戦争遺跡のご紹介やホームページの制作状況などを綴っていきます♪

総軍BLOGへようこそっ!

♦ プロフィール

祐実総軍三等兵

Author:祐実総軍三等兵
全国に残る戦争遺跡を探訪して
記録することを生き甲斐とする
祐実総軍三等兵でございます★
稚拙な内容ではございますが、
これまで調べてきた戦争遺跡を
ブログ・ホームページで紹介を
させていただいておりますっ♪

よろしくお願いしますm(__)m

♦ 最新記事

♦ カウンター

皆様、いかがお過ごしでしょうか。

三等兵は、火曜日にして
早くもおなかいっぱいですっ!
気持ちは1週間分働きましたよ(笑)

早く、週末にならないかな・・・


さてさて、本日は和泉軍團「軍報」の
第48弾といたしまして
千葉県いすみ市におかれていた
海軍技術研究所太東実験所の遺構を
簡単にご紹介させてくださいませ↓




海軍技術研究所は、兵器類の
研究や開発を行う目的で
1923年(大正12)に設置された
海軍の研究機関です。

太平洋戦争が開戦されると、
敵航空機を早期に発見し
迎撃するための
電波探信儀(レーダー)の開発が
行われるようになり、
1943年(昭和18)に実験所が
おかれました。

ここには、大型1基・小型4基の
電波探信儀と付属建物が
設置され、終戦まで機能が
存続しました。

終戦後、施設はアメリカ軍に
爆破されましたが当時の遺構が
わずかに残っています。



今回は、いっちゃん先生と
OKN先生と一緒に太東崎灯台へ
来ております↓



電波探信儀の台座が残ります↓



台座の脇に解説板が
設置されています↓



これも建物跡であると
推測していますが・・・↓



【収録遺構】
 海軍技術研究所
 太東実験所

  その他 2箇所

【探訪情報】
 2015.02.08   第1回探訪

 歩数(指数) 約200歩(100)


それでは、また明日っ!



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 (のちほど、お返しポチも
 させていただきますね~)

皆様、月曜日をいかがお過ごしでしょうか。

プロゴルファーの宮里藍選手が
今季限りで引退を表明しましたね。
「お疲れ様でした」と言いたいですが、
「私より一回りも若いのに引退かぁ」と
客観的に思ってもしまいますね。

やはり「プロ」になると、私みたいな
ど素人なんかには到底解らない
プレッシャーがあるのでしょうね。

それに比べて、私なんか
常日頃「ヘラヘラ」ばっか
しているから、逆に戦跡探訪は
「病気でくたばるまで現役」を
宣言しちゃいますっ(笑)


さてさて、本日は阪奈軍團「軍報」の
第81弾といたしまして
陸軍三木飛行場の遺構群のうち
兵庫県三木市に位置するものを
いくつかご紹介させてくださいませ↓




三木飛行場は、陸軍の飛行部隊の
教育と訓練を行う目的で設置された
飛行場で、太平洋戦争での戦局が
劣勢になりつつあった
1944年(昭和19)に建設が急ピッチで
開始されました。

翌年の1945年(昭和20)に、
199ヘクタールにもおよぶ
広大な敷地に、3本の滑走路が完成し
戦争末期に特攻作戦を行うための
中継飛行場として使用されたようです。

現在、飛行場跡は三木市・加古川市・
稲美町にまたがっており、
そのほとんどが農地や工場に
変遷していますが、当時の遺構が
残っています。



前回に引き続き探訪します↓


今回も、阪奈軍團が密接に
提携させてもらっている
大日本者神國也
盡忠報國先生からの事前情報をもとに
おピンちゃん先生と記録していきますが
序盤でバラのトゲにやられて
士気がだだ下がりです・・・↓



