戦争遺跡のご紹介やホームページの制作状況などを綴っていきます♪

総軍BLOGへようこそっ!

♦ プロフィール

祐実総軍三等兵

Author:祐実総軍三等兵
全国に残る戦争遺跡を探訪し
記録することを趣味とする
祐実総軍三等兵ですっ★

稚拙な内容ではございますが
これまでに関係者の皆様方と
見てきた戦争遺跡を中心に、
ブログ・ホームページなどで
順次ご紹介をしていきます♪

よろしくお願いしますっ★

♦ カウンター

♦ 最新記事

♦ アクセスランキング

[ジャンルランキング]
地域情報
201位
アクセスランキングを見る>>

[サブジャンルランキング]
その他
7位
アクセスランキングを見る>>

皆様、いかがお過ごしでしょうか。


仕事が楽しすぎてメランコリックです(笑)
人が帰ろうとすると、会社「お得意」の
引き止めに遭い、帰りの電車まで
遅れる始末で、イライラが募りますね。


仕事が「生き甲斐」に思っている人に
お願いすればいいのにね。
こっちは単価に見合わない
作業ばかりでウンザリですわ。

ってなわけで、限界にきたので
契約単価の改定を本気で
お願いするつもりですっ★

大した金も払わないくせに、
何でもやる社畜くんと一緒にされちゃ
困るんで、ここらで動きます。


このまま、ダラダラしていると
自分が不利になっていくのが
目に見えているので、通らなかったら
ここは引き揚げるつもりです。
(私は引き揚げると書きましたからね)


他の連中に嫌われたっていい。
わざわざ、お友達を作るために
好きでもない仕事をしているわけじゃ
ありませんから。


お友達は、軍跡仲間だけで十分ですっ!


さてさて、平日のお決まりでもある
愚痴が上々といったところで
本日も和泉軍團「軍報」の
第90弾といたしまして
栃木県宇都宮市におかれていた
宇都宮衛戍監獄の軍用地境界標を
簡単にご紹介させてくださいませ↓




衛戍監獄は、戦争犯罪などをおこした
軍人を収容するための軍事刑務所で
宇都宮市内に第十四師団が
展開したことにより宇都宮衛戍監獄が
おかれていました。

現在、跡地は宇都宮少年鑑別所や
住宅などに変遷して当時の面影は
ありませんが、軍用地境界標が
わずかに残存しています。



毎度おなじみ、おピンちゃん先生
宇都宮市内にお邪魔しております↓



それにしても暑いですっ!
おピンちゃん先生の士気も
相当下がっております・・・↓



宇都宮少年鑑別所の南に展開する
住宅地内に軍用地境界標が
残存しています↓



完全に埋もれており、文字などの
確認が出来ませんでしたが、
周辺に軍用地境界標と断定する
標柱が2本残っています↓




【収録遺構】
 陸軍宇都宮衛戍監獄

   軍用地境界標 3本

【探訪情報】
 2018.07.15  第1回探訪

 歩数(指数) 未計測(100)


後ほど、我々のホームページでも
ご紹介させていただきますっ★


明日は、水曜日ですので
ブログの更新をお休みさせてください。


それでは、またお会いいたしましょう♪



↑よろしければ、こちらの「応援」も
 ひとつよろしくお願いします♪

皆様、いかがお過ごしでしょうか。


残念ながら、明日から再び平日が
始まってしまいますね・・・

お金持ちになるつもりはないので
週3日の労働にして欲しいですね。
私は会社に必要以上の貢献を
するつもりはありませんので。


さてさて、今回も和泉軍團「軍報」の
第89弾といたしまして
栃木県下都賀郡壬生町におかれた
宇都宮陸軍飛行学校壬生分教所の
遺構群をご紹介させてくださいませ↓




宇都宮陸軍飛行学校は、飛行機の
基本操縦教育を行うことを目的に
1940年(昭和15)に開設され、
生徒の増加にともない
1944年(昭和19)に壬生分教所が
開設されました。

