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戦争遺跡のご紹介やホームページの制作状況などを綴っていきます♪

総軍BLOGへようこそっ!

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祐実総軍三等兵

Author:祐実総軍三等兵
全国に残る戦争遺跡を探訪し
記録することを趣味とする
祐実総軍三等兵ですっ★

稚拙な内容ではございますが
これまでに関係者の皆様方と
見てきた戦争遺跡を中心に、
ブログ・ホームページなどで
順次ご紹介をしていきます♪

よろしくお願いしますっ★

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皆様、いかがお過ごしでしょうか。


いよいよ5月も終わりになり、
あと少しで2019年も
半年が経過することになりますが
あっという間ですね・・・


5月は総軍プロジェクトの
下半期の始まりであり、
残念ながら、資金枯渇からの
スタートということもあって
順調な滑り出しとはいえませんが
少しずつ遠征を再開していきます。


11月まではオフシーズンなので、
建物系の案件を中心とする
探訪となりますが、引き続き
成果をご期待いただければ
幸いでございます。


さてさて、本日は5月末の
起算更新といたしまして、
祐実軍團「軍報」の第213弾として
東京都葛飾区におかれていた
白鳥高射砲台の遺構を
簡単にご紹介させていただきます↓




白鳥高射砲台は、首都の防衛を目的に
1943年(昭和18)に構築されました。

ここには、九九式 8センチ高射砲を
18門据え付け、北東方向へ扇形に
砲列を組んでいました。

現在は、住宅や工場・駐車場などに
変遷し面影がほとんどありませんが
白鳥2丁目から3丁目にかけて、
遺構がわずかに残っています。



総軍大元帥とともに
京成電車のお花茶屋駅に
到着いたしました↓



少し暑い陽気ですが、
はりきって探訪します↓



白鳥3丁目内の駐車場に
砲座が残っています↓



その北側に位置するアパートの
裏手付近にも残ります↓



アパートの前をはしる道路沿いにも
砲座と同じ材質の基礎部分が
工場建屋の基礎に使われています↓



国道6号線の白鳥交差点付近に
展開する町工場の駐車場にも
砲座跡とおぼしき円形の構造物が
残っていたのですが、残念ながら
消失してしまったようです↓



この他にも、同じ材質の
怪しいコンクリートのものが
点在していましたが、判断がつかず
二宮さんの像を見て
早々に撤収いたしました↓



【収録遺構】
 陸軍東部高射砲集団
 白鳥高射砲台

  砲座 3箇所
  その他 1箇所

【探訪情報】
 2009.01.03  第1回探訪
 2015.03.22  第2回探訪

 歩数(指数) 約3,000歩(276)


次回は我々のホームページ関係で
ブログを更新させてください m(_ _)m


それでは、またお会いいたしましょう★



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皆様、いかがお過ごしでしょうか。


ここのところ、仕事でめった打ちにされ
ブログの更新が滞ってしまい
申し訳ありません m(_ _)m


これでも、仕事イキイキ人間達に抗い
そういう人達の弱みに付け込んで
早く帰っている方ですが、
断れない人達はもっと大変です・・・


このままいくと愚痴が上々になるので
このくらいにしておきます。。。


さて、今回は和泉軍團「軍報」の
第116弾といたしまして、
千葉県館山市に設置されていた
陸軍東京湾要塞の要塞第一区を示す
地帯標を1本だけご紹介します↓




東京湾要塞は、日本の本土におかれた
永久要塞のうちの 1つです。

1895年(明治28)の要塞司令部条例により
永久的な防御工事を施している場所は
「要塞地帯」とされ、軍事機密の
保持のため、要塞地帯に指定された
区域内での測量や撮影・スケッチ・
土木工事などは、要塞司令部の
許可がないと出来ませんでした。

また、これらの防御営造物より
250間(約455メートル)以内を
特に「要塞地帯第一区」として
一般人の立入りが禁止され、
衛兵が守備していました。

さらに、その距離に応じ「第二区」・
「第三区(区域)」が設定され、
これらを明確にするため
その境界部に要塞地帯標が
設置されました。

要塞地帯を定義する法律は
数度にわたって改正されましたが
最終的に防御営造物から
1,000メートル以内を第一区・
5,000メートル以内を第二区・
15,000メートル以内を第三区(区域)と
当初よりも大幅に拡大されました。

このうち、館山市内については
洲崎第一砲台・洲崎第二砲台の
周辺が第一区に定められており
見物地区の神社内に要塞地帯標が
1本だけ移設保存されています。



関係者の皆様方と
館山市内にお邪魔しております↓



見物地区の神社内に
要塞第一区地帯標が
保存されています↓



側面には「陸軍省」・「第五號(号)」と
刻まれています↓



背面には「昭和五年二月」と
刻まれていました↓



【収録遺構】
 陸軍東京湾要塞地帯(館山市)

  軍用地境界標 1本

【探訪情報】
 2007.05.04  第1回探訪

 歩数(指数) 未計測(100)


この記事を書いてて思い出しましたが
館山市のお隣に位置する
南房総市になかなかの規模の
軍事施設跡が残っていることが
判りました。

ストビューや空撮を見る限り
地上系の遺構が大半のようなので
近いうちに単騎で見てきますね。


それでは、またお会いいたしましょう★



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皆様、いかがお過ごしでしょうか。


ここのところ、大好きな仕事での
疲労が溜まってしまい、
少々ゲンナリしておりましたが
無事、復活いたしました(笑)


