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戦争遺跡のご紹介やホームページの制作状況などを綴っていきます♪

総軍BLOGへようこそっ!

♦ プロフィール

祐実総軍三等兵

Author:祐実総軍三等兵
全国に残る戦争遺跡を探訪し
記録することを趣味とする
祐実総軍三等兵ですっ★

稚拙な内容ではございますが
これまでに関係者の皆様方と
見てきた戦争遺跡を中心に、
ブログ・ホームページなどで
順次ご紹介をしていきます♪

よろしくお願いしますっ★

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皆様、いかがお過ごしでしょうか。


本日も恒例の「引き止め」作戦に
引っかかってしまい、帰宅が
遅くなりました・・・


私が帰ろうとすると
誰かが必ず声をかけてくるのが
本当に、気に食わないです。
業中は全く話しかけてこないくせに。


それにしても、引き留めようとする
人達にも根性があります(笑)
私があんなに嫌な顔して
屁理屈言いながら舌打ちしても
ボロカスに文句言っても
食い下がってくるんだから。


意味のない無駄なクソ残業なんか
したいと1ミクロンも思わないので
諦めてもらうまで、私も負けちゃ
いられませんっ!


さてさて、愚痴が上々なところで
本日は和泉軍團「軍報」の
第91弾といたしまして、
千葉県市原市に構築された
陸軍第一四七師団の抵抗拠点陣地を
1つご紹介させてくださいませ↓




第一四七師団は、1945年(昭和20)2月に
旭川で編成されて開設された特設師団で
第一総軍の第十二方面軍に所属した
第五十二軍の隷下部隊となり、
師団基幹には歩兵第四二五連隊~
歩兵第四二八連隊の 4個部隊が
ありました。

日本の敗戦をほぼ決定的にした
1944年(昭和19)6月の
マリアナ沖海戦の敗退で、
アメリカ軍は「コロネット作戦」と呼ばれる
日本本土への上陸作戦を計画します。

その作戦の内容とは、九十九里浜と
神奈川県の相模湾より上陸して
首都圏の拠点を制圧しながら
帝都に攻め入るというもので
九十九里浜には約240,000人もの
アメリカ軍が上陸を予定していました。

一方、日本軍は「本土決戦作戦」を
計画し、両海岸の防備にあたりました。

このなかで、第五十二軍は
九十九里浜の防備を
担当することになり、
隷下の第一四七師団は
大網白里市より勝浦市にいたる
地域の防衛にあたりました。

なお、防衛方針は海岸後方の山に
抵抗拠点となる陣地を展開させ
上陸兵に対して狙撃を行うと
いうものでした。

また、第一四七師団の司令部は
市原市の鶴舞におかれています。

これらは、本土決戦となる前に
終戦となったため、実際には
使用されず山林に現在も
放置されており、一部崩壊が
あるものの、見学は可能です。

しかし、入口は埋没しており
水はけも悪いので注意が必要です。



市原市内の鶴舞地区に来ております↓



日枝神社付近で陣地を
1つだけ見ることが出来ました↓



内部は素掘り構造で、階段付きの
1本の主坑道が山の反対側まで
貫通していました↓



この坑道に連絡するように
棲息部と考えられる
空間があり、管や釘などが
残っていました↓



主坑道は階段が2箇所設けられて
いますが、いずれも崩落が進み
斜坑になっています↓



主坑道を南に進んでいくと
壕の構造が変化します↓



コウモリさんが冬眠してます↓



陣地の内部図です↓



冒頭にも書きましたが、
第一四七師団の司令部は
この鶴舞地区におかれており、
他にも陣地がおかれていたものと
思われます。


この界隈は、私よりも精通する
房総半島戦跡考古調査会
皆様方と一緒に探してみたいです。


隊長先生・maya先生っ!
ひとつよろしくお願いしますっ★


【収録遺構】
 陸軍第一四七師団
 抵抗拠点陣地(市原市)

  地下壕 1箇所

【探訪情報】
 2007.03.02  第1回探訪

 歩数(指数) 未計測(76)



それでは、またお会いいたしましょうっ★



↑8月は当方の誕生月なので
 「応援」よろしくお願いします♪

皆様、いかがお過ごしでしょうか。


残念ながら、明日から再び
平日の来襲ですね・・・

とはいえ、今週は水曜日まで
出勤すれば4連休となるので
何とか精神力はもちそうです・・・


さてさて、今回は日頃より
ご愛顧いただいております
私どものホームページである
「祐実総軍 ― 戦争遺跡データベース」の
7月度のアクセス統計を
掲載させてくださいませ。




