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戦争遺跡のご紹介やホームページの制作状況などを綴っていきます♪

総軍BLOGへようこそっ!

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祐実総軍三等兵

Author:祐実総軍三等兵
全国に残る戦争遺跡を探訪し
記録することを趣味とする
祐実総軍三等兵ですっ★

稚拙な内容ではございますが
これまでに関係者の皆様方と
見てきた戦争遺跡を中心に、
ブログ・ホームページなどで
順次ご紹介をしていきます♪

よろしくお願いしますっ★

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2018 28 20:48:38

【祐実軍團】(173)横須賀海軍軍需部池子火薬倉庫逗子軍用線

皆様、いかがお過ごしでしょうか。


今日は17時過ぎに退社したのですが
いつもの通勤ルートよりも
早く帰れる路線を選択して
わざわざ余計にお金を払ったのに
電車の接続が悪くて、結果として
2時間くらいかかっちゃいました・・・
バカみたいです(涙)


さてさて・・・
今回は祐実軍團「軍報」の
第173弾といたしまして
神奈川県逗子市に敷設されていた
横須賀海軍軍需部池子火薬倉庫の
軍用線の遺構をご紹介させてください↓




海軍軍需部は、兵器や燃料・物資などを
全国の生産工場などから収集し、
前線にこれらを補給をする
重要な役割を果たしていた部署で、
物資を送り出すまでの間は
一時的な保管が必要であり、
沢山の保管施設を保有していました。

このうち火薬類を貯蔵する目的で
1937年(昭和12)池子地区に
火薬倉庫が建設されました。

また、火薬倉庫の建設に合わせて
火薬類の輸送ルートを確立させるため
横須賀線の逗子駅から軍用線が
敷設されて、倉庫内は網の目のように
線路が張りめぐさられました。

線路の一部は、現在の横浜市金沢区に
おかれていた横須賀海軍航空技術廠の
支廠まで延長されて、軍用線の
最終的な総延長は10キロメートルを
超えるものとなりました。

終戦後、軍用線は火薬倉庫と共に
アメリカ軍に接収されて機能が存続し
特に1950年(昭和25)の朝鮮戦争では
昼夜を問わず火薬類の搬出入に
軍用線が使用されたようです。

現在、火薬倉庫がアメリカ軍の
家族住宅になり軍用線の大半が
撤去されましたが、横須賀線の
逗子駅から京急線の神武寺駅までは
線路が残存しており、現在も
見ることが出来ます。

また、不定期ですが東急車輛で
製造された電車を輸送するために
線路が活用されています。



いにしえの重鎮方とともに
逗子駅から歩いていきます↓



逗子駅から500メートルほど
線路に沿って東に進んでいくと
横須賀線から分岐して
火薬倉庫へ引き込むための
線路跡が残っています↓



すぐ近くにはトンネルも残ります↓



トンネルを抜けた先に位置する
池子の森自然公園は、火薬倉庫の
敷地跡地に位置しており、
倉庫内を網の目のように
張り巡らされていた線路跡が
公園内に残っています↓



【収録遺構】
 横須賀海軍軍需部
 池子火薬倉庫
 逗子軍用線

  トンネル 1箇所
  その他 1箇所

【探訪情報】
 2007.01.14  第1回探訪 
 2016.05.07  第2回探訪 

 歩数(指数) 約3,000歩(326)


それでは、またお会いしましょう!



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