戦争遺跡のご紹介やホームページの制作状況などを綴っていきます♪

総軍BLOGへようこそっ!

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祐実総軍三等兵

Author:祐実総軍三等兵
全国に残る戦争遺跡を探訪し
記録することを趣味とする
祐実総軍三等兵ですっ★

稚拙な内容ではございますが
これまでに関係者の皆様方と
見てきた戦争遺跡を中心に、
ブログ・ホームページなどで
順次ご紹介をしていきます♪

よろしくお願いしますっ★

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皆様、いかがお過ごしでしょうか。


いやぁ、どうでもいい時間の
経過が遅く、自分にとって必要な
時間の経過は早く感じてしまうことが
不公平だと思ってしまうスパイラルに
はまってしまい「だめだこりゃ」です(笑)


さてさて・・・
本日は阪奈軍團「軍報」の
第122弾といたしまして、
京都府京都市におかれていた
伏見憲兵分隊の軍用地境界標を
1つだけご紹介させてください↓




伏見憲兵分隊は歩兵第三十八連隊が
大津から京都へ移駐したことによって
1898年(明治31)に発足し、
大阪憲兵隊に隷属しました。

その後、日露戦争の開戦により
市内に第十六師団の兵営が新設され
京都憲兵隊が発足すると
その隷下となり、最終的な憲兵令の
改正で京都地区憲兵隊に隷属し、
終戦まで存続しました。

現在、跡地は住宅地に
変遷していますが、敷地南端を示す
軍用地境界標が 1つ残っています。



前回の記事に引き続き、
西日本地方における軍跡探訪の
権威である盡忠報國先生
ご案内の下、京都市内にお邪魔中です↓



マンションの入口付近に
敷地南端を示す軍用地境界標が
1つだけ残っています↓



いやぁ、盡忠報國先生
教えてくれなければ、この標柱を
見ることは出来ませんでしたっ!


出会いに心から感謝っ★


京阪電車を見ながら、次の案件に
進んでいきます↓



【収録遺構】
 陸軍大阪憲兵隊
 伏見憲兵分隊
  (陸軍京都憲兵隊
  伏見憲兵分隊,
  京都地区憲兵隊
  伏見憲兵分隊)

  軍用地境界標 1本

【探訪情報】
 2018.06.30  第1回探訪

 歩数(指数) 未計測(100)


後ほど、我々のホームページでも
ご紹介させていただきますっ★


明日は水曜日ですので、
ブログの更新をお休みします m(_ _)m


それでは、またお会いいたしましょう★



↑よろしければ、こちらの「応援」も
 ひとつよろしくお願いします♪

皆様、いかがお過ごしでしょうか。


いやぁ、月曜日はゲンナリですね。


仕事が好きすぎて、今日も定時で
帰ろうとしたのですが、帰る時に
「毎日早く帰っているけど、副業でも
やっているの?」って聞かれました(笑)


鼻で笑ってやりました(笑)
さすが、仕事が本当に大好きな人は
仕事以外にやることがないのでしょう。


まあ、それもよいでしょう。
そういう人達に私の感覚を
押し付けるつもりもありませんしね。


さて・・・
今回はバックナンバーである
阪奈軍團「軍報」の第5弾の
続編として、京都府京都市に
おかれていた輜重兵第十六連隊の
遺構群を追加でご紹介します↓



なお、これは「後続記事」ですので
「本記事」もご覧くださいませ↓

 【阪奈軍團】(5)輜重兵第十六連隊



西日本地方における軍跡探訪の
権威である盡忠報國先生
ご案内の下、京都市内にお邪魔中です↓



京都教育大学付属高校の北西端に
軍用地境界標が残っています↓



すぐ横にある水路も当時のものと
考えられます↓



いやぁ、ここの外周は
歩いたつもりだったのですが
全く気が付きませんでしたっ!


