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祐実総軍三等兵

Author:祐実総軍三等兵
全国に残る戦争遺跡を探訪して
記録することを生き甲斐とする
祐実総軍三等兵でございます★
稚拙な内容ではございますが、
これまで調べてきた戦争遺跡を
ブログ・ホームページで紹介を
させていただいておりますっ♪

よろしくお願いしますm(__)m

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2015 26 21:33:42

【美恵軍團】(3)陸軍第三師団歩兵第十八連隊

皆様、週末をいかがお過ごしでしょうか。

ただいま遠征から戻ってまいりましたっ!
次回の遠征は5月の中旬以降になるかと・・・
愛知・岐阜・兵庫にお邪魔予定ですっ★

さてさて、美恵軍團「軍報」の第3弾は
愛知県豊橋市におかれていた
陸軍第三師団歩兵第十八連隊の
遺構紹介をさせてくださいませっ。

歩兵第十八連隊は、陸軍師団編成の
前身である名古屋鎮台に隷属した部隊で
1886年(明治19)に豊橋へ移駐し、兵営が
設置されました。その後、師団創設にともない
第三師団の基幹部隊となり日清戦争・日露戦争に
出征して参戦しました。

日露戦争後は、軍備拡張にともない創設された
第十五師団に隷属先が変更されたものの、
大正末期の軍縮で師団そのものが廃止となり
再び第三師団の隷属となりました。

昭和に入ると、日中関係が泥沼化したことにより
1928年(昭和 3)に発生した済南事件を皮切りに
中国戦線へと投入され、この時に隷属先が
満州で新たに編制された第二十九師団になりましたが
1944年(昭和19)より南方作戦への参戦が決まり
満州からサイパンに移動する際、アメリカ軍の
魚雷攻撃によって輸送船が沈没し、連隊主力を
失いました。また、サイパンに上陸出来た残存部隊も
グアム島の守備につきましたが、形勢が不利で
アメリカ軍の猛攻に押され、夜間攻撃を行って玉砕し、
壮絶な最期を遂げたそうです。

現在、歩兵第十八連隊の跡地のほとんどが
豊橋公園となっていますが、いくつか当時の遺構が
残っており、見学することが可能です。


愛知県豊橋市にある豊橋公園にやってきました↓
P1060803.jpg


まずは公園入口付近に残る正門です↓
P1060769.jpg

門柱は煉瓦で造られており、表面部分には
モルタルが施されています。また、照明の
傘部分と思われる金属片や門扉を接合した
金属片などが残っており、残存状態は良好です。

現在は、豊橋公園の正門に使われており、
公園のシンボル(そうあって欲しいです~)に
なっています。

続いて、門柱の脇に残る歩哨↓
P1060770.jpg

歩哨はコンクリート製で、両方の側面には
四角い穴が開けられています。

現在は、公園の入口に使われている
門柱と同様に保存されています。


公園の中に少し入っていくと、関連していたと
思われる小さな建物が見えてきますよ★↓
P1060773.jpg

建物はコンクリート製の平屋構造で、
鉄製扉が比較的良好な状態で残っていますが、
施錠されているため内部へは入れません。

具体的な使途は不明なのですが、他地域の
連隊遺構で、銃を手入れするために使われた
脂油の貯蔵施設(例えば佐倉とか)に形状が
似ており、この建物も脂油庫として
機能していたかもしれませんねっ★


公園内を進んでいくと、地下施設跡と思われる
遺構が残っております↓
P1060811.jpg

この構造物の詳細は不明ですが、フランス積みと
呼ばれる明治期に少しだけみられた煉瓦積み技法が
用いられていることから、当時の遺構である
可能性が高いです。また下部が土に埋もれていますが
迫持部分や楔石の一部が見えていることから、
アーチ構造を呈す地下施設であると推測します。

