戦争遺跡のご紹介やホームページの制作状況などを綴っていきます♪

総軍BLOGへようこそっ!

♦ プロフィール

祐実総軍三等兵

Author:祐実総軍三等兵
全国に残る戦争遺跡を探訪して
記録することを生き甲斐とする
祐実総軍三等兵でございます★
稚拙な内容ではございますが、
これまで調べてきた戦争遺跡を
ブログ・ホームページで紹介を
させていただいておりますっ♪

よろしくお願いしますm(__)m

♦ 最新記事

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皆様、いかがお過ごしでしょうか。

いよいよ、8月も終わりですね・・・(涙)


残念ながら、完全な「休車」も
今日で終わりで、来月から在宅で
「復帰調整」をしつつ、10月からは
再び「本運用」となる予定です。


7月から2か月にわたって、色々と
やりたかったことを実践しましたが、
残念ながら、当方が思っていたよりも
我々のホームページの更新だけは
進みませんでした。悔しいです(涙)


なお、本来であれば明日の記事は
月替わりにともなって前月度の
アクセス統計となるはずですが、
残念ながら、月末にバタバタして
データ収集が全く出来ておりません。
つきましては、9月4日(月)の記事に
振り替えさせてくださいませ m(_ _)m


さて、本日は珠美軍團「軍報」の
第12弾といたしまして、
福井県鯖江市におかれていた
歩兵第三十六連隊の遺構を
簡単にご紹介させてくださいませ↓




歩兵第三十六連隊は、第九師団の
新設にともなって1896年(明治29)に
名古屋で編成され、2年後の
1898年(明治31)に現在の鯖江市内の
兵営に移駐しました。

その後、1904年(明治37)に勃発した
日露戦争では、第三軍の指揮下に
入って戦果をあげて凱旋し、
大正に入るとシベリア出兵にも
参加しています。

昭和に入ると、日中戦争を突入したことを
機に満州に駐屯し、第二十八師団に
所属先が変更され中国戦線で
奮闘しますが、太平洋戦争の勃発で
南大東島の守備につき終戦となりました。

現在、跡地の大半が住宅地に変遷し
面影が全くありませんが、当時の遺構が
わずかに残ります。



おピンちゃん先生とともに、
福井鉄道の神明駅に来ております↓



駅から歩いて数分の場所にある
三六武道館付近には、
門柱が保存されています↓



門柱の裏手には、移設された
軍用地境界標が2本残ります↓




鯖江連隊記念碑です↓



この後は、盡忠報國先生ブログ
参考にさせていただき、油脂庫と
製蹄場を見学しましたが、
いずれも私有地内に位置するので
我々のホームページ内のみ
ご紹介をする予定でおります。


【収録遺構】
 陸軍第九師団
 歩兵第三十六連隊

  門柱 1箇所
  軍用地境界標 2本
  建物 2棟

【探訪情報】
 2017.07.12  第1回探訪

 歩数(指数) 2,010歩(100)


後ほど、我々のホームページでも
ご紹介させていただきますっ★


それでは、また明日っ!



↑応援してくださいね~っ♪

皆様、いかがお過ごしでしょうか。


今日は、お昼過ぎから小遣い稼ぎに
1往復だけ久々に運用につくため、
この時間からブログの更新です(笑)

夜から、恒例の運動会と飲み会に
参加してきます。遠いけど・・・


さてさて、本日は祐実軍團「軍報」の
第122弾といたしまして
神奈川県横須賀市におかれていた
横須賀海仁会集会所のものと推測する
地下壕群をご紹介させてください↓




横須賀海仁会集会所は、海軍の
下士官や兵たちの慰労休養施設として
1902年(明治35)に開設され、
食堂や売店・浴室などのほかに
宿泊施設や劇場などが設けられ
多くの下士官や兵とその家族で
賑わいをみせたそうです。

