【和泉軍團】(3)霞ヶ浦海軍病院 - 戦争遺跡調査研究軍 祐実総軍

【和泉軍團】(3)霞ヶ浦海軍病院

皆様、本日もご精勤お疲れ様でしたっ!

三等兵は職場から家までの約35キロを
2時間20分かけて帰宅しました(怒)
まったく、最近の鉄道会社は
客扱い中に車両が「故障」して
遅延しているのに「点検」と
説明するのはどうしてなんだろう?
免罪符のように点検を乱発してますが
単なる「整備不良」なだけです、そんなの。
くだらない言い訳せんといてください(笑)

お金を払って不愉快な気分になるのが
一番嫌いな三等兵の愚痴でした~


さてさて、和泉軍團「軍報」の第3弾は
茨城県土浦市におかれていた
霞ヶ浦海軍病院の遺構紹介を
させていただきますねっ★


霞ヶ浦海軍病院は、霞ヶ浦一帯に
海軍施設が設置されたことで、傷病兵を
収容するための病院として、1941年(昭和16)に
開院し、終戦まで機能しました。

終戦後、病院は現在の厚生労働省に移管され
霞ヶ浦病院を経て独立行政法人国立病院機構
霞ヶ浦医療センターとなっていますが、
水道関係の遺構や門柱・軍用地境界標などが
多く残っており見学することが可能です。

土浦市にある霞ヶ浦医療センターへ来ました↓


霞ヶ浦海軍病院の存在は、5年ほど前に知り
門柱や消火栓・電柱などの記録は
出来ていたのですが、最近になり
とくがわ様のブログを拝見し、実に
多くの遺構が残されていることを知り
リトライしてきましたっ★

みなさん、さすがですねっ♪
三等兵には真似出来ない
精度の高さに脱帽ですm(_ _)m


まずは、病院内に残る「水」関連の
遺構を抜粋でご紹介いたしますね★

最初は消火栓です(抜粋)↓


消火栓は赤い塗装が施されており
海軍記号である波マーク2つと
海軍マークである「錨」と
「消火栓」の文字が両側に入っていますっ♪

続いては貯水タンクです↓


こちらも赤い塗装が施されており
リベット打ちで接合されている部分が
特徴といえるかと思いますっ♪
これは他であまり見ることが出来ない
遺構であると思われますっ!

最後は止水栓蓋です↓



残念ながら、構内の当時の建物は
消失しているようですが、基礎部分が
いくつか残っています。

まずは病棟跡(抜粋)↓


続いて、守衛関連建物跡(抜粋)↓


最後は配水関連施設跡(抜粋)↓


病棟間を結んでいた渡り廊下の跡も
残っておりますっ↓



電柱なんかもありますっ(抜粋)↓


病院への入口は数箇所あったものと
思われますが、現存している門柱は
正門のみのようです↓


下に載せている【収録遺構】欄を見れば
一目瞭然ですが、ここでは紹介できない程の
遺構がたくさん残っていますっ★

「海軍病院」で、これほどの遺構が
残っているのは、過去の三等兵の
探訪履歴では他にありませんよっ!


最後になりますが、周辺に多く残る
軍用地境界標のご紹介ですっ♪

まずは、敷地北端部分です(抜粋)↓


続いて、敷地東端部分です(抜粋)↓


敷地西端部分です(抜粋)↓


敷地南端部分です(抜粋)↓


抜粋ですが、敷地南端よりさらに南にも
軍用地境界標が残存しています↓


んん?
軍用地境界標に精通している方は
お気づきかと存じますが、東西南北の
標柱が御影石製なのに、最後の1枚は
コンクリート製で記載文字にも変化が
ありますよね。。。

三等兵は、当時の敷地を詳細に
調べられておらず、この変化を見ただけの
客観的な言い分ではあるのですが
当初の敷地を後になって拡張したか
別の海軍施設が設置されていた
可能性があるかもしれませんよ(汗)

もっと文献調査をしてみますねっ!

【収録遺構】
 霞ヶ浦海軍病院
  門柱 1箇所
  建物基礎 6箇所
  軍用地境界標 18本
  その他 20つ

【探訪情報】
 2010.11.23  第1回探訪
 2014.06.15  第2回探訪
 歩数(指数) 28,113歩(298)

詳細は、後ほどホームページ内で
ご紹介させていただきますねっ★
ご期待いただければ幸いですっ!


それでは、ホームページの製作に
移りますので、本日はこのへんにて
失礼いたしますm(_ _)m
←応援してくださいっ♪

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