その後は太平洋戦争の戦局が
悪化し、飛行学校が
軍隊化されたことで編制された
宇都宮陸軍教導飛行師団の
拠点として施設が使われました。

戦後、飛行場の敷地は開拓されており
農地や住宅地に変遷していますが、
敷地の南西付近にあたる場所に
当時の遺構が点在しています。



毎度おなじみ、おピンちゃん先生
東武宇都宮線の国谷駅に到着です↓



駅から少し北上していきます↓



町営ひばりが丘団地の周辺に
兵舎がおかれていたようで
当時の遺構が残っています↓



埋められていますが、防火水槽と
思われる遺構が隣接して残ります↓



ちょっと微妙な感じもしますが、
町営ひばりが丘団地内にも
当時の門柱といわれるものが
1対だけ残っています↓



団地から東に進んだ畑地にも
当時の遺構と考えられる
構造物が残っていました↓



この詳細は不明ですが、材質から
当時のものと判断しました↓



次の目的地がひかえているので
このへんで退却しようとしたら
電車が行っちゃいました・・・↓



【収録遺構】
 宇都宮陸軍飛行学校
 壬生分教所
 (宇都宮陸軍教導飛行師団
 壬生飛行場)

   門柱 1箇所
   その他 4箇所

【探訪情報】
 2015.05.03  第1回探訪
 2018.07.15  第2回探訪

 歩数(指数) 未計測(136)


後ほど、我々のホームページでも
ご紹介させていただきますっ★


それでは、またお会いいたしましょう♪



↑よろしければ、こちらの「応援」も
 ひとつよろしくお願いします♪

皆様、連休をいかがお過ごしでしょうか。


せっかくの3連休ですので、
久しぶりに栃木県内の軍跡探訪に
出かけてきたのですが、
歩き疲れと、嬉しさのあまりに
過度の飲酒をしてしまって
昨日のブログ更新を怠けました・・・
申し訳ありません(脂汗)


今回は和泉軍團「軍報」の
第88弾といたしまして、
栃木県宇都宮市におかれていた
陸軍第十四師団の駒生射撃場の
遺構のご紹介をさせていただき、
7月15日分の起算更新とします↓




駒生射撃場は、第十四師団の
射撃演習場として、明治時代の
末期に設置されました。

ここでは、主に小銃を用いた
射撃訓練が行われ、
幅が約100メートル・長さが
約650メートルに及ぶ区画が
2つ設けられており、外側に土塁が
設置されていました。

現在、跡地は駒生運動公園や
湿地帯になっていますが、
土塁や監的が現存しています。



おピンちゃん先生と一緒に
宇都宮市の駒生町に
お邪魔しております↓



それにしても暑いです・・・
2人ともバテバテになってます(笑)


駒生運動公園から北西方向に
2箇所の射撃場の区画が
はっきりと残ります(写真は1箇所目)↓



最奥部分をよく見ると、
監的が残っているようです↓



詳細は全く判っていませんが
材質から遺構かもしれません↓



2箇所目の区画もはっきりと
残っています↓



1946年(昭和21)の航空写真と
現在の航空写真を比較すると
こんな感じです↓




【収録遺構】
 陸軍第十四師団
 駒生射撃場

   その他 4箇所

【探訪情報】
 2018.07.15  第1回探訪

 歩数(指数) 未計測(100)


後ほど、我々のホームページでも
ご紹介させていただきますっ★


それでは、またお会いいたしましょう♪



↑よろしければ、こちらの「応援」も
 ひとつよろしくお願いします♪

皆様、いかがお過ごしでしょうか。


やっと、今週の出勤が終わりました。
もう、仕事が大好き過ぎちゃって
今週末が3連休だと知って
俄然、仕事に専念しないと・・・


そんなわけはありませんっ(怒)
他にやりたいことがあるのに
残業なんていい「迷惑」ですっ!


こういうことを職場で平然と
言っちゃっているもんだから
当然、信用されるわけがない(笑)


信用しないのは大いに結構ですが
たまたま、何らかの形で
私が実績を残したりして
それが評価されたりすると
急に手のひらを返してくる。


これ、私の一番嫌いなパターンです。


そういう人を、私が信用するとでも
思っているのでしょうかね~。


思っているんだろうな・・・
「大間違い」ですがっ(笑)


とはいえ、間違いが解らない
ほどよい「鈍感さ」も、
組織の中でやっていくためには
必要な能力ですけどね。


あいやっ、愚痴が過ぎました m(_ _)m
毎度、くだらないことばかり
書いてしまい申し訳ありません・・・


さて・・・
本日は和泉軍團「軍報」の
第87弾といたしまして、
松戸飛行場の遺構群を
簡単にご紹介させてください↓




松戸飛行場は、旧郵政省の
前身である逓信省の
航空機高等乗員養成所の
飛行場として1940年(昭和15)に
開設されますが、1944年(昭和19)に
入ると戦局が逼迫し、首都の
防衛が必要となり、陸軍が
これを接収して第十飛行師団の
飛行場に使用しました。