残業はほとんどしていませんが
それでも、1日約8時間も
会社に拘束されるのが嫌で嫌で・・・


給料、今の半分でいいんで
勤務時間も半分以下にして
欲しいところです。


さて、今回は祐実軍團「軍報」の
第23弾の続編として、
浦賀ドックの見学会の前に再訪した
馬堀に残る東京湾要塞地帯標を
1本だけご紹介いたします↓



なお、これは「後続記事」ですので
「本記事」もご覧くださいませ↓

 (23)陸軍東京湾要塞地帯(横須賀市)



快特の俊足ぶりに定評がある
京急線の馬堀海岸駅付近に単騎で
お邪魔しております↓



残念ながら、この界隈に残る
軍跡の写真を消失させてしまい
浦賀ドックの見学会の前に
再訪することにしました。


踏切を渡って少し進むと・・・↓



要塞第一区地帯標が残っています↓



残念ながら下部が埋もれてしまい
なおかつ風化も進んでいますが
「1Z 東京湾要塞第壹」の文字が
刻まれていることが判ります↓



この後は駅に引き返し、
関係者の皆様と浦賀ドックの
見学会に参加するために
浦賀駅に向かいました。


【探訪情報】
 2006.04.09  第1回探訪
 2006.06.24  第2回探訪
 2006.07.01  第3回探訪
 2007.01.08  第4回探訪
 2007.10~2007.11のどこか
         第5回探訪
 2014.04.27  第6回探訪
 2019.04.28  第7回探訪
 2019.05.25  第8回探訪


 歩数(指数) 約35,000歩(640)


それでは、またお会いいたしましょう★



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皆様、いかがお過ごしでしょうか。


残念ながら、ここのところ
大好きな仕事のことばかり
考えてしまって(まったくのウソ)、
睡眠不足になっているようです・・・


特に、この数日間は
ちょっと頭が痛く、目もシバシバで
常に眠く、大好きなはずなのに
仕事にまったく手がつかない感じです。


ちょっと、夜のお酒を休止して
早めに寝ようと思います・・・


さて、今回は祐実軍團「軍報」の
第212弾といたしまして
東京都港区六本木におかれていた
歩兵第三連隊の兵舎を
ものすごく簡単にご紹介します↓




歩兵第三連隊は、師団編成の
前身にあたる東京鎮台に
隷属した部隊で、その後の改編をうけ
第一師団の隷下となりました。

戦歴も古く、西南戦争や日清戦争・
日露戦争に出征して凱旋しますが
1936年(昭和11)の二・二六事件では
青年将校の一部が反乱軍に加担し
高橋是清外務大臣などを
殺害しています。

その後、上位部隊が第二十八師団となり
満州北部に兵営を移しますが
太平洋戦争の戦況が逼迫すると
沖縄の宮古島に上陸して防備につき
終戦を迎えました。

現在、連隊跡地は国立新美術館と
なっており、兵舎の一部分だけが
保存されています。



国立新美術館に隣接して
減築された兵舎が残ります↓




ちょっと、これが怪しい感じです↓



地下施設の入口跡だったら
嬉しいのですが・・・


【収録遺構】
 陸軍第一師団
 歩兵第三連隊

  建物 1棟

【探訪情報】
 2008.04.26  第1回探訪
 2014.04.29  第2回探訪

 歩数(指数) 未計測(100)


それでは、またお会いいたしましょう★



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皆様、いかがお過ごしでしょうか。


ここのところ、色々と忙しくしており
ブログの更新まで手がまわらず、
毎日見に来てくださる方々には
本当に申し訳ないです m(_ _)m


全ては、大過ぎ過ぎてクソくらえの
仕事が原因です(笑)


通勤時間を含め、1日あたり
12時間以上も「浪費」しているので
これを何とか減らしたいところです・・・


さて、本日は起算更新となりますが
莉央軍團「軍報」の第19弾として
北海道札幌市におかれていた
札幌飛行場(接収)の門柱を
1つご紹介させてくださいませ↓




札幌飛行場は、札幌市に本社が
おかれていた北海タイムス社の
業務用飛行場として、
1926年(大正15)に開設されました。

昭和時代に入ると、公共飛行場に
指定され、札幌~東京間の定期航路が
開設されますが、太平洋戦争に入ると
陸軍が敷地を接収し、室蘭市内の
製鉄・兵器工場を防衛するための
飛行場として終戦まで使用されました。

現在、跡地は北区役所や学校・
住宅地などに変遷し、面影が全く
ありませんが、宮の森・北24条通沿いに
門柱が保存されています。



我が総軍大元帥と共に
地下鉄南北線の北24条駅に
到着いたしました↓



宮の森・北24条通を
西に向かって進んでいきます↓



札幌飛行場の名残である
門柱が残っています↓



門柱に隣接して案内板が
設置されています↓



彫刻家の坂担道さんが制作した
札幌飛行場を偲ぶプロペラ型の
ブロンズ像「風雪」の碑もあります↓



ひと通り見学した後は
次の案件に向けて美香保公園に
進んでいきます↓



【収録遺構】
 札幌陸軍飛行場(接収)

  門柱 1箇所

【探訪情報】
 2018.11.04  第1回探訪

 歩数(指数) 未計測(100)


後ほどホームページでも
ご紹介させていただきます♪


それでは、またお会いいたしましょう★



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