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祐実総軍三等兵

Author:祐実総軍三等兵
全国に残る戦争遺跡を探訪し
記録することを趣味とする
祐実総軍三等兵ですっ★

稚拙な内容ではございますが
これまでに関係者の皆様方と
見てきた戦争遺跡を中心に、
ブログ・ホームページなどで
順次ご紹介をしていきます♪

よろしくお願いしますっ★

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2018 10 19:29:47

【祐実軍團】(194)東京陸軍兵器支廠

皆様、いかがお過ごしでしょうか。


明日から平日ですか・・・

再び、つまらないことに時間を
費やさないといけないわけですね・・・


さて・・・
日曜日「恒例」のサザエさん病が
重症化しないうちに、ブログの
更新をさせていただきます。


今回は祐実軍團「軍報」の
第194弾といたしまして
東京都北区におかれていた
東京陸軍兵器支廠の遺構を
ご紹介させてください↓




東京陸軍兵器支廠は、
東京の兵器本廠に隷属し、
第一師団に関係する兵器弾薬・
材料の購買や、これらの貯蔵・
修理を行う機関として1906年(明治39)に
西が丘地区におかれました。

その後、陸軍兵器廠条例の改正に伴い
兵器の補給業務を統一させる目的で
隷属先の名称が変わったりしましたが
最終的に1940年 (昭和15) の改正以降、
陸軍兵器行政本部に隷属する
「東京陸軍兵器補給廠」に改称されて、
兵器の材料や燃料などの保管と
補給を行いました。

跡地は、西が丘サッカー場や
マンションなどが建てられており、
当時の面影がありませんが
わずかに痕跡が残ります。



いっちゃん先生と西が丘に
お邪魔しております↓



姥ヶ橋交差点付近に位置する
小さな児童公園は、当時の建物や
軍用地境界塀に使われていた煉瓦を
活用しているといわれています↓



敷地の南限にあたる場所に
軍用地境界標と思われる
標柱がありましたが、残念ながら
文字の記載面が民家の塀に
埋まっており、詳細は不明です↓



この北側はマンションが
たくさん建てられていますが・・・↓



かつては、このような軍用地境界塀が
残っていました↓



一部はモルタルが剥がれ落ちて
煉瓦が露出している部分も
ありました↓



当時は約150メートルほど
残っていたのですが、残念ながら
現在は完全に消滅しています↓



この界隈を昔から知っている方の
お話しでは、門柱や建物なども
残っていたそうですが、行動が遅く
記録が叶いませんでした・・・


 【収録遺構】
  東京陸軍兵器支廠
  (東京陸軍兵器補給廠)

   軍用地境界標 1本
   その他 1箇所
   軍用地境界塀 1区画(消失)

 【探訪情報】
  2007.04.01  第1回探訪
  2007.05.13  第2回探訪
  2011.01.01  第3回探訪

  歩数(指数) 未計測(114)


それでは、またお会いいたしましょう★



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