戦争遺跡のご紹介やホームページの制作状況などを綴っていきます♪

総軍BLOGへようこそっ!

♦ プロフィール

祐実総軍三等兵

Author:祐実総軍三等兵
全国に残る戦争遺跡を探訪して
記録することを生き甲斐とする
祐実総軍三等兵でございます★
稚拙な内容ではございますが、
これまで調べてきた戦争遺跡を
ブログ・ホームページで紹介を
させていただいておりますっ♪

よろしくお願いしますm(__)m

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皆様、いかがお過ごしでしょうか。

いよいよ、三等兵の運用は終了です(笑)
今日は頑張りました~っ★

毎度、大好きな京急に例えるなら
来月以降も残る人達を押すようにして
ぶら下がり、品川から三崎口まで
何度も往復しましたし、
浦賀・新逗子にも行く運用にも
つきましたよっ(笑)

そして、私のねぐらである
文庫の引揚線に入って
さきほど、つり革と行先方向幕が
外されたところです(笑)

明日は全ての路線を1往復して
本運用を「終了」します★
やっと、終わりました~


7月から少しの間、当方が
「本当にやりたかったこと」を
全力で取り組んでいきますっ!

それまでの間、雑なブログの更新と
なってしまいますが、
どうかお許しください m(_ _)m


さてさて、本日も既出案件となりますが
祐実軍團「軍報」の第114弾として
情報の募集を兼ねて
埼玉県比企郡吉見町に掘削された
黒岩倉庫の地下壕を
ご紹介させてくださいませ↓




黒岩倉庫は、薬品や医務品などの
備蓄を目的に八丁湖公園周辺の山に
掘削された洞窟式倉庫のようですが、
現在のところ資料が揃っておらず
管轄や用途などの詳細は不明です。

実地調査の結果、黒岩横穴墓群の
周辺に地下壕が数本残っており
合計で約 200m程の坑道延長を
確認しています。

この地下壕の詳細をご存知でしたら、
是非ともご教示ください (-人-)



八丁湖公園にお邪魔してます↓
黒岩 (2)


公園内に地下壕が残ります↓



内部の様子です(抜粋)↓




内部の状況から、おそらく
掘削途中で終戦を迎えたものと
推測しています。


【収録遺構】
 陸軍黒岩倉庫

  地下壕 1区画

【探訪情報】
 2008.01.12   第1回探訪

 歩数(指数) 約2,500歩(100)


明日は、
「さようならクソったれ三等兵」の
引退セレモニーがありますので
ブログの更新をお休みしますっ!


それでは、またお会いしましょう★



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 (のちほど、お返しポチも
 させていただきますね~)

皆様、いかがお過ごしでしょうか。

三等兵は、未だに本線運用です・・・
もうね、大好きすぎて・・・(笑)
仕方ないので、明日の午後から
自発的に支線運用に入ります!

いなくなる人間に対して
最後まで残業させるなんて
マジであり得ないですわ。
失礼にも程度があるっ!(怒)
この業界も、1回くらい電通みたいに
たたかれればいいのにね~★

廃車当日は仕事しないので
実質、明日で終わりですっ!
7月・8月の作戦を練らなければ・・・


さてさて、本日も既出案件で
恐縮です・・・

今回も祐実軍團「軍報」の
第113弾といたしまして
神奈川県平塚市におかれていた
木更津第二海軍航空廠の
平塚補給工場の遺構を
1つご紹介させてくださいませ↓




木更津第二海軍航空廠は、
海軍航空機の造修と補給を行うことを
目的として、木更津におかれていた
横須賀海軍航空技術廠の出張所を
母体に1941年(昭和16)に開設され、
航空機のエンジンや航空機銃などの
造修を行う補給工場が平塚をはじめ
横須賀・館山などに設置されました。

太平洋戦争末期の、
1945年(昭和20) 7月16日の
平塚大空襲により平塚補給工場の
建物は壊滅し現在は、日本たばこや
湘南倉庫運輸などに変遷しており
面影がありませんが、軍用地境界塀の
一部が湘南倉庫運輸の倉庫に
転用されており、唯一の遺構として
現存しています。



おピンちゃん先生と共に
平塚市に入りました↓



軍用地境界塀の一部が
倉庫に転用されています↓



横アングルからもう1枚載せます↓



これもそうかもしれない・・・↓



【収録遺構】
 木更津第二海軍航空廠
 平塚補給工場

  軍用地境界塀 1区画

【探訪情報】
 2012.08.09   第1回探訪
 2013.07.01   第2回探訪
 2014.05.04   第3回探訪

 歩数(指数) 約5,000歩(100)


