2016年08月 - 戦争遺跡調査研究軍 祐実総軍

【和泉軍團】(29)熊谷陸軍飛行学校下館分教所

皆様、水曜日をいかがお過ごしでしょうか。
まだ水曜日なんですね・・・
気分はすっかり金曜日くらいですよ。。

8月も今日で終わりですね。
夏は探訪にも通勤にも適さないし
良いことがないですけど、
「夏」が終わってしまうのを
目の当たりにすると、何か寂しいですね。


さて、本日は和泉軍團「軍報」の
第29弾といたしまして
茨城県筑西市におかれていた
熊谷陸軍飛行学校下館分教所の
遺構をご紹介させてくださいませ。
(既出案件で恐縮です・・・)


熊谷陸軍飛行学校は、
下士官や少年飛行兵に対して、
飛行機の操縦方法や技術などを
教育する目的で、1935年(昭和10)に
現在の熊谷市に開設された
教育機関で、戦局に沿って飛行兵を
拡充する必要が出てきたため、
1939年(昭和14) に分教所が
現在の筑西市内に設置されました。

また、翌年の1940年(昭和15)には
現在の宇都宮市内に
宇都宮陸軍飛行学校が設置されると、
その分教所に変更されました。

1944年(昭和19)以降は、
太平洋戦争の戦局が悪化し、
飛行学校が軍隊化されたことで
編制された宇都宮陸軍教導飛行師団の
拠点として施設が使われ、特攻を行うため
振武第五十七特別攻撃隊と
振武第五十八特別攻撃隊が
沖縄方面へ出撃していきました。

終戦後、敷地は食糧増産のために
農地として払い下げられたため、
当時の遺構はほとんど消失していますが、
敷地の北西部に飛行機の無蓋掩体が
残存しています。


茨城県の筑西市にお邪魔してます↓


水戸線の玉戸駅から
ひたすら歩きます(ホエホエ~)


飛行機掩体の土盛り部分が
4箇所にわたって残っていますが
写真では何が何だかわかりませんね↓






これも遺構でしょうかね・・・↓



他の情報サイトによると、当時の
弾薬庫が残っているようなのですが
発見出来ませんでしたっ▲

詳細をご存知の方は
是非、教えてください (-人-)



【収録遺構】
 熊谷陸軍飛行学校
 下館分教所
 (宇都宮陸軍教導飛行師団
  下館飛行場)

  飛行機掩体 4箇所
  その他 1箇所

【探訪情報】
 2014.01.11  第1回探訪

 歩数(指数) 17,143歩(94)


それでは、またお会いしましょう★
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【鉄道】(1)京浜急行電鉄1000形

皆様、いかがお過ごしでしょうか。
明日の関東地方は久々に晴れるそうで。


さて・・・
本日は初めての試みとなる
鉄道ネタをブログにしていきたいと
思います(笑)

三等兵と10年以上にわたって
交流がある関係者の皆様には
「当たり前」の話になるのですが、
かつて私は筋金入りの
「鉄道マニア」でした。

特に最近では「音鉄」に分類される
ジャンルの中で「至高」を自称しても
いいくらいのオタクっぷりでして・・・
あくまで「自称」ですけどね、
昭和時代のカルダン駆動車だったら
「音」だけ聞いて形式を当てられるくらいの。
試してみますか?(笑)

でも、あることがきっかけで
いわゆる「戦争遺跡」探訪1点に絞り
ここ5年くらい活動してきましたが
何といっても私の身のまわりに
「鉄道マニア」が多いこと(笑)
そして「復活」しろと★アッハ

あくまで、三等兵の「第一」は
これまで通り「戦争遺跡探訪」ですが
たまには「脱線」してブログに
思想を発信させていただこうかと。

ただ、往時の自前「写真」は無いので
よそ様の写真をURL付きで
掲載させてくださいませ m(_ _)m


本日は第1弾といたしまして
私が好きで好きでたまらなかった
関東の「名車」のなかの「名車」である
京浜急行電鉄の1000形について
(旧1000の呼称なんてとんでもない話です)
他サイトのパクリばっかりですが
掲載させてください。


京急1000形電車(wikipediaを掲載)↓
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京急1000形電車は、1959年(昭和34)12月に
登場し、1960年(昭和35)1月13日に
営業運転を開始した、京浜急行電鉄の
通勤形電車。