現在は放置されていますが、公園内なので
このまま残るものと思われます。

また、地下施設周辺には当時のものと思われる
灯篭も残っておりましたっ★


公園内をさらに進んでいくと、当時の土留擁壁と
思われる構造物が数箇所ありました↓
P1060792.jpg

詳細は判っていませんが、コンクリートの質を見る
限りでは、かなり古い時期のものなので、当時の遺構と
断定しました。また構造から支え壁式であることが
判りますっ。

現在は放置されていますが、公園内なので
このまま残るものと思われます。


公園内を吉田城方面に向かっていくと
門柱が残存しております↓
P1060797.jpg

この門柱の詳細は判りませんが、敷地内に
位置していることから、将校集会所や酒保などの
付属施設に対する通用門の 1つではないかと
推測しています。


当時の焼却炉といわれている構造物も
見ることが出来ますっ↓
P1060783.jpg

古い煉瓦で構築されており、イギリス積み技法が
用いられておりますっ。


公園を出て、豊橋市役所の西側をはしる
国道1号沿いには、西門が残っています↓
P1060780.jpg


門柱は煉瓦で造られており、
扉の一部分が付いた状態で残っています。

現在は、看板が立てられて保存されており
看板の記載内容から、現在の場所へ移転して
保存されたものであることが判ります。


「軍報」は以上となりますっ。
ご閲覧、ありがとうございますっ★

【収録遺構】
 陸軍第三師団歩兵第十八連隊
  建物 1棟
  門柱 3箇所
  歩哨 1箇所
  地下施設 1箇所
  その他 4箇所

【探訪情報】
 2013.09.20 第1回探訪
 歩数(指数) 7,012歩(118)

詳細は、後ほどホームページ内で
ご紹介させていただきますっ★
是非、ご期待いただければ
幸いでございますっ!


ホームページですが、少しだけ
別案件のリリースが完了しております。

 埼玉県・・・吉見町・ふじみ野市(全12遺構)
 愛知県・・・名古屋市(全49遺構)

是非、こちらからアクセスをお願い申し上げますっ↓
 祐実総軍 ― 戦争遺跡データベース


今日は遠征疲れのため、これにて睡眠いたしますっ!
おやすみなさいませっZzz
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コメント

[title]:豊橋の戦争遺跡 【コメントの続き】

【続き】

ご存知かと思いますが、現在の動植物公園(のんほいパーク)のある二川には
岩屋観音の下にトーチカがあり、

いまはすっかり埋め立てられて面影すら残していない感がありますが
大崎島という海軍航空隊があった人口島があり、海軍橋を渡った先に
滑走路が残っていました。(戦争末期の空爆で穴ぼこだらけでしたが)

Google Mapの航空写真で見ると 
”明海リサイクルセンター”の敷地は当時のまま残されているように思われます。

https://www.google.co.jp/maps/@34.7167057,137.3231676,712m/data=!3m1!1e3?hl=ja

(菱型に見えるのが、大崎島の跡です。 滑走路の一部も残されているような・・・)

あと、三重県鳥羽市の神島(伊良湖岬沖)の監的哨跡は行かれましたか?
三島由紀夫の小説、”潮騒”の名シーンでも使われた場所ですが

景観も素晴らしく、是非一度お訪ねされることをお勧めいたします。

ただ、それ以外の戦争遺構はないのでご留意ください。



  1. 2015/10/01(木) 15:42:04
  2. URL
  3. 長坂雅文 #7GZRXkc2
  4. [ 編集 ]

[title]:長坂様

拍手コメント共々、たくさんの
書き込みをくださいまして
ありがとうございますm(_ _)m

豊橋市は、これまでに2度ほど
探訪させていただきましたが
今でも多くの遺構が残っており
興奮しながら巡ったことが
忘れられません(笑)

でも、現時点で完全に見れておらず
長坂様が仰った二川周辺の
陸軍第七十三師団の陣地系は
二川駅付近にあるトーチカしか
記録出来ていない状況です。

東海自然歩道付近の壕や
岩屋山公園の榴弾陣地などなど
調査課題が満載です(笑)

また、豊橋の海軍航空隊についても
滑走路周辺は工業地帯へと
変遷しているようですが、東側の
低山に弾薬庫などの地下施設が
多く残っているようですね。

しかし、思い当たる箇所を
googleのストリートビューなどで
見てみましたが、新たな擁壁が
出来てしまっているようで
もしかしたら手遅れ状態かも
しれませんね・・・

来年の1月くらいに、探訪してみようと
予定は立てているのですが
なにぶん車・バイクといったアシが
ないので、なかなかアプローチが
大変であると思っております(汗)

三重県も多くの陣地系と
海軍系の遺構が残っていますね。
関や久居の地下工場系は見ましたが
ほとんど記録出来ていないのが
当方の現状です・・・

ホームページとブログを運営する
機会をいただいているので、
ぜひとも探訪・記録をして、
皆様にもご紹介していきたいと
思っております。

長坂様の書き込みで、
ホームページの制作意欲が
湧いてきました!

まだ完全ではないのですが
豊橋市内で記録済みの戦争遺跡を
先立ってホームページに公開しようと
思いますので、もう少しだけ
お待ちくださいませm(_ _)m

今後ともどうぞよろしくお願い申し上げます。

  1. 2015/10/01(木) 19:59:34
  2. URL
  3. 祐実総軍三等兵 #ft.RO07s
  4. [ 編集 ]

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