まずは、中央池の北側に
展開する山林を攻めます↓



軍用地境界標が残っています↓



さらに進んでいくとY字形の
地下壕崩落跡も残っていました↓



ここから、さらに進んでいくと
軍用地境界標が10本前後
残っているそうなのですが、
体力を考えて断念しました。。。


中央池の北西付近に転進です↓



駐機場の跡が残ります↓



この周辺に飛行機掩体の
土塁がわずかに残っています↓



水槽も残っていました↓



さらに北西を攻めていきます↓



軍用地境界標が残ります↓



ここでおピンちゃん先生に
待機をお願いして突撃します↓



飛行機掩体が2つ残ります↓




周辺の藪にも関連遺構と思われる
円形の窪みが残っていました↓



単独で激藪の中を猛攻し、他にも
軍用地境界標が残っていないか
あがいてみましたが、
敗走いたしました(笑)


この北側をはしる県道に向かって
歩いている途中の山林内にも
軍用地境界標が残っていました↓



この周辺にも、関連遺構と思われる
円形の窪みが残っています↓
P1230292.jpg


ちょうど、県道に到達したところで
バス停がありましたが、
バスの時間まで50分近くあり、
近くのとんかつ屋さんで
遅いお昼ゴハンにありつきました(笑)


無事、神鉄電車の三木駅に
到着し、宿に帰還します↓



たまたま10分ほど待ったら
電車が来たからよかったのですが
日中は1時間に1本しか来ないことを
後で知りました・・・↓



探訪当日は、遠征最終日だったので
いったんホテルに戻り、着替えた後に
神戸市内の夜景を楽しみました↓




全身にバラのトゲが刺さっちゃって
傷を負ってしまったおピンちゃん先生は
ここにきて士気を盛り返しました(笑)


ここから大急ぎでタクシーに乗って
新神戸に戻り、ホテル内の
中華料理屋さんで乾杯しました↓



総括すると、三木飛行場の探訪は
交通のアクセスがよくないこともあり
せっかく盡忠報國先生から
事前に教えていただいたのに
全体の半分くらいしか見ることが
出来ませんでしたが、土地勘がない
初回にしてはよかったと思ってます。


宿からの夜景もなかなかでした↓



おピンちゃん先生の「仲間」に
加わった北野出身の
ウィー太郎君も一緒に入れて
最上階のバーで2次会もしました↓



【収録遺構】
 陸軍三木飛行場(三木市)

   飛行機掩体 3箇所
   軍用地境界標 3本
   その他 5箇所

【探訪情報】
 2017.03.20  第1回探訪
 
 歩数(指数) 8,978歩(72)


詳細は、後ほどホームページ内で
ご紹介させていただきますねっ★


次回の阪奈軍團「軍報」は、
時系列が前後しますが
引き続き、加古郡稲美町に分布する
遺構をご紹介予定ですっ♪


それでは、また明日っ!



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皆様、日曜日をいかがお過ごしですか?

三等兵は恒例の「サザエさん病」と
アルコール性頭痛です・・・
やさぐれ過ぎてお酒飲み過ぎました(笑)


さてさて、今回は
息抜きとして鉄道ネタで
よそ様の写真をお借りしまくりで
ブログの更新をさせていただきます。


今回は京急700形でございますっ★



2代目京急700形電車(wikipediaを抜粋)↓

京急700形電車は、かつて京浜急行電鉄に
在籍した通勤形電車である。

京急で初めて片側4扉の車体を採用し、
1967年(昭和42)から1971年(昭和46)に
かけて4両21編成、84両が製造された。

制御電動車2両と付随車1両の3両単位で
普通列車として運用される様構想されたが、
様々な事情から1970年代の一時期を
除いて付随車を1両追加した4両単位で
運用された。

4両編成では起動加速度が低いことから
本線の普通列車としての運用に難があり
1978年(昭和53)以降は大師線や
ラッシュ時の優等列車に運用の中心を
移している。

1980年(昭和55)から1988年(昭和63)に
かけて冷房装置を搭載する改造が
ほどこされたのち、1998年(平成10)から
2005年(平成17)にかけて廃車され、
高松琴平電鉄に22両が譲渡されたほかは
解体処分された。