新1000形の登場以降、識別のため
旧1000形と呼ばれることがある。
(三等兵注釈:とんでもない話です)

製造期間と使用期間が長期に及んだため、
数多くのバリエーションが存在した。
営業運転を終了したのち、
2両が救援車の牽引用として残ったが、
2011年3月29日に廃車、形式消滅した。
---------------------------------------


京急で消滅してしまった現在でも、
優等運用に就いている往時の写真を
見ると涙が出ます↓

The Golden-toks様の写真を拝借してます。


何といっても、俗にいう「サハ」が
1両も存在しない「全電動車方式」です。
(サハの意味が解らない方はググってね)

高加減速(3.5/4.0・4.5)の上に
補償巻線付き直巻電動機搭載なので
低出力(75kw/90kw)モーターながら
高回転(設計最高120km/h)が出来るので
高速走行も可能な「万能」っぷり。
昭和30年代で、ここまでの性能を
もっている車両は他にないはず。
(そう信じこんでいるだけです)


往時の姿がよく判る
よそ様の動画リンクを貼らせてください↓
京浜急行 旧1000形 1997年

走り始めの「音」が2種類あることに
気が付いていただければ
「合格」です(笑)

東洋モーター車で、走り始めに
「ウオーン」とこもった音を
奏でるのが75kw車と判ったら
相当のマニアです(笑)

1分15秒あたりに通過する
1000形の「特急」が、
TDK-815Aモーターで110km/hを
出していることが「音」だけで
判れば、私と同じくらいオタクです。
(ああ・・、私ってバカだな)

このシーンだけで本当に泣ける。
「オタク」って、そんなもんです。

もう開き直っちゃうけど、
AR-2Bも最高っ★

「軍報」目当てで閲覧いただいた皆様、
大変な「脱線」と「的外れ」で
大変申し訳ございません m(_ _)m


次回は真面目に「軍報」やります★
それでは、またお会いしましょう!
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【祐実軍團】(82)横須賀海軍水道路半原系統(神奈川県綾瀬市)

皆様、いかがお過ごしでしょうか。
三等兵は、次月の函館探訪の
計画を練っているところです。。。

さすがに9月中旬じゃ、
いくら函館でも藪漕ぎはきついかな。。
3日間の滞在で、どれだけ廻れるか・・


さてさて、本日は既出案件ですが
祐実軍團「軍報」の第82弾として
神奈川県綾瀬市を縦断していた
横須賀海軍水道路半原系統の
遺構を簡単にご紹介させてください。


横須賀海軍水道路は、
横須賀市におかれていた
横須賀海軍工廠を中心とした
海軍施設に対して水を供給する目的で、
1876年(明治 9)に専用の水道が
走水の水源地より敷かれました。

しかし、施設の拡大に伴って
水の需要が増えてしまい、
この専用水道だけでは供給不足となり、
新たに相模川の支流となる中津川を
水源に、愛川町の半原より横須賀市の
逸見浄水場までの約53kmにわたる
長大な水道路の敷設が計画され、
1918年(大正 7)に半原系統として
通水し、綾瀬市内を縦断しています。

戦後、水道路は横須賀市に移管されて、
市民が使用する水道として
使用実績がありますが、
現在も軍用地境界標を中心とした
当時の遺構が残っています。


神奈川県綾瀬市にお邪魔しております↓


静岡県島田市を縦断する
大井海軍水道路の風景と
なんとなく似ていますね~(笑)


数本ですが、軍用地境界標が
残っています(抜粋)↓





目久尻川を横断する箇所は
水道管が露出します↓



このあたりは、交通の便が悪く
1回目は海老名駅~善行駅、
2回目は藤沢駅~海老名駅まで
歩いて探訪しました(笑)


帰りは小田急線です↓



【収録遺構】
 横須賀海軍水道路半原系統
 (神奈川県綾瀬市)

   軍用地境界標 4本
   その他 1箇所

【探訪情報】
 2007.05.05  第1回探訪
 2010.07.10  第2回探訪

 歩数(指数) 約4,000歩(224)


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「祐実総軍 ― 戦争遺跡データベース」 更新しました(神奈川県・兵庫県ほか)

