戦争遺跡のご紹介やホームページの制作状況などを綴っていきます♪

総軍BLOGへようこそっ!

♦ プロフィール

祐実総軍三等兵

Author:祐実総軍三等兵
全国に残る戦争遺跡を探訪して
記録することを生き甲斐とする
祐実総軍三等兵でございます★
稚拙な内容ではございますが、
これまで調べてきた戦争遺跡を
ブログ・ホームページで紹介を
させていただいておりますっ♪

よろしくお願いしますm(__)m

♦ 最新記事

♦ カウンター

2016 05 00:29:14

【和泉軍團】(25)陸軍第一四七師団抵抗拠点陣地(睦沢町)

皆様、いかがお過ごしでしょうか。
もう火曜日に入っておりますが
三等兵はホームページの制作に
集中出来ているので、もう少しだけ
頑張って眠ることにします。。。


さてさて、本日は和泉軍團「軍報」の
第25弾といたしまして、
千葉県長生郡睦沢町に構築された
陸軍第一四七師団の抵抗拠点陣地を
ご紹介させてくださいませ。


掲載のたびに同じ文章で恐縮ですが、
第一四七師団は、1945年(昭和20)2月に
旭川で編成されて開設された特設師団で
第一総軍の第十二方面軍に所属していた
第五十二軍の隷下部隊となり、師団基幹に
歩兵第四二五連隊~歩兵第四二八連隊の
4個部隊がありました。

日本の敗戦をほぼ決定的にした
1944年(昭和19)6月のマリアナ沖海戦の
敗退で、アメリカ軍は「コロネット作戦」と
呼ばれる日本本土への上陸作戦を
計画します。その作戦の内容とは、
九十九里浜と神奈川県の相模湾より
上陸して、首都圏の拠点を制圧しながら
帝都に攻め入るというもので、
九十九里浜には約 240,000人もの
アメリカ軍が上陸を予定していました。

一方、日本軍は「本土決戦作戦」を計画し
両海岸の防備にあたりました。
この中で第五十二軍は、九十九里浜の
防備を担当することになり、
隷下の第一四七師団は、大網白里市より
勝浦市に至る地域の防衛にあたりました。
なお、防衛方針は海岸後方の山に
抵抗拠点となる陣地を展開させ
上陸兵に対して狙撃・砲撃を
行うというもので、師団の司令部は
市原市の鶴舞におかれました。

これらの陣地は、本土決戦となる前に
日本軍の敗北で終戦となったため、
掘削途中で放置され、一部崩壊が
あるものの現在も残っており
見学が可能です。


一宮町に続いて睦沢町に入りました↓


教導先生と一緒に巡って行きます。
序盤の三等兵は士気が高く
機動力も高かったのですが
相次ぐ大量の虫達にやられ、
かなり消耗しております。。。


1つ目の陣地です↓



ここは狙撃口が1つ設けられてます↓



陣地の内部図です↓

 ※2016.11.12 ホームページに掲載のため
  内部図を削除しましたっ★


2つ目の陣地です↓


残念ながら、写真に写っていますが
狭い坑道に廃車となった農耕機が
いっぱい押し込まれており、
内部に入ることが出来ませんでした・・


2つ目の陣地の銃眼部分は
外から確認することが出来ます↓


さすがに、ここから入る
気力がありませんでした・・・


3つ目の地下壕です↓
P1170385.jpg

内部は入り組んでいるものの
小規模だったので、時短のため
記録しませんでした(涙)


3つ目の壕の周辺には
塹壕も残っており、状態もいいです↓



教導先生が猛攻をしかけて
この山の反対側に、もう1つ陣地の
入口を発見しましたっ★↓



非常に急で危険な階段を
下りていきます↓



坑道も非常に狭いうえに
三等兵の苦手な虫たちが
うじゃうじゃいました・・・↓



内部からは判りづらいのですが
狙撃口が1つ設けられています↓



もう1つ、構築途中の狙撃口が
残っています↓



陣地の内部図です↓

 ※2016.11.12 ホームページに掲載のため
  内部図を削除しましたっ★

この陣地の総延長は、
94.8mを計測しています。


大量の虫達に士気を削がれ
KO寸前の状態で北上します↓



ここでも新しい陣地を
見つけることが出来ました↓


連続で新発見とあいなったので
教導先生の士気が大幅アップで
覚醒寸前です(笑)


