戦争遺跡のご紹介やホームページの制作状況などを綴っていきます♪

総軍BLOGへようこそっ!

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祐実総軍三等兵

Author:祐実総軍三等兵
全国に残る戦争遺跡を探訪し
記録することを趣味とする
祐実総軍三等兵ですっ★

稚拙な内容ではございますが
これまでに関係者の皆様方と
見てきた戦争遺跡を中心に、
ブログ・ホームページなどで
順次ご紹介をしていきます♪

よろしくお願いしますっ★

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皆様、いかがお過ごしでしょうか。


今週に入り、仕事が忙しくなり
色々と不運が続いております・・・

当方は基本的に残業しないので
残業しないと終わらない作業も
定時内に終わらせようとします。

残業しない=仕事してないといった
ふざけたことを言われようもんなら
「やってやんねーよ?」となるので
私は面倒くさい人間なんです(笑)

定時内で終わる作業量を取り組む。
これが求められる「働き方改革」です。
残業ありきの話を出す改革など
まったく聞く耳をもちません(笑)


さてさて・・・
本日は祐実軍團「軍報」の
第196弾といたしまして
神奈川県鎌倉市に設置された
海軍東京湾要塞地帯標を
ご紹介させてくださいませ↓




東京湾要塞は、日本の本土におかれた
12箇所の永久要塞のうちの 1つです。

1895年(明治28)の要塞司令部条例により
永久的な防御工事を施している場所は
「要塞」とされ、海軍の場合は
軍港が「要塞地帯」とされました。

また、これに伴う法律も公布されており
軍事機密の保持のため、要塞地帯に
指定された区域内での測量や撮影・
スケッチ・土木工事などは、
要塞司令部の許可がないと
出来ませんでした。

これらの防御営造物より
250間(約455メートル)以内を特に
「要塞地帯第一区」として一般人の
立入りが禁止され、衛兵が
守備していました。

さらに、その距離に応じ「第二区」・
「第三区(区域)」が設定され、
これらを明確にするため
その境界部に要塞地帯標が
設置されました。

要塞地帯を定義する法律は
数度にわたって改正されましたが、
最終的に防御営造物から
1,000メートル以内を第一区・
5,000メートル以内を第二区・
15,000メートル以内を第三区(区域)と
当初よりも大幅に拡大されました。

鎌倉市については、
要塞地帯第一区と第二区に
定められた箇所があり、
その境界に設置された要塞地帯標が
現在も残っています。



北鎌倉駅付近にお邪魔しております↓



駅前に要塞第二区の地帯標が
残っています↓



標柱は花崗岩製で、
下部が埋まっていますが
正面に「東京湾要塞第二区地帯標」、
側面に「昭和十六年七月三十日」と
「第四五号」、背面に「海軍省」と
記載されていました↓



横須賀線に乗って鎌倉駅に
移動していきます↓



鎌倉駅から1キロほど南下した
材木座海岸付近にも
要塞地帯標が残ります↓



こちらは「東京湾要塞第一」の
文字が入っており、側面には
「昭和十六年」と「第二号」・
背面には「海軍省」とそれぞれ
読み取ることが出来ました↓



【収録遺構】
 海軍東京湾要塞地帯(鎌倉市)

  軍用地境界標 2本

【探訪情報】
 2005.07.30  第1回探訪
 2006.09.10  第2回探訪
 2006.12.17  第3回探訪

 歩数(指数) 未計測(124)


明日はブログの更新を
お休みさせていただきます m(_ _)m


それでは、またお会いいたしましょう★



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皆様、いかがお過ごしでしょうか。


月曜日は、仕事休みを除くと
ホント、いいことが全くありませんね。

自分も職場の連中も「クズ」過ぎて
鬱になりそうですわ。


今日は嫌な思いをしながら
めずらしく残業しちゃったので
いつもより遅い時間からの
ブログ更新でございます・・・


今回は祐実軍團「軍報」の
第195弾といたしまして
埼玉県所沢市におかれていた
所沢憲兵分遺所の遺構を
簡単にご紹介させてくださいませ↓




所沢分遺所は、気球を使って
戦況の偵察を行う軍用気球の
飛行場が所沢におかれたことにより
1911年(明治44)に設置された
憲兵の官舎です。

憲兵とは軍事警察のことで、
陸軍大臣の隷下におかれ、
軍の内部情報や情勢などが
外部に漏洩しないように
取り締まる役割を持ち、
著作物の検閲をはじめ、
国民の言動や思想などにも
目を光らせていたため、
周辺からは恐れられていた
存在でした。