それでは、またお会いしましょう★



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皆様、いかがお過ごしでしょうか。
週初めは本当に気が萎えますね。


本日、三等兵は午後から出社です。
京急に例えるなら、金沢文庫始発の
三崎口行きみたいな運用につきます(笑)
相変わらず「本線」での運用です・・・


そういったわけでございまして、
この時間からブログの更新です(笑)


今回は祐実軍團「軍報」の
第112弾といたしまして
約10年前に探訪がかなった
千代ヶ崎砲塔砲台の遺構を
簡単にご紹介させてください↓




千代ヶ崎砲塔砲台は、
東京湾要塞の1つであり、
日本で最初となる陸上の
砲塔砲台として1925年(大正14)に
竣工しました。

ここには、ワシントン軍縮条約で
日本の主力艦の制限を受け
廃艦となった戦艦「鹿島」の
主砲の30センチカノン 2門入砲塔を
呉海軍工廠で改修したものが
1基据えつけられ、主として
横須賀重砲兵連隊や重砲兵学校の
演習砲台に使用され、
砲塔の旋回は80度・射角は42度・
射程は26キロありました。

終戦後、砲塔砲台は山林内に
放置された状態が続いていましたが
現在は周辺が造成されており
立ち入りが出来なくなっています。

探訪時は、夏の暑い時期で
多くの遺構が草木に埋もれた
状態でしたが、兵舎の跡や
機関室などの残存を確認しています。



いっちゃん先生と横須賀市内に
お邪魔しております↓



門柱が1つ残っています↓



当時の建物と思われます↓



兵舎とおぼしき建物基礎は
解体間近といった状態でした↓



この周辺にも関連遺構が
残っていましたが、現在は不明です↓





ここから少し上っていきます。


判りづらいですが砲塔井です↓



砲塔トンネルです↓



動力機室です↓



並んで副動力機室がありました↓



現在は、この周辺が造成されているため
立ち入りが出来なくなっており、
遺構の残存状態も不明です・・・


【収録遺構】
 陸軍東京湾要塞
 千代ヶ崎砲塔砲台
 (陸軍重砲兵学校
  千代ヶ崎砲塔砲台)

  門柱 1箇所
  砲座 1箇所
  地下施設 2箇所
  トンネル 1箇所
  建物 1棟
  建物基礎 1箇所
  その他 3箇所

【探訪情報】
 2005.07.03   第1回探訪

 歩数(指数) 約5,000歩(100)


詳細は、後ほどホームページ内で
ご紹介させていただきますねっ★


明日は、最期の「運動会」があるので
ブログの更新をお休みしますね m(_ _)m


それでは、またお会いいたしましょう!



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 させていただきますね~)

皆様、週末をいかがお過ごしでしょうか。
関東地方はパッとしない天気ですね・・・

さてさて、本日の19時頃までに
最期となる「サザエさん病」を
発症予定ですので、その前に
ブログの更新をさせてください。


今回は美恵軍團「軍報」の
第46弾といたしまして
静岡県三島市におかれていた
野戦重砲兵第二連隊の遺構群を
簡単にご紹介させてくださいませ↓




野戦重砲兵第二連隊は、
第十五師団に隷属する部隊で、
横須賀におかれた要塞砲兵第一連隊の
改編によって誕生し、1918年(大正7)に
三島へ移転して兵営が設置されました。

その後、1925年(大正14)の軍縮で
第十五師団の廃止にともなって
第三師団の隷属に変更され、
1932年(昭和7)に発生した上海事変を
皮切りに出征し、中国戦線の主要作戦に
参加して戦果を挙げたあとは
満州の防衛にあたっていましたが、
1945年(昭和20)に入ると戦況の悪化と
防衛線の後退が相次ぎ、日本本土で
決戦することを想定せざるを得ない
状況に陥ったため、日本に帰還したのち
同年に本土防衛軍として編成された
第五十三軍の傘下に入り、相模湾と
駿河湾方面の防備につきますが、
本土決戦となる前に終戦となりました。

