戦争遺跡のご紹介やホームページの制作状況などを綴っていきます♪

総軍BLOGへようこそっ!

♦ プロフィール

祐実総軍三等兵

Author:祐実総軍三等兵
全国に残る戦争遺跡を探訪して
記録することを生き甲斐とする
祐実総軍三等兵でございます★
稚拙な内容ではございますが、
これまで調べてきた戦争遺跡を
ブログ・ホームページで紹介を
させていただいておりますっ♪

よろしくお願いしますm(__)m

♦ 最新記事

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皆様、いかがお過ごしでしょうか。

三等兵は、職場の環境が悪すぎて
風邪を遷されそうでビクビクです。。。
今度の週末は静岡方面の探訪があるので
ここでくたばるわけには・・・


さて、本日も「予約」でのブログ更新ですが
祐実軍團「軍報」の第89弾といたしまして
神奈川県横須賀市におかれていた
観音崎第三砲台のご紹介を
今になってさせていただきたいと
思います。


観音崎第三砲台は、東京湾要塞の1つで
観音崎第一砲台観音崎第二砲台と共に
1884年 (明治17) 6月に竣工し、
日清戦争開戦直後の1894年(明治27) 9月に
28センチ榴弾砲4門の据付けが完了して
戦闘配備につき、その後の日露戦争に
おいても防備についています。

しかし、1923年(大正12) 9月の
関東大震災では観測所の掩蓋が
壊れるなどの大きな被害を受け
復旧されることなく1925年(大正14)に
除籍されました。

現在、砲台跡地は
神奈川県立観音崎公園として
整備されており、掩蔽部や弾薬庫などは
入口が封鎖されています。

また、関東大震災の損傷が
甚大であったために、砲座や観測所の
一部分も消失している状況ですが、
完存している遺構もあり、
見学することが可能です。


観音崎公園にお邪魔しております↓


ここから山を上って目指していきます。


遊歩道を進んでいくと、
背墻トンネルが口を開けています↓



トンネル脇には当時の建物と思われる
基礎部分が残っています↓


一時期、観音崎公園の施設(トイレ?)に
使用された痕跡がありますね。。。


背墻トンネルを抜けると、封鎖された
掩蔽部が2つ残っています↓



掩蔽部の内部を覗くことが出来ます↓



砲座です↓



砲座の脇には砲側弾薬庫の
入口部分がわずかに残っています↓



砲座の背面部分の崖に
関連遺構が倒壊した状態で残ります↓



砲座より少し後退した部分に
右翼観測所が残っています↓



背墻トンネルの真上には
左翼観測所跡が残っています↓



さらに少し上がったところに
指揮所と思われる遺構も残ります↓



観音崎公園には多くの砲台遺構が
残っており見ごたえがあります♪
比較的、アプローチも簡単ですので、
探訪をおすすめしますっ★


【収録遺構】
 陸軍東京湾要塞
 観音崎第三砲台

  砲座 1箇所
  観測所 2箇所
  地下施設 3箇所
  建物基礎 1箇所
  トンネル 1箇所
  その他 2箇所

【探訪情報】
 2005.05.29  第1回探訪
 2007.01.02  第2回探訪
 2014.05.24  第3回探訪
 2014.06.01  第4回探訪
 2015.12.05  第5回探訪

 歩数(指数) 約25,000歩(999)


ホームページでも公開中です★
(昨日追加しました~オセー)↓
 観音崎第三砲台


明日は、12月に入りますので
「ホームページ関係」で
ブログの更新をさせていただきます。


それでは、またお会いいたしましょう!


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皆様、おはようございますZzz

残念ながら本日は遅い時間の
帰宅となりそうなので、
予約投稿にてブログの更新を
させていただきます m(_ _)m


今日は、莉央軍團「軍報」の
第5弾といたしまして、
北海道函館市におかれていた
陸軍函館要塞の防備にあたった
函館重砲兵連隊の遺構を
ご紹介させてくださいませ。


函館重砲兵連隊は、函館要塞の
防備を行う砲兵部隊で、
1897年(明治30)に開設された
前身の函館要塞砲兵大隊からの
改編で編制され、千代台に
兵営がおかれていました。

昭和に入り、要塞の守備範囲が
拡大されたことで津軽要塞の
津軽重砲兵連隊に
改称され、終戦まで津軽要塞の
防備にあたりました。

現在、兵営の跡地の大半は
千代台公園に変遷して
整地されていますが、
わずかに遺構が残存しています。


函館の千代台にお邪魔しております↓


まだ9月だというのに、
この日の気温は9℃しか
ありませんでした・・・

総軍本拠では考えられない
気温ですが、改めて
北海道の「厳しさ」を感じました。

そんなことを言っている横で
半袖シャツで終日過ごした
このお方も相当「強い」です(笑)↓


さすが、「大元帥様」ですわ・・・


当時の門柱です↓



わずかに境界柵の支柱も
残っています↓



敷地の北西端に軍用地境界標が
残っています↓


余談ですが、今回の探訪拠点は
この斜向かいのホテルでした(笑)


この建物も当時のものっぽいです↓


住宅の倉庫に使われているので
場所は伏せます。


【収録遺構】
 陸軍函館要塞
 函館重砲兵連隊
 (陸軍津軽要塞
  津軽重砲兵連隊)

   門柱 1箇所
   建物 1棟
   軍用地境界標 1本
   その他 1箇所

【探訪情報】
 2016.09.20  第1回探訪

 歩数(指数) 416歩(100)


詳細は、後ほどホームページ内で
ご紹介させていただきますねっ★


それでは、またお会いいたしましょう!


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皆様、月曜日をいかがお過ごしでしょうか。


週の初めから、お仕事「みっちり」な
雰囲気を出してきたので
いち早く帰ってきました~
「仕事好き」の人達に任せたっ!
好きにしたまえ(笑)


さてさて、早く帰ってきた割には
いい時間ですので
本日は由香里軍團「軍報」の
第5弾といたしまして
宮城県仙台市におかれていた
仙台陸軍幼年学校の遺構を
1つだけご紹介させてくださいませ。


幼年学校は、幼少時から陸軍の
将校候補を養成するための
教育機関で、大正時代の軍縮により
廃止された仙台地方幼年学校が
昭和時代に入り中国での戦局拡大に
ともない復活し、三神峯に
校舎が新設されました。

ここでは13歳から16歳で入校した
生徒へ教育が行われ、卒業後は
予科士官学校に無試験で
進学出来ました。

現在、学校の跡地は
三神峯公園となっており、
整地されているため面影が
全くない状態ですが、
当時の門柱が残存しており
保存されています。


仙台市営地下鉄の南北線の
終着である富沢駅にきております↓


ここから、三神峯公園まで
歩いて向かいます。


道中、何か悲しい雰囲気を出す
居酒屋さんを見つけました↓


トレードマークである
おじいちゃんの「顔」が
悲しい感じで、三等兵も
悲しくなってしまいました・・・

残念ながら営業時間外だったので
お店の中には入れませんでした。

「おじいちゃんなんかじゃないよ」
そんな気持ちを伝えるため、
次回の再訪では必ず寄ります。


幼年学校の門柱です↓



門柱の裏側も載せておきます↓



雨がすごくなってきたので
記録後は早々に立ち去りました。


【収録遺構】
 仙台陸軍幼年学校

   門柱 1箇所

【探訪情報】
 2016.10.08  第1回探訪

 歩数(指数) 1,609歩(100)


詳細は、後ほどホームページ内で
ご紹介させていただきますねっ★


それでは、おやすみなさいませZzz


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皆様、いかがお過ごしでしょうか。
遂に日曜日も終わりですね。。。