自社線内普通列車用として設計・製造され
高度経済成長を背景に混雑が
激しくなったラッシュ時の停車時分を
短縮するため、京急初の片側4扉車とされた。
両開き扉は停車時分短縮の効果が薄いとの
検証結果と、製造コスト抑制の目的から
採用されず、片開き扉となった。

全車電動車の1000形に対し、
製造当時の私鉄各社の趨勢に倣って
コストダウンを目的に、
編成の半分の車両を非電動車とし、
先頭車が制御電動車デハ700形
中間車が付随車サハ770形となった。

出力150 kWのモータを採用、
粘着性能向上のため電動車の車長を
付随車より1 m長くする構造が
採られた。

1000形の2両1ユニットに対し、
700形では電動車はユニットを組まないが、
電動発電機、空気圧縮機などの
一部補器は付随車に搭載されている。
全車電動車の1000形4両編成に対して、
付随車を編成中に組み込んだことで
製造コストが編成あたり同じ4両編成で
800万円(2014年の3009万円に相当)
安価であったとされている。



こんな感じの車両です↓

tetsuradiq様ブログの掲載写真を
 転載させていただいています。


うぅ、ステキですね(涙)


かつて、この形式は
吉村光夫さんの著書に
「見かけは悪いが実力派」と
書かれていましたが
確かにデビュー当時は
イマイチでしたね・・・↓

風雅松本亭様ブログの掲載写真を
 転載させていただいています。

しかも、4扉車のため座席数が少なく
座り心地も浅く高いので悪いのですが
この形式の性能を侮るなかれっ(笑)
モーターの出力は、万能車と称賛された
1000形初期車の2倍もあるし、
速比も、よその鉄道会社の特急車と
ほぼ同一ですっ!

後日談で総括するなら、
よくなかったのは「加速力」と
「運用」する方法でしょうかね。


優等運用に就く700形↓

Panda NEKO No.1様ブログ
 掲載写真を転載しています。

ううっ、素敵すぎて涙が出ますよっ!


かつて、自称「京急教」の信者だった
三等兵は、会社のテツ飲み会で
700形の話でヒートアップしちゃって
掴み合いの喧嘩にまで発展させたことが
ありますが、今はよい思い出です(笑)

私の持論に賛同出来ない人達が
結構いたので、客観視すると
やはりイマイチのようですね・・・

ちなみに、この時の飲み会で
私がブチ切れる引き金をつくった
言葉がこれです(笑)↓

「700なんか、本線なんか出てこないで
 大師線で余生でも送ってりゃいいんだ
 性能悪いんだから」

くはぁ、くだらねえ言い争い(笑)


ちなみに、喧嘩した翌日に
きちんと「仲直り」して、その日に
またサシで飲みに行っちゃうくらいなので
ここで恨み節を書いているわけでは
まったくありませんので誤解なきように。


当時、編成で日本一のドア数となった
700形12両編成の通勤快特↓
img_11_20170528190951fcb.jpg
あど様ブログ
 掲載写真を転載しています。


700形のオール12両編成も
すごくステキでしたけど、
1000形との混結12両編成の方が
私にとっては最高です(笑)
今でも思い出すだけで
身震いしてしまうほどです。
(頭おかしいんで、放っておいてください)


1000形8連とタッグを組む
押上まで行かない700形↓

あど様ブログ
 掲載写真を転載しています。


俗に「1700」と呼ばれる
1000形と700形の混結編成は
当方もわざわざ千葉県から
現地に赴いて乗ったことがあります。
(夜の快特だけですけど・・・)

700形サイドに乗車すると
加速は単独よりも若干よく、
60km/hあたりから、
急に1000形を押そうとする
動きがよーく判りました(笑)
60km/h前後までは
1000形の性能がいいので
700形が引っ張られるのですが
それを過ぎて高速域に入ると
700形の性能がよくなるので
1000形を押し出す形に
なるんですよね。

でも、混結するのは運行密度が
高い朝・夕~夜だったので
高速走行する区間が短く
700形には少々荷の重い
お仕事だったと思います。

例えていうなら、
スーパーマリオカートの
マリオとクッパの車両を
連結器で「混結」したような
感じでしょうか(笑)