現在、分遣所の跡地は
住宅地となっていますが、
所沢市消防第二分団付近に
当時の遺構が残存し
見学することが可能です。



西新井町の一角に
軍用地境界標が残ります↓



門柱と思われます↓



軍用地境界塀と思われる
塀も一部残っています↓



周辺も歩いてみましたが、
残念ながら見つけることが
出来ませんでした・・・(涙)


 【収録遺構】
  陸軍東京憲兵隊
  赤坂憲兵分隊
  所沢分遺所

   門柱 1箇所
   軍用地境界塀 1区画
   軍用地境界標 1本

 【探訪情報】
  2007.09.22  第1回探訪
  2012.09.15  第2回探訪

  歩数(指数) 約3,000歩(100)


それでは、またお会いいたしましょう★



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皆様、いかがお過ごしでしょうか。


明日から平日ですか・・・

再び、つまらないことに時間を
費やさないといけないわけですね・・・


さて・・・
日曜日「恒例」のサザエさん病が
重症化しないうちに、ブログの
更新をさせていただきます。


今回は祐実軍團「軍報」の
第194弾といたしまして
東京都北区におかれていた
東京陸軍兵器支廠の遺構を
ご紹介させてください↓




東京陸軍兵器支廠は、
東京の兵器本廠に隷属し、
第一師団に関係する兵器弾薬・
材料の購買や、これらの貯蔵・
修理を行う機関として1906年(明治39)に
西が丘地区におかれました。

その後、陸軍兵器廠条例の改正に伴い
兵器の補給業務を統一させる目的で
隷属先の名称が変わったりしましたが
最終的に1940年 (昭和15) の改正以降、
陸軍兵器行政本部に隷属する
「東京陸軍兵器補給廠」に改称されて、
兵器の材料や燃料などの保管と
補給を行いました。

跡地は、西が丘サッカー場や
マンションなどが建てられており、
当時の面影がありませんが
わずかに痕跡が残ります。



いっちゃん先生と西が丘に
お邪魔しております↓



姥ヶ橋交差点付近に位置する
小さな児童公園は、当時の建物や
軍用地境界塀に使われていた煉瓦を
活用しているといわれています↓



敷地の南限にあたる場所に
軍用地境界標と思われる
標柱がありましたが、残念ながら
文字の記載面が民家の塀に
埋まっており、詳細は不明です↓



この北側はマンションが
たくさん建てられていますが・・・↓



かつては、このような軍用地境界塀が
残っていました↓



一部はモルタルが剥がれ落ちて
煉瓦が露出している部分も
ありました↓



当時は約150メートルほど
残っていたのですが、残念ながら
現在は完全に消滅しています↓



この界隈を昔から知っている方の
お話しでは、門柱や建物なども
残っていたそうですが、行動が遅く
記録が叶いませんでした・・・


 【収録遺構】
  東京陸軍兵器支廠
  (東京陸軍兵器補給廠)

   軍用地境界標 1本
   その他 1箇所
   軍用地境界塀 1区画(消失)

 【探訪情報】
  2007.04.01  第1回探訪
  2007.05.13  第2回探訪
  2011.01.01  第3回探訪

  歩数(指数) 未計測(114)


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皆様、いかがお過ごしでしょうか。


ここのところ、仕事の愚痴ばかりを
ブログの冒頭に書いてばかりでしたが
まるで自分のことのように
嬉しいお話しがございましてっ!

