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祐実総軍三等兵

Author:祐実総軍三等兵
全国に残る戦争遺跡を探訪して
記録することを生き甲斐とする
祐実総軍三等兵でございます★
稚拙な内容ではございますが、
これまで調べてきた戦争遺跡を
ブログ・ホームページで紹介を
させていただいておりますっ♪

よろしくお願いしますm(__)m

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2017 04 21:13:39

【祐実軍團】(106)立川陸軍航空工廠引田倉庫横沢地下倉庫

皆様、こんばんわっ★

三等兵は、
「飲み過ぎ」「食べ過ぎ」「風邪ひきそう」の
三拍子がととのいました。
明日から大好きな仕事に向けて
「準備万端」の態勢ですよっ(笑)


さて・・・
本日は既出案件となってしまいますが
祐実軍團「軍報」の106弾として
東京都あきる野市に掘削された
立川陸軍航空工廠の疎開倉庫である
横沢地下壕群に関連する遺構群を
簡単にご紹介させてくださいませ↓




立川陸軍航空工廠は、航空機と
これに関連する部品を製造することを
目的として1940年(昭和15) に
陸軍造兵廠名古屋工廠の
発動機部門を編入し、現在の昭島市に
工場をおいて独立しました。

ここでは、機体やエンジン・プロペラの
生産が主に行われ、最盛期は
約10,000名の工員が配属されて
いました。

また、材料や完成した部品を
一時的に保管するため、あきる野の
引田地区に資材倉庫が
設置されました。

1944年(昭和19)に入ると、
太平洋戦争の戦局が圧倒的に
劣勢となり、アメリカ軍は武蔵野市の
中島飛行機武蔵製作所の爆撃を
皮切りにして、最重点産業である
航空機工場への攻撃を開始し
日本政府は航空機の生産を
維持するために航空機の
生産減少防止対策をうち出し、
工場機能の分散疎開が
開始されました。

立川航空工廠も、これに倣い
周辺に掘削された地下壕へ
疎開を順次開始し、これに伴って
資材倉庫の物資は横沢の地下壕に
移されました。

現在、資材倉庫跡は富士通の
工場などとなり、遺構は
残っていないと思われますが、
疎開先の横沢地区に、地下壕と
橋梁に使用した牽引車の一部が
残っています。



今から約10年前となりますが、
日頃から不甲斐ない三等兵の両脇を
支えてくださる重鎮の皆様方と
一緒にスタートしていきます↓



横沢入の谷戸に到着です↓



牽引車のシャーシといわれる部分が
橋梁として転用された痕跡が
2箇所残っています↓




この谷戸の左右に、大きく分けて
2区画に岐路をもたない横穴式の
地下壕群が残っています↓



1つ目の地下壕群です↓


残念ながら、ほとんどの坑道は
入口部分が土砂で塞がれており
内部に入ることは難しいです・・・



2つ目の地下壕群です↓



ここから、武蔵五日市駅まで歩き
東大和・立川周辺の遺構群を
見てまわりながら帰還しました。


【収録遺構】
 立川陸軍航空工廠
 引田倉庫
 横沢地下倉庫

  地下壕 2区画
  その他 2箇所

【探訪情報】
 2007.06.16   第1回探訪

 歩数(指数) 約10,000歩(196)


それでは、またお会いいたしましょうっ!



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