戦争遺跡のご紹介やホームページの制作状況などを綴っていきます♪

総軍BLOGへようこそっ!

♦ プロフィール

祐実総軍三等兵

Author:祐実総軍三等兵
全国に残る戦争遺跡を探訪して
記録することを生き甲斐とする
祐実総軍三等兵でございます★
稚拙な内容ではございますが、
これまで調べてきた戦争遺跡を
ブログ・ホームページで紹介を
させていただいておりますっ♪

よろしくお願いしますm(__)m

♦ 最新記事

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皆様、こんばんわっ★
水曜日をいかがお過ごしでしょうか。

最近、Amazonで本を買いまくってましてね。
ここのところ、色々なご縁をいただきまして
明治期の日本の火力と太平洋戦争末期の
本土決戦構想(沖縄・硫黄島除く)について
勉強中ですっ★

ここ数日で届いた本です(笑)↓


なんせ、田舎モンなもので、
通勤に費やす往復3時間を
全て読書に費やせば、こんな量は
大したことないですね(笑)

どんなこと書かれているのかなっ♪
我々と同じくらい実地探訪とかして
書籍に綴っているのかな・・・
な~んてワクワクしちゃいます(笑)

また明日、3冊届く予定です(笑)
関係者の皆様には負けますがね、
アマチュアとしての意地はありますっ★

これからも頑張りますので
応援よろしくお願いします m(_ _)m


さてさて、おネムにしましょうかねっ♪
←応援してくださいっ♪
皆様、月曜日をいかがお過ごしでしょうか。
ここのところ、寒い日が続いてますね。。。
東京の中心でも朝方は氷点下だったとか・・・

さてさて、本日は阪奈軍團「軍報」の
第25弾といたしまして、和歌山県和歌山市に
おかれていた友ヶ島電灯所の遺構を
ご紹介させてくださいませ。


友ヶ島電灯所は由良要塞の1つで
電灯機関舎を有する探照灯(サーチライト)の
運用施設として建設されました。

ここには120cm射光器や雑具庫・付属庫などが
設置され、発電所から照明座までの間に
架柱を植立して電線を通し送電していました。

現在、沖ノ島の全域が国立公園として整備され
簡単に見学することが可能ですが、
保存対策は特に講じられていないので
注意が必要です。


友ヶ島にお邪魔しております↓


ここから、北垂水方面に進んでいきますっ★


遊歩道に沿って、発電所と照明座を結ぶ
当時の送電線の支柱群が残っています↓



探照灯格納庫です↓



井戸もあります↓



これも当時の遺構でしょうね↓



格納庫横の階段を上がると
電灯井が口を開けています↓



ここから、友ヶ島第三砲台へ進んでいくと
発電施設の建物が残っています↓


発電施設は第三砲台の中にあるので
第三砲台に電力を供給する発電所と
間違えそうですが、電線跡の残存により
電灯機関舎であることが判ります。

このような配置は大変珍しいものと
思われます。


建物基礎も周辺に残ります↓



せっかくなので、次回の阪奈軍團「軍報」は
友ヶ島第三砲台をご紹介いたしますね。


【収録遺構】
 陸軍由良要塞
 友ヶ島電灯所

  建物 1棟
  建物基礎 1箇所
  地下施設 1箇所
  その他 4箇所

【探訪情報】
 2008.03.16  第1回探訪

 歩数(指数) 約2,500歩(100)


後ほどホームページ内で
ご紹介させていただきますねっ★


それでは、またお会いしましょうっ♪
今日の夕飯はカレーです(笑)
←応援してくださいっ♪
皆様、週末をいかがお過ごしでしょうか。
ちょっと、仕事の関係で金曜日以降から
更新が途絶えてしまいました・・・
申し訳ありませんm(_ _)m

ハッキリ言って、私は嫌な仕事をするために
生まれてきたわけではありません。
全ては「生きるため」に渋々しているだけで
仕事に全てを捧げられてしまう方々とは
私は違うし、やりたいことが
たくさんあるのですよっ(怒)
もっとも、やりたいことを仕事に出来ない
当方にも問題がありますが・・・

さてさて、意味深なボヤキはこれくらいにして
本日は祐実軍團「軍報」の第58弾として
神奈川県三浦郡葉山町におかれていた
葉山防空砲台の遺構をご紹介させて
くださいませ。

