戦争遺跡調査研究軍 祐実総軍

ARTICLE PAGE

【美恵軍團】(4)第二一〇海軍航空隊

皆様、ご精勤お疲れ様でございますっ★
一部の方々はゴールデンウィークに
突入されていますでしょうか。

今回の「軍報」は、本来であれば4月29日に
アップする予定だったのですが、
前日に催された現場の送別会で
メンバーに煽られて深酒してしまい
アル中でぶっ倒れる寸前までとなり
危うく病院送りとなるところでして
「軍報」どころではありませんでした(汗)

色々と申し訳ありませんでした m(_ _)m
もう少し「老兵」であることを
自覚したほうがよさそうです(涙)

それでは、4月29日の分といたしまして
美恵軍團「軍報」の第4弾は、
愛知県安城市におかれた
第二一〇海軍航空隊の遺構を
ご紹介させてくださいっ!


第二一〇海軍航空隊は、太平洋戦争での
戦局が悪化したことに伴い飛行兵の拡充を
目的として1944年(昭和19) 9月に
開設されました。

ここでは、多機種の飛行機を操縦出来るように
零戦や紫電・月光・彗星など、各種の
新鋭機を配備して、慣熟させるための
錬成訓練が行われましたが、開設から
3ヵ月経った同年12月には、アメリカ軍に
よる名古屋地区への空襲が始まり
航空隊の位置づけが錬成部隊から
作戦部隊へと変更され名古屋周辺の
防空任務にあたったほか、沖縄方面の
特攻作戦にも参加しています。

現在、跡地のほとんどが農地となっていますが
いくつか当時の遺構が残存しています。


愛知県安城市にやってまいりました↓
P1130930.jpg

「朝鮮川」?
この川の名前の経緯も是非調べたいと
思いましたが、何分「徒歩調査」なもので
寄り道している余裕がありませぬ・・・


まずは、明祥中学校の門に活用されている
当時の通用門↓
P1130933.jpg

ほとんどが埋没している状態です▲

この北側には格納庫の基礎部分が
(豊成飛行場や明野学校天竜文教所などの
格納庫基礎をイメージしてください)
残っていたようなのですが、市道の舗装で
消失してしまったようです・・・(残念)


ここから北西に進んでいくと
弾薬庫といわれている建物が
残存しています↓
P1130938.jpg

道路を挟んだ向かい側にも
建物が残存しています↓
P1130937.jpg

どちらもレンガで造られており
建設資材の乏しさが伝わってきます・・・


少し北上すると、燃弾庫といわれる
地下構造物が残存しています↓
P1130948.jpg

内部はコンクリート製で、天井から
地上に伸びる通風口が2つ
設けられておりますっ★


これは、詳細不明ですが
おそらく当時のものでしょうね↓
P1130943.jpg

砲台関連との話もあるのですが
位置的・構造的に見ても
信憑性は低いかと考えております。


燃弾庫は老人ホームの駐車場内にも
残っており、保存されています↓
P1130952.jpg

このほか、あと2つほど残っている
そうなのですが、残念ながら発見には
いたらず、敗走いたしました(恥)

写真をお持ちの方は、是非是非
当ホームページで掲載させてくださいm(_ _)m


ここから「徒歩」で高浜港駅まで
ひたすら歩き、次の目的地を目指した
三等兵なのでした。。。

【収録遺構】
 第二一〇海軍航空隊
  門柱 1箇所
  建物 2棟
  地下施設 2箇所
  その他 1箇所

【探訪情報】
 2015.04.11 第1回探訪
 歩数(指数) 28,436歩(91)

詳細は、後ほどホームページ内で
ご紹介させていただきますっ★
是非、ご期待いただければ
幸いでございますっ!

次回の軍報掲載までにはホームページを
日進・瀬戸・豊田・安城・岡崎あたりで
更新出来ると思っておりますヾ

あっ、そうだ。。。
一部の方々には、事前に
お伝えしておりましたが
ホームページ内で「リンク」ページを
追加しますので、当ブログおよび
ホームページをリンクしていただいている
管理者の皆様におかれましては
可能であれば「バナー」を
ご提供いただけますと幸いでございます!
(当方で作ってもいいですっ★)

 当ホームページのトップページメニュー欄の
 「提携ウェブリンク一覧」を開通させます↓
  祐実総軍 ― 戦争遺跡データベース


どうぞよろしくお願いいたしますっ♪


以上、「軍報」でした。
ご閲覧、ありがとうございますっ★
←応援してくださいっ♪

0 Comments

Post a comment