↓



あとは、11月の本格開業に向けて
ウェブページの制作ですねっ★

確実に間に合わないですが
頑張ってまいりますので
祐実総軍 ― 戦争遺跡データベース」を
今後ともよろしくお願い申し上げますっ!


それでは、皆様にとって
明日もいい日でありますようにっ★
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【祐実軍團】(39)陸軍東京湾要塞夏島砲台

皆様、金曜日をいかがお過ごしでしょうか。
明日・明後日と天気はよいようで★
そろそろ、藪漕ぎを伴う戦争遺跡調査も
出来そうでしょうかね・・・

さてさて、本日も祐実軍團「軍報」の
第39弾といたしまして、神奈川県横須賀市に
おかれていた陸軍東京湾要塞の
夏島砲台の遺構をご紹介させてくださいませ。


夏島砲台は東京湾要塞の 1つで、
横須賀軍港を防御する目的で
1889年(明治22)に竣工し、
1892年(明治25)に24センチ臼砲を
6門据え付けて日清戦争の
戦備につきました。

日清戦争が終結した後の
1901年(明治34)には、24センチ臼砲を
4門追加配備し、一時は10門となりましたが
日露戦争で戦地が砲不足となったため
全門を撤去して追送され
1913年(大正 2)に廃止されました。

廃止後、敷地は海軍へ移管されて
横須賀海軍航空隊の敷地となりました。

戦後、敷地は夏島貝塚として保存されており
遺構の一部が現存しています。


ハアハア、横須賀市の夏島に来ました↓



1つ目の砲座部分です↓



2つ目の砲座部分のアップです↓



1つ目の砲側掩蔽部です↓


こちらは良好な状態で残っており
内部を見学することも可能ですっ★


2つ目の砲側掩蔽部です↓


こちらは入口部分が封鎖されており
中に入ることが出来ません・・・


3つ目の砲側掩蔽部です↓


こちらは関東大震災当時の
地盤ストレスがどのようにかかったか
なんとなく把握出来ますっ!


右翼観測所掩蔽部跡です↓


残念ながら、関東大震災によって
崖崩れをおこしているため、
一部分しか残っていません・・・


砲台がおかれた場所の奥には
電灯所がおかれていましたが、
こちらは別掲載とさせてくださいませ。


【収録遺構】
 陸軍東京湾要塞
 夏島砲台

  砲座 2箇所
  地下施設 4箇所

【探訪情報】
 2005.05.01 第1回探訪
 2007.02.04 第2回探訪
 2007.02.17 第3回探訪

 歩数(指数) 約5,000歩(999)


詳細は、後ほどホームページ内で
ご紹介させていただきますねっ★
ご期待いただければ幸いですっ!

明後日は、いよいよ広島行きの
切符を買う予定ですっ♪

それでは、おやすみなさいませっ★
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【祐実軍團】(38)陸軍東京湾要塞腰越保塁砲台

皆様、こんばんわっ★
寒くなってきましたね・・・

さてさて、本日は祐実軍團「軍報」の
第38弾といたしまして、
神奈川県横須賀市におかれていた
陸軍東京湾要塞の腰越保塁砲台の
遺構をご紹介させてくださいませ。


腰越保塁砲台は東京湾要塞の 1つで
海方向を向く観音崎諸砲台の背後より
上陸侵攻する敵に対する防備を
目的として、1894年(明治27)に
設置されました。

設置当初は背面防備を目的とする
堡塁としての役割を担っていましたが
日清戦争の終戦後に堡塁砲台へ改造し
1897年(明治30)に9センチカノン砲を
2門据付けて防備にあたりました。

日露戦争を経て大正時代に入ると
装備が旧式であったため、
1925年(大正14)に防御営造物より
除籍されました。

現在、「うみの子とりで」という広場に
なっていますが、当時の遺構群が
わずかに現存しています。


ハアハア、観音崎公園内に来ております↓



砲座部分ですが、遊具類に阻まれて
景観が悪いですっ↓


景観は悪いのですが、この周辺で
たくさんの子供たちが遊んでいる
風景は実に平和です。

観音崎公園内に残る砲台群の中で
ある意味、もっとも注目されている
場所なのかもしれません (嬉)


砲座の背面には弾薬庫とおぼしき
掩蔽部跡が2箇所見ることが出来ます。

まず1つ目です↓


2つ目の掩蔽部でございます↓



当時の階段です↓



【収録遺構】
 陸軍東京湾要塞
 腰越保塁砲台

  砲座 1箇所
  地下施設 2箇所
  その他 1箇所


【探訪情報】
 2005.04.29 第1回探訪
 2014.05.24 第2回探訪

 歩数(指数) 約5,000歩(440)


詳細は、後ほどホームページ内で
ご紹介させていただきますねっ★
ご期待いただければ幸いですっ!


