戦争遺跡のご紹介やホームページの制作状況などを綴っていきます♪

総軍BLOGへようこそっ!

♦ プロフィール

祐実総軍三等兵

Author:祐実総軍三等兵
全国に残る戦争遺跡を探訪して
記録することを生き甲斐とする
祐実総軍三等兵でございます★
稚拙な内容ではございますが、
これまで調べてきた戦争遺跡を
ブログ・ホームページで紹介を
させていただいておりますっ♪

よろしくお願いしますm(__)m

♦ 最新記事

♦ カウンター

2015 08 14:15:28

【祐実軍團】(2)傷兵院箱根療養所

皆様、日々のご精勤、
お疲れ様でございますm(_ _)m

祐実軍團「軍報」の第2弾として
今回は神奈川県小田原市に
おかれていた傷兵院箱根療養所の
ご紹介をさせてください。


傷兵院は、戦争などにより負傷したり、
病気にかかって復帰出来なくなった
陸軍・海軍の軍人さんに対し、十分な
恩給を支給する一環として、
その処遇を保護する目的で
1906年(明治39)に前身の廃兵院が
東京の巣鴨におかれたことが
はじまりで、その後の法律の改正に伴って
「傷兵院」に改称され、施設を拡大するため
1936年(昭和11)に小田原へと施設を移し、
終戦まで運営されました。

戦後は、国立箱根病院が引き継ぐ形で
傷兵院は廃止され現在にいたっていますが、
病院内に当時の遺構がいくつか
現存しています。



三等兵が訪れたのは2006年の10月。
調査の狼煙を上げると必ずといってよいほど
参加を表明してくれる
菊水先生(今でもそうです)と
地下壕への愛着・執着が半端ではない
ベテラン猛者の誉先生と土龍先生の4名での
調査となりました。


傷兵院の本館として使われた建物↓
本館

木造の 2階建て構造となっており、
屋根部分に小さな塔を持つ
ゴシック様式の要素を含んでいます。
内部は、壁に張られたクロスや
照明器具・ドア部分の金具など、
当時の輸入品が残っているようですが、
非公開が原則ということで
見学は出来ないようです。
また、 2階部分の一室には
当時の貴重な資料が
残っているとのことです★


講堂として使われた建物↓
講堂

こちらは、木造の平屋構造ですが、
本館の建物に類似した造りと
なっています。

講堂内では、たびたび入院者への
慰問の催しを開いたり、
映写機を使って映画を上映したり
していたそうです。

こちらも、残念ながら本館と同様に
建物内は非公開が原則ということですが
日露戦争時の第三軍司令官を務めた
乃木希典大将が揮毫した
「上薬娯神」が現在も内部に
掲げられているそうですっ★


院内に残る御影奉安所↓
奉安殿

一般には「奉安殿(ほうあんでん)」と
呼ばれていた施設で、天皇・皇后の
写真を安置し、拝礼するために
設置されました。


現在は封鎖されている
可能性がありますが、
院内裏手の山には避難用の
防空壕も掘削されています↓
防空壕

内部は基本的に素掘り構造ですが、
入口部分より数mの区間だけは
コンクリートが捲かれ補強されています。
坑道は、おおむねS字型で
岐路を持たず、部屋のような空間が
3つあり、電線を引き込んでいた跡や
温泉を引き込んでいたと思われる
鉄管が残っており、
総延長は67mを計測しましたっ。


詳細は不明ですが、関連遺構と思われる構造物↓
関連遺構

高台に位置しているので
防御営造物の匂いもしますが、
色々な意味で疑問があります・・・

小田原 047


【収録遺構】
 傷兵院箱根療養所
  建物 3棟
  地下壕 1箇所

【探訪情報】
 2006.10.08 第1回探訪

 歩数(指数) 約2,000歩(100)


詳細は、ホームページ内で
ご紹介させていただいております↓
 傷兵院箱根療養所


ここを後にし、次は兵庫県姫路市で
編成された陸軍第八十四師団が
戦争末期の本土決戦作戦を
遂行するために構築した
抵抗拠点陣地をリサーチしようと
しましたが、藪と暑さで
ノックアウトしました・・・

小田原市に構築された陣地について
詳細や場所をご存知の方が
おられましたら、是非教えて
いただきたいですっ!

←応援してくださいっ♪

♦ 検索フォーム

♦ ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる