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祐実総軍三等兵

Author:祐実総軍三等兵
全国に残る戦争遺跡を探訪して
記録することを生き甲斐とする
祐実総軍三等兵でございます★
稚拙な内容ではございますが、
これまで調べてきた戦争遺跡を
ブログ・ホームページで紹介を
させていただいておりますっ♪

よろしくお願いしますm(__)m

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2016 11 22:53:09

【祐実軍團】(77)高座海軍工廠

皆様、いかがお過ごしでしょうか。
三等兵は、月曜日早々
うんざりな気持ちです。。。


本日も既出案件で恐縮ですが
祐実軍團「軍報」の第77弾といたしまして
神奈川県座間市におかれていた
高座海軍工廠の地下工場を
ご紹介させてくださいませ。


高座海軍工廠は、戦闘機の製作を
行う目的で、1943年(昭和18) 2月に
この前身となる工場を
相模野海軍航空隊の厚木飛行場に
隣接する形で開設(呼称:空C廠)したことに
始まり、翌年の改称で
「高座海軍工廠」となり、海軍の航空機の
生産の拠点として機能しました。

ここは、戦闘機「雷電」の製作が
中心となり、機械・鋼工・仕上・溶接・
縫工の各主工場と、飛行試験用の
滑走路・倉庫・工員養成所などを
抱える巨大な施設でしたが、
製作作業にあたる工員が
不足していたため、台湾からの
徴用工や女子挺身隊・周辺の
女学生を総結集させて生産ラインを
確保し、128機を製造しました。

1944年(昭和19)に入ると、
空襲に備えて工場の分散が計画され、
芹沢川や目久尻川沿いの崖下などに
生産維持のための地下壕が掘削され、
このうちの一部は、地下工場として
実際に機能していますが、
年産6,000機の目標に全く手が届かず
終戦となりました。

戦後、敷地の大半は民間企業に
払い下げられて、日産自動車や
東芝機械などの工場が建てられ、
残った敷地も、さがみ野さくら団地を
はじめ、大規模な集合住宅などが
建設されているために当時の遺構は
完全に消失しており、全く面影が
残っていません。また、総延長が10kmも
あるといわれる地下壕も、
事故防止のために埋め戻しや
入口が封鎖され、全体像が
把握出来なくなってしまっていますが
わずかな部分は現在も
見学することが可能です。


座間市の芹沢公園に来ています↓



1つ目の地下工場の入口です↓



内部の様子です↓



地下工場の内部図です↓

 ※2016.07.31 ホームページに掲載のため
  内部図を削除しましたっ★

なお、坑道の総延長は1015.5mを
測っております。


2つ目の地下工場は、入口が
全てブロックで封鎖されています↓



3つ目の地下工場の入口です↓



内部の様子です↓




地下工場の内部図です↓

 ※2016.07.31 ホームページに掲載のため
  内部図を削除しましたっ★

なお、坑道の総延長は380mを
測っております。


1997年の調査時点では、1つ目の
地下工場の入口付近に建物が
残っていましたが、残念ながら
現在は取り壊されています。

この当時は、調査経験が浅かったことも
あって、これを無視してしまって
記録しなかったのですが
今になって考えてみると、地下工場に
関連していた可能性が高いです・・
確か、竃のような遺構が残っていた
気がするので、もしかしたら
炊事場だったかもしれません。。

あ~あ、たった数枚のフィルムを
何でケチってしまったのだろう・・・
(この当時はデジカメなんかないです)
今になってすごい後悔してます・・・


【収録遺構】
 高座海軍工廠

   地下壕 3区画

【探訪情報】
 1997.06.14  第1回探訪
 2005.10.02  第2回探訪
 2008.06.28  第3回探訪
 (探訪回数が多いので途中省略)
 2008.10.26  第18回探訪

 歩数(指数) 100,000歩以上(999)


それでは、おやすみなさいませZzz
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