2017年01月 - 戦争遺跡調査研究軍 祐実総軍

【阪奈軍團】(67)陸軍大阪師管区和歌山連隊区司令部

皆様、いかがお過ごしでしょうか。

体制は2月も変わらないですが
自身で勝手に定義した「マスト」の
クソ忙しさは本日で終了です。

そして、明日から数日間は
思いっきり力尽きる予定です(笑)
意味深ですね~ フハハハ


さて、本日も前回に引き続き
「予約投稿」でのブログ更新です。
阪奈軍團「軍報」の第67弾として
和歌山県和歌山市におかれていた
陸軍和歌山連隊区司令部の
遺構をご紹介させてください。


連隊区は、区域内の徴兵や
召集に関連する兵事事務を
行うための部署で、歩兵連隊の
所在地に司令部が設置されていました。

その中で、和歌山連隊区は
和歌山県内の兵事事務を担当し
大阪におかれた大阪師管区に
隷属しました。

現在、連隊区司令部の跡地は
近畿財務局和歌山財務事務所と
なっていますが、敷地の外周を中心に
当時の遺構が残っています。


前回に引き続き、夏の和歌山市に
お邪魔をしております↓



今回の探訪も、お世話になっている
盡忠報國先生大日本者神國也
神崎伸介先生kanレポート
参考にしながらの実施です★


当時のものと思われる門柱です↓



門柱から少し進んだところに
軍用地境界標が残っています↓



近畿財務局の背面に位置する
住宅地内にも軍用地境界標が
残っています↓



市道沿いにも当時のものと思われる
門柱が残っています↓


ここから少し南下した場所にも
軍用地境界標があったのですが
現認しただけで写真を撮るのを
忘れてしまったみたいです・・・(汗)

kan先生のレポートに掲載している
該当の軍用地境界標を
ここに掲載させてください m(_ _)m↓

kan先生ブログで掲載している
 写真を転載しています。


うーん。。。再訪したいのですが、
叶うかどうかって感じです・・・
凡ミスするなんて、
何とも情けないですね(涙)


【収録遺構】
 陸軍大阪師管区
 和歌山連隊区司令部

   門柱 2箇所
   軍用地境界標 2本
   軍用地境界標 1本(kan先生)

【探訪情報】
 2016.07.19  第1回探訪

 歩数(指数) 約1,000歩(96)


詳細は、後ほどホームページ内で
ご紹介させていただきますっ★


明日は月を跨いで2月に入りますので
「ホームページ関係」でブログを
更新させていただきます。


それでは、また明日っ!



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【阪奈軍團】(66)陸軍第四師団和歌山演習場

皆様、いかがお過ごしでしょうか。

三等兵は「劣化」がひどいので
今日は午後からの出勤です・・・

今日・明日まではタクシー利用での
帰宅(エンドレス)予定なので、明日までは
阪奈軍團のネタを「予約投稿」で
仕込んでおります(笑)


今回は和歌山県和歌山市におかれた
陸軍第四師団の和歌山演習場の遺構を
ご紹介させてくださいませ。


和歌山演習場は第四師団に所属する
部隊の兵科演習場として、
歩兵第六十一連隊が和歌山市に
移駐したことにより設置されました。


現在、敷地跡は市立今福小学校や
住宅地などに変遷しており
面影が全くありませんが、
敷地の北端付近に軍用地境界標が
残っています。


夏の暑さでバテ気味の
おピンちゃん先生と探訪します↓



今回の探訪も、お世話になっている
盡忠報國先生大日本者神國也
神崎伸介先生kanレポート
参考にしながらの実施です★


1つ目の軍用地境界標です↓
IMG_4856.jpg


2つ目の軍用地境界標です↓



少し離れた場所に、引き抜かれて
横倒しになっているものも
ありました・・・↓


いらないなら、私にくださいっ・・・
でも、保管場所がないか(涙)


【収録遺構】
 陸軍第四師団
 和歌山演習場

   軍用地境界標 3本

【探訪情報】
 2016.07.19  第1回探訪

 歩数(指数) 1,063歩(100)


詳細は、後ほどホームページ内で
ご紹介させていただきますねっ★


それでは、また明日っ!