現在、連隊跡地は市立北中学校や
日本大学など教育機関に
変遷していますが、煉瓦製の門柱や
コンクリート製の歩哨などが残っており
見学することが可能です。



久々の単独編成で三島に入りました↓



正門が残っています↓



正門の横に、歩哨も残っています↓



日本大学9号館の裏手には
戦後に移築された将校集会所の
建物が残されています↓



敷地の北側には塀の一部と思われる
コンクリート製の支柱群が残ります↓



【収録遺構】
 陸軍第十五師団
 野戦重砲兵第二連隊
 (陸軍第三師団
  野戦重砲兵第二連隊)

  建物 1棟
  門柱 1箇所
  歩哨 1箇所
  その他 1箇所

【探訪情報】
 2013.03.24   第1回探訪

 歩数(指数) 約3,000歩(100)


それでは、またお会いいたしましょう!



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皆様、いかがお過ごしでしょうか。

昨日は仕事でゲンナリしちゃって
ブログの更新を怠けました・・・

もうね、来週で「廃車」なんです。
京急でいうと、平日の24時を過ぎた
横浜駅の下り方面みたいなもの。
時間的に久里浜以遠へ行く電車は
もう走っていないんです。
これは普段の「決まり」です。
なのに、真面目な顔して駅員さんに
「何で三崎口まで行かないんだ」って
詰め寄っているのと同じということに
気が付いていない大バカユーザー。
当然、駅員さんは深夜バスや
タクシーの提案をするでしょうね。
でも「予算がない」の一点張りで
「三崎口まで行け」と食い下がる。

要するに、電車がなくなる時間まで
好き勝手にやっていた挙句、
お金も使い切っちゃっていることを
棚上げして自分の予定通りに電車が
終点まで行かないことに
激高しているわけですよ。
どうみても自分が悪いでしょう。

こういう例えを出すと「おかしい」と
自覚するくせに、それと同じことを
仕事でやっていることに気が付かない。
なーんにも考えていない証拠です。
お気楽ですな~★

ユーザーってのは、メーカーに対しては
所詮「そんなもの」なのかもしれませんが、
メーカーは、こういったクソったれの
子守りまでする「何でも屋さん」じゃ
ないからね~(笑)

100万円で新車の「クラウン」は
買えませんぜ。ダンナ方★ バカジャネーノ
もうちょっと考えようぜ(笑)

予算がないところに仕事はないんです。

ってな厳しいオーラを出しながら
あと5営業日を凌ぎます。
「廃車」当日の夜は、セレモニーが
「お情け」程度にあるようなので、
ユーザーが来たらクッソミソに吐き捨てて
実に清々しい気分になって
帰途につくつもりです(笑)


大好きすぎる「仕事」への愚痴は、
枚挙にいとまがない状態なので
このくらいにして「軍報」の
掲載にうつらせていただきますね。
毎度「おなじみ」の展開で
申し訳ないです(笑)


今回は、既出案件となりますが
祐実軍團の111弾といたしまして
東京都世田谷区におかれていた
陸軍獣医学校の遺構紹介です↓




陸軍獣医学校は、動物を使用した
医学の研究や化学兵器の研究などを
行っていた教育機関で、
1909年(明治42)に設置されました。

現在、跡地は区立富士中学校や
駒場学園高校・住宅地に変遷し、
面影がほとんどありませんが、
代沢 1丁目の住宅地内に、
軍用地境界標が残存しています。



今回も、いっちゃん先生
マンツーで探訪していきます↓



住宅地内を進んでいくと・・・↓



軍用地境界標が残っています↓




我々のホームページには
掲載していませんでしたが
これもおそらくそうでしょうね↓



【収録遺構】
 陸軍獣医学校

  軍用地境界標 2本
  軍用地境界標 1本(今回追加予定)


【探訪情報】
 2005.07.24   第1回探訪
 2007.03.18   第2回探訪
 2007.03.24   第3回探訪
 2007.05.13   第4回探訪

 歩数(指数) 約5,000歩(999)


それでは、よい週末をっ!



