【祐実軍團】(30)海軍軍令部第三部 - 戦争遺跡調査研究軍 祐実総軍

【祐実軍團】(30)海軍軍令部第三部

皆様、土曜日をいかがお過ごしでしょうか。
三等兵は、引き続きホームページの
制作をしているところですっ
(終わりは遠い。。。頑張りますっ!)

先日、三等兵の「師」でもある
slycrow先生より、あたたかい
励ましのメッセージをいただきまして
制作意欲が元に戻りましたっ★
ありがとうございますっ♪

三等兵が以降の生涯を賭けて
戦争遺跡全国踏破を目指しているのと
同じように、国内全駅踏破を目指しつつ
その取材内容を皆様にご紹介する
slycrow先生のブログ「酒保開ケ。」は
拙ブログ・ホムペで既にリンクさせて
いただいておりますが、
来場者数向上とブログ内の充実・
踏査活動を全力で応援したい想いから
本当に微力ではございますが
改めてここでご紹介させてくださいませ↓
 「酒保開ケ。
いつかは、貴方様の最寄り駅が紹介されますっ!

あっ、先生っ!
ご紹介料は1,140円です(笑)
 (ちなみに、秋葉原~南流山間の
 往復運賃がコレです。ご参考まで)


さてさて、本日も変わらず
祐実軍團「軍報」の第30弾といたしまして
神奈川県横浜市におかれていた
海軍軍令部第三部の遺構紹介を
させていただきます m(_ _)m


軍令部は、天皇に直属する海軍の
統括機関で、戦時における作戦の立案や
それに伴う用兵の管理を行うための
海軍省の外局組織として1884年(明治17)に
前身の軍事部が開設されたことが
始まりです。

その後、条例改正によって海軍省の
管轄におかれますが、1893年(明治26)の
官制改訂で海軍軍令部に改称されて
海軍省から独立し、1933年(昭和 8)の
軍令部令によって、最終的に軍令部に
改称されました。

ここは、第一部(作戦)・第二部(軍備)・
第三部(情報)・第四部(通信)の
4組織から構成され、庁舎は東京の
霞ヶ関におかれましたが、空襲に備えて
疎開させる必要が出てきたため、
1943年(昭和18)に慶應義塾大学の
日吉校舎を疎開先に接収して、
このうちの第三部が第 1校舎に移り
アメリカやイギリスなどの敵国情報の収集や
分析を行う任務にあたりました。

1944年(昭和19)に入ると、本格的な
防空対策の一環で、任務の維持継続を
目的とした地下壕も構築され
終戦間際である1945年(昭和20)3月以降は
ここに入って任務が継続されました。

軍令部第三部で使用された施設は
現在も慶應義塾大学で活用されており
地下壕は出入口が封鎖されているものの
坑道のほとんどが現存しています。


港北区にある慶応大学日吉キャンパスへ
やってまいりました↓



キャンパス内には当時の中央庁舎として
接収された建物が現存しています↓


建物は鉄筋コンクリート製で、
1934年(昭和9)年に建設されました。
当初は、慶應義塾大学の校舎に
使用されていましたが 1944年(昭和19)
3月に海軍がこれを接収し、校舎の
南側を軍令部第三部の庁舎に
使用しました。

現在は、一部改装されていますが、
慶応義塾高校の校舎に
使用されています。


中央庁舎として使われた慶応義塾高校の
校舎の南側にも、庁舎として使用された
建物が現存しています↓


建物は、慶応義塾大学の
キリスト教青年会の教会に
使用されていたもので、
1937年(昭和12)年に建設されました。

大学の敷地が海軍に
接収されてからは、この建物も
軍令部第三部の庁舎の一部として
使用されるようになり、敵国の
ラジオ放送を傍受したり、資料の
収集・翻訳が行われました。

現在、建物はYMCAの施設に
使用しています。


慶応義塾高校の校舎の西側付近には
埋もれた退避壕の一部が残っています↓


退避壕は、中央庁舎として使われた
慶応義塾高校の校舎西側より
陸上競技場方面に坑道が延びており
陸上競技場の南東部付近に
一部が残存しています。

この地下壕は、軍令部第三部の
退避壕として構築されたもので
全面がコンクリート製の坑道が
2本あったそうで、空襲警報が出ると
軍令部関係者が重要書類を持って
この壕に逃げ込んだそうです。

現在、地下壕の入口は
全て埋められていますが、坑道の
一部と思われるコンクリートが
地表に露出している箇所があるので
地下壕自体は残っているようです。


キャンパスの外に出て、
日吉 5丁目の西側にある
新幹線のトンネル付近にも
地下壕が残っています↓


この地下壕は、軍令部第三部で
使用したほか、1945年(昭和20) 5月の
空襲で施設が焼かれた海軍航空本部も
地下壕の一角を使用していたようです。

現在、地下壕の入口のほとんどが封鎖され
内部の状況を把握出来ていませんが
坑道は全面コンクリート製で、このうちの
1本が海軍連合艦隊の地下司令部へと
繋がっていたようです。
 (今は新幹線のトンネルによって
 分断されているようですよ・・・)

この地下壕の近くにも、関係するものと
思われる遺構と、素掘りの壕が
残っています↓




【収録遺構】
 海軍軍令部第三部
 (軍令部第三部)

  建物 2箇所
  地下壕 3箇所
  その他 1箇所

【探訪情報】
 2005.05.21 第1回探訪
 2006.02.19 第2回探訪
 2007.08.04 第3回探訪

 歩数(指数) 約20,000歩(450)


詳細は、後ほどホームページ内で
ご紹介させていただきますねっ★


それでは、またお会いしましょう♪
←応援してくださいっ♪

コメント

コメントの投稿


管理者にだけ表示を許可する