戦争遺跡のご紹介やホームページの制作状況などを綴っていきます♪

総軍BLOGへようこそっ!

♦ プロフィール

祐実総軍三等兵

Author:祐実総軍三等兵
全国に残る戦争遺跡を探訪して
記録することを生き甲斐とする
祐実総軍三等兵でございます★
稚拙な内容ではございますが、
これまで調べてきた戦争遺跡を
ブログ・ホームページで紹介を
させていただいておりますっ♪

よろしくお願いしますm(__)m

♦ 最新記事

♦ カウンター

皆様、いかがお過ごしでしょうか。

ここのところ、無性にラーメンが
食べたくなるんですよね~
コッテリ系のやつを・・・

三等兵もお年頃ですので、
スープまで飲み干すと
胸やけすると解っていますが
飲んでしまいたい(汗)

明日は久々に地元で飲むので
今日はガマンガマン・・・


さてさて、本日は我々の
ホームページを若干量で
更新いたしましたので
更新内容を掲載することで
ブログの更新とさせてくださいませ。



今回の追加分は以下となります↓
(カッコ内は掲載遺構の数です)

 ※アンカーをクリックすると、
  それぞれ別ウィンドウで表示され
  音楽が流れますので、一度に全てを
  開かないようにご注意を!


北海道函館市
 陸軍函館要塞薬師山砲台(8)
 陸軍函館要塞御殿山第一砲台(6)
 函館陸軍埋葬地(1)

神奈川県横須賀市
 陸軍横浜憲兵隊横須賀憲兵分隊
 浦賀憲兵分遣隊
(2)
 横須賀海軍軍需部久里浜倉庫(123)

千葉県南房総市
 陸軍東京湾兵団
 稲都高井ヶ谷砲台
(7)
 陸軍東京湾要塞地帯(1)
 海軍東京湾要塞地帯(1)



祐実総軍プロジェクトの体制は
以下で構成されており、
掲載している各都道府県内の
いわゆる「戦争遺跡」が、
拙ブログ・ホームページのシナリオ上、
どこの「軍團」の探訪案件となるのか
簡単にご認識いただければ幸いです↓

 祐実総軍プロジェクト (総大将:平野祐実―YUM)
  |
  ┣ 莉央軍團 (大将:簑島莉央―7RI)
  |  ┗ 北海道(南部)
  |
  ┣ 由香里軍團 (大将:寺島由香里―8YR)
  |  ┣ 青森県・岩手県・秋田県
  |  ┗ 宮城県・山形県・福島県
  |
  ┣ 祐実軍團 (大将:平野祐実―1YM)
  |  ┗ 東京都・神奈川県・埼玉県
  |
  ┣ 和泉軍團 (大将:海老名和泉―4IZ)
  |  ┣ 千葉県・茨城県
  |  ┗ 栃木県・群馬県
  |
  ┣ 美恵軍團 (大将:酒井美恵―3ME)
  |  ┣ 愛知県・三重県・岐阜県
  |  ┗ 静岡県・長野県・山梨県
  |
  ┣ 珠美軍團 (大将:落合珠美―6TM)
  |  ┣ 石川県・福井県
  |  ┗ 新潟県・富山県
  |
  ┣ 阪奈軍團 (大将:石切阪奈―2HN)
  |  ┣ 大阪府・兵庫県・京都府
  |  ┗ 滋賀県・奈良県・和歌山県
  |
  ┣ 真己軍團 (大将:福田真己―5MK)
  |  ┣ 広島県・岡山県・島根県
  |  ┗ 山口県・鳥取県
  |
  ┗ 那瑠絵軍團 (大将:稲益那瑠絵―9NR)
      ┣ 福岡県・大分県
      ┗ 長崎県・佐賀県


今回の更新により、北海道南部を
専属で探訪していく莉央軍團が
登場しております★

総軍大元帥から軍旗が渡され、
ナルナル先生から訓示(笑)を受けた
莉央軍團のトップ3です↓
左側から
 簑島 莉央 大将
 本内 茉弥 副将
 根岸 万理江 参謀長 ですっ★