明日からまた5日間も仕事することを
考えるとゲンナリですわ・・・

遠征先でよく遭遇する光景ですが、
17時前後に、各自治体で
「おうちに帰りましょう」ってな
放送や音楽が流れると思いますが
これを聞いてしまうと
本当にせつない気分にさせます。
三等兵を一番しょんぼりさせる
音楽がこれです↓
 防災行政無線 和歌山県和歌山市17時
 ※JRwehksf様の動画です。

一時期、住んでいた海老名市も
この音楽を使っていたな。。。


さてさて・・・
本日は、息抜きとして鉄道ネタで
ブログの更新をさせていただきます。
「軍報」目当てのご常連様、
失礼をお許しくださいませ m(_ _)m


三等兵の裁量で恐縮です。
本日は小田急9000形について
想いを記載させてくださいませ。


小田急9000形電車(wikipediaを抜粋)↓
---------------------------------------
小田急9000形電車は、小田急電鉄が
1972年から1977年まで導入を行なった
通勤車両である。

1970年代から開始された、
当時の帝都高速度交通営団(営団地下鉄)
千代田線相互直通運転のために
導入された車両で、当初は
4両固定編成で製造され、追って
6両固定編成も登場、最終的には
4両固定編成と6両固定編成が
それぞれ9編成の合計90両が運用された。

小田急の通勤車両では初めて
他事業者路線への乗り入れを前提とした
車両になることから、それまでの
小田急の通勤車両の標準仕様とは
異なる新技術が採用された。

そのスタイルや車両仕様が評価され
1973年には鉄道友の会より
ローレル賞を授与された。
1978年から1990年まで
千代田線直通列車を中心に運用され
その後も箱根登山鉄道線への
直通運転を含む地上線で
広範囲に運用されたが、後継車両の
導入に伴い2006年で全車両が廃車となった。
---------------------------------------

こんな感じの車両です↓

ここから写真を拝借してます。
 (オーナー様が判らず申し訳ない)


三等兵と「同期」です、この形式。。。
当時、営団(東京メトロ)千代田線内を
はしっていた形式は、
国鉄が(JR)103系1000番台で
営団は5000系と6000系で
小田急はこの9000形でした。

千代田線のラインマークは
緑色が採用されており(今もそうです)
国鉄と営団は車体の帯が
ラインマークに則った「緑」が
使用されていましたが、
小田急だけは「青」の帯だったので
9000形が到着すると、お客さんが
違和感を覚え、駅員さんに
「これは千代田線ですか?」
「××(駅名)まで行きますか?」
なーんて確認している光景を
何度も見たことがあります(笑)


小田急線内で優等運用につく
9000形(右側)↓

8時ちょうどのスーパーあずさ5号様
 写真を借用しております。

ちなみに、左側は5000形ですが
これも現在は見ることが出来ません・・・

この時代の小田急は「最高」でした。
車体よし、デザインよし、性能よし。
ただ、ラッシュ時は「最低」でしたね。
朝の急行の表定速度なんて
20キロそこそこしかなかったし、
たかだか町田から新宿まで行くのに
缶詰状態で1時間もかかってたし。。。


9000形が履く住友FS085台車です↓

鉄道ホビダスの台車近影から
 写真を転載しております。

「Zリンク支持」ですねっ★
素敵な台車です。


よそからのパクリばかりですが、
9000形の走行音です↓
 小田急9000形走行音(開成~足柄)
 ※motic1192様の動画です。

個人的に、小田急の全形式の中で
一番好きな「音」ですっ!
西鉄6000と速比違いの同音かな。


本日は大変な「脱線」と「的外れ」な
ブログ更新で申し訳ありません m(_ _)m
明日は「軍報」やります★


それでは、またお会いいたしましょう♪


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皆様、こんばんわ m(_ _)m

今日は近くの美容院に行って
白髪染めと矯正してきました!
最近は白髪が増えてきたのと同時に
前髪まで痩せてきちゃって、
年を取ってしまった感が
ハンパないです。。。
40過ぎてるし、ある程度は
仕方ないとは思ってますが・・・


さてさて・・・
本日は、我々のホームページである
祐実総軍 ― 戦争遺跡データベース」 に
ここ1週間くらいで反映出来たものを
掲載させていただくことで
ブログの更新とさせてくださいませ。


今回の追加分は以下となります↓
(カッコ内は掲載遺構の数です)

 ・東京都調布市
  陸軍第十七飛行師団
  調布飛行場
(2)

 ・神奈川県横浜市
  東京陸軍兵器補給廠
  田奈弾薬貯蔵填薬所
(33)

 ・神奈川県横須賀市
  陸軍東京湾要塞
  衣笠弾薬本庫
(43)
  横須賀海軍警備隊
  大楠山特設見張所
(5)

 ・神奈川県三浦市
  海軍東京湾要塞地帯(1)

 ・静岡県沼津市
  横須賀海軍警備隊
  沼津防空砲台
(3)

 ・静岡県賀茂郡西伊豆町
  横須賀海軍鎮守府
  第一特攻戦隊田子基地
(5)

 ・静岡県富士宮市
  陸軍少年戦車兵学校(21)

 ・静岡県島田市
  横浜第二海軍技術廠
  牛尾実験所
(7)

 ・石川県金沢市
  金沢陸軍埋葬地(7)

 ・滋賀県大津市
  陸軍第四師団大谷射的場(22)
  大津陸軍埋葬地(2)

 ・兵庫県姫路市
  陸軍第十師団師団司令部(9)
  姫路陸軍兵器支廠(4)
  姫路陸軍衛戌病院(2)
  姫路陸軍埋葬地(4)

 ※アンカーをクリックすると、
  それぞれ別ウィンドウで表示され
  音楽が流れますので、一度に全てを
  開かないようにご注意を!


今月は、総軍プロジェクトの中では
「新年」に相当する月ですので
いつもにないペースで制作を
させていただいたつもりですが、
やはり「まだまだ」です。。。

もう、ここまで来てしまうと
自分で満足する結果は
自身で出せないかもしれません・・・

ちょっと挫折気味ですが
当方に関係する皆様方からの
応援やご協力を仰ぎつつ
この不毛なスパイラルから
抜け出していきたいですっ!

ホームページは、関係者の皆様と共に
歩んだ「軌跡」でもありますからね。
こんなことをいちいちブログに
書く必要もないことかもしれませんが、
ホームページの制作は、もっぱら
三等兵の仕事としておりますが、
「我々」という単語を用いて
ホームページを表現しているのは
決して三等兵自身だけの「功績」だけで
成すことが出来ないことを知って欲しい
気持ちの表れでございますっ★

これまでの「出会い」に感謝ですっ!
そして、しょーもない三等兵に
これからもお付き合いのほど
どうぞよろしくお願いいたします m(_ _)m


【本日の写真】
宮城県仙台市におかれていた
東京第一陸軍造兵廠の
仙台製造所の建物↓



それでは、また明日っ★


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皆様、いかがお過ごしでしょうか。
今日も関東地方は寒かったですね~
ついに、コートを出しましたよ・・・
今年は冬が越せないかもな(笑)


さてさて、本日は阪奈軍團「軍報」の
第53弾といたしまして
大阪府河内長野市におかれていた
大阪陸軍幼年学校の遺構を
簡単にご紹介させてくださいませ。


幼年学校は、幼少時から陸軍の
将校候補を養成するための
教育機関で、1896年(明治29)に
中央幼年学校が東京に設置され、
主要都市であった大阪や
仙台・広島などにも地方幼年学校が
設置されました。

大阪地方幼年学校では、13歳から
16歳で入校し有料で 3年間の教育を行い、
卒業後は中央幼年学校・士官学校への
進学ルートがありました。大正に入ると
大阪幼年学校に改称し、その後の軍縮で
廃止されますが1936年(昭和11)に
復活し、河内長野市内に新設された
校舎に移転しました。