皆様、日曜日をいかがお過ごしでしょうか。
三等兵は朝一からドコモショップへ行き
壊れたスマホを片手に機種変更を・・・
時間がかかった挙句にデータの移行は
「無理です」ときたもんだ・・・
仕方がないですね、悪いのは私です。

ここ1年くらいでお知り合いになった
関係者の皆様方の連絡先やLINEが
全ておじゃんになってしまいました・・・


※関係者の皆様方へ※
 大変申し訳ありませんが、
 ここに三等兵のメールアドレスを
 晒しますので、電話番号を
 お教えくださいませんか~(涙)↓
 yum-sogun_yamasan@docomo.ne.jp


今、思い返してみると
壊れる前兆はありましたね。。。
一昨日あたりから電池のもちが
急激に悪くなって熱をもつようになり
昨日にいたっては充電しっぱなしでも
電池の容量が少しずつ減り続け・・・

多分、電池の寿命だと思って
来週末あたり交換に行こうと
思っていたのですが、
昨日の夕方にLINEで
やりとりしたのを最期に
全く立ち上がらなくなりました。。。
購入してから1年半。なんとも早い最期。

調子こいて、来月に函館探訪を決めた
バチでもあたったのでしょうかね(笑)


スマホのお話しはこのくらいにして・・・
先週の頭から若干ではありますが
我々のホームページである
祐実総軍 ― 戦争遺跡データベース」 の
掲載遺構を追加させていただきましたので
そのお知らせを掲載させていただくことで
本日のブログの更新とさせてくださいませ。


今回の追加分は以下となります↓

 ・神奈川県横須賀市
  横須賀海軍工廠造兵部
  鳥ヶ崎大砲試射場
(7)
  横須賀陸軍埋葬地(5)
  横須賀海軍埋葬地(2)

 ・兵庫県川西市
  大阪陸軍兵器補給廠
  川西分廠
(10)

 ※アンカーをクリックすると、
  それぞれ別ウィンドウで表示され
  音楽が流れますので、一度に全てを
  開かないようにご注意を!

 ・総軍キャラクターに2名追加
  和泉軍團(関東)・由香里軍團(東北)に
  1名ずつ追加しております。


お暇な時にでも、是非ご笑覧くださいませ。


【本日の写真】
福島県会津若松市におかれていた
陸軍第二師団歩兵第六十五連隊の
建物(なんだろう、これ)↓



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【雑記】携帯電話が死亡しました!

皆様、週末をいかがお過ごしでしょうか。

三等兵はズタボロです・・・
今日の占いで「スマホで疲れる1日」と
出ていたのですが、的中しました(笑)
見事にスマホが壊れました。
おそらく、この状態での
データ復旧は厳しいと
思われます・・・

明日までには回線だけでも
どうにか復旧しないといけないので
予定していた探訪を
キャンセルすることに・・・(涙)

とりあえず、maya先生には
gmailから連絡を済ませていますが
房総半島戦跡考古調査会の皆様、
参加出来ず申し訳ないです・・・
次回は参加しますので
よろしくお願いいたします m(_ _)m

明日、急遽予定を変更して
ドコモショップ行ってきますが、
端末に登録していた電話帳情報などの
復旧が出来ないとの診断が
下された場合は、皆様方に
本ブログを通じてメッセージしますので
私のメアド宛てにメールをください。

あ~、もうショックで何もする気が
おきませんです・・・

今日もフテ寝します(涙)


【今日の写真】
石川県金沢市におかれていた
陸軍第九師団歩兵第七連隊の
土塁トンネル↓



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【祐実軍團】(81)平塚第二海軍火薬廠中荻野地下火薬庫

皆様、金曜日をいかがお過ごしでしょうか。
そろそろ、夏も終わりですね。。。
夏の暑さは体に堪えますが
ビールが一番おいしく感じる季節なので
嫌いになれません(笑)


さてさて、本日は祐実軍團「軍報」の
第81弾といたしまして、
既出案件ではございますが
神奈川県厚木市に掘削された
平塚第二海軍火薬廠の
中荻野地下火薬庫を
簡単にご紹介させてくださいませ。


平塚第二海軍火薬廠は、
銃砲類の火薬の製造を目的として、
1941年(昭和16)の組織改変により
発足した海軍の火薬技術の
最先端を担った軍需工場です。

太平洋戦争の戦局が悪化する
1944年(昭和19)に入り、本土初となる
中島飛行機武蔵製作所への空襲を期に
兵器類の生産ラインを維持させるための
分散疎開が軍需工場毎に計画されます。