品川駅に入っていく
1000形8連と700形4連の
12両混結編成↓

壱ブロ様ブログの掲載写真を
 転載させていただいています。


残念ながら、私の大好きだった
京急1・2・3を本線で見ることは
出来なくなっていますが、
香川県の高松琴平電鉄に
わずかですが、この全てが
渡っています(嬉涙)

ちなみに、当方の京急1・2・3とは・・・
1000形・600形・700形です★


700形の台車です↓

鉄道ホビダス台車近影から
 写真を転載しております。

ウィングばね式ですね。
枕バネが1つで、ダンパーが
ついてます。

乗り心地は良い方だと
思っていますが、微妙かな・・・


本日は、大変な「脱線」と「的外れ」な
ブログ更新で申し訳ありません m(_ _)m

明日から通常通り
「軍報」を掲載させていただきます。
是非、またお越しくださいませ。


それでは、またお会いいたしましょう★



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皆様、土曜日をいかがお過ごしですか?

今日はおピンちゃん先生
千葉県八千代市にある
京成バラ園に行ってまいりましたっ!

ちょうど、満開の時期を迎え
とても美しかったですっ★

その模様は、おそらく明日あたりに
おピンちゃんのブログ
掲載されるものと思っていますが(笑)


さてさて、今回は祐実軍團「軍報」の
第105弾といたしまして、
東京都練馬区と板橋区の境界に
おかれていた成増飛行場の遺構を
1つだけご紹介させてください↓




成増飛行場は、首都の防衛を
目的に1943年(昭和18)10月に
開設されました。

飛行場建設の背景には、
首都の防衛が無防備であったことが
露呈した同年4月のアメリカ軍による
空襲がありました。

この事態に慌てた陸軍は、
当時はまだ農地だった
光が丘周辺を半強制的に接収し
わずか数ヶ月で飛行場を
完成させました。

戦後、飛行場はアメリカ軍に接収され、
住宅が建てられましたが、
のちに日本へ返還されて
現在の光ヶ丘団地が建てられ、
飛行場の面影がなくなりました。

飛行場敷地のほとんどが
練馬区にあたりますが、
飛行場の板橋区内の住宅地に
飛行機を格納したコンクリート製の
有蓋掩体が1つだけ残っています。



探訪初回は、重鎮の筆頭にあがる
いっちゃん先生と成増駅から
スタートですっ↓



住宅地内を歩いていきます↓



飛行機掩体が残ります↓


飛行機掩体は個人宅に位置し、
引き続き使用されていますので
住所などの詳細は伏せます。
(この件のお問い合わせには
応じませんので悪しからず
ご了承くださいませ)


飛行機掩体の背面部も
外側から一部見れます↓




この後は、光が丘公園の
界隈を歩いてみましたが
痕跡は皆無でした・・・↓



【収録遺構】
 陸軍第十七飛行師団
 成増飛行場

  飛行機掩体 1箇所

【探訪情報】
 2007.04.08   第1回探訪
 2007.07.21   第2回探訪

 歩数(指数) 約5,000歩(250)


明日は「鉄道」ネタで
ブログの更新をさせていただきます。


それでは、またお会いしましょうっ!



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皆様、いかがお過ごしでしょうか。

やっと、週末ですね。。。
この1週間、三等兵は地獄でしたね。

全ては、好き過ぎてたまらない
クソったれ仕事のおかげですわ。
お仕事、最高っ!