大正時代に入ると関東大震災で
被災したために改築されたものの、
昭和時代に入ると老朽化で
新しく建て替えられて終戦まで
存続しました。

終戦後はアメリカ軍に接収され
下士官クラブとなりましたが、
接収解除後に汐入駅前の再開発で
解体され横須賀芸術劇場となりました。

現在は痕跡が全くありませんが
周辺に当時の防空壕が残存し、
関連していたものと推測しています。



快特爆走電鉄の汐入駅から
スタートしていきます↓



イオンの右側に並ぶ建物あたりが
横須賀海仁会集会所となります↓



残念ながら、が残るのみです・・・↓



緑ヶ丘女子高校の下に
封鎖された地下壕の入口跡が
数箇所残っています↓


一部、住宅地の裏にも開口部が
見えるのですが、がれているので
多分入れないと思われます・・・


三等兵が先日食べたかった
元祖横須賀海軍カレーのお店
西側にあたる山の下にも
地下壕が掘削されています↓


内部はがれています・・・↓



この横にも小規模な壕がありましたが
残念ながら現在は、これらは全て
黄色い板で封鎖されています↓



もっと早くに探訪してれば
全容が判ったのかもしれません(涙)


【収録遺構】
 横須賀海仁会集会所

   地下壕 2区画

【探訪情報】
 2005.05.15  第1回探訪
 2017.08.29  第2回探訪

 歩数(指数) 未計測(100)


また、後ほどホームページ内で
ご紹介させていただきますねっ★


それでは、またお会いいたしましょうっ!



↑応援してやってくださいっ♪

皆様、いかがお過ごしでしょうか。


三等兵は、昨日・今日の2日間で
鎌倉と横須賀へ行ってきました。

横須賀へ行った最大の理由は、
8月で閉店する魚藍亭の
横須賀海軍カレー館で
元祖・よこすか海軍カレーを
食べることだったのですがね。

本来は昨日の夜に食べるつもりで
臨んだのですが、到着早々に
ウェブページを見たら「本日定休」の
サインが出ていることに気付き
その後の探訪予定を大きく変更し、
今日のお昼に食べることにして
現地に赴いたのですが・・・

「8月27日をもって閉店しました」

・・・・・・・

くはぁ~(涙)
約1年前と昨日・今日と都合3回、
行く計画を立てて、ことごとく
振られてしまうなんて・・・

私の中で、3回失敗すると
4回目のトライは絶対ないので
「もう行かねえ」になるのですが
既に閉店しちゃっているので
それを言うことも出来ない(笑)


モヤモヤ感が満載ですわ・・・


さてさて、本日は阪奈軍團「軍報」の
第90弾といたしまして、
兵庫県加古川市におかれていた
歩兵一〇六連隊の遺構を
ご紹介させてくださいませ↓




歩兵一〇六連隊は、
第六十三独立歩兵団の基幹部隊で
1941年(昭和16)に編制され、
兵営が現在の加古川市に
設置されました。

1944年(昭和19)に入ると、
太平洋戦争での戦局を打開するため
新設された第四十九師団の傘下となり
朝鮮へ移駐したため、兵営は同年に
開隊した航空通信学校の神野教育隊が
使用し、その後に改編された
加古川教導航空通信団の傘下となり
終戦まで存続しました。

現在、跡地は市立山手中学校や
市営住宅などに変遷していますが
当時の遺構が残っています。



雨の中、加古川市内に来ております↓



今回も、盡忠報國先生ブログ
参考にさせていただきまして
探訪をしていきます。


営門です↓



北に進むと裏門跡が残っています↓



加古川病院宿舎の敷地内に
当時の建物跡と思われる
基礎部分が残っています↓



残念ながら、あかり保育園
敷地内にも当時の兵舎が
残っていたようなのですが、
雨の冷たさと寒さに気をとられて
建物の前を「完全スルー」しました(笑)

ちなみに、隣の建物は無意識に
撮影しておったのですが・・・↓



盡忠報國先生っ!
実地踏査に免じ、ホームページ用に
写真をくださいませ~っ(切実)
後日、お願いにあがります m(_ _)m


敷地の南限にあたる部分に
当時の石垣も残っていました↓



さらに東に進んだ畑地内に
軍用地境界標が引き抜かれて
横倒しにされた状態で
2本が残っておりました↓




【収録遺構】
 陸軍第六十三独立歩兵団
 歩兵一〇六連隊
 (陸軍航空通信学校
  神野教育隊)

   建物基礎 1箇所
   門柱 1箇所
   軍用地境界標 2本
   その他 2箇所

【探訪情報】
 2016.02.20  第1回探訪

 歩数(指数) 4,802歩(90)


また、後ほどホームページ内で
ご紹介させていただきますねっ★


それでは、またお会いいたしましょうっ!



↑応援してやってくださいっ♪

皆様、いかがお過ごしでしょうか。

今日は、おピンちゃんのブログ
鎌倉寺社ネタの写真を撮るために
急遽、1泊2日の日程を組むことに
相成りまして・・・(笑)

大変申し訳ありませんが、
今回は「軍報」での更新を
おやすみさせてください m(__)m


鎌倉の寺社を鋭意取材中の
おピンちゃん先生(笑)↓
2017082821182409c.jpg


いつもの遠征と立場が逆転し、
ただ付いていくだけのヘボ太郎↓
20170828211828ea3.jpg


横須賀で1泊します(笑)↓
20170828211827e93.jpg


汐入駅前の居酒屋さんで
一息ついて就寝です↓
20170828211826e7b.jpg

くだらない雑記ですみません・・・
また明日お会いしましょうっ!

皆様、いかがお過ごしでしょうか。


三等兵が「やりたかった」ことに
専念出来る期間が、いよいよ
終焉を迎えようとしております(笑)
ほぼ2か月にわたり休車状態でしたが
そろそろ再び運用につくために
出庫をする準備をしなくては・・・


さて、本日は和泉軍團「軍報」の
第57弾といたしまして、
千葉県千葉市におかれた
気球連隊の遺構を
簡単にご紹介します↓




気球連隊は、主に気球を使用して
戦況の偵察を行うことを目的に、
1905年(明治38)にこの前身である
「気球班」が東京の中野におかれた
電信学校内に設置されたのが
はじまりです。

のち、鉄道連隊や電信中隊と共に
交通兵旅団の隷下となり「気球隊」と
改称して埼玉の所沢飛行場に
転出しますが、1927年(昭和 2)に入り
千葉市の作草部町に移設され、
1936年(昭和11)に陸軍の平時における
編成が全面的に改正されたことに
ともなって「連隊」に昇格しました。

気球連隊の主な任務は、係留式の
気球を上げて上空より戦況の偵察や
砲撃誘導を行うことで、連隊昇格後の
翌年からは中国やシンガポール・タイ・
フィリピンなどの作戦に従軍しましたが
航空機の発達により役目を失いました。

太平洋戦争末期になると、アメリカの
本土を爆撃するための「風船爆弾」が
考案され、気球連隊を母体に部隊を
編制し、千葉や茨城・福島の各海岸より
合わせて約 9,300発の風船爆弾を
放球しました。

このうち約1割にあたる爆弾が
偏西風に乗ってアメリカの西海岸に
着弾したそうです。

現在、連隊の跡地は住宅街と
なっていますが、格納庫が会社の
倉庫として活用されているなど
当時の遺構が残っています。



重鎮の皆様方と一緒に
千葉市内に入っております↓



川光倉庫の敷地内に
当時の格納庫が残っています↓



周辺に境界塀が残ります↓




千葉公園体育館は、当時の
建物の一部が使われているようです↓



千葉県計量検定所内にも
当時のものといわれている
建物が残っていますが、
オリジナルサイズの写真を
消失させてしまいました・・・↓



【収録遺構】
 陸軍気球連隊

  建物 2棟
  軍用地境界塀 2区画
  その他 1箇所


【探訪情報】
 2005.12.29  第1回探訪
 2006.06.11  第2回探訪
 2007.04.29  第3回探訪
 2007.05.01  第4回探訪
 2007.05.10  第5回探訪

 歩数(指数) 30,000歩以上(720)


それでは、また明日っ!



↑応援してやってくださいっ♪

皆様、いかがお過ごしでしょうか。


本日は午前中から所用がありまして
「軍報」の記事が準備出来ませんでした・・・
申し訳ありません m(_ _)m


今日は予定を変更させていただき
鉄道ネタでブログの更新とさせてください。


今回は、小田急電鉄5000形ですっ★



小田急5000形電車(wikipediaを抜粋)↓

小田急5000形電車は、小田急電鉄が
1969年から1982年までの13年間に
わたって導入を行なった通勤車両である。

1970年代から1980年代にかけての
輸送力増強のために導入された車両で、
4両固定編成×15編成と、
6両固定編成×20編成の合計180両が
製造された。

当初は4両固定編成で製造され、
1972年から1975年までは9000形の
新造が行なわれたため増備が中断したが
1976年から増備が再開された。

1978年に増備された車両は、正式な
形式は変更されていないものの、
編成が6両固定編成に
変更されただけではなく、
側面窓構造に相違があるほか、
設計変更ではなく新規に車両設計認可を
受けていることなどから、雑誌や
書籍などでは6両固定編成で登場した
車両については5200形と通称される。

