【由香里軍團】(3)平塚海軍火薬本廠船岡支廠 - 戦争遺跡調査研究軍 祐実総軍

【由香里軍團】(3)平塚海軍火薬本廠船岡支廠

皆様、月曜日をいかがお過ごしでしょうか。
今日の関東地方は雨だし寒かったです。
本格的な探訪シーズンの到来を
心待ちにはしているものの、
いまひとつ寒期の到来に対する
心構えが出来ていないというか・・・


さてさて、本日は由香里軍團「軍報」の
第3弾といたしまして、
宮城県柴田郡柴田町におかれていた
平塚海軍火薬本廠の船岡支廠
(船岡第一海軍火薬廠)の遺構を
簡単にご紹介させてくださいませ。


火薬廠は、兵器に使用するための
爆薬・火薬を製造していた
海軍の工場で、神奈川県の平塚市に
本廠がおかれていました。

第一次世界大戦を機に航空機が発達し
これに使用する機銃火薬や、
爆弾用爆薬の拡充要請をうけたことで
1939年(昭和14)に火薬廠の支廠が
船岡に設置されました。

1941年(昭和16)に入ると組織が改正されて
船岡支廠は第一火薬廠として独立し、
太平洋戦争の終戦までに
10,000人以上の工員が製造に従事し
総量が約30,000トンの火薬や爆薬が
製造され, その規模は東洋で
最大級をほこったそうです。

戦後、これらの広大な敷地は、
仙台大学や陸上自衛隊船岡駐屯地などに
変遷しており、軍用地境界標を中心とする
遺構が多く残っています。


柴田町にある船岡駅に到着しました↓


ここから、しばたの郷土館まで
歩いて進んでいきます。


しばたの郷土館内に保存されている
軍用地境界標です(抜粋)↓




構内をはしっていた軌道の
線路も保存されています↓



ここから、本部がおかれた
仙台大学を目指していきます。

その前に、畏れ多くも総軍元帥の
ストレッチが入ります(笑)↓



仙台大学の西側に展開する山にも
軍用地境界標が多く残ります(抜粋)↓





畏れ多くも軍用地境界標を
どんどん見つける総軍元帥(笑)↓



この場は総軍元帥がガッチリと
お仕切りになっておられるので
三等兵なんかこんな感じですよ(笑)↓


出番なし、見せ場なし・・・


軍用地境界標に沿う形で
境界柵の支柱も一部区間で残ります↓



山の斜面には、地下施設の入口が
埋没していますが残っています↓



仙台大学の門柱は、当時の門柱を
流用して使われているようです(抜粋)↓


探訪当日は学園祭が催されており
大学の中に入ることが出来ました★
総軍元帥のおかげです、はいっ(笑)


軍用地境界塀も一部で残ります↓


せっかくなので、お母さんお手製の
カレーライス(300円。安いっ!)を
大学内の出店で買わせてもらい
敷地内で食べましたっ★
ゴロっと野菜がたくさん入っており
とてもおいしかったです♪


三等兵が個人的に「あやしい」とみた
建物群を載せてみます。
(知見のある方、ご意見をっ!)

工員宿舎でしょうかね・・・↓


これもあやしいんだよな・・・↓

 ※百足光生さまより、仙台大学初期の
  体育館であるとご教示いただきました。
  ありがとうございますm(__)m


遺構は、この他にも
陸上自衛隊船岡駐屯地にも
あるようですが、見れそうもないので
このまま船岡駅まで戻りました。。。


このあとは仙台駅に戻って
総軍元帥を讃えるための
酒宴会場へ向かいました(笑)↓



【収録遺構】
 平塚海軍火薬本廠
 船岡支廠
 (船岡第一海軍火薬廠)

   門柱 2箇所
   地下施設 1箇所
   軍用地境界標 15本
   軍用地境界塀 1区域
   その他 2箇所

【探訪情報】
 2016.10.09  第1回探訪

 歩数(指数) 17,194歩(100)


詳細は、後ほどホームページ内で
ご紹介させていただきますねっ★


それでは、またお会いいたしましょう★


↑制作意欲につながりますので
 応援をしてやってくださいませ♪

コメント

  • 2017/02/11 (Sat) 17:46
    お写真について

     一番最後の写真は、仙台大学が最初に建てた体育館と思われます。
     

  • 2017/02/11 (Sat) 21:21
    百足光生さま

    書き込みありがとうございますm(__)m
    建物は仙台大学のものでしたか!
    窓ガラスがかなり古かったため、
    もしや?と思ってしまいました(笑)

    ご教示いただきありがとうございます。
    今後ともよろしくお願いいたしますm(__)m

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