さてさて、仕事に対する
私の意気込み具合を
皆様に知っていただいたところで
「軍報」を掲載させていただきますね。


今回は阪奈軍團から
第80弾といたしまして、
陸軍三木飛行場の遺構群のうち
兵庫県加古川市に位置するものを
ご紹介させてくださいませ↓




三木飛行場は、陸軍の飛行部隊の
教育と訓練を行う目的で設置された
飛行場で、太平洋戦争での戦局が
劣勢になりつつあった
1944年(昭和19)に建設が急ピッチで
開始されました。

翌年の1945年(昭和20)に、
199ヘクタールにもおよぶ
広大な敷地に、3本の滑走路が完成し
戦争末期に特攻作戦を行うための
中継飛行場として使用されたようです。

現在、飛行場跡は三木市・加古川市・
稲美町にまたがっており、
そのほとんどが農地や工場に
変遷していますが、当時の遺構が
残っています。



遠征時の混結相手の筆頭にあたる
おピンちゃん先生と加古川市の
北東部にお邪魔しております↓


今回は、阪奈軍團が密接に
提携させてもらっている
大日本者神國也
盡忠報國先生からの事前情報を
もとに探訪していきますっ★

無知の三等兵に、貴重な情報を
ご提供いただきました
盡忠報國先生に、この場をお借りして
お礼を申し上げます。
ありがとうございました m(_ _)m


早速、山林に入りましたが、
土質が脆く危険な箇所があるため
おピンちゃん先生に待機をお願いし
単騎で乗り込んでいきます↓



軍用地境界標が残っています↓



標柱は、いずれも背面部分に
通番を表す番号が刻まれています。


【収録遺構】
 陸軍三木飛行場(加古川市)

   軍用地境界標 2本

【探訪情報】
 2017.03.20  第1回探訪
 
 歩数(指数) 約2,000歩(86)


詳細は、後ほどホームページ内で
ご紹介させていただきますねっ★


次回の阪奈軍團「軍報」は、
引き続き、三木市に分布する遺構を
ご紹介予定ですっ♪


それでは、また明日っ!



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皆様、いかがお過ごしでしょうか。

三等兵は引き続き、愛してやまない
クソ「仕事」で、終電がなくなる時間まで
拘束されました・・・

当方の家は、田舎なもんで
最寄りの終電が早いもんですから
東京界隈を23時に出ないと
間に合わないんですよね。

それを過ぎる場合に備えて、
いつもひいきにさせてもらっている
個人で営むタクシーに
例に漏れず迎えに来てもらったんです。

そしたらね、普段通る道が通れなくて
迂回するはめになったのですが、
その途中で、結果として
信号無視してしまって
パトに捕まってしまったんですね。。。

当方の都合で呼び立てたのに
違反ということで罰金9,000円ですわ。
運転手さんにも過失があるとはいえど
当方が呼ばなければ、
こういうことにならなかったはずです。

四の五の、警察に言われている
運転手さんに申し訳なくて
間にしゃしゃり出て、当方も色々と
警察に物言いしたんですが
当然ながら、そんな「理屈」は
通るわけなく・・・

ただ、過失を折半する心構えで
罰金を半分出す代わりに
警察へ皮肉たっぷりにいちゃもんを
つけさせてもらいましたが(笑)

当たり前ですよね、何もしてないのに
警察に5,000円たかられてるのと
客観的に見たら同じですからね。


そうあがいても、いかんせん
何といっても後味が悪すぎる。。。


ってなわけでございまして、
本日も予定通り「軍報」の
掲載が出来ませんでした・・・
申し訳ございません m(_ _)m


【本日の写真】
本日、掲載を予定していた
兵庫県三木市周辺におかれた
陸軍飛行場の遺構群↓






それでは、また明日(今日ですが・・・)



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皆様、いかがお過ごしでしょうか。

日頃から「好き」過ぎて、
自分の感情が抑えられないくらいまで
ハマってしまっている
仕事のおかげをもちましてね、
今日は何にもする気がおきないです・・・

もうね、仕事と「結婚」したいくらいっ★
私には「仕事」しかないんです(笑)
仕事「一筋」っ! いよっ!
日本の鏡っ!

おかげで、今日も「楽しく」過ごせました。
まったく定時で帰る人達の
気がしれないですよ~(笑)
仕事より家庭が優先されるなんて
「あり得ない」ですよ~♪


なーんて、言ってる人達を
「積極採用」すればいいんじゃない?