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皆様、いかがお過ごしでしょうか。

三等兵は「故障」です(笑)
朝、起きたら熱があったため
今日は出庫を断念しましたっ!
もはや、ここまで来れば
「使い捨て」同然ですので
お咎めもないという感じでしょうか。

家でも職場でも風邪ひいてる人が
自分の身近にいるためなのか、
遷ったのでしょうか・・・

今日は車庫で「休車」としますが、
こういう日を有効に使わなくてわっ! ニヤリ
我々のホームページに登場する
キャラクター達のデザインを
一手に引き受けていただいている
ナルナル先生から作品が来たので
ゆっくりと鑑賞させていただこうっと(笑)

ナルナル先生!後で返信しますね~★


さてさて、そういった訳でございまして
この時間からブログの更新です。

今回は、既出案件となりますが
房総半島戦跡考古調査会の皆様と
追加の遺構収録がかなった
千葉県富津市の金谷砲台を
ご紹介させてくださいませ↓




金谷砲台は、東京湾の防衛を
目的に設置された東京湾要塞の
1つで、関東大震災によって
使用不能となった周辺砲台の
応急措置として1924年(大正13)に
竣工しました。

竣工当初は、15cmカノン砲が
4門据え付けられ防備についていましたが
昭和に入り増築され150cm探照灯・
10cmカノン砲4門を増強配備し
さらに、アジア太平洋戦争時には
28cm榴弾砲も2門据え付けられますが、
後に横須賀と函館の防備のために
15cmカノン砲が撤去され、
残った火砲編成で終戦まで
防備につきました。

戦後、砲台跡地に遊園地が建設され、
このうち遺構の一部が施設に
利用されましたが、現在は閉園しており
山中に放置されています。



いにしえの重鎮の皆様方と
富津市にお邪魔しております↓


金谷のフェリー乗り場で
4名の豪傑と合流して
背面の山を目指して上ります。


兵舎の遺構が残ります↓





防御営造物境界標も残ります(抜粋)↓



境界標は、現時点で8本の残存を
確認していますが、山狩りはしていないので
このほかにも残るものと思われます。


10センチカノン砲の砲座です↓




今は入れなくなってしまった
砲側弾薬庫兼地下通路です↓



弾薬庫の内部です↓


地下通路は十字に展開しており
入口が4箇所設けられていました↓



初回の探訪から、
10年以上経過した2017年5月に
房総半島戦跡考古調査会の皆様と
再び探訪する機会をいただきました↓


再び、山を上っていきます★


探照灯格納庫です↓



探照灯座です↓
P1230463.jpg


これらも関連する遺構でしょうね↓




山の麓付近にも遺構が残ります↓



配置図を見ると炸薬填実所であると
思われる建物跡です↓



装薬調製所の建物基礎です↓



その背面部分には関連する
建物が残っています↓



建物の横に水槽が残ります↓



これも関連する建物跡でしょうね↓



道路を挟んだ向かい側にも
看守衛舎と付属遺構が残ります↓





鳩舎です↓



油庫です↓



maya先生ブログから
記念写真を拝借しました(笑)↓



いや~、仲間と探訪するのは
本当に楽しいですねっ★


【収録遺構】
 陸軍東京湾要塞
 金谷砲台

  砲座 2箇所
  地下施設 1箇所
  建物基礎 1箇所
  軍用地境界標 8本
  その他 2箇所

 ---今回追加---
  地下施設 1箇所
  建物 5箇所
  建物基礎 2箇所
  その他 6箇所


【探訪情報】
 2006.01.29   第1回探訪
 2006.11.19   第2回探訪
 2017.05.14   第3回探訪

 歩数(指数) 約10,000歩(450)


追加分は、後ほどホームページ内で
ご紹介させていただきますねっ★


明日は、飲み会があるので
ブログの更新をお休みしますm(_ _)m


それでは、またお会いいたしましょうっ!



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皆様、いかがお過ごしでしょうか。

おかげさまで、三等兵は疲弊してます。
廃車なので、疲弊箇所の交換や
メンテナンスも一切なしです。
壊れたままで終わりを迎えろと(笑)

早く、7月に入らないかな・・・
本格的に動く予定です★


さてさて、本日は疲弊度が高く
既出案件でのブログ更新です・・・


今回は、祐実軍團「軍報」の
第110弾といたしまして、
東京都板橋区におかれていた
陸軍工科学校板橋分校の
遺構を1つだけご紹介します↓




陸軍工科学校は、技術系に従事していた
将校や下士官に対し、兵器業務の
教育を施す機関として設立され、
分校が東京第二陸軍造兵廠の
板橋製造所南東の一角に
おかれていました。

ここでは、兵器の調査や分析を行い
兵器の修理や調製をしていました。

跡地は区立板橋第五中学校と
なっているため面影がありませんが
軍用地境界標が1つ残っています。



今回は、いにしえの重鎮方の中でも
筆頭にあたるいっちゃん先生
一緒にめぐっていきます↓



軍用地境界標が残ります↓



区立板橋第五中学校に
板橋分校の石碑があります↓



【収録遺構】
 陸軍工科学校
 板橋分校

  軍用地境界標 1本

【探訪情報】
 2005.07.24   第1回探訪
 2007.04.08   第2回探訪
 2007.06.30   第3回探訪
 2010.12.31   第4回探訪

 歩数(指数) 約5,000歩(999)


それでは、またお会いいたしましょうっ!



