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祐実総軍三等兵

Author:祐実総軍三等兵
全国に残る戦争遺跡を探訪して
記録することを生き甲斐とする
祐実総軍三等兵でございます★
稚拙な内容ではございますが、
これまで調べてきた戦争遺跡を
ブログ・ホームページで紹介を
させていただいておりますっ♪

よろしくお願いしますm(__)m

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2016 27 13:15:24

【和泉軍團】(17)陸軍第一四七師団抵抗拠点陣地(大網白里市)

皆様、週末をいかがお過ごしでしょうか。
今日の関東地方は天気がいいですねっ★

ここ数日、記事を書き込んでいる途中で
ブラウザがコケて全てオジャンになり
書き込む気力を失っておりましたが
今日から復活しますねっ。


本日は和泉軍團「軍報」の
第17弾といたしまして、
千葉県大網白里市におかれていた
陸軍第一四七師団の抵抗拠点陣地を
ご紹介させていただきますねっ。
なお、調査がかなった陣地群の大半は
我々の「同志」である
房総半島戦跡考古調査会」の
皆様のご案内によるものですので
詳細な場所は伏せさせていただきます。
(当方と密接な関係を持つ方以外の
お問い合わせには一切応じませんので
悪しからずご了承くださいませ)


第一四七師団は、1945年(昭和20)2月に
旭川で編成されて開設された特設師団で
第一総軍の第十二方面軍に所属していた
第五十二軍の隷下部隊でした。

日本の敗戦をほぼ決定的にした
1944年(昭和19)6月のマリアナ沖海戦の敗退で
アメリカ軍は「コロネット作戦」と呼ばれる、
日本本土への上陸作戦を計画します。
その作戦の内容とは、千葉県の九十九里浜と
神奈川県の相模湾より上陸して、
首都圏の拠点を制圧しながら
帝都に攻め入るというもので、
九十九里浜には約 240,000人ものアメリカ軍が
上陸を予定していました。

一方、日本軍は「本土決戦作戦」を計画し、
両海岸の防備にあたりました。
この中で第五十二軍は、九十九里浜の防備を
担当することになり、隷下の第一四七師団は
大網白里市より勝浦市にいたる
地域の防衛にあたりました。

なお、防衛方針は海岸後方の山に
抵抗拠点となる陣地を展開させ
上陸兵に対して狙撃・砲撃を行うというもので
師団の司令部は市原市の鶴舞におかれました。

これらの陣地は、本土決戦となる前に
日本軍の敗北で終戦となったため、
掘削途中で放置され、一部崩壊があるものの
現在も残っており見学も可能ですが、
岩盤が非常に悪く水没区間もあるので
細心の注意が必要です。

なお、掘削された陣地群を全て
まわれているわけではないので、
今後も同会のお力を借りながら
継続して記録していく予定ですっ★


まずは、永田地区に残る陣地を
ご紹介していきます♪

1つ目の陣地です↓


永田地区に残る陣地群のほとんどが
構築途中であったようで、規模は
そんなに大きくありません。。。

1つ目の陣地は岐路をもたず、
10メートル程で行き止まりでした。。。

2つ目の陣地です↓


この陣地も、排出されていない土屑が
内部に多く残っており、掘削の途中で
終戦を迎えたものと思われます。

また、最深部分は部屋のような空間が
拡がっており、未完成の銃眼部分と
断定しました。

坑道の総延長は32mを測っています。

期間限定で内部図を載せます↓

 ※2016.6.12追記
  内部図を削除しました。


3つ目の陣地は、同会のパパゲーノ先生に
ご案内いただいたものとなります↓


ここは、塹壕や入口部分が非常に
丁寧な造りになっていますが、
やはり構築途中で終戦を迎えたようで
両側に貫通する15メートルほどの壕と
掘削途中の約30メートルの壕を
確認することが出来ました。

3つ目の陣地の内部をもう1枚載せます↓


期間限定で内部図も載せます↓

 ※2016.6.12追記
  内部図を削除しました。


続いて、大網地区に残る陣地を
ご紹介していきます。

なお、大網地区は同会のmaya先生や
隊長先生にお連れいただきましたっ♪

1つ目は、中隊指揮所とおぼしき陣地です↓


内部は部屋のような空間が
たくさん造られており、入り組んだ坑道が
接続しており、坑道の総延長は
42.5メートルを計測しています。

内部図も載せておきます↓

 ※2016.6.12追記
  内部図を削除しました。

2つ目の陣地です↓


こちらも規模は小さいですが
灯り置きや掘り込みなどが残り
良好な状態でした。

なお、坑道の総延長は23.9メートルを
計測しましたっ★

2つ目の陣地の内部図です↓

 ※2016.6.12追記
  内部図を削除しました。

3つ目の陣地です↓


こちらは水深がかなりあるため
内部調査を断念しましたが
おそらく、坑道がY字に延びて
その先はいずれも行き止まりであると
推測しているところです。

4つ目は、はたして陣地なのか
日立航空機の地下工場関連なのか
判断が出来ませんでした・・・↓


残念ながら、入口は厳重に封鎖されており
内部調査は出来ませんでした・・・


最後は、大竹地区・金谷郷地区に残る
陣地をご紹介いたします。

1つ目の陣地です↓


ここも規模は大きくないですが
塹壕も設けられており
丁寧な仕上がりでしたが
日没が近かったので
内部記録はスルーしました。
内部図は同会の記録班様が
公開してくれるでしょうっ♪

2つ目の陣地です↓


こちらも規模は小さいものの
同会では「イカヘッド」と呼ばれている
珍しい形状の砲室をもっています。
坑道の総延長は31.5メートルを
計っておりますっ★

2つ目の陣地の内部図です↓

 ※2016.6.12追記
  内部図を削除しました。

3つ目の陣地です↓


こちらは、外観を見ただけで
内部は見ませんでしたが、
複数の坑道に接続されているようです。

そろそろ10年来のお付き合いになる
教導先生と同会の皆様方↓


おそらく、房総半島の抵抗拠点は
同会が一番調べており、この右に出る
探訪集団はいないでしょうねっ★
三等兵は、久々にヤル気満々の
団体様を見ましたぜっ(笑)
我々も追従しなければっ♪


【収録遺構】
 陸軍第一四七師団
 抵抗拠点陣地(大網白里市)

  地下壕 10箇所

【探訪情報】
 2006.03.18  第1回探訪
 2016.02.14  第2回探訪
 (房総半島戦跡考古調査会様と合同)

 歩数(指数) 約10,000歩(326)


後ほどホームページ内で
ご紹介させていただきますねっ★


※同日参加された皆様へ
 拙ブログおよびホームページに
 リンクさせていただきますので
 ブログ・ホムペ等を運営されていましたら
 是非、URLを教えてくださいっ♪
 今後ともよろしくお願い申し上げます。


それでは、よい週末をっ★
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