小田急の通勤車両では初めての
新製冷房車となった形式であり、
ベース色をケイプアイボリーとした上で
ロイヤルブルーの太帯を入れるという
その後長期にわたって小田急通勤車両の
標準色となるデザインを初めて
登場当時から採用した形式でもある。

また、1900形から続く「低運転台の
前面貫通型で行先表示は貫通扉下部、
前照灯は上部で標識灯は左右上部」という
趣味的に「小田急顔」と俗称される
前面様式が採用された最後の形式である。

長期にわたって小田急通勤車両の
主力車両として運用されたが、
2006年以降は後継車両の導入により
淘汰が進められ、2012年3月の
ダイヤ改正をもって営業運転を終了した。



こんな感じの車両です↓


うーん、懐かしいっ★
写真は、藤沢海軍航空隊の燃料庫が
壊されると聞き、いっちゃん先生
藤沢市内を探訪した時のものです。
5000ではなく、5200ですが・・・


当方が、まだ海老名や相模原に
住んでいたころは分倍河原が
主な勤務先だったものですから、
登戸まで小田急線に乗って
南武線に乗り換えていました。

時期的に淘汰が始まってましたが、
5000形6両+8000形4両とか、
1000形6両+5000形4両とか、
3000形6両+5000形4両の急行に
よく乗ったものです(笑)

特に帰りの時間帯には、5000形4両が
後ろにぶら下がる急行に
出くわすことが多かったですね。
しかも、決まって「海老名」止まり。
本線をはしる10両急行の全てが
小田原まで行かず、後ろの4両は
途中の海老名で切り落とされるため、
常に混雑する急行のなかでは
若干ですが空き気味でした。

この5000形に乗っている時に限って
漠然とですが「俺、通勤してんな~」なんて
思ったものですよ(笑)


優等運用につくことが多かった
5000形↓

wikipediaの写真です。


5000形の速比は5.29で、いわば
通勤電車の標準といえるものですが
モーターの出力が大きいので
高速性能は良い方だったと思います。


海老名以西をはしる6連急行↓

wikipediaの写真です。


駆動方式はWNで、典型的な
三菱系の走行音でしたね。
京急700や近鉄2400と同様に
高速走行時に高音・中音が
ハモる感じです(笑)


今はどうか判りませんが、
閑散時でも、急行の乗車具合は
これくらいでしたね・・・↓


まだ複々線になっていなかった時代は
とにかく朝の通勤が大変でした。
私が移り住んだころには、若干の
改善がありましたけど、それでも
朝の急行が町田~新宿で1時間弱も
かかっているような状況でしたね・・・

もっとも、京王・小田急の通勤事情は
もはや「絶望的」といわれてましたし。


3000形6両+5000形4両の急行↓


晩年は、この組み合わせも
結構あった気がしますね・・・


ちなみに、海老名~新宿までは
約50キロの距離がありますが
小田急線の急行に乗ると
ターミナルから延々と混雑が続きます。
海老名でもまだ乗客がいっぱい。
この混雑はどこまで続くのだろうって
何回も思っちゃったくらいです(笑)

50キロの距離を関西の南海電車に
おおよそで例えると、難波から
みさき公園まで行っちゃいます。
遠いよ・・・(笑)


5000形の電動台車です↓

wikipediaの写真です。

私の好きなZリンク支持方式です。
素敵な外観ですっ★


本日は大変な「脱線」と「的外れ」な
ブログ更新で申し訳ありません m(_ _)m

明日も引き続き、所用で出掛けるので
ブログ更新が出来ないかもしれませんが
皆様から関心をもってもらえるように
これからも頑張ってまいりますので
ひとつよろしくお願いいたします★



↑もしよろしければ
 応援してやってくださいっ♪

皆様、いかがお過ごしでしょうか。

今日は赤羽・王子近辺の予後探訪に
出掛けてきましたが、ホームページ
公開している案件で、一部が完全に
消失しているものがありました・・・

遺構の消失は極めて残念です(涙)


さてさて、本日は美恵軍團「軍報」の
第51弾といたしまして
愛知県名古屋市に設置されていた
歩兵第三十三連隊の専用水道の
ご紹介です↓




歩兵第三十三連隊の専用水道は、
近代化された名古屋市営水道を
兵営内へ導水するために建設され
現在の市立廿軒家小学校の北方より
守山駐屯地方向へいたる土地を
買収し、市営水道から分岐する
水道管が埋設されました。