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皆様、月曜日をいかがお過ごしですか?

三等兵は「廃車」の日まで
残り9営業日となりました。
そろそろ「本線」から退きたいと
思っているのですが、
まだまだのようです・・・

終始、優等運用について
惜しまれながら「有終の美」を
「飾りたい」だなんて、1ミクロンも
考えてないところがミソです。
だって、話が通じないんだもん。

「惰性」で乗り切ります(笑)


さてさて、本日は阪奈軍團の
「軍報」の第83弾といたしまして
兵庫県神戸市におかれていた
川西航空機甲南製作所の
建物群を2つばかりご紹介します↓




川西航空機は、前身である
川西機械製作所から飛行機部が
独立する形で1928年(昭和 3)に
設立された民間の航空機製作会社で
主に海軍で使う航空機を製造し
代表する製作機として「二式飛行艇」や
「紫電改」などがあり、兵庫県内を中心に
多くの製作所を抱えていました。

その中で甲南製作所は、海軍からの
拡張要請を受けて1942年(昭和17)に
開設され、主に「二式飛行艇」を
中心とする大型飛行機の組み立てが
行われましたが、太平洋戦争末期に
受けた空襲で大半が消失し、
壊滅状態となりました。

現在、敷地跡の大半が新明和工業の
甲南工場となっており面影が
ありませんが、当時の建物が
残っています。



遠征探訪時の「混結」相手となる
おピンちゃん先生と一緒に
阪神電車の深江駅付近に
お邪魔しております↓


ホームページのシナリオ上では
阪奈軍團と密接に提携させて
もらっている大日本者神國也
盡忠報國先生からの事前情報を
もとに探訪していきますっ★


総組立工場です↓



さすがっ!
フレームに入りきらないほどの
巨大な建物です(驚)


この奥に滑走台もあるそうですが
学生さん達が海洋実習を
一生懸命にやっておられたので
今回は見学を断念しました。


熱処理工場です↓



このまま青木駅まで歩き、
阪神電車で三宮に戻りました↓



【収録遺構】
 川西航空機
 甲南製作所

   建物 2棟

【探訪情報】
 2017.03.19  第1回探訪
 
 歩数(指数) 約3,000歩(67)


詳細は、後ほどホームページ内で
ご紹介させていただきますねっ★


それでは、またお会いいたしましょうっ!



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皆様、日曜日をいかがお過ごしですか。


金曜あたりから相方が体調を崩し、
昨日・今日と買い物程度の
外出しか出来ませんでした~


本来であれば、
探訪していたはずなのに~(涙)
まあ、こればっかりは仕方がない・・・


さて、重度の「サザエさん病」に
陥ったところで、本日は我々の
ホームページを若干量で
更新いたしましたので
更新内容を掲載することで
ブログの更新とさせてくださいませ。



今回の追加分は以下となります↓
(カッコ内は掲載遺構の数です)

 ※アンカーをクリックすると、
  それぞれ別ウィンドウで表示され
  音楽が流れますので、一度に全てを
  開かないようにご注意を!


神奈川県横須賀市
 横須賀海軍警備隊
 第一高射機銃大隊
 久里浜山防空砲台
(14)
 横須賀海軍鎮守府
 長者ヶ崎洞窟砲台
(6)

栃木県宇都宮市
 陸軍第十四師団
 師団司令部
(5)

栃木県大田原市
 陸軍第十四師団
 金丸原演習場(1)



祐実総軍プロジェクトの体制は
以下で構成されており、
掲載している各都道府県内の
いわゆる「戦争遺跡」が、
拙ブログ・ホームページのシナリオ上、
どこの「軍團」の探訪案件となるのか
簡単にご認識いただければ幸いです↓