ここには、夜間防空を
主な任務とした同師団の
第五十三戦隊が配属され、
爆撃のため飛来する
アメリカ軍と交戦しました。

松戸飛行場の敷地は、
陸上自衛隊松戸駐屯地や
松飛台工業団地などに変遷し
当時の面影がほとんど
ありませんが、松戸駐屯地内を
中心に当時の遺構が
残っています。



昭和19年の航空写真と
比較する限り、当時のものと
推測する建物群が
松戸駐屯地内に残ります↓





飛行場の西端部分に設けられた
飛行機掩体の基礎部分が
1箇所だけ残っています↓



このほか、隣の鎌ケ谷市にも
遺構が残っていますが、
これらは別掲載とさせてください。


【収録遺構】
 陸軍第十飛行師団
 松戸飛行場(千葉県松戸市)

   建物 3棟
   飛行機掩体 1箇所

【探訪情報】
 2009.03.21  第1回探訪

 歩数(指数) 未計測(48)


明日は土曜日ですので、
ブログの更新をお休みします m(_ _)m


それでは、またお会いいたしましょう★



↑よろしければ、こちらの「応援」も
 ひとつよろしくお願いします♪

皆様、いかがお過ごしでしょうか。


仕事版「5時から男」に翻弄され
おかげで残業でございます・・・

今週末は3連休だから
明日は俄然ヤル気を出して
残業するのでしょうね。

今日、残業してあげたから
明日はチャイムと同時に
私は帰宅しますっ!

残業の強要は他の社員を
あたってくださいな(鼻笑)

軍跡関連であれば、
家庭が崩壊しない程度に
たくさん残業するんですけどね。

畑違いで残念でしたっ★


さてさて、本日は阪奈軍團「軍報」の
第127弾といたしまして
大阪府池田市におかれていた
東京第一陸軍造兵廠の池田工場の
遺構群を簡単にご紹介します↓




池田工場は、光学兵器類の製造・
修理などを行っていた
東京第一陸軍造兵廠大宮製造所の
生産拡大を目的として
1941年(昭和16)に開設されました。

ここでは、双眼鏡や測距儀などに
用いられる光学ガラスが製造され、
主要な機械類が71台据え付けられて、
月の生産能力は1.6トンで
あったそうです。

現在、跡地は大阪教育大学附属学校や
住宅に変遷して面影がありませんが
軍用地境界標を中心とする遺構が
残っています。



前回の記事に引き続き、
西日本地方における軍跡探訪の
権威である盡忠報國先生
池田市内にお邪魔しております↓



ここは、ふとしたことで
気になってしまい、盡忠報國先生に
情報を照会させてもらったところ、
数年前に一度さらっと見て
軍用地境界標とおぼしきものを
1本確認済みとお教えいただきました↓

※盡忠報國先生からの提供写真です。


ただ、踏査が完全ではないとのことで
今回、タッグを組ませていただき
敷地外周を歩くことにしました。


残念ながら、東側の敷地外周は
際まで住宅がびっちりと建ち
遺構は皆無でしたが、西側の
住宅地内を見ていくと・・・↓



軍用地境界標がありましたっ↓




大興奮で記録中の盡忠報國先生↓



さらに南に下るようにして
住宅と学校の境界を歩いていくと
さらに2本残っていました↓




まるで子供のように喜びながら
撮影する私・・・(笑)↓



産業技術総合研究所と住宅地の
境界部分にも軍用地境界標が
2本残っていました↓




当時の階段部分も残ります↓



探訪順序が前後しますが、
敷地の北西端付近の林の中に
塹壕とおぼしき跡も残っていました↓



一部は石で補強されています↓



いやぁ、成果が見込めないと
予想されていた場所だけに
遺構を見つけられた喜びを
盡忠報國先生と共有出来て
本当によかったですっ★


【収録遺構】
 東京第一陸軍造兵廠
 大宮製造所
 池田工場

  軍用地境界標 6本
  その他 2箇所

【探訪情報】
 2018.07.01  第1回探訪

 歩数(指数) 未計測(100)


後ほど、我々のホームページでも
ご紹介させていただきますっ★


それでは、またお会いいたしましょう♪



↑よろしければ、こちらの「応援」も
 ひとつよろしくお願いします♪