水没していますが、狙撃口を
1つ有していました↓
P1170418.jpg


陣地の内部図です↓

 ※2016.11.12 ホームページに掲載のため
  内部図を削除しましたっ★

この陣地の総延長は、
49.5mを計測しています。


だんだん日没が近づいてきました↓
P1170425.jpg

三等兵は潰走寸前でしたが
自動販売機でオロナミンCを飲み
士気を盛り返しましたっ★


続いて河須ケ谷地区を
目指す途中に小規模な壕を
見つけました↓


写真でも見て判るように
奥行きがないので記録は
しませんでした(笑)


河須ケ谷地区に残る壕です↓



ここも大量の虫と格闘です↓



内部図です↓

 ※2016.11.12 ホームページに掲載のため
  内部図を削除しましたっ★

この壕の総延長は、
79mを測りましたっ★


本日最後となる今堰に来ました↓



祠を改造して陣地に活用しようとした
壕が残っています↓


構築途中だったようで、
2基の祠を結合して、さらに1本の
坑道が北に10mほどはしって
終了しています。


この裏手にあたる部分にも
構築途中と思われる
壕が残っています↓



坑道の幅が狭いです・・・↓



内部図です↓

 ※2016.11.12 ホームページに掲載のため
  内部図を削除しましたっ★

この陣地の総延長は、
49.5mを計測しています。


この後は外房線の上総一ノ宮駅まで
歩いて戻りながら、教導先生と
昔の思い出話などをしながら
特急電車で帰還しました(笑)↓



【収録遺構】
 陸軍第一四七師団
 抵抗拠点陣地(睦沢町)

  地下壕 9箇所
  その他 1箇所

【探訪情報】
 2016.03.21  第1回探訪

 歩数(指数) 約12,000歩(166)


後ほどホームページ内で
ご紹介させていただきますねっ★


内容が脱線してしまいますが、
7月の遠征は16日~19日まで
和歌山方面に行く予定です。
和歌山市内を中心にして
友ヶ島も攻める予定ですっ♪

でも・・・和歌山市内で
ホテルが取れなかったから
新大阪から通勤(笑)です。

同日に館山方面への探訪の
お誘いも受けていたのですが
ネコ先生、申し訳ないです m(_ _)m
房総半島戦跡考古調査会の皆様にも
どうぞよろしくお伝えくださいっ!
次回は是非参列したいです♪


それでは、おやすみなさいませZzz
←応援してくださいっ♪

コメント

[title]:No title

お疲れっす。
なかなかタイミング合わなくてすんませんです。
次回は銚子企画しますんで是非ともご参加くださいな。
ちなみにこの前の震洋壕はおそらく笹本…かな
で、次回は豊里見つけにいってから、その後いつものチャレンジにする予定です。
震洋壕ぜひぜひこちらで扱ってくんなまし…

※和歌山遠征頑張ってね(  ̄▽ ̄)
  1. 2016/07/05(火) 08:53:21
  2. URL
  3. maya #-
  4. [ 編集 ]

[title]:maya様

書き込みありがとうございますm(__)m
こちらこそ、うまく予定を合わせられず
申し訳ないです・・・

笹本、豊里の特攻基地も
是非連れてやってくださいましm(__)m
特攻関連で地下工場に似た造りを
している事例は他にもありました~(笑)
神奈川県三浦市の小網代や諸磯なんかが
それです。

maya先生のブログを見る限り、
笹本の壕は派手に水没してるようなので
長靴持参しますね~
  1. 2016/07/05(火) 12:45:43
  2. URL
  3. 祐実総軍三等兵 #ft.RO07s
  4. [ 編集 ]

コメントの投稿


♦ 検索フォーム

♦ ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる