2016年10月 - 戦争遺跡調査研究軍 祐実総軍

【祐実軍團】(86)陸軍東京湾要塞衣笠弾薬本庫

皆様、いかがお過ごしでしょうか。

昨日は元気だったんですがね、
今日は一転して元気ないです(笑)


あと3日の辛抱ですね・・・
11月3日も神出鬼没で探訪します。


さて、本日は祐実軍團「軍報」の
第86弾といたしまして、
神奈川県横須賀市におかれていた
陸軍東京湾要塞の衣笠弾薬本庫の
遺構をご紹介させてくださいませ。


衣笠弾薬本庫は、観音崎に代わる
東京湾要塞の新たな弾薬本庫として、
1934年(昭和 9)に新設されました。

新設当時は、完全防湿の洞窟式の
弾薬庫としては世界の最先端を
いくものだったそうです。

ここには、全面コンクリート製の
外庫の内側に、厚さが30センチある
鉄骨鉄筋コンクリ-ト製の内庫を
設けて二重構造とした完全防湿の
弾薬庫が12箇所おかれていました。

現在、跡地は公園墓地として
整備されており、整地されていますが
外周を中心に遺構が残っています。


衣笠周辺にお邪魔しております↓



まずは、敷地外周に残る
防御営造物境界標です(抜粋)↓







境界柵もおおよそ3区画にわたって
残っています(抜粋)↓





続いて、敷地内に残る遺構として
弾薬庫の入口が2区画残ります。

1つ目です↓


2つ目です↓


かなり昔に、関係者の皆様方と
内部調査した時の写真を
数枚あげてみようと思います。

入口付近です↓


内庫の入口です↓


内庫の様子です↓


内庫と外庫の間は、若干の
隙間があけられています↓


弾薬庫間を連絡する通路です。
若干の傾斜が設けられています↓


弾薬庫の内部図です↓

※内部図は、ホームページへの反映と
 同時に削除します。


弾薬庫から少し離れた林に
防火水槽と推測する構造物が
残っています↓



【収録遺構】
 陸軍東京湾要塞
 衣笠弾薬本庫

   地下施設 2箇所
   軍用地境界標 37本
   その他 4箇所

【探訪情報】
 2006.06.17  第1回探訪
 2006.07.01  第2回探訪
 2015.02.01  第3回探訪

 歩数(指数) 約30,000歩(640)


後日、ホームページにも
掲載予定です★


明日は、月を跨ぎ11月に入りますので
恒例の「アクセス統計」を記事にします。

それでは、またお会いいたしましょう★


↑制作意欲につながりますので
 応援してくださいませ m(_ _)m

【雑記】日帰り遠征(笑)

皆様、おはようございますm(__)m
本日も日帰りで美恵軍團管轄の
遺構探訪に出かけてきます(笑)


今日も、昨日に引き続き
雑記形式でのブログ更新です。
よろしくお願いいたしますm(__)m



それでは、出発します↓


ちと奮発してグリーン車に乗りました エッヘン↓


富士宮市に到着しました↓


チハ車です↓


戦車学校の軍用地境界標です↓


燃料脂油庫です↓


もう1つ残ります↓


防空壕です↓


沼津海軍工廠の止水栓蓋です↓


横須賀海軍警備隊の防空砲台に
関係すると思われる弾薬庫です↓


こちらもそうです↓


海軍技術研究所音響研究部の
地下工場です↓


第一六突撃隊の重寺基地の
地下壕群です↓


16時半に探訪を終了とし、
21時ジャストに三等兵のホームベースに
帰着いたしました~★

参加された関係者の皆様、
本日は大変お疲れ様でございました!
また、ご一緒させてください m(_ _)m

道中でスマホを酷使しすぎて
バッテリーがなくなってしまい
後半のアップが遅くなりました・・・
申し訳ないです m(_ _)m

本日の探訪記は以上となります!
明日は「軍報」を掲載します★
それでは、またお会いしましょう♪


↑探訪意欲につながりますので
 応援してください~ m(_ _)m

【雑記】日帰り探訪(笑)

皆様、おはようございますm(__)m
今日は日帰りで祐実軍團管轄の
遺構探訪に出かけてきます(笑)
2ヶ所だけですが・・・


今日も雑記形式でのブログ更新です。
よろしくお願いいたしますm(__)m


それでは、出発します↓


王子にやってきました↓


東京砲兵工廠板橋火薬製造所
王子製薬場の通用門です↓


軍用地境界塀です↓


軍用地境界標も残っていました↓



次は、外濠公園にやってきました↓


草ボーボーですが、
横須賀海軍軍港境域標があります↓


少し早いですがランチにします(笑)↓



今回も、ここにやってきました↓


流行には程遠い三等兵↓


バラもきれいです↓


ハロウィンなんですね↓


こんなのもいますよ ククク↓


最後に立ち寄った喫茶店は、
非常に残念でしたが、いい1日でした★


本日は以上となります m(_ _)m

明日は「美恵軍團」案件について
静岡県まで古参重鎮メンバー様と共に
「遠征」してきますっ★

また、拙サイトと密接な関係を
築かせていただいている
房総半島戦跡考古調査会」においても
別件でイベントがあるようです。
健闘を心より願っています★

明日のブログ更新も、本日と同じ
雑記形式となりますが、拙ブログに
お立ち寄りいただけたら幸いです!


それでは、また明日★


↑探訪意欲につながりますので
 応援してください~ m(_ _)m

「祐実総軍 ― 戦争遺跡データベース」 更新しました(和歌山県・広島県)

皆様、いかがお過ごしでしょうか。
やっと週末ですね~★
今日の関東地方は寒かった・・・
内臓脂肪は多いくせして
皮下脂肪が少ないもんだから
1日中震えておりました(恥)


さて・・・・
本日は、我々のホームページである
祐実総軍 ― 戦争遺跡データベース」 に
微々たる件数で恐縮ではございますが
掲載遺構を追加させていただきましたので
そのお知らせを掲載させていただくことで
ブログの更新とさせてくださいませ。


今回の追加分は以下となります↓

 ・和歌山県和歌山市
  陸軍由良要塞田倉崎砲台(35)
  陸軍由良要塞男良谷砲台(9)

 ・広島県広島市
  広島陸軍地方幼年学校(1)
  広島第二陸軍病院(1)

 ※アンカーをクリックすると、
  それぞれ別ウィンドウで表示され
  音楽が流れますので、一度に全てを
  開かないようにご注意を!


今回の更新で「真己軍團」も本格的に
スタートすることになりました~★

10月の更新において、
「真己」「珠美」「由香里」各軍團を
半ば「強引」にスタートさせてしまいましたが
探訪編成表が出来ていないので
収録遺構が2つ以上の管轄案件は
(一覧上で「詳細」ボタン表示が伴うもの)
ことごとく掲載出来ない事態に。。。アワワワ

地下壕内部図の作成も中途半端・・・
探訪編成表も出来ていない・・・
新軍團構想も練っていない・・・

前途多難ばかりですが、
ここまで進めちゃったので、
あとは「やる」しかないですっ!
もう1年くらい時間をかければ
「至強」サイトに化けられるか・・・

ちなみに、来月で掲載3年目となります。
「仏の顔も3度まで」や、
「石の上にも3年」などという言葉や
「3年目の浮気くらい多めに・・・」といった
フレーズもあるように、「3」という数字は
「耐性」の節目に使われるようですね。

いつもサイト・ブログを見てくれる
皆様方や関係者の皆様方から
見切りをつけられないように
今後も精進してまいりますっ m(_ _)m
なんせ、三等兵にとっては
この種が唯一「輝ける」舞台ですから(笑)