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【雑記】せっかくの休日が・・・

皆様、日曜日をいかがお過ごしでしょうか。

三等兵は疲れ切ってしまっております・・・
もはや、何かをする気力もなし。。。


本当は、ホームページの更新や
ナルナル先生に時間を割いてもらって
キャラクターを制作してくれた
「那瑠絵軍團」の構想や、
探訪スケジュールの具体化などに
今日という日を充てたかったのですが・・・


「腑抜け」になってボーっとしていると
おピンちゃん先生から
うれしいお言葉が。

 「温泉でも行く?」

ここのところ、三等兵の様子が
おかしいと判るんでしょうね(笑)

おピンちゃん先生に予約を
お任せして、2月の九州探訪前に
鬼怒川の温泉旅館へ
行くことにしました。

これで、2月の全ての予定が埋まり
会社が大好きな「休日出勤」は
不可能となりました~ ククク
もはや、休日の出勤ですら
「当たり前」としているバカ企業に
全力で対抗していくつもりです。
四の五の言われても関係ないです。
嫌なら切れ。ただそれだけです。


【本日の写真】
テレビ朝日の報道ステーションで
紹介された猿島(神奈川県横須賀市)に
残存する陸軍東京湾要塞猿島砲台の
地下施設↓




くだらない「雑記」での更新で
申し訳ありません m(_ _)m

明日は「軍報」でブログの更新を
させていただきます。



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【雑記】那瑠絵軍團が発足です

皆様、いかがお過ごしでしょうか。

三等兵は、くそったれプロジェクトの
「おかげ」で本日も仕事でございます。
たかだか数十人の人材で、例えば
1日で「城」が建つと思っている
バカユーザーに対し、
「やってみなければわからない」とする
クソメーカー。

どちらも頭が悪すぎでしょう。
正解は「出来ません」です。
やらなくても「判る」でしょうに。
金のためなら、出来ないことでも
引き受けてしまうメーカーの姿勢は
「異常」です。

早くフェードアウトさせてくれ~!


さてさて、暗い話からのスタートで
申し訳ありません。。。
ここからは、当方にとって明るい話を
「雑記」形式で「予約投稿」させてください。


次回の「遠征」が九州であることは
既にお話しをさせていただきましたが
「遠征」に先立って、ホームページに
登場する予定のキャラクターが
ナル絵BLOGのナルナル先生の手により
完成しましたので、本日を以って
第一九州戦争遺跡調査研究軍として
「那瑠絵軍團」が発足いたしました★


那瑠絵軍團のトップ3です↓
左側から
 稲益那瑠絵 大将(福岡)
 指方奈摘 副将(長崎)
 松浦優貴菜 参謀長(長崎) ですっ★


このほか、主軸となる3名を入れて
総員6名で九州の北部に位置する
福岡県・大分県・佐賀県・長崎県を
探訪範囲として総軍麾下に入ります。
軍團の「本拠」は福岡県久留米市です。
本当は長崎県佐世保市にしたかったですが
熟慮の結果、これまでの経緯に沿って、
九州の玄関口となる県の
都市とさせていただきましたっ!

また、今回のキャラクターの確定により
総軍プロジェクトに登場する
真己・珠美・莉央の各軍團を除いた
「全て」の既出キャラクターを
ナルナル先生に再「デザイン」を
お願いして、リニューアルしていく
決心がつきました(笑)
まだまだ「作成途上」ですが、
同時進行で新しい内容に
置き換わっていく予定です。
先生には一層の負担を
強いる形になってしまうのですが
プロジェクトの精度向上のために
ご協力を仰ぎたいです★ m(_ _)m


我々のホームページならびに
拙ブログで既にリンクを
はらせていただいておりますが、
ここでもナルナル先生の「作品」を
大々的に宣伝させていただきたいので
是非、下記のリンクからお入りください↓
 ナル絵BLOG


キャラクターの精度向上だけでなく
関係者の皆様方と力を合わせつつ
掲載遺構の数も一層増やせるように
今後も頑張ってまいりますので
引き続きの「応援」を賜りますよう
お願い申し上げますっ! m(_ _)m


【本日の写真】
神奈川県横須賀市におかれていた
野比海軍病院の地下壕↓



それでは、また明日っ!