2018年7月度の統計は以下でございました↓

戦争遺跡調査研究軍―祐実総軍
2018年7月度アクセス統計
 (2018.7.1~2018.7.31)

【総アクセス数】
 17,107アクセス(ブログページ含む)

【最高アクセスカウント日】
 2018年7月26日(木)  840アクセス

【最低アクセスカウント日】
 2018年7月14日(土)  437アクセス

※アクセスカウンターの数字とは
 異なる方法での集計となります。

【アクセス元都道府県ランキング】
  1.東京都(10.21%)
  2.神奈川県(10.05%)
  3.大阪府(8.79%)
  4.埼玉県(7.44%)
  5.千葉県(7.02%)
  6.兵庫県(7.01%)
  7.愛知県(6.41%)
  8.広島県(5.98%)
  9.静岡県(5.84%)
 10.北海道(5.41%)

【アクセスページランキング】
  1.横須賀海軍工廠 造兵部 (逗子市)
  (祐実軍團:神奈川県) 
  2.横須賀海軍航空技術廠
  (祐実軍團:神奈川県)
  3.東京第二陸軍造兵廠 香里製造所
  (阪奈軍團:大阪府) 
  4.小倉陸軍造兵廠
  (那留絵軍團:福岡県) 
  5.横須賀海軍工廠 造兵部 (横須賀市)
  (祐実軍團:神奈川県)
  6.平塚第二海軍火薬廠
  (祐実軍團:神奈川県)
  7.東京第二陸軍造兵廠 深谷製造所
  (祐実軍團:埼玉県)
  8.海軍共済組合病院 平塚診療所
  (祐実軍團:神奈川県)
  9.野比海軍病院
  (祐実軍團:神奈川県)
 10. 東京第一陸軍造兵廠 川越製造所
  (祐実軍團:埼玉県)

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  それぞれ別ウィンドウで表示され
  音楽が流れますので、一度に全てを
  開かないようにご注意を!

【検索自治体ランキング】
 1.神奈川県横須賀市(祐実軍團)
 2.福岡県北九州市(那瑠絵軍團)
 3.神奈川県三浦市(祐実軍團)
 4.神奈川県横浜市(祐実軍團)
 5.神奈川県逗子市(祐実軍團)
 6.神奈川県藤沢市(祐実軍團)
 7.大阪府大阪市(阪奈軍團)
 8.和歌山県和歌山市(阪奈軍團)
 9.兵庫県姫路市(阪奈軍團)
 10.広島県廿日市市(真己軍團)

【掲載遺構数】
 4,320 (フルブラウズ時は4,412)



7月も多くの皆様に見ていただき
本当にありがとうございます m(_ _)m

先月に引き続き、ホームページの
更新に時間を割くことが出来ず
相変わらずの更新量ですが、
再びアクセス数が伸びてきており、
アクセス元のランキング上位も
少しずつ変化が出てきております。

ここには出てきませんが、
京都府・岩手県・三重県・茨城県からの
アクセスが順調に伸びてきており、
10位圏内に入ってきそうな勢いです。

傾向としては、様々な都道府県から
主に神奈川県のご紹介案件を
見てくださっているようです。

せっかく見てくださっているのに
大した量の更新も出来ず
「やるやる詐欺」になりそうですが
引き続き、頑張ってまいります。


【本日の写真】
神奈川県横浜市におかれていた
日本カーリット保土ヶ谷工場の
遺構群でございます↓







それでは、またお会いいたしましょうっ★



↑8月は当方の誕生月なので
 「応援」よろしくお願いします♪

皆様、いかがお過ごしでしょうか。


大好き過ぎてたまらない
「クソったれ」仕事の疲れが
出てしまい、せっかくの週末が
無気力になってしまいそうです・・・


仕事以外にやることがない
ダメ社蓄の典型ですね。
こんなんじゃイカンですっ!


さてさて、土曜日からの
起算更新になってしまいますが
今回は美恵軍團「軍報」の
第77弾といたしまして
静岡県島田市におかれていた
海軍技術研究所電波研究部の
島田分室の建物を1つだけですが
ご紹介させてくださいませ↓




島田分室は、電波兵器の開発や
実験などを目的に1944年(昭和19)に
開所しました。

設置の背景には、大出力の磁電管を
使用するために大量の電力を
まかなうための大井川水系の水力が
利用出来ることがあがりました。

ここでは、電磁管を使って強力な
マイクロ波を発生させ、
敵機に照射して電気系統をマヒさせ
エンジンを停止させる電波兵器の
研究が行われ、1945年(昭和20)の
組織改編で横浜第二海軍技術廠
実験所となりました。

跡地は、島田市博物館の分館や
住宅地などに変遷しており
面影がなくなっていますが、
当時の宿舎といわれる建物を
1棟だけ残存を確認しています。



東海地方における軍跡探訪の
ホープである空母先生を筆頭に
ヘラ男の三等兵が追従するかたちで
島田市内にお邪魔しております↓



当時の建物が1棟残っています↓




本拠に帰還後、血眼になって
終戦直後の航空写真と比較し、
他に残ってないか探しましたが
見つけられませんでした・・・↓



 【収録遺構】
  海軍技術研究所電波研究部
  島田分室
  (横浜第二海軍技術廠
   島田実験所)

   建物 1棟

 【探訪情報】
  2016.04.23  第1回探訪

 歩数(指数) 未計測(100)


次回のブログ更新は8月5日(日)で、
我々のホームページ関係の
アクセス統計を掲載させてください。


それでは、またお会いいたしましょうっ★



↑8月は当方の誕生月なので
 「応援」よろしくお願いします♪

皆様、いかがお過ごしでしょうか。


ついに、私の誕生月である
8月に入りましたっ★


毎年、8月になると
終戦を祈念して様々な
イベントがありますねっ!


我々のホームページ・ブログ共に、
その恩恵(?)にあやかりまして
毎年、年間最大のアクセス数を
頂戴する月でもあります。


いつもありがとうございます m(_ _)m


本来であれば、恒例の
「月初」でございますので、
我々のホームページの
アクセス統計を掲載させて
いただくところでございますが、
収集出来ておりません(汗)


今週末に収集予定ですので、
今日・明日は通常通り
「軍報」形式でブログの更新を
させてくださいませ m(_ _)m


今回はバックナンバーである
阪奈軍團「軍報」の第132弾の
続編として、京都府京都市を
はしっていた愛宕山鉄道の
廃止トンネルを利用した
三菱重工業京都機器製作所の
地下工場跡をご紹介します↓



なお、これは「後続記事」ですので
「本記事」もご覧くださいませ↓

 【阪奈軍團】京都発動機製作所



前回の記事に引き続き、
西日本地方における軍跡探訪の
権威である盡忠報國先生
ご案内の下、京都市内に
お邪魔しております↓



愛宕山鉄道のトンネル跡である
清滝トンネルに入っていきます↓



トンネルの幅を見る限り、
単線のトンネルだったようです↓



現在は道路トンネルですが、
すれ違えないため、トンネルの
両側に信号機を設けて
交互通行にしていました↓



かなり長いトンネルです↓



全長は、400メートルくらい
ありそうですかね・・・↓



トンネルの途中に、連絡坑なのか
退避用の坑なのか判らない
横穴が2ヶ所ありました↓



方々の地下工場跡を
巡らせてもらっている身としては
前者であって欲しいところですが、
残念ながら奥には行けません↓



トンネルを抜けた反対側に
清滝駅があったようです↓



【収録遺構】
 三菱重工業
 京都機器製作所
 (三菱重工業
  第十四製作所)

  建物 2棟
  トンネル 1箇所(今回追加)

【探訪情報】
 2018.06.30  第1回探訪

 歩数(指数) 未計測(100)


後ほど、我々のホームページでも
ご紹介させていただきますっ★


それでは、またお会いいたしましょう♪



↑8月は当方の誕生月なので
 「応援」よろしくお願いします♪

皆様、いかがお過ごしでしょうか。


残念ながら、大好きな仕事の
おかげ様をもちましてね、
クソったれな平日です。


さてさて、本日は月末日ですので
今回は「鉄道」ネタでブログを
更新させていただきます。


三等兵の裁量で恐縮です。
本日は京王3000系について
想いを記載させてください m(_ _)m



京王3000系電車
(※wikipediaを抜粋・編集)↓

京王3000系は、井の頭線用の
通勤形電車である。1962年(昭和37)から
1991年(平成3)にかけて東急車輛製造で
製造され、2011年(平成23)まで
運用された。

京王で初めてオールステンレス車体を
採用した。1996年(平成8)から
2011年12月にかけて全車廃車され、
その一部は各地方私鉄に譲渡された。

井の頭線の輸送力増強および、
それまで同線で使用されていた
緑色車体の鋼製車(グリーン車)の
代替を目的に製造された。

1963年(昭和38)に鉄道友の会
ローレル賞を受賞した。

最大で5両編成29本(145両)が
富士見ヶ丘検車区に在籍していたが、
1996年(平成8年)以降、1000系の
導入で廃車が進み、
2004年(平成16)11月に
未更新車が全廃。

以後はリニューアル工事を行った
5両編成14本(70両)が在籍していたが
京王電鉄は全車両を
VVVFインバータ制御車両に
統一する方針であり、本系列は
導入予定のATCに対応させないことから
2008年(平成20)から2009年(平成21)に
かけて追増備された1000系に
置き換えられ、2011年12月をもって
運転を終了し、全廃された。

京王初のオールステンレス車両。
日本初のオールステンレス車両である
東京急行電鉄の初代7000系や、
本系列とほぼ同時期に就役した
南海電気鉄道の6000系と同様、
東急車輛がアメリカのバッド社から
導入した技術を用いて製造されている。

一部の車両の車内には、
同社からのライセンス技術により
製造された旨の銘板が
取り付けられていた。

京王の営業用車両では最後まで
運転台のマスコンハンドルと
ブレーキハンドルが個別に設置され
電磁直通制動を装備する18.5m車体の
片側3扉車両であった。

乗務員室の内装は緑色である。

2003年(平成15)頃より1000系と
同等の電子警笛が追設された。

営業最高速度は90km/h
(かつては80km/h)であるが、
速度計は140km/h表示で、
ATS照査速度表示スペースはない。

乗務員室と客室の仕切り窓は
3か所であり、中央が乗務員室の
仕切り扉である。

前面形状は、窓周りを傾斜させた
2枚窓のいわゆる「湘南形」である。

ステンレスでは加工の難しい
複雑な形状となる前面上半部は
FRPが使用され、ステンレス製の
車体にねじ止めしている。

ステンレス車の前面にFRPを
使用するのは日本では初めての
試みであった。

このFRP部分にパステルカラーの
着色をし、編成ごとに変えて
変化を持たせたため、
レインボーカラーの電車として
人気があった。

ステンレスとプラスチックの
電車ということで「ステンプラカー」の
愛称がある。

ただし、のちに実施された
更新改造の際に、このFRP部分は
普通鋼に変更された。

更新されることなく各地方私鉄に
譲渡された初期車は、現在でも
前面がFRP製のままである。

乗務員室直後部分にも座席があり
乗務員室仕切り部分の一部にも
座席モケットが張られている。



こんな感じの車両です↓

wikipediaの写真です。


三等兵は、子供の頃から
千葉県に住んでいたこともあり、
鉄道が好きになった頃から
行きづらい場所にあたる
東京の西側をはしる電車は
乗る機会がありませんでした。


この筆頭が西武と京王帝都(当時)。
ただでさえ、池袋や新宿に
行く用事などないのに、
井の頭線の起点にあたる渋谷など
それ以上に行くことはないです。


ただ、自分のなかで
デザインと走行性能がよい
「神推し」する形式を決めるのに
京急1000形京王5000系
迷った時がありましてね、
このためだけに、わざわざ
用のない新宿から5000系を乗りに
友達と出かけたことが
数回ありまして・・・


こういう機会を狙って
東京の西側をはしる鉄道を
一気に乗るわけです(笑)


登場当初は1枚扉だった
3000系↓

wikipediaの写真です。


新宿から京王帝都(当時)に乗り
明大前で井の頭線に乗れることは
知っていましたから、
滅多にない機会を使って
3000系に乗ったものです。

っていうか、3000系しか
はしってなかったし(笑)


末期の車体更新車は
こんな感じでした・・・↓

wikipediaの写真です。


3000系ばかりで、系種だけなら
ワンパターンで面白くないですが、
前面FRPの塗装にバリエーションが
(ブルーグリーン・アイボリー・
サーモンピンク・ライトグリーン・
バイオレット・ベージュ・ライトブルー)
あったため、飽きなかったです(笑)


3000系の台車です↓
5084244672_35d2ea7bf7_z.jpg
ここより、写真を転用しております。
 (オーナー様が判らず申し訳ない)


典型的な東急車輌の台車です。
ちょっと記憶があいまいですが
エコノミカル台車(パイオニアⅢ)を
履いていた車両もあった気がします。


残念ながら、井の頭線からは
全車が引退していますが、
地方私鉄に譲渡されており
まだまだ現役で活躍している
路線もあります。


今から15年前に撮影した
上毛電気鉄道の写真が
出てきました(笑)↓



車内は京王帝都時代と
全く同じです↓



走行音はあまり覚えてませんが
高速になると国鉄113系と103系との
中間みたいな音だった気がします・・・


地方で活躍する本形式も
このまま、いつまでも
走り続けて欲しいものですねっ★


本日は大変な「脱線」と「的外れ」な
ブログ更新で申し訳ありません m(_ _)m


明日はブログの更新をお休みさせて
いただきますね m(_ _)m


それでは、またお会いいたしましょうっ♪



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