京急に例えるなら、もっぱら「普通」の
種別しか担当出来ない4扉の形式が
朝ラッシュだけは多扉の腕を買われて
「快特」や「特急」の優等運用のスジに
入る感じでしょうか・・・(バカだな)

まったく取り柄がねーな、三等兵っ(恥)


【本日の写真】
奈良県天理市に掘削された
大和海軍航空隊の地下壕↓



明日はお花の鑑賞がてら
祐実軍團管轄の遺構を
探訪します。

また、明後日は美恵軍團管轄の
遺構を探訪しますので
両日ともブログの更新は
雑記形式とさせてくださいませ。

それでは、またお会いいたしましょう★


↑制作意欲につながりますので
 応援してください~ m(_ _)m

【祐実軍團】(85)横須賀海軍警備隊大楠山特設見張所

皆様、木曜日をいかがお過ごしでしょうか。
あと1日頑張れば平日終わり・・・
土・日の行程を考えなければっ!
ホント、仕事どころじゃないです(笑)


さて、本日は祐実軍團「軍報」の
第85弾といたしまして
神奈川県横須賀市におかれていた
大楠山特設見張所の遺構を
簡単にご紹介させてくださいませ。


大楠山特設見張所は、
レーダーを使用して対空監視を行う
目的で1942年(昭和17)に
建設工事が開始されたようです。

ここには、電波探信儀が2基と
施設防衛のための13ミリ機銃が
2基配備され、太平洋戦争の終戦まで
対空監視にあたっていました。

現在、施設の跡地は周辺を
一望出来る大楠山の展望台と
なっているため、面影がありませんが
電探の架台と思われる遺構などが
わずかに残存しています。


横須賀市の大楠山にお邪魔してます↓



電波探信儀を据え付けた
架台とされる遺構が残ります↓



付属する遺構も残ります↓



これも当時のものと判断しました↓



これもそうでしょうね↓



この建物は微妙な感じですが
我々のホームページ上では
遺構として掲載する予定です↓

※違ってたら申し訳ないです・・・


展望台からは富士山が見えました↓



【収録遺構】
 横須賀海軍警備隊
 大楠山特設見張所

   建物 1棟
   その他 4箇所

【探訪情報】
 2016.10.15  第1回探訪

 歩数(指数) 未計測(100)


それでは、ホームページの更新に
はげみますので、本日はこれにて
失礼いたしますっ★


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 応援してください~ m(_ _)m

【阪奈軍團】(51)陸軍由良要塞地帯(和歌山県)

皆様、いかがお過ごしでしょうか。
やっと、週の折り返し地点ですね。。。

ここ2週間は、我々のホームページである
祐実総軍 ― 戦争遺跡データベース」 で
阪奈軍(近畿地方)に注力して
更新をさせていただいた結果、
近畿地方からのアクセスが
増えてきました。

私は残念ながら関東人ですが、
今でも関西に住みたいと
いたるところで公言しているくらい
関西が好きですので、
アクセスが増えたことで
何だか「お友達」が増えたような
気分にひたっております(笑)
(ナルシなんでね←要するにアホ)


さてさて、本日は阪奈軍團「軍報」の
第51弾といたしまして、
和歌山県下で確認出来ている
陸軍由良要塞の要塞地帯標の
ご紹介をさせてくださいませ。


由良要塞は、日本の本土に設置された
12箇所の永久要塞のうちの1つです。

1895年(明治28)の要塞司令部条例に
よって、永久的な防御工事を
施している地域は「要塞」とされ、
その周辺は「要塞地帯」とされました。

また、これに伴う法律も公布されており、
軍事機密保持のために要塞地帯に
指定された区域内での測量や撮影・
スケッチ・土木工事などは
要塞司令部の許可が必要でした。