それでは、おやすみなさいませっ★
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【祐実軍團】(37)横須賀海軍警備隊第一高射機銃大隊夏島防空砲台

皆様、火曜日をいかがお過ごしでしょうか。
昨日はブログの更新をサボりました。。

ちょっと、色々と嫌なことがありましてね
何にもする気がおきませんでした・・・


さてさて、本日は祐実軍團「軍報」の
第37弾といたしまして、神奈川県横須賀市に
おかれていた横須賀海軍警備隊の
夏島防空砲台の遺構をご紹介しますっ★


夏島防空砲台は、横須賀軍港を統括した
横須賀海軍鎮守府の隷下におかれ、
軍港周辺に対する防衛任務についた
横須賀海軍警備隊が守備する
防空砲台として、横須賀海軍航空隊
横須賀海軍航空技術廠の重要施設を
防衛することを目的に1944年(昭和19)に
建設されました。

ここには、同隊の傘下におかれた
第一高射機銃大隊下の兵員が配置され
25ミリ連装機銃を 2基据付けて
防備にあたりました。

現在、敷地は夏島貝塚として
保存されており、手付かずの状態と
なっているため、当時の遺構が
多く残っています。


ハアハア、夏島の高台にきました↓



機銃座と思われます↓



水槽です↓



軍用地境界標を転用した
「海軍測点」の標柱です↓



これも当時の遺構と思われますが
用途は判りませんでした・・・↓



当時の建物基礎です↓


周辺には電纜(ケーブル)を張り巡らせた
痕跡が残っていますよっ♪


地下壕も残っていますが
残念ながら全ての入口が
コンクリートで封鎖されています↓



2区画にわたっているようです↓



【収録遺構】
 横須賀海軍警備隊
 第一高射機銃大隊
 夏島防空砲台

  砲座 1箇所
  建物基礎 1箇所
  地下壕 2箇所
  その他 3箇所


【探訪情報】
 2005.05.01 第1回探訪
 2007.02.04 第2回探訪
 2007.02.17 第3回探訪

 歩数(指数) 約5,000歩(999)


詳細は、後ほどホームページ内で
ご紹介させていただきますねっ★
ご期待いただければ幸いですっ!


それでは、おやすみなさいませっ★
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【美恵軍團】(14)陸軍第十五師団工兵第十五大隊

皆様、日曜日をいかがお過ごしでしょうか。

三等兵は、11月以降の本格始動に向けて
プロデューサーと本格協議に入ります♪
組織を創設するのって、色々な意味で
簡単にはいかないものなのですね・・・


さてさて、本日は美恵軍團「軍報」の
第14弾といたしまして、
愛知県豊橋市におかれていた
陸軍第十五師団の工兵第十五大隊の
遺構をご紹介させてくださいませ。


工兵第十五大隊は第十五師団の
隷属部隊として1908年(明治41)に
創設されました。

その後、1925年(大正14)の軍縮で
第十五師団の廃止にともない解隊され
第三師団に隷属する工兵第三大隊が
移駐し、日中戦争に突入すると
ここで独立工兵第四連隊も編制され、
どちらも出征先で終戦を迎えました。

現在、兵営跡地は向山墓苑となっており
当時の面影がほとんどありませんが
墓苑内に演習用のものと考えられる
コンクリート製のトーチカが残っています。


豊橋鉄道の柳生橋駅に来ております↓


ここからトボトボと向山墓苑に向かいます。


墓苑内には工兵隊の碑があります↓



演習用トーチカが残っています↓


銃眼部分のアップです↓


内部の様子です↓



独立工兵第四連隊の碑も
墓苑内におかれていますよ↓
P1060749.jpg


【収録遺構】
 陸軍第十五師団
 工兵第十五大隊
 (陸軍第三師団
 工兵第三大隊,
 陸軍独立工兵第四連隊)