今日はお酒がいい感じに進みそうです。


さて・・・
酔いがまわらないうちに
今回はバックナンバーである
祐実軍團「軍報」の第7弾の
続編として、神奈川県横須賀市に
掘削された鉈切山地下壕を
ご紹介させてくださいませ↓



なお、これは「後続記事」ですので
「本記事」もご覧くださいませ↓

 【祐実軍團】(7)横須賀第一海軍技術廠




重鎮メンバーの皆様方と
横須賀市にお邪魔しております↓



ここの情報は、かなり前から
いつもお世話になっている
ゅんのすけ先生から写真付きで
いただいておりましたが、
なかなか行くことが
出来ませんでした・・・


さっそく、中に入っていきます↓



内部は産業廃棄物が多く
非常に危険でしたが・・・↓



部屋のような空間や・・・↓



仕切り扉のような跡などが
残っており・・・↓



これまで見てきた空技廠の
地下壕群と少し形状が
違っているようにも思えました。


追浜の飛行場で行われた
秋水の飛行実験に失敗し、
パイロットを鉈切山の病院壕に
収容したという話もあるので、
これが病院壕という見方も
十分にあるのですが、
資料に乏しく断定出来ていません・・・
(個人的には病院壕である見方です)


地下壕の内部図です↓



内部は産業廃棄物が大量で
歩けなかったところもありますが
坑道の有効総延長は
271メートルを測りました。


【収録遺構】
 横須賀海軍航空廠
 (横須賀海軍航空技術廠,
 横須賀第一海軍技術廠)

  建物 13棟
  門柱 1本
  軍用地境界塀 2箇所
  地下施設 4箇所
  地下壕 10区画
  その他 5箇所
  建物(消失) 2棟
  その他(消失) 1箇所

【探訪情報】
 2003.02.01  第1回探訪
 (探訪回数が多いので途中省略)
 2014.12.28  第47回探訪
 2017.12.30  第48回探訪

 歩数(指数) 350,000歩以上(999)


明日は、ブログの更新を
お休みさせていただきます m(_ _)m


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やっと、木曜日ですか・・・
もう今週の平日は終わりでいいです(笑)
私にとっては「時間のムダ」です。

そうは言っても、私が主張する
「時間のムダ」を会社が
買い取ってくれているのは
重々承知してますが、必要以上の
お金はいらないので、不必要に
拘束しないで欲しいですねっ!

こんなことばかり書いているから
私は嫌われる・・・(笑)

でも、仕事に関しては嫌われても
一向に構わないですがね。

「仕方なく」やっているだけで、
好かれるためにやっているわけでは
ないのでねっ(笑)


さてっ!今日も愚痴が上々なところで
今回は祐実軍團「軍報」の
第193弾といたしまして、
東京都調布市におかれていた
下仙川高射砲台の遺構を
簡単にご紹介させてください↓




下仙川高射砲台は、調布飛行場や
周辺におかれた軍需工場の防衛を
目的に設置されました。

ここには 6門の高射砲が据え付けられ
現在の三鷹市におかれていた
大沢高射砲台とともに、防衛任務に
就いていたようですが、資料が揃わず
詳細は判っていません。

現在、跡地は住宅地に変遷しており
面影がない状態ですが、砲座の一部と
いわれている遺構や弾薬庫が
残っています。



物見がてら、1人でトボトボと
京王帝都電鉄(笑)の仙川駅に
到着しております↓



いや~、人が多すぎて
駅周辺は移動に難儀しました・・・


トボトボと若葉町の住宅地に
入っていきます↓



移動中に女性の方に
道を尋ねられたのですが
全く判らないので、
お断りしちゃいました。
ゴメンナサイね・・・


若葉町の住宅街に砲座の一部と
いわれる遺構が残っています↓



砲座といわれる遺構のアップです↓



住宅地内に弾薬庫といわれる
遺構が残っています↓



周辺の風景はこんな感じです↓



いっちゃん先生との本格探訪の際に
本腰をいれて探してみたいと思います。


 【収録遺構】
  陸軍高射第一師団
  下仙川高射砲台

   砲座 1箇所
   地下施設 1箇所

 【探訪情報】
  2018.05.26  第1回探訪

 歩数(指数) 約1,000歩(100)


後ほど、我々のホームページにも
掲載予定ですっ★


それでは、またお会いいたしましょう★



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