戦争遺跡のご紹介やホームページの制作状況などを綴っていきます♪

総軍BLOGへようこそっ!

♦ プロフィール

祐実総軍三等兵

Author:祐実総軍三等兵
全国に残る戦争遺跡を探訪して
記録することを生き甲斐とする
祐実総軍三等兵でございます★
稚拙な内容ではございますが、
これまで調べてきた戦争遺跡を
ブログ・ホームページで紹介を
させていただいておりますっ♪

よろしくお願いしますm(__)m

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皆様、いかがお過ごしでしょうか。
やっと6月が終わります。。。
長かったな~


さて、本日は祐実軍團「軍報」の
第73弾といたしまして
東京都八王子市におかれていた
中島飛行機武蔵製作所の
浅川地下軍需工場のご紹介です。


浅川地下軍需工場は、当初は陸軍の
防空対策の一環で考案された、
5大地下倉庫計画のうちの 1つであった
「ア工事」(浅川地下倉庫の暗号)計画に
基づいて、1944年(昭和19) 9月に
建設が開始された地下壕で、
関東地方や長野・新潟を統括していた
陸軍総軍の東部軍が司令部として
使用する予定でした。
(掘削の経緯には諸説があります)

ところが、同年の11月に戦闘機の
製作工場で武蔵野市におかれていた
中島飛行機武蔵製作所が空襲を
受けたことにより、生産を
維持させるための疎開先に
この地下壕が選ばれ、エンジン部門の
地下工場に使用されました。

イ・ロ・ハの 3区画構成で計画した
地下工場は、坑道の完成部分より
順次操業を開始し、目標に
全く届きませんでしたが、
329台の工作機械と約4,000人の
工員により、終戦までに10台の
航空機エンジンを完成させた一方で、
生産能力拡張のために坑道が
掘り続けられていました。

現在、地下壕の入口は封鎖されており、
内部に入ることは難しいですが
3区画の坑道群が残り、このうちの
一部は補強工事が施された上で
管理されており、保存団体の
浅川地下壕の保存をすすめる会」が
定めた日に見学することが可能です。

ただし、見学会の開催は不定期ですので
詳細はホームページなどで
確認してください★


八王子市の初沢町にお邪魔中です↓



イ地区の地下壕です↓



地下壕の内部図です↓

 ※2016.07.31 ホームページに掲載のため
  内部図を削除しましたっ★


ロ地区の地下壕です↓
IMG_0113.jpg


地下壕の内部図です↓

 ※2016.07.31 ホームページに掲載のため
  内部図を削除しましたっ★


ハ地区の地下壕です↓



地下壕の内部図です↓

 ※2016.07.31 ホームページに掲載のため
  内部図を削除しましたっ★


ちなみに、
「浅川地下壕の保存をすすめる会」の
会報の1999年8月10日の
第11号の表紙にウェーダー姿の
三等兵が小さく写っていたりします(笑)

この当時は「三等兵」などではなく
下っ端の「見習」でしたがね(笑)


【収録遺構】
 中島飛行機
 武蔵製作所
 浅川地下軍需工場

   地下壕 3区画

【探訪情報】
 1997.06.15  第1回探訪
 1999.07.04  第2回探訪
 2005.10.29  第3回探訪
 2015.02.11  第4回探訪

 歩数(指数) 約20,000歩(188)


それでは、おやすみなさいませZzz
←応援してくださいっ♪
皆様、こんばんわ m(_ _)m
平日は面白くないですね・・・


さてさて、本日は阪奈軍團「軍報」の
第44弾といたしまして
兵庫県加古川市におかれていた
陸軍飛行第十三戦隊の加古川飛行場の
遺構をご紹介させてくださいませ。
なお、ご紹介にあたりましては
関西地方では「最強」と崇める
盡忠報國様の大日本者神國也
参考にして記録をしましたっ♪


飛行第十三戦隊は、商業の
中心地でもある阪神地区の防空を
目的として1937年(昭和12)に編制され、
隣接して飛行場が設置されました。

その後、戦隊は大正飛行場へ
移駐となりますが、兵営や飛行場は
熊本からの第一〇六教育飛行連隊の
移駐を皮切りとして、新たに編制された
第一〇三教育飛行連隊や
第一一四教育飛行連隊などが使用し、
戦闘機を使った戦技教育や
要地防空の任務につきました。