  地下施設 1箇所

【探訪情報】
 2013.09.20  第1回探訪

 歩数(指数) 3,882歩(100)


それでは、よい1日をっ★
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【阪奈軍團】(21)陸軍高射第三師団高射砲兵第一二二連隊尼崎高射砲台

皆様、週末をいかがお過ごしでしょうか。
三等兵は来週以降の調査に向けて
充電をしておりますっ★

世の中、捨てる神あれば拾う神ありと
よくいったものですね~(笑)

いやね、他人事ながら
1度捨てた神が、悪びれもなく
再び拾いに来た光景を見ましてね。
結果として、その方は再び
拾われてメデタシ(?)だったのですが
拾われてしまうんだ~と思って。。。

私なら絶対に拾われることはないです。
だって、1度捨てたじゃないかっ!って
思っちゃうし、「捨てる」という行為が
結果「間違っていた」ことについて
全くお咎めなしじゃないですか~
そこが一切触れられずに復縁は
絶対「なし」ですねっ!

その時に相手がいくら悪かったとしても
軽はずみな言動や行動をとったことで
後々こんな顛末にならないように
気を付けたいところですね。
どんな理由であれ、岐路に立たされた時
一時の感情で簡単に突き放すか、
それともグッと堪えて手元におくかの
選択は是非とも慎重に・・・
三等兵も、気を付けなければ。。。


さてさて、今日は阪奈軍團「軍報」の
第21弾といたしまして兵庫県尼崎市に
おかれていた尼崎高射砲台の遺構を
ご紹介させてくださいませ。


尼崎高射砲台は、扶桑町におかれた
住友金属のプロペラ製造所を中心とする
軍需工場の防衛を目的として
1945年(昭和20)に設置されました。

ここには九九式 8センチ高射砲を
6門据え付け、高射第三師団に所属した
高射砲兵第一二二連隊が
配備についていました。

現在、跡地は尼崎市役所や橘公園などに
変遷し面影がありませんが、
一部の砲座が橘公園内に現存しており
見学することが可能です。


尼崎市にお邪魔しております↓



橘公園内に砲座が2つ残っています。
1つ目の砲座です↓


2つめの砲座です↓



是非とも案内板もつけて欲しいです★


【収録遺構】
 陸軍高射第三師団
 高射砲兵第一二二連隊
 尼崎高射砲台

   砲座 2箇所

【探訪情報】
 2015.05.22  第1回探訪

 歩数(指数) 4,209歩(100)


詳細は、後ほどホームページ内で
ご紹介させていただきますねっ★


それでは、よい週末をっ!
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【和泉軍團】(12)陸軍宇都宮憲兵隊

皆様、木曜日をいかがお過ごしですか?
最近は、朝夕が冷えてきましたね・・・


さてさて、本日は和泉軍團「軍報」の
第12弾といたしまして、栃木県宇都宮市に
おかれていた宇都宮憲兵隊の
遺構をご紹介させてくださいませ。


宇都宮憲兵隊は、宇都宮に
第十四師団と配下部隊が展開したことで
設置されました。

憲兵とは軍事警察官のことで
軍の内部情報や情勢などが
外部に漏れないように取り締まる
役割を持っており、著作物の検閲をはじめ
国民の言動・思想などにも
目を光らせていたため、周辺からは
恐れられた存在でした。

現在、敷地跡は宇都宮市の中心部に
位置しているために雑居ビルや住宅が
密集しており、当時の面影は
残っていませんが、境界部分に
遺構が少し残っています。


北関東地方で最大規模を誇る
宇都宮市の中心部に来ております↓



桜2丁目交差点付近の
大通りから少し入った場所に
軍用地境界塀の一部が残っています↓



当時の通用門でしょうか↓



軍用地境界標であるものと思われます↓



大通り沿いに位置する読売旅行ビルの
近くにも軍用地境界標が
残っています↓


こちらには憲兵隊の派出所が
おかれていたようです。


軍用地境界塀もわずかに残ってました↓



【収録遺構】
 陸軍宇都宮憲兵隊

  門柱 1箇所
  軍用地境界塀 2箇所
  軍用地境界標 2本

【探訪情報】
 2013.02.09 第1回探訪

 歩数(指数) 約2,000歩(100)


詳細は、後ほどホームページ内で
ご紹介させていただきますねっ★


大変申し訳ありませんが、明日は
「送別会」があるので、軍報の掲載を
お休みさせていただきます m(_ _)m


それでは、よい1日をっ★
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【祐実軍團】(36)陸軍通信学校

皆様、連休後の平日を
いかがお過ごしでしょうか?