平塚におかれていた火薬廠は
分散疎開先として厚木と山北が選ばれ、
掘削が開始されましたが
途中で終戦となりました。

地下壕は数本で構成される
小規模のものですが
現在も残っています。


小田急線に乗って厚木へ行きます↓
Wikipediaの写真です!
※Wikipediaの写真を使用しています。

残念ながら今は無き形式です・・・
小田急線の車両のなかで
私は一番好きでしたね(笑)
特に「音」がね・・・orz
おっと、このくらいにしておきます。


もっとも完成形に近い入口部分です↓


とはいえ、掘削途中で終戦を迎えており
内部に岐路は存在せず、坑道延長も
15メートル~20メートル程度のものです。


もう1つの入口部分です↓


こちらも小規模です・・・


【収録遺構】
 平塚第二海軍火薬廠
 中荻野地下火薬庫

   地下壕 1区画

【探訪情報】
 1997.02   第1回探訪(発見出来ず)
 2006.03.26  第2回探訪

 歩数(指数) 約3,000歩(100)


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【美恵軍團】(25)陸軍造兵廠遠江射場(掛川市)

皆様、水曜日をいかがお過ごしでしょうか。
やっと、平日の真ん中ですね。。。


さてさて、本日は美恵軍團「軍報」の
第25弾といたしまして
静岡県掛川市におかれていた
陸軍造兵廠遠江射場の
遺構を簡単にご紹介させてくださいませ。


遠江射場は東京・名古屋・大阪などに
おかれた各造兵廠で造修した
銃砲類の試射を目的として
1938年(昭和13)に設置されました。

ここでは、現在の掛川市に位置する
原点砲列に砲を据え付け、
東側に位置する御前崎市方向へ
向けて砲弾を撃ち込み、
500m~1000mごとに設置された
観的所で着弾を観測していました。

1940年(昭和15)に入ると、
造兵廠の組織改定が行われ、
東京第一造兵廠の試射場として機能し、
銃砲の性能向上により射程距離が
伸びたことで、新たに東端部分の
敷地を買収して敷地を拡張し
最終的に東西16km・ 984haの
広大なものになり終戦まで
存続しました。

現在、遠江射場の敷地跡は
掛川市と御前崎市に跨っており、
工場や住宅・砂丘などに
変遷していますが、掛川市については
ダイトーケミックス静岡工場の東側に
当時の遺構が集中して残存しており
見学することが可能です。


空母先生のご案内の下で
掛川市にお邪魔しております↓



土塁トンネルです↓



高射砲電源供給室です↓



原点砲列に並ぶ1つ目の砲座です↓



2つ目の砲座です↓



3つ目の砲座です↓



4つ目の砲座です↓



発射指令所兼着弾観測所です↓



発射指令所兼被害所です↓



3つおかれていた砲廠のうちの
1つは完存しています↓



2つ目は基礎部分が残ります↓



3つ目も基礎部分の一部が残ります↓



これも、関連する建物の基礎部分と
推測しています↓



井戸も残っています↓



信管検査観的です↓



指令所兼電源供給室です↓



信管検査に付帯する建物です↓



これも、関連する建物跡でしょうね↓



火薬溶触炉室です↓



付属建物です↓



なお、砲廠に隣接するかたちで
軍用線のホームや木造建物が
残っていましたが、軍用線の遺構として
改めてご紹介させてくださいね。


【収録遺構】
 陸軍造兵廠遠江射場(掛川市)

  砲座 4箇所
  建物 9棟
  トンネル 1箇所
  建物基礎 4箇所
  その他 1箇所

【探訪情報】
 2016.04.23  第1回探訪

 歩数(指数) 約1,000歩(100)


詳細は、後ほどホームページ内で
ご紹介させていただきますっ★


それでは、おやすみなさいませZzz
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【阪奈軍團】(47)加古川陸軍病院

皆様、いかがお過ごしでしょうか。
今日の三等兵は「散々」でございました。。
「無茶振り」と「今日中」が
本日の流行語大賞ですよ。。。
クソったれですね(笑)