現在、跡地はナフコやあかねの湯などの
大規模施設に変遷しており、
当時の面影はないですが、
敷地の北東付近に遺構が
少しだけ残ります。


加古川市にお邪魔しております↓



軍用地境界標が残ります↓



もう1つ見つけることが出来ました↓



当時の門柱だと私も思います↓



これも遺構だと考えます↓



【収録遺構】
 陸軍第二十五飛行団
 飛行第十三戦隊
 加古川飛行場

  門柱 1箇所
  軍用地境界標 2本
  その他 1箇所

【探訪情報】
 2016.02.20  第1回探訪

 歩数(指数) 4,226歩(100)


詳細は、後ほどホームページ内で
ご紹介させていただきますねっ★


それでは、今日はもう寝ますZzz
←応援してくださいっ♪
皆様、いかがお過ごしでしょうか。
平日はちっとも面白くないですね。。

ちょっと、不穏な空気が流れてますが
三等兵には「お見通し」です。
姑息な根回しは通用しないことを
後で身をもって知ることになるとは
考えてもいないんだろうな~(笑)


さてさて、本日も我々のホームページである
祐実総軍 ― 戦争遺跡データベース」 の
掲載遺構を、微々たる量ですが
追加させていただきましたので
そのお知らせを掲載させていただくことで
ブログの更新とさせてくださいませ。
(連チャンで申し訳ありません・・・)


今回の追加分は以下となります。
(うーん・・・)

 ・神奈川県横須賀市(追加)
  横須賀海軍航空隊(13)
  陸軍東京湾要塞
  要塞司令部
(4)
  横須賀陸軍衛戍病院(7)

 ※アンカーをクリックすると、
  それぞれ別ウィンドウで表示され
  音楽が流れますので、一度に全てを
  開かないようにご注意を!


いつもながら、宣告通りの掲載が出来ず
申し訳ありません m(_ _)m


我々の「肝いり」でもある
横須賀案件の掲載率が、ようやく
15%に到達しました(笑)
あと85%もありますが、今後も少しづつ
掲載量を増やしていきます。
そろそろ空技廠に着手しますねっ!

それと、千葉県長生郡一宮町の
検索ワードが最近多いようなので
一宮町と睦沢町についても
優先して作業しようと思っております。

引き続き、応援の方を
よろしくお願い申し上げます m(_ _)m


※関係者の皆様方へ
 この場でのお願いで大変恐縮ですが
 「こどもの国」の弾薬庫内部の
 写真を提供してくれませんか?
 是非ともホームページに
 掲載させてくださいませっ♪
 お待ち申し上げております m(_ _)m


【本日の写真】
広島県廿日市市に設置されている
海軍呉軍港境域を示すものと推定した
軍用地境界標↓




それでは、またお会いいたしましょう♪
←応援してくださいっ♪
皆様、土曜日をいかがお過ごしでしょうか。
三等兵は、7月末の「反乱」に備えて
着々と仕事をしておりますっ★


本日は我々のホームページである
「祐実総軍 ― 戦争遺跡データベース」 の
掲載遺構を、微々たる量ですが
追加させていただきましたので
そのお知らせを掲載させていただくことで
ブログの更新とさせてくださいませ。


今回の追加分は以下となります。
(しょっぱい・・・)

 ・兵庫県伊丹市
  陸軍獣医資材廠
  大阪出張所
(1)
  大阪陸軍兵器補給廠
  川西分廠軍用線
(1)

 ・兵庫県宝塚市
  大阪陸軍兵器補給廠
  川西分廠
(3)
  川西航空機
  宝塚製作所
(1)

 ※アンカーをクリックすると、
  それぞれ別ウィンドウで表示され
  音楽が流れますので、一度に全てを
  開かないようにご注意を!


いつもながら、宣告通りの掲載が出来ず
申し訳ありません m(_ _)m

7月以降は、探訪と制作が
現状よりは両立出来ると思ってます。
楽しみにしてくださると嬉しいです♪


【本日の写真】
静岡県島田市におかれていた
横浜第二海軍技術廠の牛尾実験所の
関連遺構↓



それでは、よい週末をっ★
←応援してくださいっ♪
皆様、こんばんわ m(_ _)m
6月もそろそろ終わるのですね。。。

さてさて、本日も阪奈軍團「軍報」の
第43弾といたしまして
兵庫県宝塚市におかれていた
川西航空機宝塚製作所の
遺構を1つだけご紹介させてくださいませ。

なお、ご紹介にあたりましては
関西地方では「最強」と崇める
盡忠報國様の大日本者神國也
参考にして記録をしましたっ。
ここのサイト様の充実度に比べたら
「祐実総軍」なんか屁です(笑)


川西航空機は、前身である
川西機械製作所から飛行機部が
独立する形で1928年(昭和 3)に
設立された民間の航空機製作会社で、
主に海軍で使う航空機を製造し、
代表する製作機として「二式飛行艇」や
「紫電改」などがあり、兵庫県内を
中心に多くの製作所を抱えていました。