那瑠絵軍團の主軸3名です↓
左側から
 青塚 瑠奈 先任参謀
 アンナ イバノフ 親衛
 飛弾野沙貴 斬込 ですっ★


まだ、函館市内の案件しか
探訪出来ていませんが、少しずつ
充実させていく予定ですので
是非、見てやってくださいっ m(_ _)m


【本日の写真】
愛知県春日井市におかれた
名古屋陸軍造兵廠の
鷹来製造所の本館↓



総軍大元帥の御前を無情にも
通過していく新幹線(笑)↓



愛知県豊川市におかれていた
横須賀海軍警備隊の
権現山防空砲台の砲座↓



前回の探訪でヤマビルに恐怖し
陣地から出てこれないヘボ太郎(笑)↓

まきき先生からの提供写真です。


元西武401系の近江鉄道700系↓



それでは、またお会いしましょうっ★



↑応援してやってくださいっ♪

皆様、いかがお過ごしでしょうか。

今日は、思ったよりも早く
本拠に帰還できましたっ★
でも、ちょっと眠いです・・・


さて、今回は既出案件ですが
祐実軍團「軍報」の第121弾として
東京都新宿区におかれていた
近衛騎兵第一連隊の遺構を
簡単にご紹介させてくださいませ↓




近衛騎兵第一連隊は、近衛師団に
隷属する部隊で、天皇の乗物である
鳳輦(ほうれん)の供奉(天皇の
お供要員として行列に加わる)が
平時の任務とされていました。

設立当初は、千代田区におかれた
近衛師団司令部付近に兵営を
おいていましたが、世田谷区の池尻に
一度移転をし、最終的には戸山地区に
兵営が1913年(大正 2)におかれました。

現在、跡地は学習院女子大学と
なっていますが、キャンパス内に
当時の遺構が残っています。



重鎮の皆様方とともに
新宿区にお邪魔しております↓



学習院女子大学に見学の
申請をして中に入ります↓



兵舎が残っています↓


建物内部の様子です↓



キャンパス内に、炊事場・風呂場の
建物も残っています↓



【収録遺構】
 陸軍近衛師団
 騎兵第一連隊

  建物 2棟

【探訪情報】
 2006.07.25   第1回探訪

 歩数(指数) 未計測(100)


ダメだ、今日はネム太郎です・・・

明日は「ホームページ」関係で
ブログの更新をさせてください。


それでは、またお会いしましょうっ★



↑応援してやってくださいっ♪

皆様、いかがお過ごしでしょうか。


本日は、隊長先生maya先生率いる
房総半島戦跡考古調査会が主催する
流しそうめん懇親会に参加してきました。



明日、横浜まで商談に行く用事があり
非常に簡単な雑記となってしまいますが
その模様と、君津市内の陣地1箇所を
ダイジェストでお送りいたします。


総勢16名にも及ぶメンバーが
流しそうめん会場に入ります↓



流しそうめん懇親会、開始です(笑)↓




めちゃめちゃうまかったですっ!
デザートのスイカも最高でしたっ★


この後は、周辺に構築された
陣地を見に行きましたが・・・・↓



三等兵が、探訪で一番苦手とする
くそったれ生物が大量に・・・・↓



もうね、このおかげで三等兵の
士気は一撃で100→0となり、
一刀両断「討ち死に」です・・・(涙)


周辺を数箇所まわりましたが・・・↓



もうね、三等兵は完全にビビっており
全然、みなさんの話が入ってこない。


「YBKっ!」っていう、私からすれば
狂信的ともとれる声だけは
しっかりと聞こえましたっ(笑)


でもね、1箇所だけは
三等兵も最期の力を
絞り出し玉砕しました↓



陣地の内部図です↓

※2週間後を目途に削除します。


陣地の総延長は24.5メートルを
計測しておりやす。


googleマップにトレースすると
こんな感じになります↓

※2週間後を目途に削除します。


みなさん笑いながら、
足元から這い上がってくる
クソったれヤマビルどもを
お互いに取り合っている光景に
三等兵は一人で阿鼻叫喚を
きわめておりました(笑)


最後の締めにラーメン食べて
士気が0から35に回復しました↓



敗北感丸出しで帰還です(笑)↓



今日はこれまでっ!


参加された皆様、
本日はお疲れ様でした m(_ _)m
足を引っ張っちゃって
本当にゴメンナサイ・・・

当方の士気が回復したら、
皆様方のブログへご挨拶に
うかがいたいと思いますっ!


明日は帰りが遅くなる予定ですので
ブログの更新は「起算」で行います。


それでは、またお会いしましょうっ★



↑慰めてやってくださいっ!

皆様、いかがお過ごしでしょうか。

ここのところ、毎日12時間以上にわたって
自宅のPCとにらめっこばかりしてますが
我々のホームページに、その結果が
反映されていない気がして
どうもならんですわ・・・(涙)


さてさて、本日は美恵軍團「軍報」の
第50弾といたしまして
愛知県名古屋市におかれていた
守山分廠の遺構をご紹介します↓




名古屋陸軍兵器支廠は、
第三師団に関わる兵器弾薬類や
材料の購買と、これらの貯蔵・補修を
行う機関として、1906年(明治39)に
交通の便が良い千種地区に設置され、
守山区にも陸軍部隊が展開したことで
分廠が設置されました。

現在、敷地跡地の大半が
住宅地となっており、当時の面影が
全くない状況ですが、名残である
元補給廠を略化した「元補」交差点の
北東部に展開する住宅地内に、
当時の柵の一部であると推測している
石柱列と軍用地境界標が1つだけ
残っています。



おピンちゃん先生かとう先生と共に
名古屋市守山区内にお邪魔します↓



境界柵の一部であると考えられる
石柱列が残っています↓




石柱列が残る住宅地内の
一角に軍用地境界標が残ります↓

※私有地内なので場所は伏せます。


【収録遺構】
 名古屋陸軍兵器支廠
 守山分廠

  軍用地境界標 1本
  その他 1箇所

【探訪情報】
 2012.02.26  第1回探訪
 2015.04.10  第2回探訪
 2017.07.28  第3回探訪

 歩数(指数) 未計測(224)


後ほど、我々のホームページにも
遺構を追加いたしますっ★


今日は所用でおピンちゃん先生が
都内へ出掛けちゃったので、
1人で昼から酒でも飲みながら
のんびり過ごそうかと思います。


今日の花火も雨で延期になったし・・・

※日本テレビ「news every.」より


明日はイベントがありますので
雑記形式でのブログ更新です m(_ _)m


それでは、またお会いいたしましょうっ★



↑応援してやってくださいっ♪

皆様、いかがお過ごしでしょうか。


三等兵は、悪天候を利用して
我々のホームページの更新作業に
邁進しているところですが、
せっかく記録したのに、以前に
ハード系がおじゃんになったことで
写真が消失してしまったり、
イベント等を不参加としたことで
記録することが叶わなかった・・・などで
掲載出来ない案件が多々ありまして
若干へこんでおります・・・(涙)


私に関わる全ての関係者様に
今後、色々と写真の提供を
お願いすることになりますが、
変な野心は持ち合わせてませんので
是非ともご協力くださいませ m(_ _)m

おそらく、口頭やメール・
ブログへの書き込みなどで、
関東地方については
 slycrow先生いっちゃん先生OKN先生
 kan先生yakumo先生と、
 隊長先生maya先生を筆頭とする
 房総半島戦跡考古調査会の先生方へ、
東海地方については
 空母先生かとう先生
 tonotama先生slycrow先生へ、
西日本地方については
 盡忠報國先生kan先生
そのうちお願いにあがるかと思います。
また、今後の探訪についても
記事を参考にさせていただきたいと
考えているところです。

もっとも、名前を挙げさせてもらった
関係者様に頼まれてホームページの
制作を始めたわけではないのですが、
制作サイドとしての私の本音は
やはり「我々」のページですので
本質を汲み取っていただきまして
引き続き、お力をお貸しくださいませ。
ひとつよろしくお願い申し上げます m(_ _)m

もう少し、ホムペ上に「提携感」が
前面に出せるといいのですが・・・
落ち着いたら考えますね★


さて、嘆きが長くなってしまいましたが
本日は祐実軍團「軍報」の
第120弾といたしまして、
神奈川県横須賀市におかれていた
久里浜倉庫の遺構群を
抜粋でご紹介させてください↓




久里浜倉庫は横須賀海軍軍需部の
倉庫の1つで、兵器や衣料品などの
保管を目的として、現在の神明町一帯に
設置されていました。

ここには、衣料・需品・機雷・電池・
通信系の器材類を保管するための
倉庫がおかれ、現在のJR横須賀線の
久里浜駅から各倉庫を経由して
久里浜港へいたる軍用線も敷設されて
軍需品の搬入・搬出が出来るように
なっていました。

終戦後、施設はアメリカ軍が接収し
倉庫として活用しましたが、
返還されて大半を解体し、現在は工場や
学校・住宅などが建てられている状況で
敷地外周におかれた軍用地境界標を
中心とした遺構が残っています。