現在、水道管が埋設された部分の
大半が道路になっていますが、
専用水道の名残を示す
軍用地境界標が少し残っています。



かとう先生のお立会いの下、
おピンちゃん先生と名古屋市の
守山区内にお邪魔しております↓



市営水道と軍用水道の分岐部分
移動していきます↓



水道路は、ほぼ直線です↓



分岐点から少し北上した部分に
軍用地境界標が2つ残ります↓




残念ながら2本とも文字部分が
パテで完全に埋められていました。


水道路は、名鉄電車の線路の下を
潜って北西方向の守山駐屯地に
向かっており、線路を越えた部分にも
軍用地境界標が2本残ります↓




【収録遺構】
 陸軍第三師団
 歩兵第三十三連隊
 専用水道

  軍用地境界標 4本

【探訪情報】
 2017.07.28  第1回探訪

 歩数(指数) 未計測(100)


後ほど、我々のホームページにも
掲載予定ですっ★


それでは、また明日っ!



↑応援してやってくださいっ♪

皆様、いかがお過ごしでしょうか。


久々に、地元で飲みました~★
ちょっと、量が過ぎたか・・・(汗)

本拠は田舎だし、都心へ出るのに
時間かかるし、スラム地帯(笑)ですが
1つだけいいことがあります★

それは・・・おいしくお酒が飲める
おいしい小料理屋が多いことです(笑)
最近はお年頃ですので、
飲める量が徐々に減っていますが・・・


さてさて、本日は阪奈軍團「軍報」の
第89弾といたしまして
大阪府大阪市におかれていた
歩兵第三十七連隊の遺構を
ご紹介させてくださいませ↓




歩兵第三十七連隊は、
第四師団に隷属する部隊で
1896年(明治29)に編制されました。

その後は、日露戦争で出征して
主要作戦に参加し、凱旋帰還の途に
つきますが、昭和に入り満州へ
再び出征して日中戦争の主要作戦にも
参加し、太平洋戦争ではフィリピン方面の
作戦に参加後インドネシアの守備を経て
タイへ転進し終戦となりました。

現在、兵営跡は国立大阪医療センターと
なっていますが、敷地の外周部分に
当時の遺構が少し残っています。



三等兵が大好きな大阪市内に
お邪魔しております↓


梅田から地下鉄谷町線で
谷町四丁目まで行き、
歩いていきます。


国立病院機構大阪医療センター
敷地の中に、当時のものと思われる
灯篭がありました↓



敷地の北側に当時の石垣が
長い区間残っています↓



敷地の西側にも石垣が残ります↓



【収録遺構】
 陸軍第四師団
 歩兵第三十七連隊

   軍用地境界塀 2区画
   その他 1箇所

【探訪情報】
 2007.07.09 第1回探訪
 2015.05.23 第2回探訪
 2016.07.19 第3回探訪
 
 歩数(指数) 未計測(100)


それでは、またお会いいたしましょうっ!



↑応援してやってくださいっ♪

皆様、いかがお過ごしでしょうか。

ここのところ、無性にラーメンが
食べたくなるんですよね~
コッテリ系のやつを・・・

三等兵もお年頃ですので、
スープまで飲み干すと
胸やけすると解っていますが
飲んでしまいたい(汗)

明日は久々に地元で飲むので
今日はガマンガマン・・・


さてさて、本日は我々の
ホームページを若干量で
更新いたしましたので
更新内容を掲載することで
ブログの更新とさせてくださいませ。



今回の追加分は以下となります↓
(カッコ内は掲載遺構の数です)

 ※アンカーをクリックすると、
  それぞれ別ウィンドウで表示され
  音楽が流れますので、一度に全てを
  開かないようにご注意を!


北海道函館市
 陸軍函館要塞薬師山砲台(8)
 陸軍函館要塞御殿山第一砲台(6)
 函館陸軍埋葬地(1)

神奈川県横須賀市
 陸軍横浜憲兵隊横須賀憲兵分隊
 浦賀憲兵分遣隊
(2)
 横須賀海軍軍需部久里浜倉庫(123)

千葉県南房総市
 陸軍東京湾兵団
 稲都高井ヶ谷砲台
(7)
 陸軍東京湾要塞地帯(1)
 海軍東京湾要塞地帯(1)



祐実総軍プロジェクトの体制は
以下で構成されており、
掲載している各都道府県内の
いわゆる「戦争遺跡」が、
拙ブログ・ホームページのシナリオ上、
どこの「軍團」の探訪案件となるのか
簡単にご認識いただければ幸いです↓