現在、跡地は大阪南医療センターや
府立長野北高等学校などに変遷し
面影がない状態ですが、当時の遺構が
移設保存されています。


歌手の谷村新司さんの出身地である
河内長野市にお邪魔しております↓



ふるさと歴史博物館に到着です↓



軍用地境界標が移設保存されています↓



方位盤も保存されています↓



最初に谷村新司さんの名前を
出した理由は・・・

実は、帰りの新幹線で一緒だったんです。
すぐ近くの席に座られていました。

多分、プライベートでの移動だと思い
握手やサインの「おねだり」は
自粛しましたが、一声かけてみたかった~
かっこよかったですっ!
ヒゲが素敵でしたっ★


【収録遺構】
 大阪陸軍幼年学校

   軍用地境界標 1本
   その他 1箇所

【探訪情報】
 2016.11.19 第1回探訪

 歩数(指数) 4,945歩(100)


それでは、また明日っ!


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皆様、いかがお過ごしでしょうか。
今日の関東地方は雪も降って
寒い1日でした・・・

総軍の「本拠」である
埼玉も朝からこんな感じでした↓


むむむ、関西から帰還して
すぐにこんな陽気じゃ
何か波乱の予感がします・・・


さてさて、本日は美恵軍團「軍報」の
第32弾といたしまして、
静岡県富士宮市におかれていた
陸軍少年戦車兵学校の
遺構をご紹介させてくださいませ。


少年戦車兵学校は、戦車などの
機甲部隊の拡充強化を目的として、
1941年(昭和16)に千葉市におかれていた
戦車学校から分離独立し
富士宮市に兵営が新設されました。

ここには、校舎や集会所・車庫・
弾薬庫などがおかれたほか、
約80両の戦車と自動車類も配備され
太平洋戦争の終戦までの間に
約 4,000名の少年兵が卒業しました。

当時の敷地跡は小学校や
スポーツ広場・工場・住宅地などに
変遷していますが、周辺に多くの
遺構が残っているほかに、
若獅子神社の境内に、
サイパン戦において投入された
九七式中戦車が引き揚げられて
保存されています。


かれこれ10年以上のお付き合いとなる
「師」であり「友」でもあり
「何でもあり(笑)」の重鎮方の皆様と
富士宮市にお邪魔しております↓



若獅子神社の境内に
戦車学校の建物配置図があります↓



正門です↓



通用門です↓



移設された軍用地境界標です↓



当時の戦車も保存されています↓


これは、「チハ」のコードネームをもつ
(中戦車の「チ」・3種目をイロハ表現で「ハ」)
陸軍主力の車両であった九七式中戦車で、
熾烈をきわめたサイパン戦で実際に使われ
終戦後に引き揚げられました。
現在は、戦車の諸元や経緯を記した
案内板と屋根が設けられて丁寧に
保存されていますっ★


関連する建物かもしれません↓

※ホームページ上は当時の遺構として
 掲載させてください。


水槽です↓



表門跡です↓



周辺に関連する遺構が残ります(抜粋)↓



将校集会所の通用門です(抜粋)↓



燃料油脂庫です↓



敷地のはす向かいになるのですが
おそらく当時の建物でしょうね↓



橋梁も残ります↓



建物配置図と照らし合わせると
狭窄射撃場の付属建物です↓
P1210018.jpg


陣営具庫です↓




必中橋です↓



周辺に防空壕も残っています↓



【収録遺構】
 陸軍少年戦車兵学校

  門柱 5箇所
  建物 6棟
  橋梁 2箇所
  地下施設 1箇所
  軍用地境界標 1本
  その他 6箇所

【探訪情報】
 2016.10.30   第1回探訪

 歩数(指数) 未計測(100)


それでは、またお会いいたしましょうZzz


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皆様、いかがお過ごしでしょうか。
三等兵は、昨日までの探訪をもって
体力・気力・財力の全てを使い切り
腑抜け状態になっております・・・