三等兵は、前歯が折れてしまい
身も心もボロボロでございます(笑)


さてさて、本日は祐実軍團「軍報」の
第36弾といたしまして、
神奈川県相模原市におかれていた
陸軍通信学校の遺構を
ご紹介させてくださいませ。


陸軍通信学校は、無線通信に
関係する機器類の取り扱いや、
通信技術の教育を行うことを目的に
開設された教育機関で、設立時は
東京の中野に施設がおかれていましたが、
生徒数が増加したために手狭となり
同時期に同じ理由で新設された
相武台の本科士官学校演習場に目をつけて、
1939年(昭和14)に施設を相模原に移しました。
ここでは、通信に関わる学理・技術の修得や、
軍用鳩の育成などが行われ、終戦の閉鎖までに
3,000名近い生徒が教育を受けました。

現在、跡地は相模女子大学や市営団地・
大野南中学校などに変遷していますが、
このうち相模女子大学内に当時の
遺構が残っています。


神奈川県相模原市南区にある
相模女子大学に来ましたっ↓


大学内なので、敷地立ち入りのための
手続きを衛所で済ませますっ★

総軍元帥:旧陸軍の通信学校の
     遺構を是非見学させて
     いただきたいと思いまして
     埼玉県から来たのですが・・・

守衛さん:キミたち、よく通信学校跡って
     知ってるね~(驚)
     そうなんだよ、ここはね
     通信学校の跡地で、遺構も
     たくさん残ってるんだよっ!
     せっかくだからパンフを・・・

総軍元帥:あっ、ありがとうございますっ♪
      (私を誰だと思ってるんだ~ 笑)

守衛さん:入ってすぐの建物がね、
     集会所の跡でね・・・
      (途中省略)
     是非、見て行ってよっ★

総軍元帥:いや~、よくご存じでっ♪
     詳しいですね~★
      (私を誰だと・・・・ 笑)

実は、ここには過去に何回か
訪れていたのですが、
写真を全消失させてしまうポカを
やらかしましてね・・・

今回は撮り直しが目的で再訪してるので
我々が知っていて当然なんです・・・(汗)

でも、関係者の方々が写真を
たくさん保有しているので、ホムペ用に
いただいてクローズしようと思ったのですが
良くも悪くも、7年前の三等兵は
相模原市民だったということもあり
その誇りにかけようと思ったのですっ★


そこのけそこのけ、
総軍大元帥が通りまっせ(笑)↓


日曜日なんで誰もいないけど(プッ)


まず、門柱です↓



将校集会所です↓



将校集会所の庭園です↓



付属建物です↓



おそらく、これらも当時のものと
思われますが・・・(抜粋)↓



防空壕の入口跡といわれてます↓



陸軍徽章入りのマンホールです(抜粋)↓



校内の中心部分には
大学の人気者であるバニラちゃんが
いらっしゃいますよ↓


日曜日なんで、学生が誰もおらず
少し寂しそうでした・・・


これは、間違いなく当時の建物基礎です↓


まだ健在でよかったですっ★


敷地北側にも給水施設の遺構群が
残っています。

まずは給水塔です↓



貯水施設の遺構と思われます↓



量水器の蓋です↓



制水器の蓋です↓



個人的にはこの煙突も
怪しい感じがしていますが・・・↓


形状から、焼却施設でしょうね・・・


一通り、見学した後は
守衛さんに深々とお礼を申し上げ
大学を後にしました~っ!


【収録遺構】
 陸軍通信学校

  建物 5棟
  門柱 1箇所
  建物基礎 1箇所
  地下施設 1箇所
  その他 9箇所

【探訪情報】
 2007.09.30 第1回探訪
 2008.09.14 第2回探訪
 2008.11.22 第3回探訪
 2015.10.11 第4回探訪

 歩数(指数) 約50,000歩(999)


詳細は、後ほどホームページ内で
ご紹介させていただきますねっ★
ご期待いただければ幸いですっ!


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