これらの防衛構造物より
250間(約455m)以内を特に
「要塞地帯第一区」として一般人の
立入が禁止され、衛兵が
守備していました。

さらに、防衛構造物からの距離によって
「第二区」・「区域」が設定され、
これらを明確にするため
その境界に要塞地帯標がおかれました。

和歌山県に関しては、和歌山市内の
加太・深山・友ヶ島一帯が要塞地帯に
定められており、現在もその境界に
設置された要塞地帯標が残存しています。


大阪から特急に乗って和歌山へ飛びます↓



深山地区に残る要塞地帯標です↓



友ヶ島地区に残る要塞地帯標です↓



折れちゃっていますが、
虎島にも残っています↓



虻対策のトラップは用意してましたが
他は無防備だったのでビックリです↓



なお、由良要塞地帯標は
掲載以外にも残っている可能性が
非常に高いですので、これからの
探訪で見つけていきたいと思います。
来年、しょっぱなから決行します(笑)


【収録遺構】
 陸軍由良要塞地帯(和歌山県)

   軍用地境界標 3本

【探訪情報】
 2008.02.27 第1回探訪
 2008.03.16 第2回探訪
 2008.03.18 第3回探訪
 2016.07.18 第4回探訪

 歩数(指数) 50,000歩以上(999)


詳細は、後ほどホームページ内で
ご紹介させていただきますねっ★


それでは、またお会いしましょう♪


↑制作意欲につながりますので
 応援してください~ m(_ _)m

【莉央軍團】(3)横須賀海軍鎮守府大湊水雷団函館水雷衛所

皆様、いかがお過ごしでしょうか。
ここのところの気温の変化に
三等兵はついていけず
風邪がなかなか治りません。。。
週末までに回復させなければ(汗)


本日は、現在のところ大将麾下の
メンバーが不在となってしまっている
莉央軍團「軍報」の第3弾として
北海道函館市におかれていた
横須賀海軍鎮守府大湊水雷団の
函館水雷衛所の遺構を
ご紹介させてくださいませ。


大湊水雷団は、横須賀海軍鎮守府の
管下組織で、津軽海峡と北海道の
東海岸の海面防備を目的として
1902年(明治35)に現在の青森県の
むつ市に設置されました。

函館水雷衛所は、函館山一帯に
構築された陸軍函館要塞とともに
函館湾への敵艦の侵入を防ぐ目的で
1904年(明治37)に設置され、
日露戦争の防備につきました。

ここに、観音山の西に位置する麓から
函館湾の対岸へわたる海域に
敷設された水雷を爆破操作するための
試験室や、視発室・信号所や
弾薬庫・兵舎などの付属施設が
おかれました。

翌年の1905年(明治38)に日露戦争の
講和条約が調印されたことで、
敷設された水雷が撤去され
防御海面が解除されました。

現在、施設の跡地のほとんどが
函館山の山中に埋もれており
調査を継続していますが、
軍用地境界標や試験室・視発室などの
残存を現時点で確認出来ています。


函館山の麓付近に来ております↓



山を上って行きます↓



しばらく進んでいくと
軍用地境界標が残っています↓


「海軍用地標」と刻まれた標柱は
初めて見ました~★

この標柱は、陸軍用地と近接した
場所にあるため、このように
陸軍・海軍の両方の軍用地境界標が
おかれており、非常に稀です↓



海軍用地の内側にあるので
当時の建物跡と判断しました↓



これもそうでしょうね↓



山道をはずれて少し上がると
試験室(司令所かな?)が残ります↓



内部の様子です↓



視発室も残っています↓



室内です↓



残念ながら、ここから西側は
時間がなくて見れていません。。。
他のサイト様を覗いてみると
軍用地境界標が他にも
残っているようなので、
次回の探訪時に探してみます。
(情報募集中です~★)


【収録遺構】
 横須賀海軍鎮守府大湊水雷団
 函館水雷衛所

   建物 1棟
   地下施設 1箇所
   建物基礎 1箇所
   軍用地境界標 1本
   その他 1箇所

【探訪情報】
 2016.09.19  第1回探訪

 歩数(指数) 3,908歩(90)