【収録遺構】
 陸軍第十六師団
 輜重兵第十六連隊

  建物 1棟
  歩哨 1箇所
  門柱 1本
  軍用地境界標 2本
  その他 1箇所

  軍用地境界標 1本
  (本記事の追加分)
  その他 1箇所(本記事の追加分)


【探訪情報】
 2007.07.09  第1回探訪
 2007.12.23  第2回探訪
 2013.11.22  第3回探訪
 2018.06.30  第4回探訪

 歩数(指数) 一部未計測(198)


追加分は、後ほどホームページでも
ご紹介させていただきますっ★


それでは、またお会いいたしましょう★



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皆様、いかがお過ごしでしょうか。


三等兵は、金曜日の夜から
西日本における探訪の権威である
盡忠報國先生と一緒に
大阪・京都方面の探訪をして
先ほど本拠に帰還しました。


おかげさまで、今回も充実した
探訪内容となりました。


この場をお借りいたしまして
盡忠報國先生に厚く御礼を
申し上げます m(_ _)m


探訪の成果は、以降の「軍報」で
載せていきたいと思いますので
ご期待いただければ幸いです。


さてさて、今回は日頃より
ご愛顧いただいております
私どものホームページである
「祐実総軍 ― 戦争遺跡データベース」の
6月度のアクセス統計を
掲載させてくださいませ。




2018年6月度の統計は以下でございました↓

戦争遺跡調査研究軍―祐実総軍
2018年6月度アクセス統計
 (2018.6.1~2018.6.30)

【総アクセス数】
 16,337アクセス(ブログページ含む)

【最高アクセスカウント日】
 2018年6月26日(火)  757アクセス

【最低アクセスカウント日】
 2018年6月18日(月)  416アクセス

※アクセスカウンターの数字とは
 異なる方法での集計となります。

【アクセス元都道府県ランキング】
  1.東京都(10.86%)
  2.神奈川県(10.42%)
  3.大阪府(9.02%)
  4.埼玉県(7.64%)
  5.千葉県(7.28%)
  6.愛知県(6.77%)
  7.静岡県(6.21%)
  8.兵庫県(6.02%)
  9.北海道(5.09%)
 10.広島県(4.18%)

【アクセスページランキング】
  1.横須賀海軍工廠 造兵部 (逗子市)
  (祐実軍團:神奈川県) 
  2.横須賀海軍航空技術廠
  (祐実軍團:神奈川県)
  3.東京第二陸軍造兵廠 香里製造所
  (阪奈軍團:大阪府) 
  4.小倉陸軍造兵廠
  (那留絵軍團:福岡県) 
  5.横須賀海軍工廠 造兵部 (横須賀市)
  (祐実軍團:神奈川県)
  6.平塚第二海軍火薬廠
  (祐実軍團:神奈川県)
  7.東京第二陸軍造兵廠 深谷製造所
  (祐実軍團:埼玉県)
  8.海軍共済組合病院 平塚診療所
  (祐実軍團:神奈川県)
  9.陸軍下関要塞 富野堡塁
  (那瑠絵軍團:福岡県)
 10. 野比海軍病院
  (祐実軍團:神奈川県)

 ※アンカーをクリックすると、
  それぞれ別ウィンドウで表示され
  音楽が流れますので、一度に全てを
  開かないようにご注意を!

【検索自治体ランキング】
 1.神奈川県横須賀市(祐実軍團)
 2.福岡県北九州市(那瑠絵軍團)
 3.神奈川県三浦市(祐実軍團)
 4.神奈川県横浜市(祐実軍團)
 5.神奈川県藤沢市(祐実軍團)
 6.神奈川県逗子市(祐実軍團)
 7.和歌山県和歌山市(阪奈軍團)
 8.大阪府大阪市(阪奈軍團)
 9.神奈川県平塚市(祐実軍團)
 10.大阪府枚方市(阪奈軍團)

【掲載遺構数】
 4,305 (フルブラウズ時は4,397)



6月も多くの皆様に見ていただき
本当にありがとうございます m(_ _)m

前月に比べると若干アクセス数が
下がってしまいました・・・

ここのところ、更新が滞留しており
変わり映えしないために
飽きられてしまっているのかも
しれません・・・

今月は頑張りたいと思いますので
応援のほど、よろしくお願いします m(_ _)m


【本日の写真】
京都府京都市におかれていた
三菱重工業京都発動機製作所の
疎開地下工場(鉄道高架下転用)↓



京都府久世郡久御山町におかれた
陸軍京都飛行場の耐弾待機所↓



大阪府豊能郡豊能町におかれた
大阪防空監視隊の地黄防空監視哨の
聴音壕↓



大阪府池田市におかれていた
東京第一陸軍造兵廠大宮製造所の
池田工場の軍用地境界標↓



大阪赴任時にお世話になった
阪急電車の面々↓



それでは、またお会いいたしましょう★



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皆様、いかがお過ごしでしょうか。


三等兵は、今日から3日間を使って
盡忠報國先生と一緒に
京都市周辺の軍跡探訪に
出かけてきます。

とはいえ、今日は宿泊先までの移動で
日曜日もお昼くらいには本拠に
戻る予定でいるので、実質的な
探訪は土曜日の終日だけですが
楽しみで胸が躍っております(笑)


1つでも多くの軍跡が記録出来るように
頑張りたいと思いますっ★


さてさて、月末が近くなってきたので
本日は「鉄道」ネタでブログを
更新させていただきます。


今回は南海電鉄6000系ですっ★




南海6000系電車
(※wikipediaを抜粋・編集)↓

高野線の難波~橋本間で
使用される20m4扉・
オールステンレス車体の
通勤形電車である。

高野線では「大運転」と称する
平坦区間と山岳区間の直通運転に
対応した15m2扉車体の561形・
1251形、17m2扉車体の21001系・
21201系が使用されていたが、
1960年代から平坦区間では
沿線の住宅開発が進み
通勤客が急増し、これらの車両では
輸送力不足となっていた。

このため、高野線の平坦区間である
難波~三日市町間に南海本線と
同様の山岳区間に対応しない
20m4扉車体の通勤形電車を投入し
輸送力を向上させることになった。

製造初年は1962年。
同年12月25日から営業運転を
開始し1969年までに72両が
製造された。

南海の4ドア通勤車としては
初の高性能車である。
東急車輛製造がアメリカ・バッド社の
ライセンス供与を受け、日本で初めて
開発したオールステンレス車体を
採用した。東急車輛製の
オールステンレス車としては
同じ1962年に、その嚆矢となる
東京急行電鉄7000系電車、
続いて京王帝都電鉄3000系が
登場しているが、この2系列は
18m級3ドア車であったのに対し、
同年12月に登場した本系列は
初めての20m級車体となった。

側扉は片開き式で、2017年5月現在の
高野線所属車では唯一の存在である。
南海本線に導入された7000系は、
本系列の普通鋼製車体バージョンである。

ステンレス車体は事故などで損傷した際の
修繕が難しかったため、6000系以後も
踏切の比較的少ない高野線は
ステンレス車、南海本線は鋼製車という
パターンが9000系の投入まで続いた。

起動加速度はM・T同数編成で
2.5km/h/s、2M1T編成で
3.4km/h/sである。

主電動機は三菱電機製
MB-3072-A(後にB)で、
出力は600V時115kW/1600rpm、
1500V時145kW/2000rpm、
1962年当時の狭軌電車用電動機としては
最強クラスのモーターである。

1500V時の定格速度は60km/hで、
通勤車としては高いうえに
弱界磁制御を30%まで行う。

駆動装置はWNドライブで
ブレーキ方式は発電ブレーキ併用
電磁直通空気ブレーキ (HSC-D)。

車両構造上、同期登場の7000系は
普通鋼製だったことが災いし、
塩害による車体へのダメージが
酷いことから、2015年10月までに
すべて廃車となっているのに対し、
オールステンレス車体の6000系は
2018年3月現在も全車が在籍している。

車齢50年を越えて現役を続ける例は
鉄道車両では少なくないものの、
同世代の車両の多くが廃車・譲渡・
転属される中で、大手私鉄の車両で
1両の廃車も転属もなく、
50年以上もの間同一線区を
動かなかった例は非常に珍しい。



こんな感じの車両です↓



前にもお話ししましたが、
三等兵は、2枚扉の標準寸法(120cm)と
同じ規格の1枚扉を採用している
形式が大好きでして(笑)


この形式は、昔から遠目では何度も
見たことがあったのですが、
乗車する機会に恵まれたのは
ごくごく最近のことです。


優等運用につく6000系↓

wikipediaの写真です。


先日、天見防空監視哨を見に行くのに
なんば駅から区間急行に乗車した際、
出迎えてくれたのが6000系でした。
しかも、トップナンバー(笑)


でも、オールステンレス車体なので
劣化した感は全くなく、
車齢が50年近くだとは思えないほど
状態はよかったですっ!


6000系の車内↓
Nankai_6000_series_01.jpg
wikipediaの写真です。


1枚扉でつり革が長いです(笑)
座席端にスタンションポールが
設けられてないところも
昭和テイストで素敵ですねっ!


なんば駅に停車中の6000系↓



走行音は、典型的なWN駆動で
高速走行につれて甲高い音を
出していきますが、低・中速は
静かです。


車体違いで同スペックの7000系
残念ながら全廃していますが、
6000系は1両の廃車もなく全車が
健在なんだとかっ!


このまま、いつまでも
走り続けて欲しいものです。


本日は大変な「脱線」と「的外れ」な
ブログ更新で申し訳ありません m(_ _)m


明日はブログの更新をお休みさせて
いただきますね m(_ _)m


それでは、またお会いいたしましょうっ♪



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皆様、いかがお過ごしでしょうか。


残念ながら、6月28日の業後は
会社の送別会が入っており、
ブログの更新が出来なそうなので
真夜中に予約更新をします。


思い返せば、1年前の私も
送別される立場だったな(笑)


さて、本日は和泉軍團「軍報」の
第86弾といたしまして、
千葉県南房総市に設置されていた
海軍東京湾要塞地帯の
要塞第一区地帯標を1本だけ
ご紹介させていただきます↓




東京湾要塞は日本の本土に
おかれた永久要塞のうちの 1つで、
1895年(明治28)の要塞司令部条例に
よって、永久的な防御工事を
施している場所は「要塞」とされ
海軍の場合は、砲台や軍港が
「要塞地帯」とされました。

また、これに伴う法律も公布されており
軍事機密の保持のため、要塞地帯に
指定された区域内での測量や撮影・
スケッチ・土木工事などは、
要塞司令部の許可がないと
出来ませんでした。

これらの防御営造物より
250間(約455メートル)以内を
特に「要塞地帯第一区」として
一般人の立入りが禁止され、
衛兵が守備していました。

さらに、その距離に応じ「第二区」・
「第三区(区域)」が設定され、
これらを明確にするため
その境界部に要塞地帯標が
設置されました。

要塞地帯を定義する法律は
数度にわたって改正されましたが
最終的に防御営造物から
1,000メートル以内を第一区・
5,000メートル以内を第二区・
15,000メートル以内を第三区(区域)と
当初よりも大幅に拡大されました。

南房総市については、要塞第一区に
定められた箇所があり、
三芳病院付近に要塞地帯標が
残っていましたが、残念ながら
現在は消失しているようです。



いにしえの重鎮メンバーの皆様方と
南房総市の三芳病院付近に
お邪魔しております↓



病院の前をはしる県道沿いに
要塞第一区地帯標が
残っていました↓



要塞地帯標は花崗岩製で、
全面にわたって
「東京湾要塞第一区地帯標」・
「昭和十六年七月三十日建設」・
「第八号」・「海軍省」と
記載されていました↓




民家の敷地内だったので、
このまま残るものと思ってましたが
2017年(平成29)11月の再訪で、
引っこ抜かれていることが
判明しました(涙)

どこかに移設保存されていれば
いいのですが・・・


【収録遺構】
 海軍東京湾要塞地帯(南房総市)

   軍用地境界標 1本

【探訪情報】
 2007.05.04  第1回探訪
 2017.11.25  第2回探訪

 歩数(指数) 未計測(100)


明日は「鉄道」ネタでブログの
更新をさせていただきますね。


それでは、またお会いいたしましょう★



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