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戦争遺跡のご紹介やホームページの制作状況などを綴っていきます♪

総軍BLOGへようこそっ!

♦ プロフィール

祐実総軍三等兵

Author:祐実総軍三等兵
全国に残る戦争遺跡を探訪し
記録することを趣味とする
祐実総軍三等兵ですっ★

稚拙な内容ではございますが
これまでに関係者の皆様方と
見てきた戦争遺跡を中心に、
ブログ・ホームページなどで
順次ご紹介をしていきます♪

よろしくお願いしますっ★

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皆様、いかがお過ごしでしょうか。


せっかくの連休なのに、雪ばかりで
まったく残念ですね・・・

個人的に、悪天候は出勤日に
お願いしたいもんです(笑)


さて、今回は阪奈軍團「軍報」の
第133弾といたしまして、
京都府城陽市におかれていた
大刀洗陸軍飛行学校京都分教所
(のちの第七練習飛行隊)と推測する
遺構群をご紹介させてくださいませ↓




大刀洗飛行学校は、下士官や
少年飛行兵達に対して、飛行機の
操縦方法や技術などを教育することを
目的として1940年(昭和15)に設置された
教育機関で、戦局に沿い飛行兵を
拡充する必要が出てきたため、
現在の久御山町に分教所
設置されました。

太平洋戦争の末期は、戦局の悪化に
ともない飛行学校が軍隊化されたことで
第七練習飛行隊が編成され、
練習機による特攻の訓練が
行われました。

これに合わせ、空襲による航空機の
損害を防ぐために、飛行場から
かなり離れた城陽市も秘匿場所となり
土を盛っただけの飛行機掩体が
急造されました。

これらは、古墳や神社の裏山などに
構築したものが多く、現在も
山林そのものが残存しているため
保存対策は行っていないものの、
飛行機掩体を中心に遺構が
残存しています。

また、山頂に機銃を設置していたと
思われる遺構もあるため、
防衛部隊の展開があったか
文献を継続調査中ですっ★



城陽市の久世神社周辺に
単身トボトボとお邪魔しております↓



神社とJR奈良線の線路に挟まれた
山林内に飛行機掩体跡が
3ヶ所見ることが出来ました↓





山頂付近にも何かを据え付けていた
跡と考えられる円形の窪みが残ります↓



ここから少し北上して、
久津川車塚古墳に移動しました↓



ここにも無蓋式の飛行機掩体と
考えられる掘り込みが
4箇所見ることが出来ます↓






山頂付近にも機銃座と考えられる
少し大きい円形の掘り込みが
5か所ありました↓




P1120924.jpg


方形の掘り込みもあります↓



山の中腹部分にも建物基礎が
2箇所ありました↓




ちょっと見づらいですが、
昭和23年の航空写真を基にすると
赤の網掛けが該当箇所です↓



【収録遺構】
 大刀洗陸軍飛行学校
 京都分教所(城陽市)
 (陸軍第五十一航空師団
  第七練習飛行隊)

   飛行機掩体 7箇所
   建物基礎 2箇所
   砲座 5箇所
   その他 2箇所

【探訪情報】
 2013.12.07  第1回探訪

 歩数(指数) 8,610歩(140)


それでは、またお会いしましょうっ★



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皆様、いかがお過ごしでしょうか。


残念ながら、大好き過ぎて震えてしまう
「お仕事」の打ち合わせで、3月より
開発現場に出向を言い渡されてしまい
浜松町に異動となります・・・

仕事に興味もやりがいもないし、
どちらにしても本拠からは不便な
位置なので、どうでもいいお話しです。

軍跡調査関係のお仕事なら
超ウェルカムなんですがっ(笑)


さて、今回はバックナンバーである
和泉軍團「軍報」の第106弾の続編として
千葉県木更津市におかれていた
木更津第二海軍航空廠補給工場の
遺構をご紹介させてください↓



なお、これは「後続記事」ですので
「本記事」もご覧くださいませ↓

 (106)木更津第二海軍航空廠
 (106_続編1)第二工員宿舎
 (106_続編2)第三工員宿舎



木更津の海上自衛隊航空補給処付近に
お邪魔しております↓



敷地の北側に当時の格納庫が
4棟残っています↓




これらは昭和21年の航空写真にも
写っています↓



このほか、敷地の外周に
軍用地境界標が3本残っていましたが
現在は引き抜かれて消失しています↓





標柱の正面に防衛庁(当時)の杭が
設置されて見づらいものばかりでしたが
このうち1本はマークと海の文字が
確認出来ました↓



太田山に移動し、次の案件を
見学していきます↓



【収録遺構】
 木更津第二海軍航空廠

   建物 9棟
   その他 5箇所
   建物 4棟(今回追加)
   軍用地境界標 3本
   (消失分として今回追加)

【探訪情報】
 2004.10.09  第1回探訪
 2006.01.21  第2回探訪
 2011.02.26  第3回探訪
 2018.12.06  第4回探訪
 2018.01.27  第5回探訪

 歩数(指数) 未計測(450)


後ほどホームページ内にも
追加させていただきますねっ♪


それでは、またお会いしましょうっ★



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皆様、いかがお過ごしでしょうか。


毎度の愚痴でございますが、
平日は本当に眠たい日々です(笑)

仕事している暇があったら、
未見の軍用地境界標の1本でも
探したいと思うのですが、
課されている以上は仕方ないです・・・

その代わり、お金に見合った作業しか
するつもりはありません(笑)

精神論・根性論というウンコみたいな
思想に振り回されることもありません。

あっ、軍跡は別ですよっ★


さてさて、愚痴が上々なところで
今回は真己軍團「軍報」の
第37弾といたしまして、
島根県松江市におかれていた
松江陸軍埋葬地をご紹介します↓




松江埋葬地は、歩兵第六十三連隊
松江市に展開したことによって
開設された陸軍墓地で、終戦まで
存続しました。

戦後は荒廃しましたが、個人墓が
引き抜かれて、現在は公園として
整備されており、門柱や灯篭などが
移設保存されているほか、慰霊碑や
連隊歌碑が建立されています。



前回の記事に引き続き、
西の大御所・盡忠報國先生
ご案内の下、緑山公園に
お邪魔しております↓



ここまで車で上がったため、きちんと
歩くことが出来ませんでしたが、
当時の参道に設けられた階段が
残っています↓



忠魂碑の入口付近に
当時の灯篭群が移設されています↓




門柱も移設されていますが、
どうやら向きはバラバラのようです↓




入口付近の遺構群を記録しながら
盡忠報國先生と共に、お参りを
させていただきます↓




現在の慰霊塔は、当時の忠霊塔に
手を加えて建立されており、
裏側が本来の表だったそうです↓



この横の連隊歌碑は1982年(昭和57)に
建立されたようです↓



我ら2名、慰霊塔に向かい
生涯にわたって軍跡探訪を
していくことを宣言した後は
外周部分を見ていきます↓



敷地外周付近は鬱蒼とした林に
なっており、当時の個人墓標が
雑に放置されているようですが
これはいけません・・・↓



陸軍墓地を「公園」として
整備している以上は、先代の墓標様を
このように放置することなく、
整備する必要があると思います。


敷地外周部分に軍用地境界標を
2本確認することが出来ました↓




いずれも、裏側には漢数字で
通し番号が刻まれていました↓



【収録遺構】
 松江陸軍埋葬地
 (松江陸軍墓地)

  門柱 1箇所
  軍用地境界標 2本
  その他 6箇所
  墓標様

【探訪情報】
 2018.12.20  第1回探訪

 歩数(指数) 未計測(100)


後ほどホームページ内でも
ご紹介させていただきますねっ♪


それでは、またお会いしましょうっ★



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皆様、いかがお過ごしでしょうか。


2月に入り、大好きな仕事復帰で
大幅に士気を削がれております。。。

充実感・達成感などは「皆無」ですが
探訪資金を捻出するためには
仕方がありませんね・・・

今の私の仕事スタンスなんか
しょせん、こんなもんです。

それ以前に「無能」でもあるので(笑)


さて、本日は真己軍団「軍報」の
第36弾といたしまして、
島根県松江市におかれていた
歩兵第六十三連隊の遺構を
ご紹介させてくださいませ↓




歩兵第六十三連隊は、第十七師団の
新設により1908年(明治41)に大阪から
転営し、松江市内に新設された
兵営に入りました。

大正時代に入ると、軍縮で第十七師団
廃止され、その後は第十師団
隷下部隊として満州に移り、
満洲事変・日中戦争での戦闘に
参加しました。

太平洋戦争では台湾の守備を経て
フィリピンのルソン島に移り、
アメリカ軍と一進一退の激戦を
繰り広げますが、壊滅状態となり
終戦となりました。

現在、兵営跡地は県立松江工業高校や
市営住宅に変遷し、わずかに遺構が
残っています。



西の大御所・盡忠報國先生
ご案内の下、松江工業高校に
お邪魔をしております↓



校舎の北側に移設された門柱が
保存されています↓



移設保存されている旨の
案内板が立てられています↓



この西側の区画に将校集会所が
おかれていたようです↓



残念ながら、建物は消失していますが
庭園の区画や名残がわずかに
残っています↓




校舎のすぐ脇に、老朽化により
取り壊された覆練兵場の壁の一部が
保存されています↓



その横に、歩兵第六十三聨隊跡の碑と
至誠の碑とおかれていました↓



校内見学の機会をいただきましたので
隅々まで盡忠報國先生と見ていきます↓



昭和22年の航空写真に写っていると
思われる階段が2箇所ありました↓




材質から当時の石床と思われます↓



敷地南端付近にも怪しいコンクリート製の
構造物がありました↓



校内見学を快諾いただいた
先生方にお礼を申し上げて、
次の案件を目指します↓



【収録遺構】
 陸軍第十七師団
 歩兵第六十三連隊
 (陸軍第十師団
  歩兵第六十三連隊)

  門柱 1箇所
  その他 7箇所

【探訪情報】
 2018.12.20  第1回探訪

 歩数(指数) 未計測(100)


後ほどホームページ内でも
ご紹介させていただきますねっ♪


それでは、またお会いしましょうっ★



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皆様、いかがお過ごしでしょうか。


以前からの周知の通り、残念ながら
2月から大好き過ぎて震えが止まらない
職場に復帰をいたしました・・・

軍跡関係の作業に専念した3か月間で
約25名の関係者様およびフォロワー様と
お会いすることが叶い、15の都道府県の
軍跡案件を探訪することが出来ました。

この場をお借りいたしまして、
皆様方に御礼を申し上げます。
本当にありがとうございました m(_ _)m


さて、月を跨ぎ2月に入りましたので
日頃よりご愛顧いただいております
私どものホームページである
「祐実総軍 ― 戦争遺跡データベース」の
月別アクセス統計を
掲載させてくださいませ。




2019年1月度の統計は以下でございました↓

戦争遺跡調査研究軍―祐実総軍
2019年1月度アクセス統計
 (2019.1.1~2019.1.31)

【総アクセス数】
 16,089アクセス(ブログページ含む)

【最高アクセスカウント日】
 2019年1月2日(水) 721アクセス

【最低アクセスカウント日】
 2019年1月3日(木) 319アクセス

 ※アクセスカウンターの数字とは
  異なる方法での集計となります。

【アクセス元都道府県ランキング】
  1.東京都(9.58%)
  2.神奈川県(9.51%)
  3.埼玉県(8.89%)
  4.大阪府(8.75%)
  5.千葉県(8.24%)
  6.北海道(7.46%)
  7.愛知県(7.13%)
  8.静岡県(6.62%)
  9.岩手県(6.01%)
 10.福井県(5.46%)

【アクセスページランキング】
  1.横須賀海軍航空技術廠
  (祐実軍團:神奈川県) 
  2.横須賀海軍工廠造兵部(横須賀市)
  (祐実軍團:神奈川県) 
  3.大船第一海軍燃料廠
  (祐実軍團:神奈川県) 
  4.東京陸軍砲兵工廠板橋火薬製造所
  (祐実軍團:東京都) 
  5.平塚第二海軍火薬廠
  (祐実軍團:神奈川県) 
  6.東京第二陸軍造兵廠香里製造所
  (阪奈軍團:大阪府)
  7.野比海軍病院
  (祐実軍團:神奈川県) 
  8.小倉陸軍造兵廠
  (那留絵軍團:福岡県)
  9.霞ヶ浦海軍病院
  (和泉軍團:茨城県)
 10.横須賀海軍工廠 造兵部 (逗子市) 
  (祐実軍團:神奈川県) 

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  それぞれ別ウィンドウで表示され
  音楽が流れますので、一度に全てを
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【検索自治体ランキング】
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 3.福岡県北九州市(那瑠絵軍團)
 4.大阪府大阪市(阪奈軍團)
 5.千葉県銚子市(和泉軍團)
 6.神奈川県鎌倉市(祐実軍團)
 7.兵庫県姫路市(阪奈軍團)
 8.神奈川県三浦市(祐実軍團)
 9.神奈川県平塚市(祐実軍團)
10.愛知県名古屋市(美恵軍團)

【掲載遺構数】
 4,485 (フルブラウズ時は4,577)



1月も多くの皆様に見ていただき、
本当にありがとうございます m(_ _)m

お正月の連休があったおかげで
約1割ほどアクセス数が伸びました。

軍跡専属だった3か月間で、
ホームページに追加出来た遺構数は
140でしたので、ペースとしては
単純計算で年間560の遺構を
収録出来ることになりますかね。

現時点で約4,500、未探分を含めた
遺構総数は20,000と見込んでいることから
このままいくと、ホームページが
完全な形になるのは約28年後です(汗)

私、生きてるかしら・・・
そろそろ、若い方々に少しずつ
引き継いでいった方がよいかも
しれませんね。。。

完成まで気が遠くなる数字ですが
引き続き、頑張ってまいりますっ★


【本日の写真】
先日、写真の撮り直しに成功した
洲崎海軍航空隊大賀地下壕です↓






それでは、またお会いしましょうっ★



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