詳細は、後ほどホームページ内で
ご紹介させていただきますねっ★

それでは、またお会いいたしましょう♪


↑制作意欲につながりますので
 応援してください~ m(_ _)m

【祐実総軍】コラボ記事第7弾です(笑)

皆様、いかがお過ごしですか?
週初めから素敵な「洗礼」を受けまして
さきほど帰宅いたしました~(笑)


本日は、予定を変更させていただき
我々のホームページである
祐実総軍 ― 戦争遺跡データベース」 の
キャラクター構想において
強力なタッグを組ませていただいている
ナルナル先生のブログ記事にて、
中国地方の探訪集団である
「真己軍團」の従軍メンバー達が
清廉されて取り上げられているので
「コラボ記事」として掲載させてください★


そろそろ、お馴染みになりますが、
中国地方探訪集団「真己軍團」の
総大将を務める福田真己大将↓
真己:よろしくお願いします★


今回は、真己軍團の尖将となる
先任参謀(No.4)の2名が
取り上げられておりますっ★↓
※左側から
 加藤芳 先任参謀(山口)
 中村朱里 先任参謀(鳥取)ですっ★


この2人も、ナルナル先生の
手にかかると素敵な姿に変わります↓
 16年10月24日分のナル絵

んふ~、いい感じですっ★
ちなみに、構想上は
中村参謀は花屋の娘で
加藤参謀はCGクリエイターです(笑)


そろそろ北海道探訪集団である
「莉央軍團」の構想も考えないと・・・
大将麾下、メンバーが不在であるため
探訪実績があるのに掲載出来ない(涙)
明日・明後日の通勤電車で
構想を練ってみます(笑)
往復3時間を有効に使わなくては。。。


我々のホームページならびに
拙ブログで既にリンクを
はらせていただいておりますが、
ここでもナルナル先生の「作品」を
大々的に宣伝させていただきたいので
下記のリンクからお入りくださいねっ↓
 ナル絵BLOG


なお、双方ともブログランキングに
エントリーさせていただいてますので
よろしければ応援をお願いしますっ★
(ポチポチっとお願いします~)

※2つ押していただけたら、
 三等兵の体力が回復します(笑)


【本日の写真】
宮城県仙台市におかれていた
仙台陸軍墓地の標石↓


由香里軍團の本拠となる
仙台市内↓



それでは、おやすみなさいませZzz

「祐実総軍 ― 戦争遺跡データベース」 更新しました(大阪府・和歌山県・兵庫県)

皆様、いかがお過ごしでしょうか。
また明日から平日ですね。
イヤダイヤダ。


本日は、我々のホームページである
祐実総軍 ― 戦争遺跡データベース」 に
微々たる件数で恐縮ではございますが
掲載遺構を追加させていただきましたので
そのお知らせを掲載させていただくことで
ブログの更新とさせてくださいませ。


今回の追加分は以下となります↓

 ・大阪府和泉市
  信太山陸軍墓地(5)

 ・兵庫県加古川市
  加古川陸軍病院(4)
  陸軍航空通信学校
  第二教育隊
(8)
  各務原陸軍航空支廠
  神野出張所
(3)
  陸軍第二十五飛行団
  飛行第十三戦隊
  加古川飛行場
(5)

 ・和歌山県和歌山市
  陸軍由良要塞加太砲台(23)
  陸軍由良要塞大川山堡塁(12)

 ※アンカーをクリックすると、
  それぞれ別ウィンドウで表示され
  音楽が流れますので、一度に全てを
  開かないようにご注意を!