明日も会社が「楽しみ」なので、
本日予定していた「軍報」は
1日お休みをさせてください m(_ _)m


【本日の写真】
神奈川県三浦市におかれていた
陸軍東京湾要塞城ヶ島砲塔砲台の
地下施設↓
三浦 062

神奈川県三浦市におかれていた
横須賀海軍通信隊の遺構↓


神奈川県三浦市におかれていた
横須賀海軍鎮守府の
城ヶ島洞窟陣地の一部↓


神奈川県三浦市におかれていた
横須賀海軍鎮守府第一特攻戦隊の
油壷基地の司令部壕↓



そろそろ、三浦市についても
ホームページの更新を
本格的にやっていきますねっ!


それでは、また明日っ★



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皆様、いかがお過ごしでしょうか。

まだ火曜日ですか・・・
気持ちは木曜日くらいですけどっ!
早く、週末にならないかな。。。


さて、本日は和泉軍團「軍報」の
第47弾といたしまして、
千葉県富津市に掘削された
東京湾兵団の抵抗拠点陣地を
簡単にご紹介させてくださいませ↓




東京湾守備兵団は、
日本の本土におかれた
12の永久要塞の1つであった
東京湾要塞を守備した
重砲兵連隊や要塞司令部を
傘下に入れて1945年(昭和20)に
開設し、アメリカ軍が計画していた
本土上陸作戦(コロネット作戦)に
対抗して計画された
「本土決戦作戦」の一環で、
第一総軍の第十二方面軍の
傘下に入り、房総半島の君津・
天津小湊以南の沿岸防備に
あたりました。

作戦の内容は、司令部を
館山市の那古におき、
アメリカ軍の上陸が予想される
館山湾と千倉・平砂浦を中心に、
既に構築されている砲台群を
基幹に抵抗拠点を構築し
迎撃するというもので、
火網を突破して上陸された場合に
備え、北への進軍を阻止するための
最終的な抵抗拠点を
富津市内にも構築しましたが、
大半が掘削の途中で
終戦となりました。

陣地は、自動車道の建設や
宅地開発などによって
一部が消失・封鎖されて
いるものの、いくつかの陣地は
内部見学も可能です。



重鎮の皆様方と一緒に
富津市内にお邪魔しております↓



まずは有名なところですね↓


内部図です↓

 ※2017.07.15追記
  内部図を削除しました。


続いて、金谷地区に移動します↓



司令部とおぼしき壕が残ります↓


内部図です↓

 ※2017.07.15追記
  内部図を削除しました。


周辺にも封鎖されたものを含め
4箇所残っていました(抜粋)↓




これらの坑道のほとんどは
深く水没しており、内部の立ち入りは
非常に難しいです。。。


ここからは、つい最近に
房総半島戦跡考古調査会の皆様と
記録作業を行った陣地群のご紹介です。
(そのうちホームページに追加します)


まずは、フェリー乗り場背面の山の
中腹に位置する壕です↓



次に、竹岡周辺に残る
陣地群をご紹介していきます。
ただし、勝手ながら
詳細な場所は伏せさせてください。


陣地群です(抜粋)↓


既出ですが、陣地群の内部図です↓

 ※2017.07.15追記
  内部図を削除しました。


最後は、売津周辺に残る
陣地群をご紹介していきます。
こちらに関しても、勝手ながら
詳細な場所は伏せさせてください。


1箇所目の陣地です↓


こちらは銃眼が残っています↓


1箇所目の陣地の内部図です↓

 ※2017.07.15追記
  内部図を削除しました。


2箇所目の陣地群です↓



再掲ですが、陣地群の内部図です↓

 ※2017.07.15追記
  内部図を削除しました。


【収録遺構】
 陸軍東京湾守備兵団
 抵抗拠点陣地
 (陸軍東京湾兵団
 抵抗拠点陣地)

  地下壕 6箇所
  地下壕 6箇所(今回追加)

【探訪情報】
 2006.01.29   第1回探訪
 2006.11.19   第2回探訪
 2007.05.20   第3回探訪
 2017.05.14   第4回探訪

 歩数(指数) 約10,000歩(328)


詳細は、後ほどホームページ内で
ご紹介させていただきますねっ★

同会のメンバーでもあるパパ先生
ブログを何気なく見ていたのですが、
これも陣地の一つではないかと
思料しますが、どうなんでしょう・・・↓
 灯籠坂の謎穴

多分、クロだな・・・(笑)


それでは、また明日っ★



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 させていただきますね~)


皆様、いかがお過ごしでしょうか。

いやぁ、いつものことながら
月曜日は憂鬱ですね・・・
こんな日々を、あと4日も続けないと
いけないわけですからね~。
不健康極まりないですっ!