本日で大阪・京都も
しばしのお別れでございます。


あ~っ、やってらんねぇ↓


新幹線の乗車までの数時間を充て
柏原市に向かいます↓


梅田~天王寺~柏原と電車を乗り継ぎ
駅に到着した途端、おピンちゃん先生も
やってられない病にかかってしまい
柏原名物のブドウ畑のレプリカに
八つ当たりをしております(笑)↓


陸軍第十一飛行師団の
大正飛行場に関連する
陸軍官舎を見学します↓

残念ながら、周辺は開発の途上で
消失してしまう運命にあるようです。。


新大阪に戻ってきました↓


いよいよ、しばしのお別れです↓


特に交通の支障なく、
15時に本拠へと帰着いたしました。
あ~っ、燃え尽きました・・・


5日間にわたりまして、
要領の得ない雑記に
お付き合いいただきまして
ありがとうございました m(_ _)m


明日以降のブログ更新ですが、
木曜日は美恵軍團「軍報」、
金曜日は阪奈軍團「軍報」、
土曜日は「ホームページ関係」、
日曜日は「鉄道」というスケジュールで
まわさせていただきたいと思います。


それでは、またお会いしましょうっ!


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皆様、おはようございますm(__)m

朝から東北・関東地方で
地震が発生したようですね・・・


今日は終日滞在出来る最後の日なので
総攻撃でまいります(笑)
午前は宇治、午後は京都大原を
めぐりたいと考えてますっ!


朝ゴハンを食べて出発です↓


黄檗に到着しました↓


黄檗火薬庫の遺構です↓


軍用地境界標もありました↓


モミジがきれいですね~ホエホエ↓


ここから大急ぎで京都駅に向かいます↓


京都駅から大原地区にやってきました↓

いやぁ、京都とは思えない
のどかで素敵な風景ですねっ★


取り急ぎ、お昼にします↓


素敵な風景ですっ★
癒されますね↓


寂光院に寄らせてもらいました↓


足湯に入りながらコーヒーも
飲めるようですよっ★↓


続いて、三千院にお邪魔してます↓


お抹茶もいただけます↓


癒されますねっ★↓


いよいよ、日が落ちてきました・・↓


今回の探訪もオワタ・・・(涙)↓


京都も素敵な街ですねっ★↓


最後の晩餐でございます(笑)↓


ここからの眺めも最高です↓


最後の宴が始まります(笑)↓


総攻撃のち玉砕です↓


最後のあがきで夜景を堪能します↓


もうこんな時期なのですね↓


明日は午前中だけ探訪して
帰還します。オワタ


今日もダラダラとブログに
お付き合いいただき、
ありがとうございました m(__)m



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皆様、おはようございますZzz

そろそろ疲れが出始めていますが
今日も頑張りたいと思います★

今日は貴船~南禅寺~宇治~枚方で
まわっていきますっ!


それでは、出発します!


鞍馬寺に到着しました↓


身が引き締まる感じですね↓


ちと、撮影する人間の腕っぷしが悪いんで
いい写真が撮れないですが、
紅葉、美しいですよっ★↓




ここでお昼にさせていただきます↓


貴船神社に来ております↓


水占いやったら、見事に凶でした↓


日頃の行いですなっ!
まぁ、前向きに・・・


鞍馬から出町柳までは
叡山電車のお世話になります↓



南禅寺に来ました↓


いや~、すごい人です・・・
道路も渋滞で全然車も動かないです(涙)


でも、すごく景観がよく
とても癒されましたね~↓




予定では宇治と枚方に行く予定が
だいぶ圧してしまったので、
明日の朝イチから宇治に行くことで
今日は打ちきりにします。


お昼ゴハンで調子に乗ったので
夕飯はお好み焼きでいきます↓


環状線で宿に戻ります↓



明日は終日滞在の最終日です。
思い残しのないようにしたいです。
今日も早く寝ますZzz



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