一部、冒頭で名前を挙げさせてもらった
重鎮の皆様方と一緒にスタートします↓



衣糧倉庫が1つ残ります↓



くりはま花の国の周辺には
地下壕が4箇所確認出来ており
このうちの1つはエアライフル射撃場
活用されています↓




2つ目の地下壕は、残念ながら
全ての入口が塞がれており
内部の状態は判りません・・・↓



以降の地下壕は場所を伏せますが
内部を見ることが出来る箇所も
あります・・・


3つ目の地下壕です↓


内部は小規模ですが、流し台や
水槽などが残っていました。

地下壕の内部図です↓

※2週間後を目途に削除します。


4つ目の地下壕です↓


こちらは崩落が著しいですが
当時が判るものが残っていました。
なお、坑道延長は173メートルを
測っております。

地下壕の内部図です↓

※2週間後を目途に削除します。


今度は、敷地の外周部分を
北側から見ていくことにします↓



境界柵の一部が残っています↓



くりはま花の国の外周に沿って
ものすごい本数の軍用地境界標が
残っています(抜粋)↓




この区域で60本の記録が
叶いました(笑)


続いて、くりはま花の国の
冒険ランドから再開します↓



軍用地境界標が残ります(抜粋)↓




この区域では22本の記録が
叶いました~(笑)


ひつじさんをしばし眺めて
さらに東の尾根を抜けていきます↓



まだまだ、軍用地境界標が
残っておりますっ(抜粋)↓





この区域では35本の記録が
叶いました~(笑)


これだけやれば、お日さまだって
傾いちゃいますよね・・・(汗)↓



【収録遺構】
 横須賀海軍軍需部
 久里浜倉庫

  建物 1棟
  地下壕 4区画
  軍用地境界標 117本
  その他 1箇所

【探訪情報】
 2006.07.25   第1回探訪
 2006.08.13   第2回探訪
 2007.12.29   第3回探訪
 2014.04.27   第4回探訪
 2014.11.02   第5回探訪
 2016.03.12   第6回探訪

 歩数(指数) 50,000歩以上(999)


後ほど、ホームページ内でも
ご紹介させていただきますっ★


それでは、また明日っ!



↑応援してやってくださいっ♪

皆様、いかがお過ごしでしょうか。

お盆休みが終わってしまった方も
いらっしゃるようですね・・・

私も仕事を作業に見立てて
我々のホームページの更新に
邁進していかないと・・・(汗)


さて、本日は和泉軍團「軍報」の
第56弾といたしまして
千葉県館山市におかれていた
館山補給工場の遺構群を
ご紹介させてくださいませ↓




木更津第二海軍航空廠は、
海軍航空機の造修と補給を行うことを
目的として、木更津におかれた
横須賀海軍航空技術廠の出張所を
母体として1941年(昭和16)に開設され、
航空機のエンジンや航空機銃などの
造修を行う補給工場が館山をはじめ
横須賀平塚などに設置されました。

このなかで館山補給工場も、
1941年(昭和16)に開設され、
館山海軍航空隊をはじめとした
周辺の航空基地に対し造修と
補給業務を行いました。

現在、跡地は民宿や住宅地などに
変遷しており、当時の建物や
塀の一部が残っています。

また、敷地の南方に展開する
山林内にも地下壕が残り
一部は地殻活動観測所に
使われています。



今回は房総半島戦跡考古調査会
主力である隊長先生maya先生
館山市内にお邪魔しております↓


ホームページのシナリオ上は
和泉軍團が同会に所属していますが
会としては、基本的に海軍ものは
取り扱わない方向のところを
駄々をこねまして(笑)、無理矢理に
連れて行ってもらいましたっ★
まったく、お調子もんですなっ(笑)


当時の建物が残っています↓



これも当時の建物です↓



敷地の東端にあたる部分に
軍用地境界塀が残っています↓



敷地の南側にも塀の支柱
残っています↓



ここからは、約10年前に
いっちゃん先生OKN先生
はじめとした古参メンバー方と
記録したものとなります。


国土交通省地殻活動観測所
周辺にも地下壕が残ります(抜粋)↓





大半は、岐路をもたない単独の
地下壕群ですが、一部は「ト」の
字を描くものも存在しています。


【収録遺構】
 木更津第二海軍航空廠
 館山補給工場

   建物 2棟
   軍用地境界塀 1区画
   地下壕 1区画
   その他 1箇所

【探訪情報】
 2006.01.29  第1回探訪
 2006.03.25  第2回探訪
 2017.08.11  第3回探訪

 歩数(指数) 未計測(296)


後ほど、我々のホームページでも
ご紹介させていただきますっ★


それでは、またお会いしましょうっ!



↑応援してやってくださいっ♪

皆様、いかがお過ごしでしょうか。

いや~、8月に入って東京近辺は
雨が降らなかった日がないようです。
今週は、せっかく近場の探訪予定を
組んでいたのに、延期・延期ですわ・・・
やりたいことのために「休車」としたのに
連日のクソ天気に阻まれているんじゃ
もはやお話しにならんですわ、まったくっ!


さて・・・
いつもの三等兵節が炸裂したところで
本日は祐実軍團「軍報」の第119弾として
神奈川県横須賀市におかれていた
浦賀憲兵分遣隊の遺構を
簡単にご紹介させていただきます↓




浦賀分遣隊は、重砲兵学校の
前身であった要塞砲兵幹部練習所が
浦賀におかれたことで1893年(明治26)に
設置されたようです。

のち、1896年(明治29)に
要塞砲兵幹部練習所が
要塞砲兵射撃学校に改称して
馬堀に新設された校舎へ
移転したことで浦賀分遣隊は
廃止されたようです。

現在、跡地は横須賀浦賀郵便局と
なっており、当時の面影がありませんが
1990年(平成 2)に行われた検地の際に
発掘された軍用地境界標が
浦賀コミュニティセンターの分館に
移設され館内に保存されています。



いわゆる「戦争遺跡」を本格的に
探訪を始めた時期から一緒に
まわってきた古参の1人である
いっちゃん先生浦賀駅から
探訪スタートです↓



浦賀コミュニティセンター分館
軍用地境界標が保存されています↓



保存までの経緯が記されています↓



この南側に当時のものと思われる
煉瓦製の構造物が残っていましたが
現在は取り壊されています・・・↓



【収録遺構】
 陸軍横浜憲兵隊
 横須賀憲兵分隊
 浦賀憲兵分遣隊

  軍用地境界標 1本
  その他 1箇所(消失)

【探訪情報】
 2005.07.03   第1回探訪

 歩数(指数) 未計測(100)


後ほど、ホームページ内でも
ご紹介させていただきますっ★




※関係者の皆様へっ!

 まったくもって情けない話なのですが
 下記の写真を「どこ」で撮影したのかが
 わからなくなってしまいました。

 現在、判っている情報としては
 浦賀駅から千代ケ崎砲塔砲台へ
 向かう途中の「どこか」です・・・

 これです↓
 

 ズームアップすると、何か古そうな
 門柱が1対ありますよね・・・↓
 

 この門柱が何かを確認したいのですが
 場所が判らないもので・・・(汗)

 お判りになる方がおられましたら
 コメント・メール・電話、何でもいいです!
 是非ともご教示いただきたいです。
 よろしくお願いいたします m(_ _)m
 




それでは、また明日っ!



↑もしよろしければ応援してくださいっ♪

残暑お見舞い申し上げます m(_ _)m

本日、8月15日は
私を含め、いわゆる「戦争遺跡」を
探訪する方々におかれましては、
「大事な日」でございますね。

現代の日本がある背景の1つに、
自国を想い、かの戦争で勇敢に戦い、
戦争を知らない我々に、国の未来を託した
多くの方々がいらっしゃることを
忘れてはいけないと考えます。

時期が少しずれてしまうのですが、
商談で田舎から上京する機会があるので
靖国へ行き、私の念を伝えてこようと
思います。


さて・・・
本日は美恵軍團「軍報」の
第49弾といたしまして、
愛知県豊橋市におかれた
豊橋陸軍埋葬地のご紹介です↓




豊橋陸軍埋葬地は、豊橋市に展開した
陸軍部隊の戦没者や戦病没者の方々が
埋葬されている陸軍墓地で、
当初は東前山に設置されていましたが
1897年(明治30)に西前山へ移されました。

終戦時の墓地面積は3,481坪と
いわれており、将校・下士官・兵卒・
清兵の墓標や軍馬の塚・合葬墓などが
建立されました。

終戦後、敷地は豊橋市に移管され
現在は敷地が縮小されていますが
桜ヶ丘公園とともに維持管理されており、
墓標様のほか、門柱や軍用地境界標・
境界柵の支柱などが残存しており、
見学することが可能です。