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【阪奈軍團】(65)陸軍第四師団歩兵第六十一連隊

皆様、こんにちわっ★


本当に残念ですが、
仕事が忙しい日々を過ごしており
会社の「おかげ」で容姿・精神ともに
「劣化」しております。

仕事のことなんか忘れて
温泉にでも入って
「養生」したいものです。


さてさて、本日も「予約投稿」で
ブログの更新をさせていただきます。
今回は、阪奈軍團「軍報」の
第65弾といたしまして、
和歌山県和歌山市におかれていた
歩兵第六十一連隊の遺構を
ご紹介させてくださいませ。


歩兵第六十一連隊は、
京都におかれていた第十六師団に
隷属する部隊として、1905年(明治38)に
編制されて大阪府内に駐屯しましたが、
のちの改編で第四師団の所属となり
1909年(明治42)に和歌山へ
移駐しました。

昭和に入ると満州に駐屯して
日中戦争に参戦し、太平洋戦争では
フィリピン方面の作戦に参加後、
ビルマ方面に転戦し、陣地の
構築途中で終戦となりました。

現在、兵営の跡地は
県立和歌山商業高校や、
市立西和中学校などに変遷し
面影がありませんが、
わずかに正門や歩哨などが
保存されています。


新大阪から特急電車に乗って
和歌山へ移動します↓



暑い中を歩いて行きます↓



当時の通用門でしょうか・・・↓



国土交通省の近畿地方整備局に
正門と歩哨が保存されています↓



碑も建立されています↓



少し離れた護国神社内にも
当時の酒保の棚下におかれていた
円卓が保存されています↓



帰り際に和歌山ラーメンを
食べましたっ★↓


すげーうまかったですっ!
また食べに赴きたいです★


【収録遺構】
 陸軍第四師団
 歩兵第六十一連隊

   門柱 2箇所
   歩哨 1箇所
   その他 1箇所

【探訪情報】
 2016.07.19  第1回探訪

 歩数(指数) 3,022歩(100)


詳細は、後ほどホームページ内で
ご紹介させていただきますねっ★


それでは、またお会いいたしましょう!



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【珠美軍團】(7)陸軍第九師団輜重兵第九大隊

皆様、いかがお過ごしでしょうか。

寒い日が続いておりますね。。。
特に、日本海側は大雪とのことで
大変なことになっているようですね・・・


本日は、珠美軍團「軍報」の
第7弾といたしまして
石川県金沢市におかれていた
陸軍第九師団の輜重兵第九大隊の
遺構を1つだけご紹介させてください。


輜重兵第九大隊は、前線に弾薬や
食料などを運び補給する役割を
持つ部隊で、1897年(明治30)に
名古屋で編制され、第九師団の
新設にともない、金沢に新設された
兵営に移駐しました。

昭和時代に入ると、大隊から連隊に
昇格し、日中戦争へ突入したことを機に
満州へ移駐して参戦しましたが、
太平洋戦争の開戦によって
沖縄の守備を経て台湾に転出し
終戦となりました。

現在、跡地は住宅地に変遷しており
面影が全くない状態ですが、
兵営内におかれた輜勲神社の
石柱の一部が平和神社内に
保存されています。


真夏の金沢市内でございます↓


あまりの暑さに、総軍大元帥も
もはや威厳が感じられません(笑)

かなり「険しい」顔つきなので、
kan先生ブログを参考にしながら
手短に探訪を済ませます(笑)


平和神社に到着です↓



境内には、輜勲神社の入口を示す
標柱の一部が保存されています↓



この後は、バス停近くの銀行で
少し涼ませてもらい、
バスで中心街に戻りました(笑)


【収録遺構】
 陸軍第九師団
 輜重兵第九大隊
 (陸軍第九師団
  輜重兵第九連隊)

   その他 1箇所

【探訪情報】
 2016.08.20 第1回探訪

 歩数(指数) 約2,000歩(100)


詳細は、後ほどホームページ内で
ご紹介させていただきますねっ★


それでは、また明日っ!


