戦争遺跡のご紹介やホームページの制作状況などを綴っていきます♪

総軍BLOGへようこそっ!

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祐実総軍三等兵

Author:祐実総軍三等兵
全国に残る戦争遺跡を探訪し
記録することを趣味とする
祐実総軍三等兵ですっ★

稚拙な内容ではございますが
これまでに関係者の皆様方と
見てきた戦争遺跡を中心に、
ブログ・ホームページなどで
順次ご紹介をしていきます♪

よろしくお願いしますっ★

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皆様、いかがお過ごしでしょうか。


残念ながら、本日は日曜日なので
夕方以降は恒例のサザエさん病に
かかってしまう予定です(笑)


さてさて、今回は西日本地方の
軍跡探訪においてご高名な
盡忠報國先生と一緒に
大阪府内と奈良県内の探訪に
出掛けてまいりましたので
「雑記」形式でダイジェストを
お送りさせていただきます。



大阪市内の大本営(ホテル)から
祐実総軍の1兵卒が出陣します↓



今回、初めてお会いさせていただく
盡忠報國先生とJR駅で合流します。

盡忠報國先生は、知る人ぞ知る
西日本地区での軍跡探訪において
筆頭に値する大日本者神國也
「主」でございますっ!

いわば「大元帥」レベルのお方に、
このような薄汚い1兵卒が
お目通りをするのですから、
心臓バクバクものでしたが
気さくに振る舞っていただき
緊張が一気に解けました★

同年代ですので、無礼を承知で
書きますが、私が仕事で大阪に
赴任していた頃に親しくしていた
同僚の雰囲気に似ていたので
ものすごく親近感がありました♪

車中で大阪赴任時代を思い出し
感無量でしたっ!


昔の思い出にふけりながら
まずは大正区に移動します↓



海軍艦政本部大阪倉庫の
遺構群を見ていきます(抜粋)↓



正直、海軍遺構が大阪市内に
残っているとは知りませんでした(驚)
す、すごい・・・


続いて住之江区に移動していきます↓



私は高い場所で狭窄している箇所が
苦手なのですが、時間を割いて
ご案内いただいている盡忠報國先生の
ご期待に添うべく、全力をもって
追従させていただきます(笑)↓



海軍艦艇の製造に携わった
藤永田造船所の遺構群です(抜粋)↓



当然のことながら、これらも
当方は知りませんでした・・・(驚)


東に約10キロほど移動し、
藤井寺市に入ります↓



大正陸軍飛行場の
藤井寺官舎の建物群を
見学します↓




続いて、石川の対岸にあたる
柏原の陸軍官舎の建物群を
見学しますが、後になって
過去に見学していたことが
発覚しました・・・

先生、申し訳ないです m(_ _)m


続いて、玉手山公園に移動します↓



大阪陸軍航空廠の玉手山洞窟の
入口をご案内いただきましたっ↓



唯一、坑道が残存している部分の
内部の様子です↓




玉手山洞窟の存在は、前から
判っていたのですが、公園整備のため
滅失と書かれた資料を信じてしまい
探訪せずにいたのですが、
このザマです(涙)

そういった文言に左右されず、
地道に自身の目で確認しに行く
先生の行動力に脱帽です m(_ _)m


さらに東へ進んでいき、
奈良県に入りました↓



現在は京大の地震観測所に
活用されている陸軍航空総軍の
地下壕を簡単に見学します↓




ここも、西側の地下壕とは違い
地震観測所の入口以外は
全て見ることが出来ないと
聞かされていましたが、
このザマでございますっ(汗)

その時に、他の入口を探そうとも
しなかった私の器が知れます(笑)


予定よりも早く行程を消化したので
盡忠報國先生にワガママを言って
さらに大阪から離れるようにして
天理市内の山中へ向かいます↓



百戦錬磨の盡忠報國先生の後を
我が家の大元帥閣下との
買い物同様に、金魚のフンみたいに
追従させていただきます↓



奈良行宮地下壕の内部です↓




当方の機動力が悪く、
ここで片足を水没させましたが
もはや、そんなことを問題に
している場合ではございません(笑)

もう2度と訪れる機会はないと
思っておりますので・・・(笑)


日没までにまだ時間があるので
日頃の私生活の鬱憤を晴らすように
駄々をこねて、第五八一海軍設営隊の
建物群をご案内いただきました↓





ここにきて雨が降り始めましたが
駄々をこねまくって、さらに
大和海軍航空基地の通信隊の
遺構をご案内いただきました↓




大和海軍航空基地の遺構群は
10年くらい前に、ある程度は
見学していますが、不十分なので
盡忠報國先生がご紹介している
記事をベースに未探訪分を
備忘として挙げさせていただきます。

 K 給配水施設
 L 航空隊本部部員 退避壕(内部)
 V 水槽
 W 水槽
 X 水槽
 

雨がひどくなってきたので
大阪へ戻ります↓



帰りの車中でも盡忠報國先生と
軍跡の情報や双方の内情などで
会話が弾み、今回が初対面とは
思えませんでした(笑)

関東人からすると西日本方面は
おいそれと気軽に行けるような
場所ではないのですが、
今後も積極的に探訪していきたいと
思っていますっ★


盡忠報國先生っ!
本当にお世話になりました m(_ _)m

新規開拓の際は馳せ参じますので
是非ともお声がけいただければ
幸いでございますっ!


明日は、通常通り「軍報」での
ブログ更新を予定しております。


それでは、また明日っ★



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 ひとつよろしくお願いします♪

皆様、こんばんわ m(_ _)m


今日は軍跡探訪の権威である
盡忠報國先生のご案内の下で
大阪府内・奈良県内へ
出かけてきましたっ★


今回は「雑記」形式で
本日の探訪内容をダイジェストで
お送りする予定だったのですが、
当方が単独で遠征する際に
持参している小さなノートPCが
クラッシュ寸前となってしまい、
何をするにも処理が遅い状態と
なってしまったので、
明日に延期させてください m(_ _)m


本当は、明日も昼下がりくらいまで
大阪近辺の軍跡探訪を
検討していたのですが、
天気が悪いため、午前中の
新幹線で帰還することにして
本拠に戻り今日のまとめ作業を
早くやりたいと思います。


【本日の写真】
本日、記録がかなった遺構群です。
(明日、再度載せます!)↓







それでは、また明日っ★



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皆様、いかがお過ごしでしょうか。


昨日は臨時で重鎮メンバーの
皆様方から招集命令(笑)があり、
仕事帰りに地下壕に寄りました。

これぞ、私が求めていた
本当の「残業」でございます(笑)


いっぱいお仕事しちゃいまして、
帰宅が遅くなってしまい
昨日のブログ更新が出来ず、
申し訳ありません m(_ _)m

でも、これが私が一番「優先」と
考えている「作業」ですので、
どうかご容赦をっ!


さて、本日は昨日の内部調査に
参加された関係者様にあてて
「内示」形式でのブログ更新です。



内部調査に参加された皆様、
お疲れ様でございました m(_ _)m

さっそくですが、内部調査がかなった
地下壕をGoogleマップにトレースしました↓





地下壕をGoogleマップに
トレースするとこうなります↓

※内示用ですので、一定期間が
 経過したら削除します。


トレース図を注釈すると、
太線がコンクリート製の
坑道(不完全なものも含む)です。
赤の太い点線部分から北側は
次回の課題となります。


これから遠征の準備をしないと
いけないので、坑道延長は
集計をしておりません・・・

きちんと詳細図もおこしますので
もうしばらくお待ちくださいっ!


今回、初の試みである
スーツIN地下壕です(笑)↓

※関係者様からの提供写真です。


仕事帰りに内部調査とは・・・
でも、悪い気はしません(笑)↓

※関係者様からの提供写真です。



明日はブログの更新をお休みし、
土曜日・日曜日は念願の
大阪探訪のため「雑記」形式で
ブログの更新をさせてください。
(twitterは平常通りです)


それでは、またお会いしましょうっ★



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皆様、いかがお過ごしでしょうか。


この時間にブログの更新をする
理由は特にありませんが、
本日は早い時間に済ませます(笑)


今回は阪奈軍團「軍報」の
第109弾といたしまして
大阪府大阪市におかれていた
大阪砲兵工廠の遺構群を
ご紹介させてくださいませ↓




大阪砲兵工廠は、大砲や爆弾などの
兵器を製造する工場として、
明治政府が1870年(明治3)に
この前身にあたる造兵司を
設置したことからはじまり、
大砲製造所・砲兵第二方面砲兵支廠と
名称を変更しながら変遷し、
1878年(明治11)に開設された
陸軍管轄の兵器生産工場です。

その規模は東洋一を誇るもので、
大阪城とその周辺一帯に
広がっていました。

開設当初は、主に大砲などの
重兵器や、砲弾・爆弾を
製造していましたが、1940年(昭和15)に
大阪造兵廠と改称されてからは、
航空機の部品や風船爆弾の
製造が中心となりました。

