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祐実総軍三等兵

Author:祐実総軍三等兵
全国に残る戦争遺跡を探訪して
記録することを生き甲斐とする
祐実総軍三等兵でございます★
稚拙な内容ではございますが、
これまで調べてきた戦争遺跡を
ブログ・ホームページで紹介を
させていただいておりますっ♪

よろしくお願いしますm(__)m

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2017 15 10:45:19

【祐実軍團】(117)東京石川島造船所浦賀分工場

皆様、三連休をいかがお過ごしでしょうか。
蒸し暑さを除けば、快適な行楽日和と
なりそうですが・・・


三等兵は廃車後休車の状態ですので
日頃からお仕事に邁進されている
皆様方のバカンスの邪魔にならないように
連休期間を過ごしたいと思います(笑)


さてさて、本日は祐実軍團「軍報」の
第117弾といたしまして
神奈川県横須賀市におかれていた
東京石川島造船所浦賀分工場の
遺構を簡単にご紹介させてくださいませ↓




東京石川島造船所は、日本で最初となる
民営の洋式造船所として産業近代化に
大きく貢献した前身の石川島造船所からの
組織変更により1893年(明治26)に
創設されました。

創設から5年後にあたる1898年(明治31)には
当時の取締役であった渋沢栄一氏の
提案により、大型船の建造修理を目的として
浦賀に分工場が新設されますが、
1897年(明治30)に同じ地区で創業した
浦賀船渠との間で、艦船建造・修理の
受注合戦が繰り広げられたことで経営が傾き
最終的に浦賀船渠が浦賀分工場を買収し
1902年(明治35)に川間分工場が
開設されました。

その後、しばらくは経営不振が続きましたが
第一次世界大戦での船舶特需で
経営を立て直し、駆逐艦の建造を
業務の中心としました。

太平洋戦争の末期には、本土への空襲が
本格化したことで被害を防止するために
周辺の山にも地下工場が
掘削されています。

終戦後も浦賀船渠は民間船の建造を
中心として存続していましたが
川間分工場は1984年(昭和59)に閉鎖され
現在はシティマリーナとなりドライドックや
地下工場などがわずかに残存し、
一部は現在も見学が可能です。



いにしえの重鎮方と一緒に
浦賀駅に到着です↓


ここから浦賀船渠の浦賀工場を
横目に見ながら目指していきます。


シティマリーナ内にドライドックが
良好な状態で残っています↓




案内板も立てられています↓



燈明崎付近へゾロゾロと
移動していきます↓



地下工場が残っています↓



残念ながら、足場は非常に悪く
現在は内部見学が非常に難しいです。


一部の坑道は、このように
崩落していたり・・・↓



埋め戻されているため危険です↓



このように、匍匐状態でしか
進めない坑道もあります・・・↓



この地下工場のユニークなところは
横鎮の抵抗拠点陣地に繋がっており
生産と防衛が一体化しています↓




銃眼から狙撃準備をしている
重鎮メンバー(ものすごく偉い方々です)↓



探訪記念写真です(笑)↓



地下工場の内部図です↓

 ※2017.8.16 内部図を削除しました。



【収録遺構】
 東京石川島造船所
 浦賀分工場
 (浦賀船渠
  川間分工場)

  建物基礎 1箇所
  地下壕 1区画
  その他 1箇所


【探訪情報】
 2006.09.23   第1回探訪
 2014.05.05   第2回探訪

 歩数(指数) 約2,000歩(100)


後ほどホームページ内でも
ご紹介させていただきますっ★


明日は「ホームページ関係」で
ブログの更新をさせていただきます。


それでは、またお会いいたしましょうっ!



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