 祐実総軍プロジェクト (総大将:平野祐実―YUM)
  |
  ┣ 莉央軍團 (大将:簑島莉央―7RI)
  |  ┗ 北海道(南部)
  |
  ┣ 由香里軍團 (大将:寺島由香里―8YR)
  |  ┣ 青森県・岩手県・秋田県
  |  ┗ 宮城県・山形県・福島県
  |
  ┣ 祐実軍團 (大将:平野祐実―1YM)
  |  ┗ 東京都・神奈川県・埼玉県
  |
  ┣ 和泉軍團 (大将:海老名和泉―4IZ)
  |  ┣ 千葉県・茨城県
  |  ┗ 栃木県・群馬県
  |
  ┣ 美恵軍團 (大将:酒井美恵―3ME)
  |  ┣ 愛知県・三重県・岐阜県
  |  ┗ 静岡県・長野県・山梨県
  |
  ┣ 珠美軍團 (大将:落合珠美―6TM)
  |  ┣ 石川県・福井県
  |  ┗ 新潟県・富山県
  |
  ┣ 阪奈軍團 (大将:石切阪奈―2HN)
  |  ┣ 大阪府・兵庫県・京都府
  |  ┗ 滋賀県・奈良県・和歌山県
  |
  ┣ 真己軍團 (大将:福田真己―5MK)
  |  ┣ 広島県・岡山県・島根県
  |  ┗ 山口県・鳥取県
  |
  ┗ 那瑠絵軍團 (大将:稲益那瑠絵―9NR)
      ┣ 福岡県・大分県
      ┗ 長崎県・佐賀県


今回の更新により、北海道南部を
専属で探訪していく莉央軍團が
登場しております★

総軍大元帥から軍旗が渡され、
ナルナル先生から訓示(笑)を受けた
莉央軍團のトップ3です↓
左側から
 簑島 莉央 大将
 本内 茉弥 副将
 根岸 万理江 参謀長 ですっ★

那瑠絵軍團の主軸3名です↓
左側から
 青塚 瑠奈 先任参謀
 アンナ イバノフ 親衛
 飛弾野沙貴 斬込 ですっ★


まだ、函館市内の案件しか
探訪出来ていませんが、少しずつ
充実させていく予定ですので
是非、見てやってくださいっ m(_ _)m


【本日の写真】
愛知県春日井市におかれた
名古屋陸軍造兵廠の
鷹来製造所の本館↓



総軍大元帥の御前を無情にも
通過していく新幹線(笑)↓



愛知県豊川市におかれていた
横須賀海軍警備隊の
権現山防空砲台の砲座↓



前回の探訪でヤマビルに恐怖し
陣地から出てこれないヘボ太郎(笑)↓

まきき先生からの提供写真です。


元西武401系の近江鉄道700系↓



それでは、またお会いしましょうっ★



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皆様、いかがお過ごしでしょうか。

今日は、思ったよりも早く
本拠に帰還できましたっ★
でも、ちょっと眠いです・・・


さて、今回は既出案件ですが
祐実軍團「軍報」の第121弾として
東京都新宿区におかれていた
近衛騎兵第一連隊の遺構を
簡単にご紹介させてくださいませ↓




近衛騎兵第一連隊は、近衛師団に
隷属する部隊で、天皇の乗物である
鳳輦(ほうれん)の供奉(天皇の
お供要員として行列に加わる)が
平時の任務とされていました。

設立当初は、千代田区におかれた
近衛師団司令部付近に兵営を
おいていましたが、世田谷区の池尻に
一度移転をし、最終的には戸山地区に
兵営が1913年(大正 2)におかれました。

現在、跡地は学習院女子大学と
なっていますが、キャンパス内に
当時の遺構が残っています。



重鎮の皆様方とともに
新宿区にお邪魔しております↓



学習院女子大学に見学の
申請をして中に入ります↓



兵舎が残っています↓


建物内部の様子です↓



キャンパス内に、炊事場・風呂場の
建物も残っています↓



【収録遺構】
 陸軍近衛師団
 騎兵第一連隊

  建物 2棟

【探訪情報】
 2006.07.25   第1回探訪

 歩数(指数) 未計測(100)


ダメだ、今日はネム太郎です・・・

明日は「ホームページ」関係で
ブログの更新をさせてください。


それでは、またお会いしましょうっ★



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