戦争の拡大に伴って、敷地の拡張と
工員の増員が行われてきましたが、
終戦前日の1945年(昭和20)8月14日に
空襲により壊滅しました。

現在、跡地は大阪城公園や
大阪城ホールなどとなっていますが、
大阪城公園内を中心に遺構が
残っています。



総軍序列第2位の軍團である
阪奈軍團の本拠で、三等兵も大好きな
大阪市内にお邪魔しております↓



砲兵工廠の表門がおかれた
筋鉄門跡の入口より大阪城公園に
入っていきます↓



入口周辺に軍用地境界塀が
残っています↓



入口を抜けてすぐの場所に
守衛所やトイレなどに使われた
多目的建物が残っています↓



これも関連する遺構と思われますが
詳細は判っておりません。。。↓



公園の遊歩道を進んでいくと、
砲兵工廠最大の遺構である
化学分析場の建物が残ります↓



いったん公園を出て市道を
北に進んでいくと、
資材の搬入口に使用された
アーチ状の通用口が残ります↓



さらに北へ進んでいくと
軍用地境界塀が残っています↓



今度は南方向へ転進し、
大阪城公園の京橋口を
目指していきます↓



京橋口には軍用地境界標が
1本残存しています↓



京橋口から極楽橋を渡り
天守閣方面に進んでいきます↓



大阪城の北東隅と南西隅の
石垣には、空襲の被災痕が
残っています↓



この一帯は、何度もアメリカ軍の
爆撃目標とされていましたが、
天候不順で大規模空襲を
免れてきたそうです。

しかし、終戦前日の8月14日に
大空襲を受けてしまい、壊滅的な
被害を受け、その周辺も焼け野原と
化してしまいました・・・


大阪城の天守閣と西の丸庭園に
はさまれた内濠には水道管が
残っています↓



大阪城を横切るようにして南下し
玉造口に進んでいくと、
軍用地境界標が1つ残ります↓



軍用地境界標の後ろには、
「是ヨリ濠迄」と刻まれた
花崗岩製の柱が倒されています↓


標柱より濠に至る場所には、
火薬の溜置場や信管材料置場などが
建てられていたことから、砲兵工廠の
敷地を識別するためのものとして
軍用地境界標とセットでおかれていた
可能性が極めて高いです。


玉造口から梅林・少年野球場を経由し
北上していくと、第二寝屋川沿いに
荷揚水門が残っています↓



荷揚水門から大阪城の桃園を
経由して最初に入った筋鉄門跡の
入口に戻ります↓



第二寝屋川に沿って進んでいくと
取水口といわれる遺構が
残っています↓



大阪砲兵工廠の遺構の大半は
大阪城公園内にあるので、
大阪城への観光と兼ねて
めぐってみるのはいかがでしょう?



【収録遺構】
 大阪陸軍砲兵工廠
 (陸軍造兵廠大阪工廠,
  大阪陸軍造兵廠)

   建物 2棟
   門柱 2箇所
   軍用地境界標 3本
   軍用地境界塀 2区画
   その他 5箇所

【探訪情報】
 2007.07.08  第1回探訪
 2007.12.09  第2回探訪
 2007.12.23  第3回探訪
 2008.02.24  第4回探訪
 2008.03.24  第5回探訪
 2013.11.25  第6回探訪

 歩数(指数) 15,000歩以上(999)


それでは、またお会いいたしましょう★



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皆様、いかがお過ごしでしょうか。


残念ながら、週初めから
業後に新人歓迎会があり
帰りが遅くなりそうなので、
本日は「予約投稿」でございます・・・

何で月曜日から飲み会なんだよ(怒)
まったく、センスが微塵にも
感じられませんね~


さてさて、今回は祐実軍團「軍報」の
第178弾といたしまして、
神奈川県川崎市におかれていた
溝口演習場の軍用地境界標群を
ご紹介させてくださいませ↓




溝口演習場は、第一〇一師団に隷属した
歩兵第一〇一連隊の兵科演習を
行うことを目的に設置され、
その敷地規模は、高津区・宮前区・
横浜市青葉区の3区域にまたがる
広大なものでした。

宮崎地区に歩兵第一〇一連隊の
連隊兵営がおかれてから
1943年(昭和18)の4月に上海へ
出征するまでの短い期間に
ここでさまざまな演習が行われました。

現在、跡地のほとんどが
住宅となっていますが、広大な
敷地を有していたこともあり、
未開発の箇所を中心に
軍用地境界標が残存しています。



いにしえの重鎮メンバーの皆様方と
溝の口駅に来ております↓



溝の口駅の南東にあたる
久本1丁目周辺に軍用地境界標が
2本残存しています↓




田園都市線に乗って宮崎台駅に
ぞろぞろと移動していきます↓



宮崎台駅の南東にあたる
馬絹地区に軍用地境界標が
いくつか残っています↓





西へ少し進んだ宮崎1丁目内にも
軍用地境界標が残っています↓



田園都市線の線路をまたいだ
向ケ丘地区にも軍用地境界標が
2本残っています↓




過去に実施された
地元の中学校の調査によると
演習場の敷地に沿って
50本以上に及ぶ軍用地境界標の
残存を確認しているそうですが、
我々の力が及ばず、8本しか
見つけられませんでした・・・


【収録遺構】
 陸軍第一〇一師団
 溝口演習場

  軍用地境界標 8本

【探訪情報】
 2007.05.19  第1回探訪 
 2008.02.16  第2回探訪 
 2013.04.27  第3回探訪 

 歩数(指数) 約25,000歩(427)


それでは、またお会いしましょう★



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