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【阪奈軍團】(64)加古川第二陸軍病院

皆様、いかがお過ごしでしょうか。

ここのところ、すてきな会社の
「おかげ」をもちまして、
忙しい日々を送っています。。。

従事する人間の生活には
まったく「お構いなし」という
企業の「あり方」が本当に
気に入らないですね~。


さてさて、本日も「予約投稿」で
ブログの更新をさせていただきます。

今回は、阪奈軍團「軍報」の
第64弾といたしまして、
兵庫県加古川市におかれていた
加古川第二陸軍病院の遺構を
簡単にご紹介させてくださいませ。


加古川第二陸軍病院は、
加古川市内に歩兵第一〇六連隊の
兵営がおかれたことで
設置された病院で、1942年(昭和17)に
開院し、太平洋戦争の終戦まで
機能が存続していました。

終戦後、病院は現在の厚生労働省に
移管されて国立病院となりましたが、
現在は一般財団法人の甲南会に移
管されており、甲南加古川病院と
なっています。

残念ながら、当時の建物群は
消失していますが通用門の跡や
揚水施設に関係する遺構が
現在も残っており、見学することが
可能です。


雨の中、おピンちゃん先生
甲南加古川病院にお邪魔してます↓


今回も教科書となる盡忠報國先生の
大日本者神國也を参考にしながら
記録していきます。


通用門の跡と思われます↓



病院の北側には揚水施設の
跡が残っています↓



付近には水槽も残っています↓



これも関連する遺構でしょうね↓



この後は、病院に隣接して
設置されていた歩兵第一〇六連隊の
遺構を見てまわりましたが、
後日の別記事としますね。


【収録遺構】
 加古川第二陸軍病院

   その他 4箇所

【探訪情報】
 2016.02.20  第1回探訪

 歩数(指数) 約500歩(100)


詳細は、後ほどホームページ内で
ご紹介させていただきますねっ★


それでは、またお会いいたしましょう♪



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【鉄道】(15)新京成電鉄800形

皆様、いかがお過ごしでしょうか。

何か、少しづつ日照時間が
延びてきたような気がします★
冬も、気温は低いままで
春・秋の季節と同じように
朝の5時くらいから夜の6時くらいまで
日が出ていると、実質的に
その日の探訪時間を長くとれるから
いいんですけどねっ(切実です)


さてさて、本日は
懇意にさせていただいている
slycrow先生ブログにて
当方にゆかりのある
新京成電鉄沿線の駅が
掲載されているので、
「鉄道」ネタでブログの更新を
させていただきます。

「軍報」目当てのご常連様、
失礼をお許しくださいませm(_ _)m


三等兵の裁量で恐縮です。
本日は新京成800形について
想いを記載させてください★


新京成電鉄800形電車 (wikipediaを抜粋)↓
---------------------------------------
新京成電鉄800形電車は、1971年に
登場した新京成電鉄の通勤形電車。

1971年(昭和46)から1975年(昭和50)にかけて
制御電動車 (Mc) のモハ800形801 - 818、
付随車 (T) のサハ850形および
制御車 (Tc) のクハ850形851 - 868からなる
36両が日本車輌製造で製造された。

1971年に落成した1次車は
埼玉県川口市にあった
日本車輌東京支店(蕨工場)で製造中に
工場が日本国有鉄道豊川分工場跡地への
移転に伴い閉鎖されたため、
製造途中の鋼体を愛知県名古屋市にあった
本店(熱田工場)に運んで艤装された。

翌1972年(昭和47)に落成した
2次車は本店で、3次車以降は
移転した豊川蕨工場(愛知県豊川市)で
製造された。

新京成電鉄最初の自社発注車は
1970年(昭和45)に東急車輛製造で
製造されたモハ250形および
サハ550形であるが、これらは
機器類を京成の旧型車から
流用したものであり、実質的なものは
当形式となる。

全長や前照灯の位置に違いは
あるものの、全体的に当時新京成電鉄の
主力車両であった、元京成電鉄の
旧型車に準じたデザインとなっている。

2004年(平成16)下期ごろ、
本形式は落成から30年以上経過し
老朽化が進行しているため、後継の
N800形に置き換えられることになり、
2005年(平成17年)6月に802編成が
廃車・解体された。

なお、暫定的に6両編成1本(818編成)が
2006年(平成18)12月10日から開始された
京成千葉線との直通運転に
使用される予定だったが、その後8800形の
一部編成を6両化して直通運転に
使用する計画に変更され、
800形の直通運転は中止となった。