さてさて、本日も前回に引き続き
祐実軍團「軍報」でございます。
今回は、第104弾といたしまして
東京都福生市に敷設されていた
立川陸軍航空廠熊川出張所の
軍用線の遺構をご紹介させてください↓




立川陸軍航空廠は、航空に関連する
器材や燃料の調達・保管・補給と
器材のメンテナンスなどを行う目的で
前身の補給部からの改編によって
1935年(昭和10)に開設されました。

1937年(昭和12)に入ると、燃料類の
保管を目的に熊川出張所が開設され
これと同時に燃料類を運ぶための
軍用線が敷設されました。

現在、軍用線の一部はアメリカ軍の
横田基地へ燃料などを運ぶ
引込線として活用されており、
当時の橋梁や軍用地境界標が
いくつか残存しています。



今回はおピンちゃん先生
拝島駅からスタートします↓



当時の橋梁が残っています↓



現在も米軍基地への輸送に
活用されている軍用線に沿って
歩いていきます↓



線路に沿って、軍用地境界標を
4本見ることが出来ましたっ↓






【収録遺構】
 立川陸軍航空廠
 熊川出張所
 熊川軍用線

  橋梁 1箇所
  軍用地境界標 4本

【探訪情報】
 2017.05.03   第1回探訪

 歩数(指数) 1,021歩(100)


詳細は、後ほどホームページ内で
ご紹介させていただきますねっ★


それでは、また明日っ!



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皆様、日曜日をいかがお過ごしでしょうか。


「さーざえーさんっ、さーざーえさんっ」

あ~っ、明日仕事行きたくねぇ!
(重度のサザエさん病)


だいたいの日曜日の夜は、
こんな感じでやらせてもらってます(笑)


さてさて、本日は祐実軍團「軍報」の
第103弾といたしまして、
東京都北区におかれていた
下瀬火薬製造所の遺構を
ご紹介させてくださいませ↓




下瀬火薬製造所は、1899年(明治32)に
開設した海軍の火薬製造施設で、
開業時の所長を務めた
下瀬雅允(しもせ まさちか)技師の
苗字が施設名称となりました。

下瀬雅允技師は、
「下瀬火薬」 (砲弾につめる
黒色火薬に代わる強力な
黄色火薬) を発明した海軍技師で、
日露戦争の戦果に大きく貢献して
後に賞賛された人物です。

以降、「下瀬火薬」は、
海軍で主力爆薬として
重用されることとなり、
その製造所が西が原に
おかれました。

1914年(大正 3)に入ると、
火薬製造所の規模を拡張するために、
神奈川県の平塚市に製造所を移し、
下瀬火薬製造所を閉鎖しました。

閉鎖後は、東京外国語大学が
建設され (現在は他の場所に
移転しています) 整地されており、
当時の建物などは現存していませんが、
敷地の東端に軍用地境界標が
数体残存しています。



都内の軍跡探訪において、
まず最初に名前が挙げられる
いっちゃん先生と一緒に
西が丘地区にお邪魔しております↓



軍用地境界標が残ります↓







こちらの2本は、
我々のホームページ
未掲載のものとなります(追加予定)↓




【収録遺構】
 海軍下瀬火薬製造所

  軍用地境界標 8本

【探訪情報】
 2005.07.24   第1回探訪
 2007.01.08   第2回探訪
 2007.04.01   第3回探訪
 2010.12.31   第4回探訪
 2011.01.03   第5回探訪

 歩数(指数) 20,000歩以上(617)


それでは、また明日っ!



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