今週は、通勤電車に揺られている時間も
ホームページの制作に充てましたが
風邪による体調不良や、送別会などで
本来であれば制作に充てられた時間を
棒引きにしてしまったので、
当方で立てていた制作目標を
大きく下回ってしまいました・・・(涙)

また、最近は色々と探訪のお誘いを
いただいているのですが、ことごとく
パスしてしまい、申し訳ないです m(_ _)m
取り急ぎ、現在のところ埋まっている
予定を晒しておきますね。。。

 10/30(日)
  富士宮・沼津方面
 11/19(土)~11/23(水)
  大阪・京都・奈良方面
 12/4(日)
  島田・牧之原方面

このほか、12月は単独・合同を含め
豊橋・田原・犬山・春日井・南知多・
美浜・豊山・岐阜・関ヶ原・各務原を
数珠つなぎに探訪する予定です。

それと、もしかなうのであれば
関係者の皆様方と「忘年会」なんかも
やらせていただきたいのですが・・・
皆様の中間あたりに位置する
「新橋」「上野」あたりで
いかがでしょうか・・・?
ご意見、お待ち申し上げております~


最後に、当面のホームページ更新は
以下の案件で行う予定です~
(やれるかどうか不安ですが・・・)↓

 ・群馬県
   みどり市
    東村防空監視哨(1)
   利根郡みなかみ町
    中島飛行機小泉製作所
    後閑地下軍需工場(1)
   沼田市
    東京第二陸軍造兵廠岩鼻製造所
    上川田地下軍需工場(1)

 ・栃木県
   下都賀郡壬生町
    宇都宮陸軍飛行学校
    壬生分教所(1)
   宇都宮市
    陸軍第十四師団司令部(5)
    陸軍第十四師団
    歩兵第六十六連隊(5)
    陸軍宇都宮憲兵隊(5)

 ・千葉県
   長生郡睦沢町
    陸軍第一四七師団
    抵抗拠点陣地(10)

 ・神奈川県
   横浜市
    東京陸軍兵器補給廠
    田奈弾薬貯蔵填薬所(34)
   横須賀市
    横須賀海軍航空廠(37)
    陸軍東京湾要塞第三海堡(6)
    横須賀海軍港務部(4)
   茅ヶ崎市
    陸軍第三一六師団
    抵抗拠点陣地(7)

 ・和歌山県
   和歌山市
    陸軍由良要塞地帯(2)
    陸軍由良要塞田倉崎砲台(36)
    陸軍由良要塞男良谷砲台(9)

 ・兵庫県
   姫路市
    姫路陸軍埋葬地(4)
    姫路陸軍兵器支廠(5)
    姫路陸軍衛戌病院(2)
    姫路海軍航空隊(1)


これからも頑張りますので
応援してやってくださいましっ!
よろしくお願い申し上げます m(_ _)m


↑制作意欲につながりますので
 皆様の1票を~ m(_ _)m

【鉄道】(8)京王帝都電鉄5000系

皆様、いかがお過ごしでしょうか。
三等兵は風邪真っ盛りです。。。
今日は予定をキャンセルして
家に籠って出来ることをして
以降の遠征に土・日を
有効に使えるようにしますっ。
あ~、頭いてぇ・・・


さてさて・・・
本日は、息抜きとして鉄道ネタで
ブログの更新をさせていただきます。
「軍報」目当てのご常連様、
失礼をお許しくださいませm(_ _)m


三等兵の裁量で恐縮です。
本日は京王5000系について
想いを記載させてください m(_ _)m


京王5000系電車(wikipediaを抜粋)↓
---------------------------------------
1963年(昭和38)から1969年(昭和44)にかけて
155両が日本車輌製造・東急車輛製造・
日立製作所で製造された。

架線電圧の1,500V昇圧に伴って投入され、
京王帝都電鉄京王線が路面電車由来の
軌道線から本格的な都市鉄道への
脱皮を果たしたことを象徴する車両である。
また、この車両から前面に貫通扉を設置した。