818編成は8800形8両編成3本を
6両編成4本に組成変更した後、
2007年(平成19年)1月中旬に
廃車・解体された。

806編成・810編成についても、
2010年(平成22)7月17日に
実施されたダイヤ修正で
朝ラッシュ時の運転間隔を
現行の4分毎から4分30秒毎に
変更されたのにともない、
定期運用から離脱した。

そして翌週の7月24・25日に
「さよなら800形イベント」が開催され、
営業運転を終了した。
---------------------------------------


こんな感じの車両です↓


※ツキだっ!様のブログで掲載している
 写真を転載させていただいております。
 (上記2点の両方とも)


今から約40年前に、
三等兵と家族は新京成沿線の
マンションに引っ越してきて
(今も実家はココですね)
小学生から新京成を
ずーっと見て育ちました(笑)

当時、新京成電鉄は
既に東証2部上場の企業とはいえ
京成電鉄の「子会社」の要素が強く
車両も京成電車の「古株」が
たくさん走っており、
「魅力」がある路線とは
言い難いものだったと思っています。

その中で、「音」好きな三等兵が
一番好きだったのが
この800形です★


ちなみに、私が小学生の頃は
こんな顔と塗装でした(笑)↓

※あつし☆MORE様のブログ
 掲載している写真を転載してます。


同時期に、はしっていた京成電車の
車両とよく似ていますね~↓

※ページ99様のブログ
 掲載している写真を転載しています。


その後、前面扉の廃止と冷房化により
このような形の2種類にわかれ・・・↓


※JS3VXW様のブログ
 掲載している写真を転載しています。
 (上記2点の両方とも)


親会社の京成電鉄の車両が
このように車体更新されたことで・・・↓

※大山通信様のブログ
 掲載している写真を転載しています。


800形もこのように変化しました(笑)↓

※デハ712様のブログ
 掲載している写真を転載しています。


800形の登場当初は、個人的に
悪くないデザインかな~って
思っていましたが、日が経つにつれ
「ん?」ってなっちゃうような
顔つきに変化しちゃいました・・・(笑)

でも、この車両の「音」は
素敵でした~っ!
三菱モーターのWN駆動で
初速は営団5000西鉄2000の音を
混ぜたような感じで、
中高速は小田急9000と音階が
同じになる感じでしょうかね(笑)

よそ様のモノを使ってばかりで
恐縮ですが、800形の走行音です↓
 【走行音+静止画】新京成電鉄800形
 ※気ままに鉄道走行音様の動画です。

当方は、WN駆動の「音」のなかで
高速域へ進むにつれて「高音」から
だんだん「低音」が混じってくる
近鉄系列や西鉄系列を
特に好む「変態」ですが、
800形のように「低音」しか
聞こえなくなるのもいいですねっ!


800形の台車です↓

鉄道ホビダス台車近影から
 写真を転載しております。

住友金属のFS329台車です。
これは、親会社の京成電鉄の
車両達にも適用されてました。
うーん。。。そういう意味では
800形はオリジナリティーが
なかったのかもしれませんね。。。


本日は、大変な「脱線」と「的外れ」な
ブログ更新で申し訳ありません m(_ _)m

明日・明後日は、通常通り
「軍報」を掲載させていただきます。
是非、またお越しくださいませ。


それでは、またお会いいたしましょう★



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【莉央軍團】(8)陸軍函館要塞御殿山第一砲台

皆様、いかがお過ごしでしょうか。

三等兵にとって、地獄の1週間が
始まりました・・・(涙)


先週の終わりから、ブーブーと
仕事に対する文句を垂れましたが
結果として、今回は当方が
「泣き寝入り」したので、
「渋々」従ってやろうと思います。
(何回も言うけど、今回が最後です)


そういったわけでございまして、
まともに家すら帰れるか
微妙な感じですので、
今週のブログ更新は
全て「予約投稿」にて行います(涙)
本日(1/23の月曜日)から
今度の土曜日(1/28)までの間は、
毎日14時にアップさせていただきますので
変わらぬご訪問のほど、お願いいたします。


