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祐実総軍三等兵

Author:祐実総軍三等兵
全国に残る戦争遺跡を探訪して
記録することを生き甲斐とする
祐実総軍三等兵でございます★
稚拙な内容ではございますが、
これまで調べてきた戦争遺跡を
ブログ・ホームページで紹介を
させていただいておりますっ♪

よろしくお願いしますm(__)m

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2017 21 19:54:17

【祐実軍團】(103)海軍下瀬火薬製造所

皆様、日曜日をいかがお過ごしでしょうか。


「さーざえーさんっ、さーざーえさんっ」

あ~っ、明日仕事行きたくねぇ!
(重度のサザエさん病)


だいたいの日曜日の夜は、
こんな感じでやらせてもらってます(笑)


さてさて、本日は祐実軍團「軍報」の
第103弾といたしまして、
東京都北区におかれていた
下瀬火薬製造所の遺構を
ご紹介させてくださいませ↓




下瀬火薬製造所は、1899年(明治32)に
開設した海軍の火薬製造施設で、
開業時の所長を務めた
下瀬雅允(しもせ まさちか)技師の
苗字が施設名称となりました。

下瀬雅允技師は、
「下瀬火薬」 (砲弾につめる
黒色火薬に代わる強力な
黄色火薬) を発明した海軍技師で、
日露戦争の戦果に大きく貢献して
後に賞賛された人物です。

以降、「下瀬火薬」は、
海軍で主力爆薬として
重用されることとなり、
その製造所が西が原に
おかれました。

1914年(大正 3)に入ると、
火薬製造所の規模を拡張するために、
神奈川県の平塚市に製造所を移し、
下瀬火薬製造所を閉鎖しました。

閉鎖後は、東京外国語大学が
建設され (現在は他の場所に
移転しています) 整地されており、
当時の建物などは現存していませんが、
敷地の東端に軍用地境界標が
数体残存しています。



都内の軍跡探訪において、
まず最初に名前が挙げられる
いっちゃん先生と一緒に
西が丘地区にお邪魔しております↓



軍用地境界標が残ります↓







こちらの2本は、
我々のホームページ
未掲載のものとなります(追加予定)↓




【収録遺構】
 海軍下瀬火薬製造所

  軍用地境界標 8本

【探訪情報】
 2005.07.24   第1回探訪
 2007.01.08   第2回探訪
 2007.04.01   第3回探訪
 2010.12.31   第4回探訪
 2011.01.03   第5回探訪

 歩数(指数) 20,000歩以上(617)


それでは、また明日っ!



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