ちなみに、今回で当方が保有している
葉山町の遺構情報は終了となります。
ホームページの完成にご期待くださいませ。


葉山防空砲台は横須賀軍港を統括し
横須賀海軍鎮守府の隷下におかれ
軍港の防衛任務を担当した
横須賀海軍警備隊が守備する砲台で
葉山御用邸と周辺軍事施設を防衛する目的で
1944年(昭和19)に建設されました。

ここには、12.7センチ高角砲を 2門と
25ミリ連装機銃を 2基・13ミリ機銃を
1基据え付けて防備にあたりました。

現在、跡地の大半が国土交通省の
東京航空局横須賀VOR―DME局と
なっているため、高角砲の砲座は
消失していますが、機銃座や建物基礎が
少し残っています。


横須賀市の久留和グラウンドに
お邪魔しております↓



葉山防空砲台の遺構は、横須賀市と
葉山町にまたがって残っています。

まずは、既に拙ホームページでも
ご紹介させていただいておりますが
横須賀市側に残る機銃座です↓


現在、横須賀市側で確認出来ている遺構は
これだけです(きちんと見れていません)。


葉山町側にも機銃座が残っています↓



また、当時の建物跡も残っています↓



【収録遺構】
 横須賀海軍警備隊
 第四高角砲大隊
 葉山防空砲台

  砲座 1箇所(横須賀市)
  砲座 1箇所(葉山町)
  建物基礎 1箇所(葉山町)

【探訪情報】
 2006.06.04  第1回探訪

 歩数(指数) 約10,000歩(100)


後ほどホームページ内で
ご紹介させていただきますねっ★

別件ですが、以下の案件を
リリースしておりますので、
お時間がある時にでも
見てやってくださいませ m(_ _)m

 ・群馬県館林市
  熊谷陸軍飛行学校館林文教所(1)

 ・茨城県つくば市
  陸軍航空士官学校西筑波分教所(1)
  霞ヶ浦海軍航空隊谷田部分遣隊(5)


それでは、月曜日も頑張ってくださいっ★
(当方はまったく頑張る気なしです・・・)
←応援してくださいっ♪
皆様、水曜日をいかがお過ごしでしょうか。
三等兵は忙しくしております・・・
一部の地域(当方の住まいを含む)は
雪が完全に溶けきれていないので
晴れててもサムサムです。。。


さてさて、本日も前回に引き続き
祐実軍團「軍報」の第57弾といたしまして
神奈川県三浦郡葉山町の遺構を
ご紹介させてくださいませ。


なお、今回ご紹介させていただく
遺構の写真は、当方で所有する写真を
全消失するポカをやらかした関係で、
重鎮中の重鎮であるOKN先生から
ホムペ公開用に提供いただいたものと
なります(無断転載はダメよっ!)

長くなってしまいましたが、今回は
横須賀海軍施設部が掘削した
長柄地下壕のご紹介でございますっ。


海軍施設部は、海軍で使用する飛行場や
陣地などの施設を設営する部門で、
各鎮守府内にそれまでおかれていた
建築部の改編によって1943年(昭和18)に
設けられました。

現在のところ、詳細を把握出来ていませんが
横須賀海軍施設部により、葉山町に
地下施設の建設が太平洋戦争の末期に
進められたようで、これに関連すると
推測する地下壕の存在が
実地調査で判明しています。


長柄地区に来ております↓
(場所は諸事情で伏せます。申し訳ありません)



ここ掘れワンワンみたいなことをします↓
(左が三等兵ですが、この当時は四等兵です)



ワンワンした後、滑り込みます↓



内部の様子です↓


写真の通り、崩落は少ないのですが
掘削途中だったようで、
左右に分岐する連絡道があるものの
どの坑道にも接続していません・・・


階段部分も設けられています↓
P1000406.jpg


坑道の総延長は93メートルと短いですが
達成感はハンパなかったです(笑)
また、この時代の三等兵は、
関係者の皆様とともに、ある意味で
「礎」を築きあげていたと信じています。


【収録遺構】
 横須賀海軍施設部
 長柄地下施設

  地下壕 1区画

【探訪情報】
 2006.11.12  第1回探訪

 歩数(指数) 約1,000歩(100)


後ほどホームページ内で
ご紹介させていただきますねっ★


それでは、おやすみなさいませっZzz
←応援してくださいっ♪
皆様、月曜日をいかがお過ごしでしょうか。
今日の関東地方は、朝方は大雪で
大変でしたね・・・

さてさて、本日も前回に引き続き
祐実軍團「軍報」の第56弾といたしまして
神奈川県三浦郡葉山町の遺構を
ご紹介させてくださいませ。

今回は、海軍東京湾要塞地帯標を
3つばかり掲載させていただきます m(_ _)m


同じご説明となりまして恐縮ですが
東京湾要塞は日本の本土におかれた
12箇所の永久要塞のうちの 1つで、
1895年(明治28)の要塞司令部条例により、
永久的な防御工事が施されている場所は
「要塞」とされ、海軍の場合は砲台や
軍港が「要塞地帯」と定義されました。

また、これに伴う法律も公布されており、
軍事機密保持のため、要塞地帯に
指定された区域の中での測量や撮影・
スケッチ・土木工事などは、
要塞司令部の許可がないと出来ませんでした。

これらの防御営造物より
250間(約455メートル)以内を
特に「要塞地帯第一区」として
一般人の立入りが禁止され、
衛兵が守備していました。

また、その距離に応じて「第二区」・
「第三区(区域)」が設定され、
これらを明確にするためその境界部に
要塞地帯標が設置されました。

要塞地帯を定義する法律は、
数度にわたって改正されましたが、
最終的に防御営造物から
1,000メートル以内を第一区・
5,000メートル以内を第二区・
15,000メートル以内を第三区(区域)と
当初よりも大幅に拡大されました。

葉山町については軍港や防空砲台からの
距離に応じた要塞地帯標が現存しており、
見学することが可能です。


前回の畠山砲台の場所から
登山道を歩いていきます↓



登山道沿いに、要塞地帯標が
3本見ることができますよっ★


まず、12号です↓



続いて13号です↓


うむむ・・・
登山道の案内板に転用されている
ようですね。。。


最後に14号です↓


ぐむむぅ・・・
残念すぎる残存状態です(涙)


ちょっと写真が荒いですが
夏島方向が見渡せます↓



【収録遺構】
 海軍東京湾要塞(葉山町)

  軍用地境界標 3本

【探訪情報】
 2007.01.28  第1回探訪

 歩数(指数) 約12,000歩(100)


後ほどホームページ内で
ご紹介させていただきますねっ★


それでは、おやすみなさいませっZzz
←応援してくださいっ♪
皆様、日曜日をいかがお過ごしでしょうか。
今日の関東地方は、夕方から雨だそうですね。
今は晴れてるのに・・・

調査を実施中の皆様はお早めに・・・


さてさて、本日も引き続き祐実軍團「軍報」の
第55弾といたしまして、神奈川県三浦郡葉山町に
おかれていた畠山防空砲台の遺構を
簡単にご紹介させてくださいませ。


畠山防空砲台は、横須賀軍港を統括した
横須賀海軍鎮守府の隷下におかれ、
軍港周辺の防衛任務を担当した
横須賀海軍警備隊が守備する防空砲台で
太平洋戦争中に設置されました。

ここには、12センチ高角砲が 4門据え付けられ
128名の人員が配備についていたようです。

現在、跡地は鬱蒼とした山林となっており、
当時の遺構は埋没しているようですが
砲座とおぼしき円形の窪みを
3ヶ所確認することが出来ます。


横浜横須賀道路の横須賀インター付近に
お邪魔しておりますっ↓



ここから南西方向の山を上がっていきます↓



山道をハアハアしながら上がると
広場に出てきますよ↓



この周辺に砲座とおぼしき円形の
窪みが3箇所残っています。


まず1つ目です↓


2つ目です↓


3つ目です↓



くはぁ~(笑)
写真じゃ全然判りませんね・・・
撮影の技量がなくて申し訳ないです(涙)


【収録遺構】
 横須賀海軍警備隊
 第一高角砲大隊
 畠山防空砲台

  砲座 3箇所

【探訪情報】
 2007.01.28  第1回探訪

 歩数(指数) 約25,000歩(100)


後ほどホームページ内で
ご紹介させていただきますねっ★

別件ですが、本日の夜に
以下の案件をリリースしますね。。。

 ・神奈川県相模原市
  陸軍通信学校(17)
  臨時東京第三陸軍病院(1)