 祐実総軍プロジェクト (総大将:平野祐実―YUM)
  |
  ┣ 莉央軍團 (大将:簑島莉央―7RI)
  |  ┗ 北海道(南部)
  |
  ┣ 由香里軍團 (大将:寺島由香里―8YR)
  |  ┣ 青森県・岩手県・秋田県
  |  ┗ 宮城県・山形県・福島県
  |
  ┣ 祐実軍團 (大将:平野祐実―1YM)
  |  ┗ 東京都・神奈川県・埼玉県
  |
  ┣ 和泉軍團 (大将:海老名和泉―4IZ)
  |  ┣ 千葉県・茨城県
  |  ┗ 栃木県・群馬県
  |
  ┣ 美恵軍團 (大将:酒井美恵―3ME)
  |  ┣ 愛知県・三重県・岐阜県
  |  ┗ 静岡県・長野県・山梨県
  |
  ┣ 珠美軍團 (大将:落合珠美―6TM)
  |  ┣ 石川県・福井県
  |  ┗ 新潟県・富山県
  |
  ┣ 阪奈軍團 (大将:石切阪奈―2HN)
  |  ┣ 大阪府・兵庫県・京都府
  |  ┗ 滋賀県・奈良県・和歌山県
  |
  ┣ 真己軍團 (大将:福田真己―5MK)
  |  ┣ 広島県・岡山県・島根県
  |  ┗ 山口県・鳥取県
  |
  ┗ 那瑠絵軍團 (大将:稲益那瑠絵―9NR)
      ┣ 福岡県・大分県
      ┗ 長崎県・佐賀県


引き続き、頑張って更新していきますので
皆様方の応援も引き続き
よろしくお願い申し上げます m(_ _)m


【本日の写真】
福岡県北九州市におかれていた
東京第二陸軍造兵廠曽根製造所の
軍用地境界塀↓



それでは、またお会いいたしましょうっ!



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 (のちほど、お返しポチも
 させていただきますね~)

皆様、いかがお過ごしでしょうか。

木曜日に、恒例の運動会が
あったのですが、2日遅れて
筋肉痛になりました・・・
加齢とともに代謝が悪く
なってきているのでしょうね。


さてさて、今回は息抜きとして
鉄道ネタでブログの更新を
させていただきますね。


今回は、広島電鉄800形ですっ★



2代目広島電鉄800形電車(wikipediaを抜粋)↓

広島電鉄800形電車は、
1983年(昭和58)に登場した、
広島電鉄の路面電車である。

1983年に700形(2代)に次いで
登場した路面電車。1997年(平成9)までに
4両が製造された。製造当初の車体は、
同時期に製造された700形(2代)と
殆ど同じだったが、集電装置を
Zパンタに変更、三菱電機製の
回生制動付電機子チョッパ制御に
変更、駆動系を平行カルダン駆動に
変更し、台車の軸バネに
シェプロンゴムを採用した。

製造期間が長期にわたったため、
時代時代の連接車のデザインを
取り入れ変化しているが、
駆動系の機器などに大きな変更は
されていない。

2014年現在、700形とともに
市内線の主力車両として
白島線を除く市内線全線で
使用されている。



こんな感じの車両です↓



2015年11月に、軍跡探訪で
広島入りしたのですが、
市内で最初に乗った形式が
この800形でした。


今の感覚では違うのでしょうが
昔の流れを大いに引きずる
当方の感覚では、路面電車というものは
「抵抗制御」「釣り掛け駆動」が主流と
未だに考えているふしがあります(笑)


広島駅前の電停から、
糧秣支廠の遺構の最寄りとなる
皆実町六丁目の電停まで
この800形に乗車したのですが、
何と、この形式は電機子チョッパ制御で
都営10系や京都市10系・近鉄3000系が
出すチョッパ音と同じ「音」が床下から
聞こえてきて「驚愕」しましたね(笑)

電機子チョッパは機構が複雑で
コストも高くつくため、全国でも
採用された形式は多くないです。
まさか、広電が採用しているとは
微塵にも思っていませんでした(驚)

また、低速での加減速時に
抵抗制御車と比べると
格段に省エネとなるので、
路面電車や地下鉄線内など
低速域間での走行には
うってつけの機構です。

それを広電が採用しているとは(驚)
素晴らしいですねっ★


原爆ドーム付近を力走する800形↓

wikipediaの写真です。


800形の台車です↓

鉄道ホビダス台車近影から
 写真を転載しております。

軸箱支持がシェブロン式という
これまた珍しいものですよっ!


本日は大変な「脱線」と「的外れ」な
ブログ更新で申し訳ありません m(_ _)m


それでは、またお会いいたしましょう!


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