さてさて・・・・・
本日は、莉央軍團「軍報」の第8弾として
北海道函館市におかれていた
陸軍函館要塞の御殿山第一砲台を
簡単にご紹介させてくださいませ。


御殿山第一砲台は函館要塞の1つで
津軽海峡方面に対する砲戦砲台として
1900年(明治33)に完成しました。

ここには、28センチ榴弾砲が
4門据え付けられ、その後の日露戦争で
防備につきましたが、1934年(昭和 9)に
装備の旧式化で除籍となりました。

現在、砲台跡には北海道放送や
NHKの施設がおかれて破壊されており
基本的に立ち入りが出来ませんが、
砲座の一部分や地下施設などが
残っています。


おピンちゃん先生と函館に
お邪魔しております↓



ここからロープウェイで
山頂を目指していきます↓



山頂に到着です↓



着いた途端、景色のよさに
おピンちゃん先生が
「わー」ってなっちゃって、
三等兵に「待機」を命じました(笑)↓



収束するのをひたすら待ちます↓
P1200238_201701231336375e7.jpg


20分くらい経ったでしょうか・・・(笑)
お目当ての場所に移動します。


砲座の一部です↓



ここから先は、おピンちゃん先生に
待っててもらい単独行動です。
基本的に立ち入り出来ないので
以降に挙げる写真は、
全体的に暗いですが、
見やすいような加工はしません。


正面と右側に地下通路の
入口があります↓



1つ目の掩蔽部です↓



2つ目の掩蔽部です↓



掩蔽部の付属室です↓



【収録遺構】
 陸軍函館要塞
 御殿山第一砲台

  砲座 1箇所
  地下施設 3箇所
  トンネル 2箇所

【探訪情報】
 2016.09.20  第1回探訪
 2016.09.21  第2回探訪

 歩数(指数) 約2,000歩(102)


詳細は、後ほどホームページ内で
ご紹介させていただきますねっ★


明日は「鉄道」ネタで
ブログの更新をさせていただきます。


それでは、またお会いいたしましょう!


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【祐実軍團】(92)陸軍東京湾要塞夏島電灯所

皆様、いかがお過ごしでしょうか。

いやぁ、久々によく寝ました(笑)


今日は、三重県探訪の
代替じゃないですが、
単独で福生と調布の新規案件でも
見に行こうかと思ったのですが、
都内の探訪においては
「必ず」と言っていいほど
これまで「一緒」に見てきた
いっちゃん先生にお声をかけて、
後日行くことにしたいと思います。

ちなみに、我々のホームページ
掲載している都内案件のなかで
いっちゃん先生と三等兵とで
「一緒」にまわっていないのは
中野・練馬・荒川・葛飾・文京・昭島の
ほんの一部だけです。
こういう形で表にあまり登場しませんが
実はものすごい智者なのです★ シミジミ


こういった前置きを入れて、
本日は祐実軍團「軍報」の
第92弾といたしまして、
神奈川県横須賀市におかれていた
陸軍東京湾要塞の
夏島電灯所の遺構を
ご紹介させてくださいませ。


夏島電灯所は東京湾要塞の 1つで、
夏島砲台の付属施設として、
砲台の東側に電灯機関舎(発電機室)を
かかえる施設がおかれていました。

電灯所とは、サーチライトを運用する
施設のことで、夜間の砲撃に
必要不可欠となるものでした。

戦後、敷地は夏島貝塚として
保存されており、手付かずの
状態となっていますが、
大正時代に発生した関東大震災で
損壊しているため、一部の痕跡しか
判らない状況です。


はぁはぁ、夏島の頂上です↓


今から、ほぼ10年前に遡りますが
いっちゃん先生・OKN先生・土龍先生と
ヘッポコ三等兵の4名で巡っていきます。


夏島砲台から切通が残ります↓



切通部分を俯瞰すると
こんな感じです↓



倒壊しちゃっていますが、
探照灯座です↓



階段部分も残っています↓



最後に、夏島砲台の砲側弾薬庫で
撮った記念写真です(笑)↓


加工しているので判りませんが
やはり、10年前だけあって
みなさんの顔が「若い」です!
三等兵も髪が長いし・・・(笑)


【収録遺構】
 陸軍東京湾要塞
 夏島電灯所

  その他 3箇所

【探訪情報】
 2005.05.01  第1回探訪
 2007.02.04  第2回探訪
 2007.02.17  第3回探訪

 歩数(指数) 5000歩くらい?(999)


詳細は、後ほどホームページ内で
ご紹介させていただきますねっ★


それでは、またお会いいたしましょう!


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