1964年(昭和39年)度の鉄道友の会
ローレル賞を受賞している。
この5000系を最後に、京王はローレル賞・
ブルーリボン賞を受賞していない。

1968年(昭和43年)以降に製造された車両は
関東地方初、また通勤形電車のうち
ロングシートを装備した車両という条件に
限れば、日本初の冷房車となった。
(三等兵注釈:通勤車で日本初の冷房車は
名鉄5500系です)

5000系は2M2Tcの高経済車として
製造された。WN継手式駆動の
補極・補償巻線付直巻主電動機 (130kW)、
発電制動付一回転カム軸式主制御器、
ARSE空制装置、PS13型パンタグラフを
搭載した。起動加速度は2.5km/h/s、
弱め界磁制御を15%までの広範囲で行い
5.60(150kW車は6.07)という大歯車比と
30km/h台の低定格速度にも関わらず
80km/h時の加速度1.5km/h/s、
平坦線釣合速度120km/hの
高性能を有する。

1996年(平成8)3月以降は
本線から完全に撤退し、
動物園線の区間運転で使用されたが、
同年11月30日に「さよなら運転」の
準備と移動を兼ねて
高幡不動 - 京王八王子 - 新宿 - 若葉台で
最後の営業運転を行った。翌12月1日に
「さよなら運転」を行ったが、この時に
かつての帯の「ひげ」をクハ5722に追加した。
若葉台 - 新宿 - 京王多摩センター - 若葉台を
2回運転し、午前と午後の運転の間には
若葉台で撮影会も実施した。
このさよなら運転は招待制であり、
1,000人(午前・午後各500人)が公募されたが、
実際の応募者が3,000人余りに達したことから、
京王では落選通知のはがきを撮影会場に
持参した人に対し、さよなら運転告知の
中吊りポスターをプレゼントする程であった。
---------------------------------------


こんな感じの車両です↓
5000-sa.jpg
ここより、写真を転用しております。
 (オーナー様が判らず申し訳ない)

鉄道に興味のない方々には
判ってもらえないかもしれませんが
素敵すぎますよ、この車体美★

確か、中学時代だったでしょうか・・・
「ファン」を貫くために形式を
1つに絞る時、京急1000形
この形式と「どちらにしようか」を
3日間くらい考え込んだことが
ありますっ★(頭おかしいね)
結果、京急1000形を追うことに。


通過表示灯を点灯させて
特急運用に入る5000系↓
keio5000-seiseki.jpg
ここより写真を転用しております。
 (オーナー様が判らず申し訳ない)

走行性能も素敵でした★
後期車は歯車比が6.07で
(国鉄103系と同等)
電動車(デハ)と付随車(サハ・クハ)の
比率がおおよそ1:1でしたが
速度100キロに到達するのに
時間はかからなかったはずです。
モーター音は確かマイルドな
高音系だったかな。。。
そんなに爆音じゃなかったです。


各停でスピードが乗らないですが、
当時の走行音です↓
 京王新宿線 5000系走行音
 ※motic1192様の動画です。

日立系列ですな~(笑)
東急7000系にすこし被る音です。


5000系が履いていた台車です↓

鉄道ホビダス台車近影から
 写真を転載しております。


5000系は、残念ながら京王線上では
全廃していますが、車体は人気があり
愛媛県をはしる伊予鉄道や
山梨県をはしる富士急行・
香川県をはしる高松琴平電鉄・
千葉県をはしる銚子電鉄 などなど
様々な地方で現在も活躍してます。
ただし、軌間が京王とは異なるので
(京王1372mm:その他1068mm・1435mm)
足回りは他の形式のものです。。。


是非、探訪の際は拝みたいですねっ

本日は大変な「脱線」と「的外れ」な
ブログ更新で申し訳ありません m(_ _)m

明日は「ホームページ関係」の記事を
載せますので、「軍報」は月曜日からの
再会となります。よろしくお願いします★


それでは、またお会いいたしましょう♪