 ・神奈川県横浜市
  海軍気象部(1)

 ・千葉県千葉市(前日日付で掲載)
  陸軍鉄道第一連隊演習線(3遺構追加)


それでは、よい休日をっ♪
←応援してくださいっ♪
皆様、土曜日をいかがお過ごしでしょうか。
仕事・家族のこと・遠征のこと・ホムペ制作と
色々ありまして、挫折しそうです・・・

さてさて、本日は祐実軍團「軍報」の
第54弾といたしまして、
神奈川県三浦郡葉山町におかれていた
二子山防空砲台の遺構を
簡単にご紹介させてくださいませ。


二子山防空砲台は、横須賀の軍港を
統括した横須賀海軍鎮守府の隷下におかれ
軍港周辺の防衛を担当した
横須賀海軍警備隊が守備する
砲台で、1944年(昭和19)におかれました。

ここには、12センチ高角砲が
4門据え付けらたほか、探照灯や
機銃なども設置されて
102名の人員が配備についていたようです。

現在、跡地はKDDIの通信施設や、
二子山山頂から景色を堪能するための
展望台が設置されており整備されていますが
砲座と推測出来る円形の窪みや
コンクリート製の探照灯台座が残っています。


南郷上ノ山公園にお邪魔しております↓



ここから当時の軍道とおぼしき
山道を南下していきます↓



高角砲座です↓



少し林に入ると、機銃座もあります。
(判りづらくてスミマセン・・・)↓



砲座から少し北に下ると、探照灯の
台座といわれる構造物が2つ残っています。

1つ目です↓


2つ目です↓



【収録遺構】
 横須賀海軍警備隊
 第一高角砲大隊
 二子山防空砲台

  砲座 2箇所
  その他 2箇所

【探訪情報】
 2006.12.24  第1回探訪

 歩数(指数) 約10,000歩(100)


後ほどホームページ内で
ご紹介させていただきますねっ★
今、葉山町の制作をしているので
制作がてら、明日から数回は
葉山町に残る遺構を本ブログで
ご紹介させていただきますねっ♪

それでは、よい週末をっ♪
←応援してくださいっ♪
皆様、おはようございますっ★

今週は色々ありまして、
バタバタしております・・・
(去年の暮れもこんなことを言ってたような)


さてさて、本日は真己軍團「軍報」の
第7弾といたしまして、広島県広島市に
おかれていた広島陸軍地方幼年学校の
遺構を1つだけご紹介させてくださいませ。


幼年学校は、幼少時から陸軍の将校候補を
養成するための教育機関で、
1896年(明治29)に中央幼年学校が
東京に設置され、主要都市であった
仙台や広島・熊本などにも地方幼年学校が
設置されました。

広島地方幼年学校では、13歳から16歳で
入校し、有料で 3年間の教育を行い、
卒業後は中央幼年学校・士官学校への
進学ルートがありました。

大正に入ると広島幼年学校に改称し、
その後の軍縮で廃止されますが
1936年(昭和11)に復活し、太平洋戦争の
終戦まで存続しました。

現在、敷地跡地は市立白鳥小学校などに
変遷し、面影がない状態ですが
当時の門柱が移設保存されています。


広島城の北東にお邪魔しております↓


おピンちゃん先生を鼓舞しながら
今回も巡っていきます(笑)


幼年学校の遺構は残っていないようですが
門柱だけが移設保存されています↓



周辺には幼年学校の説明板や
当時の軍用地が判る地図が
設置されておりますっ↓



それにしても、原爆の威力って
本当に凄かったのですね・・・
広島に来れたおかげで
身が引き締まりましたっ!