豊廠の見学会を中止にさせた
クソったれ台風が上陸する直前に
おピンちゃん先生豊橋駅前から
市内線で前畑に向かいます↓



墓地に到着です↓



手水鉢です↓



正面奥に、戦役ごとの合葬墓碑
並んでおります↓



合葬墓碑の手前には個人墓標
並んでおります↓



入口の正反対に当たる部分に
裏門が残っています↓



周辺に建てられた民家の入口に
使用されている門柱は、墓地の
規模を縮小する前の位置に
おかれていた当時の門柱であると
思われます↓




敷地の北限部分には
境界柵の支柱が残っています↓



敷地の南端部分には
移設されたものと考えられる
軍用地境界標が1つ残ります↓



墓地の入口には案内板
立てられており、簡単にお参りが
出来るようになっています↓



さて・・・
くそったれ台風のせいで、
午後からは電車の本数が
大幅に間引かれてしまうので
早めに宿泊地へ移動します↓



【収録遺構】
 豊橋陸軍埋葬地
 (豊橋陸軍墓地)

  門柱 4箇所
  軍用地境界標 1本
  その他 3箇所
  墓標様

【探訪情報】
 2017.08.07  第1回探訪

 歩数(指数) 未計測(100)


後ほど、我々のホームページでも
ご紹介させていただきますっ★


それでは、またお会いしましょうっ!



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皆様、いかがお過ごしでしょうか。

再び関東地方は、秋雨前線の
影響を受けて天気が悪いですっ!
何なのでしょうかね。


本日は午後から用事があったのですが
先方の都合でキャンセルとなりました・・・
あんまりにも暇(笑)だったので、
maya先生とメールや電話で館山関連の
討論に付き合ってもらいました(笑)
先生、ありがとうございましたっ!

おそらく、次回の周辺探訪は
ものすごいことになるかもですね★
少しくらいは会の役に立ったかな(笑)
あとは凄腕の機動部隊にバトンタッチを
させてくださいませっ。


さてさて、本日は既出案件ですが
阪奈軍團「軍報」の88弾目としまして
京都府京都市におかれていた
京都憲兵隊の遺構を1つだけ
ご紹介させてくださいませ↓




京阪電車の墨染駅の南西に、
京都憲兵隊がおかれていました。

憲兵隊の跡地には伏見税務署が
建てられており、当時の面影が
ありませんが、税務署の南西側に
軍用地境界標が1本だけ
残存しています。



墨染駅から歩いて5分ほどの
場所に位置する伏見税務署付近に
お邪魔しております↓



税務署の南西端にあたる場所に
軍用地境界標が残っています↓



標柱は花崗岩製で、表面に
「陸軍用地」と刻まれています↓



【収録遺構】
 陸軍京都憲兵隊

   軍用地境界標 1本

【探訪情報】
 2007.07.09 第1回探訪
 
 歩数(指数) 未計測(100)


それでは、またお会いいたしましょうっ!



↑もしよろしければ応援してくださいっ♪

皆様、いかがお過ごしでしょうか。


本格的な「休車」状態も、
あと半月で終了です・・・

そのわりには、我々のホームページ
更新が全然進んでいないですね~(涙)
頑張らなくては・・・


さてさて、本日は阪奈軍團「軍報」の
第87弾といたしまして、
京都府城陽市におかれていた
長池演習場の遺構を
簡単にご紹介させてくださいませ↓




長池演習場は、京都に展開した
第十六師団の兵科演習を行う目的として
1910年(明治43)に設置されました。

演習場の敷地は、現在の長池・富野に
またがった広大な丘陵地となっており、
演習に来る兵のための廠舎が
敷地の南西側に設置され、演習期間中の
仮兵舎に使われました。

戦後、敷地はアメリカ軍に接収されましたが
現在は返還されて大半が陸上自衛隊の
敷地になっています。

この他、廠舎がおかれていた敷地は
住宅地となっており、集落内に
当時の遺構が少し残っています。



同行してくれているおピンちゃん先生
宇治の平等院を見学している間に
奈良線で長池に向かい、
駅から歩いて向かっていきます↓



門柱と思われます↓



周辺に当時の廠舎
付属施設が残っています↓






関連する遺構も残っています↓



境界柵の支柱も残っています↓



【収録遺構】
 陸軍第十六師団
 長池演習場

   門柱 1箇所
   建物 4棟
   その他 2箇所

【探訪情報】
 2013.12.07 第1回探訪
 
 歩数(指数) 約2,500歩(100)


それでは、またお会いいたしましょうっ!



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