その中で宝塚製作所は、
海軍からの拡張要請を受けて
1940年(昭和15)に新設され、
広い敷地に大小75棟の建物が
設置されていたようですが、
太平洋戦争の末期に受けた
空襲で大半が消失し
壊滅状態となりました。

現在、敷地跡の大半が
阪神競馬場となっており
面影がありませんが、生産した
動力銃架の試験に使われた
試射場の付属建物が残っています。


阪神競馬場付近に来ております↓



試射場の付属建物です↓



ここから阪急電車の仁川駅に戻り
今津に出て阪神電車で
鳴尾に向かうのでした(笑)↓


次はどの案件を見に行ったか
判っちゃいますね(笑)


【収録遺構】
 川西航空機
 宝塚製作所

   建物 1棟

【探訪情報】
 2016.03.05  第1回探訪

 歩数(指数) 1,496歩(100)


明日は所用のため、ブログの更新は
お休みさせてください m(_ _)m


それでは、またお会いしましょう★
←応援してくださいっ♪
皆様、水曜日をいかがお過ごしでしょうか。
三等兵は眼精疲労から
頭痛を引き起こしてしまいました。。。


さてさて、本日は阪奈軍團「軍報」の
第42弾といたしまして、兵庫県姫路市に
おかれていた姫路陸軍衛戌病院の
遺構をご紹介させてくださいませ。


姫路衛戌病院は、第十師団の司令部が
姫路市におかれたことで設置された
病院で1898年(明治31)に開院しました。

昭和に入り、姫路陸軍病院に
改称されて太平洋戦争の終戦まで
医療機関としての機能が存続し
その後は厚生省に移管されて
国立姫路病院となり、独立行政法人
国立病院機構姫路医療センターに
改称されて現在にいたっています。

残念ながら、当時の建物などは
消失していますが、敷地の
南東端付近に塀の一部と
軍用地境界標が残っています。


姫路にお邪魔しております↓



軍用地境界塀が残ります↓



軍用地境界標も1つ残ります↓



この後は、播但線に乗って
「天空の城」を見に行きました↓


冬季閉鎖中で「門前払い」を
くらうことを知らずに・・・(笑)


【収録遺構】
 姫路陸軍衛戌病院
 (姫路陸軍病院)

   軍用地境界塀 1箇所
   軍用地境界標 1本

【探訪情報】
 2016.02.19  第1回探訪

 歩数(指数) 約1,000歩(100)


詳細は、後ほどホームページ内で
ご紹介させていただきますねっ★


それでは、今日はもう寝ますZzz
←応援してくださいっ♪
皆様、いかがお過ごしでしょうか。
平日は本当に楽しく感じない
三等兵でございます。


本日は手短になってしまいますが
阪奈軍團「軍報」の第41弾として
大阪府交野市におかれていた
大阪陸軍造兵廠枚方製造所の
私市地下軍需工場を
ご紹介させてくださいませ。


枚方製造所は、1937年(昭和12)に
禁野火薬庫に隣接して開設された
兵器製造工場で、ここでは主に
砲弾や爆弾などが製造されました。

私市地下軍需工場は、
大阪陸軍造兵廠枚方製造所の
防空対策として、設備群を分散疎開させて
兵器製造機能の維持を図るために
構築された地下工場です。

この地下工場では、瞬発信管や
導火薬・九七式曲射榴弾薬の
製造が計画され、1944年(昭和19)終わりに
掘削が始まりました。

工場の規模は、完成面積2,610㎡・
坑道総延長は545mとなる予定でしたが、
完成を見ず終戦を迎えました。

現在は放置された状態が
続いており、入口のほとんどが
埋没しているものの、一部は
内部の見学が可能です。


京阪電車の私市駅に来ております↓


ここから歩いて行きます。


地下工場の入口です(抜粋)↓



内部の様子です(抜粋)↓



天井部分に白い斑点が
写っていますが、これらは全て
「蛾」です・・・


各坑道の天井部分には
木杭が打たれています↓



内部図です↓

 ※2016.07.31 ホームページに掲載のため
  内部図を削除しましたっ★


【収録遺構】
 大阪陸軍造兵廠
 枚方製造所
 私市地下軍需工場

   地下壕 1区画

【探訪情報】
 1996.02.10  第1回探訪
 2007.12.09  第2回探訪

 歩数(指数) 約5,000歩(670)


それでは、おやすみなさいませZzz
←応援してくださいっ♪
皆様、月曜日をいかがお過ごしでしょうか。

本日も昨日に引き続き、雑記で
ブログの更新とさせてくださいませ。


昨日、由香里軍團の初陣地を
当てていただくブログを書きましたが、
関係者様の回答が早くて驚きました~


正解は「会津若松市」ですっ★


大宮から新幹線で郡山へ行き、
磐越西線で磐梯山を横目に
会津若松へ向かうルートの
写真を掲載させていただきました。


kan先生からの書き込みで
「駅の電光掲示板の喜多方ラーメンを
見れたか?」と問いかけが判らず
そんなの駅前にあったかな~って
思っていましたが、この一件でしたか!↓

※写真は朝日新聞デジタルで
 掲載しているものを使用しています。

駅の電光掲示板に「喜多方ラーメン」 
会津若松で誤表示↓
http://www.asahi.com/articles/ASJ6N3GRCJ6NUGTB002.html?ref=yahoo


残念ながら、当方は昔のような
鉄道マニアではなくなってしまったので
この日が「特別」とは知りませんでしたが
旧国鉄485系電車が「特急あいづ」として
最終運行をしたのですね。

JR東日本「485系」ラストラン↓
https://www.minpo.jp/news/detail/2016061932060


昔の私だったら「高度経済成長期から
40年以上も走った車両に対して、
こんなふざけた案内は大変失礼だ」と
JR東日本に電話抗議してましたね(笑)

このMT54系列の「音」もよかったな~
特に、100キロを超えてくると
いい「唸り」が・・・


あっ、しまった(笑)
三等兵は「マニア」ではありません。


会津若松に行った本当の目的は
陸軍第二師団歩兵第六十五連隊の
遺構群と会津若松陸軍埋葬地を
見に行くことだったのです(笑)

途中、鶴ヶ城や白虎隊の自刃地である
飯盛山なんかにも寄りました。


鶴ヶ城↓


会津栄螺堂↓


張り切るおピンちゃん先生(笑)↓



【本日の写真】
陸軍第二師団歩兵第六十五連隊の
門柱↓



次回は「軍報」やります。
楽しみにしていただけたら
嬉しいです♪

←応援してくださいっ♪
皆様、いかがお過ごしでしょうか。
三等兵は、土曜日・日曜日を使って
由香里軍團の初陣となる
とある場所を探訪してきましたっ★

今回は、写真を掲載することで
「どこへ行ったのか」を皆様で
予想してみてくださいませ(笑)


新幹線に乗り込みました↓



ここで在来線に乗り換えます↓



途中の車窓風景です↓



到着しました↓



こんな風景が見渡せます↓



夜は名物を肴に清酒を飲みました↓


ついつい、2人で6合やりましたが
いいお酒だったので二日酔いはなしです。
(オナカが少しゆるくなりましたけどね)


さて、三等兵とおピンちゃん先生は
どこに行ったか判りました~?(笑)
近いうちに「軍報」でご紹介しますね。


【本日の写真】
神奈川県三浦市におかれていた
陸軍東京湾要塞の城ヶ島砲塔砲台の
地下通路↓



それでは、またお会いしましょう★
←応援してくださいっ♪
皆様、いかがお過ごしでしょうか。
今日の関東地方は雨で
誠にうっとうしいですね。。。
でも、水不足が懸念されているから
そうも言っていられないですね・・・


さてさて、本日は祐実軍團「軍報」の
第72弾といたしまして、前回に続き
神奈川県横須賀市におかれていた
千駄海岸防空砲台の遺構を
ご紹介させてくださいませ。


千駄海岸防空砲台は、
横須賀の軍港を統括した
横須賀海軍鎮守府の隷下におかれ、
軍港周辺の防衛任務についた
横須賀海軍警備隊が守備する
防空砲台として、久里浜周辺の
軍事施設の防衛を目的に
1944年(昭和19)に建設されました。

ここには、同隊の傘下におかれた
第一高射機銃大隊の兵員が配置され、
25ミリ連装機銃が 2基据付けられました。

現在は山林内に遺構が放置されており
機銃座と思われる窪みや、当時の建物と
推測する基礎が残っています。


前回に引き続き、いっちゃん先生と
千駄ヶ崎からスタートします↓



機銃座が埋もれるように残ります↓



もう1つ残ります↓



当時の建物と推測する
基礎部分も残っています↓


送電線の鉄塔跡ではないですね。


素敵な眺めです↓



【収録遺構】
 横須賀海軍警備隊
 第一高射機銃大隊
 千駄海岸防空砲台

  砲座 2箇所
  建物基礎 1箇所

【探訪情報】
 2016.03.12  第1回探訪

 歩数(指数) 約1,000歩(100)


詳細は、後ほどホームページ内で
ご紹介させていただきますねっ★


それでは、またお会いしましょう♪
←応援してくださいっ♪

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