【収録遺構】
 広島陸軍地方幼年学校
 (広島陸軍幼年学校)

  門柱 1箇所

【探訪情報】
 2015.11.20  第1回探訪

 歩数(指数) 522歩(100)


詳細は、後ほどホームページ内で
ご紹介させていただきますねっ★

それでは、よい週末をっ♪

←応援してくださいっ♪
皆様、水曜日をいかがお過ごしでしょうか。
総軍プロデューサーが急性胃腸炎で
寝込んでおり、ちょっと心配です・・・


さてさて、本日は祐実軍團「軍報」の
第53弾といたしまして、神奈川県三浦市に
おかれていた横須賀海軍鎮守府の
浜諸磯洞窟砲台をご紹介させてくださいませ。


浜諸磯洞窟砲台は、太平洋戦争末期に
アメリカ軍が計画した「コロネット作戦」と呼ぶ
日本本土上陸作戦に備えるために
日本軍が策定した水際決戦の一環で
構築された洞窟砲台で、15センチカノン砲が
2門据付けられました。

終戦後は、砲室内に別荘が建てられて
住居に活用されていましたが、
現在は廃墟状態であるものの、
坑道は完存しており、内部見学が可能です。


神奈川県三浦市の諸磯海岸に来ました↓



洞窟砲台の入口です↓



坑道を進んでいくと、分岐をしながら
2つの砲室に接続しています↓



1つ目の砲室部分です↓



砲室と砲側弾薬庫は全面コンクリートで
造られていますが、接続する坑道や
棲息部は素掘り構造となっています。


2つ目の砲室ですが、内部に住居が
建てられていたため(現在は廃墟)
写真ではあまり判りませんね・・・↓



砲側弾薬庫も全面コンクリート製です↓



2つの砲室は、最深部で緩いV字を描く
坑道に接続されています↓



坑道の総延長は227.5mを計測しましたっ★


【収録遺構】
 横須賀海軍鎮守府
 浜諸磯洞窟砲台

  地下壕 1箇所


【探訪情報】
 2006.01.09  第1回探訪 
 2006.08.06  第2回探訪

 歩数(指数) 約5,000歩(194)


詳細は、後ほどホームページ内で
ご紹介させていただきますねっ★


それでは、またお会いしましょうっ♪
←応援してくださいっ♪
皆様、連休はいかがでしたか?
三等兵も栃木・群馬と充実した
探訪が出来ましたっ★

さてさて、更新が2日ほど滞りましたが
本日も祐実軍團「軍報」の第52弾として
神奈川県横須賀市におかれた
長者ヶ崎洞窟砲台の遺構群を
ご紹介させてくださいませ。


長者ヶ崎洞窟砲台は、アメリカ軍が計画をした
「コロネット作戦」と呼ぶ日本本土上陸作戦に
備えるため、日本軍が策定した
水際決戦の一環で構築された
洞窟式の砲台で15センチカノン砲が
2門据付けられました。

砲は 1門が南を向き佐島洞窟砲台と
十字砲火を形成し、もう 1門は西を向き
江ノ島洞窟砲台と十字砲火を形成する
構成となっていました。

現在、残念ながら南側の砲口は崩れていますが
西側の砲口はホテル音羽の森の敷地内に
位置し、教会に活用されており
見学が可能であるほかに、監視所や
洞窟陣地の遺構が周辺に残ります。


横須賀市の秋谷地区に来ております↓



ホテル音羽の森の敷地内に
洞窟砲台が残っています↓


2006年12月の探訪時点では
写真のような廃墟状態でしたが
現在はホテルの施設として
整備されていますっ★
(確かチャペルかな・・・・
違っていたらゴメンナサイ)


砲を据え付けたボルト痕が残ります↓



砲室に接続する形で弾薬庫も残ります↓



砲室から海を見るとこんな感じです↓


海なんか見えないですね・・・


砲室の近くに指揮所と思われる
石積みの遺構が残っています↓



石積みの遺構の背面には
地下通路が残っていますが
残念ながら、左に曲がったところで
崩落しちゃっています・・・↓



監視所と思われる遺構です↓


残念ながら入口部分は埋没しており
内部に入ることは出来ません・・・↓



もう1つ残ります↓


こちらも入口が埋没しており
内部に入ることは出来ません・・・↓



長者ヶ崎の海岸には
背面に掘削されていたと考えられる
洞窟陣地の銃眼部分が
残っていますよっ↓



【収録遺構】
 横須賀海軍鎮守府
 長者ヶ崎洞窟砲台

  地下施設 4箇所
  地下壕 1箇所
  その他 1箇所

【探訪情報】
 2006.10.01  第1回探訪 
 2006.12.24  第2回探訪

 歩数(指数) 約10,000歩(226)


詳細は、後ほどホームページ内で
ご紹介させていただきますねっ★


それでは、明日から頑張りましょうっ♪
←応援してくださいっ♪

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