さてさて、本日は阪奈軍團「軍報」の
第47弾といたしまして、
兵庫県加古川市におかれていた
加古川陸軍病院の遺構を
ご紹介させてくださいませ。


加古川陸軍病院は、加古川に
飛行第十三戦隊が展開したことで
設置された病院で 1937年(昭和12)に
姫路陸軍病院から分離し開院しました。

1942年(昭和17)になると、市内に
歩兵第一〇六連隊が新設され、
これに隣接して病院が新たに
設置されたことから、区別のために
加古川第一陸軍病院に改称し、
終戦まで存続しました。

現在、跡地は浜の宮幼稚園や
浜の宮公園などに変遷していますが、
わずかに当時の遺構が残存しています。


雨の中、加古川市にお邪魔してます↓



軍用地境界標が残ります(抜粋)↓



当時の建物跡とおぼしき基礎も
残っています↓



区画に使われたものと推測する
石柱列もありました↓



神戸・姫路間の移動は、JRの
新快速が圧倒的に早いですが
山陽電車も素敵ですよっ★↓



【収録遺構】
 加古川陸軍病院
 (加古川第一陸軍病院)

   建物基礎 1箇所
   軍用地境界標 2本
   その他 1箇所

【探訪情報】
 2016.02.20  第1回探訪

 歩数(指数) 約2,500歩(100)


詳細は、後ほどホームページ内で
ご紹介させていただきますねっ★


それでは、おやすみなさいませZzz
(ふて寝しますっ)

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【由香里軍團】(1)会津若松陸軍埋葬地

皆様、月曜日をいかがお過ごしでしょうか。
いや~、関東地方に台風が
上陸するとのことで、当初の予定を
半日早めて帰還いたしました。

ちょうど、ひどくなる前に帰れたので
交通機関等の影響は受けませんでした。
あと1時間半遅かったら大変なことに・・・


さてさて、本日は由香里軍團「軍報」の
第1弾といたしまして、福島県会津若松市に
おかれていた会津若松陸軍埋葬地を
ご紹介させてくださいませ。


会津若松陸軍埋葬地は、
会津若松市に展開した陸軍部隊に
所属する戦病没者の墓地として
設置されました。

当初は、現在の慶山地区に
おかれていましたが、太平洋戦争時に
花見ケ丘地区へ移して忠霊堂が
新設されました。

現在、移設前の敷地跡は
愛宕山公園に変遷し、当時の
区画だけが残存していますが、
移設後の敷地は小田山忠霊堂として
現存しており参拝が可能です。

また、門柱跡や軍用地境界標なども
わずかに残っています。


「喜多方ラーメン」誤表示事件があった
会津若松駅にお邪魔しております↓



ここから、おピンちゃん先生を
励ましながら、小田山まで歩きます↓



忠霊堂です↓



忠霊堂のほかにも、忠魂碑や
慰霊碑などもおかれています(抜粋)↓



ここからはkan先生ブログを参考に
探訪していきます。


軍用地境界標です↓



門柱跡です↓



軍用地境界標は、違う位置に
もう1つ残っていたようですが、
民家の塀が新しくなったことで
消失してしまったようです(涙)


このあとは、鶴ヶ城をめぐって
地酒の取り揃えが素晴らしい
小料理店で夜を過ごしました↓



【収録遺構】
 会津若松陸軍埋葬地

   建物 1棟
   軍用地境界標 1本
   その他 1箇所

【探訪情報】
 2016.06.18  第1回探訪

 歩数(指数) 約4,000歩(100)


詳細は、後ほどホームページ内で
ご紹介させていただきますねっ★


それでは、またお会いいたしましょう★

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【雑記】珠美軍團2日目

皆様、おはようございます m(_ _)m
関東地方の天気はいかがでしょうか?
金沢は今日も晴れで暑くなりそうです。


今日は市内中心部に残る遺構探訪と
周辺観光をしていきます。


それでは、出発いたします↓



ひがし茶屋街です↓



兼六園まで歩いてみました↓



庭園内の眺めです↓



時雨亭でお抹茶もいただきました↓



金沢城へ移動します↓



歩兵連隊の土塁トンネルです↓



兵器支廠の兵器庫です↓



第九師団司令部です↓



武家屋敷に来ました↓



最期はおでん屋さんです↓


金沢は食べ物がおいしいです(驚)
食べ物がおいしいと幸せを感じます!


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