【阪奈軍團】(62)大阪陸軍兵器本廠宇治火薬庫 - 戦争遺跡調査研究軍 祐実総軍

【阪奈軍團】(62)大阪陸軍兵器本廠宇治火薬庫

皆様、いかがお過ごしでしょうか。

今週末は、最強クラスの寒波が
日本に居座るようで・・・
天気が悪くなければいいのですが。


さて、本日は阪奈軍團「軍報」の
第62弾といたしまして
京都府宇治市におかれていた
宇治火薬庫の遺構を
簡単にご紹介させてくださいませ。


宇治火薬庫は、大阪におかれていた
兵器本廠の付帯火薬庫として、
この前身であった砲兵第二方面
砲兵支廠からの改称によって
1897年(明治30)に組織が
発足しました。

ここには、大正時代までに
約30棟の火薬庫と、爆発時の
二次災害を防ぐための土塁や
付属する建物などが設置され、
隷属先の改編により
大阪兵器支廠の火薬庫と
なりました。

昭和に入ると、さらに敷地が
拡張され、敷地面積は
約75,000坪となり1940年(昭和15)の
組織改編で大阪兵器補給廠の
宇治分廠となり、太平洋戦争の
終戦まで機能が存続しました。

現在、火薬庫の敷地は
黄檗公園や宇治少年院・
京都大学のグラウンドなどに
変遷していますが、当時の遺構が
残存しており、このうちの一部は
保存されています。


梅田のホテルから
淀屋橋~中書島と乗り継いで
関東人には「難読駅」となる
黄檗(おうばく)駅に到着です↓


駅の詳細については、
三等兵が「ゴリ推し」する
slycrow先生の「酒保開ケ。」で
きっと紹介してくれるはずです(笑)
ここのサイトも、三等兵と同じように
一般には到底理解が及ばない
「こだわり」があるので、
近いうちに「マンモスサイト」と
なるでしょう★

あっ、先生!
紹介料は440円です(笑)


話が若干逸れましたが、黄檗公園です↓



公園付近に土塁トンネルが
保存されています↓



背面に軍用地境界標が
移設保存されています↓



公園付近にも軍用地境界塀の
支柱が残っています↓



ここから宇治少年院を回りこむように
当時の敷地外周を簡単に歩きます↓



橋梁です↓



関西地方探訪時の教科書となる
盡忠報國先生の大日本者神國也によると
この周辺にも軍用地境界標が
多く残っているようなのですが
同行してくれているおピンちゃん先生
「早く京都市内の紅葉を見たい」と
ソワソワしているので、
今回は探訪を見送りました(笑)


敷地の南東側の住宅地内にも
軍用地境界標が残っています(抜粋)↓
P1210468.jpg


こちらは上部が欠損していますが
軍用地境界標と断定しています↓



いつになくおピンちゃん先生の
足取りも早く(笑)、JR奈良線の
黄檗駅に戻ってきました↓



ここから大急ぎで、お目当ての
京都大原に向かっていきます↓



京都駅からは時短のため
タクシーを利用させてもらい
大原地区にお邪魔しております↓


のどかで素敵な風景ですね。
京都駅からここに行くまで
6,000円かかったけど、
この風景を見られるのなら
惜しくないです(強がってるだけです)


三千院です↓



日がだんだんと傾いてきました↓



あ~、帰りたくねえ(笑)↓



京都駅付近に戻って
ご飯を食べて梅田のホテルまで
帰還しました↓



【収録遺構】
 大阪陸軍兵器本廠
 宇治火薬庫
 (大阪陸軍兵器補給廠
  宇治分廠)

   トンネル 1箇所
   軍用地境界塀 1箇所
   軍用地境界標 4本
   橋梁 1箇所

【探訪情報】
 2008.01.13  第1回探訪
 2016.11.22  第2回探訪

 歩数(指数) 約15,000歩(100)


詳細は、後ほどホームページ内で
ご紹介させていただきますねっ★


明日は、「ホームページ関係」で
ブログの更新をさせてくださいませ。


それでは、また明日っ★


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コメント

  • 2017/01/14 (Sat) 01:41
    俊樹さま

    拍手コメントありがとうございます m(_ _)m

    いつも拙ブログにお付き合いいただき
    誠にありがとうございますっ!

    おっしゃる通り、猿島にはたくさんの
    軍事遺構が残っておりますね。
    当方にとって、魅力がある島です(笑)

    なかなか、編集・制作の時間が取れず
    未だにご紹介出来ないのが心苦しいですが
    今後も頑張ってアップしていけたらと
    考えている次第でございます。

    今後も、見ていただければ幸いです。
